『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:二章-04」
1998年12月――
札幌基地に転属となってから丸一ヶ月が過ぎたその日、自主訓練のために屋内訓練場へ向かう途中、この数ヶ月顔を合わすことのなかった速瀬さんとすれ違った。
声を掛けようとしたが、何やら深刻な表情で考え事をしているらしく、すれ違う俺にまるで気づかない。
……なにか、あったのか?
疑問に思い、何を莫迦なことを、と自身を戒める。――――あったに決まっている。
BETAが日本へ上陸した八月には同じ訓練部隊に属していた鳴海さんが正規の軍人として任官し、帝都陥落に続く突然の転属命令の混乱によって、速瀬さん含め四回生の訓練兵全員が後期の総戦技演習を来年に延期されてしまったのだ。
涼宮から聞いた話だが……遙さんも、酷く落ち込んでいたらしい。
無理もない、と、小さくなる速瀬さんの背中を見つめ、思う。……それは、彼女達にとっては、あまりにもタイミングが悪い。
遙さんの想い人である鳴海孝之少尉。それはそのまま、速瀬さんの想い人でもあったのだから。
二人はお互いの気持ちをよく知っており、それでいて険悪になるどころか益々に仲を深め、どちらが鳴海さんを振り向かせることが出来るのか、勝負しているのだと聞いたことがある。
一足先に任官した想い人に追いつくために、遙さんはリハビリを終え、日常生活どころか訓練にも全く問題を見せないほどに快復した。速瀬さんもまた、前回露にされた己の不甲斐なさ、甘さを克服し、心身ともに鍛え抜いてきた。
無論、同じ訓練部隊の仲間とて。……前期の総戦技演習で亡くなった仲間の無念を背負い、自らの護りたいものを護れる力を手に入れるために。
だからこそ、今回――日本全土が混乱に陥ったためとはいえ、或いは滅亡の危機に瀕しているとはいえ――総戦技演習が行われないという事実は、深く、精神を苛んだのだろう。
来年に延期ということは、文字通りの意味だとするならば来年の六月に延期ということ……。本来ならば遅くとも来年の二月に任官できるはずの速瀬さんたち四回生は、実質、半年間の空白ができてしまったことになるのだ。
莫迦な話だとは、思う。
今は、一人でも多くの衛士が必要とされているのではないのか?!
近畿・東海、さらに関東の衛士訓練校は軒並み閉鎖。各地の訓練兵をひとまとめに受け入れたこの北海道札幌基地に、一体どれだけの四回生が居るというのだ。
彼らは皆、半年前の屈辱と悔しさを糧に、ここまで必死に訓練を積み重ね己を鍛え直してきたはずだ。
それなのに。
BETAに日本が侵されている正にこの時に! ――それでも、任官のチャンスを与えられない……この、哀しみは、憤りは……一体、どうやれば晴れるというのか。
「――速瀬さん!」
気づけば、叫ぶように名を呼んでいた。驚いたように振り返る彼女を見て……俺は一体、何を言おうとしたのかわからなくなる。
「……白銀……」
矢張り、どこか虚ろに聞こえる声に、言い知れぬ感情がこみ上げる。
俺は、速瀬さんに同情しているのか……? 違う。そんなものじゃない。
「……俺、これから自主訓練するつもりなんですけど……付き合ってもらえませんか?」
精一杯の笑顔で、出来る限り明るく。左手に携えていた模擬刀を掲げて見せて、どうです、と答えを促す。
「え? あ、ああ……。ふふ、あっはははは! なによそれ、慰めてるつもり?」
「……まさか。そんなの、俺が思いつくわけないですよ。なんですか? 俺が慰めないといけないようなこと、あったんですか?」
一瞬怪訝そうな顔をして、さも可笑しそうに笑う。多分、俺が同情していると思ったのだろう。速瀬さんは莫迦にするなと、尚も笑う。
だから、白々しいほどに俺は嘘をつく。全然気づいていない振りをして――それが振りであると知られていることを承知しながらも――口端を歪める。
「いいじゃないですか、付き合ってくださいよ。こっちにきてから、正直ストレス溜まってるんですよね。思い切り鬱憤を晴らしたいというか、まぁ、久々に暴れたいというか」
「ふ~ん。まぁいいわ。そういうことにしといてあげる。……そうね、私も正直、ストレス溜まりまくってるし……いいわ、先に行ってなさい」
自分の模擬刀を取りに行くのだろう。速瀬さんは踵を返すと、力強く歩き出した。
