短かった夏が終わり、忙しい秋も足早に過ぎていく。
冬の来る前に、戦に行った者達が帰ってくる。それを村の誰もが待ち望んでいた。
しかし、戦という命の取り合いの前に、全員が無傷の帰還はあり得ない。
軽い怪我で無事帰る幸運な者は少なく、大きな傷を負っても故郷まで帰り来られたならまだ幸せなうちだ。
無事を願って送りだした者の半分が、帰っては来なかった。
家族の体を抱いて喜ぶ者達の間には、同じくらい泣き崩れる者の影がある。
私達が待ち望んだ姿もそこにはなく、手元に帰って来たのは、壊れた陣笠と火打ち石の入った小袋一つだけだった。
――――― 戦国奇譚 旅立ち ―――――
最後の方の合戦で、父は亡くなったと聞く。
今年分の賦役はそこまでの働きでまかなえたし、年貢も父の報酬で間に合うから大丈夫だと村長は言った。
そしてそれが、父の残してくれたすべてだった。
形見となったわずか二つの品以外、何一つ私達の手には渡らない。父も、もう還ってはこないのだ。
いち と まく の家族もすでに自分の家に戻り、我が家には私達三人だけが取り残される。
私の大事な家族は、寂しい目をした母と泣きそうに眉を寄せた姉の二人だけ。
父の死は伝聞で、死んだと聞かされても直接死体を目にしたわけではない。
だから、遠くにいる父が、そのうち戻ってくるのではないかと思いたくなる。
でも、そんな空想に逃げる時間さえ私達には与えられない。
悲しくても、気力がたりていなくても、働かなければ食べてはいけないという現実が目の前にある。
厳しい冬が、すぐにやって来る。
女手だけで冬支度をするのが難しいのはわかってはいるが、何もせずでは死を待つようなものだ。
秋に収穫できた量は明らかに例年を下回り、冬を越しきるにはあまりにも心もとない。
貯えの足りなさに不安は拭えなくても、しかし、泣きごとを言ったところで現状は変わらない。
冬の備えを急ぐ私達は、父のことを避けるように口数を減らしていった。
笑うことも話すことも忘れた家の中、子守りから解放された私は今まで以上に一生懸命働いた。
前世のサバイバル知識や野外キャンプの思い出を絞りだせるだけ絞りだし、何でも試してみた。
例えば、魚罠などは、十種近くを仕掛けただろうか。
うろ覚えの知識だから実際役に立ったのはそのうちの三つくらいだが、それなりの成果を上げることはできた。
そうして、食べる以上に取った魚は腸を抜き、山の朽木の洞をそのまま利用して燻製にする。
日干しか塩漬けがこのあたりでは一般的なので異質とみられたようだが、かまう気もその暇もない。
夜ごと家に帰らなければならない、幼いこの身さえ煩わしかった。
焦る心を持て余しながら、長期の保存を考え何度も重ねて煙にあてていく。
私の心は、「一つでも多く冬の食料を貯める」ということだけに占められていた。
がむしゃらに、ひたすらに、わき目もふらず、私は仕事に没頭した。
父のいなくなった穴を埋めようと、ただその一心で働き続けた。
教えてもいないことを次々にやりだす娘に、困惑を深める母。
今まで聞いたこともない知識を口にする妹に、姉が怯えた目さえ向け始めていたことにも気づかないほどに――。
父の死のショックから一番抜け出せずにいたのが、私だったのかもしれない。
私は仕事を、現実の悲しみから目を閉ざす口実にしていたのだ。
――結果、その未熟さと心の弱さから、私は知らぬ間にさらに失敗を重ねていくことになる。
その日、宵の口から細い月が、西の空にかかっていた。
日中いっぱいを働き通せば、横になったとたん落ちるように睡魔はやってくる。
三秒以下で眠りにつき、夜明け前には必ず起きる私の眠りは深い。
そんなめったなことでは起きない私が、何故か夜半に目が覚めた。
半覚醒で隣に姉がいることを確認し、まだ夜なことも確認し、もう一度眠ろうとして……、一瞬、呼吸を忘れる。
家の中に、私と、母と、姉、以外の誰かがいる。
「泥棒」という言葉が、すぐに浮かぶ。
こんな貧乏な家から取れるものなど何もないが、私の記憶がそう判断させた。
他人の家に夜中に黙って入ってくる存在など、強盗か泥棒しか私は知らない。
