『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:十二章-04」
季節はいずれ秋へと移ろう……。にも関わらず、今日は特に陽射しが厳しいような気がしていた。早朝の朝日に目を細めながら、まだ涼しさを残す空気を胸いっぱいに吸い込む。
点呼が終了してすぐに、こうしてグラウンドに立っていることには……特に理由というものは見当たらない。
だが、何か、予感があった。……兆し、というべきかも知れない。或いは、単純に、そういう予測が以前よりあったということも。
正確な日付を把握しているわけではない。教官であるまりもからも何の通達を受けたわけでもなく……。
ただ、過去の例を鑑みるに……じきに、という期待にも似た予感があり、そして、今朝。その予感が“今日だ”と強く訴えていた。
だから……なのだろう。清廉な早朝の空気と、じわじわと暑さを感じさせる太陽の陽射しを受けて。――心身を、リフレッシュさせる。
多分、今日、任官する。
それは最早確証に近い確信であり……どこか、胸躍らせる感情だったのだ。
2001年8月25日――
第207衛士訓練部隊A分隊所属の五名の少女は、自身の教導官を務める神宮司まりもからの呼び出しを受け、講堂へと集められていた。
一体何事だろう、と入隊式以来訪れることのなかったその場所に集合したのは数分前。いつもの訓練用軍装ではなく、白い訓練兵の制服を着用して、茜はしかし、緊張の面持ちで口を噤んでいた。
当初こそ、わからなかったのだが……それは、恐らく、間違いない。
自身の予感が的中したのではないかと確信する茜は、その意味合いを込めた視線を晴子に向ける。茜の視線を受けて……彼女が何を言いたいのかを悟った晴子は、柔らかく、そして自信に満ちた笑顔を見せる。その笑顔がどこか強張って見えたのは、矢張り彼女も少なくない緊張を覚えているせいだろう。
一人そわそわと落ち着きがなく、視線をあちこちに泳がせている多恵。何か言いたそうに口を開けば……何も言うことなく口を閉じ。再度開いたと思えば……ぱくぱくと口を開閉させて結局何も言わない、ということを繰り返している。傍目から見ればそれはとてつもなく珍妙で可笑しい仕草だったのだが、それを突っ込めるほど余裕の在るものはいない。
何事にも物怖じせず、困難な状況にこそむしろ燃え上がる薫でさえ、今は真剣な表情で腕を組み、沈黙している。強く鋭い視線は講堂のステージに向けられているが……恐らく、薫はただそちらを向いているというだけで、何を見ているわけでもないだろう。見つめるは己の心。自身の内側へと意識を向け、これまでの日々を反芻しているようにも見える。
最後に視線を向けた亮子は、意外なことに一番の平静を見せていた。元々芯の強い少女だということを茜は理解していたが、これほどの緊迫した状況下で平時同様、たおやかに佇んでいる彼女は大した度胸であろう。
ふ、と。
少女達全員が茜を見た。あまりにタイミングが揃っていたのでほんの僅かに怯むが……けれど、皆の視線が、訴えてくる。それは多分、茜と同じ。晴子が首肯してくれたように、自らも頷いてみせる。
「みんな……まだそうだと決まったわけじゃないけど……」
けれど、多分、きっと、そう。
ごくり、と多恵が喉を鳴らすのがわかった。薫も、亮子も、緊張を……そして、隠し切れない期待を見せる。晴子が多恵の肩を叩いて、ニッ、と笑う。
瞬間――講堂の側方に設けられている扉が開いた。基地施設への渡り廊下に続くその扉を抜けてきたのは、まりも、基地司令パウル・ラダビノッド准将、……そして、見たことのない国連軍大尉の三人。さらには、彼らに続いて十数名の士官が並ぶ。
予感が確信へと変わる。声高に告げられたまりもの号令に整列し、敬礼する。
緊迫した空気は尚もその濃度を増し……ラダビノッドが彼女たちの正面へと移動した。赤色の双眸に見据えられる。緊張と、歓喜と、驚きと、昂揚と……様々な感情が入り乱れ、沸騰しそうだった。「休め」と号令する大尉に従って敬礼を解く。マイクスタンドの前に立つ彼が言う。
――ただ今より、国連太平洋方面第11軍、横浜基地衛士訓練学校、第207衛士訓練小隊解隊式を執り行う!
