『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「序章-01」
俺が産まれたそのとき、いや、その10年ほど前から世界はとんでもないことになっていたらしい。
地球外の謎のセイメイタイ「BETA」が襲来し、世界中でその暴威を振るっていたというのだ。
……正直、ピンとこなかった。当然だ。なにせ子供の頃の話だ。両親だって理解させようとして話したわけではないだろう。
ただ、この世界に産まれて来た、これから生きていく俺のためを思って、幼少の頃から聞かせてくれたのだろう。
だから、わかる。理解できる。俺が産まれる以前から、今も尚続いているこの悲劇。世界中で様々な人たちが流している涙の意味を理解できるくらいには大人になった。
はは、自分で「大人になった」とか言ってちゃ世話ないけどな。でも、見栄を張れるくらいには成長したつもりだ。
そんな話をしていると、眼の前で中等学校の課題集を悲鳴をあげながら解いていた幼馴染が、こう、もんのすごい変な顔をしていた。
「……なんだよ、ただでさえ見れない顔なのに余計おかしなことになってるぞ」
「タケルちゃんが真面目なこと言ってる……」
「天罰!」
「ぁいたぁーっ!? タケルちゃんがぶったーっ!」
「お前が莫迦なこと言うからだろうが!」
まったくけしからん。折角この俺が一大決心を語ってやろうというのに。出だしからこれではなんだか凹んでくる。くっ……そんなに俺は不真面目だったのか?
眉をハの字にしてぶたれた頭部をさすっている幼馴染に、一度咳払いしてから改めて話を切り出す。
「いいか純夏、……真面目な、話だ」
「う、うん。……わかった。タケルちゃん、真剣だもん」
からかったりはしない、という意思表示だろう。純夏は姿勢を正した。む……自分で言っておいてなんだが、こういう真面目な雰囲気は緊張するな。
し、しかも……改めて考えれば、これはアレか? いわゆる「ぷろぽぉず」というヤツに該当するのではないだろうか。いやいや、さすがにそれはいき過ぎだ!
しっかしろ白銀武。落ち着け、落ち着いて深呼吸――ガハッゲホッ――まずぃ、唾吸い込んじまった!
「タ、タケルちゃん?!」
「げっ、げほ、げほげほ、い、いや、大丈夫だ!」
ふぅ、嫌な汗かいちまったぜ。ははっ、なんだかな。結局どう取り繕ったって、こいつの前だと全然格好つかねぇや。ああ、そうだ。そうだったよな。俺は、そのために決心したんだ。
「純夏」
心配そうにこちらを見つめる幼馴染の少女を正面から見据える。う、なんで頬を染めるんだっ。こっちまで赤くなっちまうじゃねーかっ。
「す、純夏……」
「う、うん。タケルちゃん」
ええい男だろう一気に決めろ! 覚悟は出来てるんだ。だから、今夜こうしてわざわざ純夏の部屋まで乗り込んできたんだろう?!
もう一度深呼吸。今度はむせることもなく、静かに肺まで染み渡る。ああ、大丈夫だ。
「俺は、衛士になる」
「……え?」
瞬間、部屋の空気が止まった。壁に掛けられた時計が無機質に秒針の音を刻む。
しん、と静まり返った愛くるしい少女の部屋で、俺たちは向き合ったまま。
純夏の表情は、色がない。驚いているのだろう。呆然としているのかもしれない。俺の言ったことを理解できないはずはないのに、それでも懸命に違う意味を探そうとしているのかもしれない。見開かれた瞳はこちらを向いたまま、けれど、ピクリとも動かない。
疑問の音を発したまま固まった唇が震えているのがわかる。ノートの上に置かれた手が、いつの間にか握り締められて白くなっていることに気づいた。
頭では理解できていない情報を、けれど純夏の身体はしっかりと理解し、反応しているらしかった。
――驚愕。
きっと、それはそういう類の感情だ。
そりゃそうだ。俺だって、純夏が衛士になるなんて言い出したら驚きを通り越して呆れるか、現実味がなさ過ぎて信じられない。
いや、その言葉自体を、信じようとしないだろう。きっと聞き間違い。だってそんなことがあるはずない。
そんな風に言い訳して、聞き直すんだ――今の純夏みたいに。
「や、やだなぁ、タケルちゃん。そんな冗談。あはは、あたし莫迦だから騙されちゃうところだよ~も~」
より一層、握った拳に力が込められる。震える唇に乗せられた言葉は、哀しいくらいわなないて届いた。
ああ、純夏。ごめんな。お前がそう言うことを、そうやって泣きそうな顔をすることをわかっていたのに。でも、俺は。
「違うんだ、純夏。俺は衛士になる。もう決めたんだ――純夏を護りたい。お前の居るこの町を護りたい。親父にお袋、純夏の両親も、この国も、世界も」
全部全部、護りたいんだ。ああ、純夏。そんな顔をしないでくれ。ちゃんと言えたんだ。自分で考えて自分で決めたことを。他の誰でもない、俺の口で、体で、心で「お前に」言えたんだ。
だから……さ。笑ってくれよ。笑って送り出して欲しい。タケルちゃんなら大丈夫だよって。そう言って微笑んで……、
「ず、」
「ず?」
俯いてしまった純夏の肩が震えている。な、なんだ? 本当に泣いちまったのか?! ま、まずい! 気まずい雰囲気になることも覚悟してたけど、実際に泣かれると色々とその、こ、困るぞっ!?
