『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:四章-02」
雨が降っていた。
八月の空を分厚い雷雲が覆う。果てしない入道雲は昼前から急激に黒く変色し、時々雷光を覗かせる。
北海道の夏はあっという間に過ぎ去り、細長い静かな雨が絶え間なく降り注ぐ――まるで誰かの涙のようだ。
===
訓練兵を含めた全基地職員が招集され、大講堂で基地司令からとある作戦の成功が報告された。
――知っている。
七月頃だったろうか。
どこからか誰からか。果たしてそれは広報が流した報道だったか。日本を救う、そして世界中に希望を与える大反抗作戦。本州島奪還作戦。『明星』と名づけられたその作戦。
皆知っている。
皆が興奮した。期待した。希望を抱いた。達成を夢見た。……どうか、どうか成功しますように。成功させてください。
祈り、勝利を信じ、戦場へ馳せる多くの衛士に、世界中の衛士たちに……思いを託した。
その作戦。
『明星作戦』。
それは、人類史上初の快挙を、ハイヴ攻略を、そして帝都防衛を成し遂げた。
彼らはやったのだ。世界中に知らしめたのだ。BETAを滅ぼし、ハイヴを攻略し、現時点で本州島のほぼ全域を取り戻したのだ。
火の海となり破壊し尽された京都を――。
圧倒的超物量によって蹂躙された中国地方を。そして、四国の一部を。……さらに、九州をその手に取り戻すべく作戦は続行が計画されているという。
それは人類の悲願達成の第一歩を刻み、日本人の誇りと歴史を奪還した。
BETAに奪われた物は戻らない。
けれど、まだ人間は生きている。こうして日本人である自分達が生きている。――ならば、生きている限り、その歴史、想い、意志は消えない。失われない。
――だが、それは、その勝利は、もたされた勝利は…………あまりに過激であり異端であり非情で非道で破壊的で……そして、圧倒的だった。
<Fifth-dimensional effect bomb>
日本名を『五次元効果爆弾』――通称『G弾』と呼ばれるそれは、米国が開発したこれまでに全く類を見ない新兵器であり……たった一発でハイヴ周辺を根こそぎ薙ぎ払い荒野に変えるほどの超超超破壊力を持つ。
その『G弾』。『明星作戦』の中心を担った米国の正式発表によれば、『G弾』の運用は当反抗作戦成功のために必須であり、その決定は各国首脳閣議によって正式に行われた。『G弾』の効果・威力は開発国である米国で検証済みであり、その運用・使用による土壌・大気・生物への影響等、あらゆる観点から「問題ないこと」を表明。
戦術核に代わる、希代の新兵器……『G弾』。環境汚染の恐れのないクリーンな超兵器。――BETAを滅ぼす黒の『明星』。
先の日米安全保障条約一方的破棄に続く在日米軍の日本撤退……それら人としてあるまじき卑劣な行為によって日本人に刻み込まれた、米国に対する不信感、敵愾心、それら諸々の負の感情を払拭すべく、彼らは『G弾』の使用を決意した。
結果は見ての通り。
周回軌道上より横浜ハイヴ目掛けて投下された『G弾』は合計で二発。
一発目は地表に出現したBETA群の一掃およびレーザー属全滅を目的とし、上空約1000mで爆発。地上を直径約2100mにおよび薙ぎ払い、ハイヴ主縦坑を最大深度約460mに渡って破壊した。
コンマ数秒で半径約1500mに到達する超弩級の破壊兵器である。そして、その凄まじき破壊の球は更にもう一発、今度は相模湾に展開していた米軍艦隊の旗艦より発射された。一発目のそれが未だその姿を横浜の上空に晒しているにも関わらず、主縦坑中心より約1200m離れた上空約230mで爆発したそれは地上を直径2900m、主縦坑を最大深度860mと、更にとてつもない規模の破壊を生み出した。
その威力。
二発の『G弾』が作り上げた荒野は最大直径実に約3700m。その、事実。
確かに『G弾』は素晴らしい戦果を上げた。たった一発で地表上のほぼ全てのBETAを掃討しただけでなく、地下茎構造の直径すら越える範囲を薙ぎ払い、続く二発目で横浜ハイヴの南方におびき寄せていた残存BETAを殲滅、更には主縦坑の二分の一を崩壊させたのだ。
それは間違いなく、人類史上初の快挙。BETAに対する反抗作戦は大成功を収めたと言ってもいいだろう。
実に凄まじき戦果。実に凄まじき威力。そして、実に素晴らしき兵器なのである。
だ、が――。
その威力。
その破壊力。
それによって薙ぎ払われた3700mの地表。
確かにBETAは殲滅できただろう。横浜ハイヴの攻略は成っただろう。人類全ての悲願。その到達点。対BETA反抗作戦の開始を告げるに相応しい門出。これ以上ないくらいの圧倒的勝利。
だが。しかし。
それは――あまりにも日本という国をないがしろにしている。……そう、言わざるを得ない。
