『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:十章-02」
朝鮮半島の南西部、全羅南道に八方を囲まれる形に位置する光州と呼ばれた都市。喀什ハイヴの大東進によって蹂躙され尽くしたその場所。
遠方からでもその存在を主張する全長300メートルの地表構造物。フェイズ4。そう分類されるかのハイヴは、かつてのその都市の名を取り、光州ハイヴとも呼称される。
帝国軍呼称を甲20号目標というそこから、数え切れないほどの怒涛が波となって湧いて出る。
波はハイヴを中心に円周上に広がり、或いは地表構造物から遠く離れた地表からぼこぼこと土煙とともに現れ、たちまちの内に地上を黒々と染めていく。
監視衛星が捕らえた映像が示すそれは、既に一万に達しようとしていた。大小入り乱れた人類の天敵は、その圧倒的なまでの異形と物量で迫り、たちどころに地上部隊を踏み躙るだろう。
黄海に展開した連合艦隊の艦砲射撃が火を噴く。耳を劈く炸裂音。太陽の光を遮るほどの密度。空を焼き大気を裂き爆炎と黒煙を孕む鋼鉄の体躯が、巣穴から這い出した異形に降り注ぐ。
閃光。
先頭を行くALM弾頭が正確無比なレーザー照射に打ち落とされる。発生する重金属雲。セオリー通りの戦法。続け様に放たれていた第二波、三波の砲撃が爆撃の雨を降らせ地形を変える。
2001年7月1日――
作戦名、『伏龍』。大東亜連合軍を中心に、中国・韓国の混成軍が筆頭を成す甲20号目標間引き作戦。推測BETA総数はおよそ十数万。BETAは既存ハイヴ周辺の個体数が飽和すると外部へ進出し、新たな前線基地を構築することがわかっている。ここ数ヶ月の大陸への侵攻、或いは九州上陸の頻度を鑑みるに、当ハイヴは近々大規模な侵攻が予測されるとし、その危険性を捨て置けない韓国が中国と協力体制を敷き、同国が代表となり、大東亜連合へ間引き作戦を上申。
大東亜連合軍はその申し入れを受け、近隣諸国に派兵を要請。そして、約半年の準備期間を経て、本作戦は始動した。
6月30日に各国艦隊、陸軍は所定の位置に展開を完了し、作戦開始のそのときを待った。
そして――
地表での陽動に成功した中国軍の精鋭部隊は、後退する自分達に引っ張られて追撃してきたBETA群が、轟音とともに爆裂するミサイルの爆炎に吹っ飛ぶのを見て気勢を上げた。
地表構造物からの到達半径が10キロもある横坑、地表に姿を見せている門からBETAを引きずり出し、応戦しながらの後退である。これまでの度重なるBETAとの戦闘の中で、連中は「空を飛ぶもの」、「精密機械」、「人間」の順に優先して襲い来ることがわかっている。無論、統計としてのデータでしかないわけだが、こと戦場においては地上支援部隊や随伴する強化装備部隊以上に戦術機が優先して撃破されていることから、往々にして陽動には彼ら戦術機甲部隊が出向くことになる。
また、直接にBETAと相対して戦闘するのもまた彼らであるために、衛士にとっての陽動は支援砲撃を成功させるための布石、戦闘は、砲撃が喰い残した残存BETAを食い尽くす、という形式となる。
間引き作戦に代表される人類側からの侵攻作戦の第一段階、つまり戦闘開始直後は特にこの方法が多く採られており……要するにこれは、乱戦・混戦となるその以前に、艦砲射撃による面制圧の効果が最も望まれるその時に、出来得るだけ多くのBETAを殲滅するための最有効手段というわけだった。
BETAによって平らに均された大地に、弾頭の雨に焼け焦げた屍が累々と晒される。容赦手加減一切なしのそれが生み出した地獄に、先行する陽動部隊は臆することなく前進を開始した。――支援砲撃の効果は上々。既に前方にはBETA群の第二波が迫っている。
空を焦がす弾頭の雨。雲さえを吹き飛ばすほどの気焔に、衛士たちの咆哮が混じる。迎撃するレーザー。発生する重金属雲。その繰り返し。着弾し爆裂し死肉を散らす豪雨へと、連隊規模の戦術機甲部隊は吶喊した。
===
「白銀のデータ、ですか……?」
「そ。実戦では常に極限が求められ、そして常に極限に晒される……。人間は、死に面した時にこそ己の最大能力を発揮するものよ」
「……つまり、この作戦に白銀を参加させるのは、彼の実戦データが欲しいから、だと?」
皮製の椅子にゆったりと腰掛ける夕呼は、ふふん、と唇を吊り上げる。眼前に立つみちるの表情が見るからに歪んでいるのが面白いのだろう。堅物で真面目な彼女のことだ。この作戦で部下を喪う可能性も在るというのに、夕呼の科学者然とした態度に若干の反意を見せているのだろう。
少しだけ感情を波立たせながら、しかしみちるは己を制御する。伊達に夕呼の懐刀をやっていないし、直属の特殊任務部隊の隊長を任されていない。夕呼の命令に無意味なものはなく、異論を唱える余地はない。……下された命令には従う。それが軍人だ。
