電車を何本も乗り継いで私達は冬木の町へとやってきた。 いや、私には戻ってきたという表現が正しいか。 新都の周辺の様子はさすがに一変してしまったようだ。センタービルを始めとした思い出深い物もさすがに老朽化には耐えられなかったらしい。 「ほんっっっっとうにローカルな町だな、おい」 清々しいほどの声で嫌味を言うランス。 「ガイドブックにすら載ってねぇし、噂にもきかねぇな、『フユキ』なんて名前は」「だから言ったでしょう。つまらない場所だと」「大丈夫! つまらない場所はつまらないなりに面白いものさ。新しい発見は考古学の醍醐味だからな」 時々この男のポジティブさが羨ましい。 「OK、ここが終着駅か? 我が謎だらけのガイドさんよ」「バスに乗って深山町へ行きます。そこから先は歩きです」「ミヤマ……、目的地の地名は調べてんだね、ちゃっかり」 そして、降りた場所は何の変哲も無い住宅街である。この辺りは新都と違って劇的な変化が無い。昔ながらというか、20世紀然とした家が軒を連ねている。最も、空をエアカーの群れが飛行していなければの話だが。 「……あのよぉ」「何ですか?」「お前の目的地って、知り合いの家か?」「ソレに近いですが、何か?」「……知り合いの家かよ。何だってこんな住宅街に用があるんだと思ってよ」 そりゃそうだ。知り合いの家に行くでもなければ、英国人二人がこんな住宅街を歩きなどしない。 深く息を吸い込んだ。 ……懐かしい香りがする。 周囲の様子が変わろうとも、いくら年月が経とうとも、変わらない空気はいいものだ。 「あーあ、っておい、アルトリウス!?」 駆け出した。見知った路地に、見知った交差点、周囲の家並みは違えど確かに覚えている。20年、いやもはや何年経ったか判らないが、確かにここは変わっていない。路地を曲がり、真っ直ぐの道を登っていけばそこには、思い出の……、 「……………………これ、は」 廃墟があった。 「ぜぇっは、ぜぇは……お、お前、足速かったんだな。 …………何だ? 廃墟?」 そんな……本当に残っていたのか? 漆喰は剥げ落ち、木材はささくれ立ち、草が覆い尽くしながらも、そこは確かに見知った家だった。 一体何百年放置されたのは判らない。ここまでくればさすがに整地してもいいだろうという荒れぶりだった。 「なぁ、もしここがお前の知り合いの家だって言うんなら、お前の知り合いって年いくつよ……」 膝の力が抜けてしまった。嬉しいのか、悲しいのか、それとも現実を直視した絶望か。 気がついたら……泣いていた。 10分は泣いていただろうか。顔を上げれば、ランスがハンカチを出していた。「すみません、恥ずかしいところを見せました」「なぁに、役得だと思って胸にしまっておくよ」 ハンカチを渡すと門の木材に手を這わせるランス。 「そうだな……、植物の生え方から言って100年は下らんな。 造りは典型的なブケヤシキって所だが、……何だ、立ち入り禁止かよ」 門には錆び付いた看板で立ち入り禁止のプレートが雑に張られていた。 「もう結構です、ランス。ここを見つけられただけで十分です」「冗談言うなよ。お前が泣き出すほどの魅力がこの屋敷に有るんだろ? 男として知りたいね」 言うが早いか、錆び付いた門の隙間から、中に潜り込んでしまった。 「ランス!!」 入って欲しくなかった。彼と、彼の家族以外に入って欲しくなかった。だから、私は後を追って中に潜り込む。 予想通り、中も廃墟だった。記憶と寸分変わらぬ姿で残っていた。また、胸が熱くなってきた。 木々は荒れ、草も生え放題になっている。屋敷も傾き、一部は潰れてしまっている。 それでもここは私の知っている場所。 「ふーん、屋敷の持ち主が居なくなって荒れたんだろうが、ここの地主は権利放棄してないのか?普通ここまでくれば市だか政府だかが介入しそうだが」 そう呟くランスを尻目に私は土蔵に足を向ける。 土蔵は石造りだ。さすがに、崩れていることは無かったが、蝶番が錆びきっていた。 ―――だから、渾身の力を込めて押した。 ギギギギ!! ……ミシィ!! 