その言葉に、痺れるほどの興奮を、昂揚を覚えた。――遂に、自分たちは……ッ! その喜びが、全身を駆け巡る。
基地司令の訓示に始まり、衛士徽章の授与。襟首に輝くそれは、自身で見ることはかなわないけれど、きっと、誇らしく在るに違いない。
国連軍大尉の号令に伴って、十数名の士官たちが盛大な拍手をくれた。……恐らく、横浜基地の要職に就く人々なのだろう。彼らの表情からは祝辞と激励が浮かんでいて、初対面であるにも関わらず、茜は薄っすらと涙を浮かべてしまった。
そして解隊式は終了し、基地司令をはじめ、士官たちは去っていく。彼らの最後に、まりもが扉を抜けて……そして、茜たちが残される。
「茜……」
「茜ちゃん……ッ!」
「やったなっ、茜っ!」
「おめでとうございますっ、茜さんッ!!」
口々に、晴子が、多恵が、薫が、亮子が……言ってくれる。茜は泣いていた。嬉しくて、嬉しくて、泣いていた。
それはもう、周りの皆が率先して茜に「おめでとう」と言ってくれるほど、彼女はぽろぽろと涙を流していたのだ。
何度も何度も、うん、うん、と頷く。言葉にならない想いがたくさん溢れて……けれど嬉しくて嬉しくて。晴子が肩を抱いてくれる。多恵が抱きしめてくれる。薫が、亮子が、温かい微笑みをくれる。――ああ、だから、安心する。
「皆……ぁりがと、ぐすっ…………えへへ、泣いちゃった」
目尻に浮かんだ涙をそのままに、頬を染めて茜は笑う。その、咲いたような笑顔は可愛らしくて綺麗で……だから、晴子たちもまた、笑った。
見れば皆も薄っすらと涙を浮かべている。茜につられてか、多恵と亮子は既に決壊寸前というところだった。特に亮子は、式前までの気丈な素振りがどこにもなく、薫に寄りかかって鼻を鳴らしている。
「晴子……多恵……薫……亮子……っ、皆おめでとう!!」
わっ、と。
感情が、歓喜が、涙が、笑顔が。咲き誇る。咲き乱れる。少女達の想い全部が溢れて零れて、それはお互いを祝う言葉となって温かくこだまする。
頬を紅潮させて、浮かぶ涙をそのままに、笑って、笑って。
やがて少女達は頷きあう。ようやくに果たした任官。四年間――正確には三年半という長い訓練期間を経て、遂に、辿り着いたこの場所。
自分たちは、衛士となった。襟首に誇らしく在る衛士徽章がその証。――そう、だから。胸を張ろう。誇らしく在ろう。
もう、護られるだけの訓練兵じゃない。
正規の軍人として、一人の衛士として、戦う。戦える。自分が護りたいと想う全てのものに対して、全力で、戦うことが出来る!
嬉しい。ただそれだけで、こんなにも満たされる。……だから、もう、涙を拭おう。自分たちは衛士だ。衛士となったのだから。
「……これで、みんなとはお別れかもしれないけど、でも、あたしたちはずっと仲間のままだよ……」
「うん。……どの部隊に配属したとしても、みんなのことは忘れない」
「ぅぅぅ、茜ちゃんと離れるのは寂しいけど、でも、皆、忘れないよっ」
「当たり前だろ? あたしらは仲間だ。それも最高のなっ!」
「はい! 絶対に忘れません。何処に居てもわたしたちの心は繋がっていますから……!」
茜は手を差し出した。意図に気づいた晴子がその上に自身の手を重ね……多恵が、薫が、亮子が、倣うように手を重ねる。……自然、円陣を組むように。彼女たちは最高に輝かしい笑顔を浮かべて。そして、胸に宿る熱き決意を抱いて。
「207A、解散ッッ!!」
「「「「了解っ!」」」」
分隊長の茜の号令の下、応、と。四人の少女が声を揃える。――これで、本当に最後。
彼女たち五人が、揃って同じ部隊に配属となることはないだろう。だから、本当に、これで最後。どの部隊に配属になったのだとしても、この時勢、生きて再び顔を合わせることはないかもしれない。だから、もしそうなったとしても後悔しないように。絶対に後悔などしない、と。
互いの武運と、幸福を祈って。どうか、生きてまた再会できることを祈って。
皆、笑う。眩しいくらいに、笑顔を見せる。
少しだけ照れくさくて、茜ははにかむ。――じゃ、いこっか。促すような晴子の言葉に頷いて、扉を抜け、講堂の外へ。夏の日差しを存分に注ぐ白い太陽に、目を細める。今は、この熱気さえ好ましい。
視線を転じれば、そこにはまりもが立っていた。少し驚くと同時に、ひょっとしなくても自分たちを待っていてくれたのだと気づいて、僅かに慌てる。
……けれど、その彼女の表情はとても柔らかく、温かで……それはいつか見た、慈愛に満ちた母性のそれだった。
ぐ、と。胸を締め付けるような感情が込み上げる。入隊したその日から、北海道へ転属となるその日まで。そして、この国連軍横浜基地に異動となった際に、再び教官として鍛えてくれたまりも。尊敬する恩師。敬愛するもう一人の母。
茜は、一歩を踏み出した。まりもとの距離が近づくにつれて、心臓の鼓動は大きくなり、涙腺が緩く、涙が溢れそうになる。――泣くな、泣くな、泣くなっ!