……が、その作戦について何の質問も許されていないわけではない。疑問に思う箇所は解消するべきだし、なにより、隊長である自身が作戦をよく理解していなければ、それだけ部下の危険が増すのだ。故にみちるは問うた。夕呼の真意を知るために。
「ええそうよ。何のために白銀の任官を早めたと思ってるの? 伊隅、白銀の戦術機適性値が“S”ランクなんて尋常じゃない数値をたたき出したことは知ってるでしょ? あれだけの逸材を手元に抱えたまま遊ばせておくつもりはないし、何より研究のためには生きのいいデータが重要なの」
「戦術機操縦については訓練時のデータである程度集積できた。……だから次は実戦でのデータが欲しい、と、そういうことですか?」
「わかってるじゃない。そういうこと。都合よく中国の連中が間引き作戦なんて立案してくれたおかげで、それに乗じることが出来たわ」
不敵に笑う夕呼の表情は、科学者のそれだ。なるほど、「S」ランクという適性値を持つ武の能力を解明するためのデータ収集、そして集積。確かに実戦での機動データや操縦ログ、或いは身体情報等は、訓練で得られるそれらとはまた違うものだろう。
夕呼自身が言っているとおり、確かに戦場では常に極限を求められ、極限に晒され続ける。
気を抜けば死ぬ、という状況では訓練の数倍以上に感覚が研ぎ澄まされる者もいるくらいだ。……データを収集するに、これ以上ない実験場というわけである。――夕呼にとっては。
ならば矢張り、武の任官……単独での訓練部隊の異動に始まった今日までの計画は、この『伏龍作戦』に間に合わせるためだったとわかる。確か作戦の立案が半年前というから……以前から夕呼は機会を窺っていたに違いない。武の能力に気づき、目をつけたその時から。彼が任官するに十分な能力を身に付ける時を待ち、その能力を発揮させる戦場が訪れるのを。
そしてそれは用意された。『伏龍作戦』。甲20号目標間引き作戦。
六月末から始動され、七月に戦闘が開始されるその作戦の存在を掴み、夕呼は早々に武を任官させる計画を進めたのだろう。……が、総戦技評価演習を終えてもいない訓練兵を任官させることなど出来ず、まして訓練課程を八ヶ月以上残した状態で総戦技評価演習に参加させることも出来ようはずがない。
故の強硬手段。或いは、基地司令との妥協案……といったところだろう。
そもそもがA-01へ任官させる前提で訓練を進めていた訓練兵である。ならばその中隊長であるみちるが直接に教導を行い、武もまた一人であるために通常よりも密度の濃い訓練が可能となる。更に言えば武の高い戦術機適性を解明するための情報収集も同時に行える。
夕呼が推し通したのはその辺りだろう。かくしてそれは夕呼の思惑と多少異なるものではあったものの、こうして現実となり、任官したばかりの武は戦場に出向くのである。
「もちろん、白銀のデータ採りがすべてじゃないわよ。流石にそれだけのためにあんたたちを動かそうなんて無駄、やんないわよ」
「……それを聞いて安心しました。……大東亜連合軍から帝国軍へも出兵要請が出ていると聞いていますが……」
「ええ、山口・広島の戦術機甲部隊が出撃するそうよ」
自分達が決して捨て駒ではないのだと知り、みちるはそれだけで満足することにした。甲20号目標の存在は日本にとっても脅威なのである。今回は偶々陸続きである中国や国内にそのハイヴを持つ韓国が音頭をとったというだけのこと。海を面してすぐそこには九州があり、何度も被害にあっているのだ。だからこそ、当然として日本にも要請はあった。大東亜連合に加盟にする一国である。甲21号目標という直近のハイヴに対する常駐部隊は動かせないために、特に九州から上陸するBETAに業を煮やしている山口の駐屯軍に加えて近隣の広島からも派兵が決定されているという。
それを聞いて、ふと昨年参加した山口での戦闘を思い出す。あの時共闘した部隊は参加しているのだろうか……。
「ま、一応あんたたちが作戦に参加していることは秘匿、ってことになるけど……別に隠密に動く必要はないわ。今回の作戦は単純にBETAの個体数を減少させること。A-01部隊としてもそれ以上に特別な目標は持たないわ。……強いて言えば白銀のデータだけは持ち帰って欲しい、ってところかしらね」
「……」
つまりそれは、武の生死は問わない、という意味だ。
みちるは無言のまま姿勢を正し、目礼して執務室を出る。A-01は日本国内に駐留する国連軍を代表して参加するという建前で、中国軍に協力する。作戦の中核を担う大東亜連合が米国の『G弾』使用に端を発し、米国色の強い国連軍を嫌悪しているための措置である。はっきりに言って回りくどい。所詮上に立つニンゲンの思惑など、大尉風情が理解できるはずもなく。
目を開ける。ほんの一瞬だけ回想に耽っていた意識を覚醒させ、網膜投影ディスプレイに表示される戦域情報表示を確認する。
