『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:八章-03」
やってきた彼女達を見れば、なんだか凄いことになっていた。
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朝食を採りにやってきたPX。いつもの席にはいつもの顔ぶれが揃っていて、茜はいつもどおりに晴子の正面の席に座る。左隣の多恵がにこやかにおはよーと笑い、茜もそれに笑顔で返した。
薫と亮子はまだ来ていない。これもいつもどおり。おおかた、癖ッ毛の薫が、ぴんぴんと跳ねる髪の毛と格闘しているのだろう。毎朝毎朝大変なんだぜ、と顰め面して笑う薫に、亮子は飽きもせず付き合っている。跳ねる薫の髪を梳くのが楽しいと言っていたので、特に問題はない。
あと数分もすれば二人も来るだろう。茜は少しぼんやりと時計を見詰めて……なにやら軽口を叩き合う晴子と多恵の会話を、聞くとはなしに聞いていた。
「よっ、おはよー」 「おはようございます」
軽快な挨拶。元気よく跳ねた髪の毛を揺らしながら、薫がやってくる。その斜め後ろには亮子。こちらは薫と違い実に真っ直ぐで美しい黒髪をしている。毎日訓練で土埃にまみれ、手入れも大変だろうに……。茜は、亮子のそういう女性らしさを心底羨ましいと感じていた。
そして、二人が朝食のトレイを持ってきて席に着く……これが、いつもの彼女達のあり方だった。
いや、「いつも」と言うには少々語弊がある。
本来なら、“六人”。或いは、B分隊の彼女達を合わせると十一人。……しかし現在は五人しかいない。“六人目”もいなければ彼女達の姿もない。
ほんの少しだけ。茜は右隣の椅子を見た。誰も座っていないその席。いつも隣りにいた彼がいない。
白銀武。
たった一人で転属していった、彼女達にとって忘れられない少年。
仲間であり……想い人。その彼が、いない。
既に五日が経った。転属を知った時こそ取り乱しもしたが、今ではそのようなこともない。……ただ、時々思い出しては、寂しく感じてしまうだけだ。
この三年と少し……茜は、彼女達はいつだって武の側にいた。同じ訓練部隊で、共に鍛え合い、共に笑い合い、同じ道を進んできた。いずれ任官するそのときまで……ずっと一緒にいるのだと感じていた。
けれど武は行ってしまった。自らの道を。茜達とは違う道を。
行き着く先は同じなのかもしれない。……同じだと信じたい。いつかまた再会する日が来るのだと。そう、信じていたい。
だから、武がいないことを寂しいとは感じても、涙を見せることはない。いつか逢える。そう信じるからこそ、泣いている暇はないのだ。
「……じゃ、先に食べちゃおっか」
「あはははは。そうだね。待ってたらいつまでも食べらんない」
時計を見て、苦笑しながら茜が言う。彼女の苦笑の意味を悟ったのだろう、晴子が愉快そうに笑った。
「今日もやってるのかな??」
「そりゃ、やってるだろ。つぅかむしろやって欲しい。目の前で。リアルタイムで観戦したい」
「確かに……見てる分には面白いんですけどね……」
何かを期待するように尋ねた多恵に、薫が腕を組んで首肯する。にこやかに緩んだ口元が実に楽しそうである。そんな二人を横目に、亮子は茜同様苦笑した。
未だ空白の五つの席。全員がそこを見つめ、今日もまた騒がしい朝になるだろうと想像する。
亮子は言った。
――見てる分には面白い。
確かにそうだ。それは間違いない。あれだけ強い個性を持った五人が揃って、騒がしくないわけがないし、面白くないわけがない。
ただし、そこにはある前提が必要だ。
……そう。
巻き込まれなければ、面白いのだ。
「あーっっ、もう!! あんたがいつまでもトイレから出ないからッッ!!」
「……洗面台を最後まで使ってたのはあんた……」
