『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:九章-03」
天と地の境界が曖昧になる。果たして、そんなモノが存在していたのかどうかさえ薄れるほどに。目まぐるしく変動し入れ替わる景観に内臓器官が反吐を吐き脳髄がシェイクされる錯覚。
否。
事実として、それはミキサーにかけられた果実のように猛回転し炸裂しギュルギュルと在り得ない駆動音を響かせて驀進していた。
およそ戦術機の機動ではない。
例えるならば直進するバレルロール。……いや、矢張りそれはバレルロールそのものと言っていいかも知れない。
機体を押し潰す重力と、吹き飛ばそうとする遠心力。更には全力で火焔を噴く跳躍ユニットの推進力。緩やかに回転方向へ軌道をとりながら、吹雪は“目”を正面にして突き進む台風の如くに無茶苦茶な回転運動を続けていた。
最早それは戦術機という戦闘兵器を操縦する概念からかけ離れた機動であり。そもそも、それは本当に意図した操縦の結果なのかと疑いたくなるほどに人畜有害で……戦略上、デメリットしか生み出さないように見える。
簡単に言ってしまえば、スロットル全開の匍匐飛行中、機体を転倒する寸前までに傾けて……腕を、或いは長刀を振るうことで機体そのものを軸とした回転運動を行い――後は跳躍ユニットの推力で「前進」と「旋回」を行うという機動だった。
単なる思い付きから浮かんだ機動だったのだが……存外にこれが洒落にならなかった。
既に管制ユニット内の衛士は呻き声すらあげることが出来ずに……バイタルは目に見えてフラットに近づいていく。数瞬後には機体の制御など不能になり、空を切り裂いて進む螺子の弾頭と化した吹雪は、地面を抉りながらに墜落するだろう。
遠隔より管制ユニット内の状況や機体の様子をモニターしていたみちると数人の整備班は顔色を真っ青にして小さく息を呑んだ。
「莫迦者ッ! はやく減速しろッッ!!」
叫ぶように通信機に怒鳴りつける。猛威を振るう遠心力に吹き飛ばされることのないよう、必死に操縦桿を握り締める少年の姿。こちらの声が聞こえているのかさえ怪しい。顔色を青ざめながらに、何かを必死で堪えているように。
『………………ッ、ァ、…………ガッッ、、、、!!』
「!?」
「吹雪、減速します――!」
叫ぶことさえできないのだろう。空恐ろしいほどの形相をして、渾身の力を込めて操縦桿を引き戻している。或いは、同時に跳躍ユニットを操作――旋回を続けながらに落下しようとする機体を、それでも墜落させないよう、制御しなければならない。
このとき、機体が高重心であることが裏目に出た。機体重量が集中している肩部の方が、推力が弱まったせいで地面へと近づいているのだ。横向きに錐揉みしながら滑空する機体は、操縦者の奮闘空しく……盛大な轟音と土煙を巻き上げながらに………………。
「ぅぅうげぇぇええええええっぇぇぇえっ!」
頭部と両腕、腰部に両脚部の小破。各関節の総点検、或いは交換も必要だろう。地面を抉りながらにそれでも回転し続けた結果である。
幸いにも肩部シールドのおかげで管制ユニットは無事。土にまみれボロボロになった機体から、操縦者が文字通り這いずり出て来たときは、駆けつけた全員がほっと胸を撫で下ろしたのだが……まるで地面に引かれるように転落した彼は、そのまま胃の中身をぶちまけていた。
みちるは表情を強張らせながらに全力で駆け寄った。――加速度病。戦術機が引き起こす振動……こと今回のケースで言えば通常では発生し得ない遠心加速度によって内耳にある三半規管が極度に混乱したのだろう。うつぶせの状態で嘔吐を続ける彼を、すぐさま仰向けて口内から吐瀉物を掻き出す。
後方から追いついてきた佐久間に衛生班を呼ぶよう指示して、みちるは冷静に容態を確認した。発汗が激しい。嘔吐はどうやら治まったようだが、脱水症状を起こしている可能性が高い。がくがくと小さく痙攣する指先。失神したまま呻くように喘いでいる。
一般の衛士と比較して、三半規管の機能が優れている彼が、これほどまでにボロボロになっている事実。……彼が行った機動が、どれほどに在り得ないかがよくわかる。
彼と整備班たっての希望から行われた新しい戦術機機動の実験。
どうやら彼が日頃から行おうとしていた戦術機による剣術の再現にあたり、試行錯誤を重ねていることはみちるも承知していた。