涙は、存分に流した。大切で大好きな仲間達と、存分に分け合った。
だから泣かない。彼女には……尊敬し、敬愛するまりもには。今の自分を、自分という教え子を持ったことを誇りに思ってもらえるように。
笑顔を。
「神宮司軍曹……貴女には、本当にお世話になりました」
「ご昇任おめでとうございます少尉殿!」
「軍曹に教えていただいたこと……決して、忘れません……」
「お気をつけください、少尉殿。私は下士官です。丁寧なお言葉遣いを戴くにあたりません」
柔らかな表情の中にも、毅然とした、軍人としてのそれが垣間見える。そうか……と茜は気づいた。任官し、少尉に昇進したことで、彼女とまりもの立場は逆転している。それを少し複雑に感じながら……けれど、それでまりもに対する敬愛が薄れるわけはなく。
「……軍曹の尽力に感謝する! ……どうか、お元気で……ッ!」
「お心遣いありがとうございます。――武運長久をお祈り致しております、少尉殿」
敬礼を、かわす。――ああ、駄目だな、あたしは。
見開いた目から、涙が、落ちる。でも、それでも、茜は毅然として。決して眼を閉じたりはしない。最後まで、しっかりと、まりもの顔を見つめる。
名残惜しいが、しかし、それは自分だけではない。茜は颯爽とまりもの前を通り過ぎて……ちらり、と僅かに振り返った。基地への入口にほど近い場所で立ち止まる。自分だって見られていたのだから、晴子たちの泣き顔も見てやろうと思った。
晴子が進み出る。まりもと向き合って、敬礼をかわす。
「ご昇任おめでとうございます少尉殿!」
「ありがとう、……。……神宮司軍曹、軍曹に育てられて、私は幸せです。軍曹の尽力に感謝する……ッ」
「ハッ、身に余る光栄です。――武運長久をお祈り致しております」
微笑みさえ見せて。晴子は緩やかにまりもの下を去る。向かう先で待っていた茜はまるで太陽みたいに笑って見えて、晴子は照れたように頭を掻く。そして茜同様にその場で立ち止まり、続く皆を見守る。
多恵は……もう、ボロボロに泣いていた。それでも、一生懸命に涙を拭って、目を開けて、精一杯に進み出る。
「ご昇任おめでとうござます少尉殿!」
「じっぐう、じ、ぐんそっ……ひっ、くっ、ぅぅ、っ!」
口を開こうとして……けれどそれは、嗚咽に遮られる。まりもを正面にして、感情が大きく振れたのかも知れなかった。みっともないくらいに泣きじゃくる多恵を、けれどまりもは優しく見つめていた。まるで、多恵の感情が落ち着きを取り戻すまで待っているように。
多恵は両手の平で涙を拭って、わななくように震える喉を鳴らして――込み上げる感情を、ただ一言に篭めた。
「ありが、とう、……ござい、ましたぁっっ!!」
「……武運長久をお祈り致しております、少尉殿」
振り切るように、多恵は走る。走って、走って、茜と晴子に飛びつくように抱きついて。大きく、全身を震わせて、泣いた。
多恵らしい、と少しだけ苦笑しながら。薫が進み出る。毅然と、そして凛々しくも在る表情でまりもと向き合い、敬礼を。
「軍曹の尽力に感謝する!」
「ご昇任おめでとうございます少尉殿! ――武運長久をお祈り致しております」
交わす言葉はそれだけ。けれど、薫は満足していた。言葉だけがすべてではない。まりもの、表情、声、姿……それらが、言葉以上に彼女の想いを伝えてくれる。感じさせてくれる。――ありがとう、軍曹。
最後に、ニッ、と笑って。薫は皆が待つそこへと向かう。茜と晴子に宥められている多恵を、自分も弄ってやろうと。破顔する彼女の目尻には、ツゥ、と零れる涙が一粒あった。
そして、亮子が進み出る。先ほどまでは多恵同様に涙を滲ませていたが……多恵が存分に泣いてくれたからだろうか。亮子の瞳は潤んではいるものの、決壊にまでは至っていなかった。
「ご昇任おめでとうございます少尉殿!」
「軍曹の錬成に感謝します。……今日まで、ありがとう。……どうぞ、これからもお元気で」
「少尉……ありがとうございます。――武運長久をお祈りいたしております」
にこりと微笑んで。亮子もまた、皆のもとへと駆ける。わんわんと泣く多恵に抱きつくようにしながら、亮子も、耐えていた分を泣きはらしていた。
少女達は、笑顔を咲かせながら、涙を流しながら、それでも……歩いていく。前に進んでいく。
その後姿を見つめて。見守って。まりもは、ただ静かに微笑んでいた。誇らしく成長した彼女たち。これほどの想いをくれた彼女達――どうか、あなたたちに、幸せな未来が訪れますように。
この戦争が終わる、いつかそのときまで……どうか、生き延びて欲しい。そう、願う。
===
涙と笑顔に溢れた解隊式の後、その情感に浸る間もなく強化装備の交換や正規軍の黒い制服の手配、任官の事務手続きや書類の作成……と諸々を片付けて、ようやく一息つく。
既に受け取ったC型軍装に着替えているが、これが存外に着心地がいい。さすがにセミオーダーというだけはある。知らぬ間に自身の体型を元にした制服があつらえられていることに若干の困惑を抱いてしまったが、自身に違和感なくフィットするこの軍装に文句を言うつもりは無かった。
まして、この黒を基調とした制服を着ているだけで……衛士としての意識が引き締まるのだ。単なる錯覚かもしれないが、それでも、本当に任官したのだという実感を、形として与えてくれる。
「――では続きまして、配属部隊についてご説明します」
手続きや書類作成についての指導をしてくれたまりもが、そのままに配属について説明してくれる。……わかっていても、矢張り緊張を強いられる瞬間だった。