『G弾』がもたらした成果は帝国を激憤させた。
その運用に当たり米国は各国首脳の閣議により正式に決定を得たと言う。そう言うのならば、確かにそうなのだろう。だがその閣議に参加した「各国首脳」の中に日本は入っていないどころか、同じく作戦に参加した大東亜連合軍の代表国さえ参列していなかった。そもそも、『G弾』という超兵器の存在さえ公にされていなかったことは今回の米国の報道で明らかである。秘密裏に研究・完成させ、いくら環境・生物に影響がないと断言しようと、その凄まじき破壊力や『明星作戦』への投入等々、日本になにも知らされないまま、それは一方的に実行され、使用され、結果――ハイヴを攻略しましたこれは米国のおかげですどうですか日本の皆さんこれであなた方も安心でしょう――その、高慢に過ぎるおこがましい態度。
米国は結果をして『G弾』あってこその作戦成功であると掲げ、それを不満と声高に叫び、命を賭して本作戦に参加した世界中の衛士を侮辱している日本は厚顔無恥の礼儀知らずだと吠える。
日本は結果をして『G弾』あってこその作戦成功であるかもしれぬと掲げ、しかしその存在や威力、或いは戦線投入のタイミング……敢えて上げるならば「米国以外」の部隊に通達された作戦には『G弾』の使用など示されておらず、これは反抗作戦そのものを利用した『G弾』の実戦運用試験であり、恩着せがましくもその成果のみを押し付ける米国こそ厚顔無恥の極みであり利己的に過ぎると批判。
二国は『G弾』の存在を巡り大いに火花を散らした。
確かに国連へ援助を求めたのは日本だ。そして如何なる思惑があったにせよ、米国の秘密兵器である『G弾』の戦線投入によって横浜ハイヴは壊滅した。大東亜連合軍を主力とし、本州島奪還も成し遂げた。
その成果、結果だけを見れば日本は国連に対し感謝をしてもしきれぬほどの恩を与えられたのかもしれない。
だが、日本にしてみれば今回の、こと『G弾』に関しては全く情報を得ていなかった。否、米国によってその瞬間まで意図的に秘されていたのだ。
自国の領土を焦土と化してまで得た勝利。それが、米国の独善的な思惑によって秘密裏に、しかも実戦検証を含めた『G弾』のお披露目のためのものだったというならば、そこにとてつもない義憤を憶えても仕方が無いことだろう。
両者は互いに引かなかった。結果が問題なのではない。その過程こそが重要なのだという日本の訴えは確かに世界中に響いた。
だが、実際に『G弾』は使用され……二発のそれが刻んだ破壊の痕跡は消失したBETAの骸と共に荒野となって広がっている。
結果を覆すことは出来ない。しかし、米国のやり方に納得など出来ないし、赦すこともできない。
米国以外の作戦参加部隊に『G弾』の使用が知らされていなかった事実。投下直前になって一方的に告げられた撤退命令。BETAに囲まれた前線にあって、如何様に戦線離脱など実現できるだろう。地上を薙ぎ払う黒紫の閃光に呑まれた戦術機は数十におよび、それと同数の衛士が貴重なその命を散らしたのだ。
各部隊の生還者から聴き取ったことで判明したその事実。いち早く戦線を離脱した米軍の動き。――その事実ッ!
作戦に参加し、米国の一方的な大破壊によって兵を喪った国々は、日本と共に彼らを糾弾した。
さらには……これは公に公開されている情報ではないが、日本のとある研究者が『G弾』についての見解をこう述べている。
『五次元効果爆弾』には核兵器のような放射汚染こそ無いが、投下された一帯は植生が回復しない可能性がある。つまり、『G弾』は健康な土壌を半永久的な重力異常地帯に変えてしまうのである。そして、それが人体に及ぼす長期的影響がどういうものかは誰にもわからない……。
これは『G弾』開発時点で判明していた危険性であるという。しかし米国は知っていながらにそれを秘匿、使用した。対外的に堂々と『G弾』は安全であると謳いあげ、強引に過ぎる手段をもって。
国連は米国の対BETA戦略、即ち『G弾』を主体したそれを認めないことを表明した。
確かにその威力は凄まじく、BETA戦略としてその戦果を見るならば現状最も優れた手段であるといわざるを得ないだろう。だが、『G弾』を乱用していけばそれがもたらす重力異常によって、例えBETAを地球上から一掃出来たとしても『G弾』そのものが第二のBETAとなりかねないのだ。
国連は世論に対して先の重力異常のことは伏せつつも、あまりにも人道を外れた米国のやり方に異を唱える形で『G弾』の使用を禁じた。日本を始めとする各国の訴えもあり、世論はそれに賛同。ここに至り、米国はこと日本における地位を永劫に失ったとみていいだろう。――だが、今回は大人しく引き下がるしかない米国だったが、それでも彼の国が世界中で最も戦力を持ち、自国にハイヴを有しない……直截的危機に見舞われていないことだけは確かだ。
