「馬に乗る時は、右からだ」
「何で右……?
ああ、刀があるから?」
「そうだ。
刀は左の腰に吊る。
だから左から乗ろうとすれば、」
「わゎ、実践はいいです、しなくていいですから!」
「そうか?
見た方が覚えやすいと思うが」
「ありがとうございます。
でも、見なくても大丈夫です。ちゃんと覚えました」
――――― 戦国奇譚 新生活 ―――――
私はつい先日、狭霧の外出訓練を機に、佐吉という青年と知り合っていた。
彼は、実はそれ以前から、私達の世話の一端を担っていた人だった。
がしかし、今までお互いの個人的な事情から接触する機会がなかった。
話し合う時間が持てたことで、私と彼は互いの立場や心情の一部を知り、歩み寄るきっかけをつかむ。
軍馬から農耕馬へ転職を決めた狭霧は、体力づくりの散歩が日課の一つになった。
最初の訓練だけではなく、それ以後も佐吉は何度となく狭霧に付き合ってくれる。
私も一緒に歩くので、いつの間にか彼と話すことにも慣れて行く。
私と佐吉との間に出る話題は、馬のことばかりだ。
私がスキンケアや餌の工夫について話し、佐吉は躾や訓練、乗馬の作法の話しをする。
以前の大暴露以降は、お互いの心情に踏み込むことはない。
けれど、顔を合わせ話す回数も増えれば、相手をよく知るようになる。馴染みもするし情も湧いてくる。
佐吉は、ちょっと頭の固いところがあるけれど、とても実直で誠実な人だった。
狭霧とのこれまでの訓練話を聞いていると、それがよくわかる。
例えば、音に敏感な馬を馴らすこと一つをとっても、時間と手間がたくさん必要だ。
初めは小さな竹を振り、風を切る音を聞かせるところから始めるらしい。
そこから少しずつ音に馴らし、最後には長い竹で周囲を叩きまわっても、大声あげても逃げないようにまでする。
教える人間が地道な努力に飽きて、馬の「慣れ」よりも大きな音を聞かせ怯えさせたら、すべて水の泡。
草食獣にとって「命にかかわる危険(異音)を無視すること」を教えるには、指導者の忍耐が必要だった。
長い訓練を乗り越え、軍馬として優秀に育った狭霧はすごい。
そして、そんな彼女を作り上げた佐吉もすごい。
彼らの絆の深さの理由を知れば、ライバルとしてより先達に対する尊敬を強く感じるようになる。
佐吉は気の利いた冗談や面白い話はできないけれど、彼の武士に拘る情熱は本物だ。
話を重ねるごとに、私の佐吉に対する見方は変わっていく。
彼の方も、私の創ったブラシに強い関心と興味があったらしい。
気持ちが一方通行ではなかったことは、幸運だったと思う。
軍馬は見栄えも大事なのに、それについては苦手だったそうだ。それはそれで彼らしいと思う。
「もっと頑張ればよかった」と口には出さなくても、顔にしっかり書いてある。
艶やかな毛並みを何度も撫でて、私に隠れてこっそり悔しがっていたのが、微笑ましかった。
会話も楽しめるようになった散歩は、川以外にも、まだ水の入っていない田などにも行き先を向けた。
狭霧の調子が整ってくると、仕事の話題も出るようになる。
春に外で行う一番作業は、「田起こし」だ。
冬の間放置していた田畑に鋤を入れ、固まっていた土を耕していく作業だ。
その後は、田に水をはっても流れてしまわないようにしっかり畔(あぜ)を直し、水を入れる。
田に水が入り、土が柔らかくなったら、肥料の切り藁などが水面に浮き出さないように踏み込みを行う。
水田が落ち着き、暖かさが揃ったら田植え。苗は、苗代(なわしろ)で別に育てておいたものを使う。
狭霧に任される仕事は、「田起こし」と「肥踏み」の二つ。
私も時期が来たら田に一緒に行って、微力ながらお手伝いをしようと思っていた。
しかし、そのささやかな予定が実現する前に、佐吉がある提案を持ってくる。
「えっ、引っ越しって……。
今のままでも、不便はないですけど」
「いや、あるだろう」
「だから、「ないです」って、今……。
……あの、もしかして、もう決定なんですか?」
「明日には移って来ると、皆には話してある。
家は、北東の林の傍だ。低い垣根がるのが目印だ」
「明日?