戦闘開始から既に二十分。計三回の艦砲射撃によって一千体以上のBETAの爆殺に成功。現在は中国軍の戦術機甲連隊が南東から進撃を開始して、北東からは韓国軍、北部から大東亜連合軍がそれぞれ侵攻している。
『ヴァルキリーマムよりヴァルキリーズ! 作戦は第二段階へ移行! ヴァルキリーズは直ちに目標に対し攻撃を開始せよ!』
「ヴァルキリー1了解。――いくぞお前たち。ここが日本じゃないからといって、遠慮することはない。我々がただの物見遊山で来たわけではないことを、連中に教えてやれ!」
みちるの号令に十一人の声が重なる。了解――そう声高に叫ぶ勇壮な衛士たちの先陣を切るのは、B小隊の四機の不知火。蒼色の機体が全速でBETAの屍骸を飛び越えていく。
『しっかしこれだけ更地になってちゃ、観光しようにもなぁ……なぁ白銀』
『はぁ? ……いや、その、……俺に振らないでくださいよッ?!』
『あっははは! 木野下中尉、それ、問題発言ですよッ。シロガネもほら、なんか巧いこと切り返せってば』
『……あのねぇ真紀。笑ってる時点であんたも同類だって……。あ~、白銀。とりあえず無視していいから。うん』
B小隊に遅れること数秒。こちらは巡航速度で移動する。C小隊隊長にして中隊副隊長の木野下がからかうように武を呼び出す。いきなり名を呼ばれて驚きを見せる武に先を行く真紀がはしゃぐように笑い、彼女と二機連携を組む志乃が諭す。未だ接敵していないとはいえ、既にここも戦場である。……だというのに、まるで世間話をするような雰囲気の少女達に、みちるはヤレヤレと嘆息した。
「……お前たち、既に作戦行動中だぞ。少しは気を引き締めろ」
至極当然の意見である。だが、みちるとて彼女達が心底から油断しているなどとは思っていないし、本人達もまた、最大に警戒を払いながらの軽口である。張り詰めてばかりでは精神的に疲弊する。或いはそれは、今回が初陣である彼に対する配慮だったのかもしれない。
……だが、みちるが心配していたような極度の緊張を、武はどうやら見せていない。木野下たちもそれぞれに多少は気に掛けていたらしいが……それにしても、大した平静振りであった。
自身の初陣はどうだっただろう。ふと、かつての自分を思い出して、みちるは苦笑するしかなかった。なるほど、確かに現段階で言うならば、武はとてもよく落ち着いていた。よく言えば冷静、普段どおり。バイタルにも異常な興奮などは見られない。決して十分とはいえない訓練しか積んでいないというのに、大したタマである。
尤もそれが、本物のBETAと相対したその時に、どう変化するのか……。
武は斃すべき敵を欲しているという。そして、二週間前に水月から聞いたあの話……。1999年の横浜侵攻。みちるもまた、防衛戦線にいた。あの時、あの場所。その戦場で……。
ならば、武の幼馴染を殺したのは自分だろうか。どこか感情を押し殺したように話してくれた水月に、みちるはそんな独白を零しそうになったのを思い出す。
一概には否と言えないのかも知れない。是、ともまた、言えないのではあるが。
ともかくも、訓練中の武は殊更に苛烈にあろうとしたようにも見えた。表面上は冷静に、感情をコントロールしての戦闘。本当にたった一ヶ月の操縦訓練しかこなしていないのかと自身でさえ疑いたくなるその卓越した操縦技術。武の能力の伸び幅はどう考えても通常の者よりも極めて大きい。それは矢張り高い戦術機適性によるものなのか、或いは単純に才能という言葉に括られるものなのか。
ひょっとすると、夕呼もそれを知りたいのかもしれない。そのために武のありとあらゆるデータを欲し、恐らくはA-01のメンバーとのデータと比較・検証を重ねるはずだ。それによって得られた何がしかの事実を、どう使うのかまでは考えが及ばない。……単純に研究して終わり、なんて可能性もないわけではないのだ。
浮かんでは流れていく思考をスッパリと切り捨てる。B小隊が接敵した。突撃級の一団。主だった集団は周囲に展開する中国軍へと殺到している。それにあぶれた少数が、進路を変えることなくこちらへ向かってきていたのだった。
そして――みちるは聞いた。
通信機越しに鮮明に届いたそれ。ディスプレイに映し出される青年のバストアップ。……知らず、息を詰まらせるほどの、黒い瞳。
――ははっ
小さく。本当に小さく。聞き間違いじゃないかと思うほどに、けれどそれは最初だけで。ほんの一瞬だけで。
割れるように。
白銀武が、嗤っていた。
『来たわよぉっ! ヴァルキリー3よりB小隊、前方の突撃級は無視! すぐ後方に控えている要撃級を叩くッ!』
