『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:四章-03」
国連太平洋第11方面軍横浜基地。
それは軍事基地として極東最大の規模を誇り、極東方面防衛の要となるべく建設・設立された。
一昨年のBETA日本襲撃を受け、日本がBETAに抜かれた場合に想定される極東方面の戦線への影響等を勘案した結果、その設立が決定された。
付け加えるならば、日本国内に在る佐渡島ハイヴ、そして朝鮮半島の光州ハイヴと、日本は各国と比較して、最大規模の脅威に晒されていると言っても過言ではない状況にある。ハイヴの存在そのものが脅威である現状、日本は自国の戦力だけで国民を護ることは叶わない。先の『明星作戦』以降、国連との協力体制を新たに築いた日本は国連からの国連軍基地設立を受諾。極東防衛の、そして位置的に帝都防衛の要といってもいい旧横浜にその建設は進められた。
『G弾』によって広大な廃墟と化したその場所に設立を決定した国連軍横浜基地。日本に対する配慮なのか、基地要員には日本人が多く見られ、中には帝国軍から出向してきた衛士もいるという。基地司令こそ外国籍の国連軍人であるが、構成要員の過半数を日本人が占めるという事実は日本国民にいい意味で刺激を与えた。
無論、自国の防衛のために国連が介入することを良しと感じない者も存在しただろう。だが、これは日本政府と国連が正式に取り交わした事項である。即ち政威大将軍が設立に同意したのであるから、そこに異議を唱える余地はない。
日本人が抱く国連についての印象は、即ち米国のそれである。だが、新設される基地の帝都防衛を兼ねる位置付け、そして構成員の過半数が日本人であるという事実……それらは共に、国連の日本に対する誠意の現れであり、日本という国の存続が如何に世界的に重視されているかを、日本国民自身に意識させる効果を持った。
つまり、結果的に国連軍横浜基地の設立に反対はなく――『明星作戦』より僅か四ヶ月目には基地各施設の建設が完了し、更に五ヶ月目には戦術機を始めとする各種兵器・弾薬等の運搬、滑走路敷設が完了。この時点で世界各地の国連軍基地より選出された日本人を代表とする衛士たちが正式に配属され、横浜基地は運用を開始した。
そして、更に二ヶ月が経ち……
===
2000年04月――
「信じられねぇ……」
「うん……」
広々とした講堂には総勢二十三名の訓練兵。元帝国軍札幌基地所属の訓練兵十八名と、国連軍横浜基地衛士訓練学校開設にあたり新たに軍属となった新任訓練兵五名。それらがずらりと並び、一堂に基地司令であるパウル・ラダビノッド准将の訓示を受けていた。
その中にあって、武たち元札幌基地……否、元帝国軍横浜基地第207訓練部隊の顔ぶれは、未だに自分たちの身に起こっていることを実感できないでいた。
札幌基地司令より直々に国連軍への転籍命令が伝達されたのが先月の中頃のこと。担当教導官であった熊谷でさえその詳細を知らされず、問答無用に等しい状態で新横浜基地への異動が決定された。札幌基地からの転籍……否、帝国軍からの転籍命令を受けた訓練兵は武たちを含む十八名。その全てが元帝国軍横浜基地衛士訓練校に属していた者であり、言い換えれば、今回の転籍は正に旧横浜基地所属の訓練兵にのみ命令されたのである。
帝国軍から国連軍への転籍……それが一体どれ程の異常事態であるかは、武や茜、軍属に身を置いてまだそう年月の経っていない彼らにもわかる。
ただし、前例から言えば帝国軍から国連軍への出向、或いは国連軍から帝国軍への出向、という形式での事例は存在するし、現にこの国連軍横浜基地にも帝国軍籍を持つ衛士は少なくない。
……だが、今回の件に関しては、各軍組織の相関関係において漠然とした知識しかなくとも、この転籍命令……ひょっとすると横浜基地設立さえ、国連と帝国の間で何らかの取引が行われた結果なのではないかと邪推できる。
