『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:六章-04」
「まったく……白銀め。中尉相手にあのような不埒な行為を……」
「そうね、彼には後でよっっく言い聞かせる必要があるわね」
「白銀……ケダモノ」
「ま~ま~、タケルだってわざとじゃないみたいだし……」
「そそそ、そうですよ~。白銀さんは、そんなにだらしない人じゃないと思いますぅ……」
医療棟からの帰り際、夕食には少し早いがPXで時間を潰すことになった207B分隊の面々。いつもの席に座り、仏頂面でブチブチと不満を口にしているのは冥夜、千鶴、慧の三人。三人が三人とも見事に眉尻を吊り上げ、端から見ても不機嫌全開だ。そんな彼女達の間でオロオロとフォローするのは美琴に壬姫。冥夜たちの憤りっぷりに些か苦笑しながら、しかし内心では「わからないではない」とちょっぴり不満に思ってはいる。
彼女達の話題はつい先ほどまでいた医療棟の一室に運ばれたという、同じ部隊の仲間、武のことだった。香月副司令の呼び出しを受け、彼女からの特殊任務に従事することになった武は、今日はその初任務ということらしかった。
任務とは言うが……訓練兵である彼女達は、当然その内容を知らされていない。当事者以外には関係ないことだし、なにより、副司令直々の、という時点で機密レベルが高過ぎて…その内容を勘繰ることさえ許されない。教導官であるまりもには簡単な説明がされているらしいが、それが説明されることもないし、質問することも出来ない。例え尋ねたとしても、教えてくれるわけがなかった。
だからこそ、彼女達は表面には出さないながらも、武のことを案じていた。
日々の訓練に加え、斯衛の衛士である真那からの剣の修行。たった数日で全身を傷だらけにしてボロボロになった彼を見れば、心配するなという方が無理だった。……それに加えての副司令からの特殊任務である。否応にも不安は募った。
そして、そんな彼女達の不安が的中したかのように……武は気を失って倒れた。
一体何が原因でのことなのかは知らされなかった。命に別状はなく、これという危険な兆候も見られず……単に意識を失っただけという容態に安堵したのも束の間。矢張り彼は心身ともに疲弊しているのではないかと新たに不安の種が生まれる。
少し過剰すぎるのではないかと、彼女たち自身も思ってはいるが……どうしても武の身を案じてしまうのである。その根底に在るであろう想いを、まだ彼女達は自覚していない。
「ふん……少しは私たちのことも考えて欲しいものだ……」
「そうよね……いくら私たちの姿が見えなかったとはいえ……あんな風に、月詠中尉に……っ」
「男はみんな狼……」
「み、みんなぁ~」
「あわわわ、お、落ち着いてくださ~ぃ」
だからこそ、腹が立つ。
自分達がこんなにも彼のことを心配しているというのに、当の本人はそんなことを露ほども知らず、あろうことか彼女達の目の前で真那を押し倒していたのだ。
カーテンで仕切られた病室。少し大きめのベッドが一つ。麗しく美しい女性を押し倒した彼。――ああッ、もうッッ!!
