階段が轟音と共に落下し、私は引き込んでくれたランスの上に倒れこむ。「……助かりました、ランス」「いやー、いいってことよ」「ったく、これで道が一つ塞がったか」 ランスの上から退くと、立ち上がって階段が落下した竪穴を覗き込む。地下10階は相当な高さだ。だが、追っ手を振り切るには丁度いい。「下への道はここだけなのですか?」「馬鹿言え、んなわけあるか。ちゃんと階段はあるさ。10階へ直通とは行かないがな」 そう言うと、甲斐は奥へと向かう。 他のみんなはすでに奥へ行ったらしい。「……………………」「何をしているのですか、ランス。行きますよ」「あ、ああ」 4階は食堂になっていた。体育館ほどの大きさの広間にテーブルが所狭しと置かれ、広い厨房が隣接している。 トリスティアはテーブルの一つに寝かされ、輸血の準備を終えていた。「広いな」 ランスが感想を漏らす。確かに広い。まぁ、魔術師全員がここで食事を取るとも思えないが。「ま、ちょっとしたもんだな。まぁここを使う連中は引き篭もり連中ばっかりだ」「何でもいいよ。さすがに腹が減った」 ランスは厨房へと入っていった。確かに、朝4時から動き続けだ。9時か10時か……、とにかく何か口に入れたい。 ランスと共にライトを手に厨房を見て回る。 厨房からは並んだテーブルが良く見える。 ボルツと甲斐とガウェインはなにやら相談を、トリスティアにはベティとイーサンが付き、少年少女の二人は離れた所で声を潜めている。ヴィクトールも隅のテーブルで肩を震わせている。「食料とか、そんなもんはねぇのか?」 ヘンリーも厨房で食べ物を探していた。「大抵裏とかだろ、……無事なら」 そして、裏に回った私達は大型の冷蔵庫とフリーザーを見つけた。 ランスがそれに手を掛け、開けた瞬間、 バチャァァ!!「うおっ!?」「な、なんだこりゃあ!」 いきなり冷蔵庫の隙間から漏れ出す液体。 ……水だ。冷蔵庫に入っていた氷が溶け、流れ出した。やはり冷蔵庫の電源も停止していたか。「最悪だな、これじゃまともな食料は期待できねぇぞ」 と、ランスがチラッとこちらを見る。「何ですか?」「いや……、お前ジャンクフードとか嫌いだろ?」「…………できればまともな食料を期待したいのですが」「無理だと思うぜ?ほとんどが保存の効くもんばかり。冷蔵庫でこれだ。冷凍庫に眠ってるピザがどんな状態かは考えたくもないね」 ヘンリー冷蔵庫から一つのパックを取り出した。「無事なのはこんな物ばっかりか」 ……あぁ、最悪である。食料は戦をするうちでもっとも確保を考えるべき物。 いくら一パックで1日のカロリー摂取ができる、などと謳われても私から見ればそんな物は"食事"とは認めない。第一腹が膨れないではないか。 こればかりは全力否定である。「ないよりマシかぁ。まったく」 ランスもパックの封を切り、中身を一気に吸い上げる。「はー、やれやれ。味も素っ気もねぇ」 と、こちらにも一つ差し出してきた。「ランス、私がそんな物を食べないことぐらい知っているでしょう?」「分かってるよ。だが、飲んどけ。何でもいいから腹を満たしとかないと持たないぞ」 ほれ、と私の手に押し付けた。 軽い。あまりにも軽い。250mlそこそこの容量しかないのに、食物繊維を初めとした一日に必要な栄養素が凝縮しているという。 焼いた肉を投げ出しただけの"料理"よりは幾分マシだろうが……、結局は同じ事。「後は、ソーセージとか生のまま食える程度の物か。まったく、量だけは揃ってるな」 水に濡れて食べられそうにない食材を避け、密封包装されていたソーセージやパックなどを取り出す。「諦めろ、セイバー。こんな時に食料が食えるってだけでもありがたいさ。前に食ったレーションなんてのは最悪だった。アレよりはマシだよ」「……皮を剥ぎ、何の下処理もせず、焚き火にかざして焼いて投げ出しただけの肉が戦時食でも貴方は耐えられますか?」 いきなりの私の問いにランスはすこしためらってから、「何だ、そのありえねぇ食料は」「古のブリテンが戦争中に食べていた食料です。今思い出しても、焚き火にかざしただけの肉を"料理"しているなどとよく言っていたものでした。 貴方は戦闘とその"肉を焼いた食べ物"が毎日続いて耐えられますか?」「…………たぶん、無理」 しぶしぶ私はパックの封を切り、一気に飲み干した。 少しドロリとした感じがのどを通っていく。味は良かろうが、好きにはなれない。「……はぁ。確かにアレよりはマシでしょうね。味も素っ気も無いほうが助かります」「お前……、中世で戦争やってたのか?」「大昔の話です。あの頃に比べれば確かに戦時食は進化した。