だからこそ米国は世論の風などもろともせず、今も尚国連の主導権を握っているのである。
……その本質は何も変わらない。変えようとしない。なぜなら、彼らにとってそれは変える必要のないことだから。
国連が、日本が、周囲の国々が声高に批判しようとも……その彼らが自国の或いは直近のハイヴを攻略ないしBETAの侵略を防衛しようと思えば、どこかで必ず米国の恩恵を賜っているからである。
それが、この世界の現状だった。
===
1999年8月25日――
静けさを強調するような雨音を聞く。
ぼんやりと灰色の雲を見上げ、降り注ぐ雨粒を見詰める。一滴一滴の形、大きさ、その音を。
「白銀~っ」
「あ?」
呼びかける声に振り向く――までもなく、腰と背中に衝撃。思わずバランスを崩しそうになるが何とか踏みとどまり、軽く息を詰まらせながらも飛びついてきた不埒な輩を睨みつける。
「なにしやがる……」
「別に意味はないよ」
睨まれていることなどまるでお構いなしにケロリとした態度。飛びつき様彼の背に回していた腕をほどき、茜はニマニマと笑顔を浮かべる。突然にとびつかれた身としては呆れるしかないが、既に慣れた。武は溜息をつく仕草をしながら、
「ったく……。で? なんか用かよ」
「ああ、そうそう。そろそろさ、任官式終わるよ」
茜の言葉にそうかと頷く。見れば彼女の向こうにはいつもの面子が揃っていた。第207衛士訓練部隊の仲間達。武は茜に引っ張られるように彼女達の元へ歩き、全員揃ったところで、改めて講堂へ移動する。
「しかし……早いような、長かったような…」
「実際長かったんじゃない? だって事実として半年ずれてるわけだし」
「そうだよなぁ。帝都のことがなけりゃ、今頃は任官して半年、ってことだろ?」
呟く武に晴子と薫がそれぞれに言葉を返す。
「うん。……でも、そうしたらお姉ちゃんたちも『明星作戦』に参加してたのかな?」
「う~んん、どうなんだろ。でも、帝都防衛・本州奪還、っていう日本にとっての一大事だから……」
「参加してたんじゃないですかねぇ。……それを思うとちょっと複雑です」
薫に頷きながら茜がもしもの話をする。それに対して多恵と亮子が難しそうな顔をして唸る。その二人が可笑しくて、知らず笑みが零れる武だったが、ばっちり晴子に見られていていることに気づかない。
六人は、そうやっていつもどおりに歩いていく。
向かう先は講堂。屋内訓練場の一つとして使われることもあるその場所で、今日……訓練校四回生の訓練兵たちの任官式が執り行われている。
そう、武たちと深い付き合いのある速瀬水月、涼宮遙たちの。
任官式自体には武たちは参列できないが、こうして式の終わる頃を見計い、出てきたところを祝福の言葉で彩ってやろうという、彼らなりの企みだった。無論、それだけではない。
特に武は、今まで言おうとして言葉に出来なかった様々な想いを伝えようと思っていた。
思い出すのはあの日、あの時、幼馴染の彼女を喪ったそのとき。
錯乱し現実から逃避し、雪の中を彷徨おうとしていた自分を現実に引き戻してくれたこと。抱きしめてくれて、生きている者の成すべきことを示してくれたこと。
自分独りで彼女への想いを振り切ろうと足掻き続けていたとき、幾度と無く手を差し伸べてくれて……引っ張り上げてくれたこと。
今の自分が在るのは間違いなく彼女の、水月のおかげだと思う。
それは間違いない事実で……武は、そのことを感謝してもしきれないと感じている。――だから言葉には出来なかった。
(でも、いいんだ……。小難しい理屈はいらない。ただ、一言……言えればいい)
ひとつ、頷く。その表情はとても満足げで、彼がそのことに納得していることを示していた。自分はもう大丈夫で、これからも生きていけるということを伝えたい。それだけだった。
「あれあれ、白銀君~っ? なんだか嬉しそうな表情だね」
「ほんとだ。わわ、まさかひょっとして……」
ひょいと武の正面に回り、晴子と多恵が意味深に含み笑う。いや、最早馴染み深いなにかよからぬことを妄想している顔というべきか。武は経験からそれを察知し、一歩引く。
「な、なんだよ……っ」
「ん~~~、べっつにぃい?」
「そうそう。べつに~?」
ねー、と。顔を見合わせてニヤニヤと笑いあう二人。下手につつくとこちらが痛い目に遭うのは明白なので、武は敢えて放置することにした。――が、その武の判断を知りつつ、それこそ敢えて藪をつつくのが薫だ。確信犯である。
「なんだよ? 気になるじゃん」
そういう表情には見えない。むしろ武に対する嫌がらせを心底楽しみにしている顔である。それに茜が便乗して、207唯一の良心である亮子のみが武の横で苦笑いを浮かべる。
そう。
