『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:三章-02」
BETA横浜襲撃から一週間が過ぎた。帝都防衛は既に第三防衛ラインおよび絶対防衛線を残すのみとなり……しかし、度重なるBETAの襲撃を生き延びた正真正銘の精鋭たちの奮闘に、じりじりとではあるが、拮抗を始めていた。
それを突破できぬと考えたのか……或いは別の目的があったのか。
いや、恐らく始めから何らかの思惑があったと見て然るべきだろう。
横浜を蹂躙したBETAは実に意味深な行動に出た。本州を蹂躙し、その勢いのまま東進を続けていたBETAだが、連中は帝都へ定期的に襲撃を仕掛けながら……なんと、墜としたばかりの横浜に自らの前線基地――即ちハイヴを建造し始めた。
更に、時をほぼ同じくして朝鮮半島は光州の甲20号目標より溢れ出ていたBETA群は広大な更地と化した本州を駆け抜け、京都より北上、海岸沿いに福井・石川と破壊しながら遂には富山湾、新潟県上中沖の海底を移動し、佐渡島へ上陸。これもハイヴを建造。
帝都死守に躍起になっていた帝国軍にとって、これは完全に予想外の出来事であり、被害地域の死傷者は数知れず……ほぼ一方的に殲滅されたといっていい結果となった。
同じタイミングで、しかも世界各地に点在するハイヴ間の距離と照らし合わせると、これほど極めて特殊なケースは見られず……しかし、その過去からのケースもBETAの戦略思考――そもそも戦略という物が存在するのかどうか――さえハッキリしていない現在では「起こったことこそが全て」であるため、人類はその事実に翻弄されるほか術はない。
ちなみに、国連の軍事衛星からの情報によれば、佐渡島のハイヴ建造の方が二日ほど先であり……よって、これを甲21号目標と呼称することが決定した。
国内に同時に二つのハイヴを建造される羽目になった日本にとって、その呼称などどうでもいいことであり……重要なのは、如何にその脅威を排するかという一点のみ。ハイヴ建造のためかは定かではないが、しかし帝都を蹂躙するよりもそちらが優先されていることが確認され、ならばと帝国軍は佐渡島を放棄、新潟県および近隣の住民へ避難命令を発し、ともかくも帝都防衛を絶対のものとするため、国連へ軍事的援助を要請。
国連本部は日本の援助要請を受理、各国の首脳と閣議を開始し、大々的な反抗作戦の計画を練るのだった。
その根底に在るものは、一つの明確な意思。
各々に底知れぬ思惑が在ることは間違いなかったが、それ以上に、その思惑を達するために必要不可欠な「日本」という国の存在を喪う訳にはいかなかった。
それは、人類の希望。
日本の中でも、或いは国連全体の中でも極一部の者にしかその存在を知らされていない極秘中の極秘計画、――オルタネイティヴ計画――。
その第四番目の計画を完成させ、人類の勝利を勝ち取るために……日本を、その提唱者を喪うことはできない。
国連という巨大な組織の中で蠢く多くの意思と思惑など余人の知るところではなく……反抗作戦は秘められたままに進んでいく…………。
===
走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る、走る――。
脳味噌を空にして、思考を空にして、感情を空にして――ただ、ひたすらに走り続ける。
装備を身に付けた状態で五キロを完走し、すぐさま突撃銃を抱えて目標へ移動。設置された的に向かって精密狙撃。移動、精密狙撃、移動、精密狙撃……。
十分の休憩の後、完全装備での雪中行軍。叩きつける冷気に呼気を凍えさせながら、無心のまま訓練を続ける。
それは、とても楽な作業だった。
肉体的な疲労、特に腕と脚がこれでもかと言わんばかりに限界を訴えているが――そんなものは、まるで苦にならなかった。
楽、だったのだ。
白銀武は額から落ちる汗を拭うこともなく、荒い呼吸を整えながら、ただ雪の中に立っていた。
今もまた束の間の休息の時。休むことも大事な訓練だと教えられていたので、大いに休む。――座らないのは、自身に課した制約のためだ。
自分自身を極限まで鍛え上げる。
それが今の武の目標であり目的であり……その制約は、自身の限界を知り、突破するための一つの手段だった。
肉体を苛め抜けばその分効果は明白なものとなるだろう。無論、虐め過ぎて壊れないよう、それは十分に注意しているつもりのようだ。
……ようだ、というのは、第三者の目から見て武の状態は既に限界に達していると判断せざるを得ないからだ。
同じ隊の茜たちは全員が揃って疲労困憊。もう一歩も動けないというくらいに疲弊し、敷設された防雪シートの上に転がっている。
