『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:十章-01」
最高時速180km/hで迫る巨岩のような大群。遠方からでも圧倒的に過ぎるその大群を前に、ぶるりと全身が奮えるのがわかる。前面に突き出した装甲殻には通常の攻撃手段は通用しない。反面、後部は36mm砲で十二分に通用するので、突撃級と呼称されるソイツの攻略法は、往々にして決まりきっている。
つまり、衝角突撃戦術をかわし、背後に回って討ち取るのである。だが、一言にかわすと言ってもそう単純ではない。跳躍ユニットで飛翔してかわせるならそれが一番手っ取り早く、安全なのだろう。だが、後方に光線級の存在を認めている場合、跳躍することによる危険度は突撃級の間を縫って回避することよりも倍増するのだった。
座学で散々に叩き込まれた戦史を見てもわかるように、BETAのレーザー属……つまり光線級や重光線級という連中だが、それらのレーザーによって航空兵器が軒並み潰滅させられている。連中は飛翔体を殊更に優先して攻撃してくるのだった。
戦域情報には光線級を示すマーカーが踊っている。ならば、ここで跳躍しての回避運動は好んでとりたい手段ではなくなった。武は……前方を行く三機同様に、壁のように迫り来る突撃級の間をすり抜けるようにして回避――同時に、抜き放った長刀でその無防備な背中を切りつけた。
ふらりと機体を倒すように、回避のためかはたまた攻撃を想定してのことか、くるんと機体を旋回させてのその一撃。回避が攻撃となり、攻撃が回避となっている。
その武の機動を後部カメラの映し出す映像で確認していた水月はヒュウと口笛を吹き、自身も負けてられないと照準もなく36mm砲をばら撒く。左方では、その水月と同じように志乃が、真紀が次々と獲物を平らげていた。
『よぅし、B小隊はこのまま転進、予定通り前方の要撃級を叩く! ついてこい!!』
『07了解!』 『09了解ッ!』
通信機越しに聞こえてくる水月たちの声に重ねて、武もまた了解を告げる。
A-01、通称を伊隅戦乙女中隊(イスミ・ヴァルキリーズ)とも言う、女性だけで構成される一個中隊。その突撃前衛を務めるB小隊に、武はいた。
歴代のヴァルキリーズの栄えある伝統に泥を塗ったとされる武だったが、彼以前にも実は鳴海孝之という男性衛士が所属していたことや、彼もまた同じくB小隊だったことを、木野下から聞かされている。
当時はそのことで孝之を散々からかったものだと笑う木野下の言葉に、しかし内心で武は狼狽していたのを思い出す。……その場には水月や遙はいなかったが……彼女達がそれを知らないはずはないだろう。水月たちが任官したその日を思い出す。泣いていた水月。震えていた水月。……果たして、武は本当に彼女の力と、支えとなれていただろうか。再会した水月からは、とても“強い”印象しか見受けられない。隊の皆に見せる仕草や、突撃前衛長としての豪胆さ。役割を務めているという印象はなかったが、彼女の深奥を知る一人としては、正直、心配に思ったことも確かである。
……が、矢張りそこは速瀬水月であった。
武如きがどうこう案ずる必要などなく、むしろこちらが彼女を心配させる種となりかねない。今の武に求められていることは、ともかくも彼女達との連携を完璧にすること。そして、BETAとの戦闘に慣れることである。
所詮シミュレーターではあるが、それでも話しに聞くBETAの脅威と、こうして目の当たりにしてやり合っている連中の脅威は雲泥の差だった。知識としてさえ、BETAの詳細を知ったのはつい先日のことである。こいつらがこんなにも奇妙奇天烈な姿形をしていることや、おぞましいほどに醜悪な容姿をしていること。まして、精神的ダメージを期待しているのならそれは紛れもなく大成功だと賞するに相応しいだろう個々のデザイン。
中でもずば抜けて武の精神を逆撫でしたのが兵士級と呼称される、目下のところ最弱とされるBETAだ。どいつもコイツも吐き気を催す不快さを湛えているが、その白いきのこの化け物のような形をしたそいつの、ギッチリと並び剥き出しにされた歯を見たときなどは、夢に出そうなくらい強烈な感情に見舞われたものだ。
同様の意味で、武は戦車級という小型種も嫌悪している。こちらは戦術機に取り付いて数多くの機体、並びに衛士を喰らっているというから、尚更に吐き気がする。
網膜投影ディスプレイに映し出される要撃級の群れ。その間を這いずるような赤褐色の戦車級の大群を見て、武は一気に眉を寄せた。
――こんな連中が、純夏をッ!
