いよいよ、進退窮まってきたと思う。 何せ、この魔術協会の全貌を知る連中が全滅したんだから。 俺やセイバーは言わずもがな。そして、ガルやベティはここまで潜った事は無いらしい。 あのおっさんの意図は理解した。勿論、俺達がそこへ行けるだけの余力を残していると思っての事だろう。でなければ、端末を渡して何の言い残しも無いと言うのはありえない。 目の前では、隔壁を殴りつけたセイバーが今度は額を擦り付ける様にして呻いている。 セイバー……アルトリウスの状態は良いとは言えない。誰かが死ぬたびに感情をあらわにしていたんだ。ここまで減れば狂う寸前と見て取るべきか。だったら、俺達がしっかりしてやらないとな。 ポンと彼女の肩に手を乗せる。経験上彼女は憐憫など望んでいない。哀れみも、慈しみも求めていない。 彼女は、前に進む事しか考えていないはずだから、「行くぞ。準備はいいか?」 ピタリと彼女の呻きが止まる。「…………はい、大丈夫です」 居住まいを正した彼女はそう言った。 未だ壁を向いたまま、若干声が震えている。「……………………」「――――――――」 ベティとランスは不安そうだが、今はこれ以外に方法は無い。 前に進むという方法以外俺達に残された道はないし、ボルツのおっさんが自分から犠牲になるほど俺達に期待したのなら、それに答えてやらなければいけない。 その時、ゴォォォン!と壁の向こうから振動が響いて来た。「―――ッ! ぐずぐずしてられない、いくぜ!!」 今度は俺が先頭に立ち走る。ベティとガルが後に続き、セイバーも続いてきた。 残された時間は限りなく少ない。こうしている間にも背中に感じる圧迫感は消えない。 後一階、後一階さえ降りてしまえばそこはターミナルへと続いている。そこまで行きさえすれば俺達の勝ちは決定なんだ。 2度目の振動が鼓膜を揺らす。隔壁の数は10。多分、一枚ずつ破りにかかっているんだろう。 ―――残り8回。 /// /// 28階への階段に到達するまでに6回空気が揺れた。都合8枚の隔壁が破られた計算になる。 階段を踏み外しそうになりながらもなんとか駆け下りる。と、目の前に明かりが見えてきた。「―――?」 それを疑問に思うまもなく28階へ飛び込む。 すると、不思議な事が起こった。せまっくるしい階段から一変、そこは灰色のコンクリートが一片の隙無く塗られた廊下だった。道幅は上の倍広く、廊下の対面にあるはずの部屋のドアは一切無く、ただただ無機質な廊下が延々と続き、しかも、壁自体が発光しているのか青白い光で照らされている。「な、何だここは……」 思わずつぶやく。「ターミナルへ続く廊下……なんでしょうが」 ガウェインも困惑した顔で答える。 それもそもはず、今の今までレンガ塀が連なっていたのにここに来て近代建築となるとさすがに訳が解らない。「そういえば、ターミナルへの入り口を改築したとか言っていませんでしたか?」「あー、3階ぐらい下方修正したとか言ってなかったか?」 ガウェインは端末を確認しながら、「いえ、だからといってここまで違和感の強い改築は…………」「って、暢気に観察してる場合じゃねぇ!」 途端、上の階から重い衝撃音が響いてくる。「……後、一回」 皆が駆け出す中、ベティがそうつぶやいた。そう、後一回。それで私達の運命はこのゴール間際で風前の灯となる。 走っていて気づく。ここは上に増して前に進んでいる気がしない。 上のように少しでもレンガの凹凸の違いがあればある程度の実感があるが、ここは延々とまっさらな壁面が続く。 まるでランニングマシーンの上を走っている感じさえする。「くそ……ホントに前に進んでるのか。……これ!」「視覚効果で騙そうというトラップではないのですか?」「解りません。確実に前には進んでいますが……」 ――― ゴゥン 後方、聞こえるか聞こえないかの音は、確かに私の耳に聞こえてくる。「―――きたっ!」『―――!!―――』 思わず皆の足が止まる。だが、はるか遠くの闇の中の状況は解らない。