人も多く、実入りも良かったので、私達はこの街で連日興行をおこなっていた。
そうして5日ほども居て、明日には次の場所へと向かおうと決めた日のこと。
いつものように踊っていたらその終盤。私は後ろから誰か大きな人に、ひょいと両脇を掬い上げられた。
「……小六郎さま!」
急に高くなった視界に驚いていると、近くにいたおじいちゃんが慌てて声をかけてくる。
姉さま方も踊りをやめ、歌やお囃子も止まって、こちらに視線が集中する。
私を抱きあげたこの人を追いかけてきたのか、ごついお兄さん達まで寄ってきて、……ちょっと怖いんですけど。
――――― 戦国奇譚 二人の小六 ―――――
公演を中断させたその人に、座長が腰を低くしてあいさつとお礼を述べている。
彼らの話から、この男性が木曽川の船人をまとめる水運業にたずさわる人だとわかった。
耳慣れない単語も多いが、最近隠居をしたばかりだというのも聞きとれた。
そう言われてみれば、私の目の前にある頭は確かに白髪混じり。
けれど軽々と私を持ち上げるたくましい腕と、よく日焼けした肌からは、歳の衰えは感じられない。
周囲の態度から見てもまだ影響力のある人なのは確実で、現状、私はとても落ち着かない気分にさせられている。
理由は、彼がこうして話している今もずっと私を腕から下ろしてくれないから。
座長を見下ろす高い位置で固い腕に乗っていると、まるで人質にでもなったかのようにさえ思えるほどだ。
そして、私がそう思ったのは、あながち勘違いでもなかったらしい――。
小六郎と呼ばれたその人は、まず手始めに座長にさりげなく津島の話をふってきた。
それは「津島の港で昨日、船のいくつかが燃やされるほどの小競り合いがあった」という速報だった。
津島は、私達一座の次の目的地にと考えていた場所である。
興行ではたくさんの客と話をする私達でも、昨日今日の速さで正確な情報をつかむのは難しい。
しかし座長が真剣に聞いているところを見ると、単なるうわさ話などではなく、信憑性の高い話だともわかる。
どんな伝手があるのか、一座についてもその他についても彼の話は詳しく及ぶ。
そんなふうに小六郎は私達の実情を知っていると暗に示唆した上でさらに、
「火事後も景気は変わらず良い。備後守様の軍も出て、士気も高く港の守りも堅い。
男手が増しているから、お前達の興行は喜ばれることだろう。
だが、もしもまた何かことがあった時、幼子がいては素早い避難は出来まい。
賑わいはあるが、その分、多少は荒々しくもなっている。子連れはやめた方がよかろう」
と、話を締めくくってみせたのだ。
津島で落ち合う約束をしている仲間がいるので、一座が出発を取りやめることはできない。
ここには特に知り合いもいないし、もしも私を置いて行くとすれば誰か一人は残していかなければならない。
けれど誰に頼むにしても、せっかくのかき入れ時を、まだ縁の浅い子供の為に棒にふってくれと頼むのは難しい。
頭を抱える座長の苦しい胸の内もわかるので、私は静かに黙って待つ。
そうして、長く考えた末、座長が何とか結論を出そうとしたその瞬間、だ。
出だしの言葉を挫くように、上手いタイミングで小六郎さんはこうきりだした。
「傀儡子の。
せっかくだ、この子をうちで預からせてはくれんかね。
つい先頃、息子に仕事を継がせてしまって暇になってな。
まだわしの顔がいることもあるから郷にも帰ってしまうわけにもいかんで、くさっておったのよ。
川衆の夜番の若いのに夜啼き鳥のうわさを聞いて探してみたら、このように幼い子だ。
見れば、興もわいた。 この子がいれば面白かろう。いい暇つぶしにもなるだろうて。
お前たちが向こうに行って帰ってくる間でいい。
