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No.1154の一覧
[0] Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~ 『完結』[舞天死](2009/02/11 00:34)
[1] [序章-01][舞天死](2009/02/11 00:30)
[2] [序章-02][舞天死](2008/02/11 16:02)
[3] 復讐編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:03)
[4] 復讐編:[一章-02][舞天死](2008/02/11 16:03)
[5] 復讐編:[一章-03][舞天死](2008/02/11 16:04)
[6] 復讐編:[一章-04][舞天死](2008/02/11 16:05)
[7] 復讐編:[二章-01][舞天死](2008/02/11 16:05)
[8] 復讐編:[二章-02][舞天死](2008/02/11 16:06)
[9] 復讐編:[二章-03][舞天死](2008/02/11 16:07)
[10] 復讐編:[二章-04][舞天死](2008/02/11 16:07)
[11] 復讐編:[三章-01][舞天死](2008/02/11 16:08)
[12] 復讐編:[三章-02][舞天死](2008/02/11 16:09)
[13] 復讐編:[三章-03][舞天死](2008/02/11 16:09)
[14] 復讐編:[三章-04][舞天死](2008/02/11 16:10)
[15] 復讐編:[四章-01][舞天死](2008/02/11 16:11)
[16] 復讐編:[四章-02][舞天死](2008/02/11 16:11)
[17] 復讐編:[四章-03][舞天死](2008/02/11 16:12)
[18] 復讐編:[四章-04][舞天死](2008/02/11 16:12)
[19] 復讐編:[五章-01][舞天死](2008/02/11 16:13)
[20] 復讐編:[五章-02][舞天死](2008/02/11 16:14)
[21] 復讐編:[五章-03][舞天死](2008/02/11 16:14)
[22] 復讐編:[五章-04][舞天死](2008/02/11 16:15)
[23] 復讐編:[六章-01][舞天死](2008/02/11 16:16)
[24] 復讐編:[六章-02][舞天死](2008/02/11 16:16)
[25] 復讐編:[六章-03][舞天死](2008/02/11 16:17)
[26] 復讐編:[六章-04][舞天死](2008/02/11 16:18)
[27] 復讐編:[六章-05][舞天死](2008/02/11 16:18)
[28] 復讐編:[七章-01][舞天死](2008/02/11 16:19)
[29] 復讐編:[七章-02][舞天死](2008/02/11 16:20)
[30] 復讐編:[七章-03][舞天死](2008/02/11 16:20)
[31] 復讐編:[七章-04][舞天死](2008/02/11 16:21)
[32] 復讐編:[八章-01][舞天死](2008/02/11 16:21)
[33] 復讐編:[八章-02][舞天死](2008/02/11 16:22)
[34] 復讐編:[八章-03][舞天死](2008/02/11 16:23)
[35] 復讐編:[八章-04][舞天死](2008/02/11 16:23)
[36] 復讐編:[九章-01][舞天死](2008/02/11 16:24)
[37] 復讐編:[九章-02][舞天死](2008/02/11 16:24)
[38] 復讐編:[九章-03][舞天死](2008/02/11 16:25)
[39] 復讐編:[九章-04][舞天死](2008/02/11 16:26)
[40] 復讐編:[十章-01][舞天死](2008/02/11 16:26)
[41] 復讐編:[十章-02][舞天死](2008/02/11 16:27)
[42] 復讐編:[十章-03][舞天死](2008/02/11 16:27)
[43] 復讐編:[十章-04][舞天死](2008/02/11 16:28)
[44] 復讐編:[十一章-01][舞天死](2008/02/11 16:29)
[45] 復讐編:[十一章-02][舞天死](2008/02/11 16:29)
[46] 復讐編:[十一章-03][舞天死](2008/02/11 16:30)
[47] 復讐編:[十一章-04][舞天死](2008/02/11 16:31)
[48] 復讐編:[十二章-01][舞天死](2008/02/11 16:31)
[49] 復讐編:[十二章-02][舞天死](2008/02/11 16:32)
[50] 復讐編:[十二章-03][舞天死](2008/02/11 16:32)
[51] 復讐編:[十二章-04][舞天死](2008/02/11 16:33)
[52] 復讐編:[十三章-01][舞天死](2008/02/11 16:33)
[53] 復讐編:[十三章-02][舞天死](2008/02/11 16:34)
[54] 復讐編:[十三章-03][舞天死](2008/02/11 16:35)
[55] 守護者編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:36)
[56] 守護者編:[一章-02][舞天死](2008/02/13 21:38)
[57] 守護者編:[一章-03][舞天死](2008/02/17 14:55)
[58] 守護者編:[一章-04][舞天死](2008/02/24 15:43)
[59] 守護者編:[二章-01][舞天死](2008/02/28 21:48)
[60] 守護者編:[二章-02][舞天死](2008/03/06 22:11)
[61] 守護者編:[二章-03][舞天死](2008/03/09 16:25)
[62] 守護者編:[二章-04][舞天死](2008/03/29 11:27)
[63] 守護者編:[三章-01][舞天死](2008/03/29 11:28)
[64] 守護者編:[三章-02][舞天死](2008/04/19 18:44)
[65] 守護者編:[三章-03][舞天死](2008/04/29 21:58)
[66] 守護者編:[三章-04][舞天死](2008/05/17 01:35)
[67] 守護者編:[三章-05][舞天死](2008/06/03 20:15)
[68] 守護者編:[三章-06][舞天死](2008/06/24 21:42)
[69] 守護者編:[三章-07][舞天死](2008/06/24 21:43)
[70] 守護者編:[三章-08][舞天死](2008/07/08 20:49)
[71] 守護者編:[四章-01][舞天死](2008/07/29 22:28)
[72] 守護者編:[四章-02][舞天死](2008/08/09 12:00)
[73] 守護者編:[四章-03][舞天死](2008/08/29 22:07)
[74] 守護者編:[四章-04][舞天死](2008/09/21 10:58)
[75] 守護者編:[五章-01][舞天死](2009/02/11 00:25)
[76] 守護者編:[五章-02][舞天死](2009/02/11 00:26)
[77] 守護者編:[五章-03][舞天死](2009/02/11 00:27)
[78] 守護者編:[五章-04][舞天死](2009/02/11 00:28)
[79] 守護者編」:[終章][舞天死](2009/02/11 00:28)
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[1154] 守護者編:[一章-04]
Name: 舞天死◆68efbbce ID:d7901020 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/02/24 15:43