こんなやりとりもいつもどおり。――半年前に取り戻した、彼らの「いつも」。
だからこそ。彼女達全員は心に決めている。
変わり果て、ぼろぼろになった武を救ってくれた水月に。その水月を支えてくれた遙に。二人の偉大なる先任に。
感謝を。祝福を。――ありがとう、おめでとう。
その言葉を、想いを。伝えよう。
そして、講堂の前へ到着した。
丁度タイミングよく扉が開放され……出てきたのはどうやら基地司令に教官たちのようだ。訓練兵の姿はないことから、どうやら式自体は終わったものの、彼女たちはまだ講堂の中ということだろう。……耳を済ませるまでも無く、盛大な喧騒が聞こえてくる。
「なんか、叫んでる人もいるな」
「あはは。それだけ嬉しいってことなんじゃない?」
明らかに雄叫びを上げているだろう男性を筆頭に、口々に皆、お互いを祝福しているらしかった。姿は見えないが、その風景は容易に想像できる。……きっと、そこには様々な想いがそれこそ目一杯詰まっているに違いない。四年という訓練時代を終え、更には日本という国の存続を賭けた混乱と希望の半年を越え……そして、ようやくの任官なのだ。
感極まって当然。嬉しくて当然。
ああ、だからこそ。その姿が想像できてしまうからこそ。
「はは……なんか、こっちまで嬉しくなっちまうな!」
「うんっ。そうだね」
「あはははっ、白銀君泣いてる泣いてる」
「もらい泣きでずぅ~」
「いや、亮子泣きすぎだから」
「感動するね~! ……あ、出てきたよっ!」
つい、涙腺が緩んでしまった。武は照れくさそうに目尻を拭うと、茜がハンカチを差し出してくれたのでありがたく使わせてもらう。既に涙のダムが決壊しているらしい亮子は晴子と薫の二人があやしていて……そして、多恵が指差したそこから、未だ歓声の止まぬ「新任衛士」たちがぞろぞろと出てきた。
そこに、二人は居た。
青い髪を後頭部でまとめ、しなやかに強靭に、勝気で強気で豪胆を地で行く水月。
長い髪を背中まで流し、淑やかに柔らかに、温和ながらに強い意志を持つ遙。
彼女達の姿を見つけ、武たちは気づけばその名を呼び、駆けていた。講堂までの渡り廊下。出てきたばかりの大勢の先任たちで混雑しているその場所へ。驚いている表情の二人の下へ。
「た、武ッ?! 茜……あんたたちなにやってんのよ?!」
「皆、どうしたの?」
あんまりにも大声で名を叫ばれ、ぞろぞろと六人もの男女がやってきたのである。渡り廊下を行くほかの人々が物珍しそうに、そして興味深そうに視線を向けながら通り過ぎるのは仕方ないのかもしれない。それを水月は呆れたと溜息をつき、遙は恥ずかしそうに困惑する。
だが、その原因である武たちは気にしないというか全然気づいていない。
それぞれが大層嬉しそうな表情で、任官式を終えたばかりの二人をわらわらと取り囲むのだ。――嬉しくないわけがない。
「水月さんっ! 遙さんっ!! 任官おめでとうございますっっ!!」
「お姉ちゃん、速瀬さん! おめでとうっ!!」
「「「「おめでとうございま~すっっ」」」」
口々に、それでいて一斉に。見事に言葉同士が重なってまるで意味不明だったが、しかし、それでも水月たちにはしっかりと届いていた。まるで我がことのように喜び、祝してくれる後輩に、不覚にも感動してしまう水月であり、それを誤魔化そうとしているのに気づいて微笑む遙だった。
ごほん。一つ咳払いして、水月が口を開く。若干頬が赤くなっているが、それは言わない約束だ。……多分、晴子あたりの記憶にはいつの日か再会したときのためにきっちりとメモリーされているに違いない。
ちらりと片目で武たちを見回し、改めて口を開く。表情は明るく、眩しいくらいの笑顔で。
「ん、ありがと」
たった一言。短いその言葉の中にはたくさんの感情が込められていた。遙は水月の傍でやんわりと微笑み――そして二人は武たちの輪から去っていく。これから任官に当たっての伝達事項および手続きほかがあるとのことで……これで、お別れである。
去っていく後姿を、武たちはじっと黙って見送る。
そっと、武は息を吐いた。
これでお別れ。自分の任官先が彼女達と同じにならない限り、滅多なことでは逢うことはないだろう。再会は戦場か、或いは――。
その感情を、寂しいというのだろうか。武はじんわりと込み上げる感情を噛み締めた。
尊敬する彼女達との別れは済んだ。ならば、これからは一人前の衛士になるための時間。昨日よりも前へ、高みへ。もし彼女達と再会できたそのときに……立派になった、そう認めてもらえるように。
「ほらっ、白銀、行くよ~!」
弾けそうな笑顔。茜が手を振り、晴子たちが呼んでいる。どうやら一人だけ置いていかれていたらしい。武は慌てて追いかける。