さながら戦場を駆け巡る独楽のような螺旋機動。地面に対して垂直に軸を置き、長刀を振り抜いたことで発生する慣性と膝の捻転による連続した旋回運動。その実現に当たって、彼が行った操縦方法では膝関節部に過度の負荷が生じていることが判明した。
次に彼が考えたのは高重心の機体を前傾させ、機体そのものに働く物理法則を利用しての旋回運動。膝を酷使ししての捻転ではなく、より戦術機に特化した機動方法といえるだろう。最初こそ転倒し、方向制御を失敗し、と思うようにこなせていなかったが、それも数日繰り返す内に様になってきていた。彼独特の剣術もさることながら、その傾斜したままに旋回を続ける螺旋の剣は……目の当たりにしたみちるをして感嘆せしめるに相応しいものだった。
聞けば、彼の扱う剣術は、前線で戦い抜いた斯衛の衛士が、圧倒的物量で迫り来るBETAを相手取り屠るために考案、開発したものなのだという。――ならばその威力は推して知るべし。BETAを相手のシミュレーター訓練はまだ行っていないが、仮想敵を相手に繰り出されるその機動・攻撃は想像以上の戦果を挙げている。戦場で、十分に通用する剣術だと思えた。
……そして、ある程度その機動…………彼の言う「月詠の剣術」をものとし始めた頃、突然に彼が言い出したのだ。
――実は試してみたい機動があるんです。
それを思いついたのは単純に面白そうだという発想からだったという。整備班の佐久間に戦術機の構造や特性について享受した際にふと思いつき、いつかやってみたいと考えていたらしい。
変則的な戦術機操縦にも慣れ、日々の訓練も着実にこなしていた彼が、少年らしくも瞳を輝かせながらに語るその機動は……ハッキリ言って実現は難しいように思えた。が、そこに整備班の佐久間までが口を挟み、更にはいつの間にやら仲良くなっていた数人までもが是非にと詰め寄ってきたために。
一時間だけだというみちるの言葉に万歳と声を上げた男達は意気軒昂に声を揃え、機体の姿勢制御、特に跳躍ユニットの操作について入念に打ち合わせ……後は本人の身体がどれだけ持つか……ということさえも十分に打ち合わせていたというのに。
結果は目も当てられないものとなった。
……それでも、あの悪夢のようなバレルロールを数十分続けて命が在るだけ奇跡的だ。彼の身体機能がずば抜けて「戦術機に適している」ことを必要以上に知らしめてくれたが…………そんなことが救いになるとも思えない。
現実に彼は重度の加速度病となり、駆けつけた衛生班に運ばれていった。
責任は、莫迦なことを言うなと止められなかった自身に在る。……結局のところ、自分も彼が言う機動に対する好奇心に負けたのだ。新人の衛士ながらに興味深い機動を行い、着々と身に付ける彼の、その可能性を見たいと思ってしまった。
教え子の成長を楽しみに思ってしまったことが……安易にその実行を許してしまったことが、今回の事故を招いた。
或いは、彼本人……そして佐久間たちもどこか浮かれていたのかもしれない。訓練で命を落とすこともある。……そんなことを、今更痛感させられることになるとは誰も予想していなかったし……そもそも、それを予見できない時点で、彼らは矢張り、どこか自惚れていたのだ。
試行錯誤することはいい。
そして、実践を繰り返し、更なる手段を考案するのもいいだろう。
想像が成長を促す。実践が経験を培う。いくらでも失敗するがいい。そして、その度にステップアップできればいいのだ。そのためならば、多少の無茶にも目をつぶろう。
だが……無茶と無謀は異なるのだということ。
己までもがそれを履き違えていたのだと知って……みちるは悔しさに拳を握り締めた。
===
ぼんやりと目を開けると見覚えのある白い天井。一年前によく世話になった病室だと気づいて――同時に脳髄に重りを乗せられたような倦怠感と重圧感に襲われる。軽い酩酊に浸っているかのように気分が悪い。
じわりと汗が浮いているらしく……拭おうとした左手に点滴の管が繋がれていることに気づく。む、と眉を顰め……改めて病室を見回してようやく、
「そ、か……俺……」
思い出して、一気に気分が悪くなった。
めまぐるしく入れ替わる空と大地。どこに向かって進んでいるのかさえ判然としないまま、慣性と遠心力と重力に思う存分振り回され……ただ意地だけで操縦桿を握っていた。
「ぅ~~ん。ありゃあ、駄目だな」
辟易としてそう零す。最早強化装備に蓄積されたデータで誤魔化しのきく次元ではないし、なにより、あんな物理法則を力技で捩じ伏せたような状態でまともな操縦を行えるわけがない。