無論、それが先のBETA日本襲撃に端を発した世界情勢における日本の重要度が跳ね上がった結果と言えないこともないだろう。事実、国連軍の正式発表や帝国軍広報部からの報道では極東防衛の要衝として謳われているのだから、表向き――否、現時点で既に国連軍籍となった武たちにとっては、それこそが唯一絶対の事由である。
如何にこの転籍に疑問を抱こうと、或いはあまりの途方も無さに実感が湧かず、信じることが出来ずとも。
軍人で在る以上、軍に身を置く以上、それはありのままに受け入れるほかないのだ。……そして、彼らは国連軍衛士として任官し、BETAを打倒し、世界を救う。その一点は何も変わらない。帝国軍人だろうが、国連軍人だろうが……そう、米国軍人だろうが。衛士はただ人類を救うために、護るためにBETAと戦う。
そこに諍いや軋轢が生じてしまう原因に所属する軍組織の違いがあり、国にとっての利益や考え方、積み重ねてきた歴史等があるが……今こうしてこの場に集う訓練兵たちにとって、それは関係のないことだ。
ラダビノッドの訓示が終わり、全員で入隊宣誓を唱和する。二十三名の一糸乱れぬ唱和はこだまとなって講堂に反響し、その一言一句に込められた彼らの熱い思いを象徴するように、盛大に響いた。
「――横浜基地一同、諸君らの入隊を歓迎するッ!」
声がまるで質量を持っているかのように。ラダビノッドの言葉は鋭く、強烈に講堂を貫いた。准将という高位階級を持ち、更に基地司令を務める彼の軍人は、正真正銘歴戦の烈士であり偉大なる先達に違いなかった。たった一言で訓練兵全員が呑まれ、びりびりと肌を通して精神を奮わせられたのだ。これが正規の軍人、そしてその更に上位に立つ者か。武は痺れるような鼓動に一筋の汗が零れるのを感じた。
こうして国連軍横浜基地衛士訓練学校は開かれ、武たちにとっての新たな生活の始まりとなった。
===
横浜に帰ってきたことに思うところはないと言えば嘘になる。
白銀武にとってこの場所は幼少の時を過ごした故郷であり、つい一年半ほど前まで住んでいた場所だ。――思い出は、多い。
高機動車の中から見た横浜は、お世辞にもここがかつての故郷だとは思えないほどに荒廃した廃墟だった。だが、僅かに形跡を残す建物の残骸や道路の跡、そこに人が居たのだと儚くも主張するそれらを見れば、否応なしに様々な記憶が思い出される。
――彼女との、想い出を。
幼い頃ともに走り回ったその道を、両親達に手を引かれて歩いた道を、遊びに行った公園、手を繋いだ場所、ふざけあい、笑いあったその時を。
忘れることなんてない。
忘れることなんて出来ない――。
それは、かつて精神的に困憊していた時期に、縋りつくように暗示をかけるように繰り返した言葉だ。
敬愛する水月や仲間達の支えによって乗り越えたと思っていたそれは、それでも矢張り、武という存在における全てだった。
景色を見れば思い出す。一歩を踏み出せば思い出す。例え廃墟と化そうとも、例えその景観を失おうとも……ここは、彼女と過ごした十五年にも満たないその時を、痛烈に、鮮烈に……思い描かせるのだ。
けれど、それを哀しいとは思わない。
色々と自分なりに振り切ってここまできた。この一年あまり、意識して彼女のことを思い出すことはなかった。なのに……ここにこうして立っているだけで、ただ、それだけで……何もかもが明瞭に思い浮かぶ。
それは、とても嬉しいと思えることだった。
ああ――これほどに、こんなにも、白銀武は鑑純夏を愛している。
その笑顔を思い出すことを辛いと感じた。
その声を思い出すことを哀しいと感じた。
その表情を思い出せなくなることを辛いと感じた。
その仕草を思い出せなくなることを哀しいと感じた。
彼女の温度を忘れてしまうのではないかと怖かった。