顔合わせしてからではなく?」
「運ぶ荷があるなら、手伝いに来るが」
「私の荷物はありません。
狭霧達も一緒ですよね?」
「ああ。
向こうの家にも厩はある。
すでに支度も済んでいる」
事後承諾、ってことらしい。
話に付き合って馴染んだ結果、すっかり遠慮がなくなってしまってこれだ。
他の人達の承諾を得て準備も終わっている、と言われれば今更断ることは出来ない。
がしかし、話した翌日が、「引っ越し」当日なのは、いきなり過ぎる。
あまりにもさらりと話題に出されたので、最初は聞き間違えたかと思ってしまったくらいだ。
でも、それは佐吉の下手な冗談ではなく、本当の話だった。
彼は日課の散歩の終わりに、「ついで」だと言って、ブラシを一揃い抱えて帰って行った。
翌日。私は狭霧達母仔と連れだって、新しい居候(いそうろう)先に向かう。
家は佐吉の話どおり、私の居た場所とは真反対に位置する北東の小山になった林の前にあった。
一族あげて戦に向かった石川氏の村は、今、女子供ばかりしかいない。村は無防備だ。
村中央の大きな家を使わなかった理由も、やはりいざという時逃げやすいようにという用心のためなのだろう。
私のことも守るべき一員に数えてもらえたのなら、突然の引っ越しでも、文句を言っては罰が当たる。
以外に面倒見もいい佐吉のことを考えれば、説明不足でわかりにくいがそれが正解に思えた。
初めて中まで足を踏み入れた村は静かだった。
ところが、目的の家の前まで来れば、耳を澄まさなくてもうるさいほどの人の声が聞こえてくる。
子供の声、赤ちゃんの泣き声、お母さんの怒鳴り声。
風や水の音とは違う、ずっと自己主張の激しい音の洪水に、私の心音も高まる。
私の肩ほどの高さの即席らしい垣根を家の半分ほど周り、門が見えたところまで進んで、足が止まった。
目に入ったのは、こちらを見つめる知らない顔、顔、顔。
驚く私の前に、待っていてくれているはずの佐吉ではなく、幼い子供達が先を競うように飛び出してくる。
そして、一斉に囀り(さえずり)始める。
「だれ?」
「なに者だ」
「馬だ!」
「仔馬もいる」
「知ってる。見たことあるよ」
「ほんと? 知らないよ、初めて見る」
「よその子? 菊ちゃんと同じ?」
「菊ちゃんはよその子じゃないよ。
菊ちゃんのお母さんは、太助のお姉ちゃんだって言ってたもん」
「太助にお姉ちゃんなんていた?」
「知らない。でも、いるって母ちゃんも言ってた」
「えー? 聞いてない」
「寛太、嫌い。すぐ菊ちゃん仲間外れにしようとするんだもの。
あっち行ってよ」
「こっちにも来ちゃだめ。
菊ちゃんまた泣かせたら、藤姉さんに怒ってもらうんだからね」
「弱虫! 嫌いだからいいもん!
