第九話 「甘い毒」
───私が殺す。
届いた声は、どうしようもなく本物だった。
目の前にある姿は揺るぐ事なく、確かな意思によって発せられた事が理解できた。
「……そうか」
クレスは目の前で銃口を突きつけるロビンに、ただそう呟いた。
呟かざるを得なかった。
ロビンの言葉はクレスにとって受けとめるには重すぎた。
だが、それを嘘だと否定する事だけはしなかった。
「分かってもらえたかしら? 私はもうアナタとはいられない」
「どうしてだ? どうしてその答えに至った?」
「アナタにはもう関係ない事よ。
でもこれだけは言えるわ。この選択は私が選んだ。いくつもの選択の中で私が決めた」
クレスに対する答えは、冷たくも芯の通ったものだった。
理由は分からない。だが、ロビンは既に決めてしまったのだ。
昔からそうだった。冷静に見えても、自身の選択には頑固で、選び取った道を貫こうと頑なになった。
「今の状況、……政府に従う、その意味も分かっているんだな?」
「ええ、分かっているわ。私はそれでも構わないと思った」
「おれが何も分かって無いとでも思ってるのか、バカ野郎! それは命を捨てるって事だぞ!!」
「知ってるわ」
声を荒げたクレスにもロビンは淡々と答えた。
伝わっって来た言葉に憂いは無く、全て覚悟の上だと言う事が理解出来てしまった。
「じゃあ、これだけは教えてくれ。お前は政府となんの契約を交わしたんだ?」
「簡単な事よ。私の意志に沿うものだった、それだけよ」
クレスの問いにロビンは曖昧な答えを返した。
教える事が出来ない。それも契約のうちなのかもしれない。
だが、予測することは出来る。
政府が持ちかけ、ロビンが呑まざるを得ない内容ならばそれは完全に“弱み”を握られたと言う事だ。
「アイツ等の事か? それとも青雉のことか?」
「さァ、どうかしら」
ロビンは答えない。
仮面のような表情からはクレスですら変化を読み取れない。
世界の闇で生きるうちに身に付けた力はそう敗れるものでは無かった。
「おしゃべりはこの辺りにしましょう、クレス」
ロビンは能力を用い深緑のローブから二つの銃口を覗かせた。
それは明らかな戦う意志。宣告通りの行動。
クレスは、「わかった」と目を閉じ、湧き上がる苛立ちを抑え込んだ。
「言葉で伝わらないなら、無理やりにでも連れていくぞ」
「承知の上よ、クレス。それでも私はアナタと戦うわ」
無表情を作り上げたクレスに、ロビンは薄い笑みを浮かべた。
嫣然とした笑み。だが、クレスには今にも散ってしまいそうに見えた。
それを見てクレスの中に燻る苛立ちが増す。
苛立っているのはロビンの行動では無い。ロビンに行動させてしまった己の弱さであった。
「もう一度言うわ。アナタはここで死ぬの」
ロビンは引き金を引いた。
銃口より弾丸が発射され、一直線にクレスへと向かって進む。
それを見てクレスは剃によってその身を躍らせ弾丸を回避。ロビンに向け一気に距離を詰めた。
だが、肉迫する寸前で突如咲き誇った腕がクレスの全身に絡みつき、クレスの動きを阻害する。
同時に人体構造を知り尽くした腕が関節を砕きにかかった。
咲く場所を厭わぬロビンの力は、攻撃に転じれば敵対者に対し絶対的なアドバンテージを得る。
それでいてロビンが狙うのは関節。従来、関節技(サブミッション)は腕力や体力に勝る相手に対し考案された技だ。
どれだけ鍛えようとも、生物には構造的な限界がある。関節はその最たるものだ。
類稀なる頭脳によって得た人体構造の知識と<ハナハナの実>の能力が組み合わさったロビンの力は驚異的なものがあった。
「六輪咲き“クラッチ”!」
「鉄塊ッ!」
だが、そんなロビンの力にも例外はある。
いくらロビンといえど、鉄の硬度と化したクレスの関節を極めるには非力すぎた。
能力によって咲いた身体は全てロビンの一部なのである。これは<ハナハナの実>の長所であり、弱点でもあった。
当然ロビンもその事を熟知している。力不足を数で補い、強引に押し切ろうとするも、その前にクレスは強引にロビンの腕を振り払った。
腕が散るように消える。拘束が緩み自由になった瞬間、クレスは再び地面を蹴った。
「許せよ……!」
クレスはロビンとの最短距離を駆け抜ける。
僅かによぎった戸惑いを拳と共に握りつぶし、一瞬においてロビンに肉迫。
しかし、拳を振るう直前にロビンによって視界を塞がれた。
クレスは構わず己の感覚のままに拳を振るうも、振るった拳は空を切った。
「───ハング!」
塞がれた視界の中で、クレスは振子のように揺さぶられるのを感じた。
不味い。瞬間的にそう感じ、受け身を取ろうと身体を動かそうとしたが、ロビンはそれすらも許さない。
クレスの身体は抑え込まれ、無防備な状態で目前に迫っていた地下倉庫の厚い壁へと叩きつけられた。