ぎりり、と操縦桿を握る腕に力が入る。噛み締めた奥歯は焼き付くように熱くて、睨み据えた瞳は凍りつくように冷たい。
だが、その感情に振り回されることがあってはならない。戦場では、感情に流された者から死んでいくという水月の言葉が蘇る。
突撃前衛。常に前線を駆け巡り、隊の進む道を切り拓く花形。最も多く接敵し、故に最も高い死傷率を誇る小隊でもある。高い近接格闘能力と操縦技術、なによりも常以上に優れた状況判断を要求されるその小隊に自分が抜擢されたことを、武は誇りに思う。同時に、自身が負った責任というものも、重々承知しているつもりだった。
己が拓いた道を、後方の仲間達が突き進むのである。BETAたちに攻め入るための入口を。或いは、囲まれた状況を打破するための突破口を、拓く。
突撃前衛小隊にいるものは、その全員が往々にして単機での攻撃力に突出している。その卓越した能力を巧みに連携させ、更には後方の部隊ともに連携を繋げて、ようやく人類はBETAと戦えるのである。地上支援部隊や海上からの支援砲撃等、多分にそれらの恩恵あってこそのBETA殲滅だが、矢張り対面してBETAと戦い抜くためには部隊内の強固で高度な連携が求められる。
武は匍匐飛行しながら右手に長刀、左手に突撃砲を構える。水月や志乃の戦闘スタイルを真似てのものだが、存外にこれが効率よくBETAを屠ることができる。真紀は周囲を囲まれない限りは突撃砲だけを構えている。そのことを質問した際に、彼女はこう答えていた。
曰く、長刀を使うと長持ちしない、のだそうだ。……なるほど、確かに長刀の扱いには突撃砲のようなシンプルさはない。剣術に覚えのある武がBETAを“斬る”のに対して、真紀は“叩きつけて圧し通す”ような使い方をしていたように思う。……志乃も似たようなものだったのだが、真紀のそれは彼女自身が言うように、少々荒っぽく、耐久度を鑑みれば、確かに頻繁に使いたくない装備なのだろう。
が、突撃前衛の基本装備である74式長刀二本に87式突撃砲一丁というそれは変更していない。接近戦を必然的に迫られ、常に敵の真っ只中にある突撃前衛においては、矢張り長刀は必需品なのだ。包囲網を突破、或いは隊全体が後退でもしない限りは弾丸の補給など出来ない。敵に近接している状況で弾薬が尽きたのなら、頼るべきは長刀、そして短刀となるからだ。
脳の片隅で思い出しながら、武は36mm砲のトリガーを引いた。狙いを付けなくとも命中するというのが、どこかしら滑稽にさえ思える。汚物を散らしながらに悶絶し、停滞し、そしてすぐさま背後から怒涛に迫る他のBETAに踏み潰される戦車級の一団を哀れに思うこともなく、武は月詠の剣術を体現する。
右手に握る長刀を振り回し、機体を旋回させつつも左手のトリガーを引く。右と左、前と後ろ、左と右、後ろと前。踊るように旋回し、僅かにも思える敵の隙間を縫いながら螺旋を描く。すれ違い様に斬りつけては回転、遠方から迫る集団に向けて突撃砲が火を噴き、更に回転。対物量戦を想定したかの剣術を、武は内心で沸騰するような感情を抑えつつも、とにかく必死に繰り返す。
息をつく間もない。二機連携を組んでくれている水月が武の進む道を用意してくれる。……彼女のフォローなくして、まだ、武は単機でBETAの包囲網を抜ける術を持ち合わせていない。
無論、戦場においては最低でも二機連携を組むのが鉄則であるから、その武の葛藤は些か先走りすぎともいえるが……。ともかくも水月は先任として、そしてB小隊を纏める小隊長として、新人の武を死なせまいと、更には己の機動を見せることで武の成長を促そうと躍起になって劣化ウラン弾をばら撒き、手当たり次第に切り捨てていく。
『武! 前方の光線級、一匹残らず叩くわよ!!』
「ヴァルキリー12了解ッッ!! うぉおおおおおお!!」
腕を振り上げた要撃級の顔面らしき部位を切りつける。その慣性のままに機体を転進させて、振り抜いた左手の突撃砲で止めを刺しながらに、武は跳躍ユニットを盛大に噴かせた。前方には既に目標へと進路を移している水月の不知火。追随するように、武も自機を操る。左方にはやや遅れる形で志乃と真紀の不知火。07、09とペイントされた青色の二機が、まるでタイミングを合わせていたかのように左右に割れる。
