―――空を貫く ―――円を描く ―――それは誰かと戦っている動きでもあり、舞を舞っている動きでもあり 直線として作られたそれは、繰り手の意のままに動き空を裂く。縦に横に宙を舞い、一度も止まることなく踊り続ける。 空ろな夜、中庭という空間はたった一人の存在によって埋め尽くされ、他者を拒む聖域のようになっていた。 ヒュンヒュンと一定のリズムで空を裂く直線は深紅の紅槍。ランサーの持ち物であるはずのその槍は何故か今現在アーチャーの手に握られている。 そのアーチャーはというと、まるで新体操選手のように次々と奇抜な動きを繰り出している。それらの動きは一貫してアーチャーというクラスには全く必要にならないであろう格闘術だ。 時に緩やかに、時に鋭く、目の前の仮想敵を倒し、あらゆる箇所からの不意打ちを想定した動きの連続。 誰が見てもそれは"鍛錬"だ。死して英霊に昇華したアーチャーが、召喚されてからも鍛錬をするっていうのはどういうことだろう? 舞うように動き続けるアーチャーの目は真剣そのものだ。俺が縁側に出てきた事すら気づいていないらしい。 たぶん自分の中に深く埋没し、頭の中で想像する敵と闘っているのだろう。アサシンか、ランサーか、ライダーかまさかキャスターやバーサーカーってことは無いだろうな。 と、槍を振り抜いたままアーチャーの動きが止まった。……どうやら終わったらしい。 直立し、息を整え、意識を現実へと戻しているようだ。 とりあえず、拍手などしてみよう。「―――! おや、シロウ。凛の授業は終わったのですか?」「あぁ、基本的なことを色々とね。少しだったけどな」「あはは、まぁ魔術という物を一概に理解しようとしても無理がありますからね。日進月歩、一つ一つ積み重ねるのが普通です」「積み重ねか……、そういや、アーチャーは英霊になっても鍛錬を積むんだな」「私のは確認作業といった意味合いの強い物ですよ。生前から続けていた事なので癖ですね」 死んでからも続く癖もあるものだ、とアーチャーは笑う。「…………」 実際、こうやって普通の会話をしている事が不思議に思える。 セイバーは素が騎士の顔なのに対して、アーチャーはこちらが素。この日常こそが自分の居る世界と感じているんだろうか。だとすれば、同じ姿格好をしていながらセイバーとアーチャーはまるで違った環境で生活してきた事になる。 ……それに、彼女があの時俺に言った一言も。「勤勉なんだな、アーチャーって」「…………いえ、貴方には敵いませんよ、シロウ」「は?」 アーチャーは何か別人を見るように俺を見て、おやすみなさい、と姿を消した。 /// ///「今日はうちに寄ってくるから遅くなるけど、夕飯までには戻るから。留守中、軽率な事はしないようにね」 朝7時半、私は士郎の家を後にする。 士郎の選択は正しいと思っている。姿を消す事のできないセイバーは自然と衛宮邸に釘付け。 アーチャーが敵のサーヴァントに釘付けにされている間、マスターに士郎を狙われたらたまらない。 慎二とライダー、それに学校に居るもう一組。学校に展開されている結界を含め、どんな形であれ挟撃されれば防ぎようが無い。 その点、セイバーと共に家に篭ってくれるなら私は私でやりたいようにできる。 …………ていうかコレが本来の姿じゃない。「ったく……なんで私があんな奴のために心を砕かないとだめなのよ」「……今更な発言ですね」 姿を消したままのアーチャーが一言突っ込みを入れてくる。 ―――あーもう、イライラする。 昨日は昨日で桜と喧嘩、慎二に呼びつけられた上に下らない話、おまけにその夜は士郎の魔術のあり方に憤慨。 通学路を歩きながら今夜アイツに何を教えるかとか、何を持って行くとか思考をめぐらせる。 