「いや、そもそも一緒にシャワーを使うと言うのが……」
「えー? でもぉ、シャワー使うとすっきり起きれるんですよ~。それに一緒に入れば時間が短縮できるしっ」
「お腹すいたーっ。今日のご飯何かな~っ?」
ドタドタという盛大な足音。それに混じって聞こえてくるのは喧々と姦しい少女達の声。
ああ、来た来た。茜達は揃って顔をそちらに向け、数秒後にはPXに飛び込んでくるだろう彼女達を待ち構える。――主に、観戦するために。
やってきた彼女達を見れば、なんだか凄いことになっていた。
先頭にはどこか髪の毛を跳ねさせた千鶴。自慢の三つ編みお下げはなんだかおざなりで中途半端。まるで大勢の人間にもみくちゃにされたように、毛先がほつれていた。
千鶴と並行して現れたのは慧。のほほんとした表情は非常にマイペースで、すぐ隣りでキャンキャン吠える千鶴のことなどまるで無視しているようだ。
その二人の後ろには頬を薄く染めて神妙な顔をする冥夜。その彼女を見上げて、こちらも若干顔が赤い壬姫。
最後尾には朝食の献立に思いを馳せているらしい美琴。見事なまでに、前方の少女達のやり取りから浮いている。
「……今日はそんなに派手じゃないな……」
「いや、十分でしょ」
少し残念そうに言う薫に、思わず突っ込んでしまう茜。
耳を傾けるまでもなく、喧しいくらいに騒いでいる彼女達の会話は筒抜けて聞こえていた。一方的に慧に吠える千鶴に、馬耳東風と言わんばかりの慧。大きな胸がどうこうと羨ましそうに語る壬姫に、おろおろと慌てふためく冥夜。相変わらず回りの空気など全く無視して我が道を行く美琴。
ハッキリ言って、異様だ。
そしてこの上なく「見ている分には面白い」。
五人はぞろぞろと喧しいままにカウンターへ向かい朝食を受け取る。そしてまた喧しいままに席に着き……そこでようやく、茜達に声を掛ける余裕を取り戻していた。
「……おはよぅ。………………なによ、なんか言いたいことでもあるの?!」
「あはははははっ。榊ってば神経質になってる」
「そうだぜ~。別に何も言ってないだろ~?」
席に着いて早々、千鶴が晴子と薫を睨みつける。どうやら何を言っても効果のない慧に対する苛立ちが、そちらに流れていったようだ。
が、その千鶴が可笑しくてしょうがないとばかりにニヤニヤと笑う晴子と薫は、自分達の態度が余計に千鶴の神経を逆なですると知りつつ、敢えて実行するのだから性質が悪い。
ギリギリと歯を鳴らす千鶴が哀れに思えて、茜は乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「ねねね、さっきの胸の話ってなに??」
「えっとね~。今日は冥夜さんと一緒にシャワー使ったんだけど~」
「たたたた珠瀬ッッ??!!」
興味津々と多恵が質問を投げかければ、顔を赤く染めたままの壬姫が真剣に語ろうとし……慌てた冥夜がその口を塞ぐ。口を塞がれたままもぐもぐと何事か言う壬姫が可愛らしい。それを見て亮子はとても癒されたような顔をしていた。
「……御剣はすごいよ。……それはもう色々と」
「彩峰ぇええええ!!??」
「あ~~っ、この合成鮭美味し~っ! 流石おばちゃんだよ~~っ」
……実に、喧しい。
茜は少しだけ頬を引き攣らせながら、しかし折角なのだからと楽しむことにする。聞いているだけで楽しいのなら、会話に加わればもっと楽しいに違いない。
更に言えば、今日は拳が飛び交うようなこともなさそうなので、実に健全である。
一人だけがっくりと憔悴している千鶴には悪いが、いずれ諦めることだろうと放っておく。
そう。
そもそも、一体何が起こっているのかというと……それは武がいなくなったその日、つまり五日前の訓練にまで遡る。
===
その日の模擬演習もまた、A分隊の勝利で幕を閉じた。敗因は昨日と同じ。千鶴と慧の仲違いに端を発し、部隊としての機能を失ったことによるものだった。