……先ほどまでの彼女とはまるで別人。いや、それこそが俺の尊敬する「速瀬水月」の姿だった。
自分でも少しは力になれたのだと知って、少しだけ嬉しく思う。弱々しい速瀬さんなんて、見たくはない。ストレスのはけ口にくらいいくらでもなってやれる。今はただ、何処にもぶつけようのない苛立ちを解消させることが大切なのだから。
その後、一体どれだけのストレスが溜まっていたというのか……苛烈に過ぎる兇悪な速瀬さんの猛攻に、数えるのも莫迦らしいほど意識を刈り取られ続け……気づいた時には自室のベッドに寝かされていたという体たらく。
うぉぉお、情けねぇ。
けれど、翌日また会った速瀬さんからは翳りが消えていて、いつものように、明るく豪快でしなやかな強さを持った彼女の姿に、なぜか嬉しさが止まらなかった。
===
午前中の訓練を終え、隊の仲間達とあれこれ議論を交わしながらPXへ向かう。議題は、近接格闘における武器の有効性。
今日の訓練は二人一組で、片方は素手なのに対し、もう片方はナイフを装備して行った。
総じて、格闘訓練というものはいずれ戦術機に搭乗し、あらゆる兵装を用いてBETAと戦うにあたっての身体感覚を養うためにあり……素手でBETAとやり合うなんて考えたくもないのだが、矢張りあらゆる状況を想定してこその訓練である。
で、身体能力および格闘能力が拮抗している二人がそのような状況で戦った場合、明暗を分けるのは矢張り武器、という結論が出た。
ナイフ一本あるだけで、これほどまでに戦力に差が出るという事実は、剣を振ることが日常となっている俺にとって少々新鮮だったのだ。と立石に話したところ……なぜかヤツと大して意味のない議論を交わすに至ったわけである。
もっとも、自分が素手の状態でナイフ持った俺に一度も勝てなかったのが悔しかったからに違いないのだが……そこは敢えて触れないでおく。
何やら熱く語り出す立石の背後で、柏木がさも可笑しそうに話を聞いている。……ああ、哀れ立石。暫くの間このネタでからかわれることになるだろう彼女に同情しながら、PXに踏み入れた時、
「ふざけんなっっっ!!?」
「こ、のっ!? 米国野郎!!!!」
「冗談じゃねぇぞ! なんてヤツラだ!! くそぉおお!!」
それは、どういう光景か。
PXに居る衛士、基地職員、訓練兵……その全てが、口々に怒号を叫び、怒りを顕にしている。
一体何事かと立ち尽くす俺達だったが、涼宮が険しい表情で一点を指差す。……そこには、PXに備え付けられている報道用のテレビ。主に政府や軍の広報が日本国内はもとより、世界の情勢等を報道するために用いられている設備だが……その画面上部に、目を疑いたくなるようなテロップが流れている。
『日米安保条約、一方的破棄! 在日米軍撤退す』
流れてくる報道官のアナウンスはさも憤慨した、という口調で、しかし淡々と語っている。
報道の概要はこうだ。
BETA襲撃を受け本州の半分を喪い、更に京都陥落と続いた日本の窮状に……米軍は、尻尾を巻いて逃げ出した。
大東亜戦争終結以降、なにかと日本での主権を主張していた米軍ならびに米国だったが、ここに来て突然その態度を翻し、一方的に安保条約を破棄、自国へ撤退したのだという。
……なんだ、それは。
なんなんだよっ、そりゃああ!!?
ふざけてるのか? ふざけてんのかよっ!!?
一体何様だよ! 状況が見えてんのか?! 理解してるのかよっっ!!
日本が、この国が、俺達の国が! 今、こうしている正にこの瞬間にも、大勢の衛士が戦っているんだぞ!?
BETAを斃すために、BETAから帝都を護るために、この国を護るためにッ!!
なのに……なのに、なのに、それなのにっっ!!
大国で国連での顔も態度もデカイあんたたちが! 貴様ら米軍が!!
…………なんで、逃げ出したり、するんだよ……っ!???
「なによ、それ」
涼宮がぎりぎりと奥歯を噛み締める。立石が何事か叫んでいる。月岡はショックで口も利けず、柏木と築地はただじっと画面を見続けている。
くそったれ……クソッタレ、くそったれ、くそったれくそったれくそったれくそったれが!!!!
「誰が……ッッ、テメェらなんかを当てにしたよ!? ――ハッ、さっさと居なくなればよかったんだ!! この、クソ米軍がぁあああああ!!!」
叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ叫ぶ――ッッ!!
