久しぶりに見る皆の顔。
振り返ればあっという間だった気もするけれど、半年近く一座とは離れていたことになる。
再会に喜びはしゃいでいると、早蕨太夫がこっそり教えてくれた。
「二人のことは、人伝に何度も話は聞いていたのよ。
それに、じつは年が明けてすぐの頃、皆で会いに行ったの。
声をかけなかったのは、頑張ってるみたいだから見るだけにしようって。
あなた達が「汐くみ」を唄いながら水汲みをしてるのを、遠くからだけど見たわ。
でも似てはいるけれど…。
あの少しずれた発想は、絶対日吉でしょ?
かわいらしいやら可笑しいやらで皆わらいが止まらなくて、隠れてるのが大変だったんだから」
――――― 戦国奇譚 津島 ―――――
「汐くみ」とは、塩をつくるときに海水を汲んで、塩田や塩畑と呼ばれる砂利の上に撒く作業のこと。
以前の駿河までの道行きで、出会い仲良くなった塩座商人の下人達に教えてもらった歌だった。
姉さん方と遊べるほど余裕のない人達と、なぞなぞやしりとり、歌合戦などをして私はよく時間を潰していたのだ。
その時に覚えたのがこれ。歌詞も掛け声と合いの手だけの素朴な労働歌だ。
でも、カエルの歌をまねて輪唱にするとちょっと面白い。
発声練習だとくぅちゃんを説き伏せ、そういえば毎回水汲みの作業で唄っていた記憶がある。
井戸ではなく近くの川から仕事に使う水を運ぶ道すがら、この歌を唄うのが定番だった。
「あれは、でもえっと、遊んでたわけじゃなくて、その…」
「わかってるわ。
あなた達が慣れない仕事でも、一生懸命頑張ってたことはね。
日吉……。鍛冶の親方がね、座長に話してた。
この仕事していて、あんなに尊敬してもらえたのは初めてだって。
鍛冶の鍛える「鉄」はただの「モノ」ではなくて、百姓の生活を支える命綱だと言われたんだって」
早蕨太夫の口にしたそのフレーズにも、身に覚えがあった。
くぅちゃんと二人で話していたことを、どうやら聞かれていたらしい。
どこで何をしてもなんだかみんなつつ抜けになっているようで、私は恥ずかしくて顔が熱くなる。
「若い徒弟が、それを聞いて泣いたそうよ。
鍛冶の華は、刀打ちですものね。
あこがれる者は多くても、成りたくても皆がみな成れるわけではないから。
選ぶ道を変えて、村鍛冶になる者達もいるわ。
けれど、力ある刀匠にでもならない限り、名を馳せる者などいないでしょう?
私に鍛冶の気持ちはわからないけれど、それを口惜しく思うこともあるんじゃないかしら。
若いなら、なおさら迷いや悩みもたくさん抱えるものだとも思うし。
でもね、
……一つの土を耕す鍬が、一つの家族の命を繋ぐ。
それは長い時間の中で、命は命をつむぎ、やがて幾千の人の暮らしそのものになる。
人の営みが何百年たっても失われず、変わらず続いていくための大切な礎。
この国を支えているのは、小さな町や村の職人たちのたゆまない努力と日々の仕事。
『鍬も鋤もハサミも針も、包丁も。
傍にあるのが当たり前の顔をして、皆の生活をいつも助けてるんだよ、かっこいいよね』、って。
誰に知られなくても、自分の仕事を誇りに思う。
それは、本当は何年もその仕事を続けていくなかで覚えるものなのだとか。
なのにあなた達が来たせいで親方の弟子は、たった半年足らずで志は一人前になっちゃったんですって」
太夫の話に思い浮かんだのは、細身ながら腕と肩の筋肉が印象的だった一人の青年だ。
同僚と言うにも向こうは正式な徒弟さんであったし、歳も離れていたから直接話をした記憶はあまりない。
彼は確かにまだ親方に比べれば若かったようだけれど、とても職人らしい真面目な雰囲気の人に見えていた。
それがこんな、今聞いたような悩みを抱えていたり、それをふっ切ったりしていたとは全然知らなかった。
話を聞かれてしまった恥ずかしさを通り過ぎて、ちょっと唖然としてしまう。
あれはくぅちゃんを励ます為に選んだ言葉で、他の人に聞かせる気はまったくなかった。
前世でよく見ていた某国営放送・職人ものXシリーズのノリをまね、勢いで熱く語ってしまったのだ。
「あの、親方は?