茜はちらりと皆を見て、皆もまた、互いの顔を窺っていた。例え離れ離れになったとしても、絶対に忘れないし、仲間である……と。そうやって互いの気持ちを確認し合ってはいるが……それでも、どうしても気になってしまうのだ。そして、出来得るならば、この素晴らしい仲間たちと共に戦いたいと願ってしまうのである。
「今後皆さんは、国連軍の正規兵として実働部隊に組み込まれ、多様な地域でのあらゆる作戦に従事することになります。……このたび衛士訓練学校を卒業した新任少尉は全員、同一部隊に配属されることが決定しています――」
「――――えっ?」
まりもの言葉に、耳を疑う。思わず声を漏らしていた茜だが、それは……一瞬の後に、驚愕の喚声となった。
「「「「「ええええええっっ!!!???」」」」」
実に喧しい。
だが、それほど驚愕すべき内容だったということか。耳を劈くような声量に目を丸くするまりもだが、すぐに教官時代に見せたような厳しい表情に変わり、騒がしい新任少尉たちを無言のまま見つめる。――ゾッ、と。茜達の背筋に怖気が走った。まりもがああいう表情を見せたとき、大抵は怒声が飛ぶのだ。……が、現在は既に、新任とはいえ少尉と軍曹という関係にあり。故にまりもは沈黙を通しているのだが……むしろその方が怒声を浴びせられるよりも何倍も恐ろしい。
「……す、すまない、軍曹」
「いえ。お気になさる必要はございません」
おずおずと謝辞を述べる茜に、まりもが目を伏せながら応える。どうしてか、やれやれと溜息が混ざっていたような気がするのは気のせいだろうか。
「皆さんは本日1200を以って、横浜基地司令部直轄の特殊任務部隊、A-01部隊に配属となります」
「!?」
基地司令部直轄、特殊任務部隊……。その不穏な単語に、どきりとする。わざわざ特殊と銘打たれているあたりに、胸の辺りがざわついてしまう。まして基地司令部直轄……とは、一体どういうことなのか。
全員が揃ってその部隊に配属となるからには、何か必然性が潜んでいるに違いあるまい。むしろ、その特殊任務部隊に配属することが前もって決定されていたのだとしたら……在る程度の納得は出来る。
つまり、自分たち――即ち、207A分隊は、最初からそのA-01部隊に配属するために、その特殊な任務内容に従事できるだけの能力を得るために、訓練を続けていた……。
あくまで可能性だが、瞬時に組み立てた予測としては、なかなかに説得力が在る。横目にこちらを見ていた晴子と視線がぶつかる。その表情には、どこか悪戯気な感情が見え隠れしていて。
「以上までで、なにか質問はありますか?」
「……A-01について、詳細を聞くことは可能ですか?」
まりもの言葉に、茜が声を発する。が、彼女の問いに答えたのはまりもではなく……まして、今この室内に居るものではなかった。
「それは私が説明しよう」
ガラリ、とドアが開く。言葉と共に現れたのは小豆色の髪をした、女性大尉。まりもが敬礼するのにあわせて、茜達も一斉に敬礼する。む、と答礼を返す女性大尉は、そのまままりもの横に並び、不敵とも思える表情で茜達ひとりひとりを見回した。
妙な緊張感が走る。A-01の詳細ついて説明してくれるらしい彼女。まさかひょっとして……という少女達の予感に気づいているのだろう。彼女は真面目な表情で、名乗りを挙げる。
「伊隅みちる大尉だ。貴様らが配属されるA-01部隊第9中隊の隊長を務めている」
「!!」
ざわ、と全員の空気が揺れた。矢張り、という思いと、隊長が女性であるという事実に、少なくない驚きを覚える。……軍に男女の差はなく、今の時代男性が貴重で在ることも鑑みれば、別段驚愕するようなことでもないのだが……そこはやはり、司令部直轄の特殊任務部隊、という肩書きが影響していた。
その肩書きだけでとてつもなく重要な任務を任されているだろうことが予想できる部隊に、女性の隊長が就く。ならばこそ、みちるという女性の持つ実力を想像して、驚くのだ。
「……神宮司軍曹、ご苦労だった。後は私に任せてもらおう」
「はっ! よろしくお願いいたします、大尉殿!」
後方に控えたまりもへ労いを掛け、みちるは彼女の退出を命じる。まるでそのことがわかっていたかのように、まりもはこの場を彼女に任せて去っていった。……あまりにもあっさりとした引き際に若干の寂しさを感じたが……既に、彼女との別れは済ませているのだ。気を引き締めて、みちるを見つめる。
その気丈な視線を向ける茜達を改めて見つめて、みちるはまたも不敵に笑う。いい根性だ――そんな言葉が聞こえてきそうだと、茜は思った。
みちるの説明によれば、矢張り自分たちは、入隊の当初からいずれA-01部隊へと配属されることが決定していたらしい。……否、それに値する能力を身に付けたならば、という方が誤解がないだろうか。結果として、その条件を満たし、A-01へ任官することとなった茜達元207A分隊の全員。
さらには、彼女たちと共に訓練期間を過ごした207B分隊も、いずれはA-01へ配属される可能性が高いという事実。或いは帝国軍横浜基地の時代より連綿と続けられてきた特殊任務部隊専属の訓練部隊、という経緯。それらを知り、自分たちが辿った数奇な経歴にも納得を示す。
さて、と。A-01の成り立ちやその経緯をあらかたに説明し終えたみちるは、新たな部下となった五人の少女達に、一層不敵な笑みを見せ付ける。……それはどちらかというと悪戯っ子のそれであり、なんだかよく似た笑顔を浮かべる晴子を連想させるものだった。そう思って晴子を見れば、彼女も何がしかを感じ取ったのだろう。「あちゃぁ……」と、観念したように言葉を漏らしていた。
そう。それはきっと間違いなく。
