『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:五章-04」
眼が醒めると自室のベッドだった。――あれ?
急激に覚醒する意識。武は跳ねるように上体を起こし――――全身に走る激痛に悶絶する。
「ぅっっ……ぁ、がぁ、ぁ、ぁああああっっ!!??」
筋肉という筋肉の全てが絶叫する。噴き出す脂汗を拭うことさえできず、武はベッドを転がり落ち、尚悲鳴を上げる肉体を抱くようにしながら、ごろごろと部屋の中を転がった。
「いっっっっっって、ぇ」
絞り出すような声。それが精一杯だった。床に大の字になって転がったまま、昨夜のことを思い出す。
美しい月の夜。
出逢った彼女のことを…………。
螺旋の軌道を描きながら、二つの人影は踊るようにステップを刻む。硬質で透き通った音色の剣戟を舞曲に、月光に碧を浮かばせる真紅の衣服を着た女性と、闇に似た黒髪をした同色のアンダーシャツを着込んだ少年が舞う。
手にするは銀色の刃。模擬刀を振るう少年に、真剣で相手する女性。
「踏み込みの思い切りの良さはなかなかいい! 真剣に臆することなく立ち向かってくる度胸は褒めてやろう!」
「くっ……! ぅぉおおおお!!」
口端を吊り上げた真那の握る刀は刃を返していない。毎日手入れを欠かさない、研ぎ澄まされた銀色の刃は隙あらば武の肉を切り裂き、その血を啜るだろう。
その真那に真っ直ぐに向かう武を、彼女は「その意気やよし」と頷くのだが、当の武にしてみれば怯んだが最後、それで一巻の終わりだと本能が叫んでいるための突撃だった。
武は休むことなく斬撃を繰り返す。毎日繰り返してきた己の剣。この剣に静止という間はない。踏み込み、切り抜き、次の一撃を、次の一撃を、次の、次の次の次の次の、その次の一撃を。絶え間ない攻撃を繰り返すための螺旋の軌道、螺子の挙動、まるで台風を想像させる剣の嵐。
既にこの身に馴染んで久しい剣閃を、武は忠実に、そして時に自身が身に付けた独創性を交えながら、必死の思いで振りぬいた。
「ふっ、矢張り、相当な腕前のようだな。……だが、まだまだ甘いッッ!!」
「!?」
なのに、一撃も当たらない。振るう剣閃はその度にかわされ、受けられ、いなされて。まるで自分の動きを完全に見切っているような、そんな真那の動きに翻弄される。
真那はただ避けているだけだ。逃げる彼女を武は追い、追随しながらに繰り出す攻撃は悉く防がれる。――なぜ!?
そして、そんな武の困惑をよそに、遂に真那が攻勢に出た。心臓が跳ね上がる。血液が逆流する。
つい先ほどまでとは逆の構図。真那の剣閃をかわすのに必死で、武は次第に後退し始める。絶え間ない彼女の剣閃。踏み込み。描く螺旋機動。その一挙一足。何もかもが。まるで悪夢のように迫り来るッ!
全く同じ。自分と全く同じ剣術。――なのに、それは全然自分のそれとは異なっていて。
一撃一撃が、重い。
一歩一歩の踏み込みが、速い、深い!
旋回の速度が、振りぬく速度が、先を読む速度が、それを成す身体の反応が――須らく、
「うっっ、げぇえっ、ぇあっ!!??」
胴を真っ二つにされたような衝撃。身体を「く」の字にしながら数メートルほど吹っ飛ばされ、転がる。込み上げてきたものを制する間もなく、武は文字通り血反吐を吐いた。
「っ、ご、ぉ、ごほっ、ごほっ……!」
「ふん。防御が全然なっていないな。……まぁ、ずっと独りで続けていたというなら、それも仕方あるまい」
言いながら、面白い物を見るような表情で真那がやってくる。握る刀に血がついていないことと、自身の胴が繋がったままであることから――ああ、峰打ちか――武はゆるゆると身を起こす。
「ぅおっ……?!」
立ち上がり様、腹部に走った激痛によろめく。何とか踏みとどまり倒れることは避けたが、それを見た真那に可笑しそうに笑われてしまった。
「ぅ、そんな笑わないでくださいよ」
「ふふ…いい面だ白銀。その程度ではまだ満足していないようだな」
その程度、と言われて武は改めて自身の現状を見る。シャツを着ているため見えないが、多分喰らった腹は内出血くらい起こしているだろう。内臓を伝わった衝撃で血を吐いたのがいい証拠だ。……どこかの臓器が破裂してるんじゃないだろうか。思った瞬間、武は狼狽する。……が、こうして無事立っていることからそれほど気にすることはないだろうと頷く。
足元には吐き出したばかりの鮮血が跡を残していたが――こんなもの、彼女に剣を教わると決めた瞬間に覚悟していた。
「はい。お願いします」
「よし。ならば来い」
真剣な表情で剣を構える武に、矢張り不敵な表情のまま、真那も自身の刀を構える。
そうして再び剣舞が始まった。
武はこれまでの自身を、全身全霊で真那にぶつけた。同じ剣術を使う彼女。その彼女の父が編み出した名も無き剣術。幼少のころにそれを教わり今日まで続けてきた自分。
――その全てを、だからこそ彼女にぶつける。
強くなるために。強さを得るために。先ほどの結果を見れば明らかだ。真那は、強い。果てしなく強い。とてつもなく強い!