『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』


「守護者編:一章-04」





 肉を断ち斬った感触が、拭えない。







 ===







「おーい、シロガネぇ。ちょっと付き合え」

「――は?」

 それは唐突に。名を呼ばれて振り向けば、顔面めがけて飛んでくる棒。いきなり過ぎてそれが何なのか判断できなかったが、鍛えられた肉体が咄嗟に反応し、防ぐように掴んでいた。驚きに停止したままの脳髄が徐々に活動を再開し、右腕が掴むソレを認識する。――模擬刀。近接戦闘訓練でお馴染みの訓練用の刀。どうしてそんなものが自身の腕の中に納まっているのかというと、要するにソレが飛んできたからで……つまり、模擬刀を投げた人物が存在するわけで……。

「なっ、なにするんですかっ!? 本田少尉!」

「――ちっ、止めやがったか」

 小さく舌打つように悔しがるのは真紀。つい先ほど武を呼び止め、そして、あろうことか振り向いた瞬間にあわせて模擬刀を顔面目掛けて投げて寄越した張本人。武はそんな風に悔しがる真紀の神経を若干疑いつつも、なにをしてくれますかあなたは、という意味合いを込めて睥睨する。しかし当の真紀はそんな武に一切の謝罪もなく、のんびりと向かってきていた。その左手には武が手にする模擬刀と同じものが握られていて……、

「ほれ、さっさとグラウンドに行くぞー」

「……え?」

 ぐいぐいと腕を引っ張られる。真紀と武の身長差は約30センチ。同年代女性の平均よりも若干小さいだろう彼女は、本来なら武の襟首でも掴んで引き摺ってやりたいところなのだが、如何せん手が届かないために腕を掴んでいた。ついでに言えば相当に鍛えているはずの筋力も、大の男――しかも、こちらも彼女同様に鍛えている――には通じず、結果、一歩たりとも進めていない。腕を引っ張られている武は半ば以上ポカン、としながらも、自身の手の中の模擬刀と真紀の握るそれとを見比べて……ようやくに理解した。

「ええっと……少尉、今から近接戦闘訓練に付き合え、と。そういうことですか?」

「アァン? おまえ何聞いてんだよ? そう言ったじゃん」

 ――いいえ絶対に言ってません。

 首を傾げながら尋ねた武に、オマエ莫迦じゃないの、とばかりの冷たい視線を向けてくる真紀。一期上の先任にして、年上……であるはずなのに、どうしても年上と思えない言動に、武は少々頭が痛くなる。戦術機に乗って戦っている時は尊敬すべき素晴らしき先達であるのに……どうして、普段の彼女というものはこうも子供染みているのか。

 それはそれとして、武は再び首を捻る。真紀がこういう人物であるということは十分理解しているし、突撃前衛同士、何度か手合わせをしたこともある。もっとも、それは日常のコミュニケーションの延長というか、要するに会話の弾みで拳が飛んだり蹴りが炸裂したり、時には投げ飛ばしたり投げ飛ばされたりというささやかなものであり……今のように、明らかな「訓練」の誘いは、実は初めてだったりする。まして、模擬刀を使用する……とは、一体如何なる心境からだろう。

 A-01部隊に任官してから、武は戦闘訓練の類を行ったことはない。個人的な鍛錬は恐らくも何も全員が当然のように行っているのだろうが、矢張り衛士の本懐は戦術機の操縦、これに尽きるために、訓練の項目として近接戦闘や近接格闘、射撃等は織り込まれていない。……無論、それらは任官前の訓練兵時代にみっちりと仕込まれているために改めて実施しない、というだけのことでしかないが。

 戦術機でBETAと戦闘する際に最も多用するのは矢張り突撃銃だろう。遠距離からの攻撃が可能で、威力も高く、何より一度に多数を殲滅出来るとあれば、誰だってそれを有効に活用する。照準はコンピュータがオートで行ってくれ、衛士はタイミングと移動し続ける標的の行動を読んでトリガーを引く。ただそれだけで効果が望めるとあらば、必定、使用する頻度は多くなる。勿論、言うほど簡単な作業でもないのだが、戦場においてこれほど頼りになる装備はない。弾丸が続く限り、という制約はあるものの、その威力は推して知るべし、といったところだ。

 また、衛士にとって頼るべき装備の一つである長刀――突撃銃の最大の難点が弾丸、というならば、こちらは弾数制限もなく相応の殺傷能力を秘めているために、これも多用されている。特に帝国軍衛士にはその傾向が強く見られ、それは「刀」という日本古来の武器に武人としての精神を見出し、侍の誇りを体現させるためでもある。かく言う武も長刀を頻繁に用い……というより、明らかに長刀を握っている時間の方が長いのだが、要するに、使う者にとってはこれ以上ない必殺の得物ともなり得るのだ。両手持ちとして設計されているために片腕で振るうと機体にも長刀自体にも多大なる負荷が生じるが、それを見越して耐久度も高い。唯一の難点を挙げるとすれば……それは即ち、扱うものの技量が直に影響する、ということだろう。有効な間合いというものもあるし、なによりも、技――斬る、というテクニック。剣術を体得している者とそうでない者、或いは技を磨き抜いた者とそうでない者……それぞれを比較した時、その差は顕著であり、敵に与えるダメージも、長刀に蓄積する負荷も、雲泥の差が生じるという事実が在る。


