これで、命を落とした者は半数。しかも全員が戦いとは無関係な一般人ばかり。 全員揃って抜け出るのだと誓った私の誓いは…………もはや紙くずほどの意味も成さない。 それでもなお、私達は歩みを止めてはならない。例え独りになっても生き残らなければ、この魔術協会カタコンベに潜った意味は無に帰してしまう。「くそっ……、またか」 目の前に現れた壁に甲斐が声を荒げ拳を叩きつける。 地下の拡充は目に見えてひどくなっていた。 マップはその意味を完全に失い、行き当たりばったりの行軍となっている。 士気はがた落ち、無意味に話しかけてくるランスでさえ今では黙ったままである。 救いといえばただ一つ。MAPに表示されている階段の位置だけが変わっていないこと。「先生、声を荒げてもしょうがありませんよ」「あぁ、わかっちゃいるが……、こうも好き勝手に家を弄られるとな。腹も立つさ」 腰に手を当てながら、甲斐はボヤつく。「それに空気もいい加減澱んできた。多少イラつくのは勘弁してくれ」 そう、少し前から息苦しさを感じ始めている。 以前に感じたような薄っすらとした物ではなく、空気が希薄化しているのが明確に判るほどの息苦しさ。「まったく、本当にアイツらと同じに床をぶち抜きたくなってきたぜ」「床の厚さも判らないのにそんなことをすれば火薬の無駄ですよ、ランス」「だけどよ……!」「よせ、お前ら」 ランスが声を強めると甲斐が止めに入った。「今すぐ空気が無くなる訳じゃない。イラつくくらいなら少しでも深呼吸をしておけ」「……………………」「――――――――」 やはり長年の経験か、甲斐はこの空気の中である程度平静を保っている。ボルツのほうは、何を考えているのやら……。「こっちです!通路がありました」 ガウェインが偽装された扉を開ける。廊下は個室のドアに偽装され、相当曲がりくねって形成されている。 明らかに利便性という点で落第点である。訳のわからない通路が連続していては、通行に不便でしょうがない。 どうにも魔術師の考える事は私には理解できない。 と、甲斐が壁に掛けられていた松明を手に取った。ライターで火をつけると、ライターの方をガウェインに突き出す。「ガル、もっとけ」「え、これって先生の愛用のライターじゃないですか!どうしてこんな時に」「ライトの電池がそろそろお釈迦になりそうだからな。そこらの松明に手っ取り早く火を点けろ」 む、そういえば地下に入ってから使いっぱなしのライトの光が弱くなり始めている。「くそ、こんな時にライトがダメになるのかよ!低電圧ライトだろ?」 だからといって振ろうが叩こうが元に戻ったりしない。前世代の乾電池とはモノが違うのだ。「使用環境に従うならまだ持ちます。まさか、戦闘時に振り回されるなんてメーカーも思いませんよ」「……軟弱な」「私たちが特殊なんですよ」「今時、火の明かりってガキのレクリエーションでもやらねぇよ……」 周囲一帯を照らしていたライトと比べるまでも無く松明の光は弱々しい。 暗闇の中で光を見失う事は、人間の精神に大きなダメージとなる。 ソレでなくとも士気が悪いというのに…………。 階段は偽装すらされていなかった。弱い炎に照らされ、我々を奈落の底へ案内するかのように口をあけている。「まさにホラー映画さながら、か」「ホラー映画は見ないんじゃなかったんですか?ランス兄さん」「最近のは仕掛けが見え透いて面白くないんだよ。20世紀のホラーのがまだマシだぜ」「それは同感です」 最も、敵は隠れているわけでも待ち伏せているわけでもなく、後ろから急襲して来るホムンクルス。ホラーの設定としては3流である。 階段を降りる、これで23階。地下のターミナルまで後5階。 そして、目の前には異様な光景。「なぁ、余りにさっきと景色が違うと思わないか?」「奇遇ですね。私も同じ事を考えていた」 ライトと松明の照らす先、そこに見えていたのは一体どこまで続いているかも解らない真っ直ぐの廊下。一定の間隔でドアが存在し、一定の間隔で松明が壁にかけられている。それ以外には何も無い。ただ延々と続く廊下があるのみ。「これは……どう取ったらいいんだ?」