『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:十三章-03」
「擬似生体移植は成功、早ければ三週間ほどで完治するとのことです」
「……そうか、感謝する、ピアティフ中尉」
いえ。そう言って敬礼し、去っていくイリーナ・ピアティフを見送りながら、みちるは目的の病室を目指す。つい先ほど内線でピアティフから連絡を受け、夕呼が重症を負ったのだと知らされた。
夕呼が重症を負う……執務室に篭りきり、或いは、研究のために機密フロアを往来するだけの彼女が、そんな負傷を負う事由が思いつかなかった。……事故、ではないのだろう。
ならば、なにか。
決まっている。不慮の事故でないならば、そこに関わっているのは人間の意志だ。
ピアティフの説明では、右腕を肩口から、鋭利な刃物で切断されているのだという。……鋭利な刃物。そんなモノを持ち、且つ、その時間帯に夕呼と共にいたであろう人物など……一人しか思いつかない。
――在り得ない。
みちるは自身の想像を頭を振って拭い去ろうとした。……が、食事の最中に見せた、彼のほんの僅かな違和感が、今では確信として知らせてくれる。
白銀武。彼が、夕呼の右腕を斬ったのだ。
いつも身に付けている日本刀。豪奢な漆塗りの拵に、鮮烈過ぎる黄色いリボンを巻いた、あの……弧月という名の、剣術の師の形見。
それを以って。
何故だ、と。拳を握り締めた。もしそれが本当なら、自分は彼を処罰しなければならない。そこに如何なる理由が在るとしても、武は、夕呼を……オルタネイティヴ計画最高責任者にして横浜基地副司令である香月夕呼を。
右腕を喪わせるほどの重症を、負わせた。
事故であるわけがない。刀を持った男がいて、右腕を喪った被害者がいて……それでどうして、不幸な事故と言える? だから、間違いなく。白銀武は、彼自身の意志で、夕呼を斬ったのだろう。
――何故だ、何故だ白銀。
その襟首を掴んで、問い質したい。何かもっともな理由が在るというのなら、それを聞き出したい。そして、それを承知した上で、その顔面を殴りつけてやりたい……ッ。
もし、彼が何かに追い詰められていたのだとして、そこまでのことを仕出かすほどに逼迫していたのだとして……では、何故、上官である自分に、水月に……誰でもいい、相談してくれなかったのか。打ち明けてくれなかったのか……。
決まっている。任務に関することだったからだ。
夕呼直々に命ぜられた、特殊任務。その概要さえ知ることを許されない自分たちに、相談できる道理がない。……ならば、それは、上官である自分は……なんて、無様。そして無力なのか。
病室の入口に立つ、銃を持った衛兵が敬礼を向けてくる。基地内部の警備を務める衛兵二名に答礼をし、みちるは内心で沸々と込み上げる自身への怒りを一旦鎮める。
ピアティフから言われていた。
夕呼は、この負傷自体が機密に抵触するから、その理由を聞くな、と。夕呼の側近、という意味ではみちる以上に信を置かれていたであろうピアティフでさえ、彼女の重症の理由を知らされない。ショックだっただろう。病室の外でみちるを待っていた彼女は、やるせなさに表情を曇らせていた。
或いは、みちると同じように。……己の無力さに、打ちひしがれていたのか。
ともあれ、夕呼はみちるを呼んだ。それはみちるに用があるということであり……恐らくは、武に関することだろう。
傷が刃物によるものだとわかれば、それだけで下手人は絞られる。模擬刀で人体を裂くことは出来ず、アーミーナイフでも、肩口を一刀のもとに両断することは難しい。……ならば必定、それはそもそも刀、ということになるのだから。
だから、下手人は、武しかいない。彼しか、それを出来ない。
「失礼します……」
「来たわね、伊隅」
ベッドに横たわる人物は、全くいつも通りの不敵な表情で、みちるを出迎えた。普段と異なるのは、着ている服が病院着であり、右腕を吊られていること。だが、向けられる瞳は腕を斬られたショックなど微塵も感じさせず、不退転の輝きを放っている。
口元は緩やかに吊り上がり、その場景を見て困惑するみちるを愉しんでいるようでもある。
みちるは何を言っていいかわからず、呆然と立ち尽くした。部下に斬られたというのに、まるで蚊に刺された程度にしか感じていないような……そんな態度を見せる夕呼を、不思議に思う。
「なにしてんの……見舞い客が突っ立ってちゃあ、こっちが気を遣うでしょ……」
「はっ? ……あ、はい」
悪戯気に。含むように笑って、夕呼が椅子を示す。みちるは慌てたように丸椅子に腰掛け……そこでようやく、ベッドを挟んだその場所に、銀色の髪の少女がいることに気づいた。社霞。恐らくは、夕呼の右腕が喪われる現場を目撃したのだろう少女。
ピアティフと衛生兵を呼んだのは霞だという。そして、彼女が駆けつけたとき、血濡れの霞はかつてないほどに泣きじゃくっていたのだとか……。普段感情を見せない少女だけに、その話を聞いただけで痛々しいと感じてしまう。
同時に、誰よりも……みちるやピアティフよりも夕呼の傍らに在る彼女が、自分たち同様に夕呼を慕ってくれている事実が、嬉しいと思えた。
「伊隅、今回の件だけど……」