悔しかった。
哀しかった。
どうしてかわからない。
でも、それでも、こうして頭にきて感情が爆発して叫んでしまうほど。
俺は、俺達は…………今、日本が置かれている状況が、ただ、悔しいくらい哀しかった。
雄叫びを上げる俺に、立石が吠えるように続く。
涼宮が俺の背中に額を押し付けて震えてるのがわかったけれど、だからって、構ってやれるほどの余裕はなかった。
PXは止むことのない怒号と罵詈雑言に支配され、打ちひしがれた俺達の怨嗟は……報道が終わっても尚、収まりはしなかった……。
――畜生。
一体、どうしてこんなことに?!
どうして、こんなにも日本は追い詰められているんだ……。
八月のBETA上陸以来、何一ついいことがない。むしろ、状況は悪化するばかりだ。
九州を、中国を、四国を喪い。人々の拠り所であった京都を喪い……多くの、多すぎる人たちの命を喪い、他国の援助を喪い……。
じゃあ、これ以上、何を喪うって言うんだ?
……駄目だ。
この思考は、駄目だ。やめよう。
人間、辛いことがあるとどんどん思考がネガティブになっていく。後ろを向いてもいいことなんて一つもない。
ここが正念場、踏ん張りどころだ。
前を向け、白銀武。
悔しければ、哀しければ、それを糧にして前に進め! 神宮司教官の言葉を思い出せっ!! 俺達は未来を勝ち取るために、今を生きるんだ!!
「――っ! しゃあ!!」
ばん、と両手で頬をたたく。よし、気合は入った!
「……白銀?」
「白銀君……」
涼宮と柏木がぽかんとした表情で見つめてくる。そりゃそうだ。さっきまであんなに米軍に文句垂れてたんだから、いきなり態度が変わって困惑してるんだろう。
「やめだやめだ。そもそも、米軍なんて端から当てにしてないんだしな! あんな腰抜け連中、居ない方が俺達もやり易いってもんだぜ!!」
大げさに身振りを交え、鼻で笑う。その俺の態度を見て、察したのだろう、柏木が乗ってくる。
「ああ……そうだね。米軍が居ない方が、確かにやり易いかも。――それに、今の私たちには、そんなことに構ってるほど余裕があるわけじゃないしね」
「晴子……ん、そう、ね。うん。米軍が日本を見限った、っていうのは、確かに頭に来るし悔しいけど……それなら、より一層この国を護るためにあたしたちは強くならなくちゃいけない……!」
目尻を濡らした涼宮が、手の甲で拭いながら呟く。賛同するように、築地が頷く。
「うん、そうだよ。わたしたち、強くならなくちゃ。BETAに奪われた土地を取り戻して、日本を元に戻さなくちゃ!」
「はっ! 上等!! なら、さっさと飯食って訓練だ!! 米軍の力なんてなくたって、この国からBETAを一掃してやるさ!」
「そ、そうです! 今は少しでも多く、長く、訓練を積んで……知識も、体力も、技術も……あらゆることを磨きましょう! BETAなんかに負けない、BETAを駆逐できる力を手にするためにっ!」
立石の挑戦的な言葉に、珍しく熱く思いの丈をぶつける月岡。
全員の目に、確かな光が灯り始める。
それは、絶対に諦めないという、強い意志。
悔しさを、哀しみを糧に、一歩を進む……小さくて大きな力だ。
いつしか、PXを包んでいた険悪な雰囲気が薄れている。見回せば、米軍に向けて暴言を吐き続けていた全員が、俺たちの方を向いている。
なにごとかと戸惑っていると、すぐ側に立っていた訓練兵だろう青年が、月岡に声を掛けた。
「そうだな。あんたの言うとおりだ。こんなところで、姿の見えない米軍に向かって吠えてたって、なんにもならない」
「ああ……眼が醒めたぜ、お譲ちゃん。ありがとな」
「そうとも、今は少しでも自身を向上させることが先決だ。なんてったって、相手はあのBETAだからな。米軍なんかより、よっぽど性質が悪いぜっ」
「ははは! 違いないね! さ、あたしたちも行こう! 訓練開始だよっ」
「おお! BETAなんかに負けない、BETAを駆逐する力を手にするために、な!」
剛毅に笑いながら、彼らは次々とPXを去っていく。すれ違い様、月岡や俺達の肩、背中をばしばしと叩きながら……。な、なんだなんだぁ?!
物凄い力で叩かれて痛いとか骨がいかれそうだとか、そんなことよりなにより、あれほど殺気立っていた全員が突然やる気に満ちて、しかも俺達に声を掛けて出て行く。お前のおかげだ、とか、お前達のおかげだよ、とか。……なんだか、よくわからんが、まぁ、よかったのか??
