突き出した腕をクレスは下ろした。
固めた拳の先にある感触は確かな勝利を伝えていたが、それでも未だその現実を夢のように感じていた。
限界を超え続けた肉体は重く、己を欺き続けた精神は擦りつぶれて霞みつつある。
余りにも濃密すぎる時間だった。
幾重にも刻まれた刹那。
絶えず躍動する衝突は、息をすることすら許さない。
力と意志が命をもって瞬き競い、その中で決して消えぬ温もりを感じていた。
クレスは体内に籠った灼熱のように燃えた名残を吐き出すように息を吐く。
そして後ろを振り返った。
「おれ達の勝ちだ」
<武帝>の名を持つ海兵は、倒れ伏してもなお威風堂々たる様だった。
余りに峻嶮な壁となって立ちはだかったかつての師。
紙一重どころか、奇跡ともえいる勝利だった。
世界中の誰一人としてこの結果を予測した者はいないだろう。
おそらくはリベル自身も、クレスですら心のどこかでそう思っていた。
戦う以前に決していた勝敗。
己の武力がどのような結果をもたらすなど、リベルは百も承知だった筈だ。
如何なる心情、信念をもって戦っていたのかは分からない
それでもクレスはリベルに対し、悪い感情を抱くことはなかった。
熱を持った肉体に風が舞い込んだ。涼やかに肌を撫でたそれは心地よく感じられた。
───ならば聞こう、目の前に理不尽が現れたらどうする?
それは、決して君の手に負えない最悪の事態だ。さぁ、君ならどうする。
思い返せば、もう二十年も前になる。
最後の稽古だと、容赦なくクレスを叩きのめしたリベルは海軍本部へと出立する直前に問いかけた。
異常性を色濃く残しながらも未だ幼さを持っていたクレスは、迷わずに立ち向かうと答えた。
しかし、それは一度炎に包まれたオハラで完膚なきまでに砕かれた。
圧倒的な力を前にして、自身は余りに小さく弱かった。
震えるロビンを抱きしめることが精一杯で、何も救えず変えられない。
思えば、今回の事もそうだったのだろう。
数多の海兵、並び立つCP9、バスターコール、そしてリベル。
だが、決定的に違った。
立ち向かったのは一人ではなかった。
クレスには仲間がいた。
一つ一つは小さな光でも、それらが集まることで煌めくように輝く。
暗闇の中に浮かぶ星々のように、船に希望の導を与え、約束された明日を迎えさせる。
強さとは力だけじゃないのだと、今更ながらにクレスは知った。
「立ち向かうさ。どんな相手でも必ず倒す。
例え不可能でも諦めない。おれはもう一人じゃないからな」
クレスは倒れ伏すリベルに誓約を掲げた。
倒れ伏した師は何も語らずも、貫いて見せよと笑った気がした。
自嘲気味に笑いクレスはゆっくりと歩みを進めた。
リベルの傍を通り過ぎ、ただっ広い橋を歩く。
漂白の時間が消え去り、世界が歩調を合わせるようにクレスに周りの状況を知らせる。
橋の上の状況は相変わらず最悪だった。
簡素ながらも歴史ある重厚な橋には容赦のない破壊痕がそこらじゅうに刻まれ、今もなお海兵との戦闘が続いている。
しかし、戦場には異なる二つの感情、戸惑いと歓喜が浮かんでいる。
歓喜の声を上げたのは海賊。対照的なのは海軍だ。
クレスは第二支柱へと目を向けた。
元は規則正しい円筒だった外観は崩れ、外壁が砕け散った結果露呈した内部。
そこには肩で息をするルフィの姿と、瓦礫の中に崩れ落ちたロブ・ルッチの姿があった。
アイツも勝ったんだなとクレスは安堵を覚えた。
「クレス」
未だ粉塵が燻る戦場で、声が聞こえた。
涼やかで、優しくて、ミステリアスで、思ったよりも一途で頑固。
光を纏い艶めく黒髪。怜悧に輝く黒い瞳。
すっきりとした鼻筋。鮮花のように瑞々しい唇。
きっと永遠に忘れることはない。
心どころか魂までにも刻まれたその存在。
「ロビン」
クレスは名前を呼んだ。
安心したようにロビンが口元をほころばせる。
手を伸ばせば、その頬に触れられた。
暫く感覚を忘れていた硬い指先に確かな熱が伝わってくる。
光を受けロビンの唇が艶めいて見えた。
それは甘い蜜を持った花弁のようで、吸い寄せられるようにクレスは自身の唇を重ねた。
溶けてしまいそうなほど柔らかい。
しかし確かな温もりがそこにはあった。
五秒と満たない時間だったが、永遠にも感じられた瞬間を彼方にクレスは唇を離す。
「……バカね」
「何がだ?」
「自分の事。こんなにも傍にいたのに、今まで踏み出せなかった」
ロビンは揺れた瞳を閉じる。
一筋の涙が瞳より零れ落ちた。
相手を信じ自身を託す。たったこれだけの事だった。
始めから分かっていた筈なのに、なぜ今まで気が付こうとしなかったのか。
「踏み出さなかったのは、おれも同じだ。
……だが、それも終わりだ。もう一度言う。お前が好きだ、ロビン」
「私もよ、クレス」
互いに手を取り合い、クレスとロビンは自分たちを呼ぶ仲間の元へと歩き出した。
エニエス・ロビーに君臨した首魁であるCP9とリベルを倒したものの、未だ状況は変わらない。
いささか狼狽が垣間見えるとはいえ、広場には未だ数多くの海兵達が殺気を滾らせ、周囲を取り囲む戦艦はその威容を見せつける。
先手を取られ、脱出用に確保していた護送船も壊されていた。
絶体絶命だ。
しかしそれでも、二人に不安はない。
なぜか今だけは確信をもって感じられた。類稀なる奇跡の輝きを。
───帰ろう、みんな。また冒険の海へ。
心の内に響いた“声”が海賊たちを導く。
渦巻く波も、吹きすさぶ風も、全てを耐え抜き追い風に変えた夢の船が。
立ち並ぶ戦艦をすり抜けるように現れたその姿を見たウソップが叫んだ。
その叫びを聞き、仲間たちが歓声と共に皆一声に海へと飛び込んだ。
クレスとロビンも迷わず海へと飛んだ。
───迎えに来たよ。
慣れ親んだ羊頭の船首が荒波をすり抜ける。
マストにめいいっぱいの風を受け、恐れを知らぬかのように前へ前へと進む。
乗り込んだ仲間たちの夢を乗せ、水平線の彼方までも導いていく。
ゴーイングメリー号。
皆が愛した船の名前だった。
最終話 「幼なじみは悪魔の子」
未だ黒煙が立ち上るエニエス・ロビー。
バスターコールによる惨禍に見舞われ、原型を無くすほど破壊しつくされた街並みを背に、虚しく響く海兵たちの喧騒を海軍本部<大将>青雉───クザンは聞いていた。
所在なく浮かぶ戦艦の甲板の上で鋼鉄で作られた船側に背を預けたクザンは“正義の門”を見上げる。
雲を貫く程にそびえ立つ巨大な門は、今は海兵たちを阻むかのように固く閉ざされていた。