 そういった標準的な戦術機の装備についての基本を訓練兵時代に“射撃訓練”や“近接戦闘訓練”等で体に叩き込み、身に付けさせ、覚えこませるわけだが……矢張り、往々にして長刀の扱いというものは個人差が顕れるものだ。A-01部隊内でもそれは見受けられるのだが……そこは流石に副司令直属の特務部隊であり、ハッキリと目に見えるような格差はなく――むしろそれが顕著ならば、それこそが問題なのだが――それでも、技を持つものと持たざる者では“耐久度”ならびに“機体の損耗”、“BETAへのダメージ”等、戦闘が長引けば長引くほどに、「技」による差が生じてくる。

 本人の戦闘スタイルというものもあるだろうし、生身で鍛え培ってきた経験、というものも影響するのだろう。戦術機に“己自身を体現するシステム”が組み込まれているというなら、それは当然の結果だった。そして、そういう差が生じることを前提とし、個々人が十二分に承知しているからこそ、日々の訓練が重要なのである。また、一つのスペシャルを持ちながらもオールマイティにこなすのが優秀な兵士に求められる条件でもある。……故に、長刀に拘りを持つ武はより射撃の技能を高める必要があり、長刀の扱いを苦手と感じている真紀はその感覚こそを研がねばならないのだ。

「つうわけで、むかつくけどオマエに剣術を教わってやらんこともない! ――さぁっ、かかってこい!!」

「いやいやいや、だからなんで俺なんですか」

 結局なし崩しにグラウンドまで連れ出され、模擬刀片手に向かい合う武と真紀。真紀は既に鞘を投げ捨て、刃を潰した銀色の刀を構えている。対する武は困惑した表情のまま、臨戦態勢の彼女を宥め落ち着かせるために思考を空転させていた。ここに引き摺られるまでに色々と考えて、それなりの解答と思しき事項は推測できていたが、だからと言ってなぜその相手が武なのかがわからない。剣術の訓練をしたいというなら、もっと適任がいるのではないか……と思考をめぐらせ、ああ、そういえば“剣術”なんて厳しい名前のつくものを修めているのは隊内で自分だけだったと思い至る。元同期の亮子も剣道をやっていたはずだが、真紀はそれを知らないのだろう。或いは…………志乃がいれば、また違ったのかもしれない。聞いたことはないが、彼女の戦闘スタイルを思い出せば、十分に長刀の扱いに長けていたことがわかるのだ。もっとも、今更それを望んだとて、既に亡くなった者に教えを乞うことは敵うまい……。

 故に、武。

 月詠の剣術を継ぎ、その独特の技を以って敵陣を暴風の如く駆ける様を目にしている真紀にとっては、大変に遺憾ながらも――コイツしか、いない。

 上官である水月も相当な腕前だと認識し、無論目標にしているのだが、けれど、長刀による戦闘に限定するならば…………幼少の頃より鍛え続けていた研鑽の積み重ねもあって、矢張り武が僅かなりとも優れていると判断したのだった。

 そういう真紀の思考を想像すれば、武としてはなんというは面映く照れくさいものであり――同時に、どうしようもない恐怖を呼び覚ます。

 彼が月詠の剣術に打ち込んだのはひとえに幼馴染の少女を護る力を欲したからであり、或いは、彼女を喪った絶望から逃れるためにのめり込み、再び歩き出すために縋りついた……そんな、様々な感情の紆余曲折の末に在る現在……それは人斬りの外道へと堕ちてしまっている。

 己の手は、血に染まっているのだ。

 その剣術は本来在るべき姿を失い、無道のままに錯綜している。…………弱く、脆い精神が砕けた先の奈落に、横たわり、転がったままだ。


 そして今尚――――肉を断ち斬った感触が、拭えない。


「…………」

 脳裏を過ぎるのはくるくると弧を描き、鮮血を散らしながら落ちる女の腕。香月夕呼という科学者の、細く柔らかな、腕。刃が肉に埋もれる瞬間の弾力、刃先が皮膚を裂き肉を裂き骨を断つ感触。最後の薄皮を突き抜けた刹那の――あの、プツン、という幻聴に似た末期の音。迸る赤色。冗談のように散った血潮。

 忘れることなんて赦されない……己の、罪。

 振り切れた感情の暴走を止められず、否、「止めろ」という意志さえ働かないままに、ただ、殺意が衝き動かすままに――あの時、俺は、殺そうとしていた……。

 ソレは怒りと怨みが入り乱れて沸騰した明確な殺意。コロス、というどす黒い感情の爆発。それが右腕を断つだけに留まったのは果たして偶然か、それとも、なけなしの理性が働いた結果か……。どちらにせよ、武が夕呼を斬るに至った動機は殺意。今までの自分も与えられた想いの束も全てが灼熱の怒りに燃え尽きて見失って……それを抑える術はなく、抑える理性もなく。ヒトとして生きる道を殴り捨て、外道の底に堕ちることを選択したその瞬間の、あの感触が……拭えない。

 ――でも、それでも。

 その罪を忘れるな。その罪を、受け止めろ。それをやってしまった自分の弱さから目を逸らすな。そうなってしまった自分の愚かさを見つめろ。人斬りの無道に堕ちたというなら、真那に託された弧月を握る資格がないと嘆くなら――それを、悔しいと思うなら。

 歯を食いしばってでも、前へ進め。再びその手に弧月を握るために。二人の師に託された想いを取り戻すために。月詠の剣術の後継であると、胸を張って誇れるように。衛士として、ニンゲンとして、再び、正道に立ち還るそのために。どれだけ醜くても、無様でも、足掻いて足掻いて、足掻きぬけ……。

