『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:九章-04」
かつて、尊敬する水月が任官した時のような、盛大な式は行われなかった。たった一人。いつも座学に使用するブリーフィングルームに、自分と、教導官のみちる、基地司令……補佐として、まりも。
その四人。ただそれだけ。
流石にテーブルやホワイトボード等の備品は片付けられていたが……想像以上にひっそりとした任官式に、武はいささか苦笑を禁じえない。
――なるほど、この任官さえ秘匿、というわけだ。
これでより一層に、茜達同期の仲間との距離が開いてしまった。彼女達は今頃、総戦技評価演習に合格し、戦術機操縦訓練課程に入っている頃だろうか。……そう想像して、ちらりとまりもに視線を向けるが、彼女はいたって真面目な表情で、正面に立つラダビノッド司令の横に控えている。
姿勢を一切乱さぬまま、みちるが声高に訓練部隊の解隊式の執行を告げる。たった一人の訓練部隊で解隊もなにもあるまい。だが、これで晴れて任官という段にあたり、武は余計な思考を頭から追いやった。
「楽にしたまえ……。訓練課程修了、晴れて任官というめでたい日だ。本来であれば君の門出を盛大に祝ってやりたいところではあるが……知ってのとおり、君の立場は非常に秘匿性の高いものとなっている。それゆえのことだということを、理解して欲しい」
ラダビノッド司令の声は、穏やかに、しかし耳朶に響く。この横浜基地に転属になった際にも感じた……歴戦を掻い潜った猛者、という印象が強い。腹に沈むような声に、武は知らぬ内に全身を緊張させた。
基地司令の訓示は続く。その一言一句を聞き逃すまいと、強い眼差しで司令を見詰める。
「……手の平を見たまえ。その手で何を掴む? その手で何を護る?」
――この想いを貫き通す強い意志と力を。
――想ってくれた純夏の心を。
「……拳を握りたまえ。その拳で何を拓く? その拳で何を斃す?」
――BETAのいない世界を。
――純夏の命を奪ったBETAを。一匹残らず、全て。
静かに、強く、闘気を孕む。司令もそれを感じたのだろうか……武には、彼が少しだけ目を細めたように見えた。
やがて訓示も終わり、みちるの口から衛士徽章の授与が告げられる。ラダビノッド司令は武の前へ進み出て、名を呼ぶ。
「白銀武訓練兵!」
「はい!」
「ただ今をもって、貴官は国連軍衛士となった。…………おめでとう、少尉」
「……ありがとうございます!!」
敬礼。そして、しっかりと視線を交わす。夕呼の、武としては無茶とも思えるような強引な推挙を承認し、訓練課程を大幅に短縮したこの任官。間近に見る基地司令の瞳には、少なくない期待と、それ以上の激励が感じられた。
武は、強く、強く見据える。男として、衛士として、基地司令の期待に応えられるよう。……その思いが通じたのか、ラダビノッド司令は一つ頷くとブリーフィングルームを出る。
解隊式の終了をみちるが告げて。……そしてようやく、武は張り詰めていた緊張を解く。ハッキリ言って、疲れた。
極東最大の規模を誇るこの横浜基地の基地司令を前にして、緊張するなというほうが無理な話だ。それを承知しているのだろう。どっと疲れの浮かんだ様子の武に、みちるがニヤニヤと意地悪く笑う。
「なんだ白銀、この程度で音をあげていては、これから先持たんぞ?」
「そうですよ白銀少尉。貴方は立派に任官されたのですから、もっと胸を張ってください」
「……大尉、神宮司教官……他人ごとだと思って適当に言ってますよね……っ」
まりもにまでくすくすと笑われて、武は泣きたい気持ちになった。畜生と眉を寄せ、……そういえばかつて夕呼と初めてあったときも大層緊張を強いられたことを思い出す。呼び出しを受けるたびに薄れていった緊張感だが、あれだって随分と時間が掛かったものだ。
まして、こちらは研究者である夕呼とは違い、全うな軍人である。階級や肩書き、特にラダビノッド司令については人間として、衛士として尊敬できる強さを感じるために、余計でも緊張するのだ。
自分達だって一対一の状況になれば……武ほどではないだろうが、緊張するはずだ。そういう意味合いを込めて二人を見れば、更に可笑しそうに笑い出す。
「あぁぁ、もう! ほっといてくださいよ!」
「ははは、まぁそう怒るな。それに、貴様はこれから私の部下となるんだ。放って置きたくとも無理というものだろう?」
――は?