「はっ、現在このことを承知しているのは隊内で自分だけです。……ピアティフ中尉にも伝言を承っていますので、この情報が私以外に漏れることはありません」
そう。ピアティフが負傷の詳細を知らされなかったのと同様に、これは正真正銘、最重要の機密となるだろう。
AL4最高責任者の負傷。そして、それは彼女の部下が引き起こした叛逆行為……。外部には、それだけで活気付く連中がわんさといる。AL5推進派……それらに代表される、オルタネイティヴ計画そのものに反対的な組織……等々。
とにかくも、連中に付け入る隙を与えるわけにはいかない。夕呼の治療に当たる医療スタッフも、外で歩哨にあたる衛兵も、それは同様だ。この微妙な時期に、なんとも厄介な事件を起こしてくれたものだと、先ほどとは違う意味で、武に対して怒りが込み上げてくる。
「…………白銀、ですか」
「そうよ。あいつ以外にいないでしょ、日本刀持ち歩いてる衛士なんて」
押し殺した声で問えば、何を当たり前なことを、と呆れたように言われてしまった。……どうやら、本当に、夕呼は斬られたことをなんとも思っていないらしい。
みちるには理解できない。特殊任務を任せるほど、信頼の篤い部下に裏切られて……どうして、そんな風に笑っていられるのか。あっけらかんと言い切れるのか。――私には、わからない。
「伊隅、白銀が私を斬ったのは事実で、そのせいで私が三週間右腕を使えないのも事実で、その間にどれだけ貴重な時間が失われるかは、よくわかっているつもりよ。……でも、私は白銀を恨むつもりはないし、むしろこれは……まぁ、自業自得と言えなくはないわね……」
首が繋がっているだけ儲けものよね~、と。夕呼はふざけるように笑う。
何故、そんな風に笑えるのか……ッ! 大声を出して、そう、言ってしまいたい。尋ねてしまいたい。貴女は何故、それほどに……ッ。
武と夕呼の間に何があったのかは知らない。それを知ることが許されないというのなら、軍人として、みちるは従うほかない。
夕呼には、武に斬られるだけの理由があるとでも言うつもりか……否、事実として、彼女はそう言ったのだ。そして、武は夕呼を斬る理由が在った。
莫迦な。
確かに武は少々精神的に危うい面もあるが、それでも、己の犯した過ちを見つめ、水月の支えもあって……どうにか前に進んでいたはずだ。誰よりも何よりも、自身を高めることを欲し、常に高みへと手を伸ばすことが出来る……そんな衛士だったはずだ。
恋人を亡くした復讐心に身を委ね、暴走を見せたこともある。それが原因で、四人を死なせたこともある。
それでも、少しずつ、前に進んでいたのではなかったのか。未熟な己を振り切り、突き進む覚悟を身に付けたのではなかったのか。
理由など関係ない。
お前は、結局…………何一つ、変わっていないということか――白銀ッッ!
そして夕呼は、そんなみちるの感傷さえ必要としない。この場に自分を呼んだのは、単に武を放っておけと、そう命ずるためだったのか。……ならば、今の自分はなんと情けない顔をしているだろう。
自分の部下でありながら、その所業を知らされず、その内奥を悟れず、上官にこれほどの傷を負わせた。――無能の極みか、私は。
みちるの口から自虐的な吐息が漏れるのを、夕呼は見逃さなかった。横になった姿勢のままで、鋭い視線をみちるに向ける。名を呼ぶ声には棘が含まれていて、それは、無力に嘆く部下を叱咤する上官の顔だった。
科学者でなく、軍属に身を置く端くれとしての、顔だった。
「伊隅、あんたはよくやってくれてる。あれだけ消耗の激しいA-01部隊を、よく纏めてくれているわ。私はね、あんたを評価しているの。あんたの部隊を評価しているのよ。……それを、侮辱することは私が許さないわ」
「香月……博士……」
まるで仇を見るように。それほどに険しい視線を向けられて……みちるは、…………苦笑するしか、なかった。
ああ、その通りだ。我がA-01部隊は素晴らしい部隊だ。優秀な部下に恵まれ、彼女らの働きに助けられ……そして、その部隊は、世界中のどの部隊にも勝る、至高の宝だ。
夕呼の言うとおりだ。それを、侮辱することなんて出来ない。みちるが自身を無能と謗るならば、それは、ひいては自身の部下さえを無能と、そう断じるのと同じだ。……そんなことは、ない。絶対に。
少々感情的になり過ぎたらしい。いいかげん、少女ぶる歳でもないだろうに……。そういう意味を込めて夕呼に視線を向ければ、何もかもを悟った表情で、夕呼は意地悪く笑っている。――なんとも、大物だ。
みちるが夕呼と会話する時は、いつだってそう思い知らされる。
天才と人は言うが、正にそのとおりだろう。どう逆立ちしても敵わない。届かない。そんな高みに立つ女性。人類の未来を担うに相応しい、鬼才であった。
「しかし、博士……私は、隊を纏める上官として、白銀を罰しなければなりません」
「あんたもしつこいわねぇ……。私が“いい”って言ってるんだから、“いい”のよ」
「しかし……ッ」
先ほどの論理の逆だ。隊長が無能ならばその部下も無能。部下が失態を犯したなら、それは隊長の失態なのだ。