 ――そう、決めたんだ。

 だから、立ち止まらない。眼を背けたりしない。……逃げ出さない。

 模擬刀を握る。鞘から抜き放ち、正眼に構える。両手で柄を握った瞬間――――身震いするほどの戦慄が込み上げた。臓腑を抉るような記憶のフラッシュバック。或いは、リーディングによる再生か。飛び散る血飛沫に濡れた夕呼、霞、そして武。赤色を撒き散らしながら床に転がった腕の、びくびくと痙攣する様。額に冷たい汗が浮かんだ。心臓は狂ったように小刻みに蠢動して、呼吸は浅く速くなり――――――、ぎゅっ、と、眼を閉じた。

 瘧のように震える身体を叱咤して、ともすれば恐怖に竦んでしまいそうになる精神を、情動を、コントロールする。

 現在の武に最も不足しているもの……感情を制御するその行為、衛士として、軍人として絶対必要とされる“自分自身の制御”。純夏を奪ったBETAへの復讐に眩まされて、いつの間にか疎かにされたままだったそれを、必死の思いで成し遂げる。……そう。白銀武という青年にとっては、そんな、軍人であるならば誰もが成し得ている自身の手綱を握ることこそが、最も難しいのである。 


 今までの愚かしいまでの失態を見つめ返して、ようやくに気づいた事実。

 いとも容易く振り切れる感情に、それを抑制することの出来ない理性。目の前の事象に振り回され、誘発された衝動に歯止めが利かず。そしてそもそも、それを制止しようという思考が働かない。……そんな、下らない餓鬼のような自分。純夏を喪った……そう思っていたあの時の……十五歳の子供のままの白銀武。ソイツが、ソレが……今も尚、彼自身を構成している。

 三年という月日を重ねて、表面上の経験を積み、知識も技能も習得して……けれど、何一つ“成長”することの出来なかった最大の原因。


 ――俺は、あの1999年の横浜から、一歩たりとも進めていなかった――


(でも、それでも、与えられた……手に入れた、たくさんのものが在る……ッ!)

 手を差し伸べてくれた水月。傍で支え続けてくれた茜。護るための力を託してくれた真那。命を救ってくれた志乃たち。過ちを教えてくれた水月。見守ってくれたみちる。非道の運命に立ち向かう強さを見せた霞。外道の謗りさえ厭わずに人類を救う覚悟見せた夕呼。……変わらずに傍にいてくれる茜。――生きていてくれた、純夏……。

 その全てを。自ら手放してしまった何もかもを。……もう一度、取り戻すと決めたのだ。

 餓鬼のまま停滞していた自己を変える。どれだけみっともない姿を晒そうと、それでも、成長してみせる。守護者として、護るものとして……そのための力を、手にする。

 ――だから、俺は、前に進むんだ。

「……行きます」

「よっしゃ、来いやぁ!!」

 目を開いた武の正面、同じように正眼に構えた真紀が……子供のように目を輝かせて、けれどどこまでも真剣な表情で、吼える。二つの銀色の刃が打ち合うたびに澄んだ音を響かせて――――武は、今……ようやくにして、その一歩を踏み出していた。







 ===







 その二人が打ち合う様を偶然に目撃して――月詠真那は、足を止めた。

 国連軍衛士の標準軍装として支給されている蒼いジャケットを纏った男性と女性。手にする模擬刀を苛烈なまでに打ち合い、互いに必殺の意思を込めて肉薄する。時折吼えるような呼気が発せられ、それに呼応するように強烈な剣閃が大気を引き裂く。執拗に攻撃を繰り返す女性衛士の剣を、対する男性衛士は巧みに受け、いなし、或いは完全にかわしきり、一撃たりとも喰らいはしない。防御に徹していた彼が突如として攻勢に転じれば、入れ替わるように女性が受けに専念する。

 互いが互いの実力を知り、手の内を知っている。それ故に決定打がなく、攻撃と防御が繰り返され――どうやら、随分と長い間この打ち合いは続けられているらしい。疲労のためか、背の低い女性の動きが次第に鈍くなってきている。剣を振る動きが大振りになり、攻撃の間隔が開いていく。男性はその隙を見逃すまいと容赦なく剣戟を加え、畳み掛ける。ついに一撃さえも受けきれなくなった女性の手から模擬刀が弾け飛び、その剣劇は終わりを告げた。

(国連の正規兵が剣術の訓練とは……珍しいこともあるものだ)

 遠方より眺めていたために彼らがどの部隊に属するものなのかは判別がつかなかったが、それぞれが相当な実力を秘めているらしいことは、そこからでもよくわかった。
模擬刀を飛ばされた女性は悔しそうに地団駄を踏み、「もう一回だゴルァア」と外見に似つかわしくない暴言を吐いている。相当な距離があるはずなのにハッキリと聞こえたことから、大層腹を立てているらしい。ずんずかと詰め寄られた男性の方は戸惑うように一歩後ずさっていた。

 その腰の引けたような仕草に、なんとも情けないことだと嘆息する。

 そもそも、国連軍では剣術……模擬刀を使用した近接戦闘訓練を重視していない傾向がある。これは国連軍衛士の育成指針の大本が、“圧倒的火力による武力制圧”を主とする米国軍の考え方を参考にしているからであり、帝国軍或いは帝国斯衛軍のように型の訓練や技の習得に時間を掛けるようなことをしない。
必要最低限、戦術機に搭乗した際にその有効な間合いや、長刀そのものの扱い方を習得するためのカリキュラムでしかなく、得てしてその実力は日本人に遠く及ばない。

 無論、中には長刀の有用性を十二分に理解し、ともすれば帝国軍人と同等に渡り合うほどの卓越した技能を修得するに至った外国人衛士もいるにはいたが、大雑把に見ても、矢張り国連軍内で長刀を重視する者の割合は少数なのである。……そんな国連軍の事情を鑑みれば、どうやら遠方に見えるあの二人の衛士は相当に長刀の扱いに長けていると評するべきだろう。特に男性の方は、かなりの使い手であることが予測できる。