「何らかの魔術の働いた廊下かもしれません。入ったとたん"無限回廊"にはまり込む事に」「それはない」 ランスとガウェインの予想を否定したのはボルツだった。「ここには以前来た事がある。誰が話をつけたわけでもなく、誰が示し合わせたわけでもないが、ここは以前からこういう造りだ」「初めて聞くぞ、……そんな話」「私とて関わりは無い。ただ、そう聞いたというだけだ」「けどよ……これ、向こう端が見えないってのは長すぎないか?」 確かに、右と左にドアが一つずつ、さらに一定の間隔で松明が設置されている完全なシンメトリー。 不気味な事この上ない。「とにかく、ここを進まない事には、ターミナルへは行きつけない。 ……、だったら行くしかないだろ」 ―――? 一瞬、甲斐の言動に違和感を覚える。気のせいだろうか。 数百メートルにわたって同じ光景の廊下が続くと人間と言うものは精神的に苦痛を覚える。特に先が見えず下手に幅があると化け物でも飛び出してくるのではと子供のような不安も掻き立てられる。「上で見たような生き物とか飛び出してこないだろうな」 一名子供がいたようだ。「解らん。この一帯で行われていた事に関しては、上のあずかり知らぬ事が多すぎる。記録に無いと言うだけならば、あの"なまけもの"のような生き物さえ、記述には乗っていない」「やらせたいほうだいかよ。そりゃ妙な改築しても判らん筈だ」「魔術師の研究は個々が独自に進化を続けるものですからね。何を作るか、何を目標としているかは千差万別です」「行き着く先は同じとか聞いたぞ。"根源"とかどうとか」「やめておけ、……素人には説明するだけでも一週間掛かる」 甲斐の横槍が入った。 ……やはり彼に違和感を感じる。歩いているだけで妙に調子を崩しているようにも見えるのだが。 足を速め甲斐の隣に並ぶ。「甲斐、よろしいですか?」「ん?……何かな」「先ほどから体調を崩されているようですが大丈夫ですか?」 顔をよくよく見る。薄っすら脂汗を浮かべていた。見るからに具合がおかしい。「バレたか。なに問題ない。多少体が重く感じるがね」「待ってください。どうしたんですか先生!」 今の話が聞こえたのか、ガウェインが飛んできた。「気にするな、ちょっとばかし針に刺されただけの事よ」「針?さっきのホムンクルスの爆発ですか!?」 さっきのホムンクルスの爆発。あれでばら撒かれた物は数百本の飛針だった。 衝撃と針による2重の攻撃とは念の入ったことだと一同閉口したのだが、あれを食らっていたのか!?「そんな!神経性の毒が塗ってあると自分で言われたじゃないですか」「……あぁ、お陰で魔術回路を全開にして解毒しちゃいるが…………てんでききゃしねぇ」「失礼します」 私はおもむろに甲斐のシャツを持ち上げる。「―――!!―――」『―――!?―――』「ひどい……」 思わずベティが声を漏らした。 甲斐の腰の一帯は既に浅黒く変色してしまっている。コレで平気なわけが無い。「私が治療します!」 ベティが甲斐に近づこうとすると、甲斐は彼女の肩を押さえつけた。「待て。この毒はお前さんでも無理だ」「私は解毒の治療も学んでいます。大丈夫です」「実戦で使われる毒の特殊性なんぞわからんだろうが」 うっ、とベティが言葉を詰まらせる。 確かに毒というのは一定のパターンを持っていない。しかもどこの誰が調合したかもしれない毒の特性を看破し、治療を試みるのは相応の人数が必要だ。「職業柄、毒に関しちゃ俺の方が色々知っている。こいつの毒は即効性の強い神経毒だ。俺の魔術回路でも解毒に手間取るって事は新種でパターン化もされていないって事になる。 下手に触れば接触感染するかもしれん。だから触るな」「感染するのかよ……!」 ランスが身を引いて壁に背中をぶつける。「くっ…………!」 歯をかみ締める。手先が震える。 ―――また、……まただ!! ゴガァン!! だが、こちらの空気を全く無視した爆音が、その場の空気を現実へと引き戻す。「ったく……デートの約束をしたわけでもないのに、タイミングよく来るじゃないか」 額に脂汗を浮かべ、それでも甲斐は不敵に笑みを浮かべた。