そんな彼女のように、武も強くなると決めた。――真那はそのように導いてくれると言った。武の強さを引き上げてやると言った! ならば、そのために自分の全てを曝け出そう。今の自分を全部ぶつけて、彼女に自分を知ってもらおう。
それが多分、強くなるために最も必要なことだと思うから。
そして、武は再び宙を舞った。強かに右腕を撃ちつけられ、取り落とした模擬刀に気をとられた一瞬に、真那の蹴りが炸裂したのだった。
「――ぉ、ぐ。……ぐへっ、ぇあっ……!!」
「莫迦者。剣だけに気を取られすぎだ」
ご尤も。ズキズキと鈍痛を訴える腹を撫でながら、武は立ち上がる。どうでもいいが、真那の履いている軍靴は踵が一段と分厚くなっている。コンクリートのブロックを叩きつけられたような衝撃だったが、原因はそれか。武は口に残った反吐を吐き捨てて、今一度剣を構える。
だが、真那は不敵な笑みを浮かべたまま……構えようとしない。疑問に思った武が声を掛けようと思ったそのとき、真那がニコリと微笑んだ。
「ふふっ。まったく……意地っ張りなヤツだ。……少し休憩しよう」
言うが早いか、つかつかと武の目の前にやってきて、びし、と武の腹部に手刀を入れる。
「ぎゃあああああああっっっ!!???」
「やせ我慢もほどほどにしろ。まぁ、その心意気は買うがな」
ごろごろと地を転がる武を呆れたように見下ろしながら、真那は含み笑う。涙を浮かべながら腹を押さえて転がる武の横に腰掛け、真那は尚も転がり続ける彼の額に拳を喰らわせる。
「やかましいっ! 男がそのくらいの傷で情けない声を出すなっっ!」
「ちゅ、ちゅうい……さっきと言ってることが、ちが……」
拳がめり込んだままの武に、ふ、と真那は嘆息する。色々な意味で沈黙した武から目を離し、彼女は月の灯る夜空を見上げた。
「白銀…………貴様はこの剣を、極めたいと思うか?」
「ぇ……?」
飛びそうな意識に、どこか儚げな真那の声が届く。彼女が何を言っているのか一瞬わからなかったが、しかし、
「はい。俺が強くなるためには、この剣が必要です」
躊躇なく、ハッキリと。自身も夜空を見上げたまま、武はそう口にした。
真那は何も言わない。武からは月を見上げる真那のうなじしか見えなかったが……彼女は微笑んでいるのだろうと思った。
「そうか。そう言ってもらえて、父も本望だろう」
「中尉?」
その響きにどこか寂しさを感じ取り、武は上体を起こす。真那と同じように地面に座り、見上げたままの真那の横顔を見る。
「白銀……この剣術は、私の父が現役の衛士だった頃に実戦の中で編み出した……BETAと戦うための剣だ。戦場では常に多くのBETAを相手にする。無尽に湧き、殺到するBETAを如何に効率よく、そして確実に斃しきるか……それを念頭において研鑽された末に生まれた」
「……!」
「武士の家系というものには、須らくその家に伝わる剣術……流派といってもいいのかもしれんな。……そういうものが存在する。無論、我が家にもそれが在った。在ったのだが……父は、代々受け継がれてきたその剣を捨て、自らが編み出した実戦に活かせる剣に没頭したのだ。そして、数々の戦果を挙げ、己の剣の有効さを知らしめた」
「月詠中尉……」
武は、真那が一体何を話そうとしているのかわからなかった。けれど、淡々と話す真那の邪魔をする気にもなれず、静かに黙って耳を傾ける。