「敵ながら、見事なもんだ」
呆れたようにクザンは呟く。
趨勢は既に決していた。
CP9並びにアウグスト・リベルに勝利した海賊たちは突如舞い込んだ船に乗り、正義の門の向こうへと消えた。
耳を疑うものだが、これはクザン自身も見届けた結末であった。
「完敗だな」
先ほど部下たちに向け出した言葉をもう一度口に出した。
無理にでも追おうとも、海賊たちの手により閉じられた門の開閉には時間がかかる。
再び開いた頃には海賊たちは海の彼方へと消えているだろう。
今は意味のない消耗を重ねるより、負傷者の救助を優先するべき。
それが大将としてクザンが下した判断であった。
こりゃ間違いなく後で大騒ぎになるなと、メンドくさそうに頭を掻き、クザンは近づいてきた足音へと視線を向けた。
「失礼。大将たる君にとっていい態度ではないが、傷身故に許したまえ」
胡乱げな視線を向けるクザンの隣に快活に言い放った男が直接甲板に腰かけた。
治療を受けて直ぐにこちらにやってきたのか、肌蹴たシャツの合間から治療の跡が覗いている。
「まぁ、構わんでください。
おれとしちゃアンタに頭下げられるとむず痒いんですよ。
それはそうと、……大丈夫なんですかい、リベルさん」
「はっはっは、こうして座り込んで話をするくらいには大丈夫だよ」
普段と変わらぬ様子でリベルは答えた。
その様子からは、負傷していることすら疑わしい程の生気を感じられたが、クザンの知る限りリベルは死に瀕する直前においても昂然と笑みを浮かべるような男だ。この様子もある意味当然である。
そもそも、敗北という二文字がリベルからは程遠い。
しかし、現実としてリベルは膝をつき、敗北を喫した。
手加減ということはまずないだろう。
力とは振るわれるべき時に振るわれるもの。
リベルが自らに定めた信条は絶対であり、昔馴染みであろうが手心を加えるなどありはしない。
故にリベルは実力で敗北したと言うことになる。
さればこそ“あり得ない”と誰もが狼狽する。
「全く、見事なまでに負けたよ。
よもや、今になって敗北を知るとは思いもしなかった」
しかしリベルは周囲の評価など気にする様子もなく笑った。
<最高戦力>と称されるクザンですら、リベルと戦うならば覚悟を決める必要がある。
自身の敗北がどれほどの意味を持つか知らないわけでもないだろうが、見ているクザンが呆れるほどの気兼ねのない笑みだった。
「これから大変ですよ。おれは知りませんからね」
「私は常に為すべきことを成してきただけだよ。
その結果のみで周囲が私を評価するならば、買い被りすぎと言うものだ」
「ご謙遜を」
「いいや、今にして思えば私の敗北は必定だった。
気合、気配、気迫。その全てをあの子らは自らのものとした。
如何なる力でも“あれ”には勝りはしない。
想いが響き形を成した。故に何よりも強い。
私が彼らに勝利する道理など、どこにもありはしなかったのだ」
クザンは胡坐をかいたリベルの姿に、晴れ渡るような清々しさがあるのを感じた。
その原因にはあらかた予想が付いた。
やはりこの人は敗北したのだと納得すると同時に「とんでもない奴らだ」とクザンはぼんやりと青い空を見上げ呟いた。
「そんなに、“二人”は強かったんですか?」
「ああ、断言しよう。
彼らはあの瞬間、間違いなく世界で一番強かった」
確固たる口調で言い放つリベルには僅かに羨望が滲んでいるようにも思えた。
強く結びついた二人が見せた強さの芯。リベルにとってのそれは自らが壊したものに他ならない。
「まァ、アンタに勝ったんだ。……それも言い過ぎとは言えませんね」
「なんだ、疑るのかな?」
「いや、それなりに分かってるつもりですよ」
こっぱずかしくて口に出すは憚れますが、と嘆息しながらクザンは続けた。
どこか穏やかな様子の二人を置き去りに、戦艦の中では海兵たちが慌ただしく動いていく。時折クザンとリベルの姿を見かけた海兵たちが慌てたように敬礼をしたが、二人は気にするなと軽く返すだけだった。
バスターコールによって集結した戦艦は“正義の門”が再び開門し次第本部へと帰投する予定となっている。
戦果を上げられず、消耗を重ね、いたずらに破壊のみを振りまいた鉄槌はただ虚しいだけだった。
「エニエス・ロビーへの進攻。世界政府への宣戦布告。
CP9の撃破。アナタの敗北。バスターコールからの逃亡。
どれ一つとして、見過ごせるものはない。あの一味の悪名は世界に轟く」
「それもまた、運命(さだめ)だよ。不変のものなどない」
リベルは懐かしむように目を細めた。
その瞳ははるか遠くを映し出す。
老いた者は朽ち行き、若き者がその後を継いで行く。
確信めいた想いがリベルの中にはあった。
「今はもう彼らの時代なのだから」
リベルの祝福はさざ波と共に青い空の中へと消えていった。
◆ ◆ ◆
舞い込んだ奇跡を掴み取った一味は、見事海軍の領海より逃すことに成功した。
サンジの機転により“正義の門”を閉じたとこがチャンスを広げ、ナミの確かな航海術、ウソップ、フランキーの的確な援護がチャンスをものにした。
追手の姿は無く、優しく照らす太陽と穏やかな波の凪いだ海が広がっている。
先ほど受けた電伝虫からの通信によれば、共に島に攻め込んだガレーラとフランキー一家もなんとか全員無事らしい。
メリー号の上には誰一人として欠けることのない一味の姿があり、ボロボロだが全員が曇りない穏やかな表情をしていた。
そんな一味の姿を視界に入れ、クレスはロビンと目配せを交わした。
「礼を言う」
「みんな、ありがとう」
無事に帰ったら必ず二人で礼を言う。
事前に決めていたクレスとロビンからの言葉に一味が表情を綻ばせる。
「ししし! 気にすんな」
満面の笑みを浮かべたルフィが言う。
その言葉は船員(クルー)達の思いを表していた。
闘いの規模など関係ない。
彼らにとってこの戦いは、“奪われた仲間を取り返す”事こそが目的だったのだ。
「それにしてもよく生き残れたもんだぜ、実際。
まさか、あの<武帝>を倒ししまうとわな。
正直おれァ、あいつだけはどうやって逃げ出すかって話だと思ってたぜ」
フランキーが大金星を挙げたクレスとロビンを称える。
正直な話、クレス自身ですら始めは同じように考えていた。
だが、ロビンと共に戦ってい、感覚が無限に拡張され、今までに無い力を発揮できた。
「じゃあほら、あれじゃない?
