呆然とその名を口にする。まさにいつか見た光景そのもの。 台座に突き立てられた選定の剣は、王となるべき者によって抜かれるのを待っているかのよう。 そしてあの日、私の運命を変えた剣。 その剣が私の目の前にある。―――抜け、と言わんばかりに。 鞘に収められた剣は、威風堂々、内に秘めた魔力をそのままに存在していた。だが、周囲に巻かれ、壁に打ち込まれている紅い布はなんだろうか。一種の魔術品のようだが。 いやそうか、結界の魔力の発生源はこのカリバーンか。エクスカリバーの魔力ならさらに結界は盤石なものになる。だがそれではシロウの負担が高すぎる。その点ランクは落ちるが、カリバーンでも十分な魔力炉心として使える。 という事は、カリバーンに巻きついている布は凛が見つけてきたか作ったかした、剣の封印し魔力を流動させるための物か。恐らく壁の武器を包んだ布も同じもの。「これは、アーサー王の選定の剣……。失われたはずのこんな物まで投影するなんて。いや、それよりも中身を伴ったまま今まで存在しているとはなんて技術……」 ガウェインが感慨深げに眺める横で、ランスが前に出た。「ようはホムンクルスどもに有効な武器って事だろ。銃じゃないのが悔やまれるがな」 ランスは無造作に手を伸ばし、突き立った剣をむんずと掴む。「「「――――!!?――――」」」 あまりの突発的な行動に全員の時間が止まったように感じた。「抜くぜー」「ランス! 待ってください!!」「兄さん、何を!!!」 だが、時すでに遅く……、「ん?」 何も起こらなかった。「……何も起きない?」「な、何かまずい事したか。俺」 これで抜けたら、貴方は次期王決定でしたよ……。 ベティを含め、私達は大きくため息を吐く。ガウェインなどその場に崩れ落ちた。「そういえばランスは魔術回路の形成もしていませんでしたね。魔力が流れる訳もありませんか……」「兄さんが魔術師になっていたらと思うと、ゾっとします」「……な、何だよそれ。 にしても……抜けねぇぞ、コイツ」 両手で思いっきり力を込めても、カリバーンは台座から微動だにしない。紅い布でがんじがらめにされているとはいえ、微動だにしないというのは如何な物か。 まさかあの時と同じ呪いのような物が作用しているはずもなし、「ちくしょー。そうだ、試しにセイバーがやってみりゃいいじゃないか」「えっ……」 ランスの一言で背筋が一気に凍る。 当たり前だ。前世において私はこの剣を抜いたために人から外れ、王となって戦いに身を投じた。「ほらほら」 ランスが肩を押して、私をカリバーンの前に立たせる。 否が応にも思い出す記憶。剣の前に立ち、国の為と思い剣を握った記憶、王の責務を果たさんと駆け抜けた日々の記憶。嗅いだ事が無い筈の生々しい戦場の匂いまでが、鼻腔の奥から突き上げてくる。 動悸が、今までに感じた事のないほどに高くなる。 判っているはずだ。案ずる事などない。これはシロウが投影しただけの模造品。いかに神秘を内包しているとはいえ……、「はっ…………はっ…………はっ」 だが、目の前に写るのはあの時の再現。岩に突き立った選定の剣を見ている時とほぼ同じ。 ―――剣を抜いた者がブリテンの王となると、あの男は言った。 右手でカリバーンを握る。初めて握る柄でありながら、一瞬にしてこの手へと馴染んで行く。 ―――剣を引き抜き、王となった私は幾多の戦場を駆け抜けた。 左手も剣の柄に添える。思い出す、この剣の使い方。この剣に掛けた思いの全て。 ―――エクスカリバーへと持ち替えた後も、私は勝利し続けた。……大切な物を一つずつ失いながら。「……でも、抜いちゃって本当にいいんですか?」 その問いが、脳裏に浮かんだ男の言葉と重なり、 私は……両手に力を込めた。 ギッ! 力の入れ方は多くもなく少なくもない。だが剣は…………抜けなかった。「ダメですか。もしかして、柄と鞘だけなんでしょうか」「ちぇ。もし抜いたら今の女王を退けて、セイバーが女王になってたかもしれねぇのに」「当たり前です!!」 茶化すランスの前に詰め寄る。まともに彼らの顔を見る事が出来ない。「私ごときが王の器な訳ないじゃないですか!!」「だろうな。セイバーみたいな性格じゃ、閣僚連中が何も言えずに独裁政権の誕生だ」「この……!」 とりあえず一発殴りつけて私は部屋を出る。「イテェな、コラァ!」 無視してベッドルームに入り、乱暴にドアを閉める。 そして、……膝から崩れ落ちた。「はっ……! はっ、……はっ、はっ!」 動悸が治まらない。押さえつけるように体を抱く。肺が強烈に酸素と冷気を欲しがっている。 極度の緊張が鳥肌を立たせっぱなしにしている。「カリバーンが……抜けなかった」 本当に柄と鞘だけの物だったのだろうか。 台座に固定し、ありったけの魔力を込めただけの魔力炉心だったのだろうか。 凛がシロウに言って台座に完全固定させたのか。 