彼女の感触を忘れてしまうのではないかと怖かった。
彼女の存在が喪われてしまうのではないかと怖かった。――本当に。心の底から。
それでも、たくさんの人に支えられ、手を差し伸べられて……ようやく、前を向いて歩いていけるようになって。
少しずつ、ほんの少しずつ……薄れ、忘れ、喪われていくかのように。そんな風に錯覚して、それを辛いと、怖いと感じないようになって……。
それでも。
そう、それでも。残っていた。眠っていた。
だってこんなにも覚えている。だってこんなにも感じている。結局、武はなんにも変わっていなかった。
彼女を愛している。純夏を愛している。
けれど、それを哀しいとは思わない。
絶対に。
哀しいなんてことがあってたまるものか。
嬉しい。嬉しいんだ。
――だって、これほどに。涙が出るくらいに。
「純夏……俺、お前が好きだ……はは、情けねぇなぁ……っ」
こんなにも嬉しいことはないだろう。
彼女の死を乗り越えて尚、この想いは少しも薄れていない。今現在この時も、武は純夏を愛しているのだから。
ズボンの右ポケットに手を入れ、そこにある柔らかな感触を噛み締める。
形見となったそれを丁寧に取り出して、鮮やかな黄色を、滲んだ瞳で見詰める。
「っ、は、ぁ…………」
熱く息を吐いて。制服の袖で涙を拭う。国連軍の訓練兵用に支給された真っ白な制服に、じわりと涙の跡が染みる。それをほんの少しだけ苦笑しながら見下ろして、武は顔を上げた。
基地の裏手にある小高い丘の上。
そこから見下ろせる広大な廃墟をしっかりとその目に焼き付けて。
基地内に戻ると、丁度休憩時間の終わりだった。タイミングのいいことだと、武は自分達の訓練で使用する教室へ向かう。
国連軍横浜基地衛士訓練校に転籍になった際、武たち元207訓練部隊は全員が揃って異動したため、今後も同じ部隊の仲間としてこれからの二年を過ごすことになっている。が、今回は武たち以外にも五名、新任の訓練兵が入隊していた。
帝国軍は徴兵制を採っているが、基本的に志願制だ。世界中でBETAが猛威を振るい、既に六十パーセント以上の人類を亡くしている現状、徴兵制を導入していない国は某大国を除き殆どない。戦場では常に多くの衛士が死亡する。その損耗は激しく、年々減少している。そんな情勢だからこそ、帝国も徴兵制を導入し、政治家やあらゆる分野のエキスパートとなるべく大学に進学するもの以外を対象に、男女ともに十七歳から徴兵の義務が課せられる。
だが、徴兵年齢に達していなくとも、満十五歳以上であれば軍隊に志願することが出来た。武たち元207訓練部隊の面々や水月たちはその例だ。つまり、四年という訓練期間を経た後の任官では、同期の中でも最低で十八歳、最高で二十歳と年齢にバラつきがみられることもあるということだ。
もっとも、『明星作戦』以降、著しく損耗した帝国軍の再編を図るために、現在では徴兵年齢の引き下げが行われ、十五歳から兵役の対象となっているが……。
その点、国連軍は完全志願制であり、受け入れの対象となるのは満十七歳以上の男女とされる。そして、訓練期間は帝国軍の半分の二年間。これは、帝国軍と国連軍の衛士育成プログラムの差であり、帝国軍についていえば、日本という国の在り方……斯衛軍をはじめとする、義を知り礼を知り、精神肉体その全てを帝国に捧げるに相応しい、国と国民を護るに相応しい衛士として鍛え抜くために必要な期間として四年制が採用されているだけの違いでしかない。
故にその訓練内容に著しい差異はなく、訓練期間が短いからといって国連軍人の質が劣るというわけではない。無論、長期間訓練に費やす帝国軍のやり方が無駄であるというわけでもない。
それぞれが、それぞれの軍としての在り方の根底にある思想をもって、訓練期間が定められている、というだけの話なのだ。
