『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:一章-02」
戦術機適性検査、というものがある。これは、そもそも衛士としての適性を調べるもので、この検査の時点で撥ねられてしまえばそこで衛士としての道は閉ざされるという、衛士を目指す者にとって、とても重要な検査だ。
戦術機は巨大な機械だ。人間の動きで再現できないものはなく、それ以上にヒトとは比較するのもおこがましいほどの機動を実現するそのシステムは、曰く――揺れる。
それはもう、酷いくらいに。
眼の前で二つの筐体が激しく動いている。現在柏木と築地のふたりが検査中。……本当に人が乗ってるのかと疑いたくなるような人畜有害な動きに、ハッキリ言って言葉がない。
いや、言葉がないのに言うというのは少し変だが……。それほどに予想以上だったってことだ。その心中は推して知るべし。
「これで、簡易検査なんだ……」
少し乾いた声。涼宮が頬を引き攣らせている。……無理もない。
本格的な戦術機特性を調べるのは、四年後の総合戦闘技術評価演習に合格した後に行われ、それは実際のシミュレーターを使用したものなのだそうだ。
本物の戦術機の動きを再現するシミュレーターは、こんな筐体とは比べ物にならないらしい。
検査前の教官の表情を思い出す。……うわぁ、絶対こうなることを予想してたよな、あの人。……怖いお人よ。
――ブシュゥウウ……。先ほどまでの激しい動きが緩やかに終わりを告げる。どうやら検査は終了のようだ。神宮司教官が通信機に向かって指示を出している。しばらくすると筐体の扉が開き、顔面蒼白になった柏木と築地がフラフラになりながら出てきた。
「…………」
「…………」
二人とも何も言わない。検査前に渡されたエチケット袋は膨らんでいないから、最後の一線だけは守り抜いたのだろう。だが、今ここでストマックブロー……いや、ボディブローで十分か? を喰らいでもしたら……ぉぉお、想像するに恐ろしい。
夢遊病者のように俺たちの前を通り過ぎ、長椅子に腰掛ける。どこか遠い眼をしているのがやけにリアルでこっちまで気分が悪くなってきそうだ。
さすがの柏木も、いつもようにヘラヘラと軽口を叩く余裕すらないようだ。――しおらしい柏木ってのも、気持ち悪いな。
そんな、本人が聞けば憤慨するだろうことを考えながら、月岡と立石の二人が生贄の祭壇に引き摺られるように筐体へと入っていくのを見送った。
「晴子、大丈夫?」
声に振り返れば、涼宮が柏木を見つめている。築地に声を掛けないのは……たぶん、返事をしたらリバースしそうな雰囲気を感じ取ってのことだろう。うん、思いやりは大切だな。
その分、柏木は――顔色はそれはもう悪いのだが――若干余裕が見受けられる……ような、気がする。
重度の乗り物酔いには違いない。そっとしておいてやったほうがいいようだった。察したのだろう、涼宮も諦めてこちらへ並ぶ。苦笑しながら涼宮に手を振った柏木は、やっぱりいつもの調子には戻れないらしい。
「ね、ねぇ白銀……」
「なんだよ……」
服の袖を涼宮が引っ張る。子供かお前は。
「大丈夫、よね?」
「俺に聞くな……」
あはは、と乾いた笑い声。諦めろ涼宮。どう心配したところで、次が俺たちの番ということは変わらない。潔く覚悟を決めて、やってやろうじゃないか!
と、そこでタイミングよく検査終了。やはり月岡も立石もへろへろだ。
「次、1号機に涼宮。2号機に白銀!」
神宮司教官が俺たちを呼ぶ。――うっし! 衛士になると決めた以上、やってやるさ!
気合を入れて、いざっ!!
…………結論から言うと、全然、大したことなかった。
拍子抜けして筐体から出ると顔面蒼白の涼宮。まるで平気な俺を見て、驚愕。見れば、大分顔色のよくなった柏木たちも、信じられないと言った表情でこちらを見ている。
――え? 俺なんかやったか??
いや、確かに揺れたけど……でも、そんなに物凄く酷いというわけでもなかったし……あ! ひょ、ひょっとして、俺の時だけ機械が故障したとか?!
「……白銀、なんともないのか?」
神宮司教官が尋ねてくる。その声音はどこか信じられないというか、むしろ、当てが外れてがっかり、というものだった。――なんでだ?
