寺までの距離は、私が想像したよりも少しばかり長かった。
すでに一番星の輝く空に鐘楼(しょうろう)のシルエットが浮かぶ。
そして、ようやくたどり着いた門前には、馬をつないだ小六が待ち構えていた。
――――― 戦国奇譚 別れと出会い ―――――
小六の何もしていなくても普段からいかめしい顔つきが、いつにも増して怖い。
供について来ていた人がおらず、もしかしたら私を探しに出させてしまったのかもしれない。
「寺の近くにいろ」と言われた約束を破り、心配させるような悪いことをしてしまった。
謝らなくてはと急いで駆けよると、無言のまま振り下ろされる彼の手。
ぱんっと軽い音がして、天と地が回る。
私は頬を叩かれたらしい。
小六にしてみれば手加減したつもりでも、私が軽すぎたため派手に転がってしまったのだ。
予測も何もしていなかったから、身構えることも、受け身をとることも出来なかった。
叩かれた頬はすぐ熱をもち、地面に擦れた腕が少し痛い。
でもそんな痛みより先に立ったのは驚きだった。
私は起き上がるより先に、小六を見上げる方を優先する。
彼は、私を叩いた手を振りきる形で止めて固まっていた。
叩かれた私よりもはるかに、叩いた小六の方が衝撃を受けているのが見ていてわかった。
手を下ろすどころか動かすことすらできない小六は、まさに悲壮を絵に描いたような表情で凍りついている。
彼の視線をつかまえて、私は申し訳なさでいっぱいになる。
小六はおそらく小六郎おじさんあたりに吹き込まれたことを実践したのだと思う。
「子供が悪いことをしたら、叩いて叱ってあげるのも愛情だよ」とかそんな感じのことを教わっていたのだろう。
しかし、小六はそれを実行して、……彼の方が、傷ついてしまっていた。
彼は守ることを善しとする人間だ。弱い者に力をふるう自身を肯定できるような男ではない。
でも私が彼の予想よりもはるかに脆かったとしても、これは躾(しつけ)で暴力ではないのに。
凍りついて数えるカウントダウン。小六の手がぎゅっと握られ、震えを帯びるのを私は見た。
義父には蹴り飛ばされたこともある私である。このくらい叩かれたって、何でもない。
本当に何でもないのだと、そう示すために私は立ち上がって、そして、小六に飛びつく。
彼の膝の上あたりに手をまわして抱きしめる。反応のないのにかまわず、縋って言い募った。
「ごめんなさい。
心配掛けて、ごめんなさい」
「……」
握られた拳はそのままで、反対側の手が恐るおそる私の髪に触れてくる。
その手にこちらから頭を押しつければ、置かれた手は撫でる動きに変わった。
そして、片腕が、縋る私をそっと掬いあげる。
私は小六の首に手をまわし、近くなった耳元にも誠心誠意、謝罪を注ぐ。
叩いた時から握られたままの彼の拳が解け、私の背に回ってくるまで、何度も何度も謝り続けた。
雨降って、地固まる。
すっかり暗くなってしまうまでかかって、ようやく私達は仲直りできた。
……けれど、まったく問題が残らなかったわけではない。
どこに行っていたのかとの追及に、吉法師のことを話してしまったのが不味かったようなのだ。
彼はこの辺りではやはり評判の良くない悪ガキだったらしく、吉法師の話に小六の機嫌は急降下。
小六のこぼした小言から、吉法師のお父さんがあのやり手の備後守だとわかったのは収穫だった。
がしかし、彼と仲良くなったと言ったら、即「友達は選べ」と言うのは過保護すぎではないかとも思う。
吉法師の将来を考えてフォローしようにも、私が庇えば庇うほど彼の評価は下がっていく。どうしようもない。
蜂須賀の頭領としては小六も冷静に判断してくれると思うけれど、少し心配だ。
私は同じ空の下にいるであろう吉法師に向け、手を合わせた。
役に立つどころか足を引っ張ってしまったかも。 ごめん、吉法師。
その後。
疑似親子としての絆も深め、益々仲良しぶりを振りまく私達のあいだにも、別れの日はやってくる。
津島で仲間を迎え興行を終えた一座が帰って来たのだ。
小六郎おじさんと座長の決めごとではあるし、私もしめっぽいのは苦手。だから、さよならは簡潔。
でも、礼を述べて下げた私の頭に手を乗せて、小六が引き止める。
「……お前は俺の初子だ、日吉。それを忘れるな。
困ったことがあったら、ここに帰ってこい。蜂須賀を頼ってこい。
俺が助けてやる。必ず助けてやるから。
忘れるんじゃないぞ。いいな、絶対忘れるなよ」
あたたかい掌で私の頭をかきまわしながら、小六がくれた大きな餞(はなむけ)。
今はまだなにも返すことの出来ない私に無償で与えてくれた情を、私は忘れない。
蜂須賀に役立つ情報の運び手になるのは先のことでも、私は無形の契約を交わしたのだと思っている。
口には出さなかったけれど、いつか小六が困った時には必ず私も手を貸そうと決意する。
「さよなら」ではなく、たくさんの「ありがとう」を贈って、別れを告げた。
一座の姿が見えなくなるまで見送ってくれた彼の姿を、何度も振り返り目に焼き付けて、私は尾張を後にした。
離れていた私を一座が再び受け入れて、次にめざす旅の目的地は駿河。
途中は港をいくつか寄り道するぐらいで、ほとんど真っ直ぐ駿河湾、富士山のお膝元へと行く予定だ。
