『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「序章-02」
1998年4月――
「体には気をつけてね。ちゃんと好き嫌いなく食べるのよ? それから、汗をかいたらちゃんと着替えて……」
「ちょ、ちょっと、お母さんっ。私いくつよ? そんな子供じゃないってば~っ」
柊駅前の広場。私はぶんぶんと両手を振る。見送りはいいというのに、結局お母さんはここまでついて来た。まぁ、大事な娘が軍人になろうというのだからそれは心配になるのだろう。
その気持ちはわかる。恥ずかしいけど、少し嬉しい。……う、私今すごく赤くなってるかも……。
でも、お母さんは少し心配性だと思う。だって、これで二回目なんだよ? 三年前から全然変わんないなぁ。
苦笑しながら、少しだけ照れながら、私はもう一度お母さんを見つめる。とてもとても心配そうな表情。ほんの少しだけ目立ってきた口元の皺。長く、手入れの行き届いた大好きな髪。
「お母さん、大丈夫だよっ! 私、頑張るから。それに、基地にはお姉ちゃんだっているんだし。だいじょーぶっ!」
大げさなくらいが丁度いい。私は満面の笑みを浮かべてみせる。三年前、ここでお姉ちゃんを見送ったあの日から決めていたこと。
お母さんを独りにさせてしまうけど、それでも、やっぱり私は衛士になる。お姉ちゃんと一緒に。…………あ、あのひとと一緒に。えへへ……。
――はっ、いけないけないっ。今はお母さんを安心させないとっ。
こほん。んんっ。
「涼宮茜、見事衛士になってBETAを倒して、そしてお姉ちゃんと一緒にお母さんを護ります!! ね、だから安心して、お母さんっ」
「茜……」
言葉の終わりと同時に抱きしめられた。お父さんが死んでしまってから、随分と細くなった腕。ずっと一人で私とお姉ちゃんを育ててくれたお母さん。一生懸命育ててくれたお母さん……。
――大好きだよ、お母さん。
心の中で、囁く。えへへ……ちょっと恥ずかしいけど、言えてスッキリしたかな。
顔を上げると、お母さんは泣いていた。ああ、ほんと。変わんないなぁ……。
三年前を思い出して、少し懐かしくなった。あの時は私も泣いちゃって、お姉ちゃん困らせたんだっけ……。
でも、うん……すごく、愛されてるんだって、わかるよ。お母さん、ありがとう。こんなに愛してくれて、今まで護ってくれて。
ほんとに、ありがとうっ!
「お母さん、私、いくね」
「……茜、気をつけて。頑張りなさい」
「――ッ、はい!!」
つぅっ、と。頬を一筋流れ落ちる。ちぇ、泣いちゃった。お姉ちゃんは泣かなかったのになぁ。
足元の荷物を取り、お母さんに背を向ける。
これから四年間、私は帝国軍横浜基地訓練校に通い、衛士になるための訓練を受ける。
訓練兵とはいえ、軍属になるんだ。お母さんとはこれでお別れ。家族の絆も想いもなくならないけど、私はここから一人の兵士となる。
さぁ、行こう茜っ。大好きなお母さんとこの街を、この国を護るために。そこにはお姉ちゃんだっているんだから。
生来のプラス思考で一歩を踏み出す。手を振るお母さんの気配を感じながら、私は横浜基地へと続く道を歩き始めた。
そこに到る道筋は長い一本の上り坂。その坂道の両脇に植えられた桜はそれはもう見事な七分咲き。少しの涼やかさを含んだ風に気の早い花びらがちらほらと散って、淡い絨毯を織り上げている。
素直に、綺麗だと思った。
「うわ、すごっ」
思わず本音。こういうときにもっと風情のある台詞はでないんだろうか。
益体もなく考えながら、半ば呆けたように桜の続く坂を見上げる。随分と高い丘の上に、少しだけ見える建物がおそらく基地なのだろう。桜並木が折り重なって、その全貌は窺えない。
大分余裕を持って出たから、入校の手続きまでまだ時間がある……。うん、ちょっとだけならいいかなっ。
そうと決めたら早速堪能。道の左脇に植えられた桜の根元に近づいて、もっとよく見ようとしたそのとき、私はそれに気づいた。
男の子と女の子。
桜の木の下で、しっかりと見詰め合っている。
男の子の足元には大きめのバッグ。対して、女の子には荷物がない……。考えるまでもなく、その光景が意味するところは一つしかなかった。
(あー……邪魔しちゃうところだったわね)
気づけてよかった。うんうんと頷いて、つい先ほどまで自分も同じようにお母さんと向き合っていたことを思い出して、少し赤面。う、私も他人にはあんな風に見えてたのかしら?