くっついたら、泣き虫がうつるぞー」
「うつるぞー」
「うつるー」
垣根に隠れているのも合わせれば、並んだ頭は全部で6つ。どの子も私より幼く小さい。
その小さな口達が多重音声で話し始めたかと思ったら、「わー」と喚声を上げて逃げて行く。
私は置いていかれ、門の外に独り取り残された。
最初の方の叫び声は、完全に意味不明。
途中も半分くらい聞き取りきれず、どうにか脳内補正できたのが全体の2割弱。
その翻訳も、もしかしたら多少ニュアンスが違うことを言っていたかもしれない。
「日本語がわからなくなってしまったのか」とか、「会話能力がものすごく低下したのか」とか。
子供達を唖然と見送った私の頭の中には、そんなことがぐるぐると無意味に回っていた。
難しい言葉じゃなかったし、外国語でもなかった。
知っている日本語のはずなのに、何を言っているのかさっぱりわからなかった。
私には意味不明な会話でも、子供同士は通じあっているらしいのもわかるから混乱に拍車がかかる。
大人の論理を解読するのと、子供の世界に首を突っ込むのとでは、根本から違うらしい。
舌のまわりきらない子供の言葉を理解するには何か別の才能が必要なのだと、しばらく考え私は諦めた。
相手の頭が良すぎて自分のいたらなさに落ち込むのとは違うが、受けたダメージは同じくらい大きい。
去っていった小型台風のような子供達を見送った私は、たぶん間抜けな顔を晒していただろうと思う。
前途多難。
佐吉とはそれなりに話せていたから、まさか言葉が通じないとは思わなかった。
転居について昨夜からいろいろ考えてはいたけれど、まだ全然足りなかったらしい。
子供がいることは以前聞いていたのに、こんな展開はさすがに予想外だった。
足りないのは、情報か経験値か。それとも時間か、分析能力か。
反省しつつ踏み込んだその村で、私はさらに思わぬ選択を迫られることになる。
でもその選択の前に、私が新たに一緒に生活することになった人達について触れておこう。
さっき遭った7歳未満の子供達が6人に、10~14までの少年達が4人。乳飲み子と母親が2組で4人。
それに佐吉とかなり年配のお爺ちゃんの総勢16人が、私の新たな同居人だった。
戦に行かなかったこの村の村人の残りが、これで全員という訳ではない。
村の外の親戚を頼って、出て行った人達も多くいる。
人手が必要な病人と老人も、年頃の女の子達と一緒に近くのお寺に預けられここにはいないらしい。
「たま(猫)も預けてるんだよ」という、小さい子の不思議な補足には首をかしげる。
でも説明を聞いて、私は「ああ、石川氏だからか」と納得した。
現代では、寺は純粋に宗教施設。
その他は、葬式とお墓のある場所、あるいは観光地といった認識があるくらいだろうか。
この時代の寺社はそれには留まらず、商工業の大手パトロンとしての役割が重い。
私の居た傀儡子一座も、もとをただせば神社が後ろ盾だ。
信者の居るところにはお金がある。だから、運営方針によってかなり多角的になる。
例えば―――、
役所のように、死亡後の葬儀どころか婚姻や出産まで手伝っての戸籍管理。
学問の場として、文字や計算をお教える簡易の私塾。
民間療法だったり祈祷付きだったりするけれど、施療院(医療施設)も営む。
信者なら宿泊所も提供するし、お金を貸してくれたりもする。
―――そしてそれの他にも、長く懇意にしていれば、関係次第で融通が利くらしい。
たくさんの寄付金が必要だったと思う。
それに加え、石川氏は真宗の蓮如さんの時代からの百年のおつきあいがあったことも重要なのだろう。
それでも、お寺というある種の治外法権の場所で、お金や家財を戦禍から守ってもらえるのは大きい。
預けられる品もかなり多岐にわたり、貴重品から家猫や家禽、人間までOKだというのは、すごい。
利便性も安全性も、おそらく寺社は飛びぬけ優秀なのだ。
「石川氏」が長い時間をかけて築いてきた信頼の結果が、これだった。
付き合いの深さが、無形の保証になることの、よい見本だと思う。
関係を尊ぶのは、自分達の身は自分たちで守っていこうという意思のあらわれ。