「くそっ、先がまだ見えないってのに!」「とにかく急ぎましょう!止まっていてはすぐに追いつかれます」 そして足を踏み出す中、私は動かなかった。「セイバー……、何してんだ早くしろ!!」「皆さんは先に行ってください」 瞬間、廊下から音が消え去った。「っ、馬鹿野郎!!今更残って何になる!英雄にでもなりたいのか!!」 ランスが今までで一番怒気を強めて言い放つ。「―――英雄ですか。英雄とは、過去の産物だ。 大衆に賛同されるだけの理念を持ち、民衆を惹きつけるだけの思想を持ち、国民を率いていくだけのカリスマ性を持ったものを指す。 そして、英雄としての絶対条件は"死んでいる"事だ。過去に行った功績を称えたのではなく、たまたまその人物の行動が自分の理想と似通っていたから英雄という名の下に引き合いに出されるだけだ。そんな思想の浅い革命などいくらでも起きてきた。 これは私が望み、私が成したいから行っているだけの事。そんな我が侭を英雄視しているのはあなた方の勝手でしょう」「それこそふざけるな!我が侭だと?人の気も知らずに勝手なことばかりやりやがって。あぁ、確かに俺たちは無力だよ。人の心配をする前に、自分の身を守るのも危ういさ。だが俺にはどうしても納得できない! 生き延びるんだろ、全員で!そこにおまえ自身は含まれてるのか!?」 シーンとした廊下の真ん中で私達はにらみ合う。「……それに、その我が侭を周りがどう取ると思う。お前の意思なんて知るか、他人は"英雄"か"馬鹿"かのどちらかとしか取らないぞ」「英雄になど、なりたいとは思っていません」「やめてください二人とも!!敵はすぐそこまで来てるんですよ!」 ガウェインが割り込んでくる。私は彼らに背を向けた。「馬鹿で愚か者の死にたがりで十分だ。英雄と呼ばれる事など望んでいない。私は私の信じた道を進み、自分の歩いた道が間違いでないことを信じる。それが帰結する先がたとえ死であっても、私は後悔などしない。 お別れです、ランス。そして、皆さん。2,3時間は稼ぎますからターミナルまで逃げてください」 足を踏み出そうとして、腕をつかまれた。「離してください。今更、私を何でとどめるつもりですか」「……………………」 と、強引に振り向かされた。 パァン!! 次の瞬間、乾いた音が廊下に響いた。「ランス兄さん!?」「ランスさん!何を……!」「馬鹿や愚か者だけならまだ救えるさ……」 ジンジンと頬の痛みが増してくる。ランスに頬を張られた事など記憶にないから、これが初めてなのだろう。「だがよ、馬鹿で愚か者の分らず屋には腕ずくで言う事を聞かせるしかねぇじゃねぇか」「……………………」 複数の足音が廊下の先から聞こえてくる。「誓いを守れ、セイバー」「―――!?」「誓ったんだろ、俺たちの剣になるって。誓ってくれたんだろ、盾になるって!剣や盾が勝手に一人歩きしてたんじゃ装備してる奴はたまらねぇよ。そっちに合わせるしか方法がなくなるじゃないか」 ……確かに誓った。私は彼らの剣となり盾となると。確かに、剣や盾は持ち主の意思に反したりはしない。「それに、お前が時間稼ぎしてもこの先で俺たちが頓挫しちまえばそこまでだ。今更、時間稼ぎの意味なんて無いんだよ」「そうですよ、セイバーさん。一緒に行きましょう!こんな所で死んではいけません!」「セイバーさん!」 だが……、「まぁ、今更言ったところで遅いか……」 疾風が舞う。黒鍵を手に飛び込んできたホムンクルスは私の一閃をよけられず、首と胴が分かれたまま私たちの先へと落下する。「……デッドエンドか!ちきしょう!!」「まだ終わってません!逃げながらでも戦えるでしょう」 ランスとガウェインが銃を抜き、ベティは奴らと同じく黒鍵を抜き放つ。 青白く照らされた廊下の先はすでに赤い光が瞬いている。何体いるか想像も付かない。 その時、「……な、何だ?」 一体のホムンクルスが飛び込んできた。それは今までのホムンクルスとはまるで別物。 