全身を朱に染めたベティが戻ってきたその横でしゃがみこんだ俺は、吐き気とめまいに襲われていた。 濃密な血の匂いと硝煙の匂いが鼻腔を突く。 今更ながら情けない。ここに潜ってからこっち、こんな事ばかりだったというのに今頃になって吐き気がするなんて。 当然か。"動物園"の猿が約30体、がむしゃらになって銃の引き金を引いていた。 冷め切った頭の中でターゲットを探している自分、自分が殺す道具になっていたあの時間、する匂いなど気にも留めていなかった。 思い出した人としての感情が、起こった全てを嫌悪するからだろう。こういうのを"慣れてきた"とでも言うのだろうか。 それが証拠に、ガウェインを初めとした他の連中は濃密な鉄の匂いの中、平然と話をしている。おっと、ヘンリーも隅の方で吐いているか。 そして、彼女。敵のほぼ半数をたった一人で斬り殺し、両手を朱に染め、持っている刃は血にまみれている。 だが始まる前も終わった後も表情は元のまま、かすり傷一つない。 たぶん、敵を殺す事にまったくの躊躇がないんだろう。 「アルがアレで、男の俺がこのザマってか。まったく情けねぇ」「大丈夫ですか。ランス」 アルがこちらに寄ってきた。「あぁ……、ちょっとな」 手渡される水筒を受け取り、口に溜まった物をゆすぐ。 だが、ふと目に入ってきた切り裂かれた奴らからはみ出る臓物を目にすると……、また気分が悪くなってきた。「ちきしょう……、何やってんだ俺は」「もう少しでターミナルに着けます。……本当に大丈夫ですか?」「あぁ、大丈夫。 今なら、キリストとファラオがバカルディ酌み交わしてベイカー街でコサックダンスしてたって信じられそうだ」「―――ランス、本当に大丈夫ですか?」 アルの口調が変わった。 大丈夫なわけあるか、こちとら血の匂いで気分が悪い上に火薬でハイになりかけてるってのに。「…………知らん」「…………。 ミスターボルツ、甲斐、すぐに移動しましょう!あまり長居すると新手に追いつかれます。ガウェイン、この先の進路はどうなっていますか?」 顔を上げたアルが声を上げている。 視線を上げ、周囲を見渡す。また二人減っている。だがどうでもいい、そんな事。 と、アルに引き起こされた。「移動します。何も言わずに付いて来て下さい」 一階降りた廊下の途中で、俺達は小休止を取った。 周囲はただひたすら扉が並んでいるだけの殺風景な廊下だ。「ガンナーズハイか。まぁ往々にしてあることだな」 気分を害する俺達を見て甲斐のおっさんが言っている。「確かに澱みだした空気のせいで臭いやら火薬やらが鼻につくな。素人にはたまらんか」 まるで重度の船酔いに掛かっているようだ。こんな事、最初のうちは起こらなかったのに何故。「戦場の興奮でアドレナリンが過剰分泌された結果でしょう。今までがハイになりすぎていたわけです」「俺はまともだぞ、ガル」「なまじリアルな仮想現実に慣れると現実との差異を見落とします。ものの見事に引っかかったんですよ。ランス兄さん」「……しまらねぇな。ったく」 あの場所から離れ臭いが薄くなったせいか、徐々に気分は良くなってきている。 とりあえず、スコーピオンを取り出し残弾の確認をしておく。 片方の銃は撃ち尽くしている。マガジンの残りは3つ。両手持ちなんぞやってみるもんじゃなかったな……。名残惜しいが一つは捨てていく。 ガバメントのマガジンは二つ。サブウェポンは貴重だ。最後まで取っておくか。 ガンベルトに下がっているナイフ……、これを使う時は死んでるな。 壁に手を付きながらも何とか立ち上がる。「ア……いやセイバー、そっちの武器の状態はどうなんだ?」「え、何故ですか?」「いったん武器を確認したほうがいい。誰かの武器が不調で援護する前に死なれるのは勘弁だからな」「はぁ……」 言いながらセイバーは腰の後ろにクロスさせて下げていた短剣を抜く。 血糊は拭われている、さすがに剣の扱いは慣れてるな。「むっ……、これは」 と、刃を撫でていた所で声を上げた。「何だ?」「くっ、しくじりました。魔術品とばかり思っていた。あの程度の戦闘で刃こぼれするとは」「なんだそれ。なまくらだったのかよ」「使えなくはないですが……替えが必要ですね」 言いながら鞘に剣を戻した。「この先に武器庫はありませんよ。魔術師の研究室が連なっているだけです」「ちっ、こっちも弾がすくねぇ」 マガジンを確認していたヘンリーも声を上げる。「お前の場合は撃ち過ぎなんだよ。大体OICWなんてマニアックな物良く見つけたな」「うるせぇ。弾がデカけりゃ撃ちがいもあるだろ」「……素人の定義だな」 甲斐のオッサンがつぶやいた。「んだと……」 ―――ドシャ! いきなり、近くで何かが倒れる音がする。 一斉に全員が武器を抜いた。「何だ」「判りません。さっきの階段の所のようですが」「階段だな」 そういうが早いか、ヘンリーがずんずんと歩いていく。「待ちなさい! 何があるかわからないんですよ!」「けっ! 音は軽かったぜ?」 銃を手にあの男は俺達がやってきた階段に銃を向けた。「あの小僧……。 お前達はここにいろ」 甲斐が銃を手にヘンリーの元へ向かう。「小僧! こっちに来い!」「心配ねぇよ。死にぞこないがいたらしい。階段から落ちてくたばったみたいだぜ」 銃を肩に担ぎ、こっちを向いて……、いきなり何かが奴にとびついた。 それは、下半身を引き裂かれたホムンクルス。セイバーに両断された奴だ!『なっ……!?』「ち、きしょ! 離れやがれ!!」「動くな! 今引き剥がす!」「ヘンリー!!」 セイバーが足を踏み出した。 と、キィィィと甲高い音がし始め、「―――っ! 全員、扉を盾にしろぉ!!」 おっさんが怒鳴り声と同時に手近な扉を引く。瞬間、何が起ころうとしているかを理解した。 目の前のセイバーの襟首を引っつかみ、引き戻しながら横にあった扉を引く。 ドン!!! セイバーを壁に押し付け、扉が全開になったところで、廊下に強烈な爆音が響き渡る。 同時に壁に扉に何かが無数に当たっていく。腹の中にでも隠していやがったのか、爆発と同時にばら撒かれる仕組みになっていたらしい。 やがて10秒もせず、銃弾の乱舞は収まった。「…………い、今、何が」「―――はぁ。あの人形、自爆しやがった」「自爆……!?」 胸の中でセイバーが顔を上げる。気が付けば彼女を抱きしめていたらしい。「じゃあ……」「みなまで言うな、…………言わせんな」 至近距離だ。生きてるわけが無い。 爆発の余韻が過ぎ去った空間に刹那の静寂が過ぎる。 そんな短い時間の中で俺は、奴の死のショックよりセイバーが無傷だったことに安堵を感じていた。