犠牲――― 人が生きる上で消費される物、人が生きる上で不必要な物、切り捨てられた物。 だがそれは、果たして必要な犠牲(sacrifice)だったのか。 それはもしかしたら不必要な犠牲(victim)ではなかったのか。 今一度、それを考えている。 あの日、あの時、あの場所で、私は国を守る王になるために剣を取った。 後悔など無い。全ては国を守るために起こった瑣末事。 年老いぬ体、傷を追わぬ体、勝利を約束された体、全てから守られた体。 全ては加護。湖の貴婦人が私に与えた加護。 そう、私が生き、私が戦い、私が勝利する事で国は保たれる。 いわば私そのものが国、なにしろこの身は王なのだ。これは何者にも覆せない事実。 内外から来る敵を排除し、完膚なきまでに叩き潰し、この地に我在りと言わしめる存在。 ある者は私を誇った。ある者は私を祭り上げた。ある者は私を賛歌し、ある者は私と共に戦う道を選んだ。 そうして私が守り抜いて来た国は、…………私に牙を剥いた。 必死になって守ってきた国が必要とした物は、私の犠牲。 否、国が必要としたわけではない。まして、私が率いてきた騎士達が必要としたわけではない。 国を、国として為していた者達。私達が守ってきた国に住む名も知らぬ住民達。 ある人物が言っていた。 国が在って民が存在するのではない、民が在るから国ができるのだと。 重要なのは「民」、「国」とは所詮形骸に過ぎない。いくらでも起こり、いくらでも滅んでいく。 数多くの民、数多くの意思、その総意が国を創る。 ならば、私が今までしてきた事は一体なんだったのだろう。 勝利の為に田を汚し、守る為に野を焼いた。国を守る為にしてきた事は全て、民を虐げる事と変わらない。 確かに国は守られよう。だが勝つたびに、勝利の度に民の心は私から離れていく。 「国」という形だけのモノに固執し、勝利を約束した私はどれほど滑稽に写ったろうか。 "聖剣"や"加護"も、その実"魔剣"や"呪い"とさほど変わらない。 勝利の対価に民衆の心を、不死の対価に民の繁栄を失い続けた。 だからどうだ。……私の手を離れた民達は、こんなにも栄えている。 あぁ、賢人達よ…………偉人達よ、この世の礎となった者達よ聞いてくれ。 私があの時、あの場所で誓ったものは一体なんだったのだ。 私があの丘で、選定の剣を抜いたあの丘で掲げた"誓い"は…………! 私が戦場で、約束された勝利を振るい続けた意味は……!!「おい!セイバー、寝てるのか?」「―――!!?」 がばっ、と跳ね起きた。「まぁ、朝から今まで気を張ったままだったからな。しょうがないと言えばしょうがないけどよ」「はぁ、はぁ、はぁ……」 周囲を見渡す。何の変哲も無い食堂。板張りと石造りの混合したまるで倉庫の様な造りである事を除けば。 地下15階。14階を境に徐々に周囲の様子が変わり始めている。 まるで文明が退行する様子を見ているようでもあり面白くもあるが、今の所感慨を抱いているような暇は無い。 時間、あれから何時間経ったか覚えていない。 ボルツの持つ端末に表示されていた時間は午後1時。地下と言う限定された空間を下っているだけで4時間以上経ってしまっている。 狙い済ましたかの食堂の出現だが、やはり不幸な事が一つ。 食堂に備蓄されていた食糧は、やはりフリーズドライ処理された物ばかりだった事だ。 地下であるという上に、地上からの食料の運搬の手間からか保存の効く物が多い事。 私としては納得できない。納得はできないが上の食堂で胃に入れたものと言えば、ドリンクといくらかのソーセージのみ。 度重なる戦闘と移動を支えるにはあまりに少なかった。 疲労と空腹。必要以上に口にした食料と疲労感で眠ってしまったらしい。「大丈夫か?汗びっしょりだぞ」「大丈夫です。…………ここの暑さのせいでしょう」 とりあえずそんな風にごまかしておく。 実際暑い。地下だから夏も冬も気温が一定していると思ったが……、いやこれは空気が澱んでいるからなのか? 換気口らしきものもあるし、実際空気はここまで来ている。 空気の循環系を何で補っているか分からないが、電気だったとすれば空気はこのまま澱んでいく一方だ。 …………このまま空気が無くなったなら、ここは最悪の集団墓地カタコンベだ。 そんな考えが浮かんでくる。敵に殺される前に窒息死とは情けない。 とりあえず、そんな馬鹿な考えは振り払う。今はとにかく、ターミナルまで行く着く事が先決。 だが、急ぐはずのボルツと甲斐、ガウェインが何やら話し込んでいる。 妙な気配。それを感じて、私は3人に近づく。「どうかしたのですか?」「あぁ、ちょっとまずい事になった」「まずい事?