学校に着き、どういうわけか込み合うはずの校門がすんなり通れたかは気にも止まらなかった。 「はぁ……」 昼休み、屋上の影で私はため息をつく。 結界の状態は相変わらず、それより朝っぱらから嫌な状況で精神的に参る。 校内で桜と出くわした。それだけなら問題は無いけど、おはよう、と声をかけると彼女は一礼しただけで去っていった。 どうやら本格的に嫌われてしまったらしい。桜を聖杯戦争に巻き込まないためとはいえ、相当に辛い思いをさせた事だろう。「後悔しているなら今からでも謝りに行ったらどうですか?」 アーチャーが私の横でそう言った。「お節介は嫌われるわよ」「私のとりえはお節介ですから」「古の英雄がそんな事まで気を回すなんて、ずいぶんと心の贅肉ね」「肉をそぎ落とせば骨と皮しか残りません。そんなものに私は価値を感じない」 私は膝を抱え込む。「痛いわぁ、久々に会心の一撃って感じ」「………………」 ポンと頭の上に手を置かれた。いつの間にか実体化したらしい。「らしくないわね……ホント」「……そうですね」「私は遠坂の跡継ぎ、誰にも弱みは見せられない」「……そうですね」「色々考えなきゃだめなのに、なんか今は何も考えたくない……」「……そうですね」「………………バカ」「……そうですね」 とりあえず、気が晴れるまで今日はここに居よう。もう一度目を開ける頃には、私は私に戻っているんだから。 後から解った話。今日慎二は学校に来ていなかったらしい。 かといってブラッドフォートが消えたわけじゃない。これは敷設すれば待つだけの時限爆弾みたいなもの。 放課後、桜は授業が終わって早々弓道部に行ってしまったし、私はそれを追ってまで声をかける資格は無い。 一応弓道部の前までは行ってみるものの、戸を叩く事も無く。「何だ。遠坂じゃないか」 後ろから不意に声をかけられた。振り返れば、其処に居たのはいつもの弓道着姿の美綴綾子。「……なんだ、綾子か」「おいおい、つれないねぇ。どうした、何かあったか? 特に間桐とさ」「―――!?」 こいつは人の心でも読めるのだろうか。「なんせ今日に限って無口だし、アンタはアンタで入ろうとしないし、二人の関係を繋ぐにゃ難しくないだろう?」「……………………」「ま、何にしても黙ってたら何も始まらないよ。どら、私が仲裁してやるから入れよ」 むんずと私の手を掴み、弓道場の戸を開ける綾子。「ちょ、ちょっと……!」「おーい、ま……」 がばっと綾子の口を塞ぎ、強引に裏へと引きずる。 どうやら気づかれなかったらしい。息を吐いてから綾子を捕まえていた手を話す。「………………」「――――――」 お互いに無言。まずい、明らかに私が弱みを見せた形になっている。「えぇと……」「あーあー、言うな言うな」 彼女はどうでもいいという感じで手を振る。「アンタがそんだけ怯えてるんだ。私じゃ解決できないような悩みなんだろ?」「まぁ……そう」「解った、じゃあ来てた事は黙っててやる。その代わり……」「へ?」「商店街のクレープ、500円な」「―――な!?」 彼女はニシシと笑いながら、よろしくー、と帰っていく。 いや待て。私は一言も承諾すると言っていないではないか。この流れだと自動的に私は無用な500円の貸しを作った事に。「……なるほど、凛にもライバルが居るんですね」 ぬかった…………、私の敵はマスターだけじゃなかったのを失念していた。 自分の家に戻る。使い魔の監視などは無さそうだが、安心はできない。 かといって空き巣が入ればそいつはこの世の地獄を味わう事になるだろう。 とりあえず、今夜士郎に教える分の"教材"といくらかの宝石を持ち家を出る。 時刻は6時半過ぎ。少し急がないと、夕飯に間に合わなくなるか。「やぁ、遠坂。奇遇じゃないか」 門をくぐったところで、今一番見たくない顔が目の前にあった。