「日吉は陸奥という国を知っているかい?」
「いいえ、知りません」
「陸奥守護は伊達左京大夫(さきょうのだいふ)様。
伊達第14代当主にして、奥州守護職も補任されておられる」
「……いだ、て?」
「そして、そのお方にお仕えしていた牧野安芸守様が、……私の以前の主だった」
――――― 戦国奇譚 伊達氏今昔 ―――――
弥四郎曰く(いわく)。
伊達氏は初代が頼朝の平泉征討にて勲功をたて、陸奥伊達群(いだてぐん)を賜ったことに始まる。
以後、鎌倉から室町に幕府が変わる中、北の大地で勢力を伸ばしてきた。
特に将軍足利家とは関係も深く、伊達家当主は名前(諱 いみな)を一文字、代々もらっている。
と、ここまでは歴史の話。
彼自身の過去話は、今から20年ほど遡ったところからだ。
弥四郎の仕えた伊達の当代(今の当主)は、勢いのある人だったそうだ。
当代は将軍から名をもらうと同時に、さらに左京大夫の任官を朝廷から受け、陸奥守護職にもなった。
この官職は従来、奥州探題大崎氏のものだったのだから、それにとって代われたということはすごい出世だろう。
その後も近隣の相馬や最上、葦名などを従えることに成功し、名実ともに伊達は奥州の盟主になる。
「当時はまだ算用方だった安芸守様のもとで元服し、禄をいただけるようになった。
御当主に謁見出来るような身分ではなかったけれど、あの方を尊敬申し上げていた。
幼いながら私も、国元が栄えていることを誇りに思っていたよ」
背後の行李に、懐かしむような視線を弥四郎は少しだけ向けた。
思い出の品でも入っているのかと思いながら、私は黙って耳を傾ける。
「けれど、官位受領のお礼を届ける使者の小者として、私が推薦されたことがきっかけだった。
長旅を経て、都を知り、私はこの人生を選ぶ」
弥四郎は京へ行き、その世界に魅せられた。
寛大な主の許しを得て彼は武士を捨て、そのまま世話になった商家に入る。
もともと伊達家とつながりのあった店は、弥四郎のこともあって陸奥との交易は縁を深める。
弥四郎は淡々と彼の過去を話していく。その言葉にも話の流れにも乱れはない。
しかし、何故かその滑らかな話には微妙な違和感が付きまとい、私は困惑に眉を寄せる。
「おかしなことではない」のなら、最初に尋ねた時のあの沈黙はなんだったのだろう。
平静すぎる語り口も、何かが胸に引っかかりすっきりしない。
「どうした、日吉。
何かわからないところがあったのかい?」
「いいえ……、ただ、」
駿河と違い供もほとんどつけない旅だと聞き、思いついた質問だった。
弥四郎の昔話から、彼が商売ではなく里帰りするのだということは充分わかる。
思っていたよりもずっと詳しくしてくれた話に、なおも正体不明の不審があるとは言い出しにくい。
まして、その不審も焦点が見つからず、どう聞けば知りたいものが知れるのかもよくわからないのだ。
でも曖昧に濁すには、胸がもやもやとして、このままにしておくことも居心地が悪い。
私はピンポイントの質問は諦め、外堀から埋めていくことにする。
「わからない場所」がわからないなら、全体からわかっている部分を引き算していけばいい。
細部のピースの確認から始め、全体像を造り、最後に埋まらない不明部分を原因に絞るという方法だ。
しかし―――。
「あの、その時も、今と同じ道のりで旅を?」
「知りたいのかい?」
「……」
順番に謎を追っていくつもりだったその一発目の質問から、私は何らかの当たりくじを引いてしまったらしい。
すぐに聞き返してきた弥四郎の口元は笑みを刷いているのに、目が笑っていない。
「ははは、本当にお前は鋭いね、日吉。勘がいいのかな。
それに、何でも知りたがることの危険性もわかっているようだ。
駆け引きや交渉では、引き際を見る目はとても大切だ。
言葉の表には現れぬ音を、そうやって聞き取れるお前は商人に向いているよ。
本当は最後の機会だから、伊達にゆかりの分国法の話でもしようと思っていたのだがね。
こうして行李に準備もしていたのだが……。
でもそうだね、私もお前がこの話を聞いて何を考えるのかを知りたい気もする。
ここで聞いたことを人には言わないというなら、話してあげよう」
「はい」
「あの時の旅路のことは、今もよく覚えている。
私達は、国元を出てまずは越後へと向かった。信濃川を渡り、越後の府中に寄った。
姫川を渡り、越後と越中の国境を抜け、常願寺川、神通川、蓮沼の小谷部川を渡って加賀の今港に。
手取川、九頭竜川、木の芽峠を越えて敦賀に至る。
越前近江を抜け、湖北の海津、そこから湖西をまわって京に入った」
「海路は使わず、ずっと陸路を選んで、ということですか?