寝床に伏せたまま息を殺し、そっと窺えば、相手は一人。
警察に通じる電話も警報機も、この時代にはない。頼れるものは自分だけだ。
暗がりで見える影は朧だが、たぶん大人の男だろう。
体格差から見ても、まともにやり合えば私に勝機はない。
隙を狙い、一撃で相手が退却したくなるような手傷を負わせる必要がある。
姉や母まで失ってしまうかもしれないという恐怖が、私から理性を奪う。
守らなければ、守らなければと、その思いだけが胸に渦巻く。
私は父に「母と姉を守る」と約束したのだ。
そのための方法を必死に考え、私は闇に眼を凝らす。
こんなことなら農具の一つも枕もとに置いておけばよかったと悔やんでも後の祭り。
手近に使えそうなものといえば、補強しなおした壁から出ている枝くらいだろうか。
あれを引き抜き、敵のどこへと向ければ一番効率がいいかを考える。 それは、首か。それとも、腹か。
行動の結果が何をもたらすかを忘れ、私は相手に気づかれないよう静かに、少しずつ枝へと手を伸ばす。
打ち下ろすならば首、刺すなら腹にと決め、闇の中触れた枝は、刺すには太い。 ならば、打とう。
私は枝を引き抜いて、振り上げる。
その時。ため息のような、微かな母の声がした。
耳にした声音の色に、生まれた迷いが手元を狂わせる。
枝は相手の首後ろではなく、頭にあたった。
打撃は加えられたが、5歳児の一撃では致命傷にはなりえない。
反撃に蹴り飛ばされ、腕を上げて防ぎ後ろに身を引いたがそれぐらいでは間に合わず、私は板壁へと叩きつけられる。
衝撃に気を失いかけながら、名を呼ぶ母の悲鳴を聞いた。
少しの成功でいい気になって、私は自分が何でもできるような気がしていたのだろう。
前世の知識というこの世界の人達が持てないものを持って、特別になった気でいたのかもしれない。
多少人と違うことができたところで、万能になどなれはしないのに。
現実を見失った私は、ただの馬鹿だった。
5歳のこの手はまだ小さく、どんなに知恵を力を振り絞ったところで、誰か守りきる力などなかったのだ。
私が冷静に周囲を見つめ、物事を考えていれば、母が何を決断し何を選んだかもちゃんとわかっていたはずだ。
なのに、愚かな私は……。一人空回りをして、大切な人達を傷つけることしかできなかった。
――― 冬半ば。年明けを待たずに、母は再婚する。
私が村から出る許しを得ようと心に決めたのは、このすぐ後のことだ。
そして、翌年、6歳の春。私の旅立ちは決まる。
しかし、当然ながらこの歳で自立はまだ出来ない。
私が男だったなら、寺に入るという手っ取り早い方法もあったが、それは無理。
どこか奉公(手伝い)に行くにしても、普通は10歳にでもならなければ雇い口などなく、これも不可能。
ならばどうしてこんな非常識が可能になったかというと、それが驚いたことに義父(ちち)の伝手からだった。
私と義父の相性は悲しいことに最悪だったけれど、彼はそう悪い人ではなかった。
義父はこの村の出身だが跡継ぎではなかったせいで、戦働きによく出る人だったらしい。
実績があり顔も広く、村の衆が戦に行く時には、つなぎ役を頼まれていたほどだそうだ。
彼は、戦に不慣れな村衆をまとめるだけの技量のある男。
母が選んだのは、不仲の娘にもできるだけ誠実に対応してくれようとする人だった。
義父は私の望みに対し、「村を出て、何がしたいのか」と尋ねてくれもした。
私の返せた答えは、ただ一つ。
「外の世界を、知りたい」
望みを聞かれた時、私の心は、抑える間もなく本音をさらけ出していた。
テレビも新聞もネットもない世界。入ってくる新しい知識は、生きることに関する実践だけ。
それでも、愛し愛された家族がいれば、かまわなかった。
自分が生きることと、皆が生きることを考えて、日々を送るだけで十分満たされていた。
けれど、その枷を失った時。果てしない情報への渇望を、私は知る。
かつては、呼吸するように欲しい知識を手に入れることができた。
パソコンを開けばネットの海があり、書籍をはじめ様々な知識媒体を利用することが可能だった。