「父は強かった。そしてその剣は、なによりも苛烈で壮烈で、美しかった。戦場から帰った父は、一族の者にそれを披露し、伝授しようと躍起になった。先祖より代々受け継がれてきた剣よりも、己の生み出した剣術を遺すべく。――だが、その剣はあまりに特異で独特で……皆の理解を得るには到らなかった」
「え……?」
「親族の中には伝統ある月詠の剣を辱める行為だとして、父を糾弾する声もあった。父の剣の真髄は、そこに込められた意志は、届かなかった。BETAと戦うための剣。今こうして、現実にBETAという脅威が存在するにも関わらず、それに対抗する有効な手段よりも……一族の皆は、伝統を、仕来りを、過去より積み重ねられてきた歴史を優先した。…………父の想いなど、誰も気にかけなかった」
言葉も、ない。
まるで吐き出すように。真那は月を見上げたまま語る。一体どんな想いで、その言葉を口にするのか。
どくり、と。武は鼓動が大きく鳴るのを感じた。目元に強い意志を秘めた真那の横顔。月明かりに照らされたその美しい相貌に――
「失意のままに、父は戦場を離れた。……十年前だ。そして、全国を行脚しようと旅に出て最期に立ち寄ったその町で…………貴様に出逢った」
「!!」
真っ直ぐに、真那は武を見た。彼女を見つめていた武の瞳を、柔らかで、それでいて凛とした双眸が見つめる。
武は呼吸を忘れた。ただ、心臓だけが狂ったように暴れている。
「今際の際に、父は言っていた。……あの少年ならば必ず自身の剣を受け継いでくれる、と。そして私に、いつか少年と出逢う日が来たならば、その者を教え、導いて欲しい……と」
「っ、つくよみ、ちゅう、い」
「白銀。父は、貴様に最後まで剣を教えてやれなかったことを悔いていたよ。……父は身体を壊していたんだ。文字通り、ぼろぼろに、な。戦場を去り、一族中から蔑まれて、酒に溺れるようになって……自業自得だ。自棄になるくらいならいっそ…………。いや。なんでもない。…………白銀、貴様に出逢えたことで、父は救われた。最後の最期に、貴様という希望を得て、父は幸せだったのだ。――礼を言う」
ありがとう
真那は深く頭を垂れた。武は、そんな真那に……彼女の話に、何も言うことができない。言葉に出来ない感情が込み上げて、胸が詰まる。
最早顔さえ思い出せない剣の師匠。何処から持ち出したのか、突然木刀を投げて寄越して、ろくな説明もないまま剣を教えてくれた、変なおっさん。
いつも笑っていた。快活に、豪快に、そして……暖かく、優しげに。
こっちがやる気になってわくわくしながらいつもの場所に向かった時、突然姿を消した……たった数日間だけの、日々。
「ああ…………ぁ、ぁあ、」
「白銀……、」
「ぅぁあっ、あっ、ぁああ……っ」
なんでだろう。どうしてだろう。――涙が、止まらない。
ぼろぼろと零れてくる。情けないくらい、熱い涙が……溢れて溢れて、とまらない。
「白銀……いいんだ。貴様は、こうして今まで……父の思いを継いでくれていた。……こうして貴様と出逢えて、私は嬉しく思う。私は遂に、父との約束を果たすことが出来るのだから」
「ぅ、っく、月詠、中尉……」
微笑んだまま、真那は静かに頷いた。武は涙を拭い、感情を落ち着かせる。
運命というものが在るのなら、これがそうなのかもしれないと、武は思う。
ああ、ならばそうなのだろう。これが運命。こうして真那と出逢うのが運命。――ならば、武は更に強くなる。絶対に強くなる。
なぜならば、それが運命なのだから。そう定められたのが武なのだから。
――――何故、それが、もっと早く…………彼女が居なくなってしまうその前に、訪れなかったのか…………。
それも運命? あれも運命?