失態は、拭わねばならない。罪には、相応の罰を与えなければならない。当然のルールだ。まして、相手は香月夕呼である。本当に、夕呼自身が言うように、そこにはそうなって当然の理由が存在していたのだとしても、“それでも”、武は夕呼を斬ったのだ。
武器を持った人間が、武器を持たない人間を。
その肉体さえを武器とすべく鍛え上げた軍人が、なんの訓練も積んでいない科学者を。
人類を護りBETAを駆逐する衛士が、人類を救いBETAを滅ぼす計画を進める責任者を。
部下が、上官を。
斬ったのである。ならばそれは叛逆だ。斬られた当人がどうこういったとしても、それは軍という組織において……或いは民間においても、罪、なのだ。
どれほど腹立たしい事由があろうと、どれ程屈辱的で尊厳を蹂躙されようと。それでも、軍人は上官に手を挙げることは許されない。認められない。手を出したら、それで終わりなのだ。不敬罪、というものが在る。筋は、徹さねばならない。
いや……それ以上に、武は。
刀を持つ。武人として在る。その己の誇りさえ……二人の師から託されたという想いさえ、裏切ったのだ。泥を塗った。捨て去った。……それは、きっと、何よりも赦されない。
「だからあんたは固いってのよ……伊隅、もう少し頭柔らかくしなさいな。まったく」
「それとこれとは関係ありません。白銀は軍人です。そして博士も、副司令という立場にあるれっきとした軍属です。軍には規律が在り、それに例外はありません……。軍事裁判を起こさないというなら、せめて、私の権限内で白銀の処罰を認めてください」
呆れ返るように溜息をついた夕呼に、しかしみちるは喰らいつく。心底うんざりとした表情を向けられるが、こればかりは、いつもの夕呼の言があろうとも曲げられない。
軍とはそういう組織であろう。そして、みちるは誰よりもそれに忠実である。
「あのね、白銀を尋問されるのは困るのよ。自白剤なんて飲まされた日には、機密もへったくれもないわよ」
「しかしっ……!」
「それとね伊隅。あんた今、自分の権限内って言ったけど……午前中、私の特殊任務に従事している最中は、あいつはA-01部隊に所属する衛士じゃない。言ったでしょ? 特殊任務が終われば原隊復帰させる、って。わざわざ言うつもりはなかったけど、あいつが、私の腕を斬ったその時間……間違いなく白銀武少尉は副司令直轄の特務少尉だった」
それは詭弁だ……。がっくりと、みちるは肩を落とす。夕呼は多分、武を庇っているわけではない。自身のあずかり知らぬ場所で、武から機密が漏れることを恐れているのだ。
これが例えば、第一報が夕呼直属のピアティフではなく他の基地職員にいっていたとしたら……武は、即刻MPに連行され、自白剤漬けになり、営倉入りだ。その場であった全てを洗いざらい白状して、夕呼しか知りえない機密さえ、弛緩した口内から垂れる涎と共に吐き出しているだろう。
無論、夕呼がその尋問に絡んでいるならば問題ない。彼女が手を回し、MPも記録員も、全て掌握しているならばそれに不都合はない。白状した機密情報は記録から削除すればいいのだし、関わった全員に口封じを命ずればいい。それだけの権限が、彼女にはある。
だが、それは出来なかった。ピアティフが言っていた。駆けつけたその時、夕呼は「誰にも話すな」と一言呟いたきり……移植手術が完了して麻酔が抜けるまで、一度も目を開かなかったのだから。
意識を失い、その後の指示も出せぬ状況で、もしMPが動いていたなら……。ひょっとすると、夕呼の隠滅作業が及ぶよりも早く、彼女の負傷、吐かされた機密、それらが……反対組織に属する者の耳に入っていたかもしれない。
だから、それは認められない。みちるが尋問に自白剤を用いないと言っても、恐らくは無駄。
ましてその時間帯は、武がみちるの部下でもなんでもなかったのだと言われてしまえば、最早みちるに手を出せる問題ではない。
夕呼の強情さと、またしても自身の無力さに嘆かわしさを通り越し、いっそ呆れるほどの脱力感が全身を包む。
どの道、弁論で夕呼に勝てる道理もなかったのだ。みちるは遠慮ない溜息をついて、じっとりと夕呼を見つめた。
「では……白銀は、」
「今までどおり、A-01部隊の衛士よ。腕は確かなんでしょ?」
仰るとおり。腕は……いい。情緒面で不安定さを起こし、精神面で脆弱さが見られるが……それも、いずれ何とかなるだろう。少なくとも、数ヶ月の内には、みちる直々にあの軟弱な性根を叩き直す所存である。
が、それでも、矢張り、これだけは聞いておかねばならない。例えどれ程の理由が在ったにせよ、あの武が、――BETA相手ならいざ知らず――夕呼に、生身の人間に、手を下すとは思えない。
正気の人間のやることではない。
それは、正真正銘の狂気だろう。狂人は狂っているからこそ、人としての道理を、倫理をかなぐり捨てる。
武の暴挙は、間違いなくそれに所以する。……ならば、今後もその狂気が発症しないという保証はない。それは例えば同じ部隊で戦う彼女達を窮地に追いやる可能性もあるのだから。
「白銀の暴走……暴走と表現させていただきますが、それは、今後も起こり得るものでしょうか」
「さぁ……多分、暫くは大丈夫だと思うわ。……そうね、私見を言わせてもらうなら…………」
今すぐ実戦という段になった場合、武を戦場に出すな。