全員が一堂に会し、まりもの口から演習評価が行われている最中……しかし二人はとてつもなく悔しげに俯いていた。拳を握り、必死に湧き上がる感情を堪えているようだった。
確か昨日は……武が怒れていた。茜は思い出す。恐ろしいほどに沈黙し、冷ややかな怒りを湛えていたその姿。今まで彼が怒ったところを見たことがなかったために、それは新鮮で……しかし、彼の心情を思えば当然と頷けるものだった。
だから、訓練が終わり、教官が立ち去ったとき。茜達もまた、彼の、彼らの邪魔をしないように気を利かせた。
故にその後のことは知らず、そして武を怒らせた当人達の心の裡というものも、矢張り茜達は知りはしない。
……きっと、武は怒ったのだろう。
そのことでB分隊の彼女達が一体何を感じ、何を考えたのか……茜はそれを知らない。ただ、何となく確信はあった。――きっと、彼女達は武の気持ちに応えてくれる。
確かに武は頭にきて我慢できなくて、感情的に怒りを爆発させたのだろう。でも、それは裏返せば、彼がそれほど真剣に彼女達のことを考えているからこその感情だった。
人間、心底にどうでもよいと思うことには無関心になる。即ち、感情の発露さえない完全なる無視ということだが……武は、ちゃんと千鶴と慧に怒りを見せたのだ。
だから、気づくだろう。武の怒りは、彼女達を真剣に思えばこそなのだと。一年間を共に過ごしてきたのだ。彼女達が聡明であることは理解しているし、知っている。……ならば、ちゃんと考えて、気づくはずだ。
そして迎えた翌日。
突然の武の転属に激しい動揺を見せはしたが、教官であるまりもの優しさに励まされ、それぞれが己の決意を新たにし、訓練は行われた。
模擬戦闘演習。総合戦闘技術評価演習を想定したその訓練。
茜は驚きに目を見開き、そして同時に“そうこなくては”と不敵に笑った。それは、晴子たちも同様に。
言うなれば意気込み。気合。
B分隊の少女達全員が――千鶴と慧、彼女達が。まるで昨日とは別人のように違って見えた。互いが互いを助け合うように。個としてではなく、部隊として動くように。
初めて見る変化だった。今までの五度の模擬演習。その中で一度も見せたことのないような連携を取ろうと、彼女達は必死になっていた。
その彼女達の在りように……茜は少し嬉しく感じた。……ちゃんと、武の気持ちは届いていたのだと。そう知ることが出来て。
だから、一切の手加減はしないと決める。もちろん最初から手を抜くつもりなどまるでないのだが……しかし、そこには強敵を相手にするような緊張感と昂揚、戦闘意欲というものが沸々と湧いている。
多分、その日の訓練はかつてないほどに苛烈だった。元々個人の素養がずば抜けて高いB分隊である。その彼女達が一糸乱れずに呼吸を合わせ思考を合わせ、作戦を展開するならば、それは途轍もない脅威となりえただろう。
そう――それが実現できさえすれば……。
演習開始から数時間が経過した頃、膠着状態となり、互いに次の一手を攻めあぐねていた。流石に覚悟を決めた相手は手強いと、疲労を滲ませた表情で戦況を窺っていた茜は、ふとした拍子にそれに気づいた。
…………なにか、妙だ。
距離もあり、お互い障害物に身を潜めているために、姿も見えず声もハッキリと届かないというのに……一体なにが妙だというのか。しかし、茜は眉を寄せて真剣に様子を窺う。前方の大きな障害物。その向こうに身を潜めているだろう何人か。……確認できている限りでは、千鶴、慧、壬姫の三人。
険しい表情のまま、茜は薫と亮子に向き直り、彼女達にも確認する。――なにかおかしい。妙だ。言葉に出来ない違和感だったが……どうやら亮子も似たようなものを感じていたらしかった。
声が届く距離ではない。姿が見えたわけでもない。……ただ、漠然と感じられるだけ。
妙に、騒がしい。
或いは…………それは口論にも似て、