突撃前衛長である水月の号令に応と返す。突っ込んでくるだけの突撃級は、状況にもよるが、無視しても支障ない場合はそうするに限る。その突進力は脅威だが、結局のところ、突撃級はそれだけなのだ。硬い前面装甲殻という防御機構を持ち、それをそのまま突進力に乗せて攻撃とする。まともどころか機体の一部でも喰らおうものなら、戦術機なんて簡単に吹っ飛ばされるのだが、直線的な連中の軌道は読み易く、かわし易い。更に減速も遅く旋回能力も低いとなれば、矢張り放っておくのが一番簡単で装備を消費しないで済む。
今回は長期戦が想定されているため、出来る限り戦力を温存する必要が在る。無論にして補給部隊は状況に応じて補給コンテナを設置するが、それだけを頼りにするわけにはいかない。物資には限りが在るのだし、なによりも混戦の最中には補給などしている暇もないのだから。
事前に打ち合わせていたこともあり、まして水月の意図することをわからない武たちではない。
眼前に岩のような突撃級の群れがやって来ているというのに、一向に気を引き締める様子のない真紀。笑いながらそれを指摘する志乃にも、些かの緊張すら見えない。前方を行く二人の先任の在り方には敬服する。そして、隣りで連携をとってくれる水月にも。
『武、とにかくあんたは、自分が生き残ることだけを考えなさい。無理に私や上川たちのフォローをしようとしないこと。自分に出来ることだけを確実にやりなさい』
「……了解」
接触まであと十秒もないだろうそのタイミングで。水月がいつものようにニヤリと笑って言う。自信に満ち溢れた彼女の姿を見ていると安心する。余裕を見せ付ける志乃と真紀を見ていると励まされる。
緊張はしていない。想像した以上に、落ち着いている。……大丈夫。やれる。だってこんなにも頼もしい先任が三人もついてくれているのだ。今までの訓練で、彼女達の凄さはよく知っている。そしてその彼女達にも自分は認められている。……けれど、自惚れることはない。これが初陣。初めての、戦闘。
さっきから機体を通して感じるビリビリとした振動に足音に全身が奮えるのがわかる。――感情は、落ち着いている。
どんどんどんどん大きくなる突撃級の姿に操縦桿を握る手がぶるりと奮えるのがわかる。――心臓は、落ち着いている。
『いくわよ――!』
叫んだのは水月。どっ、と。暴風を巻き上げながら文字通り突撃してくる18メートルの巨体共の間をすり抜ける。ぶわり――感じることのないはずの風圧を錯覚する。自身の肉体をバラバラにしそうなくらいの衝撃。180km/hに到達するその速度。自機の両脇を突き抜けていく超物量の壁。
交錯は一瞬。振り返ることなく、機体の跳躍ユニットが火を噴く。前方70メートル。甲殻類の持つ鋏にも似た巨碗を振り上げながら迫る要撃級。――本命は、オマエタチだ。
長刀を右腕に。突撃砲を左腕に。いつものスタイル。訓練で身に付けた変則装備。馬のひづめのような多脚が、大地を揺るがせる。突撃級とはまた異なる重厚な振動が、大気を震わせているのがわかる。
怒涛は後ろに遠ざかり、新たな怒涛がやってくる。――感情が、波打った。
照準を合わせる。志乃と真紀が左右に展開する。武も自機を左に流し……水月が右へ機体を傾けて……。――心臓が、波打った。
トリガーを引く。前傾、長刀は既に振り抜いて――着弾、飛沫、紫色の血、鮮烈に、おぞましい、汚物、散る、――――接敵。
「は、」
機体が回転する。機体バランスを前傾させて崩し、振り抜いた長刀が生み出した遠心力に従って旋回。首を刎ねる。同時に背後の要撃級へ乱射。ザリ、と地を蹴って軌道を変更。流れるような慣性のままに長刀を振るう。
「はは、」
斬りつけた。浅い。気にするもんか。撃て。旋回。次を斬る。前のヤツを撃つ。次を斬る。前のヤツを撃つ。次を、斬る――。
BETAは前進をやめない。連中の眼前に飛び込んだ状態では次から次に迫りくるその巨体を捌ききれなくなるのは必然だ。ならば一体を相手にする時間は短ければ短いほどいい。一撃で屠ることは不可能。一体だけ仕留めたって無駄。浅い傷でもいい。動きを止められなくてもいい。――止まるな。囲まれるな。封じられるな。
動け。動け。動け。動け。動いて動いてッ――螺旋を描く。
対物量戦のための剣術。対BETAのための剣術。圧倒的物量を前に戦い抜くその剣術。
連中が前進をやめないなら自身はそれを利用しろ。個々の隙間を縫い、次から次に相手を変えてダメージを負わせろ。細かい動きの出来ない鈍重な愚図だ。一撃は強烈でも、当たらなければいい。見切れ。かわせ。そして食らわせろ。血を、啜れ。長刀で、銃弾で、少しずつ、少しずつ。
「ははは、」
最接近していた三体が沈黙する。都合二撃ずつ。首を刎ね胴を裂き銃弾で抉り散らす。屍をすり抜け、最初に乱射して弾幕を張ったその場所へ。ほんの僅かのダメージを見せる要撃級四体が、腕を振り上げて、やってきた獲物にゴウゴウとにじり寄る。
感情が、ひりついて熱い。
心臓が、ひりついて熱い。
脳髄は歓喜に濡れて。――ああ、殺した。
「はははっ、」
