『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:八章-04」
『前方500――光線級! 来ますッッ!!』
叫んだのは誰だったか。確認する暇もなく、機体が捩れるように回転する。――乱数回避。光線級の発するレーザーを如何にして回避するか、を念頭に設計されプログラミングされた戦術機の強制制御プログラム。
一般的に、光線級のレーザーの照射範囲にあり、その照射を視認した場合、衛士の力量、或いは光線級との距離も関係するだろうが……その大半において回避不能。まして完全に狙いを付けられた状態であれば、自力で回避することなど不可能に等しい。
故の自動制御である。
レーザー照射範囲におけるレーザー照射を如何に回避するか。センサーがレーザー照射を感知した瞬間……正確には光線級・重光線級といったレーザー属がその照射態勢をとった瞬間にランダムに回避を行う。自動制御中の衛士による操作は一切受け付けず、一定時間のランダム回避運動を終えるまで、とにかく無作為に戦場を飛び回るのだ。
――今のように。
「……っぐ、ぁッッ!!」
呼吸が詰まる。変動する重力荷重に脳が揺れる。蓄積された衛士強化装備のデータのおかげで肉体には左程の負荷は感じられないが、矢張り意図せぬ機動が引き起こすGは通常のそれよりも遥かに酷だ。
レーザーの回避成功率を上げるためとはいえ、連続して複数の光線級からの照射を受けたならば……恐らく、レーザーを喰らうその前に意識が飛んでしまうのではないか。
風間梼子は、ぐるぐると不規則に回転する機体の中で、埒もなく思う。……何を莫迦な。そんな状況に陥ってしまえば、恐らく十秒と生きていられまい。
回避成功率を上げると言うが……確かに、衛士自身の判断と操縦で回避するよりは幾分かマシであるにせよ、結局はその程度でしかない。……まして、自動制御のシーケンスが終わるまでは一切の操作を受け付けないと言うのだから。例えば回避する最中に、その軌道上に要撃級や突撃級が待ち構えていたならば、それを回避することさえ出来ない。
BETAは同士討ちをしない。というのは連中との闘争の歴史の中で証明されているが、レーザー照射範囲に光線級以外のBETAが存在しない道理はない。
レーザーを受けないというだけで、連中は確かにそこに居るのだ。
そう。――今のように。目の前にッ。
「っ、あ、アアアアッッ!!?」
左手で殴りつけるようにボタンを叩く! 乱数回避の強制解除。乱数回避プログラムを、唯一強制的に、衛士自身の判断で終了させることの出来るコマンド。
当たり前だ。常に回避運動を続けるだけのシステムなど愚の骨頂。回避中に一切の操作を受け付けない、ということ自体はシステム上仕方のないことだと目を瞑っても、それだけで生きていられるほど戦場は甘くない。だから、そのボタンはそのために用意されていた。
無論、乱数回避を解除した以上、再び自らの意思でシステムをオンにしない限りは――梼子は自身の操縦のみでレーザーを回避しなければならない。
「ぐっっ、はぁァァアアッッ!」
そんなことを気にしている余裕はなかった。乱数回避によって発生した慣性と遠心力に振り回されながら、それでも懸命に機体を制御する。制御しなければならないッ! 背部パイロンから突撃銃を取り、引き金を引くッ。照準も何もなくばら撒かれた120mm砲が、出鱈目に大地を穿ち……そして幸いにも軌道上に存在した要撃級の頭部らしき部位を弾け飛ばすッ。
更にはその後方にもう二体。梼子は覚悟を決める。いつまでも噴射跳躍を続けていたのでは光線級のいい的である。先ほどレーザー照射した個体とは別のそれが、既に照射態勢に入っているらしかった。
二体の要撃級。その間に割り込むように、内心で絶叫しながらに機体を捩じ込ませる。空を焼く閃光は自分には向いてこなかった――やっ、た……――だが、安堵してはいられない。BETAを盾にすべく着地したその場所だが、その二枚の盾は近接で相手取るにこの上なく厄介なのだから。
悪いことに、梼子はここに来るまでに長刀を失くしていた。思考する暇もない。ぶるりと震える全身を黙らせて――右腕の突撃砲が火を噴いた。唯一残された武器の内、要撃級にとって最も効果の高いそれを、あらん限りに放つ! 制圧支援というポジションにいる自分が、二体のBETAに接近戦を挑む……笑えない冗談だと、漠然と死を覚悟したそのとき――
『死ィねぇぇぇぇえええええっッッ!!』
通信機越しに飛び込んできた咆哮に……梼子は操縦桿を握る腕に力を込めた。――来てくれた。ならば、今はとにかく目の前の一体を斃す!