……と、まぁそんなわけで現在彼女達はご立腹なわけである。美少女が五人も揃っていればそれは華やかな雰囲気になるものだが、内三名の形相というか発せられるオーラというか……を見たものたちはそそくさとその場を離れ、或いは目を逸らし……夕食のために席を確保しようとやってきた基地職員達は皆、少女達から数メートル以上離れて席に着いたという。
「でもさ、正直な話……タケル、どうして倒れちゃったのかな……?」
夕食を採っている最中、躊躇いがちに美琴が口を開く。
テーブルに着いているのは変わらぬ五人。A分隊の少女達は皆、武が戻ってくるのを待つらしく、まだ姿を見せていない。その辺り、帝国軍時代の絆というものが窺えて若干気後れしている彼女達だが、それはそれとして腹が立ったこともあり、そのまま五人で食事をしている。
武本人がいないからこそ発せられただろう美琴の問いに、皆一様に箸を止める。それは、彼女達にしても気になってしょうがないことだった。いくら機密で知ることが許されていないとはいえ、そういう理屈とは別の次元で、それを知りたいと思ってしまうのだ。だが――、
「鎧衣、それを知ることは許されないわ」
だからこそ、そんな子供の我儘のような理由から知ろうとすることは許されない。人一倍規律に厳しく、軍人であろうとする千鶴が、ぴしゃりと言い放つ。……断言する彼女自身、本心ではそれを知りたいということは他の少女達も承知している。
「でも……」
「鎧衣、珠瀬。ここは榊の言うことが正しい。我らは軍人だ。軍人で在る以上……軍規には従わねばならぬ。知らされぬことは、知らずともよいのではなく……知る必要がないのだ」
至極まっとうな意見だった。冥夜自身、まるで自分に言い聞かせるような口調でのその言に、美琴と壬姫はしゅんと俯く。
アレコレと詮索することは許されない。武とて、自ら話して聞かせるようなことは絶対にないだろう。今日までの武を見れば、彼が何よりも己に厳しい「軍人」であることがわかる。そして、彼女達から見ても矢張り優秀な「軍人」である彼は、機密をベラベラと漏らすような男では在るまい。
むしろ、こちらから問うてしまうことで、彼を困らせることになりはしないか。優しい武のことだ、機密だから話せないと断るだけのことに、何らかの負い目を感じてもおかしくはないだろう。
そういう意味合いを込めて、冥夜は続ける。
「白銀とて、自身に課せられた任務に誠心誠意、取り組んだ結果のことだろう。……それが如何様に過酷で困難なものだとしても、それを我らが軽率に割って入っていいものではない。……とはいえ、白銀は我らの仲間であることもまた事実。案ずるな、とは言わぬ。……見守ってやろう」
「うん……そうだね」
真摯な表情で言う冥夜に、慧が頷く。心なしか満足げに見えるのは、恐らく彼女の内心が冥夜と同じだったからだろう。普段あまり口を開くことのない慧だけに、同じ想いを語ってくれた冥夜に少しだけ感謝しているらしい。
「そうね、白銀を心配することと、軍人としての対応さえ混同してしまわなければいいのよね。……ごめんなさい、少し強く言い過ぎたわ」
「そ、そんなっ。わたしこそ、公私混同しちゃって……ごめんなさい」
静かに、少しだけ朗らかな表情で言う千鶴に、壬姫が慌てたように頭を下げる。
五人は少しだけ穏やかに笑った後、食事を再開した。今日のメニューは武が好きだという合成竜田揚げ定食。他にも丼物や鯖ミソ定食などもあったが……どうしてかこの日は全員同じものを食べている。別段示し合わせたわけではないのに、変なところで似ている少女達だった。
「それにしてもさー、茜さん凄かったねぇ」
「ん? どうした鎧衣」
またしても唐突に口を開いたのは美琴。今度は先ほどのような躊躇いは微塵もなく、その表情も明るい。というよりもむしろ、思い出し笑いを堪えられない様子だ。その彼女の表情があまりにも奇妙に映り、冥夜は少しだけ身を引く。
「茜……って、ああ……。確かに、アレは凄いわね」
「にゃはは、笑っちゃ悪いですよぉ」
美琴の言葉に思い当たったのか、千鶴は苦笑し、壬姫はにこやかに笑う。笑っては悪いと言いながらしっかり笑っているあたり、それが口だけだということがよくわかる。そんな壬姫をヤレヤレと思いつつも、彼女達の話題の内容に気づき、冥夜も苦笑する。慧もまた、無言ながらに笑っていた。
「いいパンチだった……」
「うんっ。アレは凄いよ~! 腰の入れ具合といい、腕の伸ばしといいっ! なによりその後の回し蹴りなんか……!」
顎に指を当てうんうんと頷く慧に、興奮気味に美琴が回想する。
