追う者と追われる者。その構図は至極簡単である。 逃げ切れば勝ち、殺されれば負けと言う最も簡単なロジックは、昨今の戦略とか謀略とか言う時間の浪費を許さない。 生きるための1秒を敵からもぎ取り、その1秒を持って60秒を勝ち取る策を立てる。 さながら森の中を逃げ惑う獅子と狩人。傷つき、怒りをその身に蓄積しながら、獅子達は森の深くへと逃げ込んでゆく。 自らを突き動かす理由。それもまた単純。 ――― 生きる 考える葦が最も失う事を恐れる物は、万物に等しく与えられた命。 極限状態において、命以外に執念を燃やす者は偏に愚か者のそしりを受けたとて文句は言えぬ。 ただ一つ。……その命を燃やしてでも他者の命を救いたいと願う者がいたとすれば、馬鹿と言われようと、愚か者と呼ぶ権利は誰にも無い。 ――― 守り、最後まで生き抜く。それが私の義務 アルトリウス=セイバーヘーゲン、彼女は誰よりも不器用な人間であると言えよう。 全てを器用にこなせる人間であるが、一度外れるとド素人。遊びを知らず、人間を知らず、知っていたのは"戦場"のみ。 戦場は生きるか死ぬかのイチとゼロ、進む以外の道は無い。いや、無いと言うより自ら切り捨てている。 故に、彼女は進む以外の道を知らなかった。両親の愛も、兄妹の愛も、生まれる前から完成されてしまった意思を変える事は難しかったと見える。 だが、十分に育成された彼女の人間性、過去から引き継いだ記憶はふとしたきっかけで彼女の意志を破綻させ始める。 それは他者との関わりである。主にランス=ウェラハットの影響が強いのは言うまでも無い。 その行動から畏怖の対象と見なされていた彼女を外に引きずり出し、内部に入り込む。それは誰もした事も無い事。彼女自身も経験した事の無いもの。 だからこそ、彼女の意思の破綻は一気に瓦解する。なまじランスの手腕が見事なだけに、いい方向へ転がりだした。 そして、再び"戦場"へ。 /// /// 騎士としての勤め弱者への慈悲親友の熱意自分が守らなければならないターミナルへ敵を倒さなければならない武器を逃げなければならない守らなければ仲間の死が心を抉る何故守れなかった何故私はあそこにいなかった何故出来なかった……何故……何故……何故……「――― おい!! 聞いてるのかアル!!」「―――!!?」 はっ、と意識を戻す。気が付けば、27階への階段へ到達していた。「ったく、ようやく調子が戻ったと思ったら今度はどうした?」「いえ、すみません。ターミナルについてからの事を考えていました」 パンと頬を叩き、頭の中をクリアにする。澱んだ空気がいい加減思考にも影響し始めているらしい。「もう一度、上と同じ方法でいきます」 ガウェインが懐から爆薬と信管を取り出し設置を開始する。「ただ、これが最後です。さっきよりも量も少ないですし、ワイヤートラップにします」 その時、ゴォン!と遠雷の様に聞こえてくる炸裂音が皆の耳に届く。 予想通り足止めになっていない。「くそ、おっさんの時間稼ぎも役に立たずか。急げ、ガル」「っ、焦らせないでください!」 爆薬を設置し、信管からワイヤーを延ばし、それを階段下部に固定する。「OKです」「よっしゃ急げ!」 ボルツとランスを先頭に、私達は27階へと駆け下りる。「後一階でターミナルだ。ボルツのおっさん、ターミナルってどんなところか知ってるのか?」 階段を降りながら、ランスはボルツに聞く。「行ったことは無い。だが、巨大な地下トンネルを掘りぬいた地下鉄である事は知っている」「あまりいい気はしねぇな。行ったはいいが、故障してましたとか、トンネルが崩れてましたとかじゃ今世紀最高のジョークだ」「ここまで来て何を言ってるんですか、兄さん!」「別に疑っちゃいねぇよ。ただ、こんな避難経路しかないって事に腹が立つだけだ」「……………………」 確かに、魔術協会は世界中に根を張る巨大組織。その本部の脱出経路がこんな底深くにしか整備されず、多大な手間を掛けなければいけないとは正直腑に落ちない。 ……最も、陥落するなどと思ってもいなかった本部の人間の不手際を今更責めても仕方が無い。事実、500年以上もの間本部は間違いなく機能し続けていたのだから。 その時、後方から轟音が聞こえてきた。まだ27階についてから500メートルほどしか走っていない。明らかにペースが速すぎる、もう26階を走破したと言うのか!?「くそっ、連中ここに来てペースを上げてきやがったのか!」