『――梼子ッ、無事か!?』
「美冴さんっ……!」
網膜投影ディスプレイには険しい表情ながらにこちらの身を案じてくれる先任少尉の顔。同じA小隊の強襲前衛を務める宗像美冴に、梼子は精一杯に強がって頷いてみせる。
その梼子に、いつものようにニヒルな笑みを浮かべて、美冴は単機で突撃していった本田真紀を追い、二体の要撃級を沈黙させる。
『トーコッ、生きてるかッ?』
「生きてますよ。……ありがとう、真紀さん、美冴さん」
女性らしからぬ咆哮と共に現れ、梼子の窮地を救ってくれた同期に、心底から礼を述べる。突撃前衛――即ちB小隊のナンバースリーである彼女は、こと突進力だけで比較するならば小隊内で随一の実力を誇る。先ほどのレーザー照射で分断された中、一番近くにいた美冴と合流し、梼子の窮地を察してくれ、救援に来てくれたのだった。
『よし――真紀、梼子。一度後退する。どうやら木野下中尉も残りの連中と共に下がっているようだからな』
合流し、態勢を立て直す。少尉階級である三人の中では、一期上とはいえ、先任である美冴が権限を持つ。彼女の能力を信頼している梼子と真紀は了解の意を告げ、三機の不知火は全速で後退を開始した。
いつまた光線級のレーザー照射があるかわからないのだ。支援砲撃が望めない現状、とにかく今は逃げるしかない。
そうして、静寂と化した管制ユニットから外へ出ると、全身を包んでいた熱気が霧散するのを感じた。
額に浮かぶ汗を拭う。強化装備によって体温調節されていると言っても、それでも火照る身体はどうしようもない。こと戦闘中は精神からして昂揚しているのだ。肉体がそれに従うのは道理だった。
ズラリと並ぶシミュレーターから、同じように現れては、矢張り同様に大気の涼しさに表情を緩める女性たち。かけがえのない仲間。A-01中隊のメンバーの姿がそこに在った。
「中隊集合!」
呼ぶ声に気を引き締める。副隊長の木野下中尉は既にシミュレーターから降りていて、戦域管制官である涼宮遙と共に立っていた。
駆けるようにタラップを降り、木野下の前に整列する。この場で訓練内容の評価を行い、続けての訓練に反映するのだ。本来ならば中隊長である伊隅大尉の役割だが、副司令直々の特殊任務に就いている彼女に代わり、木野下が臨時に指揮を執っているのである。
A-01第9中隊。CPである涼宮中尉を合わせて現在12名で編成されるその部隊。構成する衛士が偶然にも女性だけであったことから、通称をヴァルキリーズとも言う。
ずらりと居並ぶ十名の視線を前に、木野下は実に勇壮に見えた。通常、副隊長とは即ち部隊のナンバーツー……衛士としての実力、判断力、指揮統率力を兼ね備え、隊長に次ぐ階級を持つものが就く。それに倣うならば、確かに木野下は名実共に部隊のナンバーツーであり、口は軽く冗談も言うが、信頼できる上官であった。
だが、通常であれば突撃前衛長も兼ねる立場にあって、しかし木野下はB小隊ではなくC小隊の指揮を執る。それは、昨年、部隊を編成するに当たって決められたものらしく……木野下本人が近接格闘能力、技能において“彼女”に劣るのだからと正式に辞退を申し出たのだとか。
――速瀬水月中尉。
部隊内で飛びぬけた近接格闘能力を持ち、その豪胆なまでの判断力、不遜なほどの実行力。男性顔負けの胆力と精神力を持つ、それはそれは恐ろしいくらいの覇気に満ちた人物である。
CP将校の涼宮中尉とは同期であるとか。彼女の戦域管制能力もずば抜けて高い。共に信頼でき、尊敬すべき先達である。
やがてブリーフィングも終わり、訓練が再開される。各自シミュレーターへと走り、疲労の抜けきらぬ身体を叱咤しながら、再び戦場へと舞い戻るのだ。
来月末日から翌七月にかけて行われるハイヴ内BETA間引き作戦。甲20号目標を対象に実行されるその作戦に、彼女達は参加することが決まっている。
副司令直属の特殊任務部隊である彼女達は、香月夕呼の思惑一つでありとあらゆる作戦に参加し、彼女の求める成果を上げなければならない。だが、その任務が容易であったためしはなく、また、今回の作戦も「間引き」作戦ではあるが、恐らく、最前線に近いその場所を駆け巡ることになるのだろう。