みちるがぽろっと零した言葉に、武は耳を疑う。その武に、どうしてか驚いたように、そして呆れたようにみちるが口を開く。
「……まさかとは思うが、白銀……貴様、大尉である私が教導官に就いていた意味をわかってなかったのか……?」
「え? あ、あ~…………す、すいません。正直そこまで頭が回ってませんでした」
溜息が一つ。忍び笑いが一つ。その両方に武は羞恥に頬を染めた。……なるほど。納得である。みちるは一個中隊を任された隊長なのだと聞いたことがある。現職の中隊長に訓練兵の教導官を兼務させるなんて、副司令もたかが訓練兵に特別扱いしすぎだろうと思っていたのだが……そういう裏があったのか。むしろ考えればすぐに思いつきそうなことだったが、本当に、武は全然気づかなかった。
あまりの間抜けさに恥ずかしくなる。ぐぁ、と片手で顔を覆い、年上の彼女達に赤面を見られないように隠す。
「…………まぁいい。貴様がそういうヤツだということはわかった。……白銀、ともかくも貴様は我がA-01部隊に配属となる。香月博士直属の特殊任務部隊だ」
「特殊任務部隊……」
A-01という名。聞き覚えがあるもなにも、つい数分前まで武が所属していた訓練部隊と同じ名である。……まさかみちるの中隊の名が用いられていたのだとは露知らず、あまりに安直なネーミングに武は内心で呆れる。
が、そもそも、転属から任官までの一連の企ては夕呼の発案であり、そして彼女の思惑のままに進められていたのだから……これはある意味予定調和ということなのだろう。つまり、武は最初からA-01に配属することを前提に、みちるの教導の下、訓練を積んだのである。
今更それに気づいてもなぁ……と再び己の迂闊さを恥じるが、いいかげん頭を切り替えるべきだろう。
ちらりと、みちるの横に並ぶまりもを見る。副司令直属の特殊任務部隊……というならば、武に対する扱いを見ても、恐らくは相当な機密にあるのではないだろうか。
元教導官とはいえ、まりもがこの場にいる状況でその部隊のことを話してもよいものか……。そんな武の逡巡を悟ったのだろう。まりもは柔らかな笑みを浮かべて。
「白銀少尉……このたびの任官、おめでとうございます」
「……神宮司教官……」
掛けられた温かな声音に、一瞬、武は虚を突かれたように。半ば呆然と呟いた武に向けて、まりもは毅然とした態度で言った。
「少尉……既に私は少尉の教官ではありません」
「!」
そうか、と気づく。転属した時点でまりもは武の教導官ではなくなっていて……そして、少尉に昇進した今、武は彼女よりも位が高いことになる。なんだか複雑な気持ちだった。
武にとっては、まりもは矢張り尊敬する教官であり、育ててくれた恩師だ。いくら階級に差があろうとも、それは変わらない。武はまりもを尊敬している。感謝しても仕切れないくらいだ。まりもは本当にたくさんのことを教えてくれた。軍人としての心構えから精神・肉体の鍛錬。ただの餓鬼だった自分を、兵士として成長させてくれた。
ふと、熊谷の顔が脳裏に浮かぶ。……ああ、そうだ。彼も間違いなく、武を育ててくれた恩師で在る。
「神宮司軍曹…………あなたのおかげで、俺はここまでやってこれました。本当に、軍曹には感謝してもし切れない。軍曹の教えは忘れません」
「少尉、私は一教官として責務をまっとうしただけであります。そのような御言葉を頂くのは身に過ぎる想いであります」
ぐ、と。武は拳を握った。――ああ、これがまりもなのだ。
彼女は誰よりも優秀な軍人である。……だから、武はそれ以上何も言わなかった。静かに敬礼をして、同じように返してくれた彼女へ、強く、微笑む。
まりももまた、眩しいものを見るように目を細めて。
そして彼女は、みちるに敬礼した後に部屋を退出した。毅然としたその背中が……武に、頑張れといってくれているように感じられて……。
「……白銀、神宮司軍曹の教えを胸に刻め。軍曹は誰よりも、お前たち教え子のことを愛している。その教えに恥じぬよう、貴様はこれから衛士としての任務に励め」
「はい」
みちるの言葉に頷いて、武は己の上官となった彼女に振り向く。……本来ならば居合わせることなどなかっただろうまりもがここに居たこと。どうしてか、それがみちるの計らいなのだと感じられた。
目礼する武に、みちるはふっ、と微笑む。そして、数瞬の後に、彼女は軍人の表情を見せた。
「さて……先ほども言ったとおり、これから貴様は私の部下となる。A-01部隊は香月博士直轄の特殊任務部隊だということは既に伝えたが、我々は香月博士の提唱するある計画を達成させるために存在する」
「ある計画……?」
「オルタネイティヴ計画。――人類の未来を賭けた、世界を救うための計画だ」
どぐん、と鼓動が一つ。しっかりと言い聞かせるようなみちるの言葉に、武はただ呆然としてしまう。初めて耳にする計画。人類の未来を賭けた、世界を救う計画……。多分に言葉を濁しているのだろうそれに、しかし、言葉に出来ない感情が揺れる。
「AL4(オルタネイティヴ4)と呼称されるその計画の達成。そのためだけにA-01部隊は存在し、機能する。当然にして極秘に進められている計画を遂行するための部隊であるから、我々の存在も機密扱いとなる。部隊員は親類から恋人、友人にいたるまで、一切の他者にその存在を知らしめてはならない。貴様がA-01に配属となったことは公的に記録されるが、その処理をする担当官さえ、我々の任務内容を知ることはない」
早口に告げられる内容に、武はなんとも徹底されていると息を呑んだ。……それほどの機密。それほどの計画。AL4――果たしてそれは、如何なる計画だというのか。
……だが、みちるがそれを説明することはなかった。つまり、今はその内容を知るときではない、ということだ。
A-01部隊の存在の意味。それを承知していればそれでいい。自分が何のために戦うことになるのか――それが人類の未来のためだと言われ、武は全身から奮えた。
力強い眼差しを向ける武に、みちるは満足そうに頷いた。
そして、その後は配属に当たっての事務処理と、正規の軍服である黒い軍装と衛士強化装備を受け取ったりと、必要な庶務を片付けていく。
隣室で着替えを終えた武を連れて、みちるは颯爽と歩き出す。これから、A-01部隊の先任たちと顔を合わせるのである。先ほどの基地司令を前にした時とはまた違う緊張に、知らず、つばを飲み込んだ。
フロアを一つ降り、辿り着いたその場所。A-01部隊が使用するブリーフィングルームだというその部屋の入口に、立つ。
一足先に室内へ消えていったみちるの声が聞こえる。当たり前だが、矢張りそこに彼女の部下……A-01部隊の面々が整列しているのだろう。
――怖気づくな。決めたはずだ。止まらないと。進むべき道を選択し、決断した。だから、そこに迷いや躊躇は存在しない。そうだろう?