……よくよく考えればわかりそうなものだったが、それでも試した価値はあると武は思う。練習機とはいえ戦術機一機を地面に激突させ、しかも自身は加速度病でぶっ倒れていながらに、なんとも前向きな思考であった。
実現できれば面白いと思ったのだが、イメージと現実はあまりにもかけ離れていた。矢張り、月詠の剣術は当面――既にある程度身に付けることに成功している第二案でいくことに決める。
今回試した跳躍ユニットの操作法を巧く利用すれば、その機動にも幅が広がるだろう。何より、人間の身体ではどうやっても実現不可能な転進や離脱、或いは吶喊さえ、跳躍ユニットを使用すれば可能となる。単純に慣性と遠心力で旋回するだけでなく、跳躍ユニットの噴射によってその速度も変動させることが出来、更には直線的な機動を織り交ぜながらの侵攻も行える。
新たに浮かび上がる構想にニヤリと笑みを浮かべて、そうと決まれば早速実践だと身を起こす。
佐久間たち整備班に散々聞かされた知識を動員して、より攻撃的で効果的な機動を編み出すことが、楽しい。
真那や彼女の父親が実戦で行った機動とは異なるのかもしれないが……けれど武は、己に最も適した月詠の剣術を体得しようと試行錯誤を繰り返す。
戦術機の機体性能を知れば知るほどに。そして、そこに詰め込まれた高尚なメカニズムを知れば知るほどに。
兵器として、そしてもうひとりの自分として……武は、戦術機に強い思い入れを抱くようになった。
最初は歯痒く思いながらに失敗の連続だったそれも、コツコツと繰り返せばいつの間にか思うように、そしてそれ以上の機動を実現できるようになった。訓練を重ねれば重ねただけ賢く、速く、より自身に近しく進化するそのシステムに、全身で感じる進歩に、胸を躍らせた。
……そして、それを実感するたびに、己もまた強くなっているのだという感覚。
失敗がなんだ。そこには百の可能性が満ちている。ならば存分に失敗して、それら百の経験を手にしよう。
「っしゃ!」
病室の壁際に立て掛けられていた弧月を手に取る。黒塗りの鞘に巻かれた鮮やかな黄色いリボンを握って――武は強い眼差しで病室を出た。
そして――意気高く格納庫にやってきてみれば、
「莫迦者。貴様の吹雪は修理中だ。よって実機訓練は明後日まで中止。……シミュレーター訓練も暫く様子見だ。……頭を冷やせ莫迦者」
思い切りにしかめっ面をしたみちるに、殊更強い口調で「莫迦者」と叱られてしまった。それも二度。
武はあがぁと口を開き、衝撃を受ける。そもそもバレルロールなどという機動を想定していない機体には、こと関節部においてだが、それはもう相当の負荷が生じていたらしい。金属疲労を起こしているものが多く、訓練中にぽっきりと折れなかっただけでも不幸中の幸いだという。更には地面を抉りながらに激突した部位。さすがに肩部シールド装甲は丈夫だったが、頭部はセンサー類に損傷が及び、機体がオートで行った姿勢制御によって両腕・両脚部が小破。ところどころ塗装も剥げていて痛々しい。
「………………~~~ッ」
うげぇと顔を顰めて己の機体を見上げる武に、みちるは至極真面目な表情をして諭す。
「……白銀。貴様、今のままだと死ぬぞ」
「――え、」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
武はぎょっと表情を強張らせて、感情を殺しているような能面をしたみちるを見る。スゥッ、と血の気が引くのがわかる。みちるは、冗談を言ったのではない。
「俺が……し、ぬ?」
口にしても、実感がまるで伴わない。……突然何を言い出すのかと、武は困惑した。みちるの心理が読めない。
だが、みちるは眼を閉じて口を噤む。なにかを黙考しているらしいその仕草は、ひとつひとつ言葉を選んでいるようにも思えた。
……そして、えもいわれぬ沈黙の後。目を開いたみちるは突き刺さるように鋭い視線を向ける。
「白銀……貴様の才能・実力を、私は高く評価している。戦術機適性“S”というランクに関係なく、貴様の訓練に打ち込む姿勢、常に高みを目指し努力を忘れない姿……衛士として、軍人としての貴様を、私は認めている。貴様は、優秀な兵士だ」
武は息を詰まらせる。一瞬たりともみちるから目を離せない。
……なんだ。一体みちるは何を言おうとしているのか。
「だがな、ここ数日……貴様には驕りが生まれているように思う。いや……違うな。貴様はこれが戦争だと言うことを忘れている。――戦術機を操縦することは、遊びとは違う」
「――なっ!!?」
遊び、だと――ッ?!