ハイヴに近い場所ほどBETAの物量は極端に跳ね上がる。だからこそ、シミュレーターはその対物量戦を想定した設定で行われる。先の戦闘では戦死五名。作戦時間内に目標殲滅数に到達することは出来ずに作戦失敗。
――失敗は絶対に活かす。
そのための訓練だ。機体も人員も損失することなく行えるシミュレーター訓練だからこそ実現できる反復訓練に、だからこそ実戦そのものとして挑むのだった。
===
A-01部隊がPXを使用する時間帯は、PX内に他の部隊員および基地職員は存在しない。これは単純にPXの混雑を避けるべく、部隊ごとに使用時間が定められているためだが、こと彼女達が使用するその時間帯は、一切の他者が排されている。
彼女達はその存在を秘匿されている。
A-01という名の部隊……即ちA-01第9戦術機甲中隊という部隊自体は公式に横浜基地所属の戦術機甲部隊として登録されており、基地内で職務に励む者たちの中で、その名を全くに知らない、という者はいないだろう。……だが、それはあくまで“そのような部隊が存在する”ということを知識として知っているだけであり、例えばその部隊が副司令直属の特殊任務部隊であることやその任務内容について把握している、ということではない。
或いは、戦場で彼女達と共に戦ったことのある者はヴァルキリーズの通称を口にするだろう。……だが、その彼らとて、矢張り彼女達の存在の本質を知ることはない。
部隊を構成する人物の名前に代表される個人情報から軍人としての経歴等は、全てにおいて秘匿され、機密扱いとなっていた。また、基地職員の中で彼女達の存在を知るものでも、その者は自分が知っている彼女がA-01部隊に所属しているということを知ることはないのだ。
例えば、こうしてPXで料理を作り職員に振舞ってくれる“食堂のおばちゃん”たちは、彼女達の名前も顔も好き嫌いも知っているが……彼女達が一体どの部隊に属する衛士で、どのような任務に就いているのかは全く知らないのである。
「おばちゃ~~んっ、勘弁してよぉ~~。前から言ってるじゃん、アタシ合成人参だけはだめなんだってばぁあ~っ」
「やっかましい! あんたそんなこと言っているからいつまで経ってもお通じが悪いんだよ。ホラ、今日だって特別に細~く切ってやってるんだから、さっさと喰っちまいな!」
故に、このようにお構い無しなのだった。
尤も、この横浜基地において食堂のおばちゃんに勝てるものなど存在せず……そもそも、毎日の厳しい訓練・任務を乗り越えるために必要不可欠な栄養と食の娯楽を提供してくれる彼女達に、頭の上がる者など居ようはずもなく。ために、本田真紀はがっくりと項垂れながらも泣く泣く今日の食事を受け取るのだった。
「うぇえ、見ろよこのオレンジ色……。いくらなんでも盛り過ぎだって……」
「ぶつくさ文句言ってんじゃないよっ。あんた衛士だろ?!」
思い切り眉をひそめてげんなりと漏らす真紀の背中に、ばしり、とおばちゃんの平手が決まる。げほごほと咽るように、真紀はしぶしぶ自席に着いた。そこには既に席に着いていた同期の姿。最後までおばちゃんに抗議し続けていた真紀だけが遅れてやってきたのだった。
「真紀、いい加減好き嫌いなくしなよ……」
「そうですよ。……このご時勢、日に三度の食事を欠かすことなく食べられること自体、感謝しなくてはならないのに……」
「腹いっぱい喰うのも、軍人としての義務、ってな」
ともすれば涙混じりに溜息をつく真紀に、毛先が内側にカールしている高梨旭が嗜めるように言う。旭に頷きながらの梼子の言葉に、上川志乃がニヤニヤと笑いながら諭す。
隣接する三人からほぼ同時に「いいから喰え」とまでに見詰められ、真紀はしおしおと合成人参に箸をのばす。口に入れた途端、言葉にならない声をあげて悶える彼女を見て、少女達六人は大いに笑った。
「ひ、ひでーよぅ。なんだよ~、みんなしてさぁ。ケーコだってアキだって嫌いなもんくらいあるだろーっ?!」
涙目で叫ぶように真紀。この場にいるメンバーの中で特に大笑いしていた二人に向かって箸を突きつけ……行儀が悪いと梼子に手を叩かれていた。が、そんなことでめげた様子もなく、ぬぬぬ、と鼻息も荒く件の人物達を睨みつけること数秒。