「は、いえ……あの、俺の時だけ故障してたわけじゃないですよね?」
「ああ、そうだ。検査装置は故障していないし、内容も皆と同じだ。……本当に、なんでもなかったようだな」
どこか複雑そうに、手元の書類と俺を見比べている。なんだ、あの紙? ひょっとして、今の検査結果かな。
教官は一つ咳払いして俺たちを整列させる。検査が終わったばかりでふらふらの涼宮を、こっそりと支えてやる。済まなそうな視線を向けてくるが、あえて気づかない振りをしておいた。
ま、貸しひとつってとこかな。こんなの全然貸しでもなんでもないけど。
「さて、一通りの検査が終わったわけだが……結論から言えば、貴様たち全員合格だ。……揺れが続くと三半規管が混乱し、いわゆる乗り物酔いとなる。視覚情報や乗り物の環境、本人の健康状態によっても左右されることがあるが、しかし、これは当然の生理反応だ。気に病むことはない。それに、今回の測定値はあくまでも実際の戦術機特性を調べるための比較データ採取のためのものだ。余程の過剰反応を見せない限り、合格になる」
全員合格という事実に涼宮たちに歓びの波が広がる。いや、涼宮に関して言えば浮かび上がった気持ちがすぐに揺り返されて沈没していたが。
柏木なんか既に快復していてやたら笑顔が眩しい気がする。いや、俺も嬉しいんだけどさ。
「で、だ。白銀」
「はいっ」
またも名指し。やっぱり俺、なにかやったのだろうか……。
さっきからそれが気になってしょうがない。適性検査に合格したのに、素直に喜べないのはそのせいだ。
一体、俺は何をやってしまったのだろう……? ただ単に筐体の中で座っていただけのはずなんだが……。ハッ?! まさか、途中、揺れがあんまりに心地いいんで眠りそうになったことかっ?! く……確かに、検査とはいえこれは大事な衛士になるための第一歩。俺の心構えに隙があったと言われてもしょうがないぜ。
ここは、素直に叱られておこう。反省して、次に活かせばいい。さあ、教官。ビシッと言ってください!!
「お前は、本当にニンゲンか?」
「――――は?」
「……いや、いい。忘れてくれ」
「あの、教官?」
あれ? 怒られないの?? なんで? ていうか、ニンゲンか、って……ははは。やだなぁ神宮司教官。そんな冗談。
「すまない。気分を害したならそう言ってくれ。……しかし、心拍・呼吸・精神状態……どれをとっても平常そのまま。若干の興奮がみられたが、それは誰も同じことだ。実際の戦術機とは比べ物にならないとはいえ、相当な揺れには違いないはずなんだが……ふ、まったく。興味深い男だな貴様は」
にやり。神宮司教官の唇が歪む。うわ、なんか企んでる顔だ、あれ。
「楽しみになってきたな? これは」
こっちは全然楽しくないです……。
「白銀、貴様の戦術機適性値は歴代の初回測定値の中でトップだ。しかも、ずば抜けて、な。今までの実績で言えば驚異的としか言いようがない。正直、今でも信じられないくらいだが……」
「は?」
今、何とおっしゃいました??
歴代トップ? 誰が? 俺? え? 戦術機適性の? え~……っっと?
「うそ……」
隣りで涼宮の息を呑む声。柏木も築地も月岡も立石も、全員が目を見開いて俺と教官を行ったり来たり。
どうやら聞き間違いじゃないらしい。本当に、俺は……?
「つまり貴様は戦術機に乗るために生まれてきたようなもの、というわけだ。だがな白銀、これはあくまでただの数値。データ上で適性値が高かったとしても、それが実戦で発揮されるとは限らない。貴様はまだ訓練兵。しかも、入隊したばかりのひよっこだ。そこをよく理解し、己の適性値に恥じない実力をみにつけてみせろ。いいな」
「――は、はいっ!!」
思わず敬礼。教官は満足そうに敬礼を返してくれた。
「よし、ひとまず解散。午後からは基礎トレーニングを行う。各自、1230までにグラウンドに集合、昼食は済ませておけよ」
「敬礼!!」
分隊長の涼宮が号令を掛け、全員で敬礼。さっきまでふらふらだったのに、さすが分隊長。意識が違うぜ。俺も負けてられないな。
神宮司教官が検査室から出て行くのを見送って、俺たちも思い思いに散会する……のがいつもの常なんだが。あれ? なんで誰も動かないんだ?
