「行くぞ!」 それを、鶴の一声と言うのでしょうか。 皆が緊張を張り付かせたまま、しかし動きは澱みなく。 食堂を即座に抜け出した我々は、改造された16階の現状に辟易していました。 僕が偵察した16階は予想を超えて改造が施されており、やはりMAPは役に立たなくなっている模様。 それでなくとも、こんなところまで潜った試しは僕にはありません。 赤黒く、何かの薬品の匂いか、あるいは血の匂いを漂わせるアリの巣を進んでいるかのよう。 僕、ガウェイン=ウェラハットが通い慣れたはずの学び舎に受ける感覚は、やはり普通な物ではありませんでした。 自分が魔術師の家系に生まれた事を知ったのは、8歳の時。 見知った世界は皆と同じで、ただちょっとだけずれていた。母にそれを告げると、貴方は特別だから、とまるでそうである事を悲しむような顔で言われたのを薄っすらと覚えています。 僕は魔術師の血を引いているから、不思議な物が見えたりするんだと。「じゃあ、僕は超能力者なんだね?」 無邪気に聞いたその一言に、「そうだな。その内じっくり魔術が何たるかを教えてやろう」 父は、そう笑いながら言っていました。 僕が10歳のなったある日、突然両親は僕を現在の師匠である甲斐先生に預けました。 仕事が忙しくてしばらく家に帰れないからと言われ、甲斐先生との暮らしがスタートしました。 甲斐先生には感謝しています。学校へ通うための学費も、生活費も全て彼が出してくれたのですから。 後から知った事ですが、先生と僕の両親は少なからず縁があったそうです。 一月が経ち、二月が経ち…………、"何の不思議もないまま"に1年が過ぎていました。 周囲の光景は何の変哲もなく、見える景色は皆と同じで、僕は日々の生活を友達と共に過ごしていました。 また1年が過ぎ、…………"何も違和感を感じないまま"僕は中学へ上がりました。 ただ楽しい時間は流れ続け、ある日学校の帰りにある男性が僕の前に立った時、全ては瓦礫のごとく崩れ去ったのです。 その人は左腕がなく、顔の半分を包帯で覆い、しかしその目は己がこの場にいるんだと主張する強い目つきをしていました。「ガウェイン=ウェラハット君だね?」「そうだけど、…………おじさんは誰?」 怪しい人には気をつけなさいと、甲斐さんには常々言われていました。もちろん、普通の人じゃないことくらいの分別は付いていました。「昔、君の両親に本当に世話になった。感謝しているよ。ありがとう」「…………え?」 彼は不器用な笑みを浮かべ、去っていきました。 だけど僕の頭の中は、あらゆる事がごっちゃになっていました。 両親…………両親? 父さん…………母さん…………? まるで堰を切ったように父と母の事が頭の中を駆け巡りました。 そして気が付くと、僕は駆け出していました。 乱暴に開けられたドアと息を切らした僕を見て、コーヒーを飲んでいた甲斐先生は驚いた様子で、「おいおい、どうしたガル。飯時には早いぞ?」「おじさん。聞きたい事があるんだけど」「……な……何だ?」「僕の、僕の父さんと母さんはどこへ行ったの!?」「―――なっ!」 僕が言ったその一言は、それまでの生活を壊すのに十分でした。「そうか。…………隻腕片目の男がねぇ」 愛煙家である先生は、タバコをくゆらしながら僕がどこでそれを知ったか聞いてきました。 その時にはもう先生の雰囲気は、いつもとは違って見えていました。「予想以上に早かったな、…………いやどの道こうなる運命か」 先生はそうつぶやくと、戸棚から一通の手紙を出してきました。 宛名も何もなく、裏には父の名前が書いてありました。「読んでみろ。その後の事はお前が決めたらいい」 渡された手紙の中身は難しすぎて半分が理解できませんでした。しかし、日付は僕が預けられた年の一ヶ月か二ヶ月かが過ぎた時の物。 つまり、先生は僕の知らないところで両親と逢っていた事になります。 手紙の中身は、現状の報告と謝罪文でした。 そして最後の方に、僕の記憶を消し、普通の少年として生活させてやって欲しいと書かれていました。 つまり、自分達の事は全て忘れさせてやってくれ、と。「……その手紙を受け取った一週間後、二人は殺された」「―――!!?」「名実共に、その手紙は遺書になった。俺なんかを信じて託されたわけだ。 だが、勘違いするなガル坊。お前の親御さんはお前を守る為に俺に預けたんだ。封印指定の執行者に手を出す馬鹿野郎なんて滅多にいないからな。俺の立場は丁度良かったんだろう。 お前の記憶を消し、俺の養子として育てるつもりでいたが、まさか自力で術を破られるとは……」 と、先生は立ち上がり、テーブルを回って僕の横に膝を付きました。そして、両手を床に突き深々と頭を下げたのです。「すまなかった」 "土下座"―――古来から日本人がする最上級の謝罪の姿勢。「え……あの、おじさん?」「小さい子供にする事ではなかったとはいえ、大事な家族の記憶を奪った。俺は、教育者失格だ」 ……………………「顔を上げてよ…………おじさん」「……………」 ゆっくりと、先生が顔を上げた。「おじさん…………僕に魔術を教えてよ」「な、……なんだと!?」「父さんや母さんが見てきた物を、僕も見たいんだ。 父さんは僕に魔術を教えてくれると言った。だから、僕と父さんや母さんを結ぶのは魔術だけなんだ」「………………それは」 先生は困った表情をしてしまいました。