倉庫全体を揺らすほどの衝撃が響く。それはクレスの剃の速度すら利用した攻撃の凄まじさを物語っていた。
だが、
「……やられた」
クレスは事も無さげに立ち上がった。鉄塊による防御だ。
しかし、クレスの身体はルッチとの戦いによって蝕まれ、常人なら立っているのすらままならない程の傷を負っている。
いくら鋼鉄のように硬化した身体とはいえ、その状態で壁に叩きつけられれば一溜まりもない。しかし、クレスはそれを微塵にも感じさせなかった。
ロビンもクレスの体の状態には気づいているようだが、それでも驚いた様子は無かった。
「やはり立つのね」
「当然だ。お前相手だ、手を抜くつもりはない」
「私もそのつもりよ」
これは互いに手の内が知れた戦いであった。
クレスは誰よりもロビンの力を知っているし、ロビンは誰よりもクレスの強さを知っている。
それは信頼に基づく認識であり、背中を預ける安心感と共にある筈であった。
だが、皮肉なことに現在はその認識を元に互いに敵対していた。
「遊びは終わりだ。帰るぞ、ロビン……!!」
「もう私は帰るつもりはないわ」
言葉は結びつく事なく、平行線を辿るだけ。
もはやロビンは自身の選択を変えるつもりはないのだろう。
そもそも簡単に揺らぐ程度の選択ならばロビンは下さない。今回の事も悩み抜いた上にロビンが下した判断なのだ。
説得は無意味。今まで様々なことがあったが、今回ばかりはクレスにとって受け入れられるものではない。
ならば、やるべき事は力づくでも止めさせることだ。
「百花繚乱(シエンフルール)!」
ロビンはクレスが歩み寄るのを拒むように能力を用いた。
無数に咲く手はクレスを掴み捉えようとする。だが、その手から木の葉のようにクレスはすり抜け消えた。
「紙絵“葉歩”」
クレスは巧みな肉体制御によって行き先を阻もうとする腕を避け続ける。
瞬く間に再びロビンへと近づいたクレスであったが、ロビンの腕から完全に逃れることは出来なかった。
ロビンは如何なるところからも腕を咲かせる事が出来る。それは動き続けるクレスの身体も例外ではない。
直接クレスの身体に咲いた腕は機械のように蠢く手脚を拘束し、続けて関節を極めようとする。
だがクレスもむざむざやられるつもりはなかった。
「ハァッ!!」
クレスは急激に床を踏み込んだ。
急加速を受けた身体は横に逸れ、地下倉庫の一角に納められた物資の山へと向かう。
ロビンはクレスの意図に気が付いたのか、クレスの関節を極めるのを止め、クレスの動きを止めに掛かった。
だが、ロビンの拘束よりもクレスが物資の山を蹴り砕き粉砕する方が早かった。
「……ッ!」
クレスの一撃を受けた物資の山は爆破されたかのようにあちこちへと飛び散った。
まるで炸裂団のような破片の煽りを受け、ロビンの腕が消えた。
その一瞬を逃さず、飛び散る破片に混じりクレスは駆ける。
今この瞬間のみはロビンは能力を使えない。飛び散った破片が重力に引かれ落ちるまでのほんの僅かな時間であったが、クレスには十分すぎた。
真っ直ぐに、強く唇を結んだロビンに向け進む。
一瞬で距離はゼロに近づいた。
二人は縺れるように倒れ込み、クレスがロビンを抑え込む。
その直後、飛び散った破片が床に落ち、けたたましい音を奏でた。
「アナタなら真っ直ぐに私を捕まえに来ると思ったわ」
僅かな沈黙の後、先に口を開いたのはロビンだった。
二人の距離は心音が届く程近い。
ロビンは両手をクレスに掴まれ、地下の冷たい床に押し付けられている。クレスが本気で抑え込めば、能力を用いてもロビンではどうする事も出来ない。
「手を抜くつもりはないって言ってたけど、あなたが私相手じゃ本気を出せない事も知ってた」
独り言のように、ロビンはクレスへと囁く。
事実、ロビンの言う通りであった。
クレスはロビンを倒すのではなく、止めようとした。傷つけようとする選択を選びきれなかったのだ。
ロビンが防御しきれない“嵐脚”を使えば、クレスにとってこの争いはもっと楽に終わらせる事が出来たであろう。
だが、20年も寄り添うように生きてきた幼なじみ相手に、容赦なく戦えるほどクレスは器用でもなかった。
それは優しさに融けた、甘さ。
クレスが捨てきれなかったもの。
「軽蔑してくれてもいいわ。私はアナタの優しさを利用した」
クレスの口から赤い雫が垂れ落ち、ロビンの頬を濡らした。
クレスの腹部。ルッチとの戦いを経て、赤く錆びたような包帯が巻かれた傷痕。
そこに、ロビンが突き出したナイフが突き刺さっていた。
深緑のローブの中に忍ばせていたものを能力によって使用したのだ。
「……オレは、オレはそれでも構わない」
ナイフが突き刺さっているにもかかわらず、クレスは正面よりロビンの瞳を覗きこむ。