わからない。武には、わからない。幼馴染の彼女を護りたいと願い、それを現実のものとするためのきっかけをくれたこの剣。数日間だけの師匠と出逢い、その娘である真那と出逢い。ようやく、武は彼女を護るに相応しい力を手に入れようとしているのに。……何処を探しても彼女の姿は無く。もはやこの世に護るべきものなど、なく。
武は静かに頭を振った。……そうじゃ、ない。
護るもの、護りたいものは……これからまた、探せばいい。あいつのことは忘れない。絶対に忘れないし、この想いは消えない。
あいつを護るために始めた剣だけど、それでも、そこに込められた人々の想いを知り、託された想いを知れば……武は、ここに誓う。
「俺は、絶対に強くなります。強くなって、この剣を極めて…………師匠の想いを、必ず受け継いで見せます」
「ああ。当然だ。ふふ、私が鍛えるんだ。いくら貴様が泣き叫んで慈悲を求めようとも、一切容赦せず、徹底的に鍛え、必ず、貴様を強くして見せる」
毅然とし、強い決意を込めた武の表情に、真那は挑むように、似合いな不敵な笑みを浮かべる。告げられた内容に若干背筋が寒くなるのを感じた武だが、威勢よく立ち上がり、剣を構える。
「中尉! お願いしますっ!!」
「無論だ。五体満足でいられると思うなよ」
――ははっ。
真那の冗談とも本気ともとれない言葉に、知らず、笑みが零れる。真那はゆっくりと立ち上がり、三度、彼らは剣を構えた。
そして、この世に唯一の剣術、そのたった二人の使い手は……月の夜、踊るように、舞うように、鋭く、苛烈で、壮烈で、鮮烈なまでに美しい剣舞を続けた。
「…………で、今に到る、と」
自室の床に転がったまま、武は溜息をついた。修行が終わった際の記憶がないことから、十中八九、気を失い、真那の手によって部屋まで運ばれたのだろう。
情けないことこの上ない。――が、そう思うならもっと鍛えればいい。武はギシギシとあり得ない音を立てる筋肉に声なき悲鳴を上げながら、着替えようとシャツを脱ぎ捨てる。
「げ」
目に見える範囲だけで数え切れない青あざ。腕は勿論のこと、特に腹や胸が酷い。なんだか嫌な予感がして、下着まで全部脱ぎ捨てて鏡の前へ。そこには目も当てられないくらいボコボコにやられた跡が刻まれていた。
「ホントに……容赦ねぇなぁ……」
恐るべき姉弟子の徹底振りに薄ら寒い戦慄が過ぎる。同時、やれやれという苦笑も漏れる。とんでもないひとに弟子入りしてしまった。そう零す武の表情は、しかし何処か晴れ晴れとしていて……。
「ちょっと白銀~っ!? もうすぐ点呼のじか……んっ」
「え?」
ガチャリ、というドアを開ける音と共に、聞きなれた少女の声。とても見覚えのある橙の髪に白いカチューシャ、猫科を思わせる吊り目が似合いな、A分隊の隊長殿。
「す、ず、み……」
「きゃああああああああああ!!!?? な、なななん、なな、なんて格好、してるのよぉ~~!! ばかばかばか変態~~っ!!?」
バァン! 盛大な音を立ててドアが閉じられる。しばし呆然としてしまう。ドアの向こうからは何事か叫んでいる茜の声。
え? いま、え?
