「う……、あ……」 意識が戻る。どうやら、私はまだ生きている。 妙な悪運だけは引き継いだらしい。「セイバーさん、気がつきましたか?」「……ベティ?」 心配そうに見下ろしているのは濡れた髪のベティだった。穴に落ちていった筈の彼女が無事という事は、「よ、セイバー。お互い悪運だけは強いらしいな」 ランスが全身ずぶぬれの格好で見下ろしてきた。 軋む体をなんとか起こす。どうやら骨折などは無さそうだ。見下ろせばランスと同じく私の体も濡れている。どうやら、水の中に落ちたらしい。「ランス、ここは?」「さぁな。だが、あそこから落ちてきたらしいって事は判る」 上を指す。見上げれば、小さい光点がうっすら見えた。100メートルは落ちたのか?「で、落ちたのがそこの池だ」 見渡すとそこには大きいため池らしき物があった。近づいて覗き込んでみる。相当な深さがあった。 なるほど、これなら助かったのも頷ける。 だが、これは何の為の池なのだ?「ここは……どこなのでしょうか」「さぁな、皆目見当がつかん。最下層のそのまた下って所だろうな」 上層にはターミナルへの通路が存在していたはず。だとしたら、ここは通路のそのまた下? だとすれば相当な深さだ。 周囲に明かりは無い。ただ、この水自体が発光しているのか、周辺の一部だけ視界がある。 そして、遠く離れた一部にも同じような光点が見えた。 だとすると、ここは広大な一つの部屋か。 「ん? そうだ、ガウェインはどうしました?」「今周囲を見に行ってる。ダダっぴろい所だ。明かりの一つもありゃしない」 ある程度目が慣れても遠い暗闇の向こうは識別できない。大体こんな部屋が何故存在する? と、遠くの方でロウソクの様な明かりがチラチラ揺れているのが見えた。ガウェインの持っているライターか。 それが、何故か突然消える。少し離れてまた現れる。往復するようにそれが何度が続いた。「何やってんだ、ガルの奴」「違います。あそこに何かあるのでしょう」 少ししてガウェインが戻ってきた。「あ、セイバーさん。気がつきましたか」「はい。それで、何かあったのですか?」「えぇ……、とにかく来てください」 困惑顔で彼はそう言った。 /// /// そこに着くのに200メートルは歩いただろうか。たぶん、ここはこの広大な空間の中心だろう。 そして、近づいて私達が見たのは部屋だった。何の事はない、マンション一室ほどの部屋の外側。もちろん窓は無い。 で、「部屋のようですね」「部屋だな」「……いや、部屋かこれ?」 まさに見たままだった。コレは部屋。広大な空間の中心にぽつんと一つ置かれている状態の"部屋"。 いや、部屋という表現自体がこれに当てはまるかは解らないが、小屋と表する事が出来ないならこれは部屋なのだろう。 しかも、今の時代から考えればドア自体の造りは明らかに古い。20世紀かそれ以前。だというのに蝶番は錆もせず、数百年の月日がもたらすであろう腐敗も全く見せず、部外者が侵入する事を拒む為に鎮座している。「腐りもせず、錆もせずこんな物がどうしてこんな所に」 ドアに触ろうと手を伸ばす。「待ってください! 迂闊に触るのは危険です!」 ガウェインが私の手を退けた。「恐らく何らかの魔術が掛けられているに決まっています。僕が調べますから少し待ってください」「調べる? どうやって」 私の代わりにドアの前に立つと彼は手袋を外し、ドアに手をかざす。魔術刻印を起動させたようだ。「探査回路、起動」 起動した魔術がドアへと手を伸ばし、その途端、空間が鳴動を始めた。「「―――!!?」」 起動した魔術に反応したらしい。何も書かれていないと思っていた床に複雑な魔術式が幾重にも折り重なって起動していく。 まるで波紋が広がるように次々と、「こ、これは……!!」「そんな、この空間全体が!?」 起動した魔術式はやがて池へと到達し、池の底に刻まれていた式を起動する。起動された魔力は光となり天井へと向かう。 さらに天井へと到達した光は、さらに波紋となって刻まれた式を起動していく。「――――――――」「……………………」 やがて、空間全体が完全に一つの起動した魔術式となる。 どうやらこの空間は円形のドームになっていたらしい。掘られていた池は12。天井に刻まれた魔術式は寸分たがわずこの部屋を向いている。「ぐっ……!?」「うっ……、くっ!」 途端、とてつもない圧迫感を受けた。 探査など必要ない。これは"封印"。あらゆる物を押し潰さんばかりに封じ込め、一切の漏れも許さぬ周到な物。 持ちえる魔術の粋を、この"部屋"を封印するためだけに結集し、この広大な空間を作ったというのか!「何だ……この圧迫感!」「どうやら、封印の魔術式のようです。この部屋を閉じ込めるために、こんな仕掛けを」『――愚痴ついでだがもう一つ遠坂と衛宮に関して噂がある』 脳裏に甲斐が言っていた言葉がリフレインしてくる。『時計塔にあったはずの遠坂の研究室がな、消えてるんだよ。ポッカリ。 元々無かったという奴、魔術協会が手を回して封印したという説。誰も侵入できない封印が施されていたから地下深くに部屋ごと切り取って沈めたという説』 ……そうか、ならこの部屋はやはり、「ガウェイン、ドアを開けられませんか? どうもこの魔術は部屋そのものを封印する物のようだ。