「ずるいーーーーーーっっっ!! タケルちゃんだけそんなのず~る~い~っ!!」
「ハァ?!」
「あたしも衛士になるーっ! なるったらなるんだからねーっ!! 見てろ~っ、タケルちゃんより強いつよ~い衛士になってタケルちゃんを護ってやるんだから~っ!!」
「お、おまっ、何言ってんだ純夏?! 駄目だ駄目だ駄目だ! 却下! お前が衛士になれるわけないだろーがっ! というかっ、お前ちゃんと話し聞いてたのか?!」
顔を真っ赤にして、目尻に涙を浮かべて、まるで駄々っ子のように癇癪を起こす純夏。手を振り回し、机のノートや筆記用具、課題集まで投げつけて、叫んでいる。
「いやだーっ! いやだよぅ~っっ! タケルちゃんと離れるなんてやだぁ~っ!! タケルちゃんが衛士になるならあたしも衛士になるっ! そんで、二人でBETA倒して、二人でこの町でも国でもまもればいいじゃないさ~っ!」
遂にはベッドの上の枕やぬいぐるみまで飛んでくる。まて、目覚まし時計は流石に――ゴガッ――痛ェ!!
あまりの痛みに悶絶していると、先ほどまでの癇癪が治まっていた。代わりに、すすり泣く声。しゃくりあげながら、両手の甲で零れてくる涙を拭っている。
「ッ……」
ズキリ、と。心臓の横が啼いた。泣いている。泣いて、泣いて、あんなに泣いて。純夏が、大切なおんなのこが、泣いている。
誰だ? 純夏をあんなに泣かせたのは一体何処のどいつだ!? 眼を真っ赤にして、呼吸もままならないくらいしゃくりあげて。まるでこの世で一番大切なモノを喪ってしまったように泣いている!
……くそっ! 俺だよ! 純夏を、コイツをこんな風に泣かせているのは誰でもなく、俺だっ!!
俺が衛士になるなんて言ったからだろうがっ。くそっ……わかってるんだ。わかってたんだ。
でも、
「好きだ。純夏……お前のことが好きだ。護りたい。護る力が欲しい」
「ひっ、く、ひくっ、うぇ、えぇ」
「お前を護りたいんだ。泣かれることなんてわかってた。俺だって側に居たい。だってさ、産まれた時から隣りに居たんだぜ、俺たち。お前のほうがちょっとお姉さんだけど、そんなの関係ないくらいずっと一緒に居たんだ」
「タ……ケル、ちゃ、」
「そんな俺たちだからさ。純夏、俺はお前が好きなんだ。何度でも言うぞ。好きだ、純夏。好きだ、好きだ、好きだっ! 俺はお前を護る。俺がお前を護る! そのために俺は衛士になるんだ。わかってくれ……純夏!」
「ぅ、ぅうう、うわぁあああん! わかんない! わかんないよぅ~っ! タケルちゃぁん。あたしも好きだよぅ。タケルちゃん大好きだよぅ! 側に居たいよ、側に居てよォ……。なんで衛士になるなんて言うの? 衛士になるってことは、タケルちゃん兵隊さんになるんだよ? 戦場にいっちゃうんだよ? 死んじゃうよぉ~っ! そんなのやだぁ! タケルちゃんが死んじゃうのやだよおぉお!!」
純夏の体を抱きしめる。ぶるぶると震える肩を力いっぱいに抱き寄せる。背中に食い込むくらい縋り付いてくる純夏を、いやいやと体を揺する純夏を、必死に抱きしめる!
泣いて、泣き叫んで。俺が死んでしまうことを想像して、滅茶苦茶に泣いている。
「ばーか。そう簡単に死ぬかよ。第一、俺は純夏を護るために戦うんだぜ? 死んじまったら護れねーじゃねぇか。だから死なない。俺は死なない。絶対生きて、ずっと純夏のことを護る!」
本気だ。
好きな女を護るのに、死んでもいいなんて言えない。純夏を遺して逝くくらいなら、衛士になんてなろうとすら思わないだろう。
俺は、本気で生き残る。生き残って、純夏を護り続ける最強の衛士になってやる。そして、いつかBETAを駆逐してみせる。
「だから。泣くな。俺は死なない。純夏を護る。ちゃんと純夏のところに帰ってくるさ」
「……ほんと、に?」
涙まじりの、酷い声だった。あ~あ、鼻水までこんなに垂らして。可愛いやつめ。
「ほんとに、タケルちゃん、死なない? ちゃんと帰ってくる?」
「おう。男に二言はないぞ」
まるで小さな子供みたい。まぁ、子供というには確かに子供な年齢なわけだが。ともかく、純夏は納得してくれたようだった。
きゅぅ、と。震えるだけだった腕に力が込められて、俺の体を抱きしめる。縋りつくんじゃない、それは抱擁だった。
「タケルちゃん、あったかい」
「もうすぐ春だからなぁ」
「もぉ、そういうことじゃないよ。タケルちゃんのばかばか」
「へいへい」
小さく笑いあう。照れたように頬を染める純夏。ベッドの脇のティッシュをつまんで、豪快に鼻をかむ。乙女がはしたないとは思ったが、確かに鼻垂れのまま抱きついているのは恥ずかしいのだろう。
いや、むしろ改めて恥ずかしそうに抱きついてくる方がもうホントに死にそうなくらい恥ずかしいんだが。
しょうがないので、溜息をついて再び抱擁。べ、べつに下心なんてねーぞっ!
結局その日は夜が更けるまでずっと、純夏の部屋で抱きしめあっていた。大切なおんなのこ。護りたい幼馴染。好きな人。
ああ、これで、俺はきっとやれる。腕の中の純夏の感触を忘れない。触れた彼女の唇の温度を忘れない。俺のために泣いてくれた、好きといってくれた言葉を忘れない。
それがあれば、俺はきっと、やり遂げる。
寝る前にまた純夏が自分も衛士になるなんて言い出したのはナイショだ。無論速攻で却下したけどな。
――1998年2月。俺が帝国軍横浜基地訓練校に入校する二ヶ月前の話である。