かの地の主は駿河と遠江、それに三河にも支配の手を伸ばし、尾張に勝るとも劣らず栄えさせていると聞く。
京との交流も深く、華やかさを好む上の気風が下々にも広く伝わり、芸事を受け入れやすい土壌もあるそうだ。
まだ見ぬ地の話を聞きながら、私の心は弾む。
知識を得ることにも、情報を集めることにも、今は明確な目的がある。
吉法師との約束、小六との約束を胸に、新しく加わった仲間の手を引いて前に進む私の足取りは軽かった。
私達は、現代にも残るあの東海道を歩いて行く。
尾張から駿河までの間には、三河と遠江の二国がある。
「最近の三河の話って、何か知ってる?」
「そうだなぁ、特には聞かないが。
……そういえば、二年ほど前に離縁なさった国境(くにざかい)の城主様。
あの方がまた正室(せいしつ)を娶られるとか、そうでないとかの話は出ていたな」
「それって噂になるほどのこと?」
「以前の離縁の話の方は、『奥方の親族が尾張になびいたから』という理由だったからな。
岡崎は要衝の城だし、どちらかと言えば城主の松平様は今川寄りだ。
御正室とは夫婦仲も良く、御嫡男をお産みになった方だったらしいが……。
そのままにしておくわけにもいかなかったのだろう」
「ああ、その殿様もいっしょに寝返ったと思われちゃうからか」
「そういうことだ。
理由があれば、戦が起こる。
戦が起こると移動がしにくくなる。
何事も起こってないということは、上手くやったということなのだろうね」
偉い人や有名人の離婚や結婚は、いつの時代も民衆のゴシップの定番。
でもそれが、命のかかった重要ニュースにもなってしまうのが、「戦国時代」だった。
あれこれ予備知識を仕入れながら国境を越え、三河に入る私達。
三河といえば、歴史に疎い私でも思い浮かぶのは、徳川家康だ。
けれどその名をまだ聞くことはないだろうとも思いながら尋ねたら、かわりに出て来たのがこの離婚話だった。
家康がいないだろうという推測は、別に私が今の元号を西暦に直す方法がわかったからというわけではない。
ただちょっとしたことで、かなり大雑把ながら今の時代を掴むきっかけを私は見つけたのだ。
その鍵は、種子島(鉄砲)の存在。
今まではあまり興味がなく避けていたけれど、吉法師のこともあり、私は最近戦の情報も集めるようになった。
この時代に生きていれば避けては通れないことだから、誰に聞いても一つや二つは話しが聞ける。
泥臭い経験談や危機一髪の体験談を聞かせてもらっていて、私はそれに気がついた。
それは、まだここまでの戦に、鉄砲が導入されたという情報がないということ。
歴史には自信がないけれど、それでも、戦国時代は半ばから後半にかけて鉄砲が活躍していた記憶はある。
これに気がついてからは、珍しい武器の噂もあわせてねだっているが、まだ誰の口からも聞いていない。
ただ伝来していてもすぐには波及しないだろうし、量産ができなければ戦場には出ないだろうとも想像はつく。
それでここからは類推、というか私の乏しい日本史知識からの連想ゲームだ。
「まずは、鉄砲といえば、三段撃ち。
三段撃ちといえば、織田信長の戦法。
信長の次が秀吉で、家康はその後の人」
というわけで、「鉄砲が使われていないなら、家康もまだ世に出てないのだろう」と考えたのだ。
三河は、いずれ戦国最後の幕を引く男を生み出す国。
しかし今は半分を尾張に切り取られ、残る半分も駿河の影響下だというこの国の景気は、最悪だった。
妻の親族に裏切られてしまった岡崎城主、松平一族の治める西三河。
東と山間部は奥平や菅沼氏がつよく、平野部はまた別の人と、まだ完全に纏まっていないのも問題なのだろう。
前には戦い続く尾張、後ろには大きな今川もいる。
力ある者がたくさんいれば収める税は複雑になり、増えることはあっても少なくなることはない。
収穫の秋を間近に迎えるとなれば、小さな村といえども少しは華やぐものだ。
不作でなければ、ささやかでも祝いや祭りか行われ、その時期にやってくる行商人や旅芸人は歓迎される。
でも年貢や税が重ければ、他者へと回す余裕はなくなってしまう。
今の三河は、私達が受け入れられるような状況ではなかった。
噂話は集めても、一座は街道を逸れず、三河の村々をまわることは出来ない。
内陸に寄り道し、村に呼ばれて、秋の祭りで興行をすることはあきらめざるをえなかった。
しかしだからといって、三河を通り過ぎるまで一座がまったく何もせずにいたわけではない。
「遊びやせんと生まれけむ、戯れせんと生まれけむ
遊ぶ子供の声聞けば、我が身さえこそゆるがるれ」
シャンシャンと、束ねた小鈴の合いの手を入れた子供の歌声が街道に響く。
歩きながら声を揃え唄うのは、私と新人の少女。
彼女は、津島から加わった新しい仲間だ。
三国太夫の一人娘で、同じ歳のはずなのに私よりも10センチも背の高い、小国(愛称・くぅ)ちゃんである。
ツインテールもかわいい彼女と並んで一座の先に立ち、私達は道行く人に愛想を振りまきながら歩く。
この道は、鎌倉から京までをつなぐ天下の大道、東海道。陸上物流のメインルートは、人の往来も多い。
荷を運ぶ豊かな人達をお客さん候補として、視線が来たらすかさず笑顔を向け、アピールに励む。
「ややこ(幼い子)が唄っているよ。
かわいいね。仲良く手をつないで、姉弟かい?