「あら。一体私が嫌いな食べ物とはなんのことでしょう? お魚からお野菜、果てはお肉にいたるまで……一切何一つとして苦手なものなんてございませんわよ」
ほほほ、と口元に手を添えて微笑するのは古河慶子。日本人形よろしく前髪を切りそろえ、真っ直ぐに伸びた黒髪が艶やかだ。普通に座っている分には完全なるお嬢様なのだが、口を開けば誰にでも知れる似非お嬢様である。
「んー、まぁ慶子の場合納豆が駄目だよね。納豆。匂いがネバネバがぁ~っってこないだ叫んでたじゃん」
「亜季さんっ!? う、裏切りですわよっ!?」
真紀に対し高飛車に笑っていた慶子だが、すぐ隣りの岡野亜季の指摘にぎょっと反応する。しかも“こないだ”とは三年以上前の話なのだが、当時を思い出した面々は「ああ」と頷いてはにまにまと笑い、真紀もまた、ほらみろとばかりに偉そうに腰に手を当てている。
……だからといって真紀が人参を食べなくてもいいという理由にはならないのだが……案の定、ふんぞり返っていた彼女は梼子によって、口の中に強制的に詰め込まれることとなった。
「まあそれはともかく。いいかげん検証に入ろうじゃない」
ごちそうさま、と箸を揃えるのは篠山藍子。目元にあるほくろが特徴的で、下がった目尻と相まって柔和で艶美的な印象を受ける。周りの六人全員がまだ半分も食べていないというのに既に完食し、ナプキンで口元を拭っていた。
相変わらずの早食いに、彼女に次いで食べ終わるのが早い梼子も、思わず言葉をなくす。二人共に外見に似合わぬ食べっぷりなのだが、こと藍子においては異常なまでのスピードだ。……呑んでいるとしか思えない。
「……おまえさ、少しは噛んで喰えよ……」
「失礼ね。ちゃんと噛んでるわよ」
志乃が“うぇえ”と眉をひそめるが、藍子は、む、と表情を顰めるだけだ。場に流れた微妙な空気を振り払うように、彼女達のリーダー的存在でもある旭が一つ咳払い。
「ん、じゃ、まぁ……とりあえず食べながらでもいいからさ。始めよっか」
苦笑しつつ、旭が言う。藍子以外の面々もしょうがないとばかりに首肯し、彼女達による検証会は始められた。
題目は本日の訓練について。
甲20号目標における間引き作戦を想定したシミュレーター訓練の内容自体は都度行われた訓練評価でそれぞれに課題が明確となっているが、それはあくまで部隊としての評価である。つまり、彼女達は未だ先任の足を引っ張っている感のある自分達一人ひとりの技術面や状況判断について検証を行おうというのである。
……本来なら食事を終えた時点で、ということだったのだが……それもまたよし、と七人の少女達は各々思うところを口にする。
「やっぱり、支援砲撃なしでBETAを殲滅することが辛いな……。突撃級だけの先発群だけならまだやりようはあるんだけど、そこに要撃級や戦車級が混ざり出すと……」
「あ。それ同感。ハヤセ中尉が問答無用で吶喊してるからヤケクソでついていってるけどさ……あれ、正直かなりしんどいんだよなぁ……」
真っ先に口を開いたのはB小隊の二人。腕を組んで唸るように言う志乃に、真紀が同意する。
訓練において、支援砲撃が間に合わないという状況を想定しての戦闘も数回行われた。実際の戦場でも一部隊専用の支援砲撃などあるはずもなく、戦況によっては矢張り支援砲撃なしで戦わなければならないことも十二分に在り得る。更に言えば、今回はハイヴに接近しての間引き作戦だ。大部隊を導入しての作戦となることは必至であり、十分な面制圧を成すために大東亜連合艦隊もそれなりの展開を見せるだろう。……だが、それでも混戦となることは想像に難くなく……故に、支援砲撃を受けられない可能性は高い。
無論、A-01部隊に限った話ではないが、常に最悪の状況を想定し、それに対応する思考を持ち合わせることもまた重要な訓練といえる。
まして、実際の戦闘でそのような状況に陥った時、訓練でそれを切り抜けられなくて、一体どうして実戦で切り抜けることができるというのか。……だからこそ、今日の訓練で行われたそれを完璧にこなせないでいた志乃と真紀は難しい顔をするのである。