「ぎ、ぎゃぎゃあああああっっ!! なんてことしやがるんだ涼宮ァァアアア!!? もうお嫁にいけないぃいい!!」
『し、知らない知らない知らないっ!! あたし、なんにも見てな~~~ぃ!!』
ドア一枚を隔ててのその不毛なやり取りは、点呼が始まるまで続けられたという……。
===
「で? で? 白銀君のってどんなだったの?」
「ど、どんな……って、その、一瞬だし暗かったし……よくわかんなかっ……」
「テメェは朝っぱらからナニを聞いてるんだぁああ!!」
朝のPX。テーブルを挟んで目の前に座る茜に、晴子は箸を握ったまま嬉々として顔を寄せる。その質問に顔を真っ赤に染めながらももごもごと答えようとする茜を遮り、武は身を乗り出して晴子の頭を叩いた。
「いっっ、たぁああ~っ?! 白銀君、ひどいよぉ~」
「やかましいっ!」
涙目で訴えてくる晴子を、若干の羞恥を浮かべた表情で、武は両断する。そんな彼らのやり取りを、事情をよく知らないほかの面子が問い質す。
「ぇ……っと、話がよく見えないんだけど」
「ふむ、白銀、少し落ち着くがよい。それと柏木、箸を持ったまま会話をするのは行儀が悪いぞ」
苦笑する千鶴。叩かれた頭をさする晴子に、冥夜が少し的外れなことを言う。
「で? 白銀のナニがどうだって?」
「んののっ!? 白銀くんのナニとはっっ!!??」
「わっ、わっ、ナニって、なんでしょう~???」
“なに”の発音がどこかオカシイ薫の言葉に多恵が盛大に頬を染め、亮子が同じく顔を赤く染める。この耳年増どもめ……武はがっくりと肩を降ろし、しおしおと椅子に座る。その武の隣りで茜は彼の顔と下の方をちろちろと見比べては更に頬を染めている。
「白銀……朝から元気」
「え? タケルはいっつも元気じゃない」
「はぅあぅあ~、慧さ~ん、どこ見て言ってるの~??」
茜の様子から何かを感じ取ったらしい慧がボソッと呟く。ほんのりと染められた頬が、実にいらぬ誤解を招きそうで嫌だ。そして美琴はその慧の言葉をどう解釈したのか、いつものようにニコニコと的外れのようでその真意の知れない発言をかます。そんな二人に挟まれた壬姫は可哀想なくらい真っ赤になっていて。
「? なんだ、皆。白銀がどうかしたのか??」
ひとりだけ事情を察することの出来なかったらしい冥夜だけが、不満げにみんなを見回していた。
「涼宮……憶えてろよ」
「あたしのせいじゃないじゃんっ。だ、第一、あたしだって被害者なのにっ……」
「被害者ァア?! どこがだよっ。見られたのは俺だろう!? ノックもなしによう。年頃の女の子がよう」
「わーっ、わーっ!! あ、あたしだってまさか白銀があんな格好でいるなんて思わなかったんだってば!!」
両者の言い分は共にもっともなものだった。だから……まぁ、お互い運が悪かったとしかいいようがないのだろう。
顔を赤く染めたまま、けれど最終的には茜が謝罪することでこの場は丸く収まった。細かい事情はわからないながらも、冥夜を除く全員がそれぞれに納得し、その後は実に穏やかな朝食となった。
「でもさ、白銀君。なんでまた部屋の中で裸になってたの? そういう趣味でもあるの??」
「ブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!??」
…………穏やかな、朝食は……。
「ちょっと! 汚いじゃない!!」
「お、落ち着け榊! 鎧衣、布巾を!」
「う、うんっ。待ってて」
晴子の言葉に合成宇治茶を豪快に噴き出した武。若干ぬるくなったそれは晴子の隣に座っていた千鶴の顔面にぶちまけられ、彼女は透明なはずの眼鏡が白く光って見えるくらいに憤り立ち上がった。
「す、すまんっ榊!! というか、今のはっ、絶対に柏木が悪いぞッッ!?」
「うるさいっ!!」
ギャーギャーと騒ぎ出す千鶴と武をそれぞれ冥夜と茜が取り押さえ、美琴が取って来た布巾で千鶴は顔を拭う。怒り心頭な千鶴と、その千鶴に睨まれて怯む武を見比べて、晴子は失敗失敗と苦笑する。
「柏木……てめぇ……」
「い、いや~~、ゴメンごめん。ちょっと調子に乗りすぎちゃったね」
底冷えのする武の眼光に、視線を逸らす晴子。憮然とした表情の武だったが、やがて深い溜息をついてもういいと手を振る。
そんな武に目線でもう一度謝りながら、しかし晴子は、今度は割りと真剣な表情で質問する。
「それで? 服脱いで鏡の前に立って……なにしてたの? それ、痣だよね? ひょっとして全身にあるんじゃない?」