まさか道が塞がれていたとかですか?」「のほうがまだよかった。そんな物、爆薬で吹き飛ばせばいい話だからな。 実はな、この地図なんだが」 と、端末を見せられた。そのに表示されていたのは地図。魔術協会、この本部の内部地図なんだろうが、「これが何か?」「この地図はな、数ヶ月前に更新された最新版なんだ。ところが、ガウェインが今偵察に行ってきたこの先のフロア、いくつか違う部分があったそうだ」「……その答えは?」「魔術師達が無断で改築、もしくは改造を加えているらしいんですよ」「どうしてそんな真似を……」「うちの不手際だな。末端の魔術師、特にこんな地下深くに住み着いたムジナのような連中の要望書が上に上がってこない、もしくは適当に処理されてたのか……」「そんな3流建築士のような事を名高い魔術協会がやるんですか!」「馬鹿言っちゃいけない。上は厳密な統制が取れている。なんせ、地下鉄や地下道が通っているんだ。簡単に切った貼ったができるような土地じゃない事は君も分かっているだろう?」「だが、この当たりの地層は手が加えられていない。故に魔術師個人が上からの返答を待たずに拡充工事を行ったのだろう」 それは要するに、「結局……地図が役に立たなくなったという事ですか?」「俺も責任が持てるのは13階までだったからな。正直な所、どんな風になっているか見当もつかん」「そいつはまたファッキンクライストさまさまな話だな、おい」 いきなりそんな暴言を吐いたのは、ヘンリーだった。 どうやら我々の話し合いが不安になり、聞き耳を立てていたようだ。「冗談じゃねぇぞ、マップが役に立たなくなったらこの先どうやってターミナルに行き着けって言うんだよ」「まぁ落ち着け坊主。ムジナだって自分の古巣を住みにくい場所にしたい訳じゃない。フロアの根幹部分。上と下との階段への道は残してるだろうさ」「確証はあるのかよ!大体、後何階降りりゃいいんだ!」「計算上は28階にターミナルへの通路のある階がある」「計算上って……何だよそれ!」「聞いてたろ、魔術協会は魔術師連中の無謀な拡充が横行してたせいでマップが役に立たないとよ。俺の記憶じゃ前は25階にあったはずなんだ。3階も下方修正されたんだぞ。これは一体誰のせいだ?……俺じゃない」「…………この」 怒りに任せ持ってきた銃を持ち上げようとするヘンリー。そこを私が押さえ付けた。「止めろ。怒りに任せて刃物を振り上げるだけがお前の取り柄じゃないだろう」「テメ…………、クッ!」 私の手を振り払い、いじけた様に椅子に座り込んでしまう。 3人に手で合図して外して貰う。「気が立つのは分かる。だが向ける矛先を間違えるな」「うるせぇ、テメェに俺の何が分かる」「分かりませんね。他人ですから」「……!?」 驚いたように私を見るヘンリー。私は彼の対面の椅子を引き出して腰掛ける。「分からないから分からないと言ったまでです。家族の仇を取りたいという事情以外は」「……話したくねぇ」「なら、話したい時に話せばいい。いつでも聞きましょう」「……妙な女だな。アンタ」 私の顔を見て、彼は鼻で笑った。「よく言われますね。『イギリス中探してもお前の様な近づきたくない女はいない』と言われた事もあります」「…………誰だそれ」「兄ですが何か?」「…………ぷっ!」 大笑いするヘンリー。まぁ、事実なのだからしょうの無い話だ。 ……無論、言われた直後に蹴り倒したのであるが。「あーあー、分かりましたよ。従えばいいんだろ従えば、ったくよ」 立ち上がり、やれやれと言いながら水を飲みに行ってしまった。「お前を見てるとホント肝が冷えるよ」 今になってランスが声をかけに来た。「アイツには気をつけたほうが良くないか?俺だって地下1階の一件は忘れちゃいないんだぜ?」「大丈夫ですよ。彼は筋の通った男のようですから」「筋?そうは見えないぞ」「彼の怒りは家族を殺された事に起因している。それは彼が家族思いだという事でしょう?」「……家族思いの乱暴者だっているぜ」「そこは話し方一つです。少なくとも人嫌いではない」「…………そんな考え方のできるお前が、一番謎だよ」「褒め言葉として聞いておきましょう」 甲斐達と経路の話をしようと立ち会ったその時、遠くから響いてくる鈍い音と振動が伝わってきた。「アイツら、あんだけぶっ殺されて諦めてなかったのか!?」「諦め方を教える手間を惜しんだんでしょう」「……だから笑えねぇって」 兵は拙速を尊ぶ、そんな言葉がある。 もちろん誰もが知る言葉じゃないし、学ばなければ墓まで行ったって知る事も無い。 だがこの状況、体はそれを覚えてしまう物。 爆音から一分も経たず、私達は食堂を飛び出した。