「別に、速瀬中尉は問答無用ってわけじゃないと思いますけど……。あの方は一見して豪放で豪胆で豪快ですけれど、後ろから見ていると実に合理的に戦況を判断していると思いますわ」
「言うねぇ慶子……。ん~、でも。確かにそう思うな。わたしも今日見てて感じたけど、あの人が突っ込んでる場所って、巧い具合にBETA同士の死角を取ってるっていうかさ……」
「ああ、言われるとそうですね……。要撃級の群れに飛び込んだとしても、ちゃんと退避する場所は確保してますし……混戦になっても的確な状況判断を下していると思います」
投げやりに言う真紀に、慶子が呆れたように訂正する。この場に水月がいないのをいいことに言いたい放題な彼女達に亜季は苦笑しながら、自身も中衛としての意見を述べる。それに続く形で梼子も頷き……突撃前衛長である水月は一見なにも考えていないようで実はよく考えている、という酷く乱暴な結論に達する。
「……なんで中尉の評価になってんだ?」
「真紀がへんなこと言うからでしょう……」
志乃が真剣に首をかしげ、藍子が溜息をつく。照れたように笑う真紀に慶子が白けた視線を投げて、旭が再び咳払いを一つ。
「あのね。話し進んでないから。……志乃と真紀は速瀬中尉の動きを参考にしてみればいいかもね」
「うん、そうだな。……正直中尉についていくのがやっとだけど……あの人が切り拓いた道、っていうのは実際に凄く動き易いし戦い易いんだ。……周囲の状況を把握して、瞬時にそれらを取捨選択することで最善を導き出す、って感じか?」
「うげぇ、アタシ考えるの苦手なんだよ……」
「そんなのわかってますわよ。単細胞なんだから、深く考えずに身体で覚えなさいな」
まとめを簡潔に述べる旭に、志乃が首肯する。既に脳内では今日の訓練内容がシミュレートされているらしく、腕を組んだまま眼を閉じ、うんうん唸っている。
正面で志乃が難しい表情を浮かべているのを見て、真紀はげんなりと肩を落とす。落ち込むような彼女に、冷ややかに慶子が笑い、「なにおう」と真紀は立ち上がった。
「はいはい喧嘩しない。身体で覚える、ってのは賛成だよ。混戦の中で一々頭で考えてちゃ行動に追いつかないし、常時冷静な思考が出来る保証もないわけでしょ? なら、ひたすらに身体に覚えさせるしかないよ」
「……そうですね。少し話は変わりますけど……光線級の集団にレーザーの一斉照射をされた時は、思考する暇なんてなかったですから……」
憮然とする真紀を宥めつつ、亜季は慶子に同意する。その言を受けて、梼子は今日の訓練の中で最も緊張を強いられた瞬間を思い出す。
苦々しく呟いた梼子に、全員が同じような表情をする。一瞬流れた沈黙が、彼女達の内情を物語っていた。
「確かに……あの光線級にはやられたわね。乱数回避があるといっても、万全ではないし……」
「レーザーはどうしようもないな……喰らったら終わり、回避も難しい……。ALMにも限りはあるし、なにより……接近するためには間に立ち塞がる脅威を取り除かないといけない……」
忌々しいとばかりに藍子も呟き、旭も難しい顔をする。
制圧支援である藍子は基本装備である92式多目的自立誘導弾システムの弾頭をALMに換装して訓練に臨んでいた。支援砲撃が望めない可能性を考慮した結果である。同じ制圧支援である梼子は通常の自律制御型多目的ミサイルを選択し、作戦に幅を持たせていた。
戦術機が搭載できるALMだけでは十分な重金属雲の発生が望めず、あくまでもそれは「ないよりはマシ」という程度。後方からの援護を受けつつ吶喊する突撃前衛や、旭のように強襲前衛として隊内の中堅を任されている者にとって非常にシビアな状況といえる。
無論、脅威は光線級だけではない。だが、戦場において光線級が存在するのとしないのとでは、比較するのも莫迦らしく思えるほどに状況の困難さは増す。
「でも、トーコは乱数回避切っただろ? 回避方向にいた要撃級二体の間に滑り込むなんて、相当な冷静さがいるんじゃない?」
珍しく真面目に真紀が切り出す。梼子が言う思考する暇もなかった場面に居合わせた真紀としては、あの時の梼子の判断はとても優れていると感じられるのだ。光線級のレーザー照射から逃れるため、なにより回避軌道上に存在した要撃級を避けるために乱数回避を解除する。その判断を下し、行動に移すためには相応の冷静さと集中力が必要とされるだろう。