ボリュームを最小に絞っていた無線が鳴る。押し殺したような晴子の声。斥候に向かっていた彼女からの報告に、茜は軽い失意を覚えてしまう。
――またやってる。
ただ一言。それだけで理解した。…………だから、茜の行動は迅速だった。
敵は仲違いを起こし、部隊内に亀裂が走っている。今がチャンス。そう、断じた。故に。
そこからは、本当にあっという間だった。まるで昨日までの焼き直しのよう。
斥候に出ていた晴子の狙撃にタイミングを合わせ、同じく斥候に出ていた多恵が狙撃とは反対方向から突撃を掛ける。同時、茜と亮子、薫は二手に分かれて障害物から飛び出し、矢張りB分隊へと突撃したのだ。
部隊としての統率を失ったそのときに奇襲染みた狙撃を受け、浮き足立った瞬間を突いての三方向からの襲撃だ。そこには全員がいた――なまじ一箇所に潜んでいたからこそ、全滅も早かった……。
一体何が原因だったのだろうか。千鶴と慧はまりもの評価が終わるまで、ただじっと悔しさと怒りに震えていた。冥夜、壬姫、美琴の三人もそれぞれに表情を歪め、同じように何かを堪えているようだった。
それはきっと、己に対する怒り……。
彼女達は、どうして自分がこれほどまでに怒りを覚えるのかを理解している。――あまりにも、不甲斐ない。
自分達に不足しているもの……それに気づき、なんとか乗り越えようと努力はしたものの……けれど、それは上っ面だけの成果しか出せず。
千鶴は己の不甲斐なさに唇を噛む。自分と慧の不仲が隊の足を引っ張っている。そのことは十分に理解し、対策が必要だとわかった。けれど、どうすればいいのかわからない。協力しようと努力はした。慧が動き易いような作戦も立案した。……なのに、どうしてまた、慧は千鶴を見限るように独断専行しようとしたのか。――慧のことが、わからない。彼女の行動が理解できない。
慧は己の不甲斐なさに拳を握る。自分と千鶴の不仲が隊の足を引っ張っている。そのことは十分に理解し、対策が必要だとわかった。けれど、どうすればいいのかわからない。協力しようと努力はした。千鶴が下す命令に従うようにもした。……なのに、どうしてまた、千鶴は最初の作戦にだけ拘るのか。――千鶴のことが、わからない。彼女の思考が理解できない。
冥夜は、壬姫は、美琴は……己の不甲斐なさに沈黙する。千鶴と慧の不仲が隊の足を引っ張っている。そのことは十分に理解し、対策が必要だとわかった。けれど、どうすればいいのかわからない。二人の仲が険悪にならぬよう努力はした。……なのに、どうしてまた、彼女達は争うように互いを誹りあうのか。――彼女達のことが、わからない。それぞれの言い分は理解できるのに、なぜそれを、双方とも受け入れることが出来ないのか。
だから、彼女達は黙り込み、悔しさに俯く。
部隊に必要なもの。指揮官。それを支える副官。指揮官が下す作戦に従う兵員。
指揮官の命令を速やかに執行するための迅速な体制。「命令には従う」。その当たり前のシステムが、機能できていない現実。
ならば、それは慧一人の我儘ということなのか。……否。彼女の言もまた、正しい。
慧は言う。戦場において最も重要視されるのは現場の判断だと。絶えず変動する戦場において、作戦開始前に立てられた作戦など意味を持たない。確かに作戦は大切だ。それを達成するための命令には従える。自分はそれを実行するための兵士であり、何よりも作戦の遂行を至上とするために。
だからこそ。刻々と変化する状況に合わせて、柔軟に、臨機応変に作戦内容も変化するべきなのだ。最初から最後まで、始終一貫してガチガチに固められたそれに拘り、作戦が失敗してしまうのではまるで無意味だ。