跳躍ユニットを一瞬だけ噴かせる。機体を斜めにしたままに、旋回する途中での一瞬だけ。武の不知火がその回転スピードを増す。爪先が大地に触れると同時に、斜めに疾走する独楽は右端にいた要撃級の胸板らしき部位を逆袈裟に引き裂いた。機体正面が空を向く。至近距離から36mmを喰らわせる。裂けた部位に、醜い顔面に。気持ち悪い肉片がぶしぶしと舞い散り、機体の正面が地を向いたそのときには、既に次の獲物の正面へ。
モース硬度15以上を誇る前腕が振り下ろされる。喰らったらオシマイだ。だから避ける。捻った半回転分。また突撃砲が要撃級に向けられる。右腕は背後に回ってきたソイツを斬り付けていた。マズルフラッシュ。斜めに弾痕を残す36mmに、斜めに引き裂ける長刀の通った後。一動作中に二体。上出来だ。残る一体が回転軸と同じ方向から……進行方向から迫ってくる。跳躍ユニットを噴かす。機体を地面と垂直に立てるように――瞬間的に回転を殺す。振られた腕をバックステップしてかわしながら、トリガーを引いた。命中。沈黙はしない。
「ははははっ」
傷ついた仲間を押しのけるように追って来る。両腕を見せ付けるように振り上げて――上段からの一閃――間合いに入ってきた莫迦の顔面を真っ二つにしてやる。勢いのついた巨体がドドウと地面の上を滑った。
接敵から数分。撃破七。…………もっと長い時間が過ぎたような気がしていたのに。武はふっ、と短く息を吐いて更に連なって迫る次の獲物へと肉薄した。
さっきから、どうしてかわからないが開いた口が塞がらない。呆れている? それは違った。その表現は正しくない。
頬が歪む。喉が震える。漏れる衝動を抑えられない。
――殺した、ぞ。
まだ七体。たった七体。要撃級をただそれだけ。――まだだ。まだまだ、BETAは腐るほどにいる。こんな程度で安堵するな。こんな程度で満足するな。敵は強大だ。敵は圧倒的だ。その物量を見ろ。艦隊の一斉射撃で一千近い数を減らしているのに、レーダーに映し出されるそれらのあまりにも多いこと!
「ははははははははははははははははははははははっ!」
ああ、こんなにもいる。まだたくさんいる。目の前の要撃級。戦車級も見える。気色悪い。気持ち悪い。うん、殺そう。こいつらを、殺そう。全部殺そう。すぐに殺そう。斬って、撃って、撒き散らそう。――そう、しよう。
――だって、こいつら。
――純夏を殺したんだぜ?
割れるような哄笑が、ただ無意識のままに。
「た……ッ、け、る!?」
我が目を疑う。何だ今のは! 一分をかからずに三体。続け様に四体。時間にして数分。たったそれだけ。それだけで、七体。……在り得ないというわけではない。単純に接近してくるしか能のない連中には突撃砲だけで事足りる。集団で密集してやってくるのだから、照準も何もなく弾丸をばら撒いただけで十数体を葬ることだって可能だ。「距離が開いている」ならば。
だが、その光景は。
水月は通信機越しに響く狂ったような哄笑に、盛大に表情を眇めた。そして、そんなおぞましい笑みを浮かべながら実行した彼の機動に、ただ驚愕する。
その剣術は、知っている。訓練兵時代に、武の稽古に付き合ったこともあるのだ。幼き頃より続けている剣術。通りすがりの男に半ば無理矢理習わされたというそれ。月詠真那という斯衛の衛士に出逢ったことで、より、上達し昇華され磨きぬかれたその技。
託された刀。師の遺品。託された想い。師の心。水月には踏み入ることの出来ないその領域で鍛え抜かれたその剣技。
確かに、知っていた。シミュレーターでの訓練中にも、武はその剣術を用いての戦闘機動を行っていた。機体を前傾させることで発生する物理力を利用しての旋回運動。膝関節に掛かる負担を極力軽減し、常に倒れ続け回転を続けることで推力を得る。時には噴射跳躍を推力に変え、或いは変則的な進路変更や軌道変更、回転のキャンセルから瞬間加速。実に巧みに操作を組み合わせ、実現してみせるその螺旋機動。
まさに、それは武そのものだった。
水月が相手をし、同じ時を過ごした……その時の、彼の剣術を体現している。戦術機で効率よい機動を実現するための工夫や試行錯誤は窺えたが、それでも矢張りそれは武そのものであったし、独特なその剣術は実に効果的にBETAを屠ってもいた。
そう。
特段、彼が接近戦でBETAを屠ることは珍しくない。当然として突撃砲も十分に併用し、遠近両方の攻撃をその螺旋の剣術に組み込んで戦う様は、本当に訓練一ヶ月の新人なのかと疑いたくなるほどだ。
みちるが言っていた。武の戦術機適性は過去に例を見ないほどにずば抜けている、と。そして、自身に秘められたその才能の凄まじさ。
本当にこれが初陣なのか――。驚愕する。息を忘れる。
だが、それで自身の敵を見失うことはない。己に迫りくる要撃級を突撃砲で散華させながら――それでも水月は、込み上げる感情を必死に抑えなければならなかった。
「あのっ、莫迦!!」