その指摘を受けて梼子は考えるようにそのときを思い出すが……如何せん、記憶にあるのはとにかく必死だったという感覚のみ。どのような思考的プロセスを経て乱数回避を解除するに到ったのかは、彼女自身わからなかった。
「ふぅん……それこそ、身体が動いた、ってやつかな」
「センスがいいということかしら? 確かに、梼子さんは私たちの中でも高い適性値をお持ちですもの」
志乃が顎に手を添えて頷く。慶子も小さく首を傾げながら納得したというように。
優秀な衛士としての直感が、反射的に梼子にその判断をさせたのだという解釈だ。梼子自身にその実感はないが、どうやら周囲の彼女達から見れば、そういうことになるらしかった。
「光線級も厄介だけど……それでもやっぱり厄介なのは、数でしょ」
「ん~…………まぁ、そうだよなぁ」
顰め面をして言うのは亜季。つられたように真紀も顔を顰める。その二人に旭はふむと頷いて、志乃も梼子も同意を示す。
先ほどの光線級の一群をどうにかやり過ごした後のことだ。その局面では光線級の前方には他種のBETAは数えるほどしか存在せず……故に光線級の独壇場とばかりにレーザー照射が雨のように撃たれまくったわけだが、それでも、エネルギー切れを待つという手段をしてなんとか仕留めることも出来た。
無論のこと、一人も欠けることなく、というわけにはいかなかったのだが……亜季が言うのはその後に遭遇した数千規模の大群のことである。
「……へぇ、そんなことがあったんだ」
「残念ながらその時は私も藍子さんも、レーザに焼かれてしまいましたから……」
光線級を殲滅するにあたり、前衛ではなく後方に位置していた二人がやられている、というのが実に印象的だった。真っ先に撃墜されそうな突撃前衛小隊はその卓越した操縦技術で、乱数回避に振り回されながらもどうにか光線級に接近することに成功していたし、同じC小隊の旭は数え切れないほどの冷や汗を掻きはしたが、どうにか無事でいられた。
周囲のものと比較して、どうやら藍子と慶子の二人は足が遅いようだというのが、木野下からの評価でわかっている。部隊が密集した状態、或いは小隊単位で行動する場合には大した欠点ではないのだが、今回のように開けた場所で各自散開した状況において、それは致命的だということが判明したのである。ために、二人は制圧支援、打撃支援というポジションながらも、強襲前衛、或いは強襲掃討並みの機動を実現することを課題とした。
無論、彼女達の間に目に余るほどの格差はない。……だが、ほんの僅かなそれによって、正に生死が別れたのだ。二人とも、いい教訓だと考えているし、次の訓練では務めて機敏に動いてもいた。
さて、そうした彼女達の戦死の後に遭遇したBETA群だが……これが実に圧倒的だった。
単純に突撃級だけを見ても一度に殲滅することは難しく、その大半をやり過ごして、後方に続く要撃級・戦車級をとにかく手当たり次第に討ち取るしかなかった。戦闘開始からかなりの時間が経過していたことも相まって、弾薬が尽きた者もいれば長刀の耐久度が限界に達した者もいた。また、物量で押されているためにどうしても後退しながらの戦闘となる。更にはやり過ごした突撃級の一部が旋回して突っ込んできたり……と、実に不毛で不利な状況に陥ったのだ。
「あれで光線級が健在だったらと思うと、……ゾッとするな」
「ゾッとするだけで済まないって。仕舞いには要塞級まで出てきたじゃん」
怖いことを言う志乃に真紀は肩を竦め、自身が撃墜されることとなった恐ろしき要塞級の衝角を思い出す。喰らったのは脚部だが、吹き飛ばされた機体をどうすることもできず、要撃級に叩き潰されたのである。ただでさえ密集したBETAの集団の中で逃げ回ることは困難だというのに、要撃級や戦車級の動きに関係なく……そして実に厭らしい連携をみせる要塞級は手に負えない。
現在の真紀にはその攻撃を避ける術はなく、例え回避に成功しても、それは単純に運の問題だと自身は考えていた。同じB小隊で、同期の中では一番の機動力を見せる志乃でさえ要塞級が出現した途端、動きにキレがなくなっている。刷り込みに近い苦手意識、或いは恐怖が染み付いているのだ。支援砲撃の有無に関係なく、彼女達は更なるレベルアップが望まれている。