そして、わざわざ全速力で逃げるように走る彼女達を同じく全力で追い抜きながら……武は、水月へ肝心の礼を述べていないことに思い至る。任官した彼女を前にしていささか舞い上がっていたらしい。まったくもって情けない話だと苦笑する。
ならば、訓練の終わった後。任官先へ赴任するのは早くても明日の朝だろうとあたりをつけ、今夜にでももう一度会いに行こうと決める。
「うし! なら、さっさと訓練終わらせないとなっ!!」
「ちょ、ちょっ!? 速いって白銀ぇ~~っ」
あっという間に先頭を走っていた茜を抜き去る。置いていかれた本人が置いていった彼女達を置き去りに走りぬける。もはや何だかわからないこんなやりとりも……矢張り、彼らにとってはかけがえのない「いつも」のことだった。
この北海道札幌基地に転属になって以来、自分たちの教導を担当してくれた軍曹へ最大限の礼を述べる。
水月にとって、いや、彼女達にとって本来の「教官」は横浜基地時代に世話になった神宮司まりも軍曹だが、それでも、この十ヶ月を厳しくも優しく指導してくれた偉大なる先任には感謝してもしきれないものが在る。
軍人としての知識・技能・体力を鍛え上げてくれたのがまりもなら、衛士としての知識・技能――即ち戦術機を操縦するための知識・技能を叩き込み、鍛え上げてくれたのは目の前で誇らしげに笑う彼女だった。
水月は敬礼する自身の全身に、震えるほどの感動が迸っているのを感じた。
ああ、自分には偉大なる二人の「教官」がいるのだ。自分がこうして衛士として任官できたことに対する喜び。そこに到るまでの長く長い道のりを導いてくれた恩人。
敬礼を解く。静かで穏やかな空気が流れる中、水月の隣りで、遙は薄っすらと涙を浮かべていた。
そして、名残を惜しむように、けれど実に爽快に。水月たちのもう一人の教官は部屋から出て行き……入れ違いにやってきたのは国連軍の制服を着た若い女性。小豆色の髪を肩の辺りでそろえた、凛々しい表情をする人物だった。
階級は大尉。名も知らぬ国連軍大尉の出現に困惑する水月たちだったが、当の本人は全く意に介していないらしく……向けられる視線をむしろ愉しんでいるようにも見える。
得体の知れない緊張感を孕んだ沈黙が場を支配し……つい先ほどまでの感動などなりを潜めてしまっていた。だが、それ以上に水月たちの心を支配したのは――息が詰まるほどに圧倒的なその女性の存在感だった。
見た目は自分達と大して歳の変わらない若い女性。だが、大尉という階級が示す以上に、衛士としての器の大きさの違いがはっきりとわかる。この女性は、恐ろしく「強い」歴戦の勇士だ。
知らず生唾を飲み込んでいた水月に、女性はニヤリと口端を吊り上げた。急に視線を合わされて、思わずギョッとしてしまう。
「ふふ、驚かせてすまない。……まぁ、帝国軍の基地にいきなり国連軍人が現れては困惑するなというほうが難しいのはわかるがな」
開かれた口からはややハスキーな声。しかし、どこか奥深しく張りのある口調に、一瞬にして水月たちは引き込まれていた。
「まずは自己紹介をしておこう。私は国連軍横浜基地A-01部隊第9中隊隊長の伊隅みちる大尉だ」
「国連軍……横浜基地っっ?!」
凛々しい立ち姿のまま澱みなく自らの所属を明らかにした女性に、思わず水月は叫んでいた。――横浜基地?! 国連??!!
唖然とするのは水月だけではない。遙やほかの部隊の仲間達も同様だ。
それもそのはず。横浜基地といえば彼女達がここ札幌基地に転属になるその直前まで所属していた場所であり……そしてその基地は今年の一月に壊滅し、つい先日の『明星作戦』で荒野と変わり果てたはずなのだから。
なのに、目の前の女性――みちるはその横浜基地の所属だという。しかも、国連軍横浜基地、と。そう言った。
「ふふふ。益々驚いたようだな。貴様達の言いたいことはわかる。確かに帝国軍横浜基地は失われて既に八ヶ月が過ぎようとしている。更に言えば基地周辺は米国の『G弾』によってハイヴもろとも更地になってしまっている。――だが、現在こそまだ仮設本部しか存在していないが、確かに横浜基地は存在し、我々国連軍が総力を上げて基地を再建している。……極東方面最大の規模を誇り、極東防衛の要となる――国連太平洋第11方面軍横浜基地をな」
「!!」
全員の表情が更に驚愕に染まった。
今みちるがサラリと語ったことは、はっきり言って機密情報そのものである。そう遠くない未来に完成し、世間にお目見えするとは言え、まだその姿すら現していない軍事基地。しかもそれが極東方面最大の規模を誇るものとなると……必然的にその機密レベルは跳ね上がる。にも関わらず、初対面である水月たちに。いとも容易くべらべらと語って聞かせたみちるの目的は一体なにか。
考えられる答えは一つしかなかった。
「前置きが長くなったな。まぁ、既に貴様達も気づいているとは思うが……貴様達の任官先がそこだ」