自身に言い聞かせるように。
そして、みちるの声。入って来い、という声に……どうしてか悪戯気な音色を感じたのは気のせいだと思いたい。
「――白銀武少尉です。よろしくお願いしま…………っ、…………」
ズンズンと歩を進め、みちるの横で直立。敬礼と同時にハッキリと名乗りを挙げようとした瞬間……とてつもなく信じられない者を見て、武はぽかん、と口を開けた。
頭が回らなくなる。え? あれ? なんで? そんな単語が武の脳内を飛び交って、敬礼したままに硬直するその姿は、とてつもなく珍妙であった。
武の正面に立つ人物。青色の鮮やかな髪を後頭部で結び、艶やかな馬の尻尾のように、毛先が肩で揺れている。気丈そうな瞳は目尻で少しだけ吊り上がっていて、まるでしなやかな猫を思わせる。薄っすらと淡いピンク色を見せる唇はふっくらと柔らかそうで……その存在を主張する双丘は少しも衰えることなく。
ああ、本当に。全然変わっていない。そして、絶対に見間違いであるわけがないし、よく似た他人ということもない。
本当に、ほんとうに、――速瀬水月が、そこに居た。
「水月さん――ッ」
足先から痺れるような歓喜が湧き上がる。目を見開いて、僅かに頬を紅潮させて、武は泣きそうな、嬉しそうな、そんな表情で。
叫ぶように、その名を呼んだ。
「武……」
そして、応えるように。水月が薄っすらと微笑を浮かべた……その、――瞬間。
「おっめでとうございますハヤセ中尉ぃいい!!」
「「おめでとーございまーす!」」
鼓膜を突き破らんばかりの歓声が上がる。その声量に圧倒される間もあらば、武は盛大に叫んだ栗色の髪の女性に腕を引っ張られ、水月の前に突き出された。更には水月の周りを取り囲むように、なんだか見覚えがあるような気がする複数人が輪を作る。
彼女達は口々に「おめでとう」を合唱し……果たしてそれが新人である武に向けてのモノではないと気づいた時には、水月の顔は真っ赤を通り越して茹っていた。
「本田ァァァアア!? ちょっとあんたそこに座んなさい!! 上川! 岡野!! あんたたちもっ!!」
「わー、みんな逃げろー」
「あはははは、中尉、照れてます?」
「いやぁ、そんなに歓んでいただけると……」
武と水月の周りをぐるぐると回っていた三人の首根っこを掴み、水月がズンズカと部屋の隅に引き摺っていく。…………なにがなんだかさっぱりわからない武は、任官一発目の挨拶にしくじったことや、まさかの水月との対面もぶち壊しだということに、乾いた笑いを漏らすしかない。
「……まったく、お前たち、少しは落ち着かないか。……速瀬も、嬉しいのはわかるが、そんなに興奮するんじゃない」
腕を組み、心底から溜息をつきながらのみちるの言葉に、水月はグ、と喉を詰まらせた。明らかに動揺を見せてはいるが、だからといって両手に掴んだ三人を解放する素振りもなく。
「あはは、水月ったら。しょうがないなぁ、もう。本田少尉、上川少尉、岡野少尉も。せっかく新しい仲間がやってきたんだから、もっとちゃんとしないと駄目だよ」
め、と。まるで幼子に言い聞かせるような口調。……どこかで聞いたことがある……というかむしろ物凄く記憶に残っているその姿。茜の姉にして水月の親友。涼宮遙がそこに居た。その彼女を見て再び驚愕する武。水月がいたことも驚きなら……まさか遙までもがA-01部隊にいるとは……。
全くの他人の中で過酷な任務に臨むことになるだろうと覚悟していた武にとって、これは嬉しい誤算である。
なによりも、水月がいること。……憧れ、尊敬し……そして、武を救ってくれた大切な女性。その彼女とともに、戦えること。
嬉しい。
何よりも純粋に、そう感じた。
そして、遙のやんわりとしたお説教に、水月はしぶしぶながらに列へ戻り、彼女をからかっていたらしい三人の少尉も続くように列へ戻る。
なし崩し的に崩壊してしまった着任挨拶も、どうやら仕切りなおしということらしい。みちるが横目に武を見て、武は妙に気恥ずかしく感じながらも、今度はきっちりと挨拶をする。
「A-01へようこそ。白銀、我々は貴様を歓迎する」
隊を代表して、隊長のみちるが告げる。自信と威厳に満ち溢れた彼女の姿。教導官としてのそれとはまた違う、軍人として、隊を纏めるものとしての強さがそこには窺えた。
さて、と武と向かい合うように整列した女性たちを向いて、みちるは一人ひとりを紹介してくれる。
右から順に、木野下中尉、水月、遙、宗像少尉、風間少尉、岡野少尉、上川少尉、篠山少尉、本田少尉、高梨少尉、古河少尉。全員が女性だ。……そして、隊長のみちるも当然女性。計十二名の女性。その中に、唯一の男である自分。……どうしてか、背筋が寒くなった。冗談だろうと真剣に問いたかったが……この他に部隊員がいるという様子もなく。