と。夕呼はそういう。
もし夕呼の推測が正しいならば……彼は、自身を死なせるだけでなく、A-01全部を巻き添えにして崩壊させる危険性が在る……と。そう言った。
それは軍人として、衛士として、致命的な欠陥なのではないだろうか。BETAと戦えない衛士。敵を前にすると発狂する衛士。……そんな人間を、確かに戦場に出すわけにはいくまい。まして、部下として用いるなど……自殺願望でもない限りは、御免被りたいものである。
「白銀は軍人として役に立たない、と?」
「当分は……ね。ま、それを判断するのは伊隅、あなたの仕事よ。私は精神科医でもなければ気の利く部隊長でもないものねぇ。部下の管理はあんたの仕事。そうでしょ?」
なんという横暴か……。先ほど感じた脱力感を更に上回る虚脱感に苛まれて、最早みちるは項垂れた顔を上げようともしない。
そのみちるの感情を察してか、視界の隅で霞がおろおろとしている様子が窺えたが、あのような小さな少女に案じられるほど、落ちぶれてもいない。
「わかりました。白銀の運用についてはこちらで対処します……。それと、例の特殊任務ですが、」
「ああ、それも当分いいわ。今日付けで白銀はA-01部隊へ完全に復帰させる。……ま、また借りることになるかもしれないけど、それも……」
語尾になんと言ったのかは、よく聞こえなかった。何かを完成させる……と聞こえた気がしたが、聞き直すわけにもいかない。みちるは、了解の意を告げて椅子から立ち上がる。ぴょこん、と跳ねるように霞も椅子から立ち上がって……
「伊隅大尉、ありがとうございました……。……白銀さんを、お願いします……」
「? あ、ああ……。とんでもないことを仕出かしてくれたが、それでもヤツは私の部下だ。…………狂気に支配されたというなら、それごと、叩き直してやるさ」
しっかりとみちるを見つめて言う霞に、果たして彼女はこれほどの強い瞳を持っていただろうか、と。みちるは小さく首を傾げる。
ひょっとすると……今回の事件を通じて、彼女は何がしかの成長を見せたのかもしれなかった。……ならば、いい。もう、それだけで十分だ。
夕呼自身が“いい”と言い、霞がそれによって一回り大きくなることが出来たというなら。それでいい。残る問題は確かに厄介でどうしようもないことかもしれなかったが、それでも、武が自身の部下である以上、みちるは彼を見捨てはしない。
水月に一肌脱いでもらうまでもない。これは純粋に、隊長としての領分であり役割だ。
ふ、と。思いつくものがあった。
武は夕呼を斬った。発狂するほどの感情の昂ぶりに、暴走した。……それはなんだか、捻くれて捻じれた一振りの刀を思わせる。真っ直ぐだった刃は、積み重なる負の感情に歪み、たわみ、亀裂が走るほどに捻じれてしまった。
ならばそれは、また鍛えなおすほかない。
灼熱の炉にくべて、丁寧に丁寧に、何度も何度も火を通して、叩いて鍛えるしかない。
人を斬るほどに崩壊した、その精神を。性根を。叩き直す。……なんとも腕が鳴るではないか。――覚悟しろ白銀。貴様を全うな人間に戻してやる。貴様にもあったはずの、純粋で真っ直ぐな刀身に鍛え直してやる。
数ヶ月だ。いや、二ヶ月でいい。
それだけあれば、貴様を「まとも」に戻してやる。もう決してぶれない、壊れない。歪みも、たわみも、亀裂さえもなく、故に捻じれることのない刀に。
或いはそれは武を育てた師……あの斯衛の衛士の役割なのかもしれないが、いやはや、困ったことに自分は武の上官で隊長だという。
いつか武が彼女と再会する時も来よう。ならばその時、あの温かく微笑んでいた彼女の表情を、曇らせることのないように。
何より、水月や茜といった、彼を案じている者たちのために。
「……では、私はこれで失礼します」
「はいはい。……二、三日したら、自室に戻ることになると思うから、その時はまた呼ぶわ」
は、と。気をつけのまま踵をあわせる。最早みちるの顔に迷いはない。疑問も、不満も、一切ない。故に夕呼はさっさと行けというように手を払い、みちるはそれに苦笑しながら病室を出た。
みちるが退室するのを見て、夕呼は盛大に溜息をついた。自分でもらしくないとは思うが、腕を一本喪って平然としていられるほど、自分は超人ではない。
表情にはヤレヤレという諦観しかなく、片腕が使えない間に積もるだろう職務を思えば、反吐の一つも吐きたい気分になる。
――あれは、完全に間違えた。
数時間前の出来事を思い出す。なぜ、自分はあんな言葉を吐いたのか。
同情は、そいつを侮辱することと変わらない。……かつて、自分が霞に教えたことでもある。……ならば、それを十二分に知っていたはずの自分が、何故、あんな……。
つい、口にしてしまった。……ということなのだろうか。
あの時霞にはリアルタイムで武がリーディングしたイメージをプロジェクションさせていた。所々雑然として判断のつかないものもあったが、大凡、BETAが何を仕出かしたのかは見ることが出来た。
それを、見てしまったから?
十五歳の少女が受けるには残酷で悲惨に過ぎるそれを見てしまったから? そんな少女を利用せずにいられず、その恋人だったという武をズタズタに傷つけたから?