ああいう笑みを浮かべたとき、その人は往々にしてなにかろくでもないことを思いついているか……その後の結果を愉しみにしているか、のどちらかしかない。
つまりは茜達にとってはそれほど笑えないような出来事が待っているという……ことに、なるのだろうか。茜は真剣に悩んだ。
「早速だが、部隊の皆に引き合わせよう」
ついてこい、と歩き出すみちるに、皆が続く。エレベーターに乗り込んで地下へ。居住フロアよりも下の階層へ降り……向かう先はA-01部隊がブリーフィングに使用する部屋だという。そこに、彼女たちの仲間……先任の、衛士たちがいる。
心臓が早鐘のように鳴り響いていた。緊張に手の平が汗ばむ。ごくり、と絡みつくつばを飲み込んで――それでも、精一杯に胸を張る。
入口の前で、みちるが不意に立ち止まる。どきりとした茜達の表情をじっくりと観察して、――くっ、と。苦笑に似た笑顔を見せた。緊張を笑われたのかと思ったが、多分違うだろう。まりもとは違うが、今の苦笑からはそれとない優しさが感じ取れた。
「……まぁ、驚くな、という方が無理だろうな」
「えっ?」
どうやら独り言だったらしいみちるの言葉に疑問符を浮かべた茜だが、みちるはそれに気づかず、ブリーフィングルームのドアを開ける。――カラカラ、と軽い音を立ててスライドしたドアを抜けて、みちるに続く。
横列に整列し、隠しきれない緊張のまま……視線を彷徨わせる。正面には、同じように並ぶ女性たち。けれどこちらは、一向に緊張を浮かべた様子もなく、むしろガチガチに固まっている彼女達を見て楽しんでいるようだった。
「――ぇっ、」
視線が、止まる。
その人物には、見覚えがあった。――否、見覚えが在るどころか、その人は、たった一人の……
「お姉ちゃん!? そ、それにっ、速瀬さんもッッ!!??」
驚愕を通り越して唖然とする。――そんな莫迦なッ! という衝撃が、茜の全身を走り抜けた。
が、瞬間に、思い出す。
つい先ほど、みちるの説明にあったばかりだった。A-01部隊に配属される……そのために、専用の錬成を受ける訓練部隊。かつての帝国軍横浜基地衛士訓練学校、そして、現在の国連軍横浜基地衛士訓練学校……。ならば当然、そこに遙と水月がいても、何の不思議はない。
知識としてその事実を受け入れていただけで、全くそのことに予想がつかなかった。茜は、自分の迂闊さを情けなく思う。……同時に、実の姉と、そして憧れて目標にしてきた水月と同じ部隊に配属されたことを、心底から喜ばしいと思う。
「あああああああああああああああああっっっ!!!??? なんで、なんで、なんでぇええええ!!!??」
ワァン、と茜の耳を貫くのは、多恵の絶叫だった。その声量に思わず身体のバランスを崩してしまったが、何事かと多恵を叱責しようと振り返れば……言葉をなくして立ち尽くす四人の仲間達を見た。
え? あれ?
立ち尽くす晴子たち。多恵にいたっては驚愕に叫んだそのままで硬直している。薫も亮子も驚いたように目を見開いて、……全員が、ある一点を見つめていた。
何事だろうと、そちらに視線を移す――。
どぐん、と。心臓が鳴った。
ぇ、と。呟きが漏れた。
そこに、いた。
そこに、立っていた。
居並ぶ女性たちの、一番端に。
多恵の大声に驚いて、でも、少しだけ照れくさそうに微笑んで。
黒い髪、黒い瞳。……見間違えるはずのない、その人は、――――ああっ、
「武ッッ!!」
「よっ、久しぶり」
涙が、込み上げてきた。どうしてだろう、ぼろぼろと零れて止まらない。
任官を果たしたその時、まりもと別れのひとときを過ごしたその時。あんなにもたくさん泣いたのに。……一体何処に、これだけの涙が残っていたのか。
熱い涙が頬を濡らす。いや、これは頬が紅潮しているための熱さだろうか。
両手で口元を覆うように。漏れそうになる嗚咽を、必死になってこらえる。溢れる涙が、彼の姿をぼやかせる。ああ、もっと見たいのに。もっと見ていたいのに。どうして、この涙は止まってくれないのだろう……。
「…………涼宮……、」
気づけば、武が優しく微笑んでくれていた。久しぶり、と彼は言う。微笑みを彼が向けてくれる。
それだけでこんなにも満たされる自分が居て……だから、そう。茜は、これ以上取り乱した自分なんて見せられない、と。涙を拭って、一度、大きく息を吸った。
任官して、配属して、早々に無様な姿を見せてしまった。――だから。
「涼宮茜少尉であります! よろしくお願いします!」
胸を張れ。既に任官していて、笑顔で迎えてくれた武に、成長した自分を見せ付けるのだ!
「柏木晴子少尉です! よろしくお願いします!」
「築地多恵少尉です! よろしくお願いします!!」
「立石薫少尉です、よろしくお願いします!!」
「月岡亮子少尉です。よろしくお願いします!」
五人が、敬礼を向ける。それを受けて、隊長であるみちるが宣言した。
「A-01部隊へようこそ。貴様達を歓迎する!」
「「「「「はっ! ただ今を以って、着任いたします!」」」」」
盛大に、凛々しくあれ。茜は、晴子は、多恵は、薫は、亮子は……こうして、遂に、任官を果たし……白銀武との再会を果たしたのだ。
===
交流を深めるためには矢張り食事を一緒に、という手段が一番手っ取り早い。無論、A-01部隊に属する面々であるならば、時と場合に依らず、その開けっ広げで、よく言えば大らかな……悪く言えば色々と痛い目を見るので省略するが、とにかく、食事、というツールを利用せずとも打ち解けることは可能だろう。
が、相手はなんと言っても新任少尉である。その全員が顔見知りという水月さえ、他の皆に気を遣う形で昼食を一緒に採ろうと提案したのだから、武は当然、異を唱えることはしなかった。