それとも、刃が錆びて鞘にこびり付いたのか。 あるいは、…………私が王としての器を持っていないから、剣が拒絶したのか。「王に……なれない」 前世で騎士王と呼ばれ、幾多の戦場を越えて不敗と言わせた私が……。「考え過ぎ……なのか?」 当然だ。前世は前世、今の私はしがない学生の身で、日本に渡って静かにしていようと決めた放蕩娘。 やった事といえば、小さい頃からありとあらゆる武術を身につけまくり、"競技会荒らし"なんて呼ばれた自慢にもならない逸話だけ。「私は……王じゃない。王族ですらない」 そんな堕落した私を誰が王と見込むものか。誰が勝利など確約するものか。「……ふっ、ふふふふ」 笑えてきた。とんだ道化だ。いくら記憶を持って転生したとはいえ、私の家系は王家との繋がりも無ければ先祖が英雄だったなんていう話も聞いたことがない。 両親はもちろん魔術の事など知りもしないし、代々伝わる宝剣なんていう物も存在しない。 魔術だって、記憶の通りに扱ったらその制御が可能だったというだけ。魔術に適性のある体ですらない。 久々に使ったクリスマスイブのあの時だって、割れるような頭痛がした。私の魔術回路そのものが風王結界を扱うには無理があったのだろう。 それに、さっき結界を破った時から、魔術回路そのものの反応が悪い。逆流してきた魔力との衝突が回路自体をズタズタにしたらしい。魔力の収束がおぼつかず、恐らく風王結界も完全な構成は不可能だろう。身体強化はまだ可能か。 ―――これが、素人が魔術を行使した代償。 拳を握り締める。 逃げ道はもはや無い。肝心のターミナルははるか上。しかも、この場所は四方を完全に塞がれており、脱出する出口が見当たらない。 そして、カリバーンが発する魔力がいつまで続くかも判らない。今まで細々と使い続けた魔力を今は全力ではき出し続けている。どちらの魔力が切れるのが早いかは目に見えている。 あぁ神よ。ここが私の人生の終着点だというのなら、何という皮肉か。 おぉ神よ。私の選んだ道の果てが此所だというのなら、何という身勝手か。 結局最後まで私は誰も守れないまま、あまつさえ衰弱という残酷な責め苦を受けるとは。 私はいい。だが、ランスやガウェイン、ベティだけは助けたい。 だが、魔術師が封印したこの場所から出る方法など、簡単に見つかるとは思えない。 閉じたドアに背を預け、ようやく興奮から治まってきた息を整えながら、私は自嘲気味に笑った。 /// /// ジジジとまるで電気ショックを与えるような感じで、魔力の境界線は拮抗を保っていた。 やる意味も特にないと思うのだが、俺とガウェインは外の見張りだ。「正直な所、これ以上逃げることなんてできゃしないよなぁ……」「物理的に無理ですね。周囲は強力な魔力で覆われた封印。このドームだって、カリバーンの魔力がどれほど持ったとしてもいつかは切れます」 この部屋を覆っている結界の魔力はカリバーンが一手に担っている。 いくらカリバーンに内包された魔力がいかに膨大だろうと限界は来る。そうなった先、彼らが生きていられる道理はない。「進退ここに窮まれり、ってか。よくよく考えてみりゃ訳のわからん最後だよなこれ」「そうですね。僕もこんな場所で最後を迎える事になろうとは思いもしませんでしたよ」「何だ、割に落ち着いてるな」「僕も一介の魔術師ですからね。どんな最後だろうと受け止めなきゃいけないんですよ」「彼女もできてねぇのに難儀だな、おい」「兄さんこそ、だいぶ落ち着いているように見えますが?」「俺はいいのよ。好きな奴の傍で逝けるんだからな」「それもまたえらく達観した意見ですね」「何とでも言えよ……」 ため息を吐いて壁にもたれて座り、傍らに置いた剣を手に取る。 あれほど大量の刀剣があるのだから別に一本くらい拝借しても大丈夫だろ、と持ってきた物だ。「おや、アロンダイトじゃないですか」「アロンダイト?」「サー・ランスロットが使用したとされる名剣ですよ。もっともそれはコピーみたいですけど」「さぁなぁ、俺も適当に引っつかんで持ってきただけだし」 手の中で弄びながら俺はこの漆黒の空間を見つめる。 くしくもこの障壁が押し合う力の余波が若干の照明代わりになっているが、やはり周囲はまったくの真円で包まれたドーム。出口らしき物は皆無。「やれやれ、…………っと」 立ち上がろうと腰をあげたとき、 バシャン……「――――――」「………………」 何か音がした。「何だ今の……、水音?」 バシャン……! まただ。今度は聞き間違いなどではない。 思い当たる節など一つしかない。そして思い当たった途端に、俺の中で溜りに溜った怒りが吹き出して来た。 何だよ、何でなんだよ、しつこいんだよいい加減、うざったいんだよいい加減、どこまで行ってもいつこくしつこくしつこく…………、「しつこいにも程があんだろうがバカヤロウ!!」