勝てたのって、クレスとロビン二人のあ───」
「違ァあああああああああああああああああうッ!!」
意地の悪い笑みを浮かべたナミの言葉が、突如サンジの発した大絶叫によってかき消された。
弛緩した空気が突然、かつてない程の怒りを身に宿したサンジによって破られる。
血が滲みそうなほど唇を噛み、黒々とした気を立ち昇らせ、世界よ燃え尽きろと言わんばかりに周囲を灼熱の渦を振りまいている。
「おいパサ毛、てめェにおれの気持ちが分かるか。
正面突破だけじゃ海軍から逃げられねェと思って正義の門を閉じに走った時」
「そう言えばお前居なかったな。ビビッて逃げたかと思ったぜ」
「ブッ飛ばすぞマリモッ!
とにかく! 急いで橋に戻ってきたときにおれが見たのは、おれが見たのはァッ!!」
なんとなくわかった。
急いで帰って来たサンジが見たのは、リベルに勝利した後のクレスとロビンの姿。
間違いなくサンジの目には絶望に映っただろう。
「おれの目の前でロビンちゃんの唇を奪うとはどういう了見だァッ!
羨ましすぎるぞなんでおれじゃねェ今すぐ変わ……叩き砕いてミンチにした後すり潰して火にかけてやろうかコラァ死ねェエエッ!!」
「やめんかッ!」
嫉妬魔人と化したサンジがノータイムでクレスに蹴りかかり、ナミによって叩きのめされた。
危ないところであった。
先ほどのサンジ相手は満身創痍の状態では少々分が悪い。下手をすればやられてた。それほどの危機感を感じさせるレベルだった。
途中で本音がダダ漏れだったサンジを地に伏せたナミは軽く咳払いをしつつ、クレスに視線を向けた。
「……で?」
「は? なんだ」
「とぼけんじゃないわよ。色々話すことがあるでしょ?」
いいから話せと、野次馬根性を露わにしたナミが促す。
うっ、と言葉に詰まりクレスは周りの人間に視線を向けた。
よく分かってないが楽しんでいるルフィとチョッパー。
どうでもよさそうなゾロ。憤怒に燃えるサンジ。
ニヤニヤと成り行きを見守っているウソップとフランキー。
これはマズイ。是が非でも話させそうといった雰囲気だ。
クレスは視線を彷徨わせた後、他人事のように傍観しているロビンへと助けを求めた。
しかし帰ってきたのは、頑張ってとでも言いたげな小悪魔然とした笑み。
完全にクレスの反応を楽しんでいた。
オイコラと、幼なじみに恨めし気な視線を送るも完全にかわされる。
観念したように息を吐き、クレスは沈黙の後に頬を掻いて言葉を放った。
「……エニエス・ロビーから出る前に聞こえた声はなんだったんだろうな?」
「「「オイッ!」」」
誤魔化しにかかったクレスに鋭い言葉が突き刺さる。
クレスは努めてその言葉を無視した。
話題をさらされたナミたちは、当然話を本流へと戻したいところだったが、クレスが言った疑問も無視できるものではなかった。
先ほどメリー号を一通り見て回ったが、誰も人影はなかった。
一味全員に確かに聞こえた呼びかけの声。
状況的に考えられるとすれば一つだけ。
だがそれはそもそも可能性にすらなっていない。
「だから言ってんだろ! あれはメリーの声だったんだよ。
な! メリーしゃべってみろ」
「バカ、船がしゃべるわけねェだろうが」
頑なにメリーの声だと信じるルフィを現実的にゾロが諭す。
一味の意見も概ね同じだった。
あの声はメリーの声かもしれない。だが、船が話す訳がない。
幻想と常識、その板ばさみで揺れる現実。
クレスもまだ結論を出せないままでいた。
一味が考えふけっていたその時、前方より船影が近づいてくるのが見えた。
追手かと身構えたが、マストに描かれた紋章を見て一味は安堵する。
「ガレーラの船、あそこにいるのはアイスバーグか」
近づいてくるガレーラの巨大商船にアイスバーグの姿を見つけたフランキーが呟く。
同じく、商船よりフランキー、そしてロビンの姿を確認したアイスバーグは、とんでもねェ奴らだと誇らしく言葉を噛みしめた。
「世界政府を相手に、本当に何もかも奪い返してきやがった」
ガレーラの船は徐々に船速を落とし、メリー号の隣に停船した。
クレスはメリー号に比べ何倍も大きい巨大な商船を見上げ、不意に足元から聞こえてきた押し殺すような音に耳をそむけた。
小さな歪のように押しとどめられていたその響きは、安心したように一気に弾けメリー号を襲った。
いや、既に限界だったのだろう。
力尽き首を垂れるようにメリー号は船頭部分より前に傾いた。
竜骨にできた致命傷を起点として前頭部を瓦解させた姿は、もう船としての寿命が尽きたことを知らせていた。
◆ ◆ ◆
それはモノとして造られた船に宿った奇跡だった。
人を運ぶためだけに作られた組木。
そこに意志が宿ったかのごとく、限界を超えてもなお背に乗せた人々を運んだ。
作られた時からそうであった訳ではないだろう。
共に苦難を乗り越え、喜びを分かち合ったからこそ船は人に答えようと思ったのかもしれない。
「おれは今奇跡を見ている。もう、限界などとうに超えている船の奇跡を。
長年船大工をやってきているが、こんなすごい船は見たことがない」
見事な生き様だった。
一人の船大工として、アイスバーグがメリー号に敬意を表す。
そしてルフィ達は悟ってしまった。
いくらメリー号を直そうとしても、これ以上は自分たちの自己満足にすぎない。
メリー号はその誇らしい人生を全うした。
これ以上は、無事に送り届けたいという、メリー号の願いすら踏みにじってしまうことになってしまう。
メリー号との別れの時が来たのだ。
船長として、一人の仲間として、ルフィが一味に告げる。
メリー号を見送ろうと。
一味はそれに従った。
「海底は暗くて淋しいからな。おれ達が見届ける」
メリー号との別離にあたって、一味が選択したのは火葬だった。
この場に残したままではメリー号は海底へと沈むだろう。
海の底は暗く寂しい。
ならばせめて暖かな炎の中で眠ってほしいという一味の願いだった。
船長のルフィが傷ついたメリーの船体に火を灯す。
潮に揉まれ乾き傷ついた船板はよく燃えた。
灯された炎は二つに崩れた傷跡を中心に燃え広がり、やがて全体へと広がっていく。
立ち昇る炎はメリー号のメインマスト頂上に位置する海賊旗へも及び、炎の中で揺らめいた。