(もっとも、何か危ういようではあるが……)

 漠然と眺めていてふと感じたというだけで、別段、何か確証があるというわけではなかった。――が、なにか、直感的な部位が、そう反応するのである。

 あの男性衛士は、今、少なくとも「正常ではあるまい」……と。

 どうやら男女共に日本人らしく、女性の方は喧々と男性に吼え立てている。風に乗って聞こえてくる言葉が日本語であったから、という判断でしかないが……そもそも、この横浜基地職員の半数以上が日本人というなら、まず間違いなく、彼らは真那と同じ、日本人なのだろう。

 ――少々、興味が湧いた。

 本来ならば帝国斯衛軍人である真那と、国連軍人である彼らとは接点を持たない。要人警護の任に就く彼女は、この基地において謂わば異端であり、腫れ物に近い。かつての国連軍イコール米軍、という図式は、国連軍側の努力と日本の理解によって瓦解しているが、それでも米軍の息がかかった国連は、本音の部分では帝国軍との関係に恐々とした感情を抱えているのだろう。……事実として、真那はこの横浜基地に駐留してからの一年半あまりの時を、国連軍人と過ごしたことはない。強いてあげるならば剣術の弟子である白銀武に、彼の教導を務めていた神宮司まりも軍曹…………警護対象である御剣冥夜……ぐらいなものだろう。もっとも、この三人に関しては国連軍という括りではなく、あくまで個人的な感情による結びつきを実感している。属する組織に拘らない、ニンゲンとしての繋がり、とでも言えばよいのだろうか。

 そういった真那自身の繋がりを除けば、彼女はこの基地の職員から声を掛けられたこともないし、その逆もない。無論、それが必要なことであるならば、真那とて国連軍職員と会話することくらい容認しただろう。……が、真那も、そして国連側にも、互いに“関わりあいたくない”という、潜在的な思考が潜んでいれば、当然ながらそこにコミュニケーションと表現できるような行動は発生しないのだった。

 そんな思考をつらつらと巡らせながら、未だに何事か吼えている女性の方へ足を向ける。相手からすれば突然に斯衛の衛士がやってきているのだから、相当に驚くだろう。けれど、それは当然の反応だ。これがもし逆の立場だったとしたら、真那だって驚くし――否、何を企んでいるのかと、敵意さえ抱くだろう。

 それくらい、真那の立場は微妙なのだ。国連軍の中に在る斯衛。あくまで斯衛としての本分……警護対象の守護、を果たすためだけに許されている駐留。例え小さな諍いが起きたとしても、本当に最悪の場合だが、それが国際問題に発展する可能性だって存在する。

 これがただ単に模擬刀を打ち合っているだけの男女、であるならば真那とてわざわざ近づいてみようなどとは思わない。国連にもなかなか腕の立つ者がいる――そういう感想を抱くだけで、おしまいだろう。……だが、今回は少々事情が異なる。――興味が湧いた、のだ。女性に、ではない。あの男性の動きに。

 どこか、見覚えのある脚運びに、剣の軌道。相手の攻撃の全てを読みきってかわし切る洞察力と胆力。機会が望めるならば一度手合わせしてみたいと思わせる、そんな実力と才能を匂わせた彼の顔だけでも見ておきたいと、そう思った。――声を掛けてみるか? いや、それはやめておいた方が賢明というものだろう。同じ帝国軍人というならまだしも、流石に国連軍人へいきなり声を掛けられるほど自分は無神経ではないし、先程のような問題も在る。第一…………話し掛けるにしても、なんと言えばよいのやら。なかなかの腕前、と。そんな風に思ったままを伝えればよいのか?

 ――莫迦な。

 ふ、と。自身の無意味な思考に鼻で笑う。

 これは完全に自身の任務とは関係ない。冥夜の元へ赴く道中、偶々目にしただけの訓練風景。ただ、それだけでしかない。斯衛としての本懐を果たすならば、そもそも“顔だけでも”という思考が割り込むだけでも許されないというのに、それを行動に移している時点で、真那は相当に逸脱している。こんな風に自身の衝動を抑え難いと感じるのは、恐らくは武の存在を知ったとき以来だろう。父がその才能を見出し、希望を抱いた少年。僅か数日の稽古であったにも関わらず、彼は実に十数年もの間、たった独りでその型を繰り返していてくれた……あの時の、喜びに満ちた、衝動。それ以来の“興味”、“好奇心”を抱きながら、自然を装って近づいていく。

 距離が近くなるにつれて、女性衛士が何を言っているのか聞き取れるようになってきた。……男性衛士はこちらに背を向けているために、まだ顔は見えない。一方的に女性から責め立てられているようだが……その姿は、少々情けなく映る。――貴様、それでも日本男児か。ほんの僅かに、真那の中で彼の評価が下方修正された。国連軍のだらしなさに柳眉を上げ、心なしか、憮然とした表情に。

 ……と、真那の足が唐突に止まった。

 二人までの距離はおよそ30メートル。そこに来て、どこか違和感に気づく。……いや、どちらかといえば既視感にも似た――あの男……。そういう、困惑。

 む、と真那は目を眇める。その後姿になんだか見覚えの在るような気がして、じーっと見やること僅かに数秒。小さく驚いたように目を丸くした真那は……次の瞬間には、口元をほころばせていた。――なるほど、道理で見覚えの在る……。

 再び歩みを再開した真那は、先程まで抱いていた僅かの気負いもなく、ゆっくりと距離を詰める。赤色の軍服が風に揺れて、碧色の長髪をゆるりと踊らせる。やがて、近づくこちらに気づいたらしい女性と目が合う頃には、彼の輪郭もハッキリと視認できていて…………