考えてみれば、軍隊に入隊してからこの三年以上……常に周囲を女性に囲まれていたわけである。今更恥ずかしいもなにもないのだが……なにせ、全員が揃って武の先任である。よく見知り、深い情愛を抱いている水月に、茜の姉である遙が居るにはいるが、その彼女たちとて中尉だ。知らず萎縮してしまいそうになる自身に気づいて、武はええいと己を鼓舞する。
「どうした? まさか年上の女性に囲まれて緊張しているのか?」
本当にみちるは意地が悪いと思う。武はあからさまにその言葉を無視して、耐えるように沈黙した。あまりにも露骨過ぎてバレバレだったのだろう。幾人かの忍ぶような笑いが耳に痛い。泣きそうだった。色んな意味で。
「さて、それじゃ堅苦しいのはこれで終わりっつーことで! 改めてよろしく、白銀少尉」
「は、はいっ。木野下中尉」
唐突に声を掛けられて、武は弾けるように向き直る。中隊の副隊長を務める木野下は、かなりの長身で武と並んでもそう変わらない。どこか水月と似た雰囲気を感じて、武は少し安堵する。
そして、ちらりと視線を向ければ、にやりと懐かしい表情を浮かべる水月。心なしか、武の任官をとても喜んでくれているように見えるのは……矢張り自惚れなのだろうか。改めて彼女の正面に立つ。
「武……ようやく来たわね……。…………まってたんだから」
「……は?」
ほんの少しだけ頬を染めているような水月が、武にはよくわからないことを言う。……後半はなんだかぼそぼそとしていて聞き取れなかったが、首を傾げる武に、水月は慌てたように手を振る。
「ぃ、いやっ、……その、と、ともかく! これから、よろしく。武……」
「はい――俺の方こそ、よろしくお願いします。水月さん……」
笑顔を向けあう。と、いつの間にそこに居たのか、宗像美冴が水月の背後に立っていて……
「さーお前たち。私たちは一足先に訓練の準備でもしようじゃないか(棒読み)」
「そうですねー。邪魔しちゃ悪いですよねー(棒読み)」
美冴に並んで白々しいくらいに何事か呟く本田真紀。矢張り武にはサッパリだったが、それはどうやら水月を怒らせるに値する言葉だったらしい。ぷるぷると肩を震わせる彼女は、次の瞬間には背後の二人に躍り掛かっていた。わー、と棒読みのまま逃げる美冴と真紀。後者は完全にはしゃいでいるように見える。
「真紀、ぜんっぜん懲りてないよね」
「あの方に反省などありませんわ……」
「もう、美冴さんったら……」
そんな彼女達に、嘆息しながら高梨旭はぽつりと漏らし、古河慶子は呆れたように言う。風間梼子は困ったように苦笑して、ニコニコと微笑み続けている遙に助けを求めに向かっていた。
茫然とその光景を眺める武に、先ほど真紀と一緒になって祝辞を述べていた上川志乃、岡野亜季がやってくる。と、武は首を傾げた。……二人とも、どこかで見た顔だと思った。
「ぃよっ、久しぶり。覚えてるか?」
「あははは、そりゃ酷でしょ。あんな状況で顔まで覚えてないって」
にゅ、と手の平を差し出してくる志乃に、慌てて自身も手を差し出しながら……武は「あ」と気づく。
「総戦技演習のときの……ッッ?!」
「お、正解」
にやりと口端を歪めて、志乃は武の手を握り、ぶんぶんと振った。
見覚えがあるはずだ。熱帯のジャングル。囲まれた六人……最後の一人。力一杯に投げ飛ばされて、地面に叩きつけられたその相手。そしてその横にいる亜季。……記憶が確かなら、一番最初に倒した相手だったはずだ。
「ありゃ、正解正解。よく覚えてたねぇ……って、そんな覚えられかたすっごい屈辱なんだけど」
むむむ、と眉を寄せる亜季に、少々武は慌てる。志乃がからかっているだけだと知らせてくれるが、先任だらけのこの状況で、内心冷や汗ものである。
改めて一人ひとりの顔を見回せば、木野下と美冴以外の全員に見覚えがある。総戦技評価演習で戦った七人の仮想敵。……なるほど、その彼女たちまでがA-01部隊所属……つまりみちるの部下だったというわけだ。
「ま、うちらもお前がこんなに早く任官するなんて思ってなかったんだけどな。……まさか総戦技評価演習から一ヶ月で任官するなんて、お前どんな手品使ったんだよ」
「手品……って、」
気安い言葉遣いをしてくれる志乃に、武は緊張が薄れるのを感じる。というか、暴れまわっている水月と美冴、真紀や……その彼女達を見守る(?)木野下、遙、旭、慶子、梼子……と、皆が皆、なんだかとても仲がいいように感じられる。