衝撃が走り抜ける。ニヤリと。意地悪く笑うみちる。
まさかという思いが現実のものとなった。水月はぱくぱくと喘ぐように口を開くことしか出来ず……帝国軍ではなく国連軍に転籍となった事実に思考が空回りしている。
「で、では……私たちは、伊隅大尉の第9中隊に配属されるのでしょうか?」
恐る恐るといった様子で、遙が質問する。みちるは鷹揚に頷き、
「そのとおりだ涼宮少尉。帝国軍から国連軍への転籍などそうあることじゃない。……むしろ、在り得ないだろう。だが、現実として貴様達はその全員が私の部下として任官・配属が決定されている。これは、かつての帝国軍横浜基地の頃より変わりはない。もしBETAによる横浜襲撃、或いは本州島襲撃がなく、順当に訓練校を卒業したとしても、貴様達は必ず我々の下につくことになっただろう」
初対面であるはずの遙の名をサラリと口にして、みちるは補足を付け加える。
帝国軍基地の衛士訓練校を卒業しながらに、帝国軍ではなく国連軍に配属される……。その異常さは、とてもではないが言葉に出来ない。そんな人事があること自体、異常なのだ。――ならば、その裏には異常に足る理由が存在する。
帝国と国連を股に掛け暗躍する双方にとっての多大なメリット。水月たちが国連に配属となることで生じるメリットとは一体何か。……考えたところで答えが出せるわけがない。だから、水月は考えるのをやめた。
既に決定され、そして通達された事実は変わらないし覆らない。ならば自分達は紛れもなく国連軍衛士として任官するのだ。
「……速瀬少尉、いい表情だ。ほかの者も、なかなか頭の切り替えが早いようだな。――では、改めて」
ようこそ諸君、栄えあるA-01部隊へ――。
そのみちるの表情はどこか晴れ晴れとして、それでいて懐かしむようなものだった。
その後、任官に当たって……特に、国連軍への配属に当たっての諸注意並びに正式配属についての手続き等についてみちるから説明を受けた。
国連軍の制服や、先の『明星作戦』時に正式採用された最新型の99式衛士強化装備などの支給品は国連軍仮設横浜基地へ赴任してから支給される。出発は明朝0800。――尚、今回の任官……特に国連軍配属については絶対に口外しないこと。A-01部隊は存在自体が機密扱いの特殊部隊であるため、その存在を公にしてはいけないこと……等々。
みちるはスラスラと、それでいて的確に諸注意を述べていく。そんな凄まじい特殊部隊に配属が決定された身としては、喜んでいいのか驚いていいのか、或いは、何も考えられなくなって呆れればいいのか。最早水月にはわからない。
ただ、間違いなく。これだけは確実に言えることがある。
何処に居ようと、自分は自分の信じた道を往くのみ。
水月はひとり頷く。そうだ。それが己だ。
やがてみちるからの説明が終わり、二、三の質疑応答の後、今日は解散となった。ならば早速荷物の整理でもしようかと水月は遙を伴い部屋を出ようとした。
「――ああ、速瀬、涼宮……貴様達は残れ」
「え?」
呼び止められ、困惑する。だが、上官からの命令である。従いこそすれ、拒否権などない。遙と二人、みちるの正面に並ぶ。
屹立する水月らに、みちるはどこか躊躇う素振りを見せ……だが、それは見間違いなのではないかと思わせる強い眼差しで、静かに口を開いた。
「鳴海孝之を――――知っているな」
外は雨。窓を叩く雨音が、一層強くなったような気がした。
===
一日の訓練が終わり、夕食も終えた。いつもなら一度自室に戻り軽い休息を取るところだが、今日は違う。武はPXからそのまま水月の部屋へ向かうべく足を向けた。
「あれ? 白銀、何処行くの?」
武のすぐ後ろを歩いていた茜が当然の疑問を口にする。その彼女の声に先を歩いていた晴子や薫たちが振り返り、足を止める。
武は内心でしまったと呟きながらも、別に隠す必要もないと思い直し、正直に水月の部屋を訪ねようとしていたことを説明する。
「あの時は舞い上がっちまって言うの忘れてたからな。――だから、改めてちゃんとお礼を言いたいんだ」
少々照れくさそうに笑う武に、茜たちも同様に微笑んだ。なるほど、それならば止めはしない。
「頑張ってね、白銀君」
バシン、と晴子が武の肩を叩く。それに応と答えて、改めて水月の部屋の方へ。その武の背中に、薫の声が掛けられる。
「白銀ーっ! ちゃんとゴム用意したのか~っ」
「だからお前は下品なんだよっっ!?」
思考回路がまるで親父である。がっくりと肩を落としながら、思わず突っ込んでしまう自分が哀しい。
いくら夜に女性の部屋を訪ねるといっても、無論そんな気があるわけではない。武は心底に水月に礼を言いたいのだ。会えなくなる前に、だからこそ今、その気持ちを伝えたいのだ。……決して! やましい気があるわけでは断じてないッッ!!