「あ」

 驚いたように口を開ける女性。襟元の階級は少尉。少々小柄ながらも、しっかりと鍛えられた肉体は健康的で瑞々しい。ぎょっとした表情のままこちらを見やり、慌てたように敬礼を向けてくる。その彼女の所作に気づいた男性がこちらを振り向き――――――真那も、彼も、それぞれが驚愕に目を見張った。

「月詠中尉…………ッ」

「たけ、る――」

 心底から驚いたように、白銀武はやや大きな声を上げた。それはそうだろう。この二ヶ月以上顔を合わせていなかった……もう二度と、顔を合わせることなどないと思っていた剣術の師に、こんな唐突に再会出来ようとは夢にも思っていなかったに違いない。例え同じ横浜基地に在ろうとも、互いの立場が違い過ぎるし、なにより、武が所属するA-01部隊の特殊性を鑑みれば、恐らくはこの基地が戦場とでもならない限り、共に戦うことさえないだろう。そんな彼女が、今、目の前に立っている。それを、驚かずにいられるわけがなかった。

 対して、真那は心臓を握りつぶされたかのように――一瞬ではあったが――身体機能が停止していた。視界には武の顔、驚いたような表情、すぐに笑顔へと移り変わる青年の姿。その、顔に走る抉られたような、傷痕。――ああ、そうか、その傷こそが……。真那は思い出す。七月のはじめ、朝鮮半島で行われた間引き作戦。重症を負い、血塗れで帰還した武の初陣。

 斯衛としての月詠真那と、個人としての月詠真那。その立ち位置の相違を悟らせた、あの感情。剣術の師として彼の前に現れることはないのだと下した自身の決断。そういった、諸々の記憶が瞬時に巡り、思い出される。真那は苦虫を噛み潰したような顔をして、内心で、しまったと罵っていた。


 同時に。

 なぜ、気づけなかったのかという小さな驚きが過ぎる。「彼」は武だった。一年近い時間を師弟として過ごし、共に剣術の稽古に明け暮れた……絶対に見間違えるはずのない、愛すべき弟子。こちらに背中を向けていたこともあるだろう。或いは、距離が離れすぎていたことも。……けれど、真那の中の女性が「否」と断ずる。――武だというなら、わかっていた。

 そういう自負が、存在する。故の驚き。そして自身への疑問。……どうして、こんなに近くに来るまで気づけなかったのか。彼の動き。どうやら“全うな”剣術の訓練であったために月詠の剣術が螺旋の軌道を描いてはいなかったが、それでも、武の癖というものは見覚えているし――そもそも、そういう彼の動きに興味を抱いたのだ。

 真那にとっては、興味を惹かれた男性衛士……それを武と気づけなかった自らがショックだった。

 二度と、それこそこの基地が戦場にでもならない限り再会はないと“決めていた”武に、こうして再び見えた事実。けれどそれは偶然の邂逅でしかなく……そして、彼女が、「あれは武だ」と気づいていたならば実現しなかった再会であった。そのことを、苦い、と感じる真那がいる。

 気づけなかった事実。再会してしまった事実。武の顔に刻まれた傷。なにより――――“危うい”、「正常ではあるまい」という直感。

 そうか、と。

 気づく。

 その危うさが醸し出したナニカが、真那の目を曇らせたのだ。或いは……真那の知る武を、彼女でさえ気づけないほどの「誰か」に変貌させてしまったのか。つまりそれは真那と武が別れていたこの三ヶ月あまりの間に起きた事象であり……考えられるのは、武が出撃した『伏流作戦』。若しくは、特殊任務部隊として運用されるA-01部隊ならではの過酷な任務に関わることで徐々に変わっていったのか……。武の傍にいなかった真那には――自身の道を選び取り、進んでいくことを決めた彼を止める術を持たなかった彼女には、それはわからない。

「…………お久しぶりです、月詠中尉」

「――っ、」

 どこか万感を込めたような、けれど、今すぐにも泣き出しそうな複雑な表情をして、武が敬礼する。めまぐるしく巡った思考がどれ程の時間が流れたのかと錯覚させたが、武の傍らに立つ女性衛士が真那に向けて敬礼してから、僅かに数秒も経過していない。一拍の間を置いて、真那も敬礼を返す。国連、斯衛の違いはあれど、そこは互いに軍人である。少尉と中尉との間には、言葉には出来ない明確な壁が存在する。親しき仲にも……という諺もあったが、正に、それが軍隊というものであろう。

 どこか翳りを感じさせる武の瞳に、真那は口を噤む。突然の再会に戸惑う素振りを見せた武も、どこか言葉を発せないまま……暫しの沈黙が流れた。

「あー……っと、おい、シロガネ。ひょっとしてこのヒトが……?」

「ぇっ?」

 その、どこか居た堪れない空気を、恐る恐ると言った具合に女性――真紀が遮る。普段の破天荒な彼女ならそんな気遣いは一切無用というところなのだろうが、さすがに今回は相手が悪い。なにせ斯衛の赤。しかも中尉だ。これが例えば勝手知ったるA-01部隊ならば少々のお茶目も笑って殴られて終わりだろうが、そんな振る舞いをこの赤服相手に晒そうものなら、腰に提げた立派な拵に真っ二つにされかねない。……初対面でありながら、けれど真紀は本気でそんなことを考えていた。

 そのため、振った話題は至極当たり障りのない、けれど武と真那の二人共の空気を緩和させるに十分なものだった。小さく驚くように真紀を見た武は、ほんの僅かな逡巡の後に――ええ、はい。はにかんだように笑って、今度は、真っ直ぐに真那を見つめた。

「このひとが……俺の、師匠です」

 その言葉の――――どれ程に嬉しいことか。真那は、込み上げてくる温かな感情を胸いっぱいに感じていた。どこか危うさを感じさせるほどに変わってしまったらしい武。痛ましい傷を負い、敢えてそれを晒す覚悟。けれど、それでも……尚、真那を師と呼んでくれる。