できれば、中に入ったほうがいい」「しかし、部屋の中に何があるか判らないのにそんな事をしたら……!」「この空間にいたら、我々の精神の方が圧死してしまう。何故こんな物を作ったか理由を考えてみてください」 考えられる理由は二つ。 一つ、内部の物を完璧に封じておきたいから。 二つ、部屋自体に干渉できないために、広大な空間を用意せざるを得なかった。 たかが封印のために広大な空間を用意したのは、部屋そのものに封印式を刻めなかったからだろう。 そもそも部屋を切り取ってこんな場所に持ち込む意味が無い。「……分かりました。何とかやってみます」 額に汗を浮かべながら、彼は探査を再開する。「クソ……、サウナでもねぇのに何で汗が」「恐らく、魔力を内部へと押し込める魔術式なのでしょう。ここはその中心、影響力は最大です。 それに、端へ行ったとしても魔術が起動した以上、いつ止まるかわかりません」 バチン! 電気の弾ける様な音がして、ガウェインが倒れる。「あっ、く……!」「どうした、ガル!?」「駄目です。相当強力な魔術式で封印してあります。僕では解除できません」 腕を押さえ、反発の痛みを堪えるガウェイン。 まずい、このままここに居たら衰弱死は決定してしまう。「じゃあ、こんなドアなんてぶっこわしゃいいだけじゃねぇか」 と、蹴り壊そうとするランスを慌てて止める。「やめなさいランス! 蹴って壊れるほど軟弱な造りはしていない! それに、魔術師の工房である以上押し入って無事に済むはずがない」「じゃあ、どうすんだよ。このままここに居たら全員オダブツになるぞ」「では、私がやります!」「「……は!?」」 ドアの前に立ち、直接ドアに触れ表面を撫でる。「やめてください、セイバーさん。魔術を知らない貴女が下手にいじったらどうなるか!」 指に先に何かが当たった。表面の黒ずみをこすり落とすと、木製のプレートが見えた。 ――――tosaka―――「なるほど……、やはり凛の部屋ですか」 かすれて見えづらくなっているが確かにそう読めた。「リン? 誰ですか?」「古い友人です」 両手をドアにあて、魔力を流し込む。手順は剣に注ぐのとほぼ同じ。 拒否反応。魔術回路を逆流してくる自分の魔力が異物となって駆け巡る。 私は解析の魔術など知らない。ただ魔力を流すだけ。自分の魔力が流れていく先を感じるだけ。 凛の魔術は知っている。宝石魔術、遠坂の魔術特性は"転換""蓄積""流動""変化"。 恐らくこの結界じみた封印も宝石を媒介にしているはず。 ならば、結界を維持するために行う作用は何か。 魔力で結界を形成し、入る者を拒絶する。その為に使用した余剰の魔力を流動させ、宝石へと備蓄。再利用。 だが、使用されるごとに消費される魔力をどこから持ってくる? 蓄えられた魔力は使えば減る。永遠に持たせる事などできない。 ありとあらゆる魔術に耐えたからこそ、"魔術協会"はこの部屋をこんな所に封印するしかなかったのだ。ならば、宝具クラスの魔術での破壊も試みたはずだ。 だが、この封印は耐えたのだ。魔法クラスの魔術を用いてまで、凛が他人が入る事を拒んだ部屋。一種異常とも取れるが、今はそんな事はどうでもいい。「リン……リン?」「お、おい大丈夫か? セイバー」「この部屋に入るより、この封印を解除する術を考えたほうが」 奥へ奥へと魔力を送る。魔術回路が2本しかないとはいえ、英霊だった頃は魔力放出はAランク。いや、転生してしまった以上はそんな事は関係ないか?「tosaka……、トオサカ」「やめろ、セイバー! お前両手がどうなってるか見えてないのか!?」 キーとしたパスワードがどこかにあるはずだ。魔術も所詮はロジックで動いている。そこに科学との差異は無い。 計算され、構築された防壁を切り崩すように、奥へ奥へと潜る!「リン・トオサカ…………、まさか封印指定!!?」「セイバーさんもう止めてください!! それ以上やったら、貴女の魔術回路まで!」 奥へ奥へ、結界を構成する根源まで行き着く。「凛……、私です! セイバーです!!」 無論、そんな掛け声など認識しない。 強引に押し込む魔力が、さらに流れにくい場所に到達したのを感じる。おそらく、そこが結界を維持している魔力の発生源。 触れるようで触れない。あと少し!!「開けてください! リン!!」 声と共にいっそうの魔力を送る。反発する魔力も抑えられる限界ギリギリ。 ダメかと思ったその瞬間、フッと何かが抜ける気がして越えられなかった壁は私を受け入れ、 その途端、内から…………来た!!「―――!!?―――」「セイバー!!」 ランスが私をドアから引き剥がす。次の瞬間、ドアに浮かんでいた封印を締めくくる魔術式が一層の光を放ち、中から砕け散った。まるで中からくるそれに耐え切れ無かったように。 刹那、中から凄まじい魔力が放出されてきた。それこそ部屋全体から。 封印式が強烈に反応し、その魔力を押さえ込む。だが、内からの力も負けていない。まるで拮抗するように膨大な魔力を放出し、封印式を押し返している。「これは……!?」 そして、圧迫感が消える。部屋からの魔力放出が私達を内部に内包したからか。 ……ガチャリ 部屋の錠前から鍵の鳴る音が聞こえた。