――同時、鳴り響く警報音。レーザー照射警報。初めてこれを聞いた時は正直パニックに陥って何も出来なかった。人類の航空兵器を完全に制圧し、人が空を飛ぶ夢さえ文字通りに打ち砕いた圧倒的対空兵器である光線級。ともすれば刷り込みに近いレベルで、その脅威度は上位に置かれている。
だが、志乃や真紀が事前から回避運動を取っていたように……このレーザー照射は予想の内だ。前方の水月も焦ることなく進路を右にとり、武もそれに倣うように操縦桿を傾ける。進行方向には、BETAの一団。第一陣として突撃していた突撃級の一部を背後に取り、更には群れる戦車級を前方の盾として利用する。下手をすればあっという間に取り囲まれて身動きが取れなくなりそうだったが、単純にレーザー照射を避けるための手段でしかないため、長時間居座るつもりもない。無論、ただ黙って盾に利用するだけというには危険極まりないので、当然として向かってくるヤツは斬り、或いは撃ち落とし絶命させる。
そんなことを繰り返しながら光線級にどうにか接近し、柔らかなその身体を長刀で切り刻む。跳躍ユニットの噴射を利用した高速旋回による連撃。三体の光線級の周りを一周するかのような軌道を取り、水月共々に七体を葬る。志乃と真紀も同様に戦果を挙げ、これで当面の危機は去ったといっていいだろう。戦域情報を見れば、A、C小隊も全員が健在。進行方向の要撃級を平らげて、こちらに合流する進路を見せていた。
『ヴァルキリー1よりヴァルキリー3。よくやった、速瀬。今のうちに後退して補給しろ。補給完了次第、ポイント45に移動。次の目標を叩く!』
『03了解! ……ぃよっし、さっさと下がって補給するわよ! 先頭は上川!』
『07りょーかい!』
みちるの指示に返事して、水月は早々に後退の準備に取り掛かる。あらかたの敵を屠ったとはいえ、まだまだ食い残しが多く存在するのである。基本的に突進するだけのBETAだが、進行方向からわざわざ転進して襲い来るヤツもいる。特に数の多い戦車級は矢鱈と厄介なため、警戒は怠らないに限る。
志乃を先頭に真紀、武が並び、殿を水月が務める。
知らず緊張を解いてしまいそうになる自身を戒めながら、武はレーダーを代表する各種センサーの反応を見逃さないよう、意識しながらに後退する。
戦闘開始から僅かに十数分たらず。――長い。
乾ききっている喉を鳴らす。まだまだ、“戦場の空気”というモノに圧倒されている自分を自覚する。志乃に言わせればたかが数回のシミュレーター訓練で調子に乗られるよりはマシだとのことだが……。無論、調子に乗るつもりなどないし、驕るつもりもないのだが……武は、なによりも己が進むと決定したその道を突き進むための術を欲している。
そのためには、一秒でも長く生き残り、生き延び、戦い続けなければならない。初陣で無様な屍骸を晒してなど堪るものか。
生きて、生きて、生きて、生きて。そして、――殺そう。
「…………ッ、ッ、!?」
殊更に鋭く歪められた双眸を、進行方向から見て右側――九時の方向に向ける。立ち上る砂煙。揺らめくようなシルエット。要塞級。そして、幾条もの白い閃光が空を焼く――
===
「武、あんたなかなかやるじゃない。今の連携はよかったわ! 次もこの調子で頼むわよ!」
「…………はい。ありがとうございます」
シミュレーターから降り、壁に背中を預けていると水月がやってきた。笑いながら武の肩をバシバシと叩く彼女はとても機嫌が良さそうである。それはきっと、今回の訓練で初めて、武が戦死しなかったからに違いない。
少々気恥ずかしい気もするが、しかし、純粋に嬉しい。憧れて尊敬して、大切にしたい水月が、武の生存のために数え切れないくらいのフォローをしてくれたことを、彼は気づいている。なにより、訓練開始前に、わざわざオープン回線のまま「絶対に死なせない」などと宣言されてしまえば、言われた当人としてはひたすらに赤面するほかない。
そうして、水月の宣言どおりに、確かに数度ヒヤリとした場面もあったが、こうして無事に武は生存することが出来ていた。四回目のシミュレーター訓練にしてようやく。その数字が一体何を意味するのかは、正直武には興味がない。……これほどに歓んでくれる水月には本当に申し訳ないのだが、けれど武は……その結果にただ憤慨するばかりである。
もっと強く。
例えば水月や他のB小隊の僚機に助けられなくとも。
もっと強く。
例えば包囲されたその時に一体を葬る時間を最短に。