だからこそ、今日初めて顔を合わせることとなった五人の同期生について、武たちは優越感を抱くことはないし、今までの二年間を無意味なこととも思わない。
「あっ、白銀おそ~いっ!」
教室に辿り着くと、丁度茜がスライド式のドアを開けて出てきた。新しい教導官がやってくる時間にはまだ若干の余裕があったのだが、流石に元分隊長。しっかりしている。
「おぉ、悪ぃ悪ぃ。そう怒鳴るな」
くしゃくしゃと茜の頭を撫でて、抗議の視線を避けるように室内へ。とっくの昔に見慣れた晴子、多恵、薫、亮子たちに、まだ名前も知らない五人の少女たち。それぞれの視線が武に集中し、なぜか頬を紅潮させる茜に集中した。
「あっはは。白銀君遅かったね。迷子になったんじゃないかって茜が心配してたよ」
「ちょ、ちょっ、晴子~っ」
椅子に座ったまま、いつもの調子で晴子が笑いながらに余計な一言を発する。慌ててその口を塞ごうと晴子に詰め寄る茜。その二人に混ざろうとこちらも要らぬ一言を発しながら近寄る多恵。それを愉快と微笑ましく眺めるのが薫と武であり、彼ら全員をにっこりと見守るのが亮子だった。
そう。変わらないいつもの六人の有り様。二年間を共に過ごし、競い合い、支え合い、一緒に歩んできた彼ら。
その彼らから取り残されたように五人の少女達は立ち竦んでいる。……どちらかと言えば突然始まった騒ぎに面食らって呆気にとられているというべきか。
「……っと、ああ、悪いな。俺達だけ騒いじまって」
その彼女達の様子に気づいた武が、声を掛ける。半ば呆然としてた彼女達はその言葉にハッとして、
「い、いえ……仲いいのね……」
眼鏡をかけたおさげ髪の少女がどこか困惑したように返事をする。初対面の相手を前に、緊張しているのだろうか。――或いは、疎外感を与えてしまったか。
武はぽりぽりと頬を掻きながら、騒いでいる晴子に視線を飛ばす。その意図を汲み取った晴子は茜をからかうのを一旦止め、椅子から立ち上がると先ほどの眼鏡の少女の前に立った。
「あはは、ごめんごめん。うるさかったよね? 茜ってば白銀君のことになるといっつもさぁ……」
「晴子ッッ!!」 「え? 俺?」
さらりと紡がれる言葉に茜は更に反応し、武は自分の名が出たことに驚く。というか、今の晴子の発言は武が求めていたようなものでは断じてないッ。
がっくりと肩を落とす武に薫がべしべしと背中を叩き、
「ばっか白銀~。晴子がお前の思い通りに動くわけないじゃん」
「そうだな。俺が莫迦だったな」
かつての自分達のように、晴子の持ち前の気安さで彼女達と打ち解けるきっかけを作ろうと考えていたのだが……愉快なことを求めて行動する彼女にそれを求めた時点で間違えていたのかもしれない。
やれやれと肩を竦める薫に若干恨めし気な視線を向けるものの、相変わらず呆然とするだけの彼女達がいい加減気になってしょうがない。ここは一つ自ら行動すべきかと気を取り直した武だが、その瞬間、ガラガラとドアが開かれる。
「――まったく、貴様達は。相変わらず騒がしいな」
「……ぇ?!」
現れたのは黒い国連軍の制服を着た女性。ウェーブの掛かった薄茶色の髪を腰元まで流し、不敵に唇の端を吊り上げて。聞き覚えのあるその声で――。
「じ、神宮司教官ッッ!?」
叫んだのは武。だが、武以外の元207部隊の彼女達も一様に驚いた表情をして――瞬間、彼らは姿勢を正し、敬礼する。
「ん……ふふ、久しぶりだな? なかなかいい顔をするようになったじゃないか」
身に纏う制服こそ国連のそれだが、教壇に立つ彼女は紛れもなく神宮司まりもその人だった。かつての帝国軍横浜基地で武たちの教官を務め、BETA侵攻によって教官から衛士として前線に復帰したまりもが、今度は国連軍に所属し、こうしてまた武たちの教官を担当するという。
まるで、彼らの教官はまりも以外にありえないという誰彼かの思惑が働いているとしか思えない人事だった。