その間は必ずこの川並衆・蜂須賀党が責任を持って面倒を見る。どうだ?」
善意の提案だ。しかし、いい話には裏があるものだ。
悪意なさ気に笑って見せられても、何か企んでいるのではないかと勘繰らずにはいられない。
ここまでの話の持って来方からして、小六郎さんはあまりに巧すぎるのだ。
気のいいお人よしを演じるには、彼の声には力がありすぎだし、箔もありすぎる。
座長もわかっているようで何とか遠慮しようとしたけれど、結果は火を見るよりあきらかでもあった。
口では隠居の身だなんだと言っていても、座長より彼の身分が高いのは事実。
そうなれば、どんなに対等に話してくれているように見えても、申し出は半ば命令も同じになってしまう。
断るにはそれをひっくり返せるだけの大きな理由が要る。
結局、座長は小六郎さんに押し負け、私を彼に預けると決めざるを得なかった。
「すぐ行ってすぐ戻ってくるから」という座長の言葉を信じることしか、私にも出来ない。
――こうしてあっというまの話し合いで、私の身柄は私の意思に関係なく、小六郎さんのものになってしまった。
単純な話ではないだろうという確信はあっても、彼の真意はまだ見えない。
とりあえず連れてこられた小六郎さんの家で、私は言われるままに手遊びなどをして見せる。
これまでの旅の様子だけではなく、興行中のことなども聞かれ、尋ねられるままに答えもした。
「何日目の観客数は何人だったか?」や「客の男女の割合は午前と午後で違いがあったか?」など……。
初めて見た海の感想や食べ物の好き嫌いを問う言葉の間には、首を傾げるような微妙な質問が混ざっていた。
気づいていても気づかぬふりで。
子供らしさを装う私と、好々爺を演じる小六郎さんは、遊びながら他愛無いやりとりを繰り返す。
そうして半刻(1時間)くらいだろうか、お互い相手を観察し合いながら楽しんでいると、客が来たと告げられた。
どうやら、御隠居の酔狂に苦言を呈しに来た人達らしい。
海の家のように半分からだけ壁のあるこの小六郎さんの陣屋の入口から、ぞろぞろ入って来たのは一人ではない。
若いのやら年配のやらと、仕事の合間にとんできましたという様相だ。
先ほど「旅程を急ぐから」と帰った座長がいる間に来てくれればよかったのに、すれ違うようにタッチの差。
その時ならば私も帰れたかもしれないから歓迎したが、今さら余計なことを言われて放り出されてしまうのは困る。
眉をよせて見守っていると、小六郎さんは何やらその人達の一部に目配せをし、わざとらしく言い訳を並べた。
「このような小者一人、10日や20日居たところで一升(いっしょう)の飯を食うでなし、そう吝嗇(けち)を言うな。
預かっただけで、なにもずっとここに置くとは言っとらん。時が来たら返す子だ。
ただ、そうだな、屋敷にはしばらく子供がいなかっただろう。
わしはな、この子が、……いい刺激になると思うたのだよ」
どこに暗号が含まれていたのか、年配者にはそれで伝わったらしく、彼らは小六郎さんに合わせてガハハと笑った。
でも、楽しそうな人達はいいが、若い方の視線はかわらず険しい。
小六郎さんはまたいつの間にか私を腕に乗せているし、そのせいで良く思われていないのかもしれない。
ちくちく刺さる視線が気になって、いいかげん腕から下ろしてほしくなった私は、小六郎さんの袖を引く。
「どうした、チビすけ?」
「……っ、小六郎、おじさん」
「こら、そんな無礼な呼び方をするんじゃない」
「よい、よい。
爺(じじい)と呼ばれても、わしは気にせん。
いっそ、早くそう呼ばれたいくらいだ。
なんだなんだ、言ってみろ」
「あの、おろして、下さい」