各自が料理の載ったトレイを手に、席へ着く。いつも通りに定位置へと腰を降ろす彼女たちの中で、どうしてか水月と茜……というか、元207A分隊の五人が立ち尽くしている。後者は……まぁ、まだその理由を想像できる。共に食事を採ることは願ったり、ということだろうが、はてさて、一体何処に座ろうかしら、という具合だろう。
――だが、しかし。
何ゆえに水月が立ち尽くしているのかがわからない。見れば、水月はいつも通りに武の左隣に座ろうとしていたのだが……そこには、茜もまた、立っていた。お互いにそこに座ろうとして、鉢合わせて、おや、と首をかしげて見詰め合っている。
「……なに、茜? 早く席に着きなさいよ」
「えっ? あ、いぇ……速瀬さんこそ、その、」
不思議そうに首を傾げながら、水月は茜を座るように促す。……が、茜は一向に空席に向かう様子はなく。その視線は、水月と武の顔を行ったり来たりしている。茜の背後では、なにやらどよどよと騒ぎ始めた晴子たち。――なんだ? 武は眉を顰めた。
「……??」
よくわからないままに、水月は自分のトレイを、いつもの席に置く。そして武の左隣に腰掛け……ようとして、ぴたりと停止した。
ややあって、再び茜の顔を見つめる水月。その表情は、何かに気づいたような……言葉にすると、「はは~ん」とか、なにか、そういう類のニヤリとした笑みが浮かんでいて。
「ねぇ本田、そこ、詰めてくれない?」
「はっ?」
くるりと向きを変えて、水月が武の右隣に座る真紀に言う。かつてはその席に藍子が座っていたのだが……彼女たちが亡くなって以降、空白を埋めるようにとそれぞれが席をずれていた。ぽかん、と水月を見上げる真紀に、彼女は「いいからさっさとどく!」と椅子をガタガタと蹴っ飛ばした。
「うわぁっ?! ちょっ、なにするんですかぁ! 中尉!!」
「ほら、さっさとしなさいっ!」
わけもわからず放り出された真紀の、彼女が数瞬前まで座っていたその席に、水月は座る。勿論、一度置いたトレイもそこに移動させていた。満足そうな笑顔を浮かべて、茜を見やる。水月の意図に気づいた茜が、ぼん、と顔を真っ赤に染めた。……背後ではささやかに歓声が沸いている。
それを見て、ほほぅ、と内心でほくそ笑むのが美冴である。顔を真っ赤にしたまま武の左隣に座る茜、そしてそれを受けて柔らかい表情を見せる水月。更には武までが、水月の意図に合点が言った様子で、僅かに頬を染めている。
(なるほどなるほど、そういうことですか……)
昨年に偶然聞いたあの話は、どうやら的外れではないものの、真実ということではなかったようだ。……無論、そんなことはとっくに気づいていた美冴だが、それでも、水月をからかい続けたのは単純に楽しかったという理由だけではない。だが、こうしてあからさまな水月の態度を見せられては、最早苦笑するしかない。
ちらりと遙を見れば、彼女も親友である水月と、妹の茜の気持ちに感づいたらしく、にこにこと天使のような笑顔を浮かべている。
――くくっ。漏れる笑いを堪えられない。これはこれは、大変面白いことになったものだ。ニタリ、と唇の端を吊り上げてその三者を眺めていると、不意に武と目が合った。瞬間、――やべぇ、と目を逸らした武。……どうやら美冴の視線によからぬことを感じ取ったのだろうが、そこまで期待されては先任として、存分にそれに応えねばなるまい。
「……美冴さん、駄目ですよ」
「…………まだ何も言ってないんだが」
さらりと美冴の企みを看破した梼子が、さりげなく釘を刺す。つい先ごろ中尉に昇進した美冴ではあるが、どうにも梼子の言には逆らえない。……いや、別に言いなりになっているというわけではないのだが……けれど、彼女とのそういう関係性を気に入っているのも事実。無論、そんな彼女を含め周りの人間をからかっては引っ掻き回し、その反応を見ることも十二分に気に入っているのだが……。
もはやライフワークに等しい水月弄りに、新しい要素が加わったことをたっぷりと喜びながら、美冴は無言で武と茜をニヤニヤと見つめた。
「……えーっ、と。あれ? なんでアタシ放り出されたの?」
真剣に首を捻りながら、新しい自分の席を探す真紀だけが、この状況を飲み込めていなかった。
少しだけぎこちなかった昼食も、気づけば互いに打ち解けていって……十四人となったA-01部隊は、新たな活気に沸いていた。特に、新任少尉組のテンションが高い。遂に任官を果たした喜びと、そこにかつての同期であった武が居ること。それらが合わさってずいぶんとはしゃいでいたように見えた。
勿論……それは嘘ではないし、作り物でもなく。本当に、彼女たちの気持ちそのままだっただろう。
だが、みちるは、水月は……そして数名の先任たちは、察していた。気づいていた。
彼女たちの、武を見る視線、表情、呼びかける声。その、ひとつひとつが。――強張っている。
終始そうだったわけではない。その僅かの戸惑いも、次第に薄れていったように思う。……だが、彼女たちはまだ、本当の意味でその惑いを拭い去れたわけではあるまい。
恐らくは衛士として、その立場に在るものとして……先任となった武の、任務に関する内容に触れることを躊躇い……彼が語るまでは聞いてはならない、と自身を制してのことだろう。
初対面でそうとわかるみちるの観察眼などは流石に隊長を務める才覚溢れた御仁であると評してしかるべきだろうが……それでも、恐らくはあの鈍感な武でさえ気づいている程度には、わかり易い強張りであった。
武の顔を見れば、或いは目でもいい。とにかく、彼を見れば……どうしても、視界に入る、その傷。事情の知らぬものが見れば、思わず息を呑むのは必至であろう。