カッと頭に血が上る。侮辱されたと感じた。教導官であるみちるが、訓練兵である武を侮辱したのだ! 戦術機の操縦は遊びじゃない――? 当たり前だ! そんなことはわかっている!!
武は奥歯を強く噛み締めて、拳をギリギリと握った。一瞬でも気を抜けば罵詈雑言が口をつき、握った拳を振るってしまいそうだった。
「…………ッッ、ッッ!!」
左手で、強く強く弧月を握る。落ち着け。落ち着け。冷静になれ。――教官の真意を探れ。
昂ぶりに任せてしまいそうになる精神を、どうにか宥める。表情は怒りに歪んだままだが、とにかく武は釈明を求めて精一杯にみちるを睨みつけた。
そんな武の反応を、しかし、白々しいまでに無視して。みちるは更に冷ややかに言う。
「そんなつもりはない……、とでも言いたそうな顔だな? ……だが、本当にそうか? 今回の件、私には貴様がはしゃいでいるように見えた」
「!?」
どぐん、と。血管が収縮した。
言葉が突き刺さる。冷ややかな視線が突き刺さる。感情を殺した、能面のような顔が、こちらを見ている。
――ぁ、あ。
呼吸が出来ない。視線をそらせない。カラカラになった喉を鳴らす。痛いくらいの圧迫感に……ようやく、怯むような呼吸を一つ。
どこまでもみちるは真剣に、そして……歴戦を潜り抜ける衛士としての凄みを感じさせて。
「今の貴様は新しい玩具を与えられた幼児のそれだ。手に入れた力の本質を見失い、この戦争の本質を忘れている。日々上達する己の技量に浮かれ、この世界がおかれた状況を忘れ、自惚れに驕りはしゃいでいる愚か者だ! ――目を開けろ! 現実を見ろ!! 貴様はそのザマで、一体何を護るというのだ!!」
「!!!!!!」
言葉がない。何もいえない。みちるの叱責が、諭すような声音が、ただただ……武の臓腑を抉る。
そんなはずは……なかった。
そんなつもりはなかったのだ。
浮かれていた? はしゃいでいた?
――莫迦な、俺は、ただ……っ、
「……白銀。貴様はそう遠くない日に、戦場に立つ。戦場で、そこで、何と戦う? 貴様は軍人だ。貴様は衛士だ。戦場で戦術機を駆り、BETAと戦う一人の兵士だ。今のようなふざけた気持ちで――BETAと戦い、生き残れるなどと思うな……」
死ぬぞ。
と。
ただ一言。
震えるように立ち竦む武の横を通り過ぎて。みちるはそれ以上何も言わなかった。
コツコツと軍靴の音が遠のいていく。
呆然と取り残されて、武は壊れたように鳴り続ける心臓の鼓動を聴いていた。
===
「……少し、きつ過ぎやしませんか?」
「貴様には関係ない」
タラップを降り、修復作業中の吹雪の前へとやってきたところで、額に汗を浮かばせた佐久間が振り返る。首にタオルを巻いていて、ふぅと一息つきながらの言葉を、しかしみちるは一蹴した。
どうやら相当に声を荒げてしまったらしい。整備班員の大声が飛び交うこの場所で作業していて聞こえていたのだから。腕を組んで、みちるは嘆息する。
「ははは。まぁ白銀訓練兵殿にはちょうどいいかもしれませんが」
「莫迦者。貴様もだ、伍長。白銀と揃ってはしゃいでいたのは貴様も同じだろう」
眉尻をぴくりと上げて、みちるは「舐めてんのかオルァ」と佐久間を睨む。基地副司令直属の特殊任務部隊長にして数々の戦場を潜り抜けた猛者。更には大尉という雲の上のような階級差がありながら……しかし佐久間は全く気にした風もなく。
「はっ! この度はまことに申し訳ありませんでした! 十分反省し、二度とこのようなことの無いように誠心誠意尽くす所存でありますッ! ――なお、吹雪は最短で明日の朝には修復可能です」
敬礼だけは様になっている。……言っている内容は模範的ではあるが……それは呆れるくらいの棒読みだった。みちるは溜息をつく。
腕はいい。戦術機に関する知識など、さすがは整備班というところだろう。だが、みちるはこのおよそ軍人らしくない技術者が苦手だった。階級差などなんのその。この男にとっては戦術機こそが何よりも優先するのだろう。