「な、なんだったんだよ……?」
「はぅあ~、目が回りましたぁぁ」
月岡は小さいから、面白いように振り回されていた。……困惑しているのは皆も同じ。……立石の唖然とする顔も珍しいな。
そんな中、妙にしたり顔の柏木と目が合った。……何故か若干嬉しげな表情の柏木が、俺の肩を叩きながら言う。
「すごいじゃん、白銀君!」
「はぁ?! 何が??」
「ま、きっかけっていうのは、本人の意識しないところで既に起こってるものだからねぇ」
「だから何の話だよ? 意味わかんねぇぞ?」
いーのいーの、知らなくてい~の。このこのぅ、べしべし。……なんかやたら嬉しそうに絡んでくるんだが。……柏木、お前怒りのあまりどこかおかしくなったんじゃ?
よくわからないが、まぁ、こんな場所に集まって不平不満をぶちまけているよりはましだろう。
俺達が気づいたように、彼らも気づいたというだけの話だ。
確かに米軍の仕打ちには腹が立つし、正直、一生赦せない気がするが。でも、今はそれよりもやるべきことが在る。
いつかそんな米軍を見返すためにも、それ以上に、この国からBETAを駆逐するために……。
「……んじゃ、俺達も飯喰っちゃおうぜ。すっかり腹が減っちまった」
「あ、賛成。ぱっと食べちゃって、訓練訓練っ」
弾むように食堂のおばちゃんの下へ駆ける築地。今日のメニューが合成サバ味噌定食だと知り、猫のようににゃんにゃん歓んでいる……。はしゃぎすぎだ、お前は。
俺達も後に続き、多くの衛士たちの残した熱気の中……久々に、いつかの日々を彷彿とさせる軽口を叩きあいながら……ああ、本当に久しぶりに、俺達は。
心の底から笑いあい、そして、進むべき道に戻ってきたのだ。
BETAが日本に上陸して以来、俺達は自分で気づかない内に疲弊し、心が磨耗していったんだ。劣勢に次ぐ劣勢。入ってくる情報はどれもBETAの脅威を、そして自らの無力を知らしめる内容で。
俺達はどこか、余裕をなくしていた。
衛士としての実力など何一つ身についていない俺達が、何を焦って、絶望していたのだろう。
日本は負けない。
俺達は負けない。
まだ終わったわけじゃない。これから終わるわけもない。――否、終わるのはBETAだ。俺達が必ず一匹残らず始末してやる。
だから、俺は絶対に強くなる。――純夏をこの手で護るために。
===
1999年1月――
一日の訓練を終え、部屋へ戻る途中、教官に呼び止められた。何事かと身構えた俺に、熊と見紛う程の髭を蓄えた巨漢が豪快に笑いながら封筒を手渡してくれる。
……手紙だ。宛名は俺。差出人は……裏返し、そこに書かれている名前に、ハッとする。
勢い、顔を上げればニヤニヤと悪餓鬼のような表情の熊教官。ま、まさか……中読んだわけじゃないよなァ……っ?!
「がっはははは! 貴様も隅に置けないじゃないか、白銀!」
がはがはと尚も笑う教官に恨めしそうな視線を向けて、型どおりの謝辞を述べ、自室へ撤退。くっそぅ。誰だよ、教官に手紙預けたのは……っ。
悪態を吐きながらも、しかし教官が本当に手紙を読んでいるわけではないということは理解している。
見た目は兇悪なグリズリーだが、その心は北海道の大自然の如く雄大で慈悲深いのだ。正に、森の熊さんである。
ともあれ。
椅子に腰掛け、改めて手紙を見つめる。
先ほどは教官のせいで頭が回らなかったが……冷静になって考えてみると、僅かに、躊躇いが生じてしまう。
理由は、
「……純夏……、二ヶ月ぶりの、手紙……だな」
単純な話だ。
十一月に北海道へ転属が決まった際、純夏宛に手紙を出したのだが……転属以来返事もなく、丸二ヶ月もの間音信不通となっていたのだ。
訓練にかまけてこちらから手紙を出さなかったことも要因の一つであるかもしれないが、元々、俺は率先して手紙を書くことがない。
今までも純夏から送られてきた手紙に対して返事を送っていただけで……自分から書いた手紙というのは、先の一通だけ。
愛想をつかされたのだろうかと不安に思ったこともあったが……しかし、こうして再び手紙が送られてきたのだから、特に気にすることはないのかもしれない。
……例えば、そう。疎開の準備で忙しく、手紙を書く暇がなかったとか。
或いは、既に北海道へ疎開してきていて……俺を驚かそうと手紙を書いたのか。
とりとめもなく思いながら、検閲済みの判が押されている封筒を開き、手紙を取り出す。いつものように時勢の挨拶から始まるその丸っこい文字に、思わず、頬が緩んでしまう。
ああ、純夏。
お前の顔が見たいよ…………。
そんな、隊の誰かに知られようものなら一生からかわれ続けるだろう弱音を心中で漏らしつつ、いそいそと文を追う。