傷を残す衛士、というのは……多くない。
戦術機という戦闘兵器に搭乗して戦場を駆ける衛士だが、彼らが負う負傷というものは……往々にして致死に至ることが多い。BETAの攻撃によって戦死する者の大半が、その全身を圧殺されたり、咀嚼されて喪われたり、溶解液に溶かされたり、レーザーに蒸発したり……或いは、機体の主機の爆発によって吹き飛んだりと、残す傷もないほどに無残なものが多いのだ。
負傷を負い、運よくも生き残った場合でも、それは例えば手を、足を失っていたり……内蔵に傷を負い、骨を折り……といった具合のものが多い。つまり、武のような裂傷を負うことは少ないということでもある。
また、前者のような重症の場合は必然的に擬似生体が移植され、傷ごと「元通り」に治療することが可能であり……例え縫合の跡だろうと、それも擬似生体の技術を応用した皮膚を移植することで消すことが出来る。……故に、自らの肉体に傷を残すものは多くなく……けれど、そうして、敢えて自らの負傷を晒す者は、確かに存在するのだ。
現に武がそうである。
そして、彼らも武も……そうして傷痕を残すことで、自らの過ちを肉体に刻み付けている。そうすることで己の犯した失態を忘れず、二度と同じ過ちを繰り返さないように、との戒めと成すのだ。……或いは、その傷を負ったときの思い出、という理由で傷を残すものも居るかもしれない。奇跡的に生還を果たした際の傷、等、それぞれに、それぞれの理由が在るのだろう。
水月は、武が自らの傷痕を残す理由を問い質したことはない。……が、大凡の理由は見当をつけているし、それが外れているとも考えていない。
間違いなく、あの傷に込められたのは自身への戒めだろう。復讐に捕らわれ、衛士としての本懐を見失い……先任四人を、木野下を、志乃を、亜季を、藍子を死なせた罪。既にそのことを「罪」と括り、捕らわれることからは抜け出している武だが、それでも、彼は未だに恐れているのだ。――己の奥底に眠る、復讐の鬼を。
だから、その傷に刻む。己が犯した過ちを。己を救ってくれた彼女たちの生き様を。そうすることで、武は身を焦がす復讐に支配されることなく、護るもの……守護者として、存在できている。
そのように、水月は理解している。視線を向けた先、みちるも……多分、同じように考えているだろう。
だから、茜達の戸惑いは、僅かに胸を痛ませた。そしてそのことを武が気づいていることにも……若干の憂いを抱く。こればかりは、如何に水月とて口を挟むことなどできない。武を差し置いて、茜達に彼の覚悟を語るわけにはいかないのだ。
故に、素知らぬふりをする。
茜達が武の傷痕について積極的に触れようとしないように、自身もまた、彼女たちがそう思っているだろうことに、気づかないふりをするのだった。
やがて昼食も終わる。いつもよりもややゆったりとしたペースで、そして歓談に花を咲かせての食事。そのために休憩時間も残り少なくなっていたが、解散するに当たり、みちるが武と茜達五人を呼ぶ。
それだけでみちるの考えを悟った水月は、遙と共にPXを後にした。去り際に、ちらりと武たちを振り向く。顔に、腕に、心に傷を負い……それでも、前を向いて突き進むことの出来る武。どうか、彼女たちにもそんな強く成長した武を知ってもらいたいと。水月は微笑みを浮かべた。
みちるの計らいで、特別に三十分の休憩時間を与えられた武たち六人は、久しぶりの再会に、会話を弾ませた。
場所は変わらずにPX。いつかのように合成宇治茶を啜りながら、思い思いに話題を口にする。主たるものは、武が任官するに当たってのいきさつだ。ただでさえ喧しく姦しい茜達である。彼女たちの質問にはいつだって逆らえないし、強制的に引き出されることを、武はよく知っている。
思い出すのは三年以上前。帝国軍の訓練校に入隊し、彼女たちと初めて出会ったその日。純夏とのキスを目撃していた茜と晴子に散々からかわれ、それからというもの、彼女についての情報を悉く引きずり出されたのである。
その経験から、武は機密に抵触しない範囲で、自分が異動してからのことを簡潔に話した。単独での総戦技評価演習、仮想敵の全員が先任少尉たちだったこと、戦術機の操縦訓練に、深夜までおよぶ突貫の座学。真那に託された弧月と、その想い。……そして、任官。
初陣の、あの…………黒々とした、おぞましくも無様で、愚かしい自分。
「俺は……駄目だったんだ。どうしても、どうやっても、純夏を忘れられなかった。アイツが死んでしまった哀しみをずっと引き摺っていて……お前たちにも平気なふりを見せて……そして、BETAに対する憎しみを、強く募らせていた」
「…………」
少なくとも、その言葉は茜達にとってショックだった。騙されていたこと、ではない。……彼が、武が、そんな仮面を纏っていたことに気づけなかった。その事実が、悔しい。
感情を吐き出すような、自らの傷を抉るような武に、茜は「もういい」と声を掛けそうになる。もういい、もう聞きたくない。……武がそんな風に苦しむ姿を、見たくはなかった。……だが、武は語るのを止めない。向けられる彼の瞳が、聞いて欲しいのだと訴えていた。
「そして、俺は出撃した。甲20号目標に巣食う、BETAの間引き作戦に参加して…………そこで、俺は、狂っちまった。BETAを一匹屠るたびに、長刀で、突撃砲で、奴らを斬り、殺すたびに……俺は、壊れて、復讐に酔いしれた。――ざまぁみろ、って。そう、嗤っていたんだ」
「……ッ、……武……、」