「何故?」と思えば、努力次第で答えは必ず手に入る。それは、どんなに恵まれたことだっただろうか。
生きるために、食べるために、働くことに不満はない。
貧しい暮らしも、低い文化水準も気にならない。
でも、もし一つでも我儘が許されるなら、私は情報が欲しかった。
自分でも気づいていなかったが、どうやら私は衣食住のどれよりも知識に重きを置いていたらしい。
前世を忘れられない私にとって、情報の少なさは水を与えられないことにも等しかった。
気づかぬうちにも渇き続けた5年間、相容れぬ義父に願ってしまうほど、私は飢えていた。
例え義父と折り合いが悪くても、村内で生きていくという方法がなかったわけではない。
あと3年も待てば、女なら「許嫁」という理由でもつけて、早めに嫁ぎ先を決めることもできる。
なのにこの幼い姿で尚、そんな当たり前の考えの向こうを望んでしまう私は、やはりどうしようもなく異質な存在だった。
そして、そんな無茶な私の願いを、義父は叶えてくれたのだ。
母には大反対をされたけれど、私はとても感謝している。
私の旅の仲間として義父が紹介してくれたのは、傀儡子(くぐつ)の一座。
彼らは歌をうたい、踊りをおどり、諸国を流れる旅芸人達だ。
メインはもちろん傀儡子と呼ばれる糸引きの操り人形を躍らせること。
他の芸も多彩で、「今様(いまよう)」に「古川様(ふるかわよう)」、「催馬楽(さいばら)」に「神歌」まで歌えるそうだ。
琵琶(びわ)を弾きこなし、曲舞(くせまい)を舞う。
曲芸軽業までもやってのけるそうで、まるで和製の巡業サーカスのような感じ、と言えば近いかもしれない。
反対された理由はたぶん……、踊りを見せるお姉さま方が、夜の商売兼用だったりすることからだろう。
あるいは、傀儡子を入れる箱の底に、「座」外の荷を運ぶ、抜け荷商人であることも多いからだろうか。
旅に歩けば危険も増すし、親としてあまり娘に勧めたくないお仕事なのは、まあわからないでもない。
でも、私は、とても嬉しかった。
旅をする彼らは、生きた情報の塊だ。
一つ所にとどまり、一農民として生きたなら決して手に入らない世界を、彼らは私に与えてくれる。
あいさつに来た座長によって、私は自分の住む国の名前を初めて知ったのだ。
今の生活のままでいたら、私は一生この村の名しか知れずに生きたかも知れないのに。
一座は今後、この尾張という国を出て、海沿いに三河を歩き、遠江へと向かうと言う。
川を逆のぼって信濃を廻り、美濃にも行くかもしれないと座長は笑っていた。
彼らについて行けば、私はもっと、もっとたくさんのものを見て、たくさんのことを知ることができるだろう。
……だから、義父が私と引き換えに、お金をもらっていたとしても気にしない。
そのお金で、母と姉が少しでも楽な暮らしができるのなら、かまわない。
それでちゃんとご飯が食べられて、二人が生きていけるのなら、私も幸せだし満足できる。
離れていても家族は、家族。
遠くに行っても、皆の明日を、私は祈れるだろう。
澄みきった青空高く、舞い上がるひばりの声がする。
冬の名残を吹き払うような春風の吹く日。私は、生まれ育ったこの小さな村を出て行く。
見送りには母と姉と義父、それに、いち と まく の家族が来てくれた。
いち と まく は、私の手を両側から握り、「行くな」と言って泣いている。
彼らと一緒に暮らしたのは、数えてみれば4ヶ月ほど。
こんなに慕ってくれていたとは思わず、泣かずに別れようとしていたのに目頭が熱くなる。
大きくなったらまた会おうと約束し、教えたことは忘れるなと言って、私は彼らの手を放した。
言葉に詰まる姉を一度強く抱きしめ、母と義父に頭を下げ、背を向ける。
私は村境まで駆けていく。
泣き顔ではなく元気な背中だけを……、覚えていてほしかった。
踏み出すごとに、私用に作られた小さな背負子をかたかた鳴らすのは、実父の形見の火打ち石。
背負子の横で揺れる一組の予備の草鞋は、母の餞別だ。
村境で合流した一座と共に、私はさっそく教わった歌を唄いながら歩き出す。この道の先に、新しい世界がある。