「クソッ!――あの野郎やりやがった!!」 ガン!と閉じられた扉を蹴ってヘンリーが激昂する。「開けられないのか?」「魔術協会の内部の扉ですよ?相応の魔術で無い限り無理です」「クソッ、迂回路は無いのかよ」「私に聞かないでください」 甲斐達はまだ数体のホムンクルスを相手に戦っている。上から落下して来ない所を見ると打ち止めか?「ランス、ヘンリー、子供達を頼みます!」「どうする気だよ?」「甲斐達の援護に、迂回路を聞かなければ」 言いながら、私は戦っている3人の下へ走る。 彼らは既に10体のホムンクルスを迎撃していた。無傷とは行かないものの、さすがに実戦経験を積んだ者達。受けたダメージは最小限だ。 フッと視界の隅をカソック姿がよぎった。隠れていたのか、ベティがランス達の元へ走っていく。 一瞥しただけで視線を戻し、狙甲斐とボルツに狙いを定めてこちらに背を向けている一体に肉薄する。 まるで注意が行き届いていないらしい。真後ろで剣を振り下ろし、剣を持った左腕を切り落とされてようやく視線がこちらを向く。問答無用で首をはねた。「どうした!」「ヴィクトールが扉を閉じてしまいました!」「何だと!?」 驚愕しながらも敵への注意は乱さない。聞いていたガウェインも一瞬こちらへ注意を向けた。「迂回路は無いんですか?」「ありません!一本道だといったでしょう!」 ガウェインは自分の最後のホムンクルスの足を吹き飛ばし、脳天にデリンジャーの一撃を見舞った。 デリンジャーは口径の小さい護身用の銃のはず。2連発の銃をメインで使うとは。 ……いや、今一瞬彼のコートの内部がジャラジャラして見えたのはまさか。「入って来た左側の扉で合ってますね?」「……あぁ合ってる、よっと!!」 年齢に似合わぬ俊敏な動き、逆手に持ったナイフでホムンクルスの喉笛を切り裂いた。 それで打ち止め。ようやく一息つけた。「裏切りか……」 ボルツが眼鏡を直しながら言う。「まぁ、あの手合いはやらかすだろうとは思ってたがな。 ガル!」「セムテックスはありません。天井爆破で打ち止めです」「……あー、そいつは困った」「他の扉はどこへ通じてるんですか?」「いろんな実験プラントだよ。植物、キメラ、薬品等等。もちろん行き止まりだ。扉はちょっとやそっとじゃ破れないからな。ホムンクルスが床をぶち抜いたぐらいの魔術が必要だ。 オーライ、ジ・エンドだ。後は神に祈るか欲望のままに理性を捨てるかだが、付き合うか?」「輪切りにされたいなら付き合いましょう」「ハハハ、ナイスな返しだ」 ドドンッ!! 突然、さっき閉じられた扉から鉄杭でも叩き込んだかのような鈍い音が響いた。 見れば、丁度閂を掛ける部分に黒鍵が二本突き込まれていた。「はっ?」 思わず甲斐が間抜けな声を上げた。それほどにその光景はあり得なかったのだ。 厳重な造りをしている内部の扉は、カミソリの歯でもなければ通さないほどにぴったり閉じられるように設計されている。そこに黒鍵を突き込んだ!? そうこうするうちにヘンリーとランスが数度扉を蹴りつけ、扉の向こうで折られたらしい閂と共に扉は開けられた。「馬鹿な……どうやって!」 ガウェインが私達の気持ちを代弁した。 /// /// 押し殺してきた恐怖が、天井から落下してきた殺戮者を目を見た瞬間に箍が外れたように噴き出した。 身の内に迫るのは恐怖。背後に迫る"死"という恐怖。一介のサラリーマンに刃を押し当てられる耐性等存在しない。選択肢など決まっている。ソレからはただ尻尾を巻いて"逃げる"のみ。 触れば割れるシャボン玉のようなプライドなどかなぐり捨て、自分は逃げていると実感する。「はっ、はっ、はっ……」 どこをどう走ったかなど覚えていない。 自分を助けた者達をこれほどたやすく裏切ってしまった自分に恥を覚える暇すらない。 