「ああでも、もしシャワーを使い終えた直後とかだったらどうしよう……」
熱いシャワーを浴びて上気した肌、玉のような滴を身にまとい、その豊満で形のよい二つのたわわな実が……もふんげふん。明らかに薫の言葉に動揺している証拠だった。
「うわ、白銀サイテー」
「――ぇ?!」
何故か傍らに茜の姿。じっとりとした視線が実に痛い。どうやら皆と別れたそのときから既に一緒に歩いていたらしい。……全然気づかなかった。武は驚くと共に焦り混乱し弁明した。
「つ、つつつまりだな、これはアレだ。一種の暗示というか罠というか! そ、そう。立石があんなこと言わなければ想像すらしなかったというかだなっ?!」
「……っぷ! あっはははは。白銀ったら、なに本気で焦ってんのよ!」
顔を真っ赤にしてしどろもどろに身振り手振りを交えて如何に自分が無実で清廉潔白であるかを証明しようと四苦八苦する武に、茜は軽快に笑う。その彼女の様子からどうやらからかわれていただけだと知る。と同時に、一つ疑問が浮かんだ。
「…………なぁ、涼宮」
「ん? なに?」
「お前、なにしてんの??」
至極当然の問いである。ほかの連中は皆頑張っていって来いと応援してくれた。茜も確かに応援してくれた。にも関わらず、では何故茜はこうしてついてきているのか。
ひょっとすればついてきているというのは勘違いで、たまたま行く先が同じだけなのかもしれない。或いは茜自身も水月に、或いは遙に用があるか。――なるほど、それは十分に在り得る話だった。
「ん~~~、別に、なにってわけじゃないけど……」
「あん?」
「白銀がさ、速瀬さんを襲っちゃわないか見張ってようと思って」
えへへと笑う茜は、多分嘘をついたのだろう。しかし、武はそうかと頷くだけで言及はしない。……時々、ふとした瞬間に思い出すことがある。
いつか、この腕の中で泣いていた茜。
起こそうとしてくれた彼女。まるで幼馴染の少女のように。――胸が締め付けられるような、哀しい泣き顔。
武は未だ、あの時の茜の涙の理由を、意味を知らない。……けれど、それ以来武は茜が自身の思うままに振舞うのがいいと感じていた。泣きたいのならば泣けばいいし、笑いたいなら笑顔を見せてくれればいい。――こうして、意味もなく傍に居たいというのなら。
それもいいと。武は思う。
「そうかよ。信用ねぇなぁ、俺」
「だって白銀って速瀬さんと初めて逢ったとき自分から胸に顔を埋めたって言うし……」
「憶えてろよ柏木ぃいいいい!!」
からかい混じりの茜の言に、歪みきった情報源の根絶を誓う武だった。
などと莫迦をやりあっている間に水月の部屋の前に到着する。知らず、互いの顔を見合わせた武と茜だったが、武は意を決して部屋のドアをノックする。……だが、返事がない。おや、と思いもう一度ノック。だが結果は変わらず。
「…………いない、な」
「うん……いないみたい」
意気込んできたものの空振り。少し残念に思ったが、それも仕方ない。――面と向かって感謝の気持ちを伝えたかったが、いないのでは仕方がない。
「いいの? 白銀……」
「ま、いいもわるいもないってな」
肩を竦める武に、茜は残念そうな表情。お前がそんな風に落ち込んでどうすると、慰めようとする武だったが、茜の頭をぐりぐりと撫で回してやろうとしたそのとき、フラフラと夢遊病者のように彷徨う水月の姿を見つけた。
「……水月さん?」
「え?」
どうやら遙の部屋から出てきたらしい水月。どこか精彩に欠ける表情で、ふらふらと、ゆっくりと、武たちに気づかないままやってくる。
その様子にただならぬ気配を感じ取り、すぐさま武は水月へ駆け寄った。
「水月さん!」
「…………武……?」
正面に立った武に、ぼんやりとしたまま、呟くように。それは、武の知る水月ではなかった。
なにかがあったことは火を見るより明らかだった。――何の理由も無く、水月程の人物がこんなにも意気消沈し、覇気を無くすなどありえない。
そして茜は気づく。
果たしてそれは、かつての武と全く同じだと。
「速瀬さん……ぁの、なにか、あったんですか」
知らず、声が震えてしまう。それは、聞いてもいいことなのだろうか。いや、その問いかけ自体が更に心を抉るのではないか……。
「水月さん。……何があったのか、言いたくないなら言わなくていいですよ。……その、俺だって本当は知りたいけど、水月さんがそんな風に落ち込んで悲しんでる姿……初めてですから。……でも、だから、やっぱり理由は話してくれなくていいです」
拳を握り締めて、武は噛み締めるように言う。その武を、茜はじっと見詰めて、水月もまた、ぼんやりと……。
武は、振り絞るような笑顔を浮かべて、両手を広げて――、
「水月さん。俺は、俺は……貴女のおかげでここまでこれました。貴女の言葉で眼が醒めて、貴女に引っ張ってもらって、支えてもらって、そのおかげでこうやってまた、涼宮たちと笑い合える。――水月さん。俺は、水月さんに救われました」
力強く、打ちひしがれている水月の瞳を真っ向から覗き込んで。水月によって救われた自身を、何よりも水月に見てもらいたかった。