……さて、どうだろうか。
自分がそこまで“甘い”人間だとは思っていない。それとも、そう思っているのは自分だけで、実は……ということが在り得るのだろうか。
今でも信じられないのだ。どうして、言葉として、それを伝えてしまったのか。――それは絶対に、死んでも、言ってはいけない言葉だった。そうわかっていたのに……。
だが、理由はどうあれ、最早口にしてしまったものを取り消すことなど出来ない。……ならば武を“甘ちゃん”と嘲るわけにはいくまい。正に自分もそうだった。自分でも理解できない“甘ったれ”た自分がいて、つい、内心を零してしまった。……本当に、らしくない。
しかし……と夕呼は寝返りを打ちたい衝動に駆られたが、腕をつられていてはそれも出来ない。仕方ないのでもぞもぞと身体を動かして、硬直しそうな四肢をほぐす。
しかし、あの武の暴走振りは果たして如何なるものか。精神が脆弱に過ぎる、というだけでは少々説明がつかない気もする。
例えばこの右腕だが……これは武のもつ日本刀に斬られたものだ。夕呼は武道には詳しくないが、それでも、日本古来より続く伝統的な武器……刀、について、それを持つ者たちの心構え、というものは在る程度理解しているつもりだった。
現在にも残る武家、或いは帝国軍に代表される斯衛などは、常に帯刀し、武人としての、剣士としての己を律しているのだとか。ならば武もその一画。刀を有し、それを帯びるもの……であるならば、最低限の気構えを持っていてもおかしくはないだろう。
むしろ……とそこまで考えて、夕呼は面白くなさそうに鼻を鳴らす。
考えてもしょうがない。武の中でどのような感情の化学反応が起こったにせよ、これは自身が撒いた種だ。よもや自分の口からあんな全てをぶち壊すようなセンチメンタルが吐き出されるとは思いもしなかったが、それで首が飛ばなかったのは本当に僥倖である。
或いは本当に殺すつもりがなかっただけかもしれない。……霞を通して伝えられた武の心は、ただ暗黒に似た空隙が広がるだけだった。そこにそんな思考を働かせる余地があったのかどうかは本人にしかわからないだろうが、それでも、夕呼は武が元には戻らないだろうことを予測している。
あれは、もう駄目だ。
みちるにはそれを諦めるつもりはないらしい……。いや、それを言うなら自分も、そうらしいが。
現状で武を有効に使える札は全てきってしまったと言っていい。まさか武の精神がこれほどに崩壊するとは少々予想外だったが、しかしこうなった以上は、衛士としても長く持つまい。
或いは、それでも尚這い上がるほどの胆力を見せてくれるなら、それはそれでいい。衛士としての腕が優秀だということは夕呼も理解している。何の成果も上げられずに終わった『伏龍作戦』での失態を、今後の作戦で雪ぐことができるなら、それはそれで使いようがあるということだ。
しかし、そんないつも通りの思考を展開させていると……我ながら酷い女だという嘲りが漏れる。そして、武に言ってしまった言葉が、どれ程に自身からかけ離れているかを。
ひょっとすると、いつか遠い昔に……オルタネイティヴ計画という世界に足を踏み入れる直前。そのときに捨て去ったはずの畜生にも劣る感傷が、呼び覚まされた結果かもしれない。
……ならば、それは再度捨て去ろう。そんなモノは必要ない。
一切の感傷も、一握りの情動も不要。自身は香月夕呼であり、国連軍横浜基地副司令であり、AL4最高責任者なのだから。
この世すべての非道と外道を背負い、そして人類を救って果てる者。
そう改めて自覚し、自身の失態とはいえ、本当に、今もまだ生きながらえていることにホッとする。
ともかくも、傷を治す。それが最優先だ。完治に三週間必要だとしても、歩き回ることが出来るなら問題ない。今はただ、突き進むときである。
武が入手し、霞経由で手に入れたBETAの情報…………正直、これの詳細を解析したとして戦況に劇的な変化は見られないようだが……。それらを整理し、僅かでも役立てる。
そして、00ユニット。未だその中核となる量子電導脳は完成していないが、それを、絶対に完成させる。
武に約束したことに関係なく。これは、香月夕呼として、その道を進むと決定した自身として、絶対に、やり遂げてみせる。そして世界を救えたなら……その後は、あのズタボロになってのた打ち回る餓鬼に、殺されてやってもいいと。
そんな、らしくない感傷を――。
===
何の感情もわかない、と。
そう思っていた。
独り自室に篭り、ベッドに腰掛ける。脇には弧月が置かれ、武は……自身の両手の平を見つめていた。
ドアは施錠してある。……今、誰かに逢うと、それだけで無条件に縋りつきたい衝動に駆られてしまいそうで、怖かった。
怖い、何を?
それをしてしまうと、もう、戻れないという確信がある。自身の無意識をリーディングするまでもない。それは、絶対にやってはならないことだろう。
そんな資格はないし、それは、衛士としての在り方に反している。
――笑わせるな。では、人を斬ったお前は、衛士であると胸を張って言えるのか。
「ッッ!」
何の感情もわかない、と。そう思っていたのだ。あの時は。
夕呼を斬った瞬間、或いはその直後、武は弧月を取り落としていた。……あれは果たして、霞の言葉に動揺したせいだったのだろうか。彼女の剣幕に圧され、恐怖に手放したのだろうか。
恐怖……確かに、恐怖だろう。狂うほどに壊れていたあの時の頭では一切の何も感じることが出来なかったが、今ならば、わかる。
あれは恐怖だ。畏れ、だ。
両手の平を見つめる。震えている。ずっと、ずっと震えている。あの後、血塗れた制服を着替えに戻った時も、食事のために平然を装って皆と過ごした時も。
ずっと震えていた。
何度も箸を取り落としそうになり、何度も碗をひっくり返しそうになり。……ただ、道化の仮面を被って、それを悟られないように振舞っていただけ。
自分はずっと、恐怖に震えていたのだ。
暴走して過熱した感情の熱が去ったからこそわかる。自分は何よりも、人を斬ったことを畏れていた。爆発した感情に引き摺られて、目の前にいる夕呼がどうしようもなく憎くて、そして……あろうことか、弧月で。人を、斬った。
瞬間に、何を思った?