なのに、武だけが立っている。この場合、性別の違いは関係しない。男子といえど、まだまだ鍛え抜かれてはいない、いわば未熟な身体だ。
仲間達から離れた場所で、荒い呼吸を続け、ふらつく両脚を叱咤しながら……ただ意地だけで立ち続けている。
彼らの教官である熊のような大男は全員に本日の訓練の終了を告げ、十分な休息をとるように命ずる。教官は無慈悲で非道な鬼ではない。時に鬼となることもあろうが、今はその必要もなく、正しくそして効率的に心身を鍛え上げるカリキュラムを遂行することが重要だ。
解散の号令が分隊長である茜の口から発せられ、全員が敬礼する。既に日は傾き始めていて――彼らは赤く燃える夕陽に目を細めながら、休息をとるべく自身の部屋へと歩き出す。
ひとりを、除いて。
「……? 白銀?」
連れだって歩く少女達のうち、茜が立ち止まり、振り返る。その彼女の行動に、残る全員が同じように振り返った。
視線の先、夕陽を睨むように立ち尽くす少年――武は、茜たちからは逆光となり、その表情は窺えない。
しばらくそうして立ち止まっていた武だったが、やがて茜たちへ振り返り、苦笑を浮かべながら歩いてくる。
「悪ぃ、ぼ~っとしてた。待たせたな」
「……ん、いいけどさ」
「あはは、気にしてないよ、白銀君」
のんびりと歩いてくる武に茜は少しだけ心配そうな顔を浮かべる。その彼女の不安を取り除くように晴子が軽快に笑った。
皆、一様に笑顔を浮かべる。
そう、少女達は全員がわかっていたのだ。
――――まだ、一週間しか経っていない。
立ち直れという方が無理だ。
気にするなという方が無理だ。
忘れろ、なんて絶対に無理だ。
彼の中にはまだ、これからもずっと、永遠に……鑑純夏が存在し続ける。
それはわかりきったことで、全員が承知している事実。
愛する恋人を喪って、まだたったの一週間。武なりに色々と吹っ切ろうとしているのは知っている。訓練に異常なまでに打ち込むのも今は仕方がないだろう。時折、思い返すようにぼぅっと、遠くを見詰めているが……それをやめさせることなど出来ようはずもなかった。
武の心中を察するからこそ、彼女達も普段どおりであろうと振舞うし、武もまた、かつての自分のように在ろうとしている。
連れ立って廊下を歩く中、築地多恵が思いついたように声を上げる。ぱしんと両手を合わせてはしゃぐように言う彼女は歳相応の少女そのものだ。
「そうだっ! 今日はみんなで久しぶりに遊ばないっ?」
明らかに武を気遣っての提案だったが、真っ先に賛成したのは武だった。そのことに内心で驚きながら、茜が賛同。断るものもなく、ならばPXで夕食の後、再び集合しようということになった。
「…………」
「ん? なんだよ、涼宮」
跳ねるように自室へ戻っていく多恵を見送り、続くように晴子、薫、亮子が去っていく。
そんな中、茜と武だけが歩き出さず……茜は、武をじっと見詰めていた。
「ん~~っ、別に、なにというわけじゃないんだけどさ……」
どこか逡巡するように、茜は首を傾げる。武の表情や態度を見る限り、無理をしているようには見えない。――ならば、これは単なる自分の考えすぎだろうと、
「ま、いっか! あ~、楽しみだなぁ。思いっきり遊ぶのって、結構久しぶりじゃない?」
「ん、そうだな。確かに、ここ数ヶ月訓練ばっかで全然遊んでなかったしなぁ」
軽快に笑い合う武と茜。そこに翳りはなく、故に茜は本当に楽しみだと感じていた。少なくとも今、武は笑っている。演技だろうがなんだろうが、或いは少しでも早く立ち直るための努力かもしれないが……笑っていられるくらいには、前を向いているということ。
茜はその事実が嬉しく、咲いたような笑顔で武と別れる。
「…………ぁぁ」
茜の姿が廊下の角を曲がったところで、武は右手で自身の目元を覆った。
漏れる声音はどこか震えていて……
「っ、ぁ……はぁ、ぁ……はぁ、はぁ、」
思い出すのは、先ほどの茜の笑顔。
どうしてか、それが幼馴染の少女の笑顔と重なって――――武は、その思考を切り捨てる。
背中を壁に預けて、握り締めた左拳をドン、と叩きつける。
「くそっ……なにやってんだ、俺はっっ……!!」
訓練の最中はいい。頭を空っぽにして心を空っぽにして……ただ打ち込めばいい。夢中になっている間は、そのことを思い出さなくて済むのだ。
だが、訓練は必ず終わり、そして残された時間を過ごす間…………それは、常に脳を支配し続ける。
――当たり前だ。
武は自己に埋没した。忘れられるはずがない。一度だって忘れたことはない。だってずっと一緒に居たんだ。片時も離れず傍にいた。触れ合う距離に、手の届く場所に。
常に脳を支配し続ける?