「あら、間桐君こんばんわ。こんな所まで何のようかしら?」「何、散歩がてらにちょっとね」「あなたの家は反対側でしょう? 道、間違えてない?」「そう邪見にしないでくれよ。今日は一つ提案を持って来たんだ」 どうせまた昨日のようにろくでもない事に違いない。自分がマスターである事を呼び出してまで誇示してくるような男が、こんな場所まで出向いてまで何を言いたいのか。「話は簡単さ。僕と手を組もうよ」 ほら、ろくでもない。「あら残念ね。私はもう衛宮君と手を組んでるの。今更別の誰かに鞍替えする気は無いわ」「あぁ知ってるよ。だけど遠坂、アイツは止めておいたほうがいい」「……どういう意味かしら?」「だって衛宮だぜ? 正式な魔術師ですらない。何の弾みか知らないけど、偶然にマスターになった奴だ。そんな奴信用できるとは思えないけどね」「だから?」「その点、僕の家は正式な家系だ。歴史もある。僕の家と遠坂が手を組めば聖杯戦争なんてすぐに終わらせる事が出来るだろ?」「正式ね。貴方の家は間桐君の代で魔術回路が枯渇したはずでしょう? 何の弾みでマスターになったか判らない点で言えば、貴方と衛宮君は同位置だと思えるのは気のせいかしら?」「馬鹿なことを言うなよ。衛宮の家は何の知識も無いへっぽこだぜ? アイツ自身魔術師としての自覚すらないようだしね。蓄積された知識の量で言っても僕の家とは比べるまでも無いだろ」「確かに、衛宮君は緊張感が足りないわね。態々貴方の家に御呼ばれになるくらいだし」「へぇ、もう聞いてるんだ。そうだろ? そういう奴なのさ。アイツは敵んトコに何の考えも無く入り込むお人よし。僕が見逃してなけりゃ今頃生きちゃいないんだよ」「彼のお人よしは認めるわ。私のサーヴァントを勝手に持っていってこっちもいい迷惑なんだから」 彼の目つきが少し変わった。「遠坂のサーヴァントを……持って行った?」「えぇそうよ。彼が貴方の家に行った時、彼には私のサーヴァントが護衛についてたの。門の前でライダーと睨み合ったらしいけど、なに、聞いてないの?」「う、嘘をつけ。聖杯戦争の駒だぞ。自分の武器をおいそれと貸し出すなんて何を馬鹿な……」「そう、だから私は衛宮君のサーヴァントを借りてた。互助って言葉は知っていたかしら?」「な、何だよそれ! 衛宮のサーヴァントに殺されるとは思わなかったのか!?」「サーヴァントは古の英雄よ。誇りある騎士が主の取り決めを勝手に破る事は、自分の矜持に泥を塗る事になる。 その点衛宮君のサーヴァントは約束を破るタイプではないわ。お人好しがサーヴァントに伝染したのかしらね」(―――それはセイバーに失礼でしょう) やかましい。それで無くとも、こんな馬鹿話はとっとと終わりにしたいのに。「そういう事よ。貴方とは組まないし、貴方と私は敵同士。 そもそも間桐と遠坂は絶対に相容れないのよ。それがたとえ一時的な共闘関係でさえもね。理解したかしら?」 言って彼の横を通り過ぎる。「ま、待て!!」「あぁそれから、今私衛宮君の家にお世話になってるの。急がないと夕飯に間に合わないのよ。悪いんだけど急いでるの」「―――なっ!?」 私の後ろで慎二はどんな顔をしているだろう。いい加減終わりにして急ぎたいから言ったけど。「衛宮の家に…………泊まってるだって?」「そう。じゃあ、さようなら」 振り返る事もせず私は歩を進める。「だ、ま、待てって言ってるだろ、遠坂!」 ガッと慎二に肩を掴まれた。(宝石は無しでお願いします) ちっ、仕方が無い。 私は拳を握り締めた。 /// /// 遠坂との授業を終えて、俺は裏庭に出る。 今夜の授業は昨日とは打って変わってハードすぎた。何せ、魔術回路を作動させるためだからって、宝石なんて飲ませるんだもんなぁ。 制御はできているが、いまだに回路は疾走状態で体は熱いまま。 