――だが、その内容は、
「……え? なん、だよ……これ?」
目を疑う。いや、何の冗談だ? 純夏は何を言っているのか。……勘違い? ――莫迦な。俺は確かに、
『も~! タケルちゃん酷いよぉ~。北海道に転属になったなら、そう教えてくれればいいのにぃ~! あたし、知らなくてずっと横浜基地に手紙送ってたんだよ?! あ、でもその間の手紙、ちゃんと届いてるんだよね? ……返事くれないから、届いてないのかな……うう、だとしたらちょっとショックかも』
『あ! そうだ。おじさんとおばさん宛てに、軍の人から避難船の切符が送られてきたよ! タケルちゃんが軍人だから、きっと優先的に送られたんだね。……ねぇ、タケルちゃん。横浜、危ないのかな……? テレビで言ってたよ? 近畿・東海地方の住民は次々に疎開を開始してる……って。おじさんたちがうちのお父さんたちと話して、あたしとお母さんだけでも北海道に疎開したらどうか、って言うんだ……』
既に、オカシイ。
オカシイことだらけだ。
俺が北海道に転属になったこと、BETAが恐らく迫ってくるだろうこと、疎開して欲しいこと……。
全部、書いたはずだ。
書き綴って、ちゃんと集配用のボックスへ投函したはずだ。――いや、した! 俺は確かに、ちゃんと……っ?!
「!!」
そこで、気づく。
まさか……そんな、莫迦な……。
「BETAのことを、書いたから……か?」
軍関係者へ送られてくる手紙、或いは軍関係者から民間人へ送られる手紙は、当事者へ届けられるまでに必ず、基地内の郵便局でその内容の確認を含めた様々な検査が行われる。
俺が純夏に送った手紙は……その内容に、抵触した、のか?
否。
正に、抵触したのだ。
だからこそ、俺の手紙は送られていない。届けられていない。純夏は知らない。
だから――、こそ。
「なんだって……!!!? 莫迦な!? 純夏、親父……!!? 駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だッッ!! ……なんで、だよっ?! どうして、そんな莫迦なことっっ!!」
その文面を凝視する。何度も何度も読み直して、自分の見間違いではないかと、眼を皿にして繰り返し繰り返しそこに綴られた文字を追う!
ああ、確かにそうだ! 何度読み返したって同じだっ!!
莫迦な……!? どうして……!!??
ああ、けれど、納得してしまう俺がいる。純夏や両親なら、きっと“そうしてしまう”だろうことに。
――――突然、ドアが乱暴に叩かれる。
ぎょっとして部屋の入口を振り返れば、血相を変えた涼宮が、息を切らしながら立っている。
ノックをしたが我慢できず、勢いのままドアを開いたのだろう。完全に冷静さを失っているように見える涼宮に困惑しながら、手紙を机に置いて、入口へ向かう。
「し、しろ、がねっっ……!!」
「な、なんだ? どうした!?」
何事か。基地内に警報は出ていないから、まさかBETAが襲撃してきたというわけではないのだろう。
しかし尚も取り乱す涼宮は決して冗談では済まされない恐慌に陥っていて、ぶるぶると震える肩に定まらない視線が、かつて遙さんが負傷した時と同じに思えた。
まさか、誰かが怪我でもしたのだろうかと不安になったが、涼宮の背後に立っていた柏木が、ひどく真剣な表情で口を開く。
「白銀君……すぐに来て。非常召集だよ」
「非常召集?! ……わ、わかった。行こう。……涼宮?」
冷静そうに見えた柏木も、どこか緊張感を孕んでいて、危なげに見えた。震え続ける涼宮を先へ促しながら、俺達は移動する。
そこには、多くの訓練兵が居た。
その部屋は集会や合同の講義、会議等に使用される小ホールで、PXに備えられているのと同程度の大型テレビが据えられている。……どうやら、どこかの基地から送られてきた戦域情報が映し出されているらしい。画面には赤い三角の勢力と、黄緑色の三角の勢力が表示されていて……言うまでもなく、BETAと帝国軍の激戦を映し出していた。
「これは……っ! BETAの襲撃?! 一体何処に……ッ」
「白銀っ!!」
呼ぶ声に、視線を向ける。そこには速瀬さん、遙さんがいて……207の連中も居た。そこで、ようやく気づく。今、ここにいる訓練兵は皆……元横浜基地衛士訓練校に所属していたメンバーなのだと。
その事実に困惑しながら、速瀬さんたちの方へ向かう。涼宮は姉である遙さんに抱き縋った。大丈夫だからと涼宮を宥める遙さんを横目に見ながら、一体何事なのかと問う。
「――横浜が、BETAに襲撃されたわ……」
「え――――?」
速瀬さんは深刻な顔をして、酷く忌々しそうに吐き捨てた。
横浜が? BETAに?