本当に正規の軍人なのか、と疑ってしまいたくなるくらい、そこには階級という縛りに代表される軍隊らしい規律が見受けられない。……無論、そう見えないというだけで、彼女達が軍規をどうでもよいと考えているわけではないだろうが。恐らく、オンとオフの切り替えがハッキリとしているのだろう。そうでなくては、恐れ多くも副司令直轄の特殊部隊などという職位は与えられまい。
「でもほんと、在り得ないくらい早い任官よね。……ひょっとして、白銀少尉はスペシャルなのかしら?」
ぎょっと声に振り返れば、いつの間にそこに居たのか、目元のほくろが特徴的な篠山藍子。つい先ほどまでみちると何か話していたように思っていたが……気配も何もなく背後に立たれていたことに、少なからずショックを受ける武である。
なんだか艶のある仕草で武を覗き込んでくる藍子に、たじたじと後ずさること数歩、がっしりと志乃に両肩を掴まれ、さらには亜季がにんまりと口端を吊り上げていた。
「さぁって、肴も手に入れたし。お昼お昼っと」
「そうだな。白銀にはたっぷりじっくり聞かせてもらおうじゃない」
「ふふふ、そうね。速瀬中尉との馴れ初めを、惜しげなく語ってもらおうかしら」
「――馴れ初め!!??」
愕然とする。馴れ初めってなんだとか、今の話の流れはなんだったのかとか、そういう疑問さえ口にしてはいけないらしい。全力で疑問符を浮かべる武を、半ば引き摺るように志乃は歩く。
「ちょ、ちょ、ちょっ! 上川ァ!? あんたなにやってんのよっ!!」
「いえいえ、新人との交流を深めるために昼食に誘っているだけですよ。中尉」
「そうですよー。食事のついでに中尉の恥ずかしい話を聞かせてもらおうだなんて、これっぽっちも」
「食事が口実だということは隠さないのね……」
真紀にヘッドロックを極めたまま叫ぶ水月に、志乃と亜季がしれっと言ってのける。こちらも全く懲りてないのだなぁ、と藍子は感心するように呆れた。
そんな藍子の苦笑まじりの言葉にも気づかず、「それでわ」と笑顔のまま去ろうとする志乃と亜季に、引き摺られる武。最早彼にはなにがなんだかわからない。……わからない、が……この二人、そして水月に締められている真紀の三人は、どうやら彼のよく知る207A分隊のあの三人ととても似通っているらしかった。
つまり、愉快なことが一番。
(性質悪ィ……)
およそ先任に吐いていい言葉ではないが、正直にそう感じた。
……そして、案の定水月がいい笑顔を見せながらにやってきて。
なんだか、想像していたのとは全然違うA-01部隊の雰囲気に。
呆れるくらい賑やかで姦しい彼女達に。
武は、これから大変だと…………そんな呑気なことを感じていた。
===
昼食は……かつてない地獄だった。
歓迎会を兼ねているというそれは、単純に全員揃って昼食を採るというだけだったのだが……なんというかその、非常にパワフルだった。
武の知る限りでは207訓練部隊の面々と採る食事も相当に賑やかで姦しいものだったが、どうも任官すると、それは一様にパワーアップするようである。
というのも、まず食事のスピードが圧倒的に速い。筆頭は何故か武の右横に陣取って不必要に密着しようとする藍子。多分数分も掛かっていない内にトレイを空にしていたのではないかと思われる。そして、その藍子に若干の悔しさを見せている気がする梼子。武が感じた彼女の心理を両隣の美冴と亜季がからかっていて実に微笑ましい。
残る全員もまた、武を圧倒するくらいの速度で皿を空にしていく。……軍人にとって必須だという早食いだが、全員が全員、尋常ではない。武だって207部隊に居た頃は相当な早食いだったはずなのだが……。
「いつ如何なる時でも即時対応できるように、ね。……こういう心掛けは大事なのよ?」
「は、はぁ…………」
それはそうなのだろう。にっこりと微笑みながら教えてくれる藍子に、しかし武は苦笑するしかない。……というか、どうしてこの人はこうも身体を寄せてくるのか。……主に肩に触れる柔らかな膨らみ。一々ふよんふよんと揺れる感触に、最早正常な思考が回らない。
「…………………………」
――が、理性など保てそうにないこの状況で、ギリギリ、武の本能を押さえつける気配。ひりひりと喉が干上がって、痛いくらいに心臓が悲鳴をあげる。向けられる視線は極低温に冷え切って、鋭利なツララのような切っ先を突き立てられたかのよう。
明らかに黒雲漂い雷鳴轟く殺気じみた気配に……恐ろしくて振り向くことさえ出来ない。触れていないはずの左腕が、どうしてか盛大に捩りあげられているような錯覚を覚える。怖い。率直に言って、怖い。
藍子にその“彼女”の気配や形相が読み取れないはずはないのに……彼女はむしろそれを楽しむかのようにさらにグイグイと胸を寄せてくる。……うぁあ、柔らかい、やわらかいんだけど、その、……それに二乗、否、三乗して左側から立ち上る怒気が膨れ上がっている!
