10月22日
目覚めの音は、聞き慣れた音だった。
36mmの射撃音、120mmの砲撃音。突撃級が突進する走行音は、いつだって冷や汗を感じさせる。
あの重い音は、撃震の歩行音だ。随伴戦車の砲撃音はいつだって好きだ。砲兵隊の弾着音は、天使のオルガンに聞こえる。
起きなければならない。俺の撃震は起動しているだろうか?
起きなければならない。彼女たちの準備は出来ているだろうか?
起きなければならない。俺は戦場にいる。戦わなくては! BETAを倒さなければ!
突然、激しい揺れが俺をベッドから放り出した。それで俺は覚醒した。
起き上がりいつもの所にある作業服をつかもうとして、それで気がつく。
懐かしい光景。しかし国連横浜基地ではない。もっと昔に見慣れていた部屋。俺の部屋。
「俺の部屋?」
基地の部屋ではなく、あの平和な世界で、それが当然と信じ込んで生活していた部屋。
「まさか戻ってきたのか?」
訓練生に似たあの高校の制服を急いで着込むと、俺は玄関に走り降りて、扉を開けた。
風景は変わりなかった。一面の廃墟。隣の家の残骸には壊れた戦術機が鎮座している。
失望の中で声もなく玄関にたたずんでいると、はらわたを揺るがす爆発音が響いた。
これは戦術機がやられた時の爆発だ。
そう思って、次の瞬間、俺は自分の認識に驚愕した。
戦術機がやられた? そんな状況はそうそうはない。一つは訓練での事故。
続けて、もう一度重い爆発音が響いた。
もう一つは実戦。BETAが攻めてきたとき。
その考えに寒気を覚えて、俺は玄関を出た。
誰もいない瓦礫だらけの街を走る。
爆発音と射撃音、重いものが動き回る音が、白稜柊の方から響いてくる。
いや、この状況であそこにあるのは……。
不意にすぐ近くで爆発が起こり、俺は吹き飛ばされて、道路をころころと転がった。
舞い上がった粉塵を咳き込みながらやり過ごして、視界が回復するのを待つ。
見ると目の前の道路が塞がれていた。
それは巨大な鉄、人型の鋼。77式戦術歩行戦闘機。
「……撃震」
横たわった撃震はしかし起きる気配を見せなかった。主機の駆動音らしき振動は感じ取れる。
大きいため良くわからないが、戦術機そのものに大きな損傷はなさそうだった。
ただ盾、92式多目的追加装甲は大穴があいてへしゃげている。こういうのは突撃級にはねられた後に良く見られる。
中の衛士が心配になり、機体によじ登った。
やはり機体に大きなダメージはなさそうだ。
ハッチのすぐ下にたって、外部開放スイッチを探す。
ボタンを押すと空気の吹き出す音ともに、ハッチが開いた。
薄暗いコックピットの中には、男の衛士が身じろぎもせず座っていた。国連軍の黒と青の強化服の胸のところが上下している。生きているようだ。襟元の階級章を見る。階級は……少尉。
「……剛田?」
間抜けにも口を最大に展開し、よだれを垂らして気絶しているが、それはかつての世界のクラスメート、剛田城二だった。
赤いバンダナまで変わらない。顔も変わらず暑苦しい。
思わぬ再開に思わず笑いがこみ上げて口から漏れたとき、コックピットに警報が響き渡る。
「BETA接近警報!? おい、剛田、起きろ!」
平手で剛田の頬を殴り飛ばすが、剛田は目を覚まさず、意味不明なうなり声を漏らしただけだった。
振り返ると闘士級が駆け寄ってくるのが見える。その後ろには戦車級が続いていた。
意図せず舌打ちを漏らして、スイッチを押してハッチを閉じる。
狭苦しいコックピットの中で剛田と二人きりというのは、かなり嫌だったが、シートの下をあさり予備の強化服を取り出した。
幸い剛田と俺ではそう体格は変わらない。
最小限のスペースでアクロバットもどきに着替えをすませる。
そのとき、金属がつぶれる嫌な音がした。
「くそっ、もうかじりはじめやがった! ……剛田、重い……」
シートから剛田をどうにかどかせて、着席する。剛田は足下に横たえた。
瞬時に強化服と機体コンピューターとリンクされ、機体情報が更新。カメラが回復。
次の瞬間、戦車級のいやらしい大口が視界いっぱいに広がった。
盾を離し機体の左腕を伸ばして、戦車級をつかむ。そのまま握りこんだ。
神経に障る叫び声をあげて、戦車級がつぶれた、その残骸ごと拳で側の闘士級を強く払った。
ベシャと音をたてて、撃震の左手が赤く染まる。
「さあ、立ってくれ」
祈るようにつぶやいてペダルをちょいちょいと踏み込む。オートバランサーは正常作動。警告は少し。
揺れながら上がっていった視界が静止して、主機の音が低くなる。無事立ったらしい。
「……データリンク、いける。武装、36mm充分。120mm……剛田、使いすぎだろ。刀とナイフはOK」
そろそろと歩かせてみるが、機体には問題ない。撃震独特の重い足音が響く。
「さて、どうするか?」