「えっ?!」
晴子の言葉に、どきりとする。見れば、彼女は武の右腕を見ていて――腕まくりしているそこには、真那の一撃によってつけられた青痣があった。
言葉を詰まらせる武に、周りの皆もハッとする。毎日の厳しい訓練、特に近接格闘訓練などをやった際には、身体に多数の打撲傷が残ることもある。そして昨日の午前中は確かに近接格闘訓練を行っていた。
茜たちはそのときの痣だろうと思っていたのだが……よくよく見れば、それは打撃を受けてできるようなものではなく……細く鋭いなにかに打ち据えられたような……そんな痣だった。
「ふむ……。白銀、それは刀の跡か?」
「うぇっ?!」
目を細め、真剣な表情をする冥夜。ズバリその通りの問いに、武はなぜか動揺してしまう。
「刀……って、なに、どうしたの?! 白銀ッ」
ぐいっ、と茜が武の左腕を掴み……掴んだその場所にもある痣に、絶句する。驚愕に染まる瞳を武の顔に向ければ、彼は酷くうろたえた様子で、視線をあちこちに彷徨わせている。
そんな折――
方々へ彷徨わせていた視線が、彼女を捕らえる。碧色の長い髪、真紅の軍服。見間違えようのない、新たなる剣の師匠。
ふっ、と。口端を緩めて微笑んだ真那と視線が合って、知らず、武は紅潮した。真那はその後武から視線を離し――恐らくは冥夜を見ていたのだろう――踵を返すと、PXの入口から去っていった。
その後姿をぼ~っと見送る武の様子に、茜をはじめとする207部隊の少女達の視線が、段々と鋭く冷たいものに変化していく。
「白銀…………」
「誰? 今のひと…………」
「――ハッ、え、あれ?!」
いつの間にかじっとりと睨まれていることに気づいた武。すぐ隣りの茜や、正面の千鶴の視線が痛い痛い怖い冷たい。
「白銀……まさかそなた、月詠と……」
何故か冥夜まで不穏な気配を立ち上らせて武を睨む。脊髄反射でぶんぶんと首を横に振るが、それで誰が納得してくれるわけでもなかった。
「? ツクヨミさんって?」
その中で唯一……とは言うものの他の皆と同じくらい威圧的な視線を向けていた晴子が、冥夜の言葉に質問する。聞きなれぬ名が出てきたことに、何か感じ取ったのかもしれない。鋭い勘である。
「ん……いや、月詠真那中尉といってな。斯衛軍の士官なのだが…………なるほど、白銀、そなた、中尉に稽古をつけてもらったのだな?」
「ぅっ…………ああ。そうだ」
眼を閉じて吟味するように述べる冥夜の言葉に、武は引き攣った表情のまま頷いた。瞬間、ざわっ、という驚愕とも愕然とも知れぬ感情の波が隊内に伝播する。
皆のその反応に武は困惑するしかない。そして、その後より一層厳しくなった視線に辟易する。
「な、なんだよ……」
「別に」
「別にってことはねぇだろ……?」
「別にっ!!」
左腕を掴んだまま、ひどくご立腹な様子の茜に、武は本気で首をかしげた。ここまで感情剥き出しの彼女も珍しいだろう。
困惑する武に、晴子と薫が口を揃えて言う。
「白銀君って、実は年上好き?」
「しかもあの人もかなりスタイルよかったよなぁ……」
――んな、
武は絶句する。最早言葉もない。あぁあぁそうかいそういうことかい。
要するに、彼女達は…………なんでか知らないけれど、真那に嫉妬している……ということ、か? だが、何でどうして一体何故、真那に剣を習うことが嫉妬に繋がるのか、武には全然さっぱりわからない。
彼の使う剣術を修めている人物が真那以外にいない現状、彼女以外に師事することなどありえないというのに。
「年上云々は関係ないけどな……」
「か、関係なく……あのひとがいいのっ!!??」
「……ナニイッテルンダ? 涼宮」
「知らないっ!! 白銀のっ、莫迦ッッッ!!」
ごちん。
見事なアッパーカットを食らわせて。茜はぷりぷりと怒ったまま自分のトレイを片付けに行く。涙目で顎をさする武を尻目に、他の皆も席を立つ。
「あ、あれ? お~い、お前ら……どうしたんだよ??」
「べっつにぃ~。白銀はお茶でも飲んでれば?」
「あはは、白銀君、ほんっと鈍いよねぇ」
「茜ちゃんが可哀想ですっ」
「その鈍感さも白銀くんのいいところですけどね……」
「今回ばかりはそうも言ってられないでしょ?」
「白銀……そなたはもう少し女心というものを学ぶべきだ」
「まだまだ小者ですよ」
「あははははっ、タケル、頑張ってね~」
「にゃはは……ぁ、でもでも、怪我だけは気をつけてくださいね?」