武が真那を押し倒した後の話だ。渦中の人物である茜は、その以前に肩を怒らせて病室を出たのだが……その後の悶着を聞きつけたのか再度舞い戻り、美琴や慧が絶賛するほどの技の冴えを見せてくれた。……既に病室を去った茜にそれを伝えたのは間違いなく晴子の仕業ということは、全員が承知している暗黙の了解というやつだった。
ともあれ。
「流石茜さんだよ。いくらタケルが無防備だったとはいえ、あんな狭い空間の中であれだけの技を繰り出せるなんてっ。ボク、感動だよ~っ」
「あまり褒めてるようには聞こえないのはどうしてかしらね……」
「いや、そうでもあるまい。現にあの時の涼宮は神懸っていた。抉りこむストレートに続く、流れるような左回し蹴り……。あの者も相当な鍛錬を積んでいるのだろう。次の訓練が楽しみだな」
興奮冷めやらぬ美琴に千鶴が冷静な判断を下すが、それとは若干ズレた感動を見せるのが冥夜だ。千鶴は笑うしかない。彼女にとって茜は親友と言ってもいい貴重な友人だ。そんな彼女の想いにはとっくに気づいているが、時折、彼女は武に対して過激に過ぎる気がする。嫉妬か照れ隠しか、様々な感情が入り乱れて到った末の行動なのだろうが、微笑ましいほどにわかり易い性格だと思う。……そして、呆れるくらい行動派だった。
「でも、涼宮さんももう少し女の子らしくした方が、白銀さんも喜ぶんじゃないかなぁ……」
「珠瀬……あなた結構言うわね……」
笑顔のままサラリと毒を吐く壬姫に、千鶴は頬を引き攣らせる。茜本人がいないことをいいことに、特に美琴と壬姫は好き放題言っている。これが例えば晴子あたりに知られたならば、二人とも、それは酷い目に遭うのだろう。……茜の放ったストレートの威力を思い出し、思わず身震いする。
「白銀は平気……男の子だから」
「何の根拠もないが……概ね同意だ。あの者もあれで涼宮のそういうところを気に入っている節があるようだし……」
ニヤリと唇を吊り上げて自信満々に言い切る慧に、納得したように頷く冥夜。こちらも好きなことを言っている。……が、それら彼女達が言うことも、あながち的外れというわけではない。
少なくとも彼女達にそう見えるということは、茜も武も、それなりにその要素を含んだ行動を見せているということだ。
本当に微笑ましい二人だと思う。茜はどうやら隠したいらしいが、誰が見たってバレバレだ。晴子や多恵の言に依れば帝国軍時代からのことで、それはもう見ているこちらが思わずからかいたくなるくらい可愛らしい恋心だったらしい。……なんとなく理解できる。千鶴はうんと頷いた。
そんな茜が自身の気持ちに気づいたのは一年ほど前だとか。その時のことを晴子は実に嬉しそうに説明してくれたのだが……千鶴はその晴子の笑顔に、本当に茜のことを想っているのだと思わず感心してしまった。そして、同時に羨ましくも思う。それほど他人のことを想える晴子を、凄いと思った。
そして、そんな誰も彼もが気づいている茜の想いに全く気づいていないらしい……のが武だった。
常々思うのだが、どうも武はそういう感情に疎いというか鈍いというか全く以って自分の魅力に気づいていないというか……ゴホン、千鶴は自らの思考に一時蓋をする。と、ともかく、武は女心というものを全然理解していないらしかった。
あれほど身近で茜が想いを顕しているのに、当の本人が気づかないのでは意味がない……の、だが。
「そうね。白銀も白銀で、茜のことちゃんと考えてるみたいだし」
そう。
武は茜の想いに関係なく、彼自身の何らかの感情によって、彼女を想っているらしいのだ。
それが茜と同じ感情なのか、仲間に対する思いやりなのかはわからない。基本的に武は誰に対しても優しく、思いやりのある態度で接している。隊の仲間に対してそれは顕著だが、その中でも茜に対するそれは少々別格のような気がするのだ。
……なんというか、そう。例えば武は度々茜の頭を撫でるのだが……その時の彼の表情はとても穏やかで柔らかく、楽しそうなのだ。武本人に確認したところ、それはある種の癖のようなものだということだったが……残念ながら茜以外にその癖が発動しているのを見たことはない。……何が残念というのか。
「確かに。あの二人を見ているとどうしてか心が落ち着く。……まぁ、多少は人目を憚ってほしいものだが……」
「恋は盲目……怖いね」
知らずは本人ばかりとはこのことだろうか。茜も武も、単にじゃれ合っているだけなのかもしれないが、時折目のやり場に困るくらい「いい雰囲気」を醸し出す。晴子や多恵はその度に水を得た魚のように活き活きとするが、まっとうな思考の持ち主ならそれはもう恥ずかしいくらいに見ていられない。
千鶴や冥夜を筆頭に咳払いや棘のある視線を向ければ気づいてくれるのだが、放っておくといつまでも二人きりの世界に浸っていそうなほど。……微笑ましいと思う反面、どこかやっぱり納得いかない。