くるくると弧を描いて落ちる夕呼の右腕を見て、飛び散った鮮血を浴びて、――俺は、一体何を思ったのか。
それが思い出せない。ただ、次の瞬間には、恐ろしくて、怖ろしくて、畏ろしくて……弧月を手放していた。人を斬ってしまった恐怖に、それをやってしまった自分に、弧月を持つ資格がないとわかったから。
脇に置いた弧月を見る。血は、何度も拭った。水面のように澄んだ刀身は……けれど、いくら拭おうとも前の輝きを取り戻してくれない。
無道に人を斬り、血を吸ったそれは妖刀となる……。いつだっただろう。真那が教えてくれたことだった。
月詠の剣術。螺旋の剣閃。
すべては、全ては、ただBETAを屠るために。実戦の中で編み出され、鍛え抜かれ、故に究極と。その物量を以って人類を民を窮するBETAに対抗する、究極の一であると。彼女は、誇らしげに語ってくれたのではなかったか。
ならば、もはや武は……人斬りであろう。
人を斬った狂人が、衛士を名乗るなどおこがましい。まして、温かな想いをくれる人々に縋るなど……そんな道理は存在しない。
道を違えたというならば、もう、誰の温もりを求められるはずがない。
茜の笑顔が思い浮かぶ。――莫迦が、まだ、わからないのかっ!?
それさえも、罪だ。赦されざる、罪であろうが。
武は人を斬ったのだ。武人の教えを受け、師の遺志を託され、真那の想いさえが込められた刀を託され……それなのに、そんな大切な何もかもを見失って、忘却の彼方に置き捨てて――斬った。
無道を。
外道を。
それはもはや、人に非ず。人斬りという名の、鬼だ。
純夏の想いを踏み躙り。
茜の支えを踏み躙り。
水月の差し伸べた手を踏み躙り。
真那の、師の、託された想いを踏み躙り。
そしてお前は、今までの全てを踏み躙って、捨てたのだ。完全に、自らの未熟さゆえに。
誰が悪いわけでもない。あの時、あの夕呼の言葉が逆鱗に触れたというのなら、何のためにその拳が在るのか。
まして、あの夕呼が……あれほどに頑なに非情の科学者をやりきることの出来る彼女が、あんな言葉を吐いてしまうほどに……それほどに無様を晒したのは己の失態だろう。
感情に任せ、逆巻く憎悪に任せ、お前は単に、そこにあった得物を、何の道理もなく、何の正義もなく、ただ子供の癇癪のように。
暴力を振りかざしたに過ぎない。
――それを、恐怖する。
そんな自分を信じられない。どうして、何故。何度繰り返しても、わからない。理解できない。これが自分。これが、こんな矮小で浅ましい人間が、自分。
純夏に想われる資格なんてない。茜の想いを受け止める資格なんてない。水月に手を差し伸べられる資格なんてない。真那に刀を託される資格なんてない。
震えが止まらない。もう駄目だ。もう、本当に、駄目だ。
立ち直るなんていう問題じゃない。
完全に、道を違えた。踏み外した。奈落へと続く崖を、転がってしまった。――自分の意思で。否、その意思さえ及ばぬ領域で。
それを、狂気と呼ぶのなら……ならば武は、最早それから逃れることなんて出来ない。
どうすればいい。どうすればこの震えは止められる?
誰にも頼ることは出来ない。誰も近づけてはならない。自分は人を斬った。刀を持つ剣士として、一番やってはならないことをやってしまった。
斬るべきはBETA。斃すべきはBETA。それを知っていたのに。剣士として、武人として、衛士として――俺は、どうして、俺はッッ!!??