だってしょうがない。こればかりはしょうがない。愛するひととの別れは辛いのだから。だからきっと、あの二人もそうなんだろう。
女の子がなにか喋っている。一生懸命笑って、男の子が困らないように、微笑みで送ろうとしている。男の子は少し苦笑気味。なんだか、女の子の気持ち全部わかってるって感じかな……う、ちょっと羨ましいかも……。
いいなー、私もあんな風に……って、違うでしょ茜。私は衛士になるんだから、まだその一歩も始まっていない内から何考えてるのよ、もー。
頭を振って邪念を払う。あ、いい加減観察しててもしょうがないし、これ以上は流石にお邪魔虫よね。
そう思って踵を返そうとした時、またも私の足は止まり、今度は目が釘付けになった。
女の子が、少し背伸びして、胸の前で手を組んで……そして、そして、
恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めて、眼を……閉じて、――ごくっ、――薄桃色の、唇を…………
――っっっって! ここ往来だってばっ! ほら、ほらほらっ、今日は訓練校の入校の日で、私以外にもたくさんここを通るわけでっ! ていうかっ! キャーッ!
なにこれなにこれなにこれっ??! き、きききき、きすっ?! なの!!? これっ!
うわー、うわー、うわーっ。大胆~っ! 信じらんないけど、恋は盲目ってほんとなんだ……。うん、憶えておこう。
男の子がもんのすごく真っ赤になってる。女の子が何を求めてるのかわかってるんだ。瞬きを何度か繰り返して、あ、しっかりと目を開いた。両手で女の子の肩を抱いて……――ゴクリ。
だめ、駄目よ茜! ここから先は見ちゃ駄目!! ああでも、最後までみたいかも~っ。はぁはぁ、ちょっと、なんで私が興奮してるのよっ?!
ああああ、そう言ってる間に男の子がぐっと、ぐぐっと顔を近づけて――――ッッ、キャアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
いま、今いまいまっっ!? ちょん、って。ちゅ、って???! したの? キスしたの??! こんな往来で? 私以外にもすごい注目されてるのに……?!
「ッ??!」
あ、いま、男の子と眼が合った……。うわ、しかもキョロキョロして慌てて女の子から離れて、さっき以上に真っ赤になってる……。
もしかして、観られてることに気づいてなかったとか……? あ~……なんか、そうみたい。あははすごい慌ててる。変なヤツ。
あ、女の子も気づいたみたい。真っ赤になって俯いて……うわぁ、こっちも相当ね。あーぁ、春っていいなぁ。ゴチソウサマデシタ。
「じ、じゃあっ、俺行くからっ! 純夏ッ! 元気でなっっ」
男の子が早口に、瞬時に荷物を持って走って行こうとする。凄い大きな声だった。多分、気が動転して混乱してるんだろう。顔、真っ赤なままだし。
「――あっ、待って! タケルちゃん! 待って!!」
こちらも大きな声。でも、男の子と違って、とても必死な……でも、どこか哀しくて暖かな声。
女の子が自分の髪を結っていたリボンをほどいている。鮮やかな黄色をしたそれを、数歩先に居る男の子に駆け寄って手渡した。
ああ、そっか。――お守りだ。
女の子が、とびっきりの笑顔で、大事そうにリボンを受け取った男の子を見つめている。
男の子が、とびっきりの笑顔で、大事そうにリボンを受け取って女の子を見つめている。
そして、お別れ。最後に小さく抱擁を交わして。
男の子は坂の上へ。女の子はその背中をじっと見送って。
ふわりと、緩やかな風が吹いた。路上に散った桜の花びらが女の子を包むように舞い上がって……。
そして私は、女の子の横を通り過ぎ、ちょっとだけ羨ましいと思った彼女のために、その男の子の力になってあげようと、そんなことを考えていた。
まぁ、その後入隊式を終え訓練部隊に割り振られたとき、まさか同じ隊になるなんて思わなかったのだけど。
偶然って、怖いなぁ。
――それが、私こと涼宮茜と、白銀武の出逢いだった。