……今の自分にはまだまだ過ぎた望みであることもまた、重々自覚している。……というよりも、思い知らされたといった方がより適切だろう。
そんな自身の葛藤を、武は表に出しているつもりはなかったのだが……気づけばジットリとした眼で、水月が睨んでいた。
「……ぇ、っと…………水月さん?」
「水月さん? じゃないわよ。……あんたねぇ、まさか生き残ったのが嬉しくないなんて言うんじゃないでしょうね?」
そんなつもりはない。戦い抜いて、任務を成功させて、生きて帰ってくるのが衛士の義務であり責任だ。例え戦闘の最中、惜しむらくも命を落とそうとも一切の後悔はしないが……矢張り、生還できてこそ、一人前ということがいえると思う。まして、衛士は貴重なのだ。その損耗率に補充が一切追いついていない状況で、どうして生き残れたことに不満を覚えるというのだろう。
更に言えば、今回の武の生還は、真紀の犠牲あってのものである。仲間に救われた命を嘆くほど、武は無神経でも愚か者でもなかった。……無論、それが訓練であろうとも。
「そんなつもり、ないですよ。……生き残った者は、死んでいった者の分まで生きなきゃいけない。そのヒトの存在を、生きていたという記憶を、絶えさせないために。笑って、誇らしげに語ってやれ……って、俺に教えてくれたのは、水月さんじゃないですか」
「……わかってるなら、そうしなさい。あんたがそんな仏頂面してたら、本田も浮かばれないわ」
「あの~~~、本当に死んだみたいに言わないでくれません???」
剣呑な表情をする水月の背後で、真紀は控えめにその存在を主張した。更に後ろには志乃がくつくつと笑っている。……どうやらも何も、武と水月の会話を聞いていたようだった。その真紀の半泣きに似た表情に、思わず噴き出しそうになる武である。
「本田少尉……その顔……ぷっ、」
「ぁあああ!!?? おまっ、シロガネ! 今笑ったろ!? 笑ったぁぁあーーー!!」
ぷんすかと肩を怒らせて武ににじり寄り、拳を振り上げる真紀。しかし武はひらりと身をかわし、くるくると彼女の周囲を廻りながら翻弄する。ムキになって殴ろうと追いかける真紀が可笑しくて、志乃は盛大に笑っていた。
……だが、眼前のその光景に、水月だけが眉を顰めたままだ。一歩、武たちから身を引くように、真紀と戯れる彼を見詰める。
水月は思い出していた。
武がA-01へ任官したその日の晩。隊長であるみちるに呼び出され、真剣な表情の彼女に問われたその内容を。
――速瀬、白銀にはなにか……BETAを怨むようなことでもあるのか?
その言葉を聞いた時、水月は、まるで白痴のように呆けてしまった。……みちるに問われたことが、よくわからなかったというべきだろうか。しかし、確かにその耳で聞いた言葉は脳裏に残っていて……だから、一拍の後に、
「大尉、それは……」
「いや……今の時勢、誰も彼も、少なからずBETAに怨みを持っているだろう。……人類をここまで追い詰めた連中を、怨んでいないものなどいないだろうし、……それによって何か大切なものを失ったものも珍しくはない」
水月を呼びつけながらに、しかし彼女から少しだけ視線を外して、みちるは思い出すように口にする。……今までの部下を思いだしているのかもしれない。或いは、彼女を育ててくれた多くの先達を。喪った、仲間を。
確かに……今現在地球に暮らす人の中で、連中に怨みを持たないものは存在すまい。やつらが踏みにじった後にはただ荒野が残るだけ。住んでいた家も街も都市も、暮らしていた家族も親も兄弟も。何もかもを蹂躙され、何もかもを喪って。抗うために戦争に出向き、力及ばずに戦死して。逃げ惑う最中に踏みにじられ暴威にコロサレ。
一般人だろうと、軍人だろうと、老人だろうと、若者だろうと、赤子でさえ……死んだものも生き残ったものも誰も彼も。全員が皆、BETAを敵と認識し、怨み、憎んでいるだろう。……そこに復讐を誓うものも、いるかもしれない。
哀しいことだが、それが現実であり……それがこの戦争だった。
だから水月は、その感情を否定するつもりはない。復讐という黒い執念に憑かれることを肯定はしないが、……少なくとも、誰だって一度は、そんな類の感情に晒される。それは、事実だろうと思う。
「……幸いにして……本当に、幸いにして私は、私の部下だった者たち……お前たちも、だが……未だ復讐にとり憑かれたものはいない。……今後もそんな哀しいことにはなって欲しくないと思っているが……」