「決別の時は来る。男の別れだ。
そこに涙の一つもあってはならない」
全身を炎で包まれたメリー号を眺め、噛みしめるようにウソップが言う。
以前にメリーの“声”を聞いてしまった彼は、メリーの処遇を巡ってルフィと対峙した。
だが、ウソップも分かっていた。別離の時は来るのだと。
何よりもメリー自身がそれを望むならば、黙って見送るのが筋であった。
「ながい間おれ達を乗せてくれてありがとう」
炎の中に形を溶かしていくメリー号にルフィが呟く。
舞い上がった炎は煙と共に天高く立ち昇る。
不意に肌に雫のような冷たさを感じ、空を見上げた。
はらりはらりと無数の粒子が舞い踊るように、雪が降っていた。
無言でメリーを見送る一味を代弁するかのように淡雪は降り続く。
その時、舞い散る雪の中にメリーとの思い出が瞬いた。
ウソップの故郷で譲り受けた船。
始めは操船に四苦八苦し、傷つけることも多かった。
共に“偉大なる航路(グランドライン)”を目指し、山を越えた。
賞金稼ぎの島“ウィスキーピーク”。
太古の島“リトルガーデン”。
桜の咲いた雪国“ドラム王国”。
砂漠の王国“アラバスタ王国”。
嘲りの町“モックタウン”。
神の住まう島“スカイピア”。
誇りを賭け戦った“ロングリングロングランド”。
そして、造船の島“ウォーターセブン”。
旅路は並大抵のものではなく、全てが困難なものだった。
幾多もの出会いと別れを繰り返し、喜びも悲しみも噛みしめ、常に共に旅をした船。
海賊にとっては、大切な家族であり家。それが今消えようとしている。
───ごめんね。
そんな時、声が聞こえた。
共に旅した仲間に向けて、最後に伝える別れの言葉だった。
それを聞いた仲間たちの思いが弾けた。
慣れ親しんだ船板。風を受けて広がるマスト。
颯爽と船首が波を切り、小回りの利く舵が何処へでも自由に導く。
何度も補修を繰り返し使い続けた。
傷の一つ一つが戦いをくりぬけた一味の勲章でもあった。
でも、もっと大切に使ってあげればよかった。
そんな後悔ともつかない思いが溢れ、いくつも浮かんでは消えていく。
メリーはそんな一味の思いを受け止め、最後の想いを伝えた。
───もっとみんなを遠くまで運んであげたかった。
───ごめんね。ずっと一緒に冒険したかった。
───だけどぼくは、幸せだった。
───今まで大切にしてくれて、どうもありがとう。
───ぼくは、本当に幸せだった。
皆に愛された夢の船が炎の中に消えていく。
その姿が虚空に消えるまで、一味はずっと見守り続けた。
◆ ◆ ◆
アクア・ラグナ明けのウォーターセブンは気持ちがいいくらいの快晴だった。
天候に呼応するように各所では人々の活気ある声が上がり、街を賑やかに彩っている。
今年のアクア・ラグナは例年にない規模で傷跡を残し、あらゆるものを流し去っていったが、ウォーターセブンの人々はどこ吹く風と復興作業を進めていた。
元よりガレーラカンパニーが取り仕切る職人たちの島だ。
壊れたのならば修繕し作り直せばいいと、奮起した職人たちによる復興作業は鮮やかなもので、元通りの街並みが戻るのも時間の問題だった。
そんなウォーターセブンの中心街。
火が放たれたことにより焼失したガレーラカンパニー本社に代わる仮設本社の一室に、戦いを終えた一味は招かれていた。
エニエス・ロビーを脱出してから既に数日が経過している。
激闘を制した一味たちは疲れ切った体を休めるために眠り続け、起き出した者から好き好きに動き回っていた。
三日目には、海兵の英雄<ゲンコツのガープ>がルフィとゾロの旧知を連れてやってくると言ったハプニングがあったが、概ね穏やかな日々が続いている。
だが、そんな中で未だクレスだけが眠り続けていた。
「ロビン、よかったら代わるわよ。ずっと看病続きみたいだし」
窓から柔らかな木漏れ日が差し込む午後。
眠り続けるクレスの隣で本を広げていたロビンは、振りかけられたナミの言葉に視線を上げた。
「ありがとう。でもいいの、なんだかもう少しで起きそうな気がして」
メリー号の最後を見届け、ガレーラの船に乗り込んだクレスは突如糸の切れた人形のように倒れ込んだ。
幾度も限界を超えた体は、生きていること自体が奇跡に近く、チョッパーによる懸命な治療を受け、何とか一命を取り留めた。
チョッパーの話によると、クレスの肉体操作の技術は凄まじく、今回の怪我のレベルで動けることはまずありえず、動いていたのは精神力だけでクレスが無理やりに肉体を動していたからだったと言う。
その結果全身の状態はより深刻になり、しかしそれも精神力のみで押しとどめ、肉体はおろか命までも制御し切っていた。
つまるところ、クレス以外ならば死んでいた。そんなレベルの負傷だった。
だがその代償として、今回の戦いでクレスは間違いなく寿命を十年は縮めた。
医師として思う所があるのか、深刻そうな顔でチョッパーはロビンに告げた。
「それに起きた時に私がいないと、泣いちゃいそうだもの」
「……確かに」
「でしょ?」
冗談めかしてロビンは笑い、クレスの頬を撫でた。
一時は人形のように冷たかったが、今はちゃんと血の通った暖かさがあった。
無茶をして、無理をして。それでも強がって。
そんなクレスが何よりもロビンには愛おしかった。
だから、守ってあげたい。
今回はクレスが命を懸けた。だから、いずれクレスの危機にははロビンも命を懸ける。
その思いは変わることはないのだろう。
「早く起きないとね、クレス。
ルフィたちは宴をやりたくてうずうずしてるんだから」
ロビンは未だ眠り続けるクレスに微笑む。
クレスは元々眠りが深く朝が苦手なのだ。
眠りが浅く覚醒が早いのは気を張っている時だけ。
こうしてゆっくり眠り続けていられるのは、ここが安心できる場所だと感じているからなのだろう。
木漏れ日は柔らかで温かい。
クレスの寝顔を見ていたロビンは瞼が少し重くなるのを感じ、暖かな欲求に逆らわずに瞳を閉じた。
◆ ◆ ◆
クレスが目を覚ましたのは、木漏れ日が夕日に変わりつつあった時だった。
目覚めを待ち望んでいた一味は安堵と喜びの声を上げた。