……じゃあ、あの映像は……やっぱり。
「あれは、横浜の……」
「そうよ。横浜基地から各基地へ発信されている戦域情報。……第一防衛ラインは既に突破されたわ。現在、残存部隊を再編しつつ、第二防衛ラインを押し上げてる」
画面を睨みながら、速瀬さんは説明してくれた。表示されている時刻は20時08分。まさに、たった今。
一日の仕事を終え、家族との団欒を過ごしているはずの正にその瞬間!
日常を踏みにじるかのようなBETAの襲撃ッ!!
画面は横浜基地周辺の広域表示へと切り替わり、赤いBETAの群れがじわじわと黄緑の戦術機甲部隊を侵食しはじめている……。と、その戦域情報表示の中に、黄色い三角で表示されたマーキングを見つけた。
表示名称は第37歩兵大隊。迫り来るBETAとは反対方向の……恐らく港へと向けて進行しているのだろう。ヅグン、と。脳髄を殴られたような、嫌な予感が鎌首をもたげる。
彼らは、一体何をしている?
戦域からの撤退?
後方支援のための移動?
補給路の確保?
否、否、否。そんなわけがない。
ならば、一体何か。俺は、彼らが何をしていると思うのか。
――避難民の、護送。
「すみ、か……」
その声は掠れていた。
自分の声のはずなのに、とてもそうだとは思えない、ひりついて、渇ききって、えずくような掠れ声。
「ぇ……?」
「白銀?」
遙さんの腕の中で震えていた涼宮が、俺の隣りで怒りに奮えていた速瀬さんが、背後の仲間達が、皆――――息を呑む音を、聞いた。
「し、白銀……いま、なんて……っ」
涼宮が俺の腕を掴む。ぐいぐいと引っ張って、俺の顔を食い入るように見つめてくる。
だけど……そんなの、全然構っていられない。いや、全然感じる余裕がない。さっきからなんだか耳がおかしい。呼びかける涼宮たちの声が、ひどくくぐもって聴こえにくい。
速瀬さんが肩を揺すっている……ような気がする。
涼宮がなにか言っている。
柏木が、立石が……築地が、月岡が、遙さんが。
俺の周りで、俺に向かって、なに、を……?
「やめ、ろ」
衝いて出た言葉は、矢張り枯れていた。
どんどん赤に染まっていく画面。その意味するところがわからない。
残り少なくなった黄緑色は、次第に後退して……横浜基地よりも後方へ移動を開始した。
画面が更に広域表示へと切り替わる。表示されるのは第三防衛ライン、ならびに斯衛軍で固められた帝都絶対防衛線。
――黄緑色のマーカーは、そこへ向かって一斉に移動を開始。
――赤色のマーカーは、画面上を我が物の如く蹂躙し、怒涛の勢いで、
基地を、町を、建物を、そして、そして、そして、そして、――その先は、
「やめ、ろっ……やめろ、やめろ、やめろやめろやめろやめろっ……ぁぁ、ぁああああ!!! 止まれ!! 止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれッッ!! 止まれぇええええええエエエエエエエエエエエエエエエエええええエエえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!」
「!!?」
「し、白銀君!!」
「立石! 白銀を押さえなさいっ!! ……っ、この! どうしたっていうのよ、この莫迦!!」
画面が赤く塗り潰されていく。赤色に埋め尽くされていく。黄色い光点が。その表示が。あっという間に距離を詰められて、ぷつん、と。
消えて、
消え……て――――
「うぅうああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???? 純夏ッ純夏ッ、純夏純夏純夏純夏純夏純夏純夏ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!???」
「し、白銀っ!?」
「まさかっ!!?」
身体にまとわりつく腕を振り払う。呼吸が荒い。眩暈がする。立ち塞がる人垣を押し分けて、ふらふらと画面へ近づいて……っ。
「白銀ぇ!! しっかりしてよぉ!!」
「茜ッ……っく! 立石、柏木ッ! 白銀を取り押さえるわよ!!」
「っ?! は、はい!!」
「白銀くん……そんな……」
背後で誰かが叫んでいる。そんなの聴こえない。そんなの関係ない。
今は、ただ、そんなことに構っていられない! いられるわけがないだろう!!??