私、そんなつもりじゃなくて。鍛冶についてもまだ何も知らなくて。
素人が知ってる村のこととかからだけで、それが全てみたいに話したらそれって、」
「逆ね、それが良かったのよ。
あなたの言葉が、嘘には聞こえなかったっていうこと。
誤魔化しやおべっかで言われているのか、本気で言ってもらえているのかはわかるもの。
親方自身もね、きっと嬉しかったんだと思うわ。話す顔が違ってたって。
そう、あなた達のこと、とても気に入ってくれてたわよ。
お礼に行った座長が『譲ってくれないか』ってすごく熱心に交渉されちゃったくらいにね。
もちろん『日吉はうちの子だからあげません』て、みんなで断ったけど。
でも…、もしかして鍛冶師になりたかった?」
慌てて首を振ると、早蕨大夫は艶やかに微笑んで私の背中を皆の方にやわらかく押し出す。
話し込んでいた私達に痺れを切らした仲間たちが、手を振り呼んでいる。
「よかった。
ほら、行きましょう。呼んでるわ。
私が独り占めしてるって思われちゃう」
「そうよぉ、独り占めはずるいわよ。
二人がいなくて、私達だってとっても寂しかったんだから。
とくに「あれ」とか「これ」とか突然言い出す子がいないと、毎日張り合いなくて。
それに、いつも日吉は私達を褒めてくれてたじゃない?
あれが聞けないとなんだか踊りの切れも悪いって、他の太夫達もねぇ」
左右に並び、私の両手をとって引いてくれる太夫達。
これは連行される宇宙人……ではなく、両手に花と喜ぶべき状態なのだろう。
「ふふっ、『両手に花』、か。
かわらないわね、日吉」
「そうそう、こうでなくちゃ。
鍛冶師になんかなったらもったいないわ。
この小さな体の中には、甘い言葉がいっぱい詰まってるんだもの。
日吉の才は絶対こっち向きよ」
「……早蕨太夫、志野太夫。
私、そんなにいつも褒めてるの?
さっきのもそうだけど。自分じゃ、あまりそういうこと言ってるつもりは全然ないんだよ」
「そうなの?
だって、いつも花を見つけては綺麗、星を探しては綺麗、『…でも太夫達が一番』でしょ?
『青空に一文字。あの雲は、舞の時の太夫の指先がすうっと描いた線みたい』
『皆の扇子が揃って翻るのを見ると、川の漣に光が散ってきらきらするのが思い浮かぶの』
それから、あとは何があったかしら?」
「日吉語録なら任せて。
『山で深い緑に霧がかるなかに見つけた山百合の、夕焼けの海みたいな…』」
「うわぁ、わぁ、もおいいです。
恥ずかしい、すっごい恥ずかしい。
あああ、お願い、それ以上言わないで!」
「もぉ、これからがいいとこなのに。
そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない。
私は日吉が次に何を言ってくれるのかなって、いつも楽しみにしているんだから。
あなたは、日ごろから『綺麗なもの大好き』って宣言していて。
それでほんとにいっぱい綺麗なものを見つけてきて、私達に教えてくれるでしょう。
幼くてもすごい目利きだってこと、皆知ってるもの」
好きな相手に好きでいてもらえるのは嬉しいし、センスを認めてもらえるのもありがたい。
でも、夜中に描いたラブレターを読み上げられているようなこの気持ちがわかるだろうか。
自分が口に出した時は意識していなかったから気にならなくても、人に聞かされるにはインパクトが強すぎる。
恥ずかしすぎて、聞き流すか、聞いてもすぐ忘れてほしかったと思わずにはいられない。
耳をふさごうにも手はあいていないからできず、私は体を縮めて内心の羞恥にもだえる。
それなのに太夫達は、「そんなあなただからこそ褒めてくれるのが嬉しいのだ」と、繋いだ両手を揺らして笑うのだ。
集りの輪の中に入れば、私は座の皆に入れ換わり声をかけられる。
くぅちゃんも三国太夫に寄り添って話し、甘えているのがうかがえた。