「歴代一位……ねぇ。へぇー。すごいね、白銀君」
「ふーん、へー、ほー」
なんだか満足げに頷く柏木に、思い切りジト目で見つめてくる涼宮。いつの間に復活してやがるんだお前は。
鬱陶しいくらいの羨望(?)の眼差しから逃げるように、一足先にPXへ向かう。……戦術機適性歴代一位……か。へへ、なんだか知らないけど、衛士を目指すに当たって大きな自信になったかな。――と、いかんいかん。そうやってすぐに調子に乗るのが俺の悪い癖だな。増長するのはよくないぜ。
ここは教官の言うとおり、自分の適性に見合った実力をみっちり身につけていかないとなっ!
===
昼食をとり、207の連中と一旦別れて各自休憩。貴重な休み時間だが、腹ごなしに軽く走っておこうとグラウンドへ。
つらつらと午後の訓練までの計画を立てながら歩いていると、ふと、誰かに呼び止められた……気がした。
気がした、というのも、その呼び声というものがとても小さく、聞き間違いだったのではないかと思うようなものだったからだ。
だが、間違いなく。誰かが俺を呼んでいる。いや、俺、というか……まぁ、そこに居るヤツ、ってことなんだろうが。
「なんでしょう?」
「ぉっ、やっと気づいてくれたか」
声のほうに振り向けばそこは男子トイレの入口。なんでまたそんな所にその人は立っていて、しかも俺を呼び止めるのか。俺より頭二つ分ほど背の高い黒髪のその人は、ちょっとこっちこいとばかりに小さく手招き。
正直、関わりたくないと思ったが、いかんせん現在自分は訓練兵。しかも入隊したばかりのひよっこ軍人だ。
この基地に居る同期生以外の軍人は全てが敬うべき先任であり、ならば従わざるを得ないのが新人の義務だ。
「よぉ、悪いな。急に呼び止めて」
「いえ、構いません。それで、自分に何の用でしょうか?」
それほど歳は離れていないらしいその人に、丁寧に答える。何故か苦笑を返されてしまったが、しかしその人はそれ以上気にした素振りもなく、キョロキョロ周囲を窺い始めた。
「用件というのはな、お前がここに来るまでに人にすれ違わなかったかどうかを確認したいんだ」
「……ひとと、ですか?」
「そ。しかもソイツは青髪をポニーテルにして、いかにも気の強そうで乱暴そうな怖い怖い女なんだが……見てないか?」
「は、はぁ……そのような女性とはすれ違っていませんが……ぇっと、」
誰だよ、そんな怖い女って。思わず本音を口走りそうになるが、自粛。真剣な表情であたりを警戒するその人を見る限り、相当にヤバイお人なのだろう。
言っては何だが、全身から「今ヤツに出逢うとマズイ」という雰囲気が発せられている。
「そうか……じゃあ、ここからが本題なんだが、――むしろ、こっちの方が色々とまずいんだが、」
益々真剣になる表情。眉間に皺を寄せて、とてつもない気迫を漂わせている。……こ、怖ぇ……。
「長い髪でな、腰の辺まで伸ばしてるんだが、一見お嬢様風の、おっとりふんわりした空気を醸し出してる女なんだが……会ってないよな?」
「は? はぁ、いえ、会っていません」
ど、っと全身の力を抜くその人。トイレの壁にもたれかかるようにして、深く長い溜息をついている。いや、あれは安堵の吐息か?
しかし……よく意味がわからんが、この人にとってはいかにも気の強そうで乱暴そうな女の人よりも、一見お嬢様風でおっとりふんわりしている女の人の方が怖いらしい……どういうことだ???
とても抽象的で、どちらも見たこともない特徴なのでイメージしか湧かないが……、なんだか関わりを持たない方が良さそうな人たちのようだ。
なにしろ、目の前の一見精悍で鍛え上げられた肉体をしているいかにも衛士な人物がここまで過剰な反応を見せるような女性なのだ。
余計なことに首を突っ込まない方がいいだろう。はやいとこ退散してランニングだ。
「そ、それでは、自分はこれで失礼します!」
「おーぅ。悪かったな、時間とらせて。しっかり鍛えろよ!」
子供のような笑顔で、ばしばしと肩を叩いてくる。いて、いてて。なんて力だよこの人っ?! はぁあ、これが訓練の成果なのか?
……やば、ちょっとカッコイイとか思ってしまった。いや、確かに男の俺から見ても整った顔立ちをしてらっしゃる。……案外、さっきの女性たちふたりと色々揉めていて逃げている最中とかなのかもしれないな。
そんな、本人に知れたら失礼どころじゃ済まないような想像をしながら、トイレを後にする。勿論、去る前に敬礼を忘れない。
――で、廊下の角を曲がったところでものすごく柔らかい物にぶつかったわけで。
なんていうか、ふょん? っていう、そんな柔らかい未知との遭遇。
え~~っと、ですね。さぁ、落ち着け。そう落ち着いて対処すれば何事もうまくいく。冷静に、呼吸を整えて、すーはー。
「つまりですね、俺はまだ成長期なわけでして、すぐに身長も伸びて二度とこんな真似はしませんっていうかこれは事故です!」
「……初対面でいきなり言い訳からっていうのも、珍しいわねぇ……」
とても柔らかな未知体験から顔面を引き剥がし、一気にまくし立てるものの、底冷えのする声に思わず後悔。――まずぃ、選択を誤ったか?!