「……伍長、吹雪の修理はゆっくりでいい。白銀はしばらく戦術機には乗せない」
「は! …………は?」
またもびしりと敬礼して、しかし佐久間はそのまま首をかしげた。その様子に、なんだ聞こえなかったのか? とみちるはさも呆れたように表情を顰める。
「そんなに急いで修理する必要はないと言ったんだ。……白銀には少し仕置きが必要だからな。腑抜けた精神を鍛えなおしてやる」
「……………………」
ニヤリと唇を吊り上げるみちるを見て、佐久間は言葉を失う。内心で武に向けて念仏を唱えながら、その武の後押しをしたのは紛れもなく自分であるとも自覚している。
「……大尉殿。今回のことは確かに失敗でした。正直に言って、俺も浮かれてましたし、あいつの操縦を見てはしゃいでいたのは事実です。白銀も……そうだったのだと思います。……大尉殿の仰ることはわかります。ですが――」
珍しく真面目な表情で、佐久間は神妙に語る。このまま武だけが叱責を受けるのが少々我慢ならなかった。確かに武にも責任は在る。新しい機動をテストするためとはいえ、戦術機一機を小破させたのである。その修理に要する人員、物資、予算……果たして、それらをかけるに値する結果を彼は出したのか否か。総合的に見ても、結論は否だろう。
浮かれていたというのなら、そうだ。無意識の内に武は驕り、佐久間がそれを助長した。みちるもそれは承知しているはずだ。
「貴様には関係ないと言ったはずだぞ、伍長。私は白銀の教導官だ。私には白銀を正しく教え、導く義務があり……そして、それが私に課せられた任務だ。衛士として、軍人として、道を過とうとする若者を見過ごすわけにはいかない。伍長、これはな、衛士としての在り方の問題なのだ。整備兵が口を挟んでいい領分ではない」
「――!」
厳しく見据えるみちるに、今度こそ本当に佐久間は息を呑む。姿勢を正して、心底からの敬礼を向けた。
衛士としての在り方……。なるほど、一介の技術屋風情が立ち入っていい問題ではなかった。謝罪の意味も込めて、佐久間は真っ直ぐにみちるを見る。
組んでいた腕を解き、みちるは吹雪を見上げる。武が行った出鱈目な機動のせいで損傷した箇所に、数名の整備兵がはりついている。――莫迦者め。
それは武に。
そして……なによりも、止められなかった自身へ。
この結果を招いたのは武だが、彼一人に責任が在るなどというつもりは毛頭ない。先ほど佐久間に言った言葉は、半分は自分に向けてのものだった。
衛士としてのあり方の問題だ。
そう、そうなのだ。これはそういう問題だ。
力持つ者の、力を手に入れた者の、力を振るう者の……その、力の在り様。
武は自身の能力に浮かれ、はしゃぎ、衛士としての自分を、一時的とはいえ見失った。
みちるは武の成長に浮かれ、はしゃぎ、衛士としての自分を、一時的とはいえ見失った。――武を止められなかった自分にも、責任は在る。むしろ、それは先を行く者として……一人の若者を教え導く者として、致命的なまでに愚かしい行為だった。
だからこそだ。
己が誤っていたというのなら、正す。その自分のせいで武が過ちを犯すというのなら、全力で正す。
問題はハッキリしている。それを自覚し、理解しているのなら……後は行動に移すのみである。ゆえにみちるは、自身の過ちによって引き起こされたこの事態の原因――衛士としての在り方をもう一度見詰めなおすために。
視線をずらせば先ほどのまま立ち尽くした武の姿。腰に提げた日本刀を握り締め、格納庫の天井を見上げている。
「…………」
ここからではその表情を窺い知ることは出来ない。だが、みちるは確信していた。
きっと武は、こんなことで挫けたりはしない。強大な力を手に入れて、その強大さに振り回されることは誰にだってあるだろう。
いくらでも間違えればいい。いくらでも失敗すればいい。……そして、その度に強くなればいい。同じ過ちを繰り返さなければいい。