「明らかに倍か、3倍の速さです。今までとは違うみたいですよ!」「何にせよ、急いでください!さっきのトラップでは数分と持ちません」 走る。ただそれだけの行為がここではまるで空しく見えてしまう。シンメトリーという異常な環境下で連続する景色は、幻覚にでも囚われたかのような認識を与えてくる。 と、突然ボルツが足を止めた。「ミスターボルツ、どうしたのですか!?」 ボルツの行動に遅れて、皆の足も止まる。 すると、突然持っていた端末をガウェインに向かって放り投げた。「ちょっと、ボルツさん!」「行け」 そう言って、彼はいきなり壁に向かってこぶしを繰り出した。放たれた拳は壁に塗られた一つのレンガを直撃し、破壊する。「―――なっ!?」「ボルツさん、何を!」 そして、変化は突然だった。 ゴゴゴ、という破壊とは別の揺れが廊下を振動させる。立っていられないほどではないが、明らかに何かの仕掛けが動き始めたらしい。「これは……、ミスターボルツ! 貴方一体何を!」「……………………」 彼は答えない。聞こえていないかのように元来た方を向いている。 その直後、壁が私達とボルツの間に落下し我々の間を遮断した。「―――!!?」「な、何だよ、これ!!」 だが、一枚だけではない。少し遅れてもう一枚がさらに落下してきた。「―――! おい、冗談だろ!」 3枚目、4枚目。もちろん、壁が落下してくるたびにこちらとの距離は詰まってくるわけで……、「逃げろ!!潰されるぞ!!」『―――!!?―――』 あわてて踵を返す。直後、今まで居た場所にさらに壁が落ちてきた! それを間一髪で躱し、全員が奥へと逃げる。だが、壁の落下は止まっていない。 加速度的に落下する壁から逃げる。コレは一体何の冗談だ!? 都合10枚の落下を最後に、壁の落下は止まった。「はっ、はっ、……この壁は、一体?!」「……くっ。そんな事より、ボルツのおっさんが!!」 止めた足、ガウェインに渡された端末、そして侵入者防止用か追っ手の足止め用かに設置されたトラップを作動させた彼。その理由は、考えるまでも無い。 そして理解したとたんに、激しい怒りがこみ上げてきた。 ガン!と壁を殴りつける。「くっ……あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」 私は、慟哭の叫びを上げた。 /// /// ―――優先事項確認 ―――殿となり、魔術防護隔壁を作動。その後、出来うる限りのホムンクルスを殲滅。 ボルツは両手のグローブを嵌め直す。視界無き"視界"には既にホムンクルス達の進攻が"視えている"。 悲しみも無ければ、憤りも無い。彼にとって、この結果は自らが出した結論であって、それを危惧する意味は無い。 その浮いた思考の余剰を全て正面から向かってくるホムンクルス達の行動予測と、対応動作の処理に充てる。 彼はまるで"機械"のように思考する。それが魔術師として彼を育てた者達の到達点だった。 機械であれば間違った結果は出さない。だからこそ、己までも第3者としての視点で捉えるようにボルツは教育を施された。 喜びも無ければ、恐怖も無い。任務を全うする為に障害となるものは全て取り払い、結果のみを重視する。 任務行動は常に機械的。9を救う為に1を切り捨て、必要とあれば女子供すら殺した。何よりも任務の達成を重視する彼のスタイルは非難を浴びたが、結果が伴っているため仕事についての評価はAランク。 無論、そんな事すらボルツにとっては地を舞う枯葉のようにどうでもいい物。 ―――脅威対象確認、排除開始。 もちろん、この脱出は任務ですらない。故に達成する意味は無い。しかしだからといって、無益に自分の命を敵に投げ出す事にはならない。 結果、彼はここにいる。一人でも多くの者達を生かす為に。 彼にとってこの結論は、自らをも方程式のうちに含めた上で計算され、今回たまたま自分が適任と判断を下したからに過ぎない。 だから彼はここにる。1を切り捨て9を生かす為に。 疾風のように飛び込んできたホムンクルスの頭部を、強化した己の拳で一撃の下に破壊する。 "視界"にはまだまだ多数の排除対象が視えている。 しかし、彼には数の暴力は何の威圧にもなりはしない。雨霰のごとく降り注ぐ黒鍵も、飛び込んでくるホムンクルスも彼は淡々と対処する。 だって彼は任務を全うする機械であり、優先順位を間違う事は無いのだから。