少なくとも、マズくはない」 眉をひそめ、あの頃の苦い経験を思い出す私を見ながら、ランスは「察するよ」と言って手に持ったパックを手に皆の所へ戻っていった。「……何の話してんだお前ら」 そこに、3本目のパックを空けたヘンリーがつぶやいた。 事態が急変したのは、それからすぐだった。「トリス!トリス!?」 輸血を始めていたトリスティアの容態が急変したのだ。「どうした!?」 甲斐とガウェインが駆け寄る。他の皆も何事かと集まった。 トリスティアは苦しそうなうめき声を上げ、痙攣を起こしていた。「血液が合ってなかったんですか!?」「いや、確かに合ってる。だとすればこれは……」 ベティが治癒魔術を再開する。だが、彼女の痙攣は治まらない。 やがて……、パタリと動かなくなった。『―――!!?―――』「……トリス…………どうして……」 亡くなった……。意識を取り戻すことなく、輸血すらしたというのに彼女は死んだ。 動揺と、静寂が食堂に下りた。 それでも冷静なガウェインは輸血の針を外し、イーサンがハンカチを彼女の顔にかけた。「線香じゃないのが悔やまれるな」 甲斐はタバコを取り出し、一本に火をつけると彼女の横にトンと立てた。「日本流の弔いだ。安らかに眠ってくれ」 と、手を合わせる。 ベティは彼女の亡骸にすがってすすり泣く。 ゴガァァァン!! いきなり、厨房の中から轟音が響く。 全員がいきなりの事に驚き顔を上げ、デュランは過剰に反応し声を荒げる。「ちょ、何だ今のは!?」 手を合わせていたランスがカウンター越しに覗き込む。 ガランガランと床に転がっていたのは棚に置かれていた寸胴。だが、その鍋は大きく凹んでいた。「……お前かよ、セイバー」「……………、すみません」 ギリギリと歯をかみ締め、握りこんだ拳は皮膚を破って血が出ている。おまけに、殴った拳自体も皮膚が破けていた。 皆に安心するように言ってからランスが中に入ってくる。「あーあー、お前。右手裂けてんじゃねぇか!」「大した怪我じゃありません。ご心配なく」「お前が泣く必要なんて無いと思うんだがな、俺としては」 彼は転がった鍋を拾い、棚へと戻す。そんな必要など無いというのに。「俺も人の事は言えないがね。話した事も無いとはいえ、名前を知ってる人間に死なれるとな」「私は……悲しいのではありません」 静かに、血が流れる右手を見る。「確かに悲しい。しかし、それ以上に悔しいんです。なぜ助けられなかったのだろうと」 守ると誓いを立てた。なのに、あの入り口で仲間の一人が見る間に貫かれ、さらに重傷だったトリスティアが死んでしまった。 この時点で、守ると誓った私の誓いは2度破られたことになる。 それは私にとって、胸の中を二度も串刺しにされたのと同じ事。「なぜ助けられなかったのか、なぜ間に合わなかったのか……、ただ、自分が許せないんです」「彼女に関してはお前は関係ないだろ?元々瀕死だったんだ。無関係な奴にわざわざ血を届けるなんて手間さえかけたんだぜ? 誰もお前を責めねぇよ」「そういう問題ではない!」 私は彼を睨み付ける。「セイ……バー?」「誓いを立てた瞬間から、私にとって皆の命は等価値です。たとえ無関係だろうと、私は守ると決めた。なのに……救うことができなかった」 今になってジクジクと痛み出した手を押さえて、私は言葉を漏らす。 無念、後悔、死者への懺悔、出てくるのはそんな感情ばかり……。大量の死体を見ても眉一つ動かすことなく戦場に立ち続けた王の威厳はどこへやら。 人一人の命が……これほどに心を削っていく。「思いつめてると、タメにならんぞ」 甲斐がカウンター越しにこちらに話しかけてきた。「とりあえず、彼女の死亡理由くらいは聞くか?」「分かるのか?」「こういう場合は限られる。一番は"クラッシュ症候群"だろうな」「クラッシュ……なにを?」「クラッシュ症候群。断線した筋肉から漏れ出た体液や髄液が血管内を流れ、毛細血管を詰まらせる」「聞いた事はありますが、確かめったに起こらないのではなかったですか?」「だな、負傷してから時間が経ってなければまず起こらない。 だがあの女の場合、ベティが治療を始めるまで15分以上ほったらかしだったらしい。戦闘の混乱で彼女を治療するどころじゃなかったんだろうよ。 おまけに手ひどくやられてたからな。ベティの治癒魔術は一級らしいが、すでに血管内に異物が入り込んでたんだろう。 血圧が下がっていた所に輸血がいきなり来て、異物が毛細血管に詰まり……」 はぁ、と甲斐がため息をつく。その先は言うまでも無いか。「お前さんの心意気は買うよ。だが、仇を取るにしても俺達が生き残らなきゃならん。こりゃお前さんが言ったことだぞ? 顔、洗いな。悲しみに潰されてる暇なんて俺達にはねぇんだからよ」