今はまだ、それが許されるときだ。
才能に溢れ、その才能を磨く努力を怠らず、なによりも高みを目指し続けることのできる武ならば……きっと、優れた衛士となるだろう。任官まであと二週間。ならば、それだけの時間を限界まで使いきり、一回りも二回りも大きく成長させて見せよう。
なにせ彼は、みちるが誰よりも敬愛し尊敬する神宮司まりもの教え子なのだ。その彼女に恥ずかしい思いはさせられないし、なにより……彼女の教導を無駄にするわけにはいかない。武には誇ってもらわねばならない。まりもの教え子であったことを。そして、なによりも――
「白銀……貴様を死なせはせん。……速瀬のためにもな」
小さく呟いて。
姿勢よく直立したままの佐久間に苦笑しながら、みちるは格納庫を後にした。
===
じっと…………ただ、考える。
脳裏を巡るのはみちるの言葉達。頭を冷やせ、とみちるは言った。……最早、冷静を通り越して無心に近い。
左手に弧月を握り、眼前に掲げる。右手で柄を握って……しかし、武は引き抜くことに躊躇した。
格納庫のすぐ近くにある補給物資の保管庫。弾薬類の詰められた木箱が多く積まれたその空間、黒の拵を手に、ただ独り立ち尽くす。
――死ぬぞ。
ぐ、と。鞘を、柄を握る手に力が込められる。武は己の不甲斐なさを恥じる。
手に入れた力に浮かれて、自身を見失ったこと。戦術機の操縦にうつつを抜かし、戦う理由さえ忘れていたなどと……っ!
漆に塗られた黒い鞘。そこに巻かれた鮮烈な黄色が、無言のままに武を責める。
「…………ッ、」
悔しい。情けない。そんな自分が厭になるくらい、怒りが込み上げる。自分は、一体何をやっているのか……。
思い出せ。彼女の顔を。
思い出せ。彼女の声を。
思い出せ。彼女の体温を。
思い出せ。彼女の感触を。
思い出せ。彼女の言葉を。
思い出せ。彼女の笑顔を。
思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ、
お前は、一体、どうして衛士になろうと、そう思ったのかを――――ッ!
護ると誓った。
護りたいと願った。
護るための力が欲しかった。
そうだ。そうだ。そうだ。そうだ。
全部全部彼女ために。彼女を護る、ただそれだけのために。それが始まり。そしてそれが全て。
けれど彼女はもういない。幼馴染の、愛しい彼女はもういない。
鑑純夏はもういない。
そのことを哀しいと感じた。そんな現実に耐えられなかった。
それでも、壊れそうになる自分を支えてくれた人がいた。手を差し伸べてくれて、大丈夫と言ってくれる人がいた。
それでも、挫けそうになる自分を支えてくれた人がいた。いつも側にいてくれて、大丈夫と言ってくれる人がいた。
それでも、足掻くだけだった自分を導いてくれた人がいた。強く厳しく鍛えてくれて、想いを託してくれた人がいた。
だから、前に進めると思った。自分にはこんなにも想ってくれる人たちがいる。そして自身もまた、彼女達を想う。
だから、彼女達を護りたいと願った。その想いこそを護り抜こうと誓った。そのために戦うのだと。だからもう、大丈夫だと。
――けれど、それはベニヤよりも薄い張りぼてで……自分自身気づかぬ内に被った仮面なのだと知った。
ただ、純夏を喪った心の空隙を誤魔化すための詭弁なのだと。
……違う。詭弁なんかじゃない。本心からに、彼女達を想っている。それは事実だ。
純夏を愛している。純夏を想っている。彼女を喪ったことを受け入れることなんてできないし、忘れるなんて在り得ない。心を抉る呪い染みた妄執は今も尚、己の深奥を焼いて焦がしている。
茜を、水月を、真那を大切に想う。多くの仲間達を、護りたいと願う。
力が、欲しい。
力が、欲しかった。
その狂おしいまでの激情を、ベクトルの異なる二種類の感情を……思い出すだけでこんなにも胸が苦しくなる……思い出すだけでこんなにも胸が温かくなる……それら、現在の己を構築する根源を。