それは哀しいくらいの確信だった。
耳に響く笑い声。あんな、水月たちにしてみれば出鱈目な機動を繰り返しながら、敵を切り裂いて切り裂いて返り血を浴びながら。どうして。
どうして、そんなに嗤っているのか。
狂ってる――。戦慄に似た声。真紀だった。ああ、言われなくてもわかっている。誰だってあんなものを見ればわかる。あんな無様。頬を歪めて、瞳を真っ黒に濁らせて。
撃破数は右肩上がり。それが何だ。それがどうした。戦果は上々と褒めてやればいいのだろうか? ――莫迦を言え。
「ヴァルキリー12!! 武ッ!! あんたいい加減にしなさい!!!」
吠えるように。水月は自機の不知火の跳躍ユニットを爆発させるように加速する。武との距離はそう開いていない。武の機動に惹かれるかのように、要撃級と戦車級が多数群れていた。前方で同じように戦車級の群れを相手取る志乃が、水月の動きに気づいてフォローしてくれる。
『速瀬中尉!』
要撃級の正面を飛びぬける水月に、志乃の驚いたような、責めるような声が響いた。タイミングよく腕を振り上げていた一体の背中に、志乃の放った36mmが突き刺さる。水月もまた、それと同時に長刀で顔面を切りつけて。
視線だけで謝罪を述べ、しかし水月は一瞬後にはその“輪”の外に降り立った。輪、である。武の不知火……12のナンバーがペイントされた真新しい機体。その一機を、六体の要撃級が取り囲み、足元には戦車級がひしめいている。踊るような旋回機動。舞うような螺旋軌道。六体がかたちどる輪の中を何度も何度も旋回しながら廻り続ける。腕をかわし詰めようとする足を撃ち抜き寄ってくる戦車級を踏み。
止まらない。次から次に戦う相手を変え、次から次に蹴散らしていく。六体の後ろには更に十近い要撃級。水月はその分厚い外壁を打ち壊すべく突撃砲のトリガーを引きまくった。
文字通りに囲まれている。暴走する感情に状況判断能力が低下したか――? 瞬間の疑問は、しかし未だ続く哄笑に打ち消される。
嗤っている。武は嗤っている。
『はははっ! はははははっっ!!』
愉しんでいるのだ。歓んでいるのだ。囲まれたその状況を。否。BETAと戦っている今この瞬間を。
復讐に駆られる者は、己を顧みない。
敵を前にした復讐者に、制止を促す感情は、ないのだ。
痛感する。確信する。今更になって。
みちるに言われて知ったはずだ。訓練中にそんな素振りはなかったけれど、それでも自分は知っていたんだ。
ついさっきまではあんなにも落ち着いていて。全然、いつもと変わらなくて。
これが実戦だから。これは本物だから。こいつらは全部、本物のBETAだから。シミュレーターなんかとは全然違う。あんな仮想現実では感じられない。本物の、空気。
高度に再現されたシミュレーターにおいて平静を保つことの出来ていた武が、こんなにも、感情を発露させている事実。
哀しいくらいの熱い息。振り絞るように、水月は撃ち続けた。僅かな隙間をこじ開けるように長刀を叩きつけて――瞬間、内側からの斬撃にそいつの首が飛ぶ。
「武……」
六体を屠り。十数が群れるその中を。
輪を何重にもしたようなその中を、しかし武は正に一点突破するように抜けてきていた。水月がやってきていることにちゃんと気づいていたのである。
『……すいません、助かりました』
苦笑する彼の表情は、ゾッとするくらい、“いつも通りの武”だった。先ほどまでの凶相は微塵たりとも窺えず、声音からも正常な人間の感情しか読み取れない。――そのあまりにも酷い落差に、水月は絶句する。
二機の不知火が交錯する。互いの36mmが各々に獲物を撃ち抜き、振り抜いた長刀がそれぞれの敵を裂いた。ぎり、水月は奥歯を噛み締める。武を叱りたいのに、武を殴ってやりたいのに、そんな暇がない。莫迦野郎と、何をやっているのかと。そう怒鳴ってやりたいのに。
『ぁぁぁああああっっ!!』
背後で再び螺旋機動をとる武が叫ぶ。戦車級をぶちぶちと踏み潰しながら、次々に要撃級を沈黙させていく。再びに響く哄笑。歪んだ笑み。殺気に呪われた双眸。
ぎりぎりと砕けそうなくらいに歯を食いしばって、同じように、水月もまた長刀を振る。五十にも満たない戦車級の一群。三時の方向から盛大な銃撃が響く。木野下のC小隊がこちらへやってきていた。
接敵から八分。
どきりとした。偶然に視界に入った最小表示の時刻。振り向くことが出来ずに、後部カメラが捕らえたその映像を凝視する。
旋回する不知火。血を撒き散らすBETA。――復讐に濡れた悪鬼。
死の八分を越えた武に。なぜだろう。水月は一滴だけ……涙を零した。
===
それが異常であるということは、誰の眼にも明らかだったし、そのことで水月が疲弊していることもまた、痛いくらいに伝わってきた。
命令には従っている。作戦内容も十分理解し、把握し、最大の効果を上げるべく連携をとることも……できている。