父さんからの手紙には、普通の少年として育って欲しいと書いてあり、僕は魔術を学びたい。「お願いです、おじさん!僕に魔術を教えてください!!」「………………覚悟はあるんだな?」 静かに、おじさんは聞いてきました。「あります!」「…………そうか」 次の瞬間、先生の動きを見失いました。気が付くと右手で首をつかまれ、壁に押し付けられていました。 いつもからは信じられないほどの強い力です。「か……はっ…………」「魔術を学ぶという事は、常に死の危機にさらされるという事だ」 その時の先生の目は今でも忘れません。まるで獣が得物に標的を定めたような、鋭く殺気の篭った目でした。 間違いなく殺される、本気でそう思いました。「こうやって近しいものにさえ殺されるかもしれない、そんな恐怖を背負ってこの先を生きていく事になる。 生涯生き地獄を這いずり回る事にもなるだろう。無残に、残酷に、お前の両親のように死ぬ事にもなる。 それでもお前は魔術を学びたいか?」「―――!!」 学ぶといえば、殺すと言っている様な物。子供心にもそれは分かっていました。けど、「僕は…………魔術師になりたい!」 力の限り叫んでいました。「僕だけが……逃げるなんて出来ないよ。父さんや母さんは逃げなかった。おじさんだって…………」「……………………」「父さんや母さんが背負った痛みを、僕も背負いたいんだ」「……フン。ガキが…………いっぱしの口を利く」 首を掴む力が強まり、おじさんの目に篭る殺気が増す。 それでも、僕は必死に見返しました。 段々と、意識が薄れていくのが自分でも分かりました。ただおじさんの腕を掴む手だけは緩めまいと必死でした。「………………いいだろう。よく分かった」 と次の瞬間、僕はおじさんに抱きしめられていたんです。「明日からお前は地獄を歩く。ガウェイン=ウェラハット」 この時初めて、先生が僕をフルネームで呼びました。「這いずってでも付いて来い。お前に全てを叩き込んでやる」 僕と先生の生活は、そこからようやく始まったんだと思います。 それから知ったのは、先生が魔術師として"も"かなりいい加減な人だと言う事だけでした。 そして、僕は今ここにいる。 ランス兄さんとの関係は奇妙なもの。いつだったか親戚の葬式に参列した時に出会い、なぜか意気投合。 寄ると触ると女性の話ばかりするランス兄さんは、笑う暇のない僕の清涼剤になってくれたんだと思います。 そして、ランス兄さんは魔術の事をまったく知らないただの人。羨ましくもあり、妬ましくもあり、しかし結局憎めない人でした。 魔術師として彼が魔術を知る事を拒絶すべきなのでしょうが、仲の良い血縁としては喉の奥に押さえつけて来た秘密を共有できたという安堵と開放感があります。 そんな兄さんも今、目の前で銃を手にして僕ら魔術師と肩を並べて戦っている。 魔術協会に所属せず、しかし我流で魔術を学んだという女性と共に。 横を歩く彼女に視線を向ける。彼女がどうにも分からない。我々を前にして一歩も引かず、あまつさえ引っ張っていこうとする女傑。 彼女は一体何者なのだろう。ランス兄さんはこんな女性とどうやって知り合ったのだろう。 ちょっとした有名人なのだろうが、本来ならばそれだけであるはず。だというのに振るわれる剣技は超絶、迷いなく敵を屠り、駆け抜けるだけの肝の据わった女性。 前の自己紹介で彼女は世界中の選手権で優勝した経歴があるという。それも魔術を使わずに。 それを、ずば抜けた身体能力とセンスという単語だけで済ませるべきなのか、魔術協会が見落とした何かを彼女が隠していると読むべきのか。「何ですか?私の顔に何か?」 と、少し気にしすぎたようです。「いえ、貴女の様な人がランス兄さんとどのように知り合ったのか考えていました」「……って、ガルお前!」 と、なぜかランス兄さんに首を絞められました。 よくある癖です。僕の首を絞める時は大抵照れています。「いきなりそんな事聞くか普通よ!」「はぁ…………知り合った時ですか?」「言うな、セイバー。頼むから」「惚れられたようです」「ちょ、お前!」 …………信じられません。このランス兄さんが一人の女性に惚れるとは。「……あぁ、まぁそういう事だ。 ―――セイバーに妙な気起こしたらソッコー殺すからな?」「ご心配なく。今の所僕の興味は彼女がどうやって魔術を習得したかと言う部分ですから」「……それは」 思わず彼女の足が止まった。そんなに聞かれたくない事情があるのだろうか。 と、ランス兄さんが僕肩を抱いてため息を吐きました。「ガル。いい事を教えてやる」「何でしょう?」「―――二度とその話はするな」 その言い方に一瞬背筋がゾッとしました。 一言でランス兄さんは僕から離れ、先に行ってしまいます。 前にも一度、同じような事がありました。魔術師の血を引いているからではないでしょうが、時々僕でさえ怖くなる時が兄さんにはあります。 それは「友人が傷つけられた時」です。 以前、僕らがまだ高校生の時分、僕と兄さんとその友人で遊びに出かけた時、不良の諍いに巻き込まれた事があります。 一人が兄さんの友達を殴りつけた時、兄さんがキレてそのグループ全員を叩きのめてしまったんです。無論、非は向こうにあるので警察沙汰にはなりませんでしたが、その時の言動と同じです。 僕はどうやら彼女を傷つけるような事を聞いてしまったらしい。 …………では兄さんから聞きだすべきだろうか。兄さんはその理由を知っている筈なんだから。