自分は最低だ。自分を守ると言った者達をあの場に残し、自分が生きるために見殺しにした。 ―――生きたい ……何を馬鹿な。アイツらも男を見殺しにしたじゃないか。 言っていたではないか、自分の身を守れなければソレまでだと。ならば、彼らがあの場で自分の身を守れなければそれは彼らの責任。生きようと行動した自分は正しい事をしているではないか。 一緒に居た若者や子供。彼らは自分を憎むだろうか。まさか、「死人に口無し」とも言う。自分には生きる権利がある。生きるために行動する権利がある。 自分はあんな一線を外れた連中とは違う。 ―――助かりたい 右へ左へ、扉があれば開き、鍵がついていれば閉める。 一体何枚の扉をくぐり、ここがどこなのかも判らない。「はっ、はっ…………おっ?!」 何かに毛躓いて派手に転ぶ。 そこでようやく、肺が酸素を渇望している事に気付いた。 這いつくばったまま、壊れたポンプのように呼吸する。 年を考えぬまま全力疾走した足の筋肉は、既に限界とストライキを起こし、汗がスーツの中で蒸れ、気持ち悪い事この上ない。 ガタンッ!「―――!!?―――」 周囲は明かりも無い漆黒の闇。その向こうで何かが倒れるような音がする。 また恐怖が再燃してくる。奴らの瞳の赤い光が目の前に迫ったあの恐怖。 ―――死にたくない 周囲を見渡し、直ぐ傍にあった扉へと飛び込む。内開きの扉を蹴り閉めた。「はぁ、はぁ、はぁ……、くそっ、くそっ!」 床にへたり込み、息を殺して耳を済ませる。 音はしない……。とりあえずは一安心らしい。 息を吐き、ドアを見上げた。そこで、気付く。「なっ、何だこりゃ!」 ドアに飛びつく。そして、よくよく確認するがやはり見たまま。 嘘だ、あり得ない。どうしてこんな物を……、「何で、このドアは…………」 かしゃり…… その瞬間、後ろで音がした。何か金属質が床を突く音。 かしゃりかしゃりひたひた…… 肌があわ立つ。全身の汗腺から一気に汗が噴出してくる。 耳で感じるだけで無数の音が"この部屋"に充満している。 ゆっくりと、これ以上は無いというほどにゆっくりと振り返る。 既に目は暗闇に慣れきっている。 ―――嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ…… 視界に入ってくる物、その姿を見た瞬間、頭の中は完全にパニックを起こす。 信じられない物がいる、見た事も無いものがいる、いてはいけない物がいる……、 だが、後ろは開けられない扉。逃げ道は既に絶たれている。「あ、……ああ…………あ」 ヒューヒューとソレは息を漏らし、濁った瞳でこちらを見据えた。 …… …… 飢えていた。心の底から飢えていた。 狭い部屋の中に閉じ込められ、何日間も放って置かれた。 同じように飢えた者達は、やがて共食いを始めた。 本能のままに襲い、喰らい、生きようとした。 弱い者から徐々に喰われ、やがて強い者だけが残った。 それでもなお、腹は減る。お互いが虎視眈々と相手を襲う隙をうかがっていた。 いつだったか扉が開いたが、逃げ出す者は皆無。逃げ出す事はすなわち弱者の証。狩られるは必然。 ただ息を潜め、この部屋での生存だけを目的とした。 やがて、何者かがやってきた。荒く息を吐き、扉を蹴り閉めた。 ―――獲物だ 部屋中が、この闖入者を獲物として認識する。 ―――喰いたい もはや、頭の中はそれだけで埋め尽くされる。 ―――生きたい 故に、遠慮などしない。否、最初から遠慮という単語はない。 我先に、この獲物へと襲い掛かる。 喰らい付き、引き千切り、咀嚼する。己の糧として吸収する。 さぁ、続きを始めよう。この部屋に存在する者達よ。己が生きる為に、他者を糧とする戦いを。 最後にただ一体となるまで、私は生きる事を放棄しない。