「あら? どうしたのかしら。顔が赤いわよ。……ぅふふ」
それは嘘だ。今の状況で武が赤面するなんて在り得ない。むしろ蒼白を通り越して真っ白に血の気が失せているはずだ。……だが、恐ろしすぎて左側を向くことの出来ない彼の顔色を、件の彼女は窺い知ることなどできずに。
「あはははは! 見ろよ、速瀬のあの顔ッ! な、涼宮! あ~っ、だれかカメラ持ってないのカメラ! 残念だなぁもう! あっはははは!!」
「……き、木野下中尉……さすがにそれは……」
武を挟んで行われているなんらかのやり取りを見て、木野下が爆笑する。あまりにあんまりな彼女の言い分にさすがの遙も若干引いているが……しかし、一抹の望みを抱いて向けた武の視線に、彼女達はそろって「頑張れ(にっこり)」と無責任な笑みを向けてくれた。
……ああ、わかってたさ。わかってたよ。ついさっきまでのやり取りを見てたらわかるさ。水月は……こんなにも隊の皆に好かれているのだ。尊敬とか憧れとか、そういうものも在るだろうが……全員が全員、暖かく微笑ましくこの光景を楽しんでいるというなら、きっとそうなのだろう。
豪放にして豪胆にして豪快。そんな水月だが――こと、“この件”に関しては、彼女は皆の嗜好品という扱いを受けている。
無論、武本人には全くに知る余地のないことなのだが……しかし、彼は、過程はどうあれ、水月がからかわれているのだということには気づいていた。そのために自分が餌にされているというのは些か辟易とするが、新人が何を言ったところでどうなるというものでもなく。
そもそも、最初に亜季がこういっているのだ。「肴も手に入れた」と。……なるほど、こういうことだったかと今更溜息をついたところで、事態が好転するはずもなく。
「ぁ、の……水月、さん……?」
「ん~~~? なにかなぁ武ぅ?」
ゾ、っと。
全身に鳥肌が立つ。血が凍る呼吸が止まる耳の奥がヅンとして脳髄が冷や汗をダラダラと流す。カタカタとテーブルに置いた自身の腕が震える。哀れなほど恐怖に縮み上がるが、けれどここで怯んでいてはどうにもならない!
「そ、の……怒って、ます?」
「全ッッッ然~~~~?!!」
ギシリ、と何か恐ろしい音を聞いた気がした。……振り向いて確認したいが、できない。多分、拳を握った時に骨が軋んだとか、そんな音だ。もし振り向けば、……想像するに恐ろしい。
「め、滅茶苦茶おこってますよ、…………ね?」
「あっはははは~! 面白いこと言うわねぇ武ゥ!? 私が一体“な・に・に”怒ってるっていうのかしらぁ?!!」
ガクガクブルブル。最早壊れた機械のように震えまくる武。もし彼が本当に機械作りだったなら、あまりの振動に螺子の二、三本抜け飛んでいるかもしれない。
だというのに、その武と水月のやり取りを見て、尚更に藍子がしなをつくり武に密着する。木野下の爆笑が耳に響く。なんだか真紀や亜季、志乃あたりから歓声があがったような気がする。震えて定まらない視線で、最期にもう一度だけ助けを求めて向いた先――遙は――鼻歌混じりに食事の続きを採っていた!!