絶対安静を告げるチョッパーを尻目に、一味はクレスを取り囲んで騒ぎ続け、なし崩し的に宴へと移行した。
クレスの目覚めをずっと待っていた為に延期されていた陽気な宴は、瞬く間に島全体に広がった。
海賊たちの宴は、島中の人間を巻き込んでの大宴会へとなっていた。
どこもかしこも、飲めや歌えやの大騒ぎ。
これでもかと大盛りの料理がふるまわれ、島中の酒樽が底を付く。
誰も彼もが相手を称え、自らを誇り酒を交わす。
海賊の器は宴の派手さで決まると嘯く者がいた。
それなら麦わらの一味は海賊王並だと声が上がる。
所詮は酒席の笑い話。
大笑いと共に、だがしかしあの海賊達ならあり得るなと、また杯が干された。
「まったく、病み上がりの前でこれだけ騒ぎやがって」
宴会の主会場であるガレーラの仮設本社前広場に築かれた巨大な焚火を眺めながらクレスが呟く。
宴を楽しむ海賊達は騒がしく、仮設本社の外門近くに腰かけたクレスからも十分声が聞き取れる。常に笑いの中心に彼らはいた。
「そんなこと言って、クレスも十分楽しんでるじゃない」
座り込むクレスの傍で外壁に背を預けたロビンがチクリと言う。
ロビンの言うとおり、クレスの傍にはサンジが作り上げた水水肉入りのシチューを始めとした各種料理と酒瓶、そしてあろうことか山盛りのデザートがあり、傍目から見れば宴を楽しんでいることが丸わかりであった。
「う、……まァ、栄養補給だ。
何日も寝てたからな、さすがに腹が減った」
「もう、食べ過ぎは毒よ? 普段はそんなに食べるわけじゃないのに」
「分かった、食べ過ぎには気を付ける」
「言ってる傍からケーキに手を伸ばさないの。
もう、チョッパーから安静にするように言われてたの忘れたの?」
「さっきそのチョッパーが綿飴置いていったぞ」
ロビンの視線に観念したのか、クレスはケーキへと伸びていた手を引込め、代わりにスプーンを取ってシチューを食べようとした。
しかし、さすがに病み上がりで動きは僅かにぎこちない。
真新しい包帯が巻かれた腕を見て、ロビンはクレスからスプーンを取り上げる。
首をかしげるクレスの代わりにシチューを掬うと、クレスの口元に差し出した。
クレスは詰まったように動きを止めたが、観念したようにスプーンへと口を開いた。
「体はもう大丈夫なの?」
「ああ、迷惑かけたみたいだが、大体大丈夫だ」
寝たきりだったクレスだが体の調子はかなり回復していた。
睡眠時も常に生命帰還によっての修復を続けた結果である。
まさに常識はずれの肉体操作だった。
「でかい恩をもらったな」
「そうね」
「ああ、ちょっとやそっとじゃ返せそうにない」
クレスは広場で騒ぐ仲間たちをみて息をつく。
嬉しいような、気恥ずかしいような曖昧な嘆息だった。
「始めはさ、全てが気まぐれだった。
アイツに目を付けたのも、船に乗ったことも。でもそれが、いつしか変わった」
クレスは息をつくと、正面からロビンの顔を見た。
「おれには夢がない。
見れるとは思ってなかったし、見る必要もないと思ってた」
いつかクレスは言った。
夢を追うロビンが救いだと。
クレスにとってそれは、夢でなく即物的な望みだった。
「相変わらず根幹の精神は歪んだままだし、自分でも捻くれてるとは思う」
だが。
クレスは今心に宿ったロビン想いを告げた。
「おれは見たいよ。
お前が、あいつらが、夢を叶える瞬間を。
その為になら戦える。あいつらも、当然お前も、守ってやりたい。
今までと変わらないかもしれないが、それがおれの“夢”だ」
望みそのものに変わりはないのだろう。
だが、クレスは根幹的な部分で変化した。
過去に縛られ<現在>のみに向けていた目を、未来へと向けた。
未来とは、未知であり不確定だ。
故に人々は大小様々な夢を持つ。それを導に不確かな今を戦いながら進むのだ。
「素敵な夢だと思うわ。
叶えましょう、その夢。クレスならきっと大丈夫」
「ああ、がんばる」
揺らめく炎を受けながら、クレスは自らに誓いを立てた。
ロビンとこの一味となら、きっと叶えられる。叶えてみせる。
誓いを新たにクレスは空を見上げた。
星々の煌めく夜空には綺麗な満月が浮かんでいて、楽しげに騒ぐ人々を見守っている。
クレスはその光景を記憶に焼き付けるように目を閉じると、振り返る事無く告げた。
「で、お前は何をしに来たんだ───クザン」
クレスの言葉にロビンが息をのんだ。
そんなロビンを察して、クレスがロビンの手に自身の手を重ねる。
傍にクレスがいることに安心したのか、ロビンの動揺が収まった。
「まさか気づかれるとは思わんかった」
背を向けた外壁ごしにクザンの声が聞こえた。
称賛するような、素直な口調だった。
その様子からクレスはクザンが戦いに来たのではないと確信する。
クザン以外に海兵の気配は感じない。恐らくは独断で“あたり”を付けたこの地までやってきたのだろう。
「お前らのことは、リベルさんから直接聞いた。
なんというか、まァとんでもない事をやってくれたわけだ」
「リベルのおっさんの様子は?」
「ピンピンしてるよ。相変わらず凄い人だ。
今は政府のお偉いさん方の呼び出しをくらってる最中だがな」
やはりと言うべきか、リベルの現状は予想通りだった。
勝利したクレスより軽傷というのはいささか割に合わないが、それも当然だろう。
聞いた話によれば、リベルは政府の上層部と折り合いが悪いらしい。
だが、あの男ならば如何なる事も柳のように受け流す筈だ。
「二十年前、オハラの為に戦った巨人、ハグワール・D・サウロとおれは親友だった」
淡々とクザンは語りだした。
サウロ。下手くそな笑い方をする巨人。
命を懸けてクレスとロビンを守ってくれた恩人だ。
「サウロの意志をくみ、お前たちを逃がしたおれにはその人生を見届ける義務がある。
だが、二十年もの間彷徨い続けたお前たちは大きな闇を抱えすぎていた。
いつか必ずお前たちは多くの人々を破滅へと導く。例えお前たちが望まなくともな。
だから、追われては飛び回る危険な爆弾をこれ以上は放置できないとふんだ。
おれは今回の一件でお前たちに関する問題に決着(ケリ)を付けようと思った」
そこでクザンは言葉を切り、僅かに和らいだ声で呟く。
「だが結果は、我々の敗北。