それぞれ、なんだかよくわからないことを口にして去っていく面々。カウンターでは既に片づけを終えた茜に、ダッシュした多恵が突撃してトレイをぶちまけたりしていた。
なにやってんだあいつら、と肩を竦めながら……それでもやっぱり、どうして殴られたのかわからない。そんな武の朝だった。
===
「そう…………それで? 彼女はなんていってるの?」
「よく、わかりません……たくさんの感情が混ざっていて、読み取ることが出来ません……」
白衣を纏う女性は椅子に深く腰掛ける。顎に指を当てて、執務室のソファに座る少女の言葉を反芻する。
国連軍横浜基地、B19フロア。地下十九階というその場所にある執務室。特別なセキュリティによって部外者の一切の侵入を許さないその場所。それが、この横浜基地副司令――香月夕呼の執務室だった。
部屋の奥には国連軍の軍旗が飾られ、広々とした室内には乱雑に資料が山積みにされている。夕呼が座る椅子の前には木製の事務机。その上に置かれた大型のコンピュータ端末の画面を睨みながら、彼女は視線を少女に向ける。
「なんでもいいわ。他に、なにか気づいたことはない?」
真っ直ぐに射抜くように。その視線は正真正銘科学者のそれであり、副司令という地位にありながら、夕呼が軍人ではないことを悟らせる。虚偽を許さないその視線を受けながら、ソファに座る少女はゆっくりと首を振り、
「……わかりません。ですが、今日も……一つだけ。ずっと、繰り返していました」
「…………“会いたい”…………か。そう。わかったわ。休みなさい、社」
掛けられた言葉に、少女は静かに立ち上がる。少女が身にまとうのは国連軍の士官服を多少アレンジしたような黒い服。肩章には国連軍の意匠が施されているが、そこには「YOKOHAMA BASE」ではなく「ALTERNATIVE」と書かれていた。
長い銀色のツインテール。まるで兎の耳を連想させるような機械をつけて……社と呼ばれた少女は執務室を後にする。
「ああ、社。彼女が会いたいっていう彼だけどね…………この基地にいる、って言ったら、どうする?」
「!!」
スライドするドアを前に、少女はビクリと反応した。だが、反応するだけで、振り返ることはない。
その少女の様子をじっと見つめて、
「へんなこと聞いちゃったわね。いいわ、下がりなさい」
「…………失礼します」
ドアが閉まり、少女の姿が見えなくなる。夕呼は思わず嘆息する。まったく、らしくない。
先の『明星作戦』で手に入れた数々の情報を元に、計画は大凡順調に進んでいる。むしろ、手に入れたモノだけを見るならば、計画の進展にこれ以上ない程の適性を持った素材を手に入れたといっていい。
……だが、それを手に入れてからもうじき一年が経とうとしている。まだたったの一年。されど、計画が動き始めてから既に五年が経過した。
今すぐに計画がどうこうなることはないだろうが……既に米国は『G弾』を使用した。かつて第四計画を決定する際に彼らが提示したその驚異的な威力を、連中は強引な手段で以って世界中に知らしめている。
今はまだ国連本部が『G弾』を封じようと躍起になっているが……それもこの第四計画が然るべき成果を出さねば意味がない。
「オルタネイティブ4……人類の希望…………世界を救う、最後の希望、か」
かつて自身が提唱したそれを、彼女は今も尚、信じている。それを完成させ、達成し、世界を、人類を救ってみせる。
ふ、と。夕呼は唇を吊り上げる。感傷に浸る暇はない。目標は揺るがないのだから、それを目指して今できる最善を積み重ねるのだ。
端末に向かうと、先ほどの少女の報告内容と今までに得られたデータを比較する。
毎日のように、絶え間なく繰り返される言葉。あの場所にいた彼女が、唯一ハッキリと、その意思を宿す言葉。
「ふふっ。面白いじゃない。白銀武――今度会わせてみようかしら」
会いたいと、彼女は言う。
だったら、会わせてみれば…………そしてそれを、あの子を使って伝えてみれば…………なにか、興味深い反応を示すかもしれない。
単なる思い付きではあったが、現状のままでは埒が明かないことも確か。夕呼は頷き、ならば明日にでもと自身のスケジュールを調整する。
「さぁて、どんなヤツかしらね……白銀武……ふふっ」
昼も夜もない地下室で。
ひとり、謎多き科学者はほくそ笑む。
そして、その出逢いこそが…………彼の運命を大いに狂わせる、その引き金となるのだった。