例えば今回の真那に対するようなあからさまな憤りは感じないが、それでも矢張り、ムッとしてしまうのも確か。
乙女心は複雑なのである。
「羨ましいです~。私も恋人……とまではいかないけど、そんな風に想えるひとに出逢いたいなぁ……」
若干熱い吐息を零しつつ、壬姫。頬が薄っすら染まっているのは、そんな理想の男性を思い描いているからだろうか。……それがどうしてか武にそっくりなのは彼女だけの秘密だ。
が、そんな恋に憧れる壬姫の思考を遮るように、慧がぽつりと呟いた。
「でも、あの二人はまだ恋人同士じゃないよ……」
「ぇ? そうなんですか?」
「立石が言ってた。涼宮の気持ちは間違いないけど、まだ告白したわけじゃないって……」
その言葉に皆はポカンとするも、しかし成程と納得する。どこからどう見ても恋人同士にしか見えない二人だが、よくよく考えるまでもなく、武は茜の想いに気づいていないらしいのだった。つまり、茜はまだ武に自身の想いを打ち明けていないのである。……いくら鈍いとはいえ、正面から告白されれば誰だってわかる。武が未だにそれに気づかないということは、そういうことだった。
だがそれも時間の問題だろう。そう遠くない未来、茜と武はお互いに想い合う、それは素敵な恋人同士となるだろう……。そんな千鶴の考えに、今度は美琴が水を差す。
しかもそれは、全く予想もしていなかった方向から。
「そっか……じゃぁ、やっぱりスミカさんって人が……タケルの恋人なのかな…………」
「――え?」
果たして、それは千鶴の声だったか。正面を見れば同じように表情を凍らせる冥夜。戸惑いに眉を寄せる慧に、困惑する壬姫。
皆、美琴が何を言ったのかわからない様子だった。ただひとり、美琴だけが難しい顔をして唸っている。……一体どうして、彼女がそんな風に真剣に悩んでいるのかがわからない。いや、そうではなく。
「鎧衣……そなた、今、なんと言ったのだ?」
「誰……って、言ったの?」
少しだけ重い声。冥夜は確かめるように問い、千鶴もまたそれに追随する。ぇ? と美琴は驚いたような顔をして、皆の様子に少しだけ怯んだようだった。
「ぇ……と。だから、スミカさん、だよ。あれ? 違ったかな…?」
「それだ。先ほども言ったな。その、スミカという女性はだれのことだ?」
再び口にしたその名に、冥夜が詰め寄る。鋭い視線に圧されて、美琴はうろたえるように身を引いた。が、
「誰って……ボクだって知らないけど…………でも、タケル、あの時叫んでたじゃない。スミカー……って」
「「「「!!??」」」」
ようやくにして、美琴の言っていることを理解する。
そうだ。確かに、そうだ。
あの時、病室の外で武を見舞うために待っていたあの時。
確かに言った。確かに聞いた。それは紛れもなく武の声で……どこか、悲哀を感じさせるような逼迫した叫びだった。縋りつくような、二度と手放したくないような……そんな感情が篭められた叫びではなかったか。
あの時は、茜が怒り心頭で部屋から出てきたり、その後の騒動のせいですっかり忘れていたが……今にして思えば、それはとても……彼女達の心を震わせるくらいには衝撃的だった。
どうして気づかなかったのか。どうして思い至らなかったのか。
武が茜の想いに気づかない……気づけないのは、彼に意中の人物がいるからなのだと。
そしてそれは果たしてスミカという名の女性なのか……。そんなことが、彼女達にわかるはずもなく……。
「……でも、そんな名前いままで聞いたこともない」
「……それは、まぁ、そうだな。……白銀の恋人、或いは想い人、ということであれば……我々はともかく、涼宮たちが知らないというのも妙だ」
「茜が告白をしていないっていうの……その人を知ってるからじゃないかしら」
「あっ、そうですよ、きっと……。白銀さんの気持ちを知ってるから……涼宮さん、想いを伝えられないのかも……」
唸る面々。想像は所詮想像に過ぎず、確証に到る情報はない。例えばスミカという女性が実在し、武の恋人なのだとしたら……彼女の存在が武の口から明かされないのは妙だと思える。そういう話題を好む晴子が口にしないというのなら……それが茜への思いやりと理解できなくもないのだが……。
「恋人自慢、をするようには見えないけれど……」
「でも、白銀さんって思ったことがすぐ口に出てますよ……」
「そうだね。白銀は単純だから、恋人が居るならすぐにばれてる」
千鶴、壬姫、慧と口々に自身の推測を述べる。そんな風に武の仮想恋人についてアレコレ思案する彼女達を、しかし冥夜が鋭く遮った。
「……そなたたち。あまり他人の詮索をするでない。気持ちはわからんではないが……白銀が口にせず、涼宮たちもまた口にしないというなら……そこにはそれなりの理由が在るのだろう……」