CP9にリベルさんを加えた布陣で敗退など予想だにもしなかった」
クレスとロビンそしてクザン。
互いに壁を背にした二人と一人は向かい合うことはない。
クザンが口を閉ざした為に、辺りの喧騒が聞こえてくる。
その楽しそうな声に暫く耳を澄ましていると、観念したようにクザンが告げた。
「やっと、宿り木が見つかったのか?」
「ああ」
「ええ」
クザンの問いかけに、クレスとロビンは力強く答えた。
もう二度と見失いはしない。
唯一で無二の居場所だ。
「サウロがお前たちを生かしたことは、正しかったのか、間違いだったのか。
その答えをお前たちは見せてくれるのか?」
「そのつもりだ」
「ならば、しっかりと生きることだな。
エル・クレス、お前を見てると親父のタイラーを思い出す。
なんというかまァ、大した奴だよアイツは。なんとなく予感はあったがな」
背を預けていた壁を蹴り、クザンはこの場から立ち去ろうする。
話は終わったのだろう。
クザンもまたこの夜をもってオハラに関する決着をつけたのだ。
徐々に遠ざかるクザンの気配。
だが、不意に立ち止まると、クザンは背を向けたままクレスとロビンに告げた。
「オハラはまだ滅んじゃいねェ。
一人、命を懸けた大バカ野郎がいたからな。
全くやってくれたもんだわ。……お前達もこの海を進めば分かる筈だ」
不意にそう言い残し、完全に気配を消した。
聞き捨てならない言葉に、クレスとロビンがクザンを問い詰めようとしたが、クザンの姿は完全に消えていた。
「おッ! クレス、ロビン!
そんなとこにいたのか。こっち来いよ!」
狐に包まれたような気分のクレスとロビンを陽気に笑うルフィが誘う。
後ろにはほかの仲間たちの姿もあり、無邪気に二人の参加を待っていた。
「……たっく」
バカらしくなってクレスは息を吐いた。
この一味の中にいると碌に思い悩む事もできないらしい。
隣を見ればロビンも同じ様子で、二人は早く来いと手を振る一味の元へと向かった。
◆ ◆ ◆
騒ぎに騒いだ宴の夜が明けた。
夜とは打って変わって巡ってきた朝は静かなものだった。
気持ちよく眠る人々は立ち上った太陽の光を受け、それぞれに動き出す。
そんないつもと少し違う朝に、いつものように“ニュース・クー”により新聞が届けられる。。
今日の朝刊の一面は、先日政府の三大機関の一つであるエニエス・ロビーで起こった大事件だった。
紙面はその話題で持ちきりで、何ページにもわたって詳しい詳細が書かれた記事が掲載されていた。
「なるほど、これは酷いな」
テーブルに広げられた新聞の記事を読んだクレスが呟く。
配達された新聞は一味の元にも届いていた。
、情報統制の為か暫く沈黙を続けていた政府の公式見解ともいえる記事は、今回の事件にかかわった人々の命運を分けるものとなりえた。
「全部“おれ達”のせいじゃねェか」
記事の内容は真実を知る者からすれば酷いものだった。
大まかに要約すれば、政府に一切の非はなく全てが海賊たちが引き起こした事となっている。
だが、不思議なことにエニエス・ロビーに進攻した海賊たちは<麦わらのルフィ>を始めとした“9人”の少数海賊団となっていた。
記事には何処にも共に戦ったガレーラとフランキー一家の名前は出てこなかった。
いささか不自然な状況だが、おそらくはリベルかクザンが手を回した結果だろう。
「大変だ、麦わらさん達ッ!!」
そんな時、玄関口の扉が勢いよく開き、ザンバイを始めとしたフランキー一家達が飛び込んできた。
問いかけるより先に、いいから見てくれと、ザンバイは腕に抱えた真新しい羊用紙の束を広げる。
それは一味全員を示した手配書の束だった。
『───<麦わらのルフィ>懸賞金3億ベリー』
『───<海賊狩りのゾロ>懸賞金1億2000万ベリー』
『───<“泥棒猫”ナミ>懸賞金1600万ベリー』
『───<“狙撃の王様”そげキング>懸賞金3000万ベリー』
『───<黒脚のサンジ(写真入手失敗)>懸賞金7700万ベリー』
『───<わたあめ大好きチョッパー(ペット)>50ベリー』
広げられた手配書に一味はそれぞれの反応を見せた。
エニエス・ロビーの件で政府は一味の評価を改め、金額を吊り上げた。
少数とはいえ、一味全員が賞金首になるのは異例と言ってもいいだろう。
世界中にバラ撒かれたであろう手配書の中には、当然クレスとロビンの分もあった。
今までは<オハラの悪魔達>の異名であったそれは、二人の成長した姿を映し、別々の異名を与えていた。
『───<“悪魔の子”ニコ・ロビン>懸賞金8000万ベリー』
『───<“悪魔の番犬”エル・クレス>懸賞金2億4000万ベリー』
クレスは自身を移した新たな手配書を手に取り、不敵に笑った。
いつの間に撮られたのかは分からないが、背中合わせにロビンを守る姿がそこにある。
金額に関しては妥当だろう。以前のクレスからすれば比べものにならない数字だが、あのリベルを倒したのだ。これぐらいは当然だ。
そして何より変わったのが、名前の上に書かれた“DEAD OR ALIVE”の文字。
この文字がある以上、クレスもロビンも仲間たちと同じ、一端の海賊であった。
「心中お察しするというか、色々言いてェ事はあると思うが、これを見てくれ!」
個々様々な感情を見せる一味に対し、ザンバイは新たな手配書を広げた。
それは一味と共に戦ったフランキーのものであった。
『───<“鉄人”フランキー>懸賞金4400万ベリー』
賞金首となってしまった自分たちのアニキであるフランキーを想い、ザンバイ達は一味に向かい頭を床に擦り付けるように頼んだ。
どうかアニキを一緒に連れて行ってくれと。
◆ ◆ ◆
ウソップを除く一味は荷物をまとめ、廃材置き場近くの港へと足を運んでいた。
フランキーが設計した“最高の船”を受け取って、この島から出航するためだ。
突然ともいえる出航だが、正式に新聞記事で事件の事が出回ってしまった以上、この島に居続けるのはリスクが大きい。近くに海軍の船があると聞けば尚更だ。
名残惜しいがこれでお別れだった。
瓦礫や廃材が散乱する道を進み、一味は保護布に包まれた船の姿を見た。
船の前ではアイスバーグが一味の到着を待っていて、やってきた一味を歓迎した。