仲間(身内)を意識しやすい村はそれが特に顕著で、外(寺社)との関係どころではない。
村という小さな世界の、結びつきは固い。
村社会は相互扶助から成り立っている。
誕生・成人・結婚・病気・葬式・法事などの、人生の節目の行事。
家の普請、戦などの旅への出立時。火事や水害などの災害時。
農作業や年貢や賦役、祭事も全て共同作業の一環だ。
望めば「手を貸し助け合うこと」を、どこの村でも一般的に「村の掟(おきて)」として守っている。
国や行政が上から押し付けたのではない、決まり事。
でもだからこそ、村の人間はそれを大切にする。
掟を破れば、「火事」と「葬式」の二分を除いて弾かれる「村八分」にされる。
「村」という存在が、村民の生活と人生のすべてに深く絡みついているからこそ、この罰は重い。
電話しても「消防署」以外受信拒否。商業施設は葬儀社しか使えないという状態だと思えばいい。
密接な助け合いが薄れた現代の感覚で考えても、不便以上に恐いことだとわかる。
……わずか16人でも、村は村。
少人数なのだから、普段以上に助け合っていかなければ、生活は成り立たない。
小さい子でも、小さいなりに果たせる役目はある。きっと全員が自覚を持って、頑張っているのだろう。
そんな中に飛び込んで新人は、きっとたくさんの努力が必要になる。
村に利をもたらす旅芸人や行商人が歓迎されるけれど、今の私は休業中だ。仲間も商品もない。
「刃物研ぎ」や「箕を編む技術」が活用えきれば、それが認められる糸口になるかもしれない。
佐吉との関係のように、狭霧が間に入れてつきあって、慣れてもらうのもいいかもしれない。
立場を築き、時間をかけても慣れてもらえば、ゆっくりでも自然に村に解け込めるんじゃないか。
こんな感じのことを、私は村に来る前に想像していた。
多少楽観的かもしれない。
でも、事前の情報や知識で考えるには、これくらいがせいいっぱいだった。
悪い方の予測もしなかったわけではない。
どう頑張ってもダメだったら、その時は村を出ればいいかと、少しは考えてみたりもした。
しかし、案ずるより産むが易しと言うものか。
小難しく考えた斜め上辺りを、事態は軽やかに滑って行く。
あけすけにフレンドリー、すぐさま身内として受け入れられた……、なんてことはない。
少年達は遠巻きに、子供達は興味津々に、お母さん方はどこか生温く、爺様には観察されている。
けれど微妙な距離はあるものの、どちらかといえば歓迎されている感じで、私の生活は始まった。
出される食事は、質素ながらも皆と同じ。寝る場所も子供達の間に用意されていた。
寝る前にお伽噺をするようになれば、私の隣は特等席になり、競争率が高かったりもする。
この村は、今は働き手も少なく、物資も多くを戦に持っていってしまっている。
ちびっ子達には好かれだしているから子守は出来るけど、それをメインにすれば他は手伝えない。
狭霧のように重要な農作業で活躍できる訳でもないのに、厚遇されると申し訳なく思ってしまう。
若いお母さん達に、伸びた背丈に合わせて古着ながら着物まで「どうぞ」譲って貰った時は本当に困った。
「庖丁を研いでくれたお礼」と言ってくれたけど、とてもそんな対価じゃ足りない気がする。
感謝の気持ちを形にする方法を、こっそり探していた数日後。
私はリサーチがわりにちびっ子達の会話に耳を傾けていた。
そして、何故こんなに親切にしてもらえていたのかを知ることになる。
「日吉! 日吉!
いつしゅげんをあげるの?
お祝いのご飯食べたい!」
「しゅげん……って、何?」
「乃々ちゃんも日吉も違うよ。
しゅげんじゃなくて、しゅ「う」げんだよ」
「祝言ご飯!」
「えっ、ほんと? お婿さんは?」
「佐吉?」
「佐吉じゃないよ。
婿とって、あととりするって言ってた」
「とり?」
「とりって何?」
「日吉、とり? なんて鳴くの? きゅーきゅー?」
「すごい! ほんと? 鳴いてみて!」
「きゅー、つまんない。違うのがいい」
「猫がいいよ」
「旭日の真似して!」
「旭日のお話するの?