「補給さえままならない状況というのは……矢張り生きた心地がしませんね。気ばかり焦ってしまって、まともに戦えませんでした……」
「逃げるのが精一杯、っていうのが本音だったし。……木野下中尉と速瀬中尉がいなかったら、離脱すら出来なかっただろうね……」
消沈したように呟くのは梼子。光線級のレーザー照射を回避する最中に長刀を失い、以後は突撃砲と短刀のみで戦っていた彼女だが、弾丸が尽き、接近戦を余儀なくされた時点で思考が後ろ向きなものとなり……結果として、要撃級数体の包囲網を突破できずに潰されてしまったのだ。
旭が慰めるように言うが、彼女自身梼子の気持ちはよくわかっている。亀裂の入った長刀一本に短刀二本。残弾数が減るにしたがって精神的な余裕がなくなり、不必要に回避運動が大きなものとなっていた。周囲を囲まれた状況で、大きな回避運動を取れば……当然として、どこに行っても敵にぶつかる。その窮地を救ってくれた木野下や、退避路を開いてくれた水月に一期上の宗像美冴少尉がいなければ、間違いなく旭も戦死していただろう。
「わたしはそれで安心しちゃったなぁ……。そんなつもりはなかったのに、気づいたら要塞級に踏まれてたし……。何が起こったのか理解したのは、やられた後だった」
乾いた笑いを浮かべて、亜季。水月と美冴が開いた退避路に安堵し、ほんの一瞬、「これで助かる」と思ってしまった瞬間のことだった。その光景を目撃してしまった志乃が悔しげに表情を曇らせるが、亜季は彼女に首を振る。
「志乃っちのせいじゃないって。あれは完全にわたしのミス。真紀がやられたの、見てたはずなのに……どうしてか気が抜けちゃってさ」
そんなつもりはなかった、と亜季は言った。だが、事実として彼女は緊張の糸が緩んでしまい、自身が置かれている状況を見失ってしまったのだ。これもまた、一瞬の油断が命取りとなるという戦場の鉄則を彷彿とさせるものだった。
総合的に評価して、全員が少なくない問題点を抱えているということになる。
木野下の評価と大した違いはないが、四年の訓練期間を共に過ごした同期だからこそ見えたものもある。
彼女達が任官してもうじき一年が経過しようとしていた。十二名だった同期も、既に五人喪っている。……先に散って逝った仲間達のためにも、生き延びた彼女達は精一杯に、そして我武者羅に。戦い、生き続けなければならない。
「……よし、それじゃ各自の課題もより明確になったところで、」
「ぅあ?! 飯喰ってないよメシ!!」
「…………ぁー……そういえば、そうだったな」
ぱん、と旭が手を叩いて締めようとしたそのとき、真紀がハッとして自身の目の前に並んだ皿を覗き込む。志乃もまた、しまったというように眉をひそめ、すっかり冷めてしまった合成カレーをつつく。
食事しながら、ということだったはずだが……どうやら検証に夢中で食べることを失念していた様子である。
「……なんで梼子の皿は空になってんの?」
「…………聞かないほうがよろしいのではなくて?」
「なっ……?! わ、私は別にッ……」
亜季が隣りの梼子の皿を見て呟く。わざわざ尋ねることもあるまい、と慶子が首を横に振り……梼子は、薄っすらと頬を染めてうろたえる。
「料理は美味しい内に食べるのが礼儀でしょ。梼子はなんにも気にすることないわよ」
「藍子が言うと説得力ないねぇ……はぁ~あ。んじゃ、さくっと食べちゃって、解散ということで」
満足げに、そして同胞を讃えるような藍子に、旭は溜息をつきながらも、かつての分隊長としての役割を果たす。
その言葉に残る四人が同意して、全員が食事を終えた後、彼女達はそれぞれ自室に戻っていった。
未だ経験の無い大規模な作戦を前にして、少女達は緊張と、同等の意欲を以って臨む。
残り一ヶ月。決して余裕があるわけではない。……だからこそ、日々の訓練で得たものを確実に自身のものとするために努力を重ねる。出来ることをやる。
それが衛士としての義務だと。彼女達は知っているために……。
===