「ぁ……」
確かにそのとおりだ。単なる興味本位で他人の心に土足で踏み入って言い訳ではない。まして、それがこんな下世話な想像では……少女達は自分達の軽率さを恥じる。美琴もまた、自分が変なことを言い出したせいだと詫びたが、これに関しては皆が一様に軽率だった。
この話はこれでオシマイ、という雰囲気になったところで――しかし冥夜は、思い出してしまった。
ハッとして、今しがた自分がこの口で言ったばかりだというのに……恥知らずにも、彼女はそのことを口にしてしまう。
「榊……覚えているか?」
「え?」
それは絞るように小さな声だった。喧騒に包まれたPXだったが、千鶴たちの耳にはやけに透って聞こえる。
「皆、許すがよい。たった今自分で言ったばかりだが……私もまだまだ未熟だな。自身の想像を抑えることが出来なかった……」
「ぇ? いや、それはいいんだけど……」
「ちょっと御剣、なんなのよ?」
千鶴に問いかけておいて突然謝罪する冥夜に肩透かしを食らう。真面目な彼女の性格はわかっていたが、今はなんだかもったいぶっているようにしか思えない。興味本位の詮索はよろしくないということは重々承知している彼女が、しかしそれでも抑えられないというソレに、知らずつばを飲み込んでしまう。何やら逡巡する様子の冥夜に、少女達は耳を澄ました。
「その……これは私と榊しか知らぬことだとは思うのだが……榊、白銀の剣を初めて見た夜を覚えているか?」
「え? ……あ、ああ……。ええ、覚えているわ」
問われ、千鶴は少しの間の後に、頷く。いつだったか……そう、あれはまだ訓練校に入隊して間もない頃だ。まだ数ヶ月しか経っていない。今日のように突然話題を振った美琴に、武たちが冗談交じりに答えて……そう、アレは確か彼らが帝国軍に属していた頃の話をねだったのではなかったか。
そうだ。
そしてその日の夜、千鶴は、冥夜は見た。どこか鬼気迫るその表情。殺気に似た恐ろしいまでの気迫。大気を裂く剣閃は止まることを知らず……宵闇に、狂気を孕む螺旋軌道の独楽の舞。
その気迫に呑まれ立ち尽くした自分達の間を縫って、飛び出したのは茜。武に飛びついて、彼に正気を取り戻させて、泣いていた茜。
「その時の、涼宮の言葉を覚えているか?」
「茜の……?」
武に抱きつくように、泣きながら、叫んでいた。悔しそうに、哀しそうに、たくさんたくさん、感情を爆発させて……泣いて。
――白銀の莫迦ぁあ!! なんでまた独りで抱え込むのよぉ!
――やっぱり、横浜に帰ってきたから……? 忘れられないのは知ってるよ……
――思い出して辛いなら、苦しいなら……あたしに言ってよッ!
――速瀬さんじゃないと駄目なの? あたしじゃ力になれないの……っ? 鑑さんのこと……っ、
「カガミ…………」
呆然と呟いたその千鶴の声に、冥夜はああと頷く。何のことかわからないといった表情をする慧たちに、冥夜は事の次第を掻い摘んで説明する。当時は軽々しく口にするような話題でもないだろうと千鶴と二人、胸に秘めておいたのだが……。
武の恋人云々ということでなく、今日、確かに病室で聞いたあの武の声から感じられた感情が……本当にそうなのだとしたら、それはとても重要なことのように思えたのだ。
「じゃ、じゃぁ……そのカガミさんが、スミカさん……?」
「わからぬ。所詮これも推測でしかない。そのカガミという人物のことも、あの者たちになにがあったのかも……私も榊も確認していない」
噛み締めるように問う美琴に、冥夜は首を振る。確認していないと冥夜は言うが、それこそ軽々しく尋ねていいものでもないだろう。いつか時が来ればと考えていたが……まさかこんな風に思いを巡らせることになるとは予想もしなかった。
だが、冥夜の言が仮に本当なのだとしたら……これは、とても哀しいことだ。
とてもではないが、先ほどまでのように浮かれた様子で話すことなんてできやしない。
今日までの日々で、いくつかわかっていることが在る。それは、元帝国軍横浜基地訓練校出身の彼らは、BETA横浜襲撃の際に北海道へ転属になっていたということ。BETAと『G弾』によって壊滅した横浜は彼らにとっての故郷だということ……。武はなにかから立ち直ったということ。そんな彼を茜たちは支えてきたのだということ。
不鮮明だったそれらが、カガミ・スミカという存在に集約する。
武には恋人がいた。武の故郷は横浜なので、その恋人も横浜に住んでいたのだろう。
BETAの接近に備え、訓練校自体が閉鎖となり武は軍の命令で北海道へ転属する。……それに遅れて、十二月頃だろうか、関東地区に避難勧告がなされた。もし、その時に……武の恋人――カガミ・スミカ――が避難していなかったとしたら?