何かを堪えるような水月の呼びかけにも応答し、会話するその表情は怖いくらいに「いつもの」武だった。接敵し、相対し、その剣を振るう度。
白銀武というニンゲンが壊れていくのではないかと、全員が息を呑んだ。
BETAに対する復讐心を抱いたまま戦う衛士は……多分きっと、珍しくはない。この世界にBETAを怨んでいない者など存在しないだろうし、大切な者を奪われた者は、それこそ全人類に共通する。
喪われたものに優劣はなく。ただ、その本人の心に突き刺さる棘。……だから、その白銀武の有り様を……彼のことを、彼にとって喪われた大切なものを知らない彼女達は……なにも言えなかった。
いいや、知っていたとしても、口を挟む権利はないのかもしれない。
そこに如何なる理由が在ったのだとしても……武は復讐を選択している。そのために戦い、そのためにBETAを屠る。
その姿を異常と、他人が断じていいのかどうか。
(――いいに決まってる)
そして、そのまま外道に身を落とそうとする彼を叱り、殴り、更正させるのは……仲間となった自分達に課せられた義務だ。志乃は拳を握る。
きっと水月も同じ考えのはずだ。武のことを想う彼女はきっと、彼の見せる姿に傷つきながらも、決して諦めてはいないはず。志乃が尊敬し、目標とする突撃前衛長は……こんな程度の逆境をものともしない。誤った道を転げ落ちようとする部下を、悪鬼に身を染める恋人を、彼女は断じて赦しはしないだろう。
それを傲慢とは思わない。
武の意思を無視しての行動だが、彼に何を言われても憎まれても、そんなものは一切関係ない。――水月は、罵られ謗られ傷つけられようとも、絶対に武を救い上げる。
だから。……せめて生きて帰ることの出来るように。あんな戦闘を続けていては長く持つはずがない。一見冷静で的確な判断を下しているように見えて、矢張り武はどこか暴走している。彼の操縦が秀でていて、扱う螺旋の剣術が効果的なのは十分に立証された。……だが。
それでも武は殊更に長刀に拘っている。「斬る」という行為に、酔いしれている。そう見える。
接近せずとも斃せる標的を、わざわざに吶喊して斬り刻み、数体が群れる中に敢えて突っ込んでは同時に多数を葬る。確かにすごい。確かに強い。……なのに、どうしてそんな戦い方をする?
武は剣を扱う。日本刀を持ち、幼少の頃から鍛え続けた剣術を使う。――刀で戦うことが、染み付いているのか?
そうだろう。そして、もう一つの仮説が浮かぶ。……正直、それは考えたくもないほどに下劣だ。
即ち――殺しているという感触を得るために。
手応えが欲しいのだ。
遠方から突撃砲を放ち仕留める。不必要な接近もなく、敵の攻撃の射程外から斃すことのできる兵装に戦術。それを使用しない。それを選択しない。武の突撃砲が火を噴くのは、決まってその剣術と併用している時だけ。近接し斬り付け、より効率的にBETAの数を減らす手段としてしか、彼は突撃砲を見ていない。
危険を危険と認識せず。自己に染み付いた剣技こそ至高と、それ以外の戦術に靄がかかっている。まして、加速する憎悪に自己の存在さえが薄れ……ああ、だから、またしても彼は、
「莫迦ッッ! そっちには要塞級だっているんだぞッッ?!」 『武ッ?! 戻りなさいっっ!!!』
ひらりと流れるように。旋回機動を開始した武の不知火が要撃級の壁に突っ込んでいく。隙間を埋めるような戦車級。背後には光線級を孕み……そして、弩級の規模を誇る要塞級が、そのニードルに似た多脚で地面を抉りながら闊歩している。戦慄がよぎる。駄目だ。
現在部隊は左右両翼に各小隊が丁度半分ずつ配置されている。左翼前衛に志乃と武、中衛にはC小隊の木野下と藍子、後衛をA小隊の美冴と亜季が就き、右翼には残りの面々が同じような陣形で迫りくるBETAに対していた。
叫ぶ間もあらば、志乃は武を追随する。引き裂けるような水月の声には少なくない懇願が込められていた。……それがわかる志乃だから、尚更武の吶喊を赦すわけにはいかなかった。
『上川ァ! 白銀を止めろォ!! ――宗像、岡野は二人を援護! 行くぞ篠山ァああ!!』
右翼の指揮を執るみちるに代わり、副隊長の木野下が咆哮する。遅れることなく了解を告げる三人の声が響く――だが、最早志乃は後方支援を当てにしている暇などなく!
「白銀ぇえええええええ!!!」
厭な直感があった。接近しすぎている武には見えないのだろうか。長い足をもつ要塞級が大きく前脚を開くように。群れを成す要撃級がじわりと左右に開けるように。最前列で武の猛攻を喰らっているソイツは最早屍と化した。……ならばそれは既に“モノ”と同義。ただ射線上に存在する炭素の塊だ。
――よけてくれっ!
冷たい汗が逆流するような悪寒。けたたましい警報が鳴り響く。レーザー照射警報。アラートアラートアラートアラート!! ――くそ喧しいぞボケがぁあああッッ!!