「…………」
「……だが、な。今日、ヤツに講義をしていてわかったことがある。…………一ヶ月もヤツと過ごしていて、今更という気がしないでもないがな……」
水月は沈黙する。みちるも、酷く忌々しそうに言葉を切った。
最早、彼女が何を言おうとしているのかは明白だ。否、彼女は最初から水月に問うている。
「ヤツは、倒すべき敵を欲している……というのが、かつて白銀の教官だった熊谷という男の言だ」
「――え、」
熊谷、という名に覚えがなく……水月は少しだけ虚を突かれた。だが、思い当たる人物が一人いる。札幌基地で、武の教導官をしていた大男。そうか、アレが熊谷……。
何かを思い出したような水月に、ひたりと視線を向けて。みちるはまるで深く息を吐くように、言った。
「速瀬……おまえが訓練兵時代に白銀と関わりがあったことは知っている。…………白銀に、何があった?」
予想通りに。
あまりにも予想通りに、みちるは問うた。そして、彼女のその言葉は……ひどく水月を哀しませる。
武が敵を欲していて……そして、みちるがその理由を尋ねるということ。それは、つまり、……………………………………そういう、ことだった。
「――ッ、!!」
ぎしり、と。水月は奥歯を噛み締める。両拳を握り締め、ぶるぶると腕が震えるくらいに強張らせて……。
でも、それでも、そんな程度では一向に収まらない感情――怒り、に。
視界が白熱するほどの怒りを覚えた。この場に武がいたならば、即刻に殴り飛ばして、いつぞやのように気合を入れてやるところだ。
――あの、莫迦ッッッ!!!
迸る感情がある。怒りと、怒りと、そして哀しみ。悔しさ。
立ち直ったのではなかったのか。歪もうとする武を、あの雪の日、自分が支えてあげられたのではなかったのか。迷いながらも足掻き、必死になってもがく武を、あの夜に引っ張りあげられたのではなかったのか。……差し出した手の平を、彼は握ってくれたはずなのに!
……それとも、もう、既に。
昨年の七月。意識を失った武に再会したあの時。もう、既に…………。彼は、狂ってしまっていたのだろうか? 憎悪に捕らわれて、復讐に駆られてしまっていたのだろうか?
――きっと、違う。そんなことは、ない。
だって、茜がいたのだ。親友の妹。武の一番近くにいる、仲間。誰が見ても明らかなくらい、武のことを心配して……いつも、いつだって傍にいて彼を支えていた少女。彼女達。
そんな風に案じてくれる茜達がいて……武が復讐を選ぶとは思えない。もし自分が傍にいたら……と想像して、矢張り自分は武をそんな風にさせないと確信するように。茜がいて、彼女達がいて、武が歪んでいくのを、ただ黙ってみているはずがない。
だから、きっと違う。
みちるが武を“そうだ”と言うのなら。それは……極々最近のことのはずなのだ。
例えば、単身で異動し、A-01へ任官するための……その、敷かれたレールの上を行くと決めたとき。――そんな、莫迦な。
だが、およそ水月が考えうる中で、それが一番可能性が高い。……武は、己を支えてくれる人々を見捨てて復讐に走るような男ではない。もしも仮に武がその道を転げ落ちたのだとしても、きっと……茜が止める。感情を誤魔化すことを知らないあの子が、泣きながらに道を阻むだろう。だから――
「……大尉、本当に、武は……?」
「…………わからん。単に、私がそう感じたというだけの話だ。…………神宮司軍曹からも、引継ぎの際に聞かされていたことだったが……あの方も、熊谷軍曹のその言には半信半疑ということだったしな。……訓練を見ている分に、ヤツにそういう類の狂気は見られなかった、というのが正直な本音だ」
ならば、何故――。
その水月の感情を知るからだろう。みちるもまた、それを知りたいとでもいうようだった。
「BETAについて講義を始めたあたりからだな……白銀の眼が、どこか妙だと感じた。……最初は気のせいなのかと思ったが、違う。少なくともこの一ヶ月間、私はあんな白銀の眼を見たことがない」
どこか暗く濁ったような……泥泥とした黒い光。早口に説明するみちるの言葉、その一言一句を脳に魂に刻み込み、敵の、BETAの特徴を形態を戦略を弱点をあますことなく記録し記憶し、一秒後には斃す方法を何百通りとシミュレートする。……そんな、狂気。みちるは自身の考えすぎだと笑うことなど出来なかったし、それを放っておいていいとは感じなかった。