慧が求める作戦とは、ゴールさえ変わらなければそれでいい。その中身は、戦場に出てみないとわからないのだから。常々に、最善を模索し、行動すればいい。――それができない指揮官に、慧は従うつもりはない。……だから、千鶴に腹が立つ。いつまでも最初の作戦にこだわりを持ち、移り変わる戦況に対処しきれない指揮官。だからせめて単独で動くことに許可を求めれば、勝手は許さない、命令に従え、作戦をなんだと思っている……などと。
確かに一理あるのだ。千鶴だって、それがわからないわけではない。
だが、指揮官の命令は絶対だと言う大原則が守れない慧を認めるわけにはいかない。独断専行を許しては、部隊そのものが機能しなくなる。部下を従えられない指揮官に、それを全うする資格はなく……なにより作戦そのものが無意味となる。だから、独断専行は許さないし、許せない。
戦場は常に変化しているということは、言われるまでもなくわかっている。だからこそ、移り変わる状況に流されないよう、一貫した作戦の遂行が求められるのだ。臨機応変とは言うが、状況に合わせて度々に行動を変えるならば、それは戦況に翻弄されていることとなんら変わらない。最終的に作戦が遂行できたのだとして、それが果たして最良と呼べるのか。
作戦とは、予想される戦況を網羅し、想定し、その中で最善、最良と思われるものを積み上げて立案される。……確かに戦場によっては作戦変更もやむをえない場面、というものは存在するだろう。だが、それは一兵員が声高に独断専行を唱えていい理由にはならない。変更するその作戦もまた、指揮官が下さなければならない。
最終決定こそ指揮官の仕事だが、千鶴は己の独断でそれを成すつもりはない。当然として部隊員の意見も取り入れ、考慮する。逼迫している事態にあっては熟考している暇もないだろうが……だからといって隊員を無視することもまた、許されない。
そう。
千鶴も慧も、そこに気づかない。
各々の考え方の相違。それに差異があることは、知っている。それが問題なのだと言うこともまた、十分に理解している。
だが、彼女達は間違えていることに気づかない。
やり方を間違えている。自分達の考え方が違うのだと理解していながら、双方共に、互いの考えの根底を理解しようとしない。それぞれに言い分はあるだろう。ならば、それを存分に曝け出せばいいのだ。曝け出してぶつかり合って、そして理解していけばいい。
――そのことに、気づかない。その考えに、至らない。だから、また失敗したのだ。……五人とも、そのことに気づかない。
その彼女達の葛藤を、懊悩を、A分隊の少女達はじっと見守っていた。
B分隊に不足しているものは、お互いの信頼だ。
命令を下す指揮官への信頼。行動を共にする仲間への信頼。……だから、A分隊は部隊として完成している。全員が一つの意思の下にまとまり、統率を取り、遂行するだけの下地が在る。
過ごした時間は関係なく。……単純に、B分隊にはそれらが絶対的に不足しているのだ。
……ならば、そう指摘するべきだろうか。いや、それはあまりにも意味を成さない行為だろう。自分で、自分達で気づき、実行しなければ意味がない。そうでなければ、それは信頼と言う名のついたただの上っ面だけの結束だ。
正に今回の彼女達のように。それは脆く薄っぺらで…………容易く崩れ去る。
茜はやるせなさに息をつき、千鶴たちから視線を外した。そして、評価を終えたまりもを見れば…………ひどく真面目な表情の彼女に、おや、と首を傾げる。
じ、っとB分隊の少女達を見詰めるまりも。そこには有無を言わさぬ迫力が漂っていて……。一体何事だろうと身構えれば、まりもはこのようなことを口にした。
――榊以下B分隊の全員は、今日から同じ部屋で過ごすように。
……正直、意味がわからなかった。
全員が豆鉄砲を食らった鳩のように目を丸くして呆然とする。一番に立ち直ったのは千鶴だった。途轍もなく驚いたように、困惑を浮かべて理由を尋ねる。
曰く、B分隊の統率を図るため……だとか。
そう。まりもは当然気づいていたのだった。B分隊の全員に足りないもの。お互いの信頼……そして、それぞれの内面というもの。