狼のお話の方がいい」
「日吉、お話してくれるの?」
「何の話? 僕も聞く!」
「おかみが来るぞー、がいい!」
「おおかみのまねしていい? わぉー」
「下手くそー」「似てなーい」
「がぉー」「わあー」
相変わらず子供達は元気に群れている。
話を脱線し転がって、最後はひとかたまりになって「わー、わー」叫びながら駆けていく。
少しは慣れてきてついて行けるようになっていたのに、今回ばかりはまた私は一人取り残された。
初対面と同じように、呆然として彼らを見送ってしまった。
でも、今回の呆然は初回のとは違う。
ちびっ子達の囀りは、もう小鳥の合唱じゃなくなっている。
だから、「理解できない」からではなく「理解したくなくて」、呆然としてしまった。
「嫁」とか「婿とり」とか、出来るならば聞かなかったことにしてしまいたい単語が頭の中をぐるぐると回る。
私は間抜けなことに、うっかりその可能性を排除していたらしい。
私は自分が傀儡子一座の子で、漂泊の民だという認識が強い。
定住の意思がなかったから、忘れていたようだ。
私のような余所者でも、村に「村民」としてちゃんと受け入れてもらえる方法はある。
でも、皆がそれを前提として私に接してくれていたことに気がつかなかったなんて。
事前にいろいろ考えたつもりになっていたことが、こうなってしまっては返って恥ずかしい。
村は掟を守り、境界を定めて、自衛のため余所者をあまり入れたがらない。
しかし、本当に完全に孤立してしまったら、その村の先に待つのは滅びだ。
「血」について考えてみればいい。
狭い地域で血族婚を繰り返せば、遺伝子に異常をきたす可能性が高くなる。
独自の文化が育めても、跡を継ぐ人間が生まれなくなれば意味はない。
外から「伴侶」をもらえば、新たな血を村に取り入れることが出来る。
それだけではない。
お嫁さんやお婿さんには、当然、村の外に親戚がいる。すべてひっくるめて、縁は絡む。
戦や災害などの事件があった時に、その縁が、生きるための可能性の糸になる。
「婚姻」が、他所者を祝福し受け入れる特例になるのは、当然のことだった。
そしてその「婚姻」と同じくらい、家を継ぎ「養子」になることも特別だ。
家を継ぐということは、家業を継ぐということ。
農民でも、継ぐ者がいなくなれば田畑が荒れる。
特殊な稼業でなくても、小さな村には個々の家に役目がある。
それをわかりやすく示すのが「屋号」だ。「家名」がなくても、「屋号」はどこの家にもある。
現代なら村内に同じ名字が多いと見分け安くするためぐらいに思うが、本来はもう少し意味がある。
例えば「川端(かわはた)」の屋号は、川の傍に家があることをあらわしているだけではない。
川が増水したり涸れ始めたりした時、「川端」の屋号を持つ家は、村に警告をする義務を負う。
「川端家」がなくなるのは、川の見張りの役目を負う家がなくなることも意味する。
「嫁」でも「養女」でも、慣例通り縁を結べば、村の一員。歓迎されもするだろう。
でも歓迎されても困る。そんな気は、私にはさっぱりないのだから!
私は新たに発覚した事実に頭を抱えた。
私には守りたい約束があるから、この地に定住の場にはできない。
傀儡子として各地を回り、見聞を広め、いつか尾張の地に帰る。
そして「吉法師の部下になる」ことが、私の将来の夢であり、彼との大事な約束だった。
それに、今ここ(三河)では言えないけれど、私には母と姉の居る故郷だとも思っている。
けれどこのまま黙って何もせずにいたら、私はこの村の人間にされてしまいそうだ。
佐吉はいい人だけど、やっぱり頑固だし、思い込みも激しい。
早目に訂正しなければ、転居の話じゃないけれど、外堀がすでに埋まっていたということにも成りかねない。
……私は人間が好きだ。好きだから優しくされれば嬉しいし、親しくなればもっとと思う。
子供達とも仲良くなり始めていたし、村での生活にも慣れ始めていた。
ようやく出来かけていた、絆を手放すのは辛い。
けれど、この状況が心地いいからと、気づかないふりして甘えているのは、ずるい。
優しい人達に誠意も見せられないくらいなら、この村に居る資格はないとも思う。
『このまま皆と仲良くして、この村の一員になるか。
それとも、吉法師との約束を守るのか』