まりもは一堂に会する元教え子と、新たな教え子たちの顔を一通り見渡す。特に、あんな形で教官の任を離れることとなった武たちに対しては人並みならぬ感情がじわりと込み上げてきたが、それを微塵にも出さず、不敵な表情のままで。
「私は国連軍衛士訓練学校の教導官を務めている神宮司まりも軍曹だ。これからの二年間、貴様達訓練兵が一人前の衛士となるために必要な知識・技能・訓練を教導する。――最初に断っておくが、これからの日々は今までの生活と全く異なるものとなる。一般人でしかなかった貴様達が戦場に出てBETAと戦う衛士となるためには、生半可な覚悟では達成できないだろう。当国連太平洋第11方面軍横浜基地が極東方面防衛の要であることは既に知っているだろうが、ここは世界情勢から見て最も重要な拠点のひとつだ。貴様達はその栄誉ある横浜基地の最初の訓練兵だ。そこに求められるものをよく考え、理解し、これからの訓練に臨め、いいな!」
「「はいっ!!」」
まりもの言葉に寸分の遅れもなく返事をする武たちにコンマ遅れて、新任訓練兵の少女達が続く。まりもは一つ頷いて、いつかのように基地内部の案内を提示した。自分たちがどんな場所にいるのかを知ることも衛士にとって重要な務めである。そんな言葉を思い出して、武たちはほんの少しだけ微笑んだ。
巧く言葉に出来ない感情が僅かに胸中に波を起こす。それはとても心地よい柔らかな波で……再び彼女の下で訓練できる嬉しさに、知らず、頬が緩むのだった。
そして足早に基地内を巡ったにも関わらず午後の訓練時間は既に終了。実に五時間近くかけ、それでもまだ訓練兵が立ち入り出来ない施設も在るというのだから、その規模の大きさは半端なものではない。また、この横浜基地はどの施設も総じて地下に主要な設備を持ち、地表に出されているものなど飾りだといわんばかりである。。
そんな大規模な基地に似合いな、これまた広々としたPXにて、武たち総勢十一人の訓練兵は夕食を採りながら互いに自己紹介を始めていた。
「……で、俺が白銀武。まぁ、何となくわかってるんじゃないかと思うんだが、俺達六人は元々帝国軍の訓練校にいてな、同期なんだ」
「成程……そなたたちの仲のよさはそういう理由からか」
「そうね。二年も前から一緒に過ごしてたんだもの……私たちが入り込めないのも無理ないわ」
武の簡単な説明に頷いたのは紫紺の髪を後頭部で縛り、ポニーテールのように流した少女と、眼鏡をかけた三つ編みお下げの少女。
「じゃあ、今度はこちらの番ね。……私は榊千鶴。私は衛士となるために国連軍へ志願したわ。……あなたたちと同じかしら。これから二年間よろしくお願いね」
眼鏡をかけた少女が正面に座る武に、そしてその横に並ぶ茜たちに微笑みかける。若干の硬さを感じたが、それも慣れれば気にならなくなるだろう。続いて、千鶴の左隣の紫紺の髪を持つ少女が口を開く。
「冥夜だ。御剣冥夜。苗字でも名でも、好きなほうで呼ぶがよい。――私も、衛士となるためにここに志願した口だ。そなたたち志を同じくするものと共にこれからの時を過ごせることを、嬉しく思う」
ゆったりと腕を組み、少々硬い言い回しでの挨拶。だが、聞く者を不思議と惹きつける声音はとても凛々しく、そして似合っていて……彼女が只者でないことを示していた。
「珠瀬壬姫ですっ。えっと、が、頑張りますので、よろしくおねがいしま~すっ!」
打って変わってこちらは大層幼く見える少女。亮子よりも背の低い壬姫は、とても特徴的な髪型をしている。まるで猫かそれに類する動物の耳にしか見えない形をしたくせっ毛がよく似合っていた。
「……彩峰慧……よろしく」
ぼそりと呟くように。そんな口調に合わせるかのように、掲げられた右腕が若干脱力している。“よろしく”の言葉と共に上げられたことから、どうやら彼女なりの挨拶なのだろう。