表立って目立つ千鶴と慧の仲違いも、そしてそれを止めることの出来ない冥夜、壬姫、美琴も。全ては相互の不理解に起因する。ならば、その彼女達をひとつところに押し込めて生活させ、無理矢理にでも相互理解を深めようという腹積もりらしかった。
なんて無茶な。……だが、まりもは無茶でもなんでも、それで彼女達に信頼関係……とまではいかずとも、現状を打破できるだけの成長を求めたのだ。
月末には総戦技評価演習が控えている。今のままではB分隊の失格は目に見えている。だからこそ――今の日本に、世界に、互いに足を引っ張り合い、部隊として完成できないような甘ったれを養う余裕などないからこそ。
期間は一週間。その後の模擬戦闘演習でA分隊に勝利できなかったならば、B分隊は解散。即ち、彼女達は衛士訓練校から退学させられることとなる。……或いは、別の兵科への転属か。
千鶴は、慧は、冥夜は、壬姫は、美琴は――息を呑み、言葉を失った。
まりもが冗談を言っているのではないと知り、そして……自分達が置かれている状況を再認識して……。
そして、その日の晩から、共同生活が始まった。
訓練兵に宛がわれている部屋は一人部屋のためさして広い造りとはいえない。……その中に五人。年頃の少女が五人、押し込められるのである。
問題が起きないわけがない。平静でいられるわけがない。ベッドが一つなら洗面台も一つ。トイレも、浴室も、一つしかないその部屋に五人。
それはそれは賑やかで騒がしく、時に拳が飛び、時に罵詈雑言が舞い…………。
翌朝、茜達が見た彼女達は……あまりにもボロボロで、その壮絶さを悟らせるには十分だった。全員が露骨なまでに不機嫌全開で、ぴりぴりと神経質になっているらしく……迂闊に声も掛けられない。
これで本当に効果があるのかと不安に思った茜だが……一日、また一日と経過するうちに、険悪なだけだった彼女達にも若干変化が見られだした。
口やかましく言い争う千鶴と慧。時には冥夜さえ交えての口論。どちらかといえば成り行きを見守っていただけの壬姫や美琴も、口喧嘩染みたそれに混ざり、感情をぶつけ合う。
それは……驚嘆に値する光景だった。
晴子や多恵、薫こそそれを「面白い光景だ」と笑うが……しかし、彼女達だってわかっているだろう。
今まで、そんなことは一度もなかったのだ。彼女達が喧嘩をすることも、互いに罵りあうことも、或いは感情を曝け出すことも。
いつだって、互いにどこか線を引いていた彼女達が。
決して、その線を踏み越えようとしなかった彼女達が。
目の前で、盛大に、存分に――それを踏み越え、互いをぶつけ合っているその光景。
ああ。と納得した。
まりもが求めたことは「これ」なのだと理解できた。
そして相変わらずに姦しいくらいに喧しく。呆れるくらいに騒がしい共同生活は続く。毎朝、まるで戦場さながらに。喧々囂々と。彼女達は日々を重ね……そして五日。
「――と、まぁ回想はこのくらいにして」
「ハ?」
突然わけのわからないことを呟いた晴子に、茜は眉を寄せる。いーのいーの気にしない、と晴子は軽やかに笑った。
茜としてはなにがなんだサッパリだが、晴子の考えていることが碌なものだった試しもなく、深く追求するのはやめておいたほうが良さそうだと判断する。
「それで? 実際どうなのさ、共同生活は」
「……最悪よ。見てわからないの……?」
自身のトレイを空にした薫が、合成宇治茶を啜りながらに問えば、心底うんざりとした千鶴が皮肉気に笑って応える。末期だなぁ……と晴子が苦笑し、おろおろと亮子が慌てる。――が、
「え~? そうかなぁ。……最初はちょっと戸惑ったけど、ボクは楽しいけどなぁ。合宿みたいで」
「あ、私もそう思いますっ。やっぱり皆一緒に居ると楽しいですよ~~」