居候だと決め込んでいたのに、突きつけられたのは、思いもしない選択だった。
でも、答えを出さなければならないことはわかっている。
嘘を吐いたまま、仲良くするなんて出来ない。
迷っても悩んでも、私は答えを出す。心の奥に尋ねれば返ってくる答えは一つ。
私は、今受け取れる温い場所も愛しいが、それでも、過去の誓いを大切にしたかった。
心は決まった。今の立場は捨てると決める。
けれどだからといって、疎外されたいわけでも、いじめられたいわけでもない。
努力するなら、「幸せになるため」に。
もらった優しさへの感謝の気持ちを嘘にしないためにも、私に皆を傷つけない方法を探し、考える。
そして見つけたある策を実行するため、少しずつ仲良くなりだした子供達に協力を頼むことにした。
楽しいことが大好きで、好奇心旺盛な子らを引っ張りこむのは簡単。
すぐに飽きてしまうのが欠点だけれど、彼らは、私の願いを聞いて大騒ぎしてくれた。
騒いで人目を引いて、私がやったこと。
それは、佐吉を師として仰ぐことだった。
私以外の観客が耳をそばだてるのを観察し、反応のよい場所をさらに盛り上げるよう合の手を入れる。
程よいところで「続きはまた明日」にして焦らしてみたりもする。
注目してほしいのは、ちびちゃん達ではなく、私より年上の少年達なのだ。
私とはあまり交流のない彼らの気を引くため、騒がしくし、こちらに意識を向けさせるのが目的だった。
程よく関心を引けたら、次は仕事の休憩時間に「手ほどきのお願い」を佐吉にする。
手ごろな棒を拾ってきて、剣術や槍術のまねごとを声高に繰り広げる。
「本物の武士の手本を見せて」と頼んだり、「佐吉に教わったから上達できた」との宣伝も忘れない。
夜は夜で、子供達にねだられるままに話すお伽噺の合間に、佐吉から聞いた話を混ぜた。
石川氏の惣領と松平のお殿様の話。三河武士の志の話や、戦の話。
佐吉にも意見を求め、時には私の代わりに話してもらったりもした。
常に彼を褒め、「彼を師にすれば立派な武士になれるかも」という方向性を教唆し続ける。
佐吉は私にとっては話し易い相手。
話したのもこの村では一番初めの人だし、狭霧の元飼い主ということで尊敬もしている。
でも、私が思っているよりも、これまでの態度から佐吉の周囲の評価はあまり高くない。
仕事はまじめにしていたらしいけれど、思いつめた思考が陰鬱に見えていたのだと思う。
でも子供達に不評では、策は上手くいかない。
それを反転させることが、私の望む結果を引き出すには必要だった。
地道な努力は時間と共に実を結び、やがて、私が狙っている状況が揃い始める。
そして私はついに、少年達が農作業の合間に自習練を始めるのを発見する。
チャンスは今だ!
練習用の木の棒を片手に、私は佐吉のもとに駆け込む。
独りぼんやりと休憩していた佐吉の前に膝をつき、有無を言わせぬ強さで大きく声をはり上げた。
「師匠!
私を師匠の一番弟子にして下さい!!
師匠が、心の師である山本様のように教育に関心を寄せられているのを私は知っています。
お世継ぎのお世話役は大事だし、尊いお仕事だと思います。
でも、お仕えする者達を育てることも大事なのではないでしょうか。
志と能力ある部下をたくさん抱えることは、君主の誉(ほまれ)、喜びです。
主の喜びに尽くすことこそ、忠臣の努め。
私も佐吉師匠のお話を聞いて考えました。
師匠に学び、いっぱしの武士になりたいです!」
多少わざとらしいかと思いつつも、芝居がかった台詞を勢いで押し切る。
周りを巻き込み引き込むことが、この作戦の肝心要。恥ずかしいと思ったら負けだ。
「毎日の訓練の積み重ねが大事だと聞きました。
鍬を握るかたわらに、師匠も小さい頃から訓練を欠かさなかったこと。
日々の心掛けが、いざという時の勝敗をわけることも。
村に残された者は、皆が戦から帰って来るこの場所を守るという大事なお役目を託されています。
私も恩を返したい。田畑のお世話だけでは足りません。
師について正しく学び、高い志と技を身につけ、お役に立てるようになりたいのです」
仲良くなってフランクになっていた今までの口調を一変させたことに、佐吉が驚いているのがわかる。
それも一気に言い切られた言葉を聞いて、驚きは喜びに変わり、私の手をとって来る。
感激に染まる佐吉の様子に、手ごたえを感じた。