絶望。
その二文字が過ぎる。
武は自身に絶望する。かつてなく、これ以上などなく。本当の本当に、自分が信じられなくなってしまった。
どうすればいい。ただそれだけが意味もなく脳内を巡り、ぶるぶると震える指先を、尚痙攣させる。
考えれば考えるほどに泥沼に陥っていく。ああ、ならばその泥は底無しで地獄にでも続いているのだろう。……堕ちていく。それを、実感する。
震える左手で、弧月の鞘を掴んだ。眼前に縋り寄せ、ガタガタと震えながらに抱き締める。
寒い。怖い。助けてくれ。
心中で甲高く叫ばれるそれらの言葉を、ただ、空気を震わせる呼気へと変えて。喘ぐように口を開閉させて、絶叫したい衝動を堪える。――駄目、なんだ。
誰にも、何にも、縋ってはならない。これは、これだけは、絶対に、自身で乗り越えなければならない。
今まで、自分がどれほどに多くの人々に助けられてきたのかが、ようやくに、わかった。……自分は本当に“甘ったれ”で、情けなくて、餓鬼だった。どうしようもなく。ただ手に入れた力に溺れていただけの……最低なヤツだった。
三年以上をかけて。
純夏を護りたいという、ただそれだけの……当時は宝物のように輝いて煌いていたはずの感情さえ忘れて。
三年以上をかけて、――俺は、ただ、無道を働くためにこの身を鍛えてきたというのか。
そんな莫迦な話があるか。そんなのは酷すぎる。……それをやってしまったのが自分だと理解していながら、まるで誰かのせいにでもしようとしてしまう、脆弱な精神に反吐が出る。
認めろ。
まずは、認めろ。
それをやってしまった時点で、お前は“そう”なのだと。そういう人間だったのだと。人斬り。狂人。感情を抑える術を知らず、ただその時のそれに振り回され、学んだもの、身に付けたもの、心に、身体に刻んだもの、それら全てを……忘却してしまう愚か者だと。
そして、最後になって後悔する。やってしまったことを畏れ、独りきりで、無様に震える弱者なのだと。
ああ、認めよう。認めます。――俺は、どうしようもない莫迦だった。
ならば、足掻け。
もう戻れないとわかっていても。もう駄目だと理解していても。どれだけの恐怖に足が竦んでも。どれだけの狂気にこの手が染まっていようとも。
足掻け。足掻け。足掻いて足掻いて、足掻きぬけ。
踏み躙ってしまった想いを、それでも大切にしたいと願うなら。
踏み躙ってしまった全てを、それでも取り戻したいと願うなら。
自らの手で捨ててしまった何もかもを、この手に、また抱き締めたいと願うなら――足掻け。
誰の手も借りず、誰の助けもなく、誰の支えもなく、誰の想いもなく。ただ、己自身の力で、足掻いて、もがいて、這いずってでも前に!
違えた道はどれだけの時間が掛かろうともまた戻ればいい。奈落に転落したなら、どれほどの苦痛に身を委ねようとも這い登れ。
地獄の鬼に足を掴まれたなら、その足を切り捨てろ。狂気に憑かれまた誰かを傷つけるならその腕を切り捨てるがいい!
「ぅあ、あっ、ああっ、」
両手に抱えた弧月を、そっと、手放す。部屋の隅に立て掛けるように……震える腕を、引き剥がす。
――ごめんなさい。
――ごめんなさい、月詠中尉。
何を謝る。謝ってどうにかなるとでも思っているのか。
それでも、ただ、涙が零れる。――俺は、貴女の弟子である資格が、在りません。
でも、それでも、どうか……。どれだけの時間が掛かろうとも、どれ程の苦痛を伴おうとも。絶対に。戻ってくる。
真那の弟子として、弧月の主として、相応しい男に、なってみせる。
この狂気から、抜け出してみせる。
踏み躙ったたくさんの想いを、手放してしまったたくさんのものを、また、手にするために。
三年以上をかけて、ようやく、やっと、理解する。
自分は衛士でもなんでもなく、ただ、復讐に濡れた悪鬼だった。
こんなにもたくさんの時間を掛けて、こんなにもたくさんの想いを傷つけて、そうしてようやく、わかったのだ。
それに気づくのが遅過ぎた。……いや、きっと、何処かに、それを捨ててきてしまっていた。
多分それは純夏を喪った時に。彼女を喪って、何もかもが壊れて…………いや、それでは、まるで純夏を責めているようじゃないか。――違う。あいつは悪くない。
悪いのは、間違えたのは、全部自分だ。だからこそ、自分独りで、這い上がる。足掻いて足掻いて、また、皆のもとに……還ってくる。
――だから弧月。どうか、待っていてくれないか。お前を妖刀に貶めてしまったけれど、どうか、待っていて欲しい。
再び、お前をこの手に握ることが出来るまで。
それまでどうか…………。
待っていてくれ――――。
===
「真那様? どうかされましたか?」
唐突に立ち止まった自身に、驚いたように巽が声を掛ける。はっと我に返り、いや、と小さく首を振るものの、しかし真那にはどうして立ち止まったのかがわからない。
背後に控える巽の大きな瞳をじっと見つめて、
「今、私を呼んだか……?」
「えっ? いぇ……呼んでいませんが」
首を傾げながら、巽は横に並ぶ雪乃を、美凪を見やった。……が、矢張り彼女達も同様に首を傾げるしかない。
では、彼女たち以外だろうかというと……それもまた、ない。現在のここは彼女達の駆る機体……武御雷を安置するハンガーであり、衛士強化装備に着替えた彼女たちは、これから実機での戦闘訓練を行うのだ。
機体の面倒を見てくれている整備士たちは班長を残して演習場へと移動を開始している。そしてその班長も、真那の真紅の武御雷の最終チェックを終え、先ほどそれを報告したばかりだ。
ならば一体誰が自身を呼んだのか――まさか、空耳では在るまい。
真那は暫し考えるような素振りを見せたが、ふん、と強気に笑って再び進みだす。それに続く白い零式強化装備に身を包む三人の少女達は、互いに顔を見合わせ……揃って、自分たちが忠誠を誓う上官の背中を見る。