本当に幸いに、彼女は今までそういった感情に飲み込まれた者を部下に持ったことはない。
一様にしてヴァルキリーズの面々は、まりもという尊敬する教官の教えによって、よい意味で真っ直ぐに、そして優秀な衛士として育っていた。……或いは、そんな感情を抱えていた者はいたかもしれない。けれど、それ以上に仲間の大切さを知り、生きている者の責任を知り……多くの戦友を死なせないために。それら負の感情を表に出すことも、支配されることもなかったのだ。
だから。
その武を見て、確信する。こいつは……この男は、このままでは死に引き摺られるのだと。彼に何があったのかは知らない。どれほどの憎しみに駆られているのかなんて、彼以外には知り得ないだろう。……だが、それが招く危険さは知れる。
往々にして、感情に支配された者は死に易い。戦場では特にそれが顕著だ。
怒りに支配され状況を見失い、恐怖に支配され身動きがとれず――そして、復讐に駆られる者は、己を顧みない。
目的だけが最優先。なけなしの理性が辛うじて生存を叫ぶが、その声は黒々と噴き出す怨恨に塗り潰されて届かない。敵を前にした復讐者に、制止を促す感情は、ないのだ。
その日の訓練中、武は一見して冷静だったように見えた。
小隊長である水月や、先任の志乃、真紀の助言に素直に従い、隊内の連携やBETAとの戦闘方法、諸々の事項について真摯な姿勢を見せ、一つずつ確実にものにしようとしていた。……それは、紛れもなくいつも通りの彼の姿であり、努力を怠らない、己の能力に慢心しない、衛士としてあるべき姿だった。
……だから、尚恐ろしい。
武を知る水月が気づけなかったということが、なによりもその狂気の片鱗を、みちるに思い知らせる。
故に、みちるは知らなければならない。本当に武がBETAに対する何らかの……憎しみを、怨みを持っていたとして。それが部隊としての運用に支障をきたす可能性を持つならば……。
隊長として、十一名の部下の命を預かる者として、先任として――正し、導く。
そう。つい二週間前にそう決意したように。武自身のために……そして何より、目の前で悔しさに瞳を滲ませる優しい彼女のために。
白銀武を、死なせはしない。
既に彼もみちるの部下の一人だ。まりもの教えを受けた彼を。類稀なる才能を持つ彼を。……夕呼が直々に特別な措置を取った彼を。……死なせはしない。
「速瀬……お前が白銀を大切に想っていることは知っている。……恋人の過去を抉るようで気が進まないかもしれないが……」
「…………」
どうしてか、みちるのその言葉に喉を詰まらせる水月。ごほごほと咽るように咳き込んで……若干頬を染めながら、しかし、彼女は、かつてない真剣さで。
語った。
その、哀しい過去を。
降りかかった災厄を。悲劇を。――喪われた、彼女の話を。
泣いていたのだと、水月は自分で思う。その後のことはよく覚えていないのだ。……ただ、みちるの「そうか」と呟く声だけが、やけに鮮明に残っている。
目の前には未だふざけあう武と真紀の姿。いつの間にか志乃までが真紀をおちょくっている。
あまりにも微笑ましい。賑やかで、呆れるような穏やかな光景。笑っている。武はちゃんと笑っている。声を上げて、からかって……志乃に裏切られて、真紀に腹を殴られて………………。
「ルゥァアアア――!!」
「ぐぼぉっ!?」
ずむん、という鈍い音が響く。武の肩くらいまでしかない少し小柄な真紀の、抉るようなボディーブロー。志乃に両腕を固められて、逃げることも出来ずにまともに喰らっている。超至近距離のその一撃は、如何に強化装備越しとはいえ、大層なダメージを与えたことだろう。
「……かみ、かわ、しょうい……っ、ひど……い」
「いやぁ~、いつまでも逃げてたんじゃ面白くないしなぁ」
「ふははは! シノっちを信じたシロガネが愚かだったのさ!!」
まるで何処かの悪の幹部を思わせるような真紀の高笑いに、一人シリアスにふける自分がまるで莫迦のように思えてくる。水月はげんなりと溜息をついて……やがてヤレヤレと肩を竦めた。
どうしてだろうか。
きっとみちるが感じたことは本当だろうと、そう確信するのに。
こんな風に……武は、あまりにも水月の知るままの姿を見せてくれている。水月が護り、支えると決めた……そのままの彼を、見せてくれている。
だから大丈夫なんて保証はないのに。