「やめ、ろ! やめろやめろもうやめろ!! 止まれ止まれ、止まってくれぇええ!! 純夏! 純夏ァアアア!!」
だが、画面にたどり着いた時――ブツリ、と。表示が暗転した。なんだ?! どうしたんだ!? 純夏は、純夏はどうなったんだ!!?
「……白銀、落ち着きなさい……」
「は、やせ、さ……」
ぎちぎちと音が鳴りそうなほど硬く動かない首を回して、そちらを見る。電源ケーブルを引き抜いた速瀬さんが立っている。怒っているような、感情を押し殺しているような、そんな表情で、
「立石……はやく、白銀を連れて行きなさい。茜も……柏木たちも――――はやくっ!!」
「! はいっ!!」
怒号。
それは誰に宛てられた怒りか。
呆然と立ち尽くす俺に、隊の皆が近寄ってくる。……ぉい、なんだ、よ? なんでそんな、お前ら……。
「白銀……君、行こう」
「ああ、はやく、部屋に戻ったほうがいい」
柏木と立石が両腕を掴む。――待てよ、おいっ! 待て! 待てよ!! 待ってくれッッ!!
「なぁ、待てよ、おい! 待てって!! なんだよ、なんなんだよっっ!!? 純夏は、純夏はどうなったんだ?! なぁ!! 一体どうなったんだよっ!! 横浜は、そこにいた人たちは……っ…………純夏は……」
誰も口を開かない。視界の端で、築地と月岡が泣いていた。
目の前で、涼宮が大粒の涙を流していた。
俺の疑問に、誰も答えてくれない。
どうしたんだ、皆……? なぁ、何とか言ってくれよ。なぁ!?
「白銀……部屋に戻りなさい」
速瀬さん、どうして貴女までそんな顔をするんだ!
ああ、ああぁぁああ!
それじゃあまるでっ!! まるで!!
純夏が、横浜にいた人たちがっ――死んでしまったみたいじゃないか!! BETAの大群に、殺されてしまったみたいじゃないかよっっ!!?
「嘘だ……そんなこと……ぁぁああ、ぅぁ、ぁあ、ああああああああああああああああああっっっっ???!!!!!!」
「立石ッ!! はやくしなさいッッ!!!!」
俯いて叫ぶ速瀬さんの姿を最後に――俺の意識はぶっ飛んで――暗黒が、目の前を覆って…………
===
意識を失って倒れこんだ武を、茜たちは部屋へと運び込む。簡素なパイプ作りのベッドに寝かせて……苦しそうに表情を歪ませて眠る武を見ていられないのだろう、皆、俯いて視線を外している。
直接武の身体を支えてきた晴子と薫の表情は暗い。日頃から訓練で鍛えているために男一人を運ぶ程度で疲れたりはしないのだが……今は、それ以上に精神が疲弊していた。一様に暗い表情の彼女達の中で、……茜は最も酷い顔をしている。
武の部屋で、全員が沈黙したまま立ち尽くす。
言葉はなく、恐らく何も考えられないのだろう。その表情には悲しみが色濃く、呼吸には嗚咽が混じっていた。
BETAの襲撃。それによって横浜基地は、墜ちた…………のだろう。
そして、そこに暮らしていた人々も。
武の恋人の……鑑純夏も。
全員の思考はそこに集約していた。
突如錯乱した武。そして、狂乱した彼は明確に彼女の名を叫んでいた。
何度も、何度も。震えながら、慄きながら、泣き叫ぶような悲痛な声で。繰り返し叫んでいたのだ。
やめろ、と。
止まれ、と。
そこに、その先に、その場所に。純夏がいるのだと――。だからあんなに、必死に。
茜は思い出していた。
初めて見たのは入校の日。桜並木の下で、武と見詰め合っていた。お別れのキスをおねだりして、髪を結っていたリボンをお守りとして渡していた。
二度目は六月。病院から基地へ戻る道中。武に抱き上げられて、凄く驚いていて、でも、とても嬉しそうで。
交わした言葉は少ない。触れたのは右手だけ。
でも――ああ、だから武は彼女のことが大好きなんだと。そう理解できるくらいに……素敵な、女の子だった。
「――っ、ぅ、」
ツゥ、と。茜の頬を涙が零れ落ちた。ぽろぽろと溢れてきて、止まらない。立ち尽くしたまま、流れ落ちる涙を拭いもせず、茜は、子供みたいに泣いていた。じっと黙って。眼を閉じて。哀しくて、悲しくて、かなしくて泣いていた。
「……茜」