翌一月、横浜はBETAの襲撃を受け、壊滅。
壊滅。
壊滅、したのだ。
ならば、その恋人はどうなっただろう? 襲い来るBETAの大群を前に……どう、なったのだろう……?
……考えるまでもない。考えたくもない。
最低最悪の想像だと、冥夜は己を罵倒する。こみあげる吐き気に己の浅慮を嘲り、しかしそれならば納得がいくのだと……その想像を是としてしまう。
武は、恐らく……スミカという名の恋人を喪っている。その哀しみはどれ程のものだったろう。その絶望は、どんなものだったのか……。茜は、晴子は、多恵は、薫は、亮子は……そして、武の目標なのだという速瀬水月は、そんな哀しみと絶望の坩堝に陥った彼を支え、立ち上がろうとする彼に手を伸ばし…………。
――ああ、そうか。
彼らの絆の深さは、そういうことだったのだ。
絶望を垣間見、そこから這い上がった武と、その彼を見守り続けた彼女達。二年間という月日を掛けて育んできた彼らの絆に、出逢ってまだ半年も経っていない自分達が割って入る隙など初めからなかったのだ。
そして、だからこそ……武は茜の想いに気づけず、茜もまた自身の想いを口にしない。
武の中で、まだ彼の恋人は生きているのだ。……恋人への想いが、というべきだろうか。それを知る茜だからこそ、彼女は何も言わない。何も、言えない。……言えるわけがない。
自身の想い人を喪うというのは、どれだけの哀しみをもたらすのだろう。冥夜は――彼女にとって命以上に大切な存在のことを思い浮かべる。……もし、自分があのお方を喪ったならば…………なにも考えられなかった。ソレが一体どういうものなのか、想像することも出来ない。武は、そんな絶望をあじわったのだろうか。
「…………すまぬ。確証もなく、していい話ではなかった。許すがよい」
口にして、何を今更と冥夜は己を罵る。謝るくらいなら口にしなければいい。言葉にしてしまったのは……単に己が弱いからだ。美琴たちのことは言えない。自分こそが興味本位に最低な想像をめぐらせて、武の内面を詮索しようとする劣悪な存在に思える。
だが、そんな冥夜を責める者はいなかった。むしろ、彼女達は冥夜に感謝している。
武の負の一面を知らぬ慧たちにしてみれば、その冥夜の語った内容はとても衝撃だった。なにかあったのだろうということは気づいていたが、それが、これほどに凄絶なものだとは想像もしていなかった。……無論、冥夜の言に確証がないことは承知している。だが、彼女達にとって重要なのは、あの武が正気を失うほどの何かがあり、そこにはカガミという名の……恋人が関わっているのだという事実だ。それがスミカという人物と繋がるかどうかは不明だが、最早確認するまでもあるまい。
そうでもなければ、信じられない。実際に目の当たりにしたわけではないが、それでも冥夜が、千鶴が言うのだ。「あんな白銀は見たことがない」と。そしてそんな彼を見たのはソレだけだと。ならば、それは彼がひた隠しにしているなにがしかに直結しているはずであり……つまり、その理由となり得るものは冥夜の想像したそれであり……そういう可能性もあるのだと気づかせてくれた彼女に感謝するのである。
千鶴は己の迂闊さを恥じる。冥夜と同じくそれを目撃し、耳にしていながら……全く気づくことの出来なかった自分。隊の皆のメンタルや体調を把握して然るべき分隊長という立場の自分がこれでは、なんとも名ばかりのお飾りではないか、と。同時に、武に対する真剣さ、というものでも冥夜に感心するほかない。冥夜が気づかせてくれたそれらと共に、親友だと自負している茜の想いの強さを痛感する。武を襲った悲劇に言葉に出来ない感情が込み上げるが、それ以上に、そんな武を傍で支え続けた茜に……どうしようもなく、哀しみと憧れの想いが募る。