背丈は変わらないが、長髪の女型。最大の特徴は、その右手が異形。右腕そのものが鋭い猛禽類のような5本の爪を備えた鉄の塊だった。「……くっ!!」 疾駆して来るホムンクルスは飛び込みざまに右腕を振るう。 迎撃のために、短剣を振るう。 ―――キィィィィ「―――!!?」 妙な音。直感に任せ身を引いた。直後、振るった短剣と爪が接触し、剣のほうがあっさりと断ち切られていた。「……なんだ、これは!?」 このホムンクルス自体、右腕の重量を持て余しているらしい。振るった腕はそのまま地面に食い込む。 だが相手が爪を食い込ませた瞬間、周囲一体が地震のような超振動に見舞われる。壁や床に一気にひびが入る。「……何だ、コイツの右腕は!」「振動波です!!」 ガウェインが揺れる足場を踏みしめながら叫ぶ。「右腕に超振動のユニットを埋め込んでいます!!破壊しないと、フロアごと崩されますよ!!」「……そうか、これで壁や床を」 ホムンクルスが爪を抜き、あらためて襲い掛かってくる。触れれば、一発で絶命必至。「みなは奥へ!コイツの他は様子見で動こうとしてません」「……あっ!」 ようやくガウェイン達が気づく。コイツが前に出てきてから後発がいつまで経っても来ない。 どうも、超振動の右腕に巻き込まれるのを嫌っているのか、手出しをするなと指示を受けているのか知らないが他のホムンクルスが襲ってくる気配が無い。「今更お前を置いて行けるか!」「邪魔です!!」 むべも無く言い捨てる。さすがにランスが黙った。 こっちは相手の右腕に触れないように戦わなければならない。となると、近くに彼らがいて巻き込まれても責任が取れない。「ランス兄さん!どの道銃だとセイバーさんに当ててしまいます。彼女に任せて下がりましょう!」「ぐっ……!」 幸い奴は腕の重さに対応しきれず力ずくで振り回しているだけ。動きは単調だが、触れてはいけないのではやりにくくてしょうがない。それに、奴を倒すと後ろの無数のホムンクルスが大挙して来る。「分かった!死ぬなよなアル!!」「セイバーだと言っているでしょう!」 爪の下をくぐりながら私は軽口を叩く。 ランス達がこの場を離脱しようとした時、コイツはそれに反応した。「―――っ!ランス!!」 身構えるこちらをまるで無視して逃げる方へと追いすがろうとする。 ランスがこちらに気づく。床を蹴っていたのでは間に合わない。 ならば、手に持った剣を投げるのみ。どういう刷り込みをしたか知らないが、余りにも馬鹿すぎる。 奴の背中は全くの無防備、振りかぶる間もなく私は剣を投げ放つ。 ゾブリ、といとも簡単に剣は奴の背中に突き刺さる。もんどりうって倒れるホムンクルスだが、その右手がまた床に突き立った。 またも起こる地震のような超振動。 「うおっ……!」「くそっ、足元が!」 張り付いたように動かない足に悪戦苦闘する3人を尻目に、新たなひびは周囲に広がり、 ――― ゴバァ! 突如、暗闇のあざとを広げて崩落した。「―――!!!!?―――」『―――!!??―――』 あがらう間もない。反応する暇も無い。あってもなお蹴る床すら消えた。「うわぁぁぁぁぁ!!」「きゃぁぁあ!!!」「ランス!ガウェイン!ベティ!!」 まるでスローモーションのように視界が流れる。剣が刺さって絶命したホムンクルスを踏み越えて駆け寄る。 必死に手を伸ばす。ランスも無理と分かっていながら手を伸ばしてくる。しかし、崩落した床までたどり着く事も無く、3人は奈落の底へと吸い込まれていった。 数秒遅れて縁に立つも既に彼らの姿は無い。「……………………」 何故、と問うても答える者は居ない。そして、 ―――ドッ!「かっ!?」 肩口に衝撃。その衝撃で私もその穴へと身を躍らせる事となった。 落下しながらも見た。やはり、あの特殊なホムンクルスの絶命と同時に他の連中が動き出してきた。「…………く、そっ」 走馬灯を見る暇も無い。 何かを嘆く暇も無い。 奈落へ落ちる感覚すら消え、私の意識は深遠へと落ちていった。