「茜ちゃん……」
晴子と多恵が茜の肩を抱く。二人とも同じくらいぼろぼろに泣いて、そのまま、彼女達は三人でひとしきり声を殺して泣いた。
武の眠るベッドの側には薫が立っていて、彼女は、天井を見上げて必死に流れ落ちる涙を堪えているようだった。
ひとり、幼い子供のように泣きじゃくっていた亮子が、武の顔をまともに見ることが出来ずに視線を逸らす。――逸らしたその先に、あるものを見つけて……亮子は惹きつけられるように、それを手に取る。
手紙だった。
丸っこい、可愛らしい文字で綴られたそれは……正に、武がこの部屋を出る寸前まで目を通していた純夏からの手紙。
瞬時にそれを悟り、再び涙がこみ上げて来る。
――ならばこれは、武の想い人である彼女の……最期の手紙ということになる。
見てはいけないと感じながら、けれど亮子は意識せぬ内にそれを手に取り、そして――――
「……うっ、ぁ、ぅぁあ、ああっ、そ、そんなっ……そんなことっ……」
「りょう、こ?」
がくがくと震えて、大粒の涙を零し泣き崩れる亮子を、薫が支える。そして、彼女が手にする手紙に気づき……茜たちもまた、亮子の傍に寄り、やはり手紙に気づいた。
「……なんだ? これ――、スミカちゃんの、手紙……?!」
亮子の手から奪い取るように、薫が手紙を手にする。読んではいけないという躊躇は、最早彼女の中にはなかった。先ほどの亮子の様子は尋常ではない。今も尚、薫に支えられながらも自身の脚には力が入っておらず、癇癪を起こしたように泣きじゃくっているのだ。
「……ん、」
茜も、薫の顔に自身の顔を近づけて、その内容を追う。――武の転属、武の両親宛に送られた避難船の切符、疎開をすべきかどうか……その、不安。
同い年の少女が綴る、どこか淡く愛らしい歳相応の純夏の綴る文字は、とても……まぶしく見えた。記された言葉に、その行間に、武への想いが、たくさんの想いたちが込められていて。
涙がまた、零れ落ちる。
ああ……彼女は、こんなにも武を愛しているのだ。とてもとても、大切に、大事に、想っている。
『それでね、タケルちゃんっ。あたし、決めたんだ!』
どこか誇らしげに、弾むように書かれたその文字。
噛み締めるように文面を追い、どこか微笑ましい純夏の想いを汲み取りながら読んでいた茜の、或いは薫の表情が、突然に凍りつく。
そこに書かれていた言葉に。文字に。――決意、に。
彼女らは、そして起こってしまった惨劇に、――ココロを凍らせ、そして、亮子のように……崩れ落ちた。
『あたし、疎開なんてしないよっ! だって、タケルちゃんのこと、信じてるもん! タケルちゃんが軍にいて、同じ軍人さんが護ってくれるんだもん。心配なんてないよっ!!』
『おじさんとおばさんもタケルちゃんを信じるって、納得してくれたんだっ。せっかくもらった切符だけど……無駄になっちゃうかな?』
『あ、でも安心して! おじさんが、切符はお向かいの佐藤さんにあげようって、昨日持って行って……佐藤さん、凄く喜んでたよ。うん。お腹の中の子も、旦那さんも凄く喜んでた。ありがとう、って、何度もお礼言われちゃった。えへへ』
『……今は、なんだか日本中が大変なことになってるけど、でも、大丈夫。あたしはタケルちゃんを信じてる! タケルちゃん、昔から悪戯ばっかりであたしのことからかってたけど……でも、今でも思い出すよ。あの日、タケルちゃんが衛士になるって決めた日のこと』
『タケルちゃんがあたしのこと、大好きだって言ってくれた日だもん。護ってくれるって、そう約束してくれた日だもん……。忘れないよ。……だから、信じてる! タケルちゃん、逢えなくて寂しいけど、でも、頑張ってね!! 応援してるから! そして、いつかタケルちゃんが立派な衛士になって、あたしを護ってくれて……ちゃんと、帰ってきてくれたら……』
『えっへへ~、それは、そのときのお楽しみだよっっ!』
『じゃあね! タケルちゃん!! ――――大好きだよ!』
それが、彼女の、
白銀武の愛する彼女の……、
最期の、………………………………