恐々とその御尊顔を拝見するに、こめかみがひくひくと痙攣して、口元は見事に吊りあがっていらっしゃる。
背は俺よりも頭一つ分高い。その存在を主張してやまない豊満なお胸は俺の顔面がぶつかったことなど気にしても居ないかのよう。
そして、なにより。
青色の髪をポニーテールにして……発するオーラからはいかにも気の強そうで乱暴そうな気配がぷんぷんと漂っている。
――あ、俺、やっちゃった?
知らず、後ずさる。が、まるで読んでいたかのように距離を詰められて、
「あんた、いい度胸してるじゃない? ぶつかったことを謝りもしないどころかじっくり視姦までしてくれちゃって」
「してませんよっっ???!!」
「あら、言い訳? 言い訳男なんだ、あんた。ふーん。で? あたしの胸をたっぷりじっくり味わった感想は? きっちりきっぱり言っちゃいなさい――3、2、1、ハイ」
「すごく柔らかかったです! ――って、何言ってんだ俺ぇえええええええ!!??」
ぎゃああ、何だこの状況は! さっきの男の人が言ってた女性は多分というか確実にこの人だ!! 確証はないけど確信したぞ?!
「あ、あの……っ、その、すいませんでしたっっ!!」
速攻で頭を下げる。むしろこの勢いのまま土下座して許しを乞いたいくらいだ!
「あら、案外素直じゃない。狙ったように胸に飛び込んでくるから新手の変態かと思ったわよ」
「狙ってません!!! ほんとにあの、偶然でしてっ?!」
「もう、水月。いい加減にしてあげなさい。可哀想でしょ」
にやにやと愉しげに俺をいじくるポニーテールさん(仮称)の背後から、長い髪を腰まで伸ばした一見お嬢様風のおっとりふんわりさんが現れる。
苦笑気味にこちらへやってきて、気にしなくていいからね、とまるで弟を安心させるかのような天使の微笑み。ぉおう。思わずときめいてしまった。
「なによ遙。それじゃまるであたしが新人いびりしてるみたいじゃない」
みたいじゃなく、そうでしょう。
「もう、水月ったら。孝之くんが見つからないからって人に当たることないでしょう?」
「あー、はいはい。まったく、遙ったら頭固いんだから。ま、いつまでもこんなので遊んでてもしょうがないし。さっさと孝之つかまえないとねー」
こんなのですか。とほほ。
しかし、既に二人の意識は俺にはなく、タカユキくんという人物にシフトしているようだった。話の流れ的に、さっきのトイレの人がそのタカユキくんなんだろう。
ここは、ミツキさんの攻撃を回避するためにも点数を稼いでおくか?
「あの~、」
「あら、まだいたの?」
「ひ、ひどい……」
「水月!」
「わ、わかったわよ……で、なによ? 言っとくけど、くっだらない用件だったらその鼻へし折るわよ」
なんて見た目どおりの人なんだ……。怖えよ。
「あのですね。さっきそこでお二人と同い年くらいの男性を見かけたんですよ。黒髪で、背の高い……」
「なんですって?! ちっ、もう外に逃げたかと思ったけど、まだここら辺をうろついてたなんて。誤算だったわ、行くわよ遙っ!」
「う、うんっ。あ、じゃあね。訓練頑張ってね」
最後まで聞かずに既にトップスピードまで加速しているミツキさん。ふんわりと柔らかな笑顔で、初対面の俺に応援までしてくれるまるで天使のようなハルカさん。
対照的な二人の後姿を見送って、なんだかとてつもない疲労感に襲われる。なんつーか……酷く、個性的なふたりだったな。
さて、改めまして自己研鑽、と。廊下の向こうから聞き覚えのある声が悲鳴から絶叫に変わるのをあえて無視してグラウンドへ向かう。
――未熟な俺を赦してください……合掌。
多分二度と会うことはないだろうと思っていた彼女たちとは、またばったり出くわしたり色々と面倒をみてもらったりするようになるんだが……それはまぁ、もう少し後のお話。