なのに、どうして。どうして自分は……。きっと大丈夫、なんていうもう一つの確信を、抱けているのか。
「ほらほらっ! いいかげんにしなさい! 武もいつまでもサンドバックになってないで、さっさとシミュレーターに戻んなさいっ」
「おろ? もうそんな時間?」 「あっちゃ~、全然休憩してないや」
出来るだけ盛大に。強気に振舞って声を掛ける。慌ててタラップを上る真紀と志乃に……屍みたいに転がる武を見る。
うつぶせて引き攣った笑みを浮かべている武を見て……がばりと跳ね起きて助走の後に飛び上がり真紀に一撃を喰らわせた彼を見て……。
「あはははっ、だってそんなの、決まってる」
保証なんて必要ない。確信して当然。――だって、武は私が支えるのだから。
だから大丈夫。何の心配も要らない。
もし武が道を踏み外して外道に堕ちるなら、自分も一緒に転がり落ちて、その道を阻む。胸倉を掴みあげて、思い切り殴って。呆けた面にもう一発くれてやって。そして。
そして……手を引いてあげよう。あんたが進む道はこっちじゃない、って。そう教えてあげよう。
そのために、自分はいる。そう、誓ったのだから。
「だから武…………鑑のことを忘れられなくてもいい。だから、生きなさい」
先を行く少年の……いつの間にか青年になっていた彼の背中を見る。真紀に遠慮なしの飛び蹴りを食らわせて、高々と笑っている彼を見る。あははは、また真紀に殴られてる。……まったく、本当にしょうがないヤツ。
本当に本当に、手のかかる……手の放せない、可愛い弟。
「まるで恋する乙女そのものですねぇ……。中尉、今夜あたり白銀を誘ったらどうです? もうすぐ作戦なんですから、今の内に励んでおいたほうがいいと思われますが……」
「……ッ、あんたは……ッ、ほんっとうに……いつもいつも、」
しれっと。水月の背後に立っていた美冴が、本当にしれっと言ってのける。
涼しげに笑いながら言う彼女に、ぷるぷると肩を震わせる水月。胸の辺りでは握り締められた拳がスタンバイオーケーという状態だった。
「おや? これは余計なお世話だったようで。……そうですか、中尉と白銀は毎日のように……。まるでケダモノですね」
ぶちっ。なにか、水月の中で大事なものが切れた。あは、あはははは。にこやかに凄絶な笑みを浮かべる水月。しかし直面している美冴は微塵も恐れた様子もなく……
「――って、岡野が言ってました」
「わたしぃいいい!!??」
すぐ隣りで成り行きを愉しんでいた亜季に振る。それはもう見事なまでのパスが、何の打ち合わせもなく合図もなく、すとんと手渡された。驚愕に叫ぶ間もあらば、ギヌロ、と向けられた水月の視線に息を呑む。
「岡野ォオオオオオ!!」 「ぎゃーーっ!!?」
シミュレータールームに轟く咆哮と悲鳴。なんだか賑やかに過ぎるその光景を、ぽかんとした表情で……そしてどこか可笑しげに、楽しげに。
武は、笑って、……見詰めていた。
===
(ほほぅ)
腕を組んで、志乃は感嘆の息を漏らす。シミュレーター訓練を終え、夕食を終え、一日の終わりも間近、という時間。寝る前に自身の機体の様子でも見ておこうとやってきた格納庫で、彼女はそれを目撃した。
ヒュゥ、と空気が裂ける音。ブォウ、と大気が擦れる音。……まるで舞を舞うように。銀色の刃を振るう武がそこに居た。
彼が常日頃から立派な刀を提げているのは、矢張り彼が相応の剣術の使い手だからだろうという志乃の読みは正解だったということだ。或いは武家の出身かとも思ったが、そのあたりは別にどうでもいいとも思っている。純粋に志乃の眼を引き、興味を引いたのは武の持つ黒塗りの拵だったし、それを扱う彼の技量だったからだ。
自身の剣術の師から託されたのだと、とても嬉しそうに、誇らしそうに語る武の表情を思い出す。……そして、それを聞いて大層愉快な表情をしていた水月を。多分アレは嫉妬とかそういう類のものじゃないかと志乃は睨んでいた。
女だな――。その場に居合わせた全員が確信し、そのお師匠様と水月はとても反りが合わないのだろうと想像して笑った。水月も色々大変である。聞けば遙の妹も武のことを気にしていているとかいないとか。まさかの三つ巴に騒然としたものだが、現時点では水月が武の恋人だというのだから、とりあえず問題ないのだろう。……多分。
そんなごく最近の面白事情を回想しながら、……偶然にも目の当たりにした武の剣術に、志乃は満足そうに頷いた。