この船はすごいぞと、アイスバーグは職人らしい無邪気な顔で言う。
世界の果ても夢じゃない。
世界最高峰の船大工の言葉に一味の期待が上がる。
「フランキーからの伝言だ。
『お前はいつか<海賊王>になるんなら、この<百獣の王>の船に乗れ』」
この場にいないフランキーからの伝言を伝え、アイスバーグが保護布をはがす。
すると、獅子の船首をしたスループ船が姿を見せた。
世界最強の木材<宝樹アダム>によって実現した、最高の船。
その名を<サウザンドサニー号>。
千の海を超える太陽。
フランキーとウォーターセブンの職人たちが魂を込めて造ったそれは、必ずメリーの遺志を継ぎ一味を運ぶ<夢の船>となるだろう。
「麦わら、お前フランキーの奴を<船大工>として迎え入れるつもりか?」
「お、よく分かったな! おれ決めたんだ! あいつを仲間にするって」
ルフィは無邪気にアイスバーグに答えた。
どうやらこの船長はフランキーの事が気に入ってしまったらしい。
本職はもちろんの事、戦闘員としても腕は確か。
エニエス・ロビーでの“借り”もある。
クレスもフランキーが仲間になるというのは悪い話ではないように思えた。
「そうか、どうやらアイツもお前達の事を気に入っているらしい。
なら一つ頼まれてくれないか。ンマー、アイツも本心は海に出たいようだからな」
一味はアイスバーグからフランキーについての話を聞いた。
フランキーはこの島に居続けるように自分自身に義務を課しているのだという。
その呪縛から解き放ってやってほしい。
フランキー自身の夢の為にも。
だから、無理やりにでも仲間にして海へと連れて行ってほしい。
兄弟弟子を思い、アイスバーグはそう言った。
「よし、分かった!」
ルフィは力強く答え、フランキーの元へと向かうこととなった。
結論から言えば、フランキーの勧誘は過去に類を見ないほど最低であった。
ルフィ達がフランキーの元へと向かった時には、何故か海水パンツを握りしめた子分たちと、全裸にアロハを羽織っただけで走り抜けるフランキーの姿があった。
事情を聴けば、子分たちがフランキーを想い、サニー号までの誘導を試みたらしい。
パンツを使って。
事情を聞いた一味は子分たちの案に乗り、フランキーを無理やりに(パンツを使って)船まで誘導し、そこでルフィが直接フランキーを勧誘を行った。
フランキーは男泣きした後に子分達に別れを告げ、一味の仲間になることを選んだ。
パンツをはかないままで。
余談だが、勧誘が終わった後で船に戻ったクレスは、何故か何人からも同情の視線を送られた。
何があったかクレスは聞いたが、誰も教えてくれなかった。
ロビンだけが嫣然と微笑んでいた。
◆ ◆ ◆
フランキーが船に乗り込み、一味は出航準備を整え終えた。
だが、まだ一人この場にいない人間がいた。
喧嘩別れしたウソップである。
エニエスロビーの件で仲違いは解消したものの、海賊である以上、一味から抜けることがそう軽いものであってはならない。
ましてや船長であるルフィにに対して決闘まで吹っ掛けたのだ。
通すべき仁義を通さなければ、それはただの遊びだ。
故にゾロはルフィ達に告げた。
ウソップが“ケジメ”を付けなければ一味に再び迎え入れることは許さない。
自分たちの前に現れた時の第一声が“詫び”でなければ、この島において行くと。
乱暴な物言いだが、海賊として全面的にゾロの言い分が正しかった。
「出航ッ!」
どこか虚しいルフィの声と共にマストが張られ、サニー号が波を切り進みだす。
結局ウソップはルフィたちの元へと現れなかった。
「いいのか、まだ待たなくて」
サニー号の甲板に備え付けられたベンチに腰を下ろすルフィにクレスが問いかける。
ルフィは乾いた声で、いいんだと告げる。
そこにいつもの太陽のような無邪気さはなく、無理をしていることは丸わかりだった。
そんなルフィを察してか、サニー号の舵を取るナミはなるべく低速で船を進める。
しかし、一味の感傷など気にせずに、背後から海軍の軍艦がやって来ていた。
骨を咥えた犬と特徴的な船首の船は、<ゲンコツのガープ>の船だ。
『おい、ルフィ! 聞こえとるか?
こちらじいちゃん、こちらじいちゃん!
すまんが、いろいろあってな。やっぱりお前らここで海の藻屑となれ』
そんなガープの声が聞こえたかと思うと、恐ろしい速度で砲弾が飛んできた。
弾速は大砲で打つより圧倒的に速く正確だ。
信じられないことに今の一撃はガープが砲弾を直接投げたモノだった。
噂に聞く、ガープの“拳骨隕石(ゲンコツメテオ)”だ。
「船は全速前進! おれ達は砲弾を潰す!」
ルフィの指示に一味は一斉に動き出した。
ウソップの事もあったが、このままでは船が沈められてしまう。
逃げ出そうとする一味に向け、ガープの船から次々と砲弾が投擲される。
たった一人が放つ砲弾に、一味は数人がかりで対処するのがやっとだった。
「あッ! 来た、ウソップが来たァッ!!」
その時、海岸にウソップの姿を見つけたチョッパーが喜びの声を上げる。
ウソップは瓦礫の山に脚を取られながら必死に船まで走っていた。
大声で一味の事を呼んでいる。
今ならばルフィが手を伸ばせば間に合う距離だ。
「ルフィ! ウソップが呼んでるよ!」
「聞こえねェ」
しかし、ルフィは歯を食いしばりながらチョッパーに答える。
第一声が“詫び”でなければ、ウソップとはここで別れる。
ウソップは確かに来て、叫んでいる。
それは自己弁明の言葉であり、海賊として筋の通らない嘘事だった。
ルフィたちが待ち望んだ言葉じゃない。
そんな言葉は、降り注ぐ砲弾に紛れて何も聞こえはしない。
砲弾の弾幕に追われ、無言のままに立ち去ろうとする一味から何かを感じ取ったのか、ウソップは海岸線で立ち尽くした。
ウソップも分かっていた。
海賊としての仁義も筋も。
ただ、ちっぽけな虚栄心が邪魔をして受け入れられなかっただけだ。
唇が振るえる。こんなつまらないことで切れていい絆ではなかった。
「ごめェ───んッ!! 意地張っで、おれが悪がっだァアア!!」
ウソップの叫びは砲弾の音すらかき消すように響いた。
「今更みっともねェげど、おれ一味をやめるって言ったけど!!