神は、我を見捨て給うた――。
ふ、と。何かを悟ったように笑う武。
なるほど、これが自分の運命かと。それは諦観にも似た薄い笑み。――瞬間、後頭部に走ったゴシャアという衝撃と炸裂音。続く視界の暗転に、くぐもって聞こえる水月の怒声や罵声。
ああ……多分これからも、こんなやり取りが続くに違いない。
任官して、正規の軍人として、衛士として……相応の覚悟と決意を持っていたはずなのに。いっそ悲壮になれたらどれほど楽だっただろう。……なのに、A-01部隊の皆は、彼女達は……水月は。武のそんな内心の狂気などに関係なく、ただ、底抜けに明るく、そして、温かかった。
薄れゆく意識の向こう、藍子を追いまわしているだろう水月の声が聞こえる。
……ああ、懐かしい。温かい。
変わらない彼女と、これからも一緒にいたいと思ってしまう。成長した自分を見て欲しいと願ってしまう。
でも、それは。
気絶しそうなくらい後頭部が痛いのに、なんだか随分と余裕の在ることだ。武は無意識に薄っすらと笑みを浮かべて……今度こそ本当に気を失った。
「貴様は莫迦なのか大物なのか全くわからんな……」
「はぁ、自分ではそのどちらでもないつもりなんですが……」
教壇にはみちるの姿。並べられた机には武一人。まるで昨日までの座学にも似た光景だが、それはそのままにこれから座学が始まることを示していた。
そこにA-01部隊の彼女達の姿はない。彼女達は木野下の指揮のもと、シミュレーター訓練に勤しんでいる。
今からみちるが執り行う座学は新人の武に、A-01部隊が、具体的にはどのような任務に就くのかということや、……今後実戦に出て戦う武に、敵についての知識を詰め込むためだ。
敵……つまり、BETA。
知らず、武は拳を強く握っていた。どこかしら視線も鋭くなり……若干ではあるが、心拍数も通常よりは、高い。
が、それは表面上には目立った変化としては現れず……昼食の出来事を回想して苦笑しているみちるには、武がやる気に満ちている程度のものにしか感じられない。
「さて、まずは貴様に我々A-01部隊について、詳細に説明しておこう。……無論機密に触れる事項について話すわけにはいかないが、自身の属する部隊の任務さえ知らないのでは話しにならんからな」
それはそうだと頷く武に、みちるはA-01について説明してくれた。
かつて、A-01部隊は連隊規模で運用されていたこと。過酷な任務に次々と数を減らし……現在では一個中隊を残すのみということ。それだけでA-01部隊の人員損耗率の高さが知れる。この横浜基地で最も損耗が激しい戦術機甲部隊……。武は、自身が夕呼の何らかの思惑によってこの部隊に“引き抜かれた”のだと考えている。ならば、そこにはこの損耗率の高さも関係しているのかもしれない。
例えば……多く補充の見込めない戦術機甲部隊には丁度いい補充要員。戦術機適性「S」という規格外の適性値を持つ武に、夕呼は研究と証した実験を繰り返していた。きっと、その過程で武がA-01にとって有益な補充要員であるとの発想を抱いたのだろう。
まして、夕呼直属だというこの部隊ならば、ほかに例のない「S」ランク適性者の武を存分に扱えるに違いない。
……もっとも、それは単に武が邪推する内容でしかないため、夕呼の本心はわからない。案外、丁度いい捨て駒とでも考えているのかもしれない。……本人にしかわからないことを、アレコレと探るのはよそう。どう足掻いたところで、既に彼女の手の平で踊りきることを選択した身である。今更、その理由を知りたいとは思わなかった。
続けられるみちるの説明の中に、ぎょっとさせられるものがあった。
A-01部隊のメンバーが、全員同じ訓練校を卒業しているということ。即ち、この横浜基地衛士訓練校……果ては、かつての帝国軍横浜基地衛士訓練校……。つまり、みちるも、木野下も……そう、そうだ。水月や遙さえ、確かに帝国軍の衛士訓練校を卒業しながらに、こうして国連軍の部隊に籍を置いている。
自分が国連の衛士訓練校に転属して、そのまま国連軍の部隊に配属されたことで、そのあたりの認識に齟齬が生じていたが……冷静に考えれば、妙な点が多い。
その武の疑問を承知しているのだろう。みちるは一拍を置いて、更に説明してくれた。
「そもそも、この基地……いや、かつての帝国軍横浜基地衛士訓練校は、A-01部隊の衛士を錬成するために設立された。……いや、そういうと語弊があるな。つまり、A-01部隊の発足が計画された段階で、帝国軍横浜基地の訓練校に、A-01部隊専用の養成部隊の設立が立案・可決されたんだ」
「国連軍の新たな部隊を発足するために……帝国軍に専用の衛士訓練校を設立……ですか」
そうだ、と頷く。そして、それこそがAL4と呼称される計画のそもそもの始まりなのだという。
「1995年に開始されたAL4だが、その以前より計画のための準備は進められ……A-01部隊の設立も、その準備の一環として行われた。言ってしまえば計画開始に伴う専用の特殊任務遂行部隊が必要となったから設立した、ということになるが……そもそも、このAL4は国連の中で極秘裏に遂行される人類の叡智を集結させた一大計画だ。つまり、それこそ世界中の識者や技術者達が集まって協議・採決され、実行が決定された計画。その提唱者が……」
「副司令……」
「……そうだ。そして、香月博士は帝国の招聘に応じる形で本計画の理論を検証し、そして現在にいたり尚、計画達成のために尽力されている」