「だから、俺は大丈夫です。きっと、これから先も、何があっても……水月さんに教わったたくさんのこと、俺は独りじゃない、支えてくれる、手を差し伸べてくれる仲間がいること。そのことを忘れません。何があっても、どんなことが起きても、俺は大丈夫です。――だから、今度は、俺の番ですよね」
「たける……」
両手を広げたまま。真剣な表情で。しっかりとした口調で。
「水月さんは独りじゃないです。……遙さんだって、独りじゃない。けど、二人だけでもないんです……っ。俺がいます。俺達がいます。…………水月さんは、泣いていいですよ」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせているようでもあった。そして、かつて水月が武にしてくれたことでもあった。あの時水月は言ってくれたのだ。泣いていい、と。好きなだけ泣けばいいと。
哀しいなら、どうしようもなく哀しいなら泣けばいい。我慢する必要なんてない。独りで抱え込むことなんてない。支えてあげるから、思う存分泣けばいい。……そうやって、抱きしめてくれたのだ。
武にはどうして水月がこれほど傷つき憔悴しているのか、その理由はわからない。だが、それでもかつての自分に似た状況にあることは想像がついた。ならば、今の水月はまさに自分と同じ。その哀しみに翻弄され、独りで暴走した自分と同じだ。
武は水月に救われた。
だから今度は、自分が水月を救う番なのだ。――或いは、そのきっかけとなれればいい。支えになれればいい。そう、思う。
「……っ、ぁ、」
ぽろぽろと。水月の両方の瞳から涙が零れ落ちる。初めて見る涙だった。初めて見る泣き顔だった。――水月は、腕を広げる武の胸に顔を埋めていた。
「ぁあっ、あああっ、ぅぅううあああ……ッ」
「………………水月、さん」
縋りつくのではなく、ただ武の胸に顔を埋めて。武は震える水月の肩を抱いて、じっと、彼女の姿を見詰めていた。
果たして本当にこれで水月の力になれているのか。支えられているのか……。そんなことは、わからない。ひょっとすると、水月はこんなことをしなくとも立ち直って前へ進むことが出来るのかもしれない。
自分はいたずらに彼女の心の傷を広げているだけなのではないか。
泣き続ける水月を見ていると、色々な不安が込み上げてくる。――あの時、水月もそう思っていたのだろうか。
だとしたら、なんと強い精神力だろう。自分の言葉、自分の行為、それら全てがその人の心を左右する。
「白銀……」
不安を感じてしまう自身を情けなく思いながら、けれど、傍にいた茜が武と水月を抱くように両手で包んだ。
「白銀だって、独りじゃないんだよ。……自分でそう言ってたじゃない」
「あ、ああ。そうだな。俺達は独りじゃない」
「ぅっ、ぅぁ、たか……ゆき……孝之……ぁっぁあ」
搾り出すような嗚咽。掠れる声で呼んだその名。武と茜は、それで全てを知った。ああ――――そう、か。
そして、暫くの間泣きはらした水月が、はぁと深く息をついて武から離れる。真っ赤に腫れた目が痛々しい。けれど、その表情はどこか晴れ晴れとしていて。
「……はは、かっこ悪いとこ見せちゃったわね……。ん、でも、少し楽になったわ。ありがとう、武、茜」
それは、武たちのよく知る水月そのものだった。にこりと笑い、武を正面から見つめる。その柔らかな視線にドキリとしてしまう。水月は武の額に人差し指を当てて、
「…………背、伸びたわね、武。ふふ、まったく、さ」
こつん、と。当てられた人差し指が額を突く。思わず面食らってしまう武だったが、無邪気に笑う水月に……笑ってくれた彼女に、嬉しさが止まらなかった。
しっかりと歩き、自室へ戻る水月を見送って。武と茜は、自分達の心の中に、確かなものの存在を感じ取っていた。
それはきっと、生きていくために必要ななにか。仲間を、大切な人を想う、暖かななにか。
水月の身体を抱いていた時、笑顔を浮かべた彼女を見たとき。
胸の中にじん、と染み渡った感情。――ああ、この想いは……。
「よかったね。白銀」
「…………ああ、そうだな」
水月に与えられたたくさんのもの。そのほんの少しでも返すことが出来たのなら……。武はもう何も言うことはないと思った。そして、残りは自分が衛士となった後、再び巡り逢ったそのときに。
「……あたし、お姉ちゃんの様子見てくる。……きっと、独りで泣いてると思うから」
「ああ……そう、だな」
じゃあね、と。茜は笑顔のまま姉の部屋へと駆けて行く。その背中を見送りながら……先ほどの水月の姿を思い出しながら…………彼女を喪った自身を振り返りながら…………。
武は。
なんて哀しい戦争だろう。――護りたいものを護れないままに。護りたかったものを護れないままに――。
それは、なんて、哀しい。悲しい。かなしい……戦争。
こんな戦争が続いていいわけがない。
こんな戦争を引き起こすBETAがいていいわけがない。
自分から彼女を奪い、尊敬する水月たちから彼を奪い……世界中のあらゆる国で、場所で。誰かの大切で大事なものを奪い……。
赦せない。
赦すことなんてできない。
ああ……ならば、強くなろう。いつの日か、この手でその存在の一欠けらも残さず、潰してしまえるまで。
そして、白銀武は、