貫き通す力が欲しい。
狂うことなく突き通す力が欲しい。
その激情が行き着く先に在る敵を斃すための力を。
その感情の行く末に在る想いを護るための力を。
「俺は……どっちだ?」
かつて、熊谷に言われた言葉が蘇る。
哀しみを怒りに換えて、ずっと復讐のために戦う者。
哀しみさえ想いに換えて、ずっとその想いを抱えたまま戦う者。
果たして……今の自分は一体どちらか。
力は、手に入れた。戦術機という、BETAと戦うための手段を手に入れ……月詠の剣術という、究極を体得した今。
任官はもう目の前だ。夕呼が提示した期限はすぐそこに迫っている。
戦場に立つ。もうすぐ、BETAと戦う。やつらを、コロス。それは、もう本当に、すぐだ。
みちるの言葉が、警鐘として鳴り響く。熊谷の言葉が、焦燥を掻きたてる。
選択を迫られている。
何よりも、誰よりも、武自身が――己の進む道を決めろと決断を迫る。
浮かれている莫迦は死ね。はしゃいでいる大莫迦は死ね。才能に驕る白銀武など死んでしまえ。
だから、そんな愚かな自分は捨てて、ただ前だけを見据えればいい。
ちゃんと思い出した。ちゃんと残っていた。手に入れた力に目が眩んでいただけだ。そんなまやかしは、みちるが晴らしてくれた。
だから、選べ。
純夏か――茜、水月、真那、支えてくれた彼女達か。
復讐者か――守護者か。
己の進む道を、選べ。決めろ。己の立ち位置はどこだ。どこに向かって進んでいく? 欲しかった力は手の中にある。ならば、後は振るうだけだろう?
決めろ。選択しろ。
「くっ…………、」
刀を抜くことが出来ない。弧月を握る手が震えて止まらない。
武の迷う心を見通しているとばかりに、弧月は沈黙する。
……やがて、武は力なく腕を下ろした。握り締めた弧月は音を立てて床に転がり、それでも、彼は息を荒げるだけで。
「あぁ、ぁああっ! ああああああああああっっっ!!」
どうしてだろう。
すごく、怖い。すごく苛々する。とても哀しい。腹が立つ、悔しい、涙が出て、頭にくるのに、どうしてこんなにも、――寒い。
「ぅぅううあああああああああああああっっ!!」
叫ぶ。叫ぶ。泣いているように叫ぶ。絶叫するように、啼く。感情が、激情が、狂おしいほどに。
――選べない。
――選べない。
――選べない。
――選べない。
――選べないよ、俺には……っ。
純夏を愛している。でも…………それでも、茜を、水月を、真那を、――――――。
そのすべてが、愛おしい。
そして、その全てを大切にしたい。
いつだっただろう。復讐に濡れる鬼にはなりたくないと思った。……ああ、だったら答えは出ているはずなのに。
選ぶ道など一つしかないはずなのに。
――死ぬぞ。
ただ、その一言が響く。死にたくない。死んでたまるか。死んだら護れない。死んでしまったらなんにもならない。
そう、思うからこそ。
喪った彼女が脳裏を占める。死ぬものかと笑い、彼女から離れた己を呪いたくなる。
ああ、「死ぬ」ということはこれほどにも……こんなにも、寒くて、怖くて、暗い、なんにもない。
想像してしまった。経験の無いそれを、目の当たりにしていない彼女の最期を。赤いマーカーに塗り潰された黄色の光点を。その瞬間の、彼女の心を。
護りたい。護りたかったよ。純夏。――だから、赦せない。
「ごめん涼宮……ごめんなさい、水月さん………………ごめんなさい、月詠中尉……みんな………………」
俯いて、膝をついて、涙を流す。
弧月を拾って、躊躇なく刀身を引き抜く。まばゆい銀色の刃が……どうしてかくすんで見えた。
「俺は……やっぱり純夏を忘れるなんて、できない……」
道は決めた。
だからもう、止まらない。
震えるように呼気が凍える。冷ややかに、弧月は鉄の煌きを放つ。
驚くくらい、気持ちが鎮まる。だから、武はゆっくりと立ち上がって……そして、
そして。二週間後。
梅雨の湿った熱気がこもるその日。白銀武は任官した。