「ロータス5からロータス7、剛田少尉! 死の8分はくぐり抜けたようだな。そっちに突撃級が回った。いけるか?」
乗り込んでは見たもののと言う迷いを通信が破った。どうやら小隊長らしい。
慌てて画像通信をオフにして、剛田の声を思い出して、似せる努力をした。
「……だ、だいじょうぶっす、隊長!」
「うん? どうした、顔が出てないぞ?」
「……跳ねとばされてから、不調みたいです。こちらからは隊長は見えてます」
「そうか。しかし貴様もさすがに実戦ではいつもの威勢は無いな。どうした? 基地は俺が守ってみせるとでも叫んでみろ」
「あはは……」
「ようし、そっちは任せた。突撃級を片付けたらこっちに戻って竹尾とエレメントを組み直せ、以上」
「了解!」
当たり前だが、戦闘中に勝手に離脱も出来ない。それでは敵前逃亡で死刑になってしまう。
操縦しているのは剛田ということになっているから、それはさすがに剛田が哀れすぎる。
「BETAを片付けてから考えるか」
迫ってきた突撃級を見て、そうつぶやくと、機体を小ジャンプ降下させて、突撃級の後ろを取った。後は難しくない。
「……にしても、剛田の癖はやりにくい」
まさに猪突猛進という機体の癖に悩みながら、要撃級を切り裂く。
かわす動作が鈍いため、大げさに回避行動を入れてやらなければならない。
その当人、足下の剛田はまだ起きない。時々不安になってのぞくが、しかし何かが出来るわけでもない。
時々呻いているから生きていると判断するしかない。
「おまえさー、ずば抜けて回避うまくなってねーか?」
竹尾が通信をよこす。そのたびに暑苦しい男の物まねをしなければならない。俺はいったい何をしているのだろうか?
「竹尾! 男子たるもの、三日会わざるなら、刮目してみよ! だ」
さすがに馬鹿笑いまでまねる気になれない。
「あうあう」
訳の分からない返事が返ってきたが、無視した。
そして、この違いすぎる世界に俺は心密かにとまどった。
おぼろげながら何回かループを繰り返した記憶はある。だが、初日でこんなことになったことは無かった。
世界を、悲しい結末を変える決意も、その世界自体が大きく変わっていては空しい物となる。
そう、まるで初めてこの世界に来たときのように不安が俺の心を覆っていった。
「こちらロータス1。聞け、やろうども。くそBETAの数はかなり減った。掃討戦に移るがロータス5から8は基地に後退しろ。
新兵ども良くやったぞ。ロータス5、ひよこちゃんどもをちゃんとお送りしろ。ロータス2から4、コンテナで補給し、俺の周りに集結。指示を仰ぐ」
「了解」
いかにもな歴戦の撃震と別れ、俺達は小高い丘の方に向かっていく。
やがて現れたのは、白稜柊……ではなく、国連軍横浜基地だった。
だが、立ちのぼる黒煙と穿たれた弾痕、負傷者乗せて走り回る担架に、車両や戦術機でごった返すそれは、初日に見る横浜基地ではない。
ふとモニターに映った人影が映った。
西に傾く夕日に照らされた屋上の上で、その人物は長い髪と白衣をなびかせ、手すりにもたれ、たたずんでいた。
そしてぼんやりと戦場を眺めながら、時折魅力的な唇に瓶の口をあてて喉を動かし、またあてどもなく眺めることを繰り返していた。
その人物を俺は知っている。だが、そんな姿を俺は知らない。
基地に入ったところで激震をよろめかせて、降着姿勢にする。
「ロータス7、どうした?」
「脚部が不調のようですが大丈夫です。先に行っててください。15分たってダメだったら回収願います」
「了解だ。ロータス6、ハンガーに回収準備をさせるよう伝えろ。ロータス7、ダメだったらすぐ連絡しろ。いいな?」
「わかりました」
ハッチをあけ、白稜柊の制服に着替える。そして僚機が遠ざかったところで、機体から降りて走り出す。
グラウンドを横切り、玄関に飛び込んで、階段を駆け上った。
屋上へ通じるドアをそっと開けて、俺は静かに白衣の女性に歩み寄った。
その女性、香月夕呼は歩み寄る俺を全く無視していた。
変わらず規則的に、透明な液体を喉に流し込んでは、ぼんやりと手すりにもたれている。
「夕呼先生……」
だが彼女は俺の呼び声に反応しなかった。さらにもう一口、酒を飲む。その退廃に耐えかねて、俺は叫んだ。
「いったい何をしてるんですか、先生! このままだとオルタネイティヴ5が始まってしまうんですよ!」
その言葉が彼女の動きをとめた。そして首だけを俺に向ける。
酒で赤くなった目が俺をみる。
「もう始まってしまったわ」
「なっ!? 」
「オルタネイティブ4は10月19日付けで中止。同日接収されてオルタネイティブ5始動。
残念ね、もう4日前に始まっちゃったの」
そういうと彼女はおかしくもないのに笑い出した。
闇が基地を包み始めてもなお、彼女は自らの体を抱いて笑い続け、そうしてようやく笑いを納めて、彼女は訪ねた。
「……ところで、あんた誰?」