強烈な音を立てて、扉が開く。 「なっ! 馬鹿、何やってるんだ!お前」 慌ててランスが駆け寄ってきた。確かに私達は不法侵入に当たる。だが、だから何だ。 半分ほど開いた土蔵の中はくもの巣が跋扈していた。 見るからに何も残ってはおらず、荒れる前に持ち出したようだ。 「アルトリウス、お前、こんな汚い蔵になんか用でもあるのか?」 ソレに答えず、近くに落ちていた枝を拾ってくると、それでくもの巣を打ち払う。 「勘弁してくれよ。何だってんだ?」 私と、彼が出会った場所。始まりの場所。数百年の時が過ぎても忘れることの無い、夜の光景。 「……シロウ」「シ……なんだって?」 すぐ近くで聞き返してきた。 雰囲気ぶち壊しの男に肘鉄一発当ててから、土蔵を出る。 「いてーな! 何すんだよ、アル!」「そうだから、あなたはいつまで経っても部下なんですよ!」「はぁ??」 変わって剣道場。さすがに母屋と違って丈夫に出来ていたのか、倒壊せずに残っていた。 掛け軸も落ち草も生え放題になっているが、耳を澄ませば今でも竹刀の打ち合う音が聞こえてきそうなほど凛とした空気がここにある。 草の生えた道場に上がり慎重に進む。踏み抜きそうになるのを注意しつつ、正座の姿勢で座る。 思い出すことが多すぎる。何百年ぶりなのかは判らないが、鮮明に脳裏に浮かんでくる。 不甲斐ない我が相方に剣を叩き込んだ数日の思い出。「……ドウジョウが似合う、イギリス人もいるもんだな」 外でランスがそう茶化していた。「お前……本当に前世は日本人だったんじゃないのか?」「フ、かもしれませんね」 その時、 「おい、君たち!!」 いきなり入り口の方から声がした。 やってきたのは警官だった。 「何やってんだ、立ち入り禁止の札が見えなかったのか?」 しかし、近づいてきて私達が外国人だと気付いたようだ。 「外人か。とにかく出てくれ! ……ゲットアウト」「ご心配なく、日本語は話せます」 ランスが名刺を取り出しながらそう答えていた。……って、旅行に名刺など持ってきたのか。「近所を、通りかかったら彼女がこの屋敷に興味を、持ちましてね。失礼かとは思ったのですが……」 年に数ヶ月は暮らしているだけある日本語だ。ただ、特有のイントネーションが残っているが、「あ、はぁ……」「すぐに、出ますので。 ―――アルトリウス、出るぞ」 名刺を受け取った警官は自分よりも背の高いランスに閉口気味の様子。 「日本語は得意じゃないだろ。ここは任せな」 なにやら得意げに警官を連れて、先に出て行ってしまう。 外に出た。付近の人が何人か集まっていた。やっぱり、土蔵の音はやばかっただろうか。 とにかくランスが事情を説明し、警官が住民を解散させた。 考古学専攻の学生というのが効いたんだろう。 ……そうだ、ちょうどいい。 「すみません、ちょっとよろしいですか?」「へっ……?」 自転車に跨った警官は驚いた顔でこっちを見る。……私が日本語を話せるのがそんなに驚きか。 「この屋敷は衛宮という者の持ち物だったはずです。何故ここまで荒れたまま放置されているのですか?」 イントネーション、アクセント、言葉尻まで完璧な日本語。 「……お前、日本語喋れたのかよ」「さぁなぁ、自分はここの生まれだけどその当時からこんな調子だよ?」 この警官は見た目40代、やはり40年以上はこの屋敷は廃墟になっていたことになる。 ランスの鑑定眼を疑うわけではないが、これで裏づけは出来た。 「判りました。では、もう一つ。この辺りに「藤村組」という組織を聞いたことは?」「あるっちゃー、あるが」「その人達は今どこに!?」 思わず警官の両肩をつかんでいた。 「おい、アルトリウス。興奮するな!」「いや、自分の祖父がそのまた祖父から聞いた話さ。「藤村組」って組がどうなったかは知らないよ。登記で見かけたことも無いしね」 祖父の祖父の代、ということは100年以上前。いや、だからといって大河が生きていた時代を重ねるのは早計か。 「どうも……ありがとうございました」「あぁ、がんばりな」 警官は去っていった。 そして、そのまま私達もその場を後にした。