当たり前だ。当然だ。それは武にとって絶対だ。
忘れることなんてない。忘れることなんて出来ない。どうやったって忘れられない。
鑑純夏――。
彼女の、ことは――っ!
「………………っ、は、ぁ」
ずるりと廊下に座り込む。
決壊しそうになる感情の波はなんとか収まり、変わって、底知れぬ哀しみが打ち寄せる。それはこの一週間絶えずやってきた感情の浮き沈みであり、己の無力さにハラワタが煮えくり返るほどの怒りを孕む。
考えまいとしても考えずにはいられない。――何故、純夏は死んでしまったのか。
「――っ、ぐ!」
これも決まって起こることだった。
頭では既に理解しているのに、心がそれを認めない。故に、脳髄はその情報を感情的に排除しようと痛みを引き起こす。
人の記憶を司ることで知られる海馬を痛めつけることで、その事実を抹消しようとしてるのかもしれない。
だが、武はそれを赦さなかった。
記憶をなくしたほうが楽なのかもしれなかったが――彼にとっての鑑純夏は、それでも、どれ程に苦痛だろうとも。
絶対に、絶対に、忘れたりなんてできない……。
そして、矛盾している自分に気づく。
茜の笑顔に純夏を重ねてしまい、それを振り払おうとした自分。
呼び起こされる記憶に苦しみながらも、それを手放さない自分。
(違う、俺は……っ)
座り込んだまま、武は懊悩するしかなかった。
やがて、ふらりと立ち上がり、夕食までの数時間、素振りでもしようと……ふらふらと、自室へと戻っていった。
屋内訓練場へ辿り着くと、そこには薫と亮子がいた。ほかにも数名、走ったりトレーニングしている訓練兵が見受けられる。
屋外の訓練場などかくやと言わんばかりの広大な空間は、先ほどまでどこかの訓練部隊が汗を流していたのか、僅かに温度が高く感じられた。
武は自主訓練にいそしむ彼らの邪魔にならぬよう注意しながら、模擬刀を振る薫へと声を掛けた。
「あっ、白銀くん」
武の接近に気づいた亮子が朗らかに笑う。その声に薫も素振りを止め、武へと振り向いた。
「白銀? 珍しいじゃん、あんたが自主訓練なんて」
玉のような汗を浮かべた薫がにやりと口端を吊り上げる。つられたように笑う亮子が、
「別に珍しいことじゃないですよ、薫さん」
「あん?」
「白銀くんはですね、夜に自主訓練してるんですよ~。そうですよね?」
「え? あ、ああ……よく知ってたな月岡」
どこか自慢げに語る亮子に、ほぉ、と薫がさらに唇を歪める。武は特に明かしていなかった自主訓練が知られていたことに驚きながら、既に茜に知られてもいるので別にどうでもいいかと頷く。
「で? 普段は夜に自家発電してる白銀が、なんでまた今日はこんな時間に?」
「品性のカケラもねぇなお前は……まぁ、ちょっと身体を動かしたくなってさ」
にひひと犬歯を覗かせて笑う薫に、武は脱力する。ふざけてはいるが、これも薫の立派な個性だろう。――多分、お前の親は泣いている。
武はとりとめもなく思いながら、しかし純夏のことを思い出して鬱になっていたなどと言えるはずもなく、左手に持っていた模擬刀を見せる。
「ふぅん。あんだけキッツイ訓練の後に、よくやるねぇ」
「そりゃお互い様だろ。月岡まで引っ張り出して、お前も容赦ねぇなぁ」
亮子のスタミナが常人のそれより劣るのは自他共に認める事実だ。体力の配分を巧くして如何に余力を残すかを研究した結果それなりの体力を得ることには成功していたが、矢張り武たちに比べてその消耗は早く、激しい。
そんな武の気遣いに亮子は花のように微笑んで、
「大丈夫です。今日は型の復習だけですから」
「型? 剣道のか?」
「そーそー。流石のあたしも今日は動けないって。…………ただ、ちょっと目標があってさ。そのためには少しでも出来ることをやろうって……亮子とさ」
どこか真剣な表情をする薫。そんな彼女の顔は今まで見たことがなく――ああ、なんて頼もしい顔だろうと、武は自然と微笑んでいた。
「っ!」
薫が赤面する。ん? と怪訝そうな顔をした武だったが、しかし薫は思い切り視線を逸らして、
「さ、さぁ亮子! そ、そろそろ今日は終わりにしないかっっ!?」
「え? さっき始めたばっかr」
「そーだよなぁ、流石に今日はもう疲れたよなぁっ!? 部屋に戻ってシャワーでも浴びようぜーっ!!」
赤い顔のまままくしたてる薫に口を塞がれ、亮子は成す術もなく引き摺られていく。
あっという間に訓練場から出て行った二人を、武は呆然としたまま見送るほかなかった。
「……なんだ、ありゃ」