茜は強い。なんて強い心だろう。武は立ち直ったのだという。きっと、茜たちの支えなくして彼は立ち直ることはできなかったのではないだろうか。哀しみを乗り越え、その最中に気づいてしまった自身の感情を抑えて……それでも想う、彼を支えた茜……。ああ、どうしてだろうか。彼女達と出逢ったこの数ヶ月の間。どうして茜は、武は、あんなにも自然に……笑い合えているのだろう。それほどの哀しみ、想像も出来ない絶望のどん底に居て。それなのに、ああ、それなのに……っ。彼女達は今、笑えているのだ。
「…………御剣、あなたが謝ることはないわ……。確かに、これは確証も何もないただの想像だけど……でも、重要なのはそこじゃない」
「榊……?」
「確かに、白銀や茜が口にしないことだから、っていうのもあるけれど。……多分、私たちはそれに甘えていたのね。……誰にだって口にしたくない過去や秘密は在るでしょう。そして、それはなるべくなら知られたくないと思う……詮索されたくないと思うものかもしれない。でも、だからってそれで終わりにしてはいけないんだわ……。確かに彼らは私たちに何も言わない。私たちも、そんな彼らの事情を察した振りをして、何も聞かない。でも、それじゃだめなのよ。それに甘えて……知らなくてもいいんだ、って、胡坐をかいてちゃいけないんだわ」
一言一言、思うままに語る千鶴に、皆、真剣な表情を向ける。そんな彼女達の様子に気づいたのか、少し照れたように、
「白銀たちが何も言わないのは、確かに言いたくない……触れられたくないから、っていうのも在ると思うの。いつかは彼らの方から話してくれることかもしれないけど……そうじゃなくて、その。……巧い言葉が見つからないのだけど、そんな彼らのことを……例え推測まじりの勝手な想像だとしても、それでも、真剣に考えて、理解しようと思うこと……自分なりに、そうやって考えることっていうのは、とても大切なことだと思うわ。いいえ。仲間として、本当に仲間として彼らを想うなら、それはしなければならないんだわ」
まとまりがない、と千鶴は苦笑する。でも、それが彼女の本心だった。果たして自分の想いが伝わったかどうか……千鶴はこちらを見つめる仲間達を見るが……どうやらそれは杞憂だったらしい。
「そうだな。そなたの言うとおりだ。真に必要なのは仲間を想い、その者の心を考えること、か。しかし、それも推測に過ぎぬ、という前提を履き違えてはいかぬ……難しいものだ。だが、難しいからこそ、やり甲斐もあろう」
「うん。そうだね。あはっ、なんだか大変だなぁ。……でも、凄く大切なことだと思うな、千鶴さん」
「そうですね。ん~……なんだか、亮子ちゃんみたいですね~。亮子ちゃん、ずっとこんな風に私たちのこと考えてくれてるんですよねぇ……」
「ん。月岡は凄い。…………榊は、少しかっこつけすぎ」
「なんですってぇ!?」
皆の言葉に赤面していた千鶴が、最後の慧の一言で爆発する。無論照れ隠しだ。
そうやって、なんだか気づけば長い間話し込んでいたようで、料理はすっかり冷めてしまっていた。五人はお互いに恥ずかしそうに笑みを交わしながら、それでもどこか心温かく、食事を再開する。
そんな風に五人だけで語り合うのは初めてだったのだと、夜になって千鶴は気づく。……気づき、そして、あまりの気恥ずかしさに頬を染める。なんだかむず痒いような、困ったような……そんな表情をして。
彼女達も同じような思いだろうかと、少しだけ想像して微笑む。
――同じであればいい。
そう願い、そう確信して。
少女達は夜を過ごす。ベッドに横になり、眼を閉じる。仲間を想うということが、これほどに、こんなにも。……心を満たしてくれるのだということを知った、そんな日だった。