呑気に答えるのは美琴と壬姫。B分隊において比較的温和な性格をしている二人にはこれという実害はないらしい。のほほんとして、互いに笑い合い頷き合っている。
「ふむ。……確かに色々と面倒ごとはあるが……………………しかし、朝はもう少しゆっくりとしたいものだな」
しみじみと頷きながら冥夜。起床ラッパが鳴り、点呼を終えてからが酷いのだと、彼女は嘆くように語る。
冥夜と壬姫、千鶴は朝にシャワーを使用する。トイレと洗面台は当然ながら全員が使用する。素直に順番待ちが出来れば苦労はしない。とにかく、朝は時間が少ないのである。点呼の後に朝食。そして訓練。定められたスケジュールに間に合わせるためには、朝食までの十分が勝負だ。
その十分が、戦場なのである。
「あははははははっ。それで、今日は御剣と珠瀬が一緒にお風呂入ったんだ」
「そうだよー。それでね、御剣さんのおっぱ」 「珠瀬、その可愛らしい唇を縫い付けてやろうか?」
にっこりと煌くほどに微笑んだ冥夜に、壬姫が硬直する。小刻みに小さく震える彼女を見て、悶えるように晴子は笑った。間違いなく確信犯である。……あと亮子。そんな風に必死に堪えなくても、もう素直に笑っていいんじゃないだろうか。
「ん~、でも、イチバンおっぱいでっかいのはやっぱり彩峰ちゃんだよねぇ……。いいな~。私もやっとおっきくなったのに、全然敵わないもん」
「多恵…………あんたねぇ…………」
「御剣は色がきれい」 「んなっっ、あ、彩峰ェ!!??」
なんのことだ――。茜は頬を引き攣らせる。ここ数日、特に武がいなくなってからというもの、なんだか話の内容に制限がなくなってきたように思う。
女ばかりが十人も揃えば、必然的にそうなってしまうのかもしれないが…………だからといって、朝から大真面目にするような話でもなく。
視線を向ければ深く大きな溜息をつく千鶴。彼女の気苦労に同情しながらも、それでも矢張り、どこか成長しているのだとわかる。
(いつもなら、とっくに怒ってるわよね……)
だから、それが心地よい。この空気。喧しくも賑やかなこのひととき。彼女達五人の仲は……確実に、変わってきていた。
(安心していいよ、白銀……。あたしたちは、ちゃんとやってる)
「え? なんか言った、茜?」
「なーんにも」
ん、と首を傾げる晴子に、にっこりと晴れやかな笑みを向けて。
さあ、今日もまた一日が始まる。自分達が今できる精一杯を、全力でぶつけよう。いつか、武と再会できるその日のために。
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「甲20号目標の間引き作戦……ねぇ……」
「作戦の中核は大東亜連合軍が担うようですが、矢面には中国・韓国の混成部隊が立つようですな」
「ま、自分達の膝元に在るんだから、当然でしょ。……それで? わざわざこんなところまでそんなどうでもいい話しに来たわけ?」
ぎ、と椅子の背もたれを軋ませながらに、香月夕呼はどうでも良さそうに呟く。肩を竦め、城内省も意外に暇ねぇ、と嫌味を口にする。
夕呼と事務机を挟んで対峙するのはロングコートを羽織ったスーツ姿の中年男性。年季の入った帽子がこの上なく似合い、その着こなしは実に様になっている。
男は薄く笑みを浮かべたようで、夕呼は自身の嫌味などまるで堪えていないのだと知る。――当然だ。この程度、嫌味にもなりはしない。
「はっはっはっ。美人に嫌味を言われるのも、なかなか愉快なものですなぁ」
「――あっそ。用が済んだなら帰って頂戴。私はまだ仕事が残ってるの」
抑揚なく笑う男に、夕呼は眉をひそめ、不機嫌そうに口にする。飄々とした男。優秀な人材だが、扱いにくいことこの上ない。
「では、本題を。――香月博士、今回の間引き作戦に参加する部隊名に興味深いものを見つけまして……」
――ちっ。
忌々しげに、夕呼は舌打つ。それはとても小さなもので、表面上では、夕呼の表情は微塵たりとも変化していない。