呆けたまま呟いて、そして――けれど、幾許か心が軽くなったのを感じる。
お互いに意識してのことではないだろう。
けれど、向かい合い、言葉を交わすことで……間違いなく、武の心は癒されていた。
「…………、」
癒されていた、か。
武は自嘲気味に唇を吊り上げた。
ならば自身は――――癒されたいと願っているのか。
先ほどの矛盾と同じ。
癒されるのならば、その結果、どうなるというのだろう。
癒されようと思うならば、それは……純夏を忘れるということではないのか?
「やめよう」
頭を振り、思考を霧散させる。
今はただ、無心であればいい。
ただ、強くなるために修練を積むのだ。
――生きている。
模擬刀を鞘から抜き放ち、瞬間、思考を切り替える。
――俺は生きている。
最初の一閃。上段から一直線に振り下ろす。
――生きて生きて、生き足掻いて……それから、純夏に逢いに逝く……っ。
右足を前へ。重心を滑らかに移動しながら、弧を描くように旋回。模擬刀は絶え間なく宙を踊り……螺旋軌道の剣閃はただ大気を切り裂き続ける。
あの日、水月の胸の中で聞いた言葉を噛み締めながら、武は無心に舞い続けた。
===
「久しぶりね、まりも」
帝都東京練馬区に設けられた帝都絶対防衛線の中央司令部。帝国斯衛軍の重鎮達が帝都死守を掲げ、今現在進行形でそのために通信兵へ指示を飛ばしている。通信兵はその内容を一言の漏れもなく伝達し、スピーカを通して部隊長の了解の意が返される。……そんな、最早見慣れた司令部の光景の中に、一人、戦場には似合わない――否、戦線にいるわけがない人物の姿を見つけて――神宮司まりもは驚愕に言葉をなくす。
「ゆっ、夕呼?!」
軍司令部より呼び出しを受け、自らの不知火を駆りやってきたその場所。
衛士強化装備のまま司令部へ駆けつけたまりもは、そこに立つ人物にずんずんと詰め寄った。
「あら~、流石に似合ってるわねぇ。……階級は、大尉ぃ? あんたなにやってんのよ、元教導隊でしょ~? 少佐とか中佐とか、もっと権力持ちなさいよねぇ~」
足元まである長い白衣を身に纏い、軽い口調でおどけたように笑う女性。
その、一度見たら忘れようのない……時が経ってもまるで変わった様子のない旧友に、まりもは心底呆れたというように溜息をついた。
「夕呼、貴女いつの間に帝国軍に? ……って、なんで貴女がここにいるのか知らないけど、私急いでるから」
「急ぐぅ? 何言ってるのよ。ちゃんとあたしの前にいるじゃない。これ以上何処に行こうってのよ。だいいち、あたしは帝国軍になんか入隊した覚えはないわね」
「え?」
白衣の女性の名は、香月夕呼。まりもの知る限りでは彼女は帝国大学に在籍する研究者であり、帝国軍横浜基地へもその研究のため出入りしていたこともある。
その折に話す機会もあり、同じ年齢、さらに同性ということで二人はお互いに気心の知れた良き友人となっていた。
訓練兵の教官として配属されて間もない頃だ。既に八年も前の話である。まりもの記憶が確かなら、1994年以降会っていない……実に、五年ぶりの再会だった。
そんな夕呼の姿をしげしげと見詰め、まりもは気づいた。
白衣の下のその制服。それは紛れもなく国連軍のそれであり、にやにやとまりもの反応を愉しんでいる表情から……自分を呼び出したのが彼女であることを。
「まさか、貴女がわたしを?」
「ご名答~。話が早くて助かるわぁ。それでまりも、早速で悪いんだけどさぁ、あんたとあんたの部隊、今からあたしの配属になったから」
「なっ?! ええ?!」
とぼけた顔でいきなり何を言うのか。突拍子もないことを思いつきで実行し、周囲の人間を振り回すのが夕呼が夕呼である所以だが、それを理解していてるまりもでさえ、彼女が一体何を言っているのか理解できない。
国連軍の制服を着ているということは、まず彼女は紛れもない国連所属の……研究員、ということだろう。或いは衛士、などと考えたが、夕呼の性格上それは在り得ないだろう。学生時代、陸軍予備学校にも行かず、大学へ進学している事実も、それを裏付けている。
では、その国連軍の研究員が、一体何の権利でもって帝国軍所属の自分を、ひいてはその部隊丸ごと徴収しようというのか。
襟元の階級章に目をやる――瞬間、息を呑んだ。
――――大佐。
思わず、莫迦なと呟きそうになる。だが、それは何度見直しても変わることなく……一研究員が持つべき階級とは、冗談でも言えなかった。否、常識から言って在り得ない!!