「美琴です。鎧衣美琴! よろしくね、みんなっっ」
こちらは元気よくハッキリと。ややボーイッシュに見えるショートヘアの彼女はニコニコと上機嫌だ。
そして、これで一通り名前が判明した。ならばこれからはお互いのことを少しずつ知っていくときだ。新たに出逢った少女達は思い思いに話題を挙げては談笑し、少しずつ柔らかな雰囲気を作っていった。無論武とてその中に入っているが、彼にしてみればいきなり同期の女子が倍に増えたのである。ただでさえ癖のある少女達に振り回されてきた身としては、今後の自分の立ち位置というものをよく考えなければなるまいと密かに誓う。
そんな風に賑やかに食事を終えて……親睦を深めるためにそのままPXで少し遊ぶことになった。
おはじきにけん玉、将棋、お手玉と、思い思いに、むしろ手当たり次第に遊具を運び、遊びに興じる。コミュニケーションは大事だと言ったのは誰だったか。
その中でも特に茜と千鶴は互いになにか通じるものがあったのか、いつの間にか意気投合し、共にお手玉で遊んでいる。晴子と多恵は慧、壬姫とともにおはじきで対戦中。薫に亮子、そして美琴は、美琴の手持ちのあやとりで様々な形を創作中。そして、武は冥夜が差し出した将棋盤とにらめっこしている。
そんな折、ふと、武は冥夜の顔をじっと見詰めた。凝視する、というほどのものではない。……何となく気になって、否、そうではなく。「どこかで見たことのあるような」気がしたのだ。
「ん? ……なんだどうした。私の顔に何かついているか?」
「ぅえ?! い、いや……そういうわけじゃ……」
盤上ではなく対戦相手の顔を凝視していたのだ。気づかないわけがないし気にならないはずもない。問われた武は一体どうしてそんな風に感じてしまったのか、内心で首を傾げる。
日本人形のように整った顔、きりりと吊り上がった瞳は凛々しく、そこに秘められた意志を感じさせる。形のよい唇は薄っすらと桃色に色づいていてなんとも艶やかだ。
――ハッキリ言って、美人である。
無論、今まで武と共に過ごしてきた茜たちも相当に器量良しであるが、それ以上に、冥夜という少女には品がある。……まるで怜悧な刃のよう。
「す、すまん。なんか、どっかで見たような顔だと思って……でも、勘違いみたいだな。どう考えても俺とお前は初対面だ」
誤魔化すように頭を掻いて、苦笑する。だが、その武の言葉に少しだけ表情を曇らせたのを、彼は見逃さなかった。
「悪い……なんか、気を悪くさせちまったな……」
「い、いや! そなたが気にすることではない……。私の未熟さが悪いのだ」
神妙に謝罪する武に、冥夜はかぶりを振る。最後の一言はまるで噛み締めるようで……武は興味本位で彼女の領域に踏み込んでしまったことを恥じる。
「さてっ! ここらで一丁本気を出すとするか!? さっきの負けは手加減してやったんだということを教えてやるぜっ!」
「……ほぅ……そなた、先の勝負は手を抜いたと申すのか? ふふ、ならばよい。それほど言うなら本気とやらを見せてもらおうか」
無理矢理に話題を変えた武に、戸惑うことなく追随する冥夜。触れて欲しくない話題という武の読みは当たりらしい。――だが、この時点で武は御剣冥夜という少女のことを読み違えていた。
否、知り合ってまだ一日と経っていないのに、それを理解しろという方が困難なのかもしれない。
だが、武は話題を変えるためとはいえ、見事に地雷を踏んだ。
落ち着いて冷静に彼女の表情を窺っていれば気づけたかもしれない。しかし、武は先ほどの失敗を拭うのに必死で……それに気づけなかった。――そう、その強い意志を感じさせる瞳が「ギラリ」と獰猛に輝き、艶のある唇が「ニヤリ」と不敵に吊り上がったのを。
「――王手!」
「ぎゃああああああああっっ」
「――王手、飛車とりっ!」
「ノォォォォオオオオオ!!」