国のわが子を思い出すなぁ」
「小さいのもかわいいが、俺は姉ェさん方のがいいねぇ。
どれもべっぴんさんだ。
次の宿はどこにするんだい?」
私達は芸の研鑽(けんさん)を兼ねた宣伝、売り込みをこの街道を舞台に行っていた。
相手が一座に興味を示してくれたら、世間話をしたり小歌を唄ったり。
気に入ってもらえて、雇い人足だけではなく、小頭あたりに声をかけてもらえたらしめたものだ。
相手の宿泊時に宿を訪ねて門付けをしてもいいし、近くに公演の場所を借りて見せることも出来る。
そして、もしも大店や公用商人と同行が許されたのなら、それは奇跡のような幸運だ。
街道を歩くためには私達も一応、寺社の勧請願いや普請、遠詣でなどの理由札を持ってはいる。
けれど、「関銭(せきせん・通行料)」をとられ、さらに袖の下を払ってすら関所を通してもらえないこともよくある。
だから普段は関所前で道をそれるのだけれど、関が川辺だとよほど遡らなければ渡しは見つからない。
使える渡し(川舟業者)や浅瀬の情報網があっても、回り道するのはとても大変なことだ。
しかし特権を許された商人達は私達とは反対に、関所はフリーパスも同然。
彼らと一緒なら、私達も街道にある関所を通ることができるかもしれないのだ。
でもまあ、めったにないことだから奇跡なのであって。
当面のお客さんを確実に確保するために、ちょいちょいと指先で呼ぶおじさんに、私は近づいていく。
営業の基本はあいさつと笑顔。第一印象がビジネスの勝敗を決める。
「こんにちは」
「さっき歌っていた子だね?」
「はい。日吉と申します。もう一人は、小国です」
「歌はたくさん歌えるのかい?」
「太夫が教えてくれます。舞も少しなら舞えます」
「踊りは私も大好きだよ」
「私も!
太夫達は皆、踊りがとてもうまいです。
早く太夫みたいに、私も踊れるようになりたくて。
太夫は大丈夫って慰めてくれるけど、私はうまくなりたい。
だからもっといっぱい頑張らなくちゃ」
「そうかそうか。いい子だね」
笑い皺を眼尻に浮かべたおじさんが、日に焼けた手を差し出すから握手かと思って握ってみる。
シェイクハンドとばかりにちょっと揺らしてみると、頭も撫でてもらえた。
好感触だ。一座の客になってくれるよう、交渉ができるかもしれない。
見かけよりも、若いようにも年上のようにも見える、その読みにくい表情を覗きこむ。
おじさんも私を見ていたので少し見合ってから、手を離され、彼は座長を呼んだ。
私は後ろに下がって、話の成り行きを見守る。
「この座の、座長は誰だい?」
「私ですが。 あの、日吉が何か、」
「いやこの子には、話を聞いていただけだ。
座長、私達はこの二つ先の宿場(しゅくば)で宿を取る予定なのだが。
もしよければ、そこまでどうかね?」
「それはとてもありがたいお話で。
ですが、あの、よろしいのですか?」
「ああ、この一座の子らが良き子であったからな」
「それは……」
「そうさな、お前達が夜盗に変わるような流れの傀儡子ならば、幼子などの足手まといは連れておらぬだろう。
子らが囮の捨て駒だったとしても、もしそうならばこのように明るくは笑うまい。
歌も舞もやさしい太夫達にたくさん習っていると聞けば、大事に育てられている証拠を見たようなものだ。
子の素直な笑顔が、なにより一座が悪人でないと私に教えてくれたというわけだ。
我らの旅は長い、陸奥までの長荷だ。故に、人足といえど身内の者ばかり。
ここらで少し楽しみ息抜きもあれば、あの者らも一層励んでくれるだろうと思ってのこと。
お前たちを良き一座と見込んで、同行を申し出たまで」
「ありがとうございます。
ほんとうに、ありがとうございます。
喜んで。ぜひ私ら一座、ご一緒させていただきたく思います」
お礼を述べる座長に合わせ、太夫も私達も深々と頭を下げる。
……奇跡に巡り合えたのか、私達に後援者がつきそうです。