「どうした、わしの腕は乗り心地が悪いか?」
そんなことはないので、私は懸命に首を振る。
悪いのは腕の心地ではなく、刺さる視線だ。小六郎さんのすぐ後ろに立っている若い人の目つきが怖いし痛い。
ついでに言うなら、私が「小六郎おじさん」と呼んでしまったすぐ後の、苦み虫をかみつぶしたような顔もすごかった。
「御隠居」とも呼べず、「小六郎様」と座長に呼ばれるのも嫌がっていたから選んでみた呼び方だ。
他によい言葉も思いだせなかった私が悪いので、馴れ馴れしすぎだと思われるのは仕方ないとも思う。
でも、私をたしなめた人は彼の一言ですぐに引き下がってしまい、かわりになる呼称のあてはないのだ。
他に正しい呼び方があるのなら、すぐにそれにかえるのにとも思うけれど、……「爺」呼びでは、もっとダメだろう。
いろいろ悩みながら後ろの若者を気にしている私に、小六郎おじさんも気付いてくれたらしい。
この悪巧み親父はにやりと片唇を上げ、似合いすぎる悪党の笑みを見せつけて、抱いた私の膝をポンと叩く。
そして背後の彼に対し、前半は小声、最後だけ大きく声を響かせた。
「ああ、あれは、気にするな。
あいつはな、小六と呼ばれとるわしの息子だ。
跡目と一緒に名も継いどるから、自分がおじさん呼ばわりされているような気にでもなったんだろ。
小六、男ならもっと鷹揚に構えんか。 細々(こまごま)しいでは、川の男らはまとめきらんぞ!」
などと、大みえをきった小六郎おじさんは、なのに翌日になるとその私をあっさり放り出した。
「お前が面倒見ろ。いいか放すなよ、頼んだぞ」などと言い放ち、家の者を連れてさっさと出かけて行ってしまう。
置いて行かれた私も、預けられた若い方の小六郎(略して小六)も、ただ呆気にとられるばかりだ。
まだ挨拶以外一言の言葉も交わしていない私と小六が、皆出払って誰もいない陣屋にただ二人。
もとより滑り出しからして良いとは言い難い私達は、互いにかける言葉も見つからない。
そして、無言で見合うこと暫し、ようやく小六の口が開かれたかと思えば、吐きだされたのは深い息のみ。
ため息には、私も同意する。小六の半分ほども身長がない私も、視線を落とし小さく息を吐く。
見上げているのは疲れる。けれど、歓迎されない居候の身では声をかけることもためらわれる。
小六の気持ちも、わからないではないのだ。
代替わりしたばかりなら仕事の量も多いだろうに、そこに押しつけられた縁もゆかりもない子供。
扱いに戸惑うのも当然のことだと思える。
でも、私よりも強い立場なのは彼の方なのだ。
歳も上だし、出来れば一言でいいから会話のきっかけが欲しいと願いを視線に込めてみるが、伝わる気配はない。
邪険にするほど冷たくはないが、フレンドリーと呼ぶには遠すぎる。
困惑の視線の応酬ばかりでは、二人の距離が縮まるはずもなかった。
そして、ついには会話もないまま、小六を仕事に呼び出すお使いがやってくる。
双方ともにいたたまれなさを感じていたこの時間もようやく終わるかと、再びため息が重なった。
……が、しかし。これでお別れ、とはそう素直にいかなかったのだ。
私も自分は留守番だろうと思ったが、どうも周囲は何か言われているらしく小六から私を預かろうとしない。
行き当たりばったりに見えて、実は用意周到さをうかがわせる、小六郎おじさんらしい手のまわしようだ。
「放すな」とも言われているし、小六もその意図を読み取ったのだろう。
彼はしばらく考えると、私を職場に連れて行くことに決めてしまった。
小六と私の最初の会話は、隠しきれない不機嫌な顔で告げられた「行くぞ」の一言。
河岸へと早足に歩き出した返事も待たない彼の背を、私は小走りに追いかける。