だが、男はそんな彼女の内面を知ってか知らずか……掴んだ情報を口にする。
「国連太平洋第11方面軍横浜基地第9戦術機甲中隊……………………日本防衛の要としてこの横浜基地に配置されたかの戦乙女の部隊が、はてさて、一体どうしてこの作戦に参加するのか……」
「…………なにが言いたいわけ?」
「なにも。私はただ興味深いと申しただけです。……それとも、外部に知られるとまずいことでも在るのですかな? わざわざ秘密裏に大東亜連合を介さず、直接中国軍に部隊の参加を承諾させ、」
「黙りなさい」
饒舌に語る男に向けて、まるで射殺すような視線を向ける。とても女性が発するような殺気ではない。細い神経しか持たぬものならば、それだけで全身が怖気に震えるほどに。
……だが、男は小さく肩を竦めただけで、まるで気にした風もなく。
「おお、怖い怖い。そんなに眉を寄せては皺になりますよ。香月博士も若々しいとはいえ、いつまでも二十代の気分でいたのでは……」
ぬけぬけと語る男に、夕呼は疲労ばかり募らせる。いいかげんにして欲しかった。
喋るだけ喋ってスッキリしたのか、城内省の飼い犬はようやくに立ち去る素振りを見せた。
「……おお、そういえば」
「なによ、まだなんかあるわけ……」
背中を向けた男は振り返らぬままに、まるで今思い出しましたと言わんばかりの仕草を見せる。最早まともに相手する気にもならない……。
「風の噂ですが……なんでも、この世には今までの戦術機適性を覆す者もいるとか……いやはや、適性評価“A”を手書き修正するほどの才能とは、一体どのようなものなのか…………そういえば、この基地の訓練部隊から一人、突然に転属した訓練兵が居ましたな」
――この男は、本当に忌々しいッッ……。
「なんでもその訓練兵は早ければ六月には任官するそうで……おお、六月といえば、間引き作戦が実行されるのも六月末……」
「……………………」
「……どうやらお喋りが過ぎたようで。そろそろお暇しますよ」
「そうね。喋りすぎよ。自制の利かない犬はどうやって躾けるか……知ってる?」
さて、どうやるのですかな? 顔だけで振り向いた男が、愉快そうに尋ねる。
――決まってるじゃない。去勢するのよ。
「はっはっは。それは堪らない。……では、せいぜいちょん切られないように注意しましょう」
「いい心掛けね。……あまり八方美人が過ぎると、長くないわよ」
あくまでも飄々と。そして悠然と。男は部屋を後にする。高度なセキュリティで守られた夕呼の執務室に、いつの間にやら忍び込み、そして堂々と去っていく。
姿が見えなくなってもまだ、夕呼は男が立っていたその場所を睨みつける。
情報が漏れている。……今回のことは大した情報ではないが…………
(いや、あいつの存在が知られているのは少し厄介だわ……)
これは彼なりの忠告だろう。一体情報の出所がどこなのかは知らないが、城内省が調べられる程度には、どこかしら流れているということだ。
横浜基地がその運用を開始してから早三年。極東防衛の要にあり、帝国とも国連とも近しい立場に在るこの基地。或いは軍事力を商売にする大国との取引を望む輩が存在しているのか……。
「……下らない。地球が置かれている状況を想像もできないような愚図が、この基地にいるって? ……ふん、面白くないわ」
それが人間というものだと。そう知っていながらに。
夕呼は憤然と椅子に深く身体を預ける。ぎぃぎぃと軋む音を耳にしながら……それでも、自身は己の信ずる道を行くのだと。
手を伸ばし、通信機の受話器を取る。一秒とあけずにピアティフの明瞭な声。
「外部に内通しているヤツがいるわ。至急調べて頂戴。……ええ、わざわざ鎖の長い飼い犬が知らせてくれたわ。……えぇ、そう。そうして頂戴」
邪魔するものは――赦さない。
それが、夕呼のやり方だった。