「――これで王手だっ!!」
「ひぃいぃいいいっっ?!!」
そう。彼女は手加減されることが一番嫌いだったのだ。
「酷いわね……」
「燃え尽きてる」
「真っ白だね~」
「ですね~~~」
真っ白に燃え尽きて灰になった武が、惨憺たる有り様の将棋盤を前に鎮座している。
小一時間にも及ぶ連戦。実に十六戦にも及ぶ勝負の全てを完敗。文句のつけようなど一切ない、手加減容赦全く無しの超一方的な戦局は、ほかの皆が注目し息を呑み開いた口が塞がらないくらい酷いものだった。
風が吹けばどこかに飛ばされていきそうな武に、千鶴、慧、美琴、壬姫らが唖然とした表情で呟く。そんな彼女達の隣りで同じように言葉もないのは茜と亮子だ。二人とも、同情と哀れみの視線を武に向けている。
「あっははははははは! いや~、すごいすごい。見事な負けっぷりだね~白銀君!」
「流石にこれはないよなぁ。いやいや、どうやればこんなことになるんだかっ! 玉の周りに飛車・角・金・銀・桂馬に歩!!」
しかも最終戦は開始からキッカリ五分で終了している。
茜は最早、冥夜の圧倒的強さを恐れればいいのか武のあまりにも無策な勝負に呆れればいいのかわからない。――いや、まぁ。敗北に次ぐ敗北で、完全に冷静さを失っていた武を哀れと思えばいいのだろうか。
「御剣さんも容赦ないね~っ! こう、見てて気持ちいいくらいスッパリやっちゃってさっ」
「ぅ、そ、そのようなことはない。……こ、これはその、真剣勝負なのだっ。…………多少その、やり過ぎたやも知れぬが……」
目尻に涙を浮かべながらに爆笑する晴子に、冥夜は若干焦ったように弁明する。
その反応にそそるものがあったのだろう。晴子は新しい玩具を手に入れた子供のようにちくちくと冥夜を弄りはじめる。哀れ、彼女は新たな標的となってしまった。
そんな晴子の暴走を止めるでもなく、茜と薫が武の肩を揺する。魂が抜けかけていたように見えたのは激しく気のせいだと自身に言い聞かせ、お~いと呼びかける。
「白銀~、生きてる~?」
「死んでるなら返事しろ~っ」
「いや、死んでたら返事できないわよ。第一、死んでるわけないでしょう?」
「……すごいね。死んで返事できるんだ」
「えっ? タケルってそうなの!? すごいねぇ~」
「え、えっと……にゃはは、それはさすがにないよ~」
「ははぁ、白銀くんはすごいんだねぇ」
冗談交じりに笑う薫に千鶴が呆れたように溜息をつき、敢えてその言葉を無視して呟く慧に、どこまで本気なのかわからない美琴が感嘆し、それでもまともな思考を持ち合わせているらしい壬姫がフォローしたにも関わらずスルーするのが多恵だった。
そのやり取りを見て、茜は頬を引き攣らせるほかない。
ただでさえ個性派が揃っていた自分達だったが、この五人……特に慧と美琴の二人は、とてつもなく……そう、それこそ晴子の悪い癖が数倍もマシに思えるほどに、曲者のようだ。
それも個性と言ってもいいものか。否、そんな簡単な物じゃない。
どうやら慧は率先して常識から外れることを好み、……美琴は、あれはもう天然なのではないだろうか。
無論、多恵も負けてはいないことを付け加えておく。
「だ、だからっ! 私はっっ!!」
「あははは、いいっていいって。御剣さんのこと、よぉ~っくわかったから」
「か、柏木ぃ~っ」
そして未だにじゃれあう二人。茜はハ、と少し疲れたような溜息をついて。意識がどこかにとんだままの武の肩に手を置く。
「白銀~、起きてってば~っ。も~、こんな状況、あたし一人でどうしろっていうのよ~~っ」
ゆすゆすゆさゆさ。何度揺すっても武の魂は戻らない。
そして、既に混沌としたものになりつつあった彼女達の懇親企画は、消灯時間まで延々続いたという。
そしてようやく自室のベッドに横になったとき。
美琴が何気に武のことを下の名で呼び捨てにしていたことに気づく茜だった。