あれ取り消すわけにはいがねェがなァ!
頼むがら、頼むがらァ! おれをもう一度仲間に入れでぐれェええッ!!」
情けなくも溢れる気持ちを隠せず、祈るように泣きながらウソップは叫んだ。
それは何よりも一味が待ち望んだ言葉だった。
ウソップの前にルフィの腕が伸ばされる。皆この腕を取り始まった。
「バガ野郎、早ぐ掴まれェエエッ!!」
ウソップにも負けないぐらいに涙を流したルフィが叫ぶ。
バカはお前もだとゾロが笑う。
カッコ悪いわねアンタ達とナミが涙を浮かべた。
ガッチリと手を繋ぎ、ルフィが勢いよくウソップを船へと引き上げた。
「やっと全員揃ったッ!!
こんな砲撃抜けて、冒険に行くぞ野郎どもッ!!」
一味が全員揃い晴れ晴れとルフィが叫ぶ。
船員(クルー)達は船長の意志に呼応して、士気を上げた。
こうなればこの一味は無敵だ。
如何なる波も、風も、敵も乗り越えられる。
サニー号の秘密兵器を見せてやると言ったフランキーの言葉を信じ、追撃を行う海兵たちの前で、一味を乗せたサニー号はあろうことか帆を畳んだ。
降参かと海兵たちは訝しんだが、一味はそんなつもりは毛頭もなかった。
「みんな色々とありがとう! おれ達は行くからなァ!!」
島で見送る人々にルフィが声を張り上げる。
海賊ってのは船出も静かにできないようだと、ウォーターセブンの人々は清々しい海賊たちを見守った。
「ワシを舐めると怪我するぞ、ルフィ!」
生意気な態度をとり続ける孫に業を煮やしたガープが、軍艦に搭載されていた巨大な鉄球を手に取った。
巨人族ですら扱うのに苦労しそうな鉄球を難なく上空に放り投げると、鉄球に繋がった鎖を操り、サニー号の真上から叩きつけようとする。
迫る天を覆うほどの巨大な鉄球を眼前に、サニー号の船尾に取り付けられた装置から暴風とまがうほどの風が吹き荒れる。
直後、巨大な鉄球が海を打ち付け爆発のような水しぶきが上がった。
「やりおる」
ガープは空中を見て呟いた。
この場にいる者は皆、空を見上げ目を疑った。
そこには巻き上がった水滴の中に煌めく、海賊船の姿があった。
サウザンドサニー号。
千の海を超える太陽は、風を切り空すらも自由に駆け抜けた。
「すげェもんだな」
「正に夢の船ね。
ふふ、どこまでいけるのかしら?」
空を進む船の上で、クレスとロビンは言葉を交わした。
フランキーの説明によれば、この“風来砲(クードバースト)”によりサニー号は1キロ近くを飛行できるのだという。
振り向けば、水の都がどんどん小さくなるのが見えた。
僅かに浮かんだ感傷は吹き抜ける風と、一味の歓声に溶けていった。
次はどんな困難が待つのかは分からない。
だが、どんな壁だろうが乗り越えられる。
信じあえるこの一味とならば。
そう思い、クレスはロビンに向け笑みを浮かべた。
太陽に照らされた、無邪気な笑顔だった。
「何処までもいけるさ、一緒なら」
風は優しく流れ、青空の中に雲は浮かぶ。
波は比較的穏やかだが油断は禁物。ここは強者の海。
季節は春。天候は快晴。風向きは追い風。
絶好の航海日和。
帆にめいいっぱいの風を受け、夢の船は進む。
まだ見ぬ世界を目指して。
第五部 完結
あとがき
この話をお読みくださり、ありがとうございます。
作者のくろくまです。
ご覧のとおり、第五部エニエスロビー編完結です。
同時に、この「幼なじみは悪魔の子」も幕引きとなります。
最初に書いている時から、完結させるならば、ここだろうなと思い書いていました。
いつかは来ると思っていましたが、まさか本当に来てしまうとは思っていませんでした。
実は私がこの話を書こうと思いまず初めに浮かんだのが、このエニエスロビー編です。
オハラ編、オリジナル編、アラバスタ編、空島編を経て、ここに至るまでの道のりは長くも短い不思議なものでした。
完結させたいという気合はありましたが、自分でもここまで書ききれるとは思ってもいませんでした。
これも皆さんのおかげだと思います。
感想版では声援からご指摘まで数多くの声を聴かせていただいてありがとうございます。
いただいた感想はひとつ残らず私の中で糧となったと感じています。
総PVが100万を超えたときはうれしすぎて、踊りました。
正直な話、私も素人ですし、昔に比べればだいぶマシになったとは言え、文章構成も表現方法も知識も、その他もろもろも、まだまだです。
話の展開に関しても、二次創作だと、あくまでも個人の趣味だと開き直り私が思い描いた通りに好きなように書きました。
感想版でもありましたが、原作通りというのは私もよく感じています。
ワンピースのコミックを何度も読み返し、その話に触れるたびに、これ以上の話を書くのは無理だと半ば開き直っていた節がありました。
ですがご指摘通りに、それでは駄目でもあります。
こういった多数の目に触れる場を提供してもらっている限りは、目を汚さないものを作らないといけない。何よりも原作通りでは、漫画を読んだほうが何倍も有意義ですし、意味がありません。
ですので、クレスというキャラクターを通して壮大な物語を原作キャラクターと共に歩みたい。半ば矛盾した思いで話を書き続けていきました。
今は、完結させられたことで、ほっとしたような、さみしいような気持ちです。
この作品を通して、私自身も少しは成長できたと思います。……まぁ何年かして読み返してから黒歴史となるかもしれませんが。
長々と書いてしまい申し訳ありません。
とにかくありがとうございました。
最後までお付き合いいただいた皆様の程よい暇つぶしになれたことを祈ります。