堪えるような声を、茜がもらす。今にも泣きそうな表情で、青褪める茜。見れば、晴子たちもまた、同じような表情をしていた。……無理もない、と武は思う。なにせ、自分でも思い出すたびに恐怖に包まれる。凍りつくような感情に支配され、心臓の脈動まで停止するような怖気が忍び寄るのだ。
コロセ、殺せと復讐が吠える。呪え、その暗黒に身を委ねろと。もう一人の自分が魔手を伸ばしてくる。――でも、
「でも、そんな俺を、助けてくれた人が居た。……暴走して、単独で敵に突っ込んで……レーザーに機体をバラバラにされた自分を、瀕死の俺を……自分の命を顧みず、救ってくれた人が居た」
今でも覚えている。彼女たちの、死ぬ瞬間。掛けてくれた言葉。任官して、たった二週間しか同じ時を過ごしていないけれど。……それでも、彼女たちを、忘れはしない。
「上川少尉たちの挺身で……俺は今、生きていられる。顔を抉られて……左腕をなくしたけれど、でも、俺はこうして生きている」
「腕……を、」
晴子が息を呑んだ。視線を向けるそこには、確かに左腕が存在する。その視線に気づいた武は、自身の腕を撫でながら……擬似生体であると、答える。薫の表情が歪んだ。なにかを堪えるような、そんな顔だ。
「俺の暴走で四人を巻き添えにして、それでも自分だけが生きている……それに潰されそうになった俺を、水月さんが救ってくれた。……ホント、今思い出しても容赦なかったなぁ……。縫い終わったばかりの顔面を思い切り殴られて、血まみれになったんだぜ、俺」
おどけるような武に、多恵が僅かに微笑んでくれる。彼女は気づいたのだ。こうして武が……その、悲惨な過去を語れること。こうやって、自分たちに語ってくれていること。その理由に。
にこり、と。温かい感情を思い出すように。武は笑う。笑顔を見せる。そして、茜を見つめて……彼は言った。
「ありがとう、涼宮……。お前が、俺を救ってくれた」
「……え?」
「水月さんが気づかせてくれて……でも、それだけじゃあ立ち直れなかった俺を、狂いそうになる俺を、支えてくれた言葉があった。前を向いて、這い蹲ってでも進め。そうやって、叱咤激励してくれる想いがあった」
それはあの戦域から脱出する際に美冴が言った言葉であり、水月が諭してくれた言葉であり、まりもが示してくれた未来であり、己を信じろと、誇らしげに言ってくれた真那の言葉であり、その最期まで、武を信じてくれていた純夏の言葉。
そして。
それは、いつも、いつでも、いつまでも……武の傍にいてくれて、支えてくれた、彼女の――お前の。
「お前の言葉が、お前との思い出が……俺を、支えてくれた。前を向かせてくれた。生きている、って、そう、思わせてくれた」
傷が癒え、けれど、自身の内で渦巻く感情の奔流に狂いそうになった時。偶然に目撃した茜。彼女達。そして……ようやくに気づいた、自身の想い。
いつも、お前が傍にいた。
それが、どれほど武の心を支えてくれていたのかを知った。――だから、感謝を。
「ありがとう…………茜。お前が居てくれたから、俺は、また前を向いて進むことが出来る」
「―――――――ッッ!!??」
ぉおお、と静かなどよめきが走る。晴子が、多恵が、薫が、亮子が、一斉に。それはもう盛大に、叫ぶ!
「やったね茜ッ!」「おめでとう茜ちゃんッ!」「ッッかぁあ! 見せ付けやがってこのぉ!!」「おめでとうございます茜さんッ!」
そのあまりにも突然の歓声に怯んでしまう武だが、しかし、左隣に座る茜は微動だにしない。ん? と疑問に思って俯くような彼女の表情を見れば……真っ赤になって硬直している。
多分、今も尚続いている歓声さえ聞こえていないのではないだろうか。ぷしゅぅぅぅ、と顔から湯気がたち……どうも、尋常ならざる容態のようであった。
「ぉ、おい、茜ッ! 大丈夫かよっ?!」
「はゎ、はゎ、はゎ」
「何言ってんだ?! おい! しっかりしろって!!?」
茜の細い両肩を掴み、気をしっかり持てと揺する。けれど、反応らしき反応はなく、これはいよいよまずいのではなかろうか、と若干焦る。
「白銀君! よく言ったよ、見直したね!」
「大胆だよぅ! でもそんな白銀君も素敵☆」
「いっやぁ~、いつかそうなるんじゃないかと思ってたけど、まさかイキナリとはなぁ!!」
「男らしいです、白銀くん!!」
やんや、と騒ぎ続ける晴子以下。遊んでないで茜をどうにかしろと思う武だが、内心、驚くほどに落ち着いている自身を認識していた。
自身の想いを伝えられたこと。ちゃんと、茜に伝えることが出来たこと……。それを誇らしいと思う。嬉しいと思う。
こんなに真っ赤になってしまって、可愛らしい姿を見せてくれる茜に…………どうしようもないほどの、感情が溢れ変える。周りではしゃぐようにからかいの言葉を投げる晴子たちに再会できて、変わらずに居てくれることを嬉しいと思う。
「ぁ、の、武……っ」
「ん? なんだ?」
茜の肩を掴んだままの武に、おずおずと、もじもじと、茜がようやく口を開いた。見詰め合う距離は、近い。
その、あんまりな近さに更に顔を真っ赤にする。それに気づいた武が、慌てたように手を放し…………ほんの少しだけ寂しそうな表情を見せる茜。どうしろというのか、武は思わず苦笑してしまった。
「…………武、ありがと。…………あたしもね、武が居たから、頑張れたんだよ。武を支えてあげたい、って。そう思って、そうできるように、頑張ってた」
「そ、か。うん……」
微笑んで、恥ずかしそうに、笑って。武が、くしゃくしゃと茜の頭を撫でる。――あ、と。ほんの少し驚いたような表情をして、けれど、くすぐったい感情を堪えるように。
懐かしい、その感触に。
止まらない、この感情に。
想いに。
通じ合ったのだと、それを知って。
だから、幸せだった。
茜は、幸せだったのだ。