……なるほど、なんとなく事情が飲み込めてきた。当時日本国内には大々的な研究を行える規模の国連軍基地は存在していなかった。まして、夕呼の計画が正式に可決される以前より――このあたり、計画に相当の自信があったことが窺えるが――彼女の計画遂行にとって必要となる専用のスペシャルチームを発足する準備を進めていたというのなら、そもそも国連軍内部にそんなものを立ち上げること自体が無理だ。
故に、帝国軍の基地内に、対外的にはそうと知らせず、計画が正式に国連の承認を得た後にはA-01部隊として任官させるための衛士訓練部隊が設立された。日本人の科学者が、帝国のバックアップを受けて提唱した理論が罷り通ったのである。ということは、この計画はそもそも日本人の手によって運用されることが相応ということだろう……。それ故に、帝国軍衛士訓練校出身でありながら、国連軍に転籍、さらに直属の特殊任務部隊に配属される……という理屈が実現してる。
そして……1999年の1月に、帝国軍横浜基地が壊滅し……『G弾』という暴力が更地と化したこの地に新たに設けられた、国連太平洋第11方面軍横浜基地。なるほど、ならばそれはその建設の当初からAL4を潤滑に進めるための、専用の研究施設ということになる。計画提唱者である夕呼がちゃっかり副司令の地位に就いているあたりに、彼女の恐ろしいまでの策謀が窺える。
基地司令であるパウル・ラダビノッドは……いわば国連からの監視役、だろうか……。
「やっと理解できました……。俺達、207訓練部隊の国連軍への転籍は、そんな理由があったからなんですね……」
「そうだ。貴様らと……一期上の、高梨たちは、基地そのものがAL4専用に建設されるために、今までのような回りくどい手を使わずとも直接A-01部隊へ任官させることが可能となったことから、札幌基地より異動させることが決定した」
やることが一々壮大で、漠然とした感想しか思いつけない。スケールが大きすぎてその全貌まで窺い知ることなど出来ない武は、今はとりあえずそういう事実があったのだということで頷いておく。そこに国家間の陰謀や思惑もあったのかもしれないが、現実に、武はここに居る。だから、それは最早そういうことでしかないのだ。
手に入れた情報をそう整理した段階で……ならば自分はいずれ、どっち道A-01に配属になっていたのだと気づく。そして、いつかは茜達も。
ならば夕呼は何故、こんなにも異例中の異例という手段で、武をA-01へ捩じ込んだのか。訓練期間の大幅短縮に続く任官。まるでこの時期に武がA-01にいないと困るとでも言いたげな……いや、それは考えても詮無いことだと自分でもわかっているはずだ。
だが、想像は出来る。
先ほども考えたような……きっと、夕呼にとってなにか有益な存在。戦術機適性「S」というだけでは説明もつかないが……最適な言葉を捜そうとするならば、矢張り“駒”、だろうか。
なんにせよ……これは深く考えれば考えるほどに泥沼に陥りそうな命題だった。……駒でもなんでもいい。覚悟は当に決まっている。そして、用意されたレールとはいえ、自身の意思でその上を奔ると選択したのだ。夕呼の思惑など知ったことではない。
「白銀……貴様が考えていることは大体想像がつく。放っておいても八月……遅くとも翌年二月にはA-01に任官するであろう自分が、どうしてこんなにも早急に任官することになったのか……」
「……」
「それはな。貴様が今月末に行われる甲20号目標間引き作戦……作戦名を『伏龍作戦』と呼ばれる一大作戦に参加することが決定されているからだ」
「――は?」
『伏龍作戦』という名も初耳なら、それに参加するというのも初耳だ。当惑する武に、しかしみちるは変わらぬ表情のまま……
「故に、貴様は本日からでも部隊の訓練に合流し、隊の皆との連携を完璧なものとし、さらには対BETAに関するあらゆる知識・技術を身に付け、己のものとしなければならない」
みちるの言葉に絶句する。
一般的に、任官した後、どの程度の訓練期間をおいて初陣となるのかを武は知らないが……常識的に考えて、任官したばかりの新兵を、僅か二週間後に……しかもそんな大々的な作戦に参加させるというのは……多分、とんでもないことなのではないだろうか。
……だが、みちるは一切冗談を言っている風ではないし、なにより、これこそが夕呼の思惑の一つなのだと悟って、武はギュウと拳を握り締めた。腰に提げる弧月がヒィン、と鳴る。締め付けられるような心臓に反比例して、なにか得体の知れない情感が込み上げる。
つまり、それは……
二週間後には、ヤツラを、殺せる、という……こと、?
「いいか白銀。貴様に用意された時間は少ない。ハッキリ言って無茶苦茶だ。……だが、我々は軍人であり、そして香月博士直属の特殊任務部隊である。博士が立案する作戦は全て、AL4遂行のために必要不可欠で、失敗の赦されないものだ。貴様が参加する『伏龍作戦』もまた、そのひとつであると知れ。――わかったな?」
「はい!!」
その声量に、みちるはほんの少しだけ驚く。或いは……武が瞬間にして纏った、空気、というもの。
あまりにも一瞬前までとは異なる様子の武に、彼女は小さく眉をひそめはしたが……時間がないということを誰よりも承知しているみちるである。今日の夕方までに詰められるだけBETAについての知識を詰める。ハイヴ攻略は想定されていないため、そのあたりの知識は追々叩き込むとして……みちるは、昨日までに立案していた武の、そしてA-01部隊全体の訓練内容を今一度確認し、よしと気合を入れる。
ともあれ、武はやる気に満ちている。部下がこれほどに気概を見せているのだから、それに応えてやるのが上官というものだろう。
だからみちるは気づかなかった。
左手に弧月の鞘を握る武の瞳。――それが、どこか黒々とした光を孕んでいたことに。