ロビンはゆっくりと首を振った。
「ダメよ。……私がダメなの。
もう、私のせいでクレスが傷つくのが耐えられない」
その声はどこか壊れそうで、クレスは幼い頃一人で膝を抱えている姿を幻視した。
「クレスは否定してくれるけど、現実はそうじゃない。
政府は私を追い続けていて、クレスが私を庇い続ける。20年間もずっと……。ねぇ、聞いていい? つらいと思ったことは無い?」
「無いさ。それはこれからも変わらない、今までがそうだったように」
迷うことなくクレスは答えた。
いつだってクレスにとっての一番はロビンであった。
「……そう。クレスならそう言ってくれると思ってたわ。
でも、その“今まで”が危ない綱渡りの上にあった事にあった事は分かってる。その分クレスが傷ついて来たことも。
私も無意識のうちにこの“今まで”が続いて行くんだと思ってたわ。でも、青雉が来て気が付かされた。私は現実から目を反らしていただけだって」
青雉が現れクレスが敗れたその時、ロビンの目に映ったのは絶望そのものであった。
故郷でロビンを守ったサウロのように、己の代わりに生死を彷徨ったクレスに、ロビンは日々の終わりを見たのだ。
「それでもだ。それでも変わらない」
「いいえ、変わるわ。もう、ダメなの」
ロビンの声は淡々としていたが、クレスはその中にある諦めを読み取った。
「CP9は<麦わらの一味>とアナタに対して、一度だけ“バスターコール”の発動を許可されていたわ」
「……ッ!!」
バスターコール。
海軍本部の中将五人と軍艦10隻を一点に召集する“国家戦争クラス”の武力行使。
かつて二人の故郷はバスターコールの発動により炎の中に滅んだ。
あの時の光景は未だに脳裏に焼き付いて離れない。ロビンにとっては絶対に見逃す事の出来ない条件だった。
「CP9が私に求めたのは、作戦への協力と、その後政府に身を預け従う事。
条件を飲まなければ、バスターコールがかかる。……青雉の名前が出た時点で私は観念したわ。
逃れるにはあの子達を裏切って盾にするしかないけど、もう私にはそれが出来ない。
あの子達は私には眩し過ぎる。あの船には私たちが欲しかった安らぎがあった。描いた夢すらも叶えられそうな気がしてた。
でも、きっとアナタは選んでしまう。私のせいで、心を殺してまで選び取ってしまう。せっかく巡り合えたあの子達を切り捨ててしまうわ」
クレスは何も答える事が出来なかった。
事実、その通りだったからだ。
クレスの優しさは残酷だ。守るべきものに優先順位があり、いざとなれば必ず下位のものを切り捨てる。
巡り合った海賊達は、どこまでも安らかで心地いい。それが仲間だと言う事なのだろう。
だがそれでもクレスは切り捨ててしまえた。
「クレスはずっと悔やみ続ける。自分が弱いからだって。
誰よりも優しいくせに、機械みたいに冷徹になろうとして苦しんでしまう。
それなのに私はずっとアナタに甘えてた。子供の頃からずっと同じように。私はそんな自分が許せない。だから……」
───止めろ!
全ての罪を背負いこむように語るロビンにクレスはそう叫ぼうとした。それは同時に決別を意味するように聞こえたからだ。
だが、言葉が発する事が出来なかった。
急激に身体の感覚が消えて行き、舌すらまともに動かなくなっていた。
クレスの異変を察したのか、ロビンはゆっくりと突き刺していたナイフを引き抜いた。
「毒よ。ナイフに塗ったの。
安心して、致死性のものではないわ。でも神経系に作用して数時間は動けなくなる筈よ」
ロビンの言葉通り、クレスの身体は毒に蝕まれていた。
交わした会話も、毒が回りきるまでの時間を稼ぐ意味合いもあったのだろう。今のクレスは意識を保つだけで精一杯だった。
「今日、アナタはここで死んだ事になる。
懸賞金も解除される手筈になっているわ。それも契約のうちだったから。
これだけは覚えておいて。私はアナタと会えて幸せだった。過ごした20年は辛い事もあったけど、それでも楽しかったわ」
力の弱まった腕より抜けだし、ロビンは愛おしげにクレスの頬を撫でた。
クレスは必死で何かを叫ぼうとした。
それは、死に向かおうとするロビンに対してか、それも不甲斐ない自分を呪う声か。
だが、何も出来ない事に変わりは無かった。
「あなたが私を守ってくれたように、私もあなたを守りたい。
ごめんなさい。私にはこの方法しか考えられなかった。
あなたは生きて。長い航海の果てに巡り合えた、仲間を守ってあげて」
霞みゆく感覚の中で、ロビンの唇が自分に触れたのが分かった。
唇からは何も感じず、ただ震えだけが伝わった。
「大好きだったわ。───さようなら、クレス」
声を発する事も出来ず、クレスの意識が闇へと落ちる。
ただ、足音が遠ざかって行く事だけは分かっていた。