「……と、まあ。実に可愛らしいことをやっていたわけですが、」
「ですが、って。宗像……なによその顔は……」
「いえいえ。別に何も。速瀬中尉が部下達にどう思われているかがわかって愉快だなんて、決して思っていませんから」
「しれっと言ってんじゃないわよっ!」
PXの出入り口はひとつというわけではない。ぞろぞろと連れ立って出て行った少女達とは別のその場所に、隠れるように立っていた三人の内、美冴がにやりと口端を吊り上げる。
その美冴の言葉にこめかみをひくつかせて吠えるのは水月。真紀をして問答無用と言わしめ、慶子をして豪放で豪胆で豪快と言わしめる御方である。突撃前衛長というポジションにいる以上、常に部隊を引っ張っていく立場にあり、最も過酷な状況に立たされる頻度も高い。ならばこそ余計でも強気であらねばならず、どのような場面でも自信に満ち溢れていなければならないのだが……。
それが可愛い部下から、彼女自身がそう見せているためとはいえ、正にそのとおりを言われてしまうといい意味で腹が立つのである。まして、美冴はそれを承知でからかっているから性質が悪い。
「まぁまぁ、水月はそれだけ人気者ってことだよ。それに、古河少尉も岡野少尉も、ちゃんと水月のこと見ててくれてるじゃない」
「ん~~~っ、それはそれで、なんかムカツク」
美冴に掴みかからんばかりの水月を、同期であり、親友でもある遙が宥める。どうどうと背中を撫でられて、一体自分は猛獣か何かなのかと埒もなく考えてしまった水月だが、遙に言われるまでもなく、彼女達が……まだまだ必死な面もあるとはいえ、戦場における視野に広がりを見せはじめていることや、技術的な面でも成長を見せていることは承知している。
曲がりなりにも小隊長を任されている身分である。部下を持った当初こそ、その命を負うことにプレッシャーを感じ、押し潰されそうになったこともあったが、今ではそれはよい経験だと考えるようにしている。
事実、水月は部下を二人喪っていた。当時はCP将校である遙を除いて十六名の変則三小隊編成だったA-01部隊。A小隊からは一名、C小隊から二名の戦死者を出し……そして、残された七人。残された自分達。
己の力があと少し足りていれば……あと少しだけ高みに届いていれば……。
そう後悔したことは果たして幾度あっただろうか。水月だけではない。既に同期の全員を喪っている美冴とて、己の無力に嘆いたこともあった。
だが、彼女達は繰り返される戦場で知ったのだ。後悔は何も生みはしない。嘆くだけではどうにもならない。
生き延びた者の責任。意味。義務。……それらを考えた時、彼女達は蹲ることをやめた。しっかりと立ち上がり、前へ進む。
足りない、届かない点は徹底的に洗い出し、訓練を繰り返す。乗り越える。ただひたすらに自身を鍛え上げ、一人でも多くの仲間を救うために、一分一秒でも長く行き続けるために。
そうやって自身が成長してきたように……彼女達もまた、成長しているのだとわかる。
わかる……の、だが。
「しかし中尉、事実として……特に古河にああまで言われているわけですから、もう少しお淑やかさを表面に出しては如何です?」
「宗像ァ……あんたは、どうしてそう余計なことばかり言うのかしらねぇ……」
「余計だなんてとんでもない。私はただ、男勝りな中尉の今後を心配して……ああ、そういえば中尉には年下の恋人がいるんでしたね」
梼子たちより一足先に成長を遂げたはずの美冴を見れば溜息の一つもつきたくなるし……なにより、彼女は口が減らない。任官してからずっと続けられ、最早ライフワークと化している“水月いじり”には正直呆れるほどだ。
一々反応していたのではきりがないのだが、どうしてか水月の心理を巧みに突いて来る美冴に、今日もまた乗せられてしまうのである。
「宗像ァア!?」
ぴゅう、と逃げる美冴を追撃すべく、水月も駆ける。
「水月ー、宗像少尉ー。ご飯はもらっておくから、ほどほどにねー」
のほほんとそう言って。カウンターには軽快に笑うおばちゃんの姿。元気なことはいいことだと笑う彼女に遙も同意する。
無人のPXを駆け回る二人を、まるで仲の良い姉妹のようだと……遙は微笑んで見守るのだった。