北陸道を通って行かれたのですね」
「そうだ。
将軍家との御縁戚にある方の使者が陸路を行く。
日吉、お前は、この意味がわかるかい?」
「…………陸路を。
長旅を安全に進むには、手助けしてくださる方々が必要となる。
朝廷への使者という大義への協力者は、各地の守護大名や任官された国人領主達。
彼らのもとを訪ね、頼んでの旅だというならば、それは権威網の再確認を兼ねての?」
この答えは、自分でもかなり飛躍した考えだと思う。
でもこれが、弥四郎の言いたかったことなのだろうと私は直感した。
各地の大名がそれぞれ力をつけてきている時代。
各自が勢力を独立させ隣国と奪いあうなか、地方の領地や年貢の取り決めには朝廷の力が薄れて久しい。
でも、まだ何もかも意味がなくなったわけではないことを、私はすでに弥四郎から学んでいた。
それに考え合わせ、国を跨ぐ使者がわざわざ陸路を取ることの「必要性」を考えれば、ここに辿りつく。
当主個人の伝手だけで各国に渡る協力者が募れるほどなら、伊達が天下に打って出ていてもおかしくはない。
けれどそれはされていないのだから、別のバックがあると考える方が妥当だ。
「世話になった商家」がからむのは先の話からもわかるが、でもまだこの時代の商業は黒幕になれるほどの円熟はない。
ならば後は、これまで出てきた話題から差し引けば、残るのは一つだけ。
「朝廷と幕府への使者」という大義名分。
これを理由に伊達は沿道の在地大名や国人達の協力を引き出した。
ならば、この権力の構図はまだ完全に断たれているわけではないということ。
朝廷や幕府の権威が実質的な力を未だ有していることを、私は彼の話から嗅ぎとった。
そして、弥四郎の話から導き出した結論は同時に、私を、彼に抱いた違和感の源へも辿りつかせる。
それは「では、私の前で講義をしているこの人の立場はなんだろう」という疑問だ。
幕府と伊達を結ぶ線上に介在する商家に入った、もと伊達の武士。
京という幕府の膝元に居てなお、ずっと故郷とのつながりを断たなかったこの人はただの商人といえるのか。
心を遠く今も陸奥の地に預けているように見えるこの弥四郎は、本当に自分から望んで商人になったのか。
くぅちゃんに言われて持ちだした疑問が、具体性を帯び改めて心に浮ぶ。
彼の話を考えれば考えるほど、そうして浮かんだ疑念を私は隠しきれない。
揺れる視線から私の気持ちを読み取ったらしき弥四郎も、一つため息を吐いて目をそらす。
私が彼の考えを読めるなら、逆もまた然りだ。
「日吉。
お前のその目には、何が見えているのだろうね。
考えを知りたいと思ったのは私だが、同時に恐ろしくも思うよ。
その幼さで、聞いたことの十先をお前は読んでしまう。
お前のような生き物を……。野に放つのは、危険なことなのかもしれない。
ここで切ることが、正しいのやもしれない。
けれど、切れない私は、やはり商人なのだろうな」
「……ごめんなさい」
「いいや、私は武士をやめたのだから、それでいいのだろう。繰り言だった。
悪いことを言ったのは私の方だ。そんな顔をしなくてもいい。
ただ、私はお前を少し不憫にも思う。
お前のその鋭さは両刃の刃だ。
賢くあることが、全ての利点につながるとは限らない。
それを好むものと同じくらい、疎ましく思うものもいる。
だから、賢さをひけらかすことはやめなさい。
お前は、言葉を引くことを知っているだろう。
同じように、その鋭さを隠す術も持つといい」
「はい。ありがとうございます、弥四郎さま。
でもどうして、そこまで私に話してくれたのですか?
たくさん教えてくれるのですか?」
弥四郎の忠告は、私を案じる心のこもった親身なものだ。
本来なら私のような特に関わりもない赤の他人に与えるには過ぎた言葉ばかり。
ありがたいと思い感謝しながらも、因果な私は尋ねずにはいられない。
弥四郎は目の前にいる私ではない何かを見るように微笑んだ。
こちらを向いているのに、見つめても合わない視線が、遠い。
「そうだな。
理由の一つは、お前がそうして真剣に私の話を聞いてくれるからだろう。
体が小柄だからか、お前の目はとても印象がつよい。
その大きな目に見据えられ、身を乗り出すようにして聞かれると、いつの間にか話に熱が入ってしまう。
私はね、何度も手習いの講義をしながら、お前の歳を忘れたよ。
でも興が乗りすぎ難しい話をしたことに気づいても、お前は最後までじっと聞いてくれていた。
真摯に耳を傾けてくれると思わせる相手に、人は心の内を話したくなってしまうものだ。
それと、もう一つは。
誰かに、託して行きたくなったからだろう。
私はこれまで子も弟子もつくらなかった。
選んだ人生を後悔はしていない。
けれど、私が学んだことを伝える相手がいないことを、今になって少し残念に思っていた。
この旅でお前という生徒を得られたのは、何よりの僥倖(ぎょうこう)だった」
「……。
弥四郎さまは……、もう、京には帰られないのですか」
「お前はまったく。
今、鋭さは隠せと言ったばかりだろう?
言葉の裏を読むのはいいが、それを表に出すことは考えなさい、と。
お前は私にとって奇貨だった。この話はそれでいい。
―――ああ、でも、最後にもう一つだけ。お前に大事なことを教え忘れていたようだ。
日吉、いいかい。
人というものは、必ずしも利で動くのではないということを忘れるな。
律(法)を与え、理(ことわり)を説いても、人の心を完全に縛ることは誰にもできない。
愚かとわかっていても、時にそれを選んでしまうのが人の性(さが)だということを、覚えておくといい」
私の人生最初の師となった弥四郎は、最後の授業の言葉をそう締めくくった。
そしてこれはずっと後のことになるが、私は彼が向かった当時の陸奥の情勢を知ることができた。
伊達はこの4年ほど前(天文11年)から、内乱の中にあった。
伊達左京大夫稙宗は三男を越後守護・上杉家の嗣子(後継者)にしようとして長男に離反される。
多くの国人を巻き込み奥州を割った乱は、稙宗方が降伏、家督を譲ることによってその幕を閉じる。
多くの火種を残したまま一応の決着を得たのは、天文17年のこと。
遠い異郷の地での戦の話を、あの時褒められた姿勢で私は熱心に聞いた。
でも、東白屋にいた弥四郎という男がその先どうなったのかという話を伝える者はいない。