聞かれるまま鍛冶師のところでの様子を話しながら、冬の間、私は自分達のことで手いっぱいだったことを思う。
しかし座長達は、その間も私達についていろいろと考えてくれていたらしい。
太夫達が口をそろえて、「あなた達のことばかり考えてた」と言うのも思わず肯いてしまうほど。
皆からでる話題の半分以上が、彼らの傍にはいなかったはずの私やくぅちゃんのことだった。
例えば、私が興味を持ったから勧めた鍛冶の仕事にしても、別の仕事の方が良かったのではないかと話し合ったとか。
案もいくつか上がって、刺繍などがその一例だ。
女仕事だし、古典文様をいくつか刺せるようになれば、大きな家でも雇ってもらえるのがメリット。
問題は、名手ともなればどこの家も大切に抱え込んで出さないようにするから、良い先生を見つけるのが難しいこと。
それに習得にも時間がかかる……、など反論も口調も熱くなったのだとか。
あとは、昨年の歳の暮れに小六郎おじさんが一座までわざわざ見に来てくれたことも聞かされた。
小六は仕事でもともと無理だったらしいが、二人とも私達に会えなかったことをとても残念だと言ってくれたそうだ。
次回来る時も職業研修をするなら斡旋は任せてくれと、上手く話され先約をとりつけられてしまったことなど。
空白の時間を埋める、言葉は尽きなかった。
一座の皆と共に、私達は津島五ケ村の入り口の村から、湊のある池の端に向かう。
二年前の私は、まだ幼いことを理由にここまで来ることはなかった。
今、津島は初夏を迎え、祭りの準備にどこも華やいでいる。
水量豊かな天王川から網の目のように張り巡らされた水路。
川から入る大きな松原の池には船着き場がつくられ、町方によって吊るされた祭礼用の提灯がゆれる。
米之座・苧之座が出す陸車、「山」で行われるカラクリの演目を辻で声高に解説する者達。
他三村が競うように造る船飾りの職人達が屋台に集まり食事をとり、笹踊りをまねて遊ぶ子供達が道を駆けていく。
祭りの本番は、私達はよそ者なので村中では勝手に興行をすることはできない。
けれどこの村の様子を見れば、当日のにぎわいを充分に想像できた。
準備に活気づくこの場所で、後一度、私達を入れて最後の仕事をしたら、一座は出立する予定だった。
私はくぅちゃんと一緒に村の見物がてら、練習と宣伝を兼ねて川沿いを唄いながら歩く。
あの有名な「とおりゃんせ とおりゃんせ」で始まる童謡だ。
この歌は厄払いに牛頭天王に詣でる歌ともいわれるから、津島の祭神とも重なり、ぴったりだろうと私が選んだ。
簡単な軽技の真似ごとで人目を集め、唄っては道行く人々を眺める。
高く結われた髪の男性が通ると、つい自分の目がいってしまうのに気づくとおかしかった。
彼はすでに元服しているはずで、立派な武士になったならこんなところで遊んでいるはずもないのに。
二年前に、この上流の河原で再会の約束を交わした吉法師。
私が彼に会いに行けるのはまだまだ先だろう。
まだたくさん学ぶべきことがあることを、私自身が一番よく知っている。
そして、数日後。
……織田家の嫡男は自由闊達。
祭り当日、彼が飛び入り参加で衆目を賑わせたと言う噂の追い風が背に届く前に。
私達一座は、再び尾張を旅立った。
*歴史と言われると、つい有名な事件や人物に目がいきます。
ですが、多くの無名の人だって時代を動かしている。
それに資料を読みこんでも、人の心の奥までは誰にもわかりません。
知識の向こう側は想像ですが、楽しんでもらえると嬉しいです。
くぅちゃんは……、ずっと一緒にいられるヒロインではありません。
でも、日吉の選べない人生を歩く重要な登場人物。離れても必ず再会します。
他のヒロインも合わせ、日吉は女性が人生不可欠な人ですから。
もちろん、数あるフラグも将来必須です。