「な、ぁ、」
「ん~っ、驚いてくれたようで何よりだわ。それでまりも、返事は?」
「……??!!」
色々と納得がいかない。どころか、謎は深まるばかりである。
いいだろう。ここまでは納得しよう。――香月夕呼は国連に籍を置く研究員で階級は大佐……。既に意味不明だが、そこはこの際関係ない。そして、その大佐殿が現在要求しているのは自分とその部隊。
正直、国連軍と帝国軍の間でどのような取引が行われていたのかは定かでない。
理由も何もなく、唐突に現れて「あんたは今からあたしの部下」などといわれて誰が納得できようか。
……だが、それが軍隊というものであり、そして神宮司まりもは軍人だった。
帝国軍衛士として任官し、その実力を買われ富士の教導隊へ務めていたこともあった。次世代を担う若者を育成するために旧横浜基地へ招聘され、教官として過ごした八年もの間も、矢張り自分は帝国軍人として過ごしてきたのだ。
そして、BETAによる京都陥落をきっかけに訓練校は閉鎖され……再びまりもは衛士として前線に身を置いている。
十年以上のブランクなど全く見せず、与えられた大尉以上の功績を挙げ、BETA帝都侵攻を見事防ぎ続けている。――もっとも、彼女自身、そのことを誇ろうとは思わない。既に横浜を墜とされてしまっている現状に、まりもは己の力不足を感じていた。
不足しているのなら、少しでもいい、強くなって見せる。帝都を護るため、部下を護るため、仲間達を護るため。
嘆く暇があるなら、這いずってでもいい、みっともなくてもいい、前へ進めと。彼女は常に自分に言い聞かせている。
そして、それこそが優秀な衛士の証でもあり……故に、まりもは上官の命令に異を唱えることはない。
まして、その内容が不透明であろうが理不尽であろうが……意味のない命令など存在しないことを、彼女は十二分に理解していた。
「了解しました。神宮司まりも、ただいまより香月大佐の指示に従います」
「ちょっと、堅苦しいわねぇ。……敬礼は禁止、あと敬語もやめて」
ぴらぴらと手を振り、心底嫌そうな顔をする夕呼。
しかし、旧知の友とはいえ、階級の差は大きい。まりもはなんとなく、先ほどの夕呼の言葉を思い出す。――少佐とか中佐とか……。ひょっとするとそれは、大佐である自分との差を少しは埋められればという彼女なりの願望だったのかもしれない。
「はぁ……善処しますが、こればかりは。大佐、この度の配置転換について質問してもよろしいでしょうか?」
姿勢を正したまま、毅然と言葉を発するまりもに最早うんざりを通り越してげんなりしている夕呼が、適当に相槌を打つ。
「はぁいはい、いいわよ~……ねぇ、ほんと、やめてくれない? それ」
「…………もぅ、しょうがないわね貴女は。……ここは人目があるから、出来れば移動したいのだけど」
「ああ、そうね。流石にこれだけ大勢の前で大佐にタメ口きいてちゃ、色んな意味で有名人になるものねぇ」
にやりと唇を吊り上げ、夕呼は愉快気に笑う。内心で溜息をつきながら、傍若無人を絵に描いたような夕呼に、せめてその目的だけでも問い質してやろうと決めて。
そして、世界中が注目する一大反抗作戦は、徐々にではあるがその片鱗を顕していく。
だがそれは片鱗であるが故に誰も知らず、その裏に秘められた内情を知るものも、また、ない。
そう、この時点ではまだ。