「ははは、なんだありゃ。アイツのあの機動は、これから来てたってわけだ!」
合点がいった、と志乃は笑う。真紀にも今度教えてやろう。とても新人とは思えない武の機動。BETAの大群の間をくるくると舞うようにすり抜けては斬り付ける奇妙な剣術。
そのルーツを知った。なるほど、あれか。アレが武の強さの根底に在るものか。
水月や藍子、真紀に亜季、そして自分にからかわれている時のような情けなさはどこにもなく、ともすれば見ているだけで斬り殺されそうなほどに鋭い剣舞。一撃一撃に必殺の意思が込められて、振るう度にその殺気は肥大化していく。
「…………」
志乃は、ぼんやりとそれを観察した。多分、戦術機でBETAと戦うそのときを想定しているのだろう武の動き。それを、ただ、見詰める。
喉がひりつくほどに、痛い。自分に向けられたわけではないのに、そのあまりにも手当たり次第な殺気に、いつの間にか瞳を険しくしている自分が居た。
「あいつ……」 「酷いわね……」
ぎょっとして振り向けば、いつの間にそこに居たのか……藍子が同じように腕を組んで立っていた。いつもなら艶っぽい目元のほくろも、今の彼女の表情にはあまりにも似合わない。
ともすれば自分以上に険しい表情をしているようにも見える彼女に、しかし志乃は何も言わなかった。
酷い、と藍子は言った。……そして、それに似た言葉を、志乃もまた口にしようとしていた。
ならば、改めて口にすることも無い。……今、彼女達にとって重要なのは、武が見せる、あまりにも哀れな酷い姿である。
「速瀬中尉は……知ってるのか?」
「さぁ……どうかしら。…………多分、知っていると思うわ」
――だよなぁ。
志乃は苦笑する。流石に一年も彼女の部下をやっていればわかる。武が来てからというもの、水月はほんの少しだが、妙だった。それは表面上には何の変化もなく、彼女はあくまでもいつも通りの水月だった。……が、志乃には感じられていた。特に訓練中の、水月の武に対する行動の全て。掛ける言葉の端々、見せる表情の端々に……武を気にかけてのものがあった。
ならばそれは、恋しい人を想うのと同時に、彼の内面の暗黒を危惧してのものだったのか。
水月の真意は志乃にはわからない。……だが、きっとそうなのだろうと想像することは出来たし、彼女の知る水月なら、そうだろうと信じられる。
「なら、うちらも白銀をなんとかしてやんないとな」
「あら、それは少々お節介なんじゃない?」
ふふんと笑いながら言う志乃に、藍子はきょとんと目を丸くする。けれど志乃は一向に気にした様子もなく、
「だってさ、速瀬中尉の恋人を、死なせらんないだろ?」
まるでそれを当然のことと言わんばかりに。頼もしい突撃前衛のナンバーツーは、にやりと口端を吊り上げる。その表情に、藍子はクッ、と噴き出して。
「ふふふふふっ、まったくあんたは。……ああ、でもそうね。私もそう思うわ。……速瀬中尉の可愛い弟を、死なせたりなんかできないもの」
「弟ォ? お前何言ってんの??」
「あら、知らない? 速瀬中尉は白銀少尉のことを、“アイツは弟だーッ”って顔真っ赤にしながら言ってたわよ」
さも可笑しそうに藍子は笑う。どうやら今日もまた彼女は水月を散々にからかったらしい。美冴といい藍子といい…………まぁ、あまり他人のことを言えない志乃ではあるが、ともかく。
「……今更照れ隠しもないだろうに……くくくっ、中尉って可愛いよなぁ!」
「ふふふっ、本当。……だから、ね」
おう、と。志乃と藍子は見詰めあい、しっかりと頷き合う。
すっと差し出した拳に、藍子は躊躇わず拳を合わせて……そして、二人はもう一度、強く頷いた。
「うちらが、白銀を護る」
「勿論、速瀬中尉のために、ね?」
「ぃやー、白銀がフリーなら、狙ってもいいんじゃない?」
「あら意外。あんたにそんな趣味があったなんて」
それはどちらかというとお前だろう? 志乃は、藍子はお互いに笑って…………。
尊敬する水月のために。新しい戦友のために。――次の作戦、『伏龍作戦』で、絶対に……絶対に、死なせたりはしない、と。
不敵な笑み。自信に満ち溢れた決意。ならば、絶対にそれは達成されるだろう。
「うっわ、怪しぃ~~。二人ともさ、もう少しなんつぅかこう、もっと乙女らしくしたら?」
現れた亜季に、わぁわぁと慌てふためく二人。それを見てニタリと笑う亜季は間違いなく確信犯だろう。
作戦開始まで残り一週間。そんな夜の一幕だった。