機体が勝手に軌道を変更する。重力を無視するような急激な横荷重。内臓をかき回すそれを感じた瞬間――――飛び上がる蒼色を見、――幾条もの閃光が、空を焼き地を凪いだ。
『白銀ぇえええええええ!!!』
「!!?」
痛烈に耳に突き刺さるその咆哮に呼応するように、シートに固定した弧月が鳴った。
正面の要撃級の腕を刎ね飛ばし、傷口に尽きた36mmの代わりに120mm砲を叩き込む。同時に確認した戦域データリンクを見て、ようやく、武は自身だけが突出しすぎていることに気づいた。
瞬間的に巡らせた視界はどこを見てもBETAの壁。左右前方を完全に化け物に塞がれて、しかもそいつらは全部武に向かって殺到している。じり、っと額に汗が浮かぶ。頬を流れ落ちたその感触に小さく驚いて……苦しいほど呼吸が乱れていることに、愕然とする。
極度の疲労が全身を包む。――莫迦な。戦場における自分の位置を見失い、仲間の位置を見失い、自身が疲弊していることにさえ気づかない。
そんな、莫迦な。
驚愕が武を包む。しかしそれに戸惑っている暇はなく、疲れていようが仲間がいなかろうが、迫るBETAは殺さなければならないッ! そうしなければコロサレル。誰が自分が俺が純夏が――そうだ。純夏はこいつらに殺された! 忘れるな忘れるな忘れるな忘れるな! だからBETAを殺すんだ。だから疲れなんて関係ない仲間がいなくても関係ない単機でも単独でも変わらない間違えないやられないっ!
殺そう殺す殺します殺すから死んでくれ死ね死んでしまえくたばれっ!!
「――ッッッ!!!」
呼吸がひりつく。暴走する感情に比例して、脳髄が警鐘を撒き散らす。――莫迦な、何をやってる!!
違う。そうじゃない。確かにBETAは憎い。殺しても殺してもコロシテも殺しても足りないくらいに奴らが憎い! ……でも、ここは戦場で一緒に戦っている仲間がいて。あんなにも悲痛に叫んでくれる人がいるのに。……どうして自分は、そんなことを忘れていたのか。
さっきまではちゃんと出来ていたはずだ。ちゃんと命令を聞いてちゃんと作戦にしたがってちゃんと水月の言葉に従って――じゃあ、何で今ここに、独りで……?
憎悪が膨れ上がる。心臓が復讐を叫ぶ。驚愕が肉体を支配する。感情が冷静さを叫ぶ。
相反するなにがしかの葛藤にぶれた瞬間、――ぞっ――と。空間を包む温度が下がった。ヒヤリとした、痛いくらいの静寂。勿論、それは錯覚で幻聴で気のせいのはずなのに。絶えず地響きに揺れる大地は機体は怒涛の音を鳴らしているのに。喉を焦がすほどの絶叫が己の口から漏れ出ているのに。斬撃に体液を散らす音。砲撃に肉片を散らす音。そんなにもたくさんの様々な喧しい音が鳴り響き炸裂しているのに。
どうして、そんな、まるで耳鳴りのような静寂が――――――独楽のように回転し、推力の全てを上乗せした一刀に要撃級が割れる。屍と化したソイツの背後から間髪いれずに押し寄せるだろう次の敵へ向けて操縦桿を傾けたのと同時、武は、信じられない光景を見た。
こなかった。
さっきまで斬り捨ててはその度に現れて、躍るようににじり寄ってきていたそいつらが。その姿が。ない。全然。一体も。
まるでぽっかりと開かれた空間。モーゼの渡る海のように。
ド、
血液が逆流しそうになる。脳が酸欠で壊死してしまいそう。
グ、
鳴り響くのは警鐘に警報に絶叫。瞬間に、刹那に、なによりも武の精神が焼きつくくらいに加速した。
ン――。
見えたのだ。ぽっかりと開かれたその道の向こう。薄い緑色の姿。小さな姿。二つ並んだレンズのような膜。群れるように。体型を組んで。――――ォォォォおおおおおおおおあああああああああっっっ!!??
光線級! 光線級がそこにいる。開かれた道の向こうに、武が散らした要撃級の屍の遥か先に!
嵌められたのだと悟る。管制ユニット内にけたたましく鳴り響く警報に血流が凍り呼吸が停止する。――死ぬ。死ぬ。死ぬ!?
あとコンマ何秒かで、避けろ、左右を要撃級に囲われて、ソイツラの前なら当たらない、遠い、間に合わない、避けろ、だからどこに、後ろ、莫迦言ってんじゃねぇ、右でも左でもいい、だから盾にするには間に合わないって言ってるだろう!? 知るか関係ない避けろ避けろ避けろ避けろォオオ!
乱数回避が起動しようとする。旋回の機動を慣性のまま続けていたその一瞬間で、制御プログラムが強制的にすべての機動をカットする。逃げるために。――どこに逃げる?!
「ッッッ!!!」
気づいた瞬間、左手で何かのボタンを砕くように叩き、右手で操縦桿を折れるくらいに引いて、両足がフットペダルを全力で踏み抜いていた。白い閃光が、奔る。
「あぁぁぁぁっぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
気焔を巻き上げて機体が上昇する。狂いそうなほどの晴天がそこには在った。視界を幾条もの閃光が過ぎていく。完全に狙われていて、どうして空になんて逃げようと思ってしまったのか、その思考にただ吐き気がした。
何も考えられない。ただ我武者羅に空へ逃げる。数十体もいる光線級の段階的なレーザー照射。沸騰する本能が回避機動を強制して、
右脚が、吹き飛んだ。
右腕が、吹き飛んだ。
傾いた機体の左腕を、閃光が焼く。
墜落する機体の腰部を、閃光が――焼イ、