「失礼します」 甲斐の体を強引に抱き起こす。「おい嬢ちゃん!アンタ自分が何やってるか……」「聞けません」 誰よりも先に足を踏み出す。「逃走中に余計な荷物を抱えるれば足並みが……」「聞こえません!!」 ボルツの忠告も無視。今は誰の声も聞きたくない。 「セイバーさん……」 歯を食いしばり、甲斐の肩を担ぐ。 今は少しでも遠くへ。最下層にあるであろうターミナルを目指すだけ。 そこへ行き着きさえすれば、何らかの治療器具があるだろう。魔術協会の総本山において治療できない毒の類などあるはずがない。そうでなければ、人の道を外れた魔術など結局児戯でしかなかった事になる。 否、理屈と怒りを並べた所でそれは全て希望的観測、もっと言えば無いものねだりというもの。あらゆる可能性を考慮したとしても1%にも満たないただの我侭。 それは駄々をこねて現実を否定する子供と同じ。 理屈でない事は分かっている。正常な判断ができていない事は分かっている。 現実はいつだって個人の意思など尊重しない。ただ刻々と"事実"という名の時で我々を侵し続ける。 理想も、決意も、誓いさえ侵された今の私には何の根拠もない。子供のように現実をただ否定したいだけ。 だがいいじゃないか。私にだって"神の奇跡"とやらを願う権利くらいはあるだろう。 と、ランスが甲斐のもう一方の肩を持ち上げた。「しょうがねぇ、手伝うぜ」「あのな、お前ら……」「あいにく、あんたらと違って俺達はハイそうですかって見過ごせるほど人間できちゃいねーのよ。 なんせ魔術のマの字もしらねぇ素人だからな」「失礼ですが急ぎます!若干引きずる形になりますが勘弁してください」「……って、おい!」 靴先を乱暴に引きずる形になりながら、ランスと歩調をあわせ廊下を駆ける。今は少しでも連中から距離を取る。 二人の行動にあっけに取られる他3人だが、「とっととこねぇと置いてくぞ!」 ランスがニヤけながらそう言った。「ちょっと、ランス兄さん、セイバーさん!!」「あの、あんまり乱暴にすると毒が回りますから!」「……………………」 甲斐の方は観念したらしい。ため息をついてからは、魔術回路のほうに神経を集中させているようだ。 さらに階段を降りて24階。上の階と同じくどこまでも続く無限回廊のような様相を呈している。 そこをさらに500メートルも進んだ頃だろう。突然、後ろから金属を弾き飛ばす音が響いてきた。 一時足を止め、体をひねって後ろを確認する。どうやら飛んできた黒鍵を弾いたのはボルツのようだ。松明の弱々しい光の中で飛来する武器を迎撃できるとはさすがは光を持たない男だ。「くそっ、早すぎねぇか?」「身軽な上に疲れを知らないですからね」「そのネタは飽きたっつーの」 スコーピオンを持ち上げ、ランスがぼやく。……ではこのネタは封印と言う事で、うん。 だがどうする。ここで迎撃戦をやるのか?両端は狭い。二人並んで戦うには狭すぎる。だが、向こうは雨あられと黒鍵を降らせればそれだけで事足りる。なんとなれば至近から自爆し、先と同じ状況を作れば今度こそ数人が犠牲となろう。 完全に手詰まりだ。私の知識ではこんな場所での戦闘を切り抜ける策は立たない。「…………階段だ」 今まで目を閉じていた甲斐が弱々しく口を開いた。「え?」「25階の、階段まで行け。……そこにトラップを張る」「…………解りました。ランス」「いいのかよ?」「局地の実戦経験は彼のほうが上です」「あいよ」 再び私達は走り出す。途中いくつかのドアをガウェインが開きながら駆け、ボルツは飛来する黒鍵を苦も無く撃墜した。 どうにか次の階段の脇へと到着する。一度甲斐を壁に寄りかからせる。「ガル……爆薬を天井と、階段にも設置だ」「解りました」 ガウェインは手早く爆薬を取り出し、信管を取り付けて天井へと投げ上げる。爆薬は吸い付くように張り付いた。同じように階段の天井にも設置した。 逃げの一手、後方を寸断してある程度の時間を稼ごうというのだろう。確かにここの作りは上とは異なっている。連中が爆破で強引に貫いてこれるほど簡単ではなくなっているはずだ。「できました」「OKだ。てことで相棒、よろしく頼むわ」 言うが早いか黒鍵の迎撃に回っていたボルツが踵を返し、私とランスの二人を問答無用で抱え上げ、階段を駆け下りたではないか。「なっ、ミスターボルツ!何を!?」「てめ、何のつもりだおっさん!!」 だが、ボルツは答えない。ただ真っ直ぐに階段を駆け下りた。 /// ///「先生……」「しんきくせぇ顔するんじゃねぇよ。階段から埋める。起爆装置よこしてとっとといきな」「甲斐さん……」「わりぃな嬢ちゃん。老い先短い俺にはこんな真似しかできんのよ」 手を振って、気丈に答える甲斐。だが、すでに壁に寄りかかった状態から足の一本も動かす事はできずにいる。「今日を持ってお前は卒業だ。……ま、好きに生きろ」「…………っ! 失礼します!!」 そう言ってガウェインはベティの手を引いて階段を駆け下りていった。 甲斐は一つ目の発火装置のスイッチを押す。轟音とともに、脇の階段に仕掛けられた爆薬が階段を崩落させる。「ゲホッ……、あーくそ、あんまり様になる最後じゃなかったなコリャ」 やれやれとため息をつく甲斐。だが、不思議と心の中は晴れている。 まだ感覚の残っている右手に起爆装置を握り締め、左手でタバコの箱を何とか取り出し一本を口にくわえる。そして、その手からタバコのパッケージが零れ落ちた。「えー、と…………ん?」 胸ポケットに手を当てたとき、重大な事を思い出す。「くそ、ライターはガウェインに渡してたんだっけなぁ。死に際の一服って奴がやりたかったんだが……」 言ってから、視線を上げる。近くにガウェインが置いたらしい松明が煌々と火を灯している。 だが、今の甲斐の状況から言って手は届かない。すでに下半身は麻痺しきっている。「あの野郎……ここまで来て禁煙しろって皮肉か、これは? あぁ……まぁ、いいか」 視線を来た方向に向ける。そこには数人のホムンクルスが立っていた。暗闇の中にはいくつもの赤い光が無数に瞬いている。 先頭の一体が鈍く光る黒鍵を取り出した。それを甲斐は鼻で笑って言い放つ。「いよう、化け物。花火はお好きかな?」