 真那は眼を閉じた。結ばれていた口元は緩くほどけ、ふ、と……小さく笑みを形作る。

(アルェー……? なんか、今度はまた微妙な空気が……)

 どうやら先程までの居た堪れない空気はどこぞに吹き飛んでくれたらしいのだが、一転、甘苦しい雰囲気が漂い出す。――付き合ってられねぇ。そう判断した真紀は、武の変態剣術の師匠を目の当たりに出来ただけでもよしとしよう、と適当に理由をつけて退散を決める。無論、立ち去る際に真那に対して敬礼は忘れなかった。腐っても軍人である、その辺りの教育は訓練兵時代から徹底されていた。

「それでは、自分はこれで失礼します……シロガネ少尉、訓練には遅れるなよ」

 言い残し、さっと駆けて行く真紀。声をかける暇さえなく、あっという間に基地内へ戻って行った。取り残される形となった武は茫然とその背中を見送るしか出来ず……というよりも、真紀が発した“軍人らしい”言葉遣いを、聞き間違いじゃぁないのか、と呆気にとられていた。当然、真那とてあまりに唐突な真紀の退場にぽかんとしている。

 しばし、そんな風に二人ともに硬直していると……なんだか可笑しくなって、どちらともなく笑っていた。

「中尉……その、本当にお久しぶりです」

「ああ、そうだな。……遅くなったが、任官おめでとう、少尉」

 ――ありがとうございます。真那の視線を正面から受け止めて、武は……拳を握り、しっかりと、頷いた。

 脳裏を巡るのは三ヶ月前の、夕呼の采配でA-01訓練部隊へ転属になった時のこと。総戦技評価演習を終えた翌日。207小隊の彼女たちが使うのとは別のPXで、独り、夕食を食べた後の…………真那との邂逅。あの、彼女の言葉、笑顔、信愛――託された弧月。月詠の剣術を継ぐに相応しいと、そう認めてもらえた時。



 ――肉を断ち斬った感触が、拭えない。


 与えられた全てを、託された想いを……地の底に貶めた己の暴挙。血に濡れた、血を啜った……師の刀。無道に人を斬り、血を吸ったそれは妖刀となる……。ならばあの弧月は既に妖刀であり――否、その血に染まった無道こそを晴らすために、一歩を踏み出したばかりなのだ。

 蘇る記憶に翻弄されるな。

 されど決して目を逸らさず。

 受け入れろ、受け止めろ。

「……………………………………白銀少尉、貴官が何も言わないというなら、私は何も聞く気はない……」

「――ッッ!?」

 ハッとして、真那を見る。気づけば視線を地に向けていた武だったが、けれど――驚きに見つめた彼女は、真那は――哀しむように、怒るように、鋭くも熱い感情に満ちた眼を、武に向けていた。

 武のことを務めて「少尉」と呼び、自分たちが現在置かれている状況というものをまざまざと突きつける真那。だが、そのどこか押し殺したような圧倒的な感情の波のうねりに圧されて――あろうことか、武は彼女の感情をリーディングしてしまう。――それは、言葉になんて出来ない、師の真那の彼女の――――――想いと惑いと哀惜と怒りと戒めと信愛と情と自制と……それら、たくさんの、ナニカ。武に向けられるものと、それを打ち消すかのように真那自身へ向けられるもの。

 葛藤。

 そう表現するに相応しい思考と感情の渦が逆巻いていて。武は不意に覗いてしまった自身を罵倒する暇もあらば、ただ、彼女から向けられる圧倒的なまでの“想い”に打ち震えていた。これほどまでに、真那は武を信じてくれている。想いを与えてくれている。……託されて、いるのだ。――俺は。

 武が何も言わないならば、何も聞かない。それは彼女なりの優しさなのだろう。いや、覗いてしまった葛藤を見るならば、……戒め、か。

 既に武は手のかかる弟子ではない。故に彼女が武の進む道に口を挟む権利はなく、そんな傲慢は己自身が最も赦さない。

 そういう、真那が自分自身へと課した戒め。それを徹底しようとする意思と、けれど、それでも抑えきれない感情。……そんな相反する理性と衝動が混ざり合った先程の言葉は、酷く武の心を揺さぶった。そんな風に言われてしまっては……つい、甘えて、縋りついて……頼ってしまいそうになる。そんなことは武自身が赦さない。そんな弱音を吐いていいわけがない。真那は武に弧月を託してくれた。今は亡き師匠の遺志を、彼女自身の想いを乗せて、あの刀を託してくれたのだ。

 ――その信頼を裏切ってしまったけれど……もう二度と、彼女達に。

 無様な自分は見せられない。

「…………」

 真那は何も言わない。腕を組んで沈黙したまま……変わらぬ複雑な色を滲ませた表情で、武を見つめている。その胸中では、武がリーディングしてしまった表層意識のそれ以上に、感情が渦巻いていた。こうして武を目の当たりにするまで、彼が武なのだということに気づけなかったこと。それは武が「変わってしまったから」で、誰よりも、武自身がそのことに慄いているのだとわかる。この数十秒の間にもどこかしら翳りを見せ、けれどそれでも気丈に在ろうとする姿を見せられれば……真那の中で燻っていた感情は、ちりちりと焦がれて溢れてしまいそうになる。――駄目だ。

 それは、認められない。その感情は、抱いてはならない。自分は斯衛の赤であり、そして、既に武とは何の関係もない。月詠の剣術の後継……そういう意味では繋がったままの自分たちだったが、各々の立ち位置、属する組織、突き進むべき道……その胸に抱える、戦う意志、護るべきもの。それら、たった一つの繋がりだけでは共に在ることを許されない様々な断絶が、二人の間には横たわっている。他の誰でもない、真那自身が「そう決めた」のだ。――だから、駄目だ。