余りに熱いので持て余しているのである。「……しかし。スイッチとやらが本当に使いこなせるようになったら、後は手順の問題だ。 一番簡単な強化をあんなに失敗するようじゃ、先が思いやられるな……」 呟きながら、土蔵から持ち出した角材に魔力を込める。 ―――ぱきん、という音。 やはり強化はうまくいかず、角材には罅が入っただけだ。「……中の構造まで見えているのに。どうして、こう魔力の制御ができないんだろう」 遠坂は力みすぎ、と言う。もっと小さな魔力でいいから、物の弱い箇所を補強する事だけを考えろとも。 ……ようするに、今よりもっと手を抜けという事だろうか。「……そんな事、言われなくても分かってるけどな」 問題は力みをほぐす手段が無い、という事。肩の力を抜くいい方法があったらいいんだが、 と、こちらに歩み寄る気配が一つ。「今回は随分と荒療治を施されましたね」「……アーチャーか」 視線を向けながら、手にした角材を脇に放る。 と、アーチャーはそれを拾い上げ、しげしげと検分し始めた。「以前に増してひどいですね」「はっきり言わないでくれよ。それでもだいぶいつもに近づいてるんだ」「魔術回路のスイッチがまだ制御できてないみたいですね」「あぁ、最初はめまいで倒れそうだったよ」「眩暈で済んだのなら貴方は十分誇っていいと思いますが……」「え、アーチャーも経験あるのか?」「えぇ、まぁ。一週間ほどベッドの上で唸り続けました」「……うわ」 相当ひどい開かれ方をしたのだろうか。「おかげでその後は制御するために色々と大変でした。……修行とか」「苦労したんだな」「まぁ……今となっては、スイッチどころじゃないんですけどね」 腕を押さえて、アーチャーが呟いた。「ところで、投影のできる貴方が何故、わざわざ強化などを習おうと思ったのですか?」「いや、親父が効率が悪いから目先を変えろって、こないだ言ったじゃないか」「5年も10年も残ったままの物が効率が悪いとは思えませんがねぇ」「―――!?」「土蔵のガラクタ……、まだ凛には見せていないんですね?」「あ、あぁ」「まぁ、いずれバレますがしょうがないでしょう。それより、この調子だと物になる前に聖杯戦争が終わりますよ?」「半人前なのは認めてるよ……」「いえ、そういう事じゃありません。地盤のできているものを活かして伸ばす方向に切り替えなければ、間に合わないという事です」「地盤?」「貴方は自分で言ったはずだ。元々"投影"をしていた、と。"強化"に切り替えた後も息抜きでやっていたと。 土蔵のガラクタは勝手に増えたわけではないでしょう?」「いや、ま、待ってくれアーチャー。だとしても、俺はガラクタしか作れ……」「―――ですから!」 ビシっと、目の前に指を突きつけられる。「変えるべきはそこです。その"できないかもしれない"というネガティブな自己完結。 セイバーの稽古でも、こうすれば勝てていた、というイメージがあったはずだ。ならば、それを持ってきてください。 実戦で勝てないならイメージで勝つ。貴方が勝てないなら、勝てるようになるモノを幻想してしまえばいい。 ―――恐らく、貴方という魔術師に許された"とりえ"はそれしかない」 ―――!! 忘れるな、と。 どうしてだろう。遠坂の言葉より、アーチャーの言葉を忘れてはいけないと、俺自身が思っている。「"心"の鍛錬とはそういう事です。貴方は繰り手ではない、造り手です。 強くなるために、貴方は勝利を造り続けれなければいけない」 どこか辛そうな言い方をして、アーチャーは唐突に消える。 ……見張りに戻ったのだろうか。「…………アイツ、本当に何者なんだ」 答えが帰ってくるはずも無い。 やけに残るアーチャーの台詞を反芻し、俺は火照った体を冷たい風に晒していた。