でも、それはそれとして、私の注意は後ろに向かう。
台詞を聞かせたかったのは彼だけではないのだ。
煽るだけ煽った少年たちへの最後の一押しの具合を測っていた。
私は、そっと振り返る。
木刀を握りしめた少年達が、興奮に顔を赤くしてこちらを窺っているのを確認した。
後はとんとん拍子だった。
畑の隅で繰り広げた派手なパフォーマンスは、充分な起爆剤になったらしい。
身内が戦に行くのに置いていかれたことに対しての鬱屈は、佐吉だけではなく少年達にもある。
それを燃料に用意した策だから、当たれば大きいし燃上も早い。
後は、「皆で一緒に訓練して、立派な三河武士になりましょう」と言うだけでよかった。
他の子達はそれで今後盗み見せずに堂々と教えを請えるし、私は佐吉の集中教育を避けられる。
一石二鳥、いや三鳥を落とすのが、この「佐吉の師にする」という策だった。
私が手に入れた「弟子」という立場は、「嫁or養女」のフラグをへし折るためのもの。
幼い子供達相手の寝物語ついでに、先の仕込みもしっかり吹き込んである。
私はいつか「一寸法師」や「桃太郎」のように武者修行の旅に出る。
結婚の話が出そうになったら、出発する予定。その時は子供達が、きっと応援してくれることだろう。
「弟子」が独り立ちするのは、悪いことではないのだから。
私は狭霧を教え込んだ佐吉の教師としての才能を知っている。
彼を尊敬しているし、彼が教育に関心があることも知っていた。
私は自分のために策を練ったけれど、自分のためだけではないつもりだ。
佐吉への誤解を解くことも、少年達の鬱屈を晴らすことも、皆の気持ちを蔑ろにしたつもりはない。
出来るだけたくさんの人が幸せになれるようにと考えてのこと。
恩返しをしたいのは、本心からだった。
それから、佐吉の学校は、仕事の合間を使い急速に形をなしていく。
それと同時に、思わぬ副産物も有り、精神面や人間関係だけでなく農作業の方にも良い影響が表れ始める。
子供達の日々の鍛錬が、本業の端々で役に立っていた。
鍛錬に参加していたのは、元服間近の少年達だけではない。
ちっちゃい子らも、真似しようと寄って来る。
その子達を整理するために、私は、佐吉師匠の指導にほんのちょっとだけ口出しさせてもらった。
「前にならえ」や、「右向け右」「行軍」を覚えさせたのだ。
並んだ時の距離感覚や、周囲と足並みをそろえることは、本来ならば慣れで身につける。
それを、即席で仕込んだだけのこと。
隣の子に振りまわした棒を当て毎度騒ぎになるので、整列や散開が号令一つで出来たら楽だと思ったからだ。
でもそのことが、田植えや草むしりの効率をぐっと上げることにつながった。
作業をしているのが子供ばかりで最初の基準が低いから、少し要領をよくするだけで大きく変わる。
佐吉の毎晩語る「武士の心得」も、応用が利いた。
「連帯責任」の重要性を具体化し、強調すれば、分担作業が上手くまわりだす。
適材適所。流れ作業に、指さし確認。
互いに補い合うことを義務付ければ、少し難しい作業も任せられるようになる。
班分けして任せて、平均した結果が出せるようになれば、全体的な仕事の進みも早くなる。
仕事が早くすめば、余った時間を訓練につぎ込めた。仲間意識はますます高まり、士気もあがる。
寡黙な爺様の視線も和らぎ、お母さん方には困った子と思われながらも反応は悪くない。
ちびっ子達は言うに及ばず、少年達も同期の桜。私は幸せだった。
怖いくらい、何もかも上手くいっていた。
卯月が終わり、皐月が始まる。
田植えの唄を飽きずに輪唱で歌い続ける子らに、朗らかに笑う声が重なる。
天候がよく、稲の苗の育ちもいい。田畑の調子の良さは、農業に携わる人間の気持ちに直結する。
強さを増す日差しに負けないくらい明るい顔で、村人たちは仕事に励んでいた。
そして、そんな彼らの幸せをさらに押し上げるような嬉しい便りが、村に届く。
「弥生、小豆坂にて我ら大勝。
以後の小競り合いも、味方有利。勝ち星、重なる。
今後、一部を前線に残し、順次村に帰る」
集落の人数が少ないせいか、便りが回ってきたのはこの村が最後。
小豆坂の戦果は、1カ月以上も前のものになる。
それでも、便りが遅かったからといって嬉しさが減るわけではない。
帰還を許す知らせに、皆の喜びは最高潮に達していた。