真那の腰に提げられた朱色の拵。彼女が唯一の弟子と認めた少年へと託されたその片割れが……ただ、凛と。
音を鳴らしているのだと……そんな、気がした。
「すごい……これって、でも、」
息を呑むように、晴子が呟く。目にするのはみちるより渡された映像データ。前回の戦闘……即ち、朝鮮で行われたBETA間引き作戦。その、ある機体の映像を繋ぎ合わせて編集したそれ。
元々は夕呼に提出する資料として作成した物のコピーだというが、しかしそんな経緯など、未だ実戦を知らず、先任たちとの合同のシミュレーター訓練さえ行っていない身には関係なく。
ただ、感嘆する。
そして、その恐ろしさに、息を呑む。
「危ない……っ、わっ、わっ?!」
多恵が怯えたように奇声を発する。……だが、それも無理はないのかもしれない。醜悪なBETAの集団――映像なのに、こんなにもおぞましく、凄まじい――に、まるでふらりと流れるように突撃する蒼い不知火。
コールナンバー12。
なんだか何処かで見たことのあるような、そんな螺旋の機動を描きながら、敵中を舞うように長刀を振るう。
「……こんなの、まともなヤツのやることじゃねぇ……っ」
ぎりり、と拳を握る音がする。感情を噛み締めるような薫の声が、やけに耳に響いた。
映像記録に音声はない。……理由は、知らない。でも、これが、この12番の機体に乗っているのが……彼なのだとしたら。
特徴的過ぎる機動。彼が戦術機を使う姿を見たことはない。けれど、わかる。この機体が行っている剣術は……それは、間違いなく、あの。
「まるで、死にたがっているみたい……」
亮子の言葉にどきりとする。……でも、その通りだと思う。思ってしまう。
戦場に出たこともない自分たちでも、わかる。
こんなのは、まともな衛士がやることじゃない。……絶対に、やってはいけないことだ。
彼自身が話してくれた。明かしてくれた。過ちを犯したのだと。取り返しのつかないことをしてしまったと。
だから、これは……その、記憶。彼自身が、そうだと認める、負の、復讐の、姿――。
「武……ッ、こんなのって……っっ」
画面が、別の機体からの映像に切り替わる。先ほどよりも苛烈に敵中に身を躍らせて、そして次々とBETAを屠っていく姿が映し出される。――ああ、でも。
真っ白になった。たくさんの光の筋がビカビカと光った。それが光線級と呼ばれる個体のレーザーなのだと気づいたときは、12の不知火は、まるで襤褸屑のように……バラバラになって、地に落ちた。
映像が終わる。沈黙が、室内を包む。
誰も何も言わない。誰も口を開かない。……これが、戦場。これが、かつての、白銀武。
多くの人に助けられて、多くの人に教えられて、そして、生きていることが出来ると。そう言っていた、彼。
ならば大丈夫……なのだろうか。本当に、本当に、彼は……真っ直ぐ前を向けているだろうか。
茜には、わからなかった。それでも、信じたいと、そう願う。
だって武は言ったのだ。言ってくれたのだ。“救われた”と。“前を向いて進むことが出来る”と。そう言ったのだ。
「…………茜、柏木たちも、ほら、なんて暗い顔してんのよ」
背後から、水月が優しげに声を掛けてくれる。今の映像から疑問に思ったことに答えるためのオブザーバーとして控えていた彼女には、茜達が抱いたような暗い不安は欠片もないようだった。
不思議に思ってしまって、茜は尋ねていた。
どうして、そんなに明るく見ていられるのか、と。
あれに乗っていたのは武ではないのか。……確かに彼は今生きていて、前を向いていて……でも、あんなにも、見ていられないくらいにボロボロになっていたのに。何故。
「茜……、武は大丈夫だから。確かにあの時のアイツはどうしようもないくらい壊れちゃってたけど……でも、それでも、立ち直った」
事実から言うならば――当然にして、これは水月も、茜達も知りはしないが――それは、誤りである。
だが、少なくとも水月には……そして、当時の武自身さえ、立ち直ったように見えていた。いや、真実、立ち直り、前を見据え、再び歩き出したのだ。――その時は。
水月はそれを信じている。そうやって前を向くことが出来た彼を、信じている。
だから笑うのだ。大丈夫だと。…………故に。尊敬し、目標とし、憧れた彼女の言葉だから。そしてなにより、武自身がそう言ってくれたから。
だから大丈夫。茜もまた、そう信じる。信じられる。
何より、彼を想う自分が信じられなくてどうするというのか。……そんな、僅かばかりの水月への対抗心も、背中を押していた。
水月の言葉に茜は笑う。茜の笑顔に、少女達が笑う。――だから大丈夫。白銀武は、今はもう、大丈夫。
その想いは、まるで小さな輪になって彼女達を包んでいるかのようで。
主がいなくなったその部屋で、独り、体温の温もりをなくした刀は佇む。
己をまた、主が手に取るその日まで、ゆるりとした休眠を。
鬼人が操る妖刀ではなく、真実、人の手に委ねられる刀剣として。
復讐を嘆き、守護に希望を見出す主を、
己の不甲斐なさに泣き、犯した罪に震える主を、
それでも、諦めきれない想いを、再びその手にするときまで。
ただ、――待ち続けよう。
漆黒の鞘に巻かれた鮮烈過ぎる黄色が、ふわり、と。その身体を包み込むように。
そう。
刀は独りではなかった。彼女もまた、共に居た。
だから寂しくはない。共に待ってくれるものが居るのだから。
弧月は眠る。
再び、その力を主が欲するそのときまで。ひとときの、眠りを……。
『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』 復讐編:完