 ともすれば自分から訊ねてしまいそうになる。或いは武も、吐き出してしまいそうになる内心を抑えることに必死になっているのだろうか。弱音を零して欲しいと願う真那と、そんな己こそを浅ましい未練と断じる真那がいる。


 まだまだ未熟――そうやって自身に結論を下し、斯衛としてのみ生きてきたこれまでの人生の、対人関係における経験の薄さを嘆きたくもなる。けれど、それでも己の人生を否定するつもりはないし……いずれは、武とも正面から向き合うことも出来るだろう。師弟関係という免罪符に頼らずとも、或いは、斯衛としての任務と個人としての感情に挟まれずとも……それらを一つ乗り越えた先の、もっと成長した自分なら。――きっと。

 今はまだ、「どちらか」しか選べない。そして……それを天秤に掛けた場合に「重く」、自身にかく在るべしと断定するのは…………矢張り、斯衛としての自分だった。

 武は、目の前の真那の葛藤を知ってしまった。複雑な色を見せる表情のまま、無言を通す彼女。意識してのことではなかったが、それでも、彼女の心を覗いてしまったことに後悔を抱く。そんな己の浅ましさを悔しく思いながらも、それでも、出来る限りの意志を込めて真那を見つめ返した。

 碧色の双眸。形のよい眉が僅かに寄せられて、何も言わない武を……哀しいと、訴えてくる。――そう見えるだけ、だろうか? 既に真那に対するリーディングは、その能力を封殺することで押さえ込んでいる。ヒトの内面など、得てして想像するほかないものだ。或いは昨日の茜のように、触れたその場所から伝わる想いもあるのだろう……。けれど、今、この場にいる真那の心情は、とても想像だけで量ることの出来るものではなかったし、なにより――自分自身が彼女に対して何を伝えるべきかすら判然としない。

 思い出すのは、みちるの言葉。

 ――……誰でもいい、信頼できる人に、相談してみろ。自分独りで抱え込む必要はない。むしろ、誰にも相談せずに自分を追い詰めることこそが愚かな行為だぞ

 そう言って、諭してくれた彼女の言葉に倣うならば……今、こうして己の内心だけに留めようとしている感情は、誤りなのだろうか。

 自身では吐露してしまいそうになる感情を理性的に抑えているつもりなのだが……なにせ、自分自身を最も信じていない武である。真那に、師匠に対して無様な姿を見せられない――そう考えて、己が犯した罪を口にしないことは……独りよがりの、過ち……?

 わからない。

 確かに武は未だ正道に戻る道にたどり着けず、否、奈落の底から這い上がるべく、外れたその道を彷徨い始めたばかりだ。標などなく、灯かりもない。進むべき道の方向性だけをただ模索し、“護りたい”、“託された想いを取り戻したい”という願いに向けて、手探りで這いずっている状態だ。自分が今向いている方向が正しいのかなんてわからないし、そうやって足掻くだけで正道に立ち還れる確証も無い。――それでも、進むしかないんだ。そうやって自身を納得させるものの……再会した真那の言葉と、みちるの気遣いが脳裏を巡る。

 武は今、自身の意思で、自身の感情で、自身が理性と信じるそれで、進むべき道を探している。或いは、ともかくも一歩を踏み出している。

 自分独りで決めて、自分独りで進んで、自分独りで、足掻いている。――それは、間違いなのか?

 己の意思こそを信じることが出来ていない。カウンセリングを担当してくれたあの医師が武に向けた言葉だ。わざわざ深刻な表情で言われずとも、武が一番よくわかっている事実。己の心をリーディングして客観的に把握・分析できるものの、その能力を用いて今までの自分を振り返ってみれば、ことあるごとに理性が消失し、暴走を見せていたことがよくわかる。十五歳の子供のままだった武。そこから一歩たりとも精神的な成長を果たせなかった自身。それを変えたいという意思は確かに存在するが、それでも、急に強い精神力を手に入れられるわけではない。或いは……正常な判断力、とでも言うべきか。

 衛士として、軍人として、剣士として、ニンゲンとして……守護者として。「信じるに値する自分」を確立できないのなら、それは闇雲に泥の中を泳ぐことと変わらない。絡みつく泥に呼吸も出来ず、力尽きて溺れ死ぬ……。結末の見えた愚行を犯しているというのなら、それは――その道は、勇気を持って引き返すべきだろう。

 まだ進み始めたばかりのその道。真紀との稽古を通じて進むことを決めたその道。暗中模索と言われてもしょうがない、半信半疑のその道。それを選択した己こそを信じられないという不安が残るのなら、それは、まだ、進むべきではないのか。若しくは、そうやって不安に思う弱い心こそを捩じ伏せて、強く、一歩を積み重ねるべきなのか。

 誰にも相談せず、自分を追い詰めるのは愚かだとみちるは言った。

 感情に任せて吐露してしまいそうになる武に、それでも受け入れようとしてくれる真那。

 ――言ってしまっても、いいのだろうか……?

 ――頼ってしまっても、いいのだろうか……?

 その迷いを体現するように、武の瞳が大きくぶれた。縋ることなんてできない、許されない――そう断じたはずの心は、酷く揺らいでしまっている。

 ――違う、そうじゃないんだ。

 地に落とした瞳が、土の一粒一粒を捉える。すぐ目の前に立つ真那の軍靴が視界に入り、裾の長い赤色の上着が、細い腰に提げられた朱色の拵が見え、ふくよかな二つの膨らみを過ぎ――――感情を押し殺したように閉ざされた唇、ただまっすぐに見据えてくる碧眼、彼女の想いが、痛烈に、脳裏を突き抜ける。

 武は眼を見開いた。それは、驚愕だった。何よりも今、武は、自分自身の中に存在したその“答え”の一つに気づくことの出来た自身に驚愕する。



 感情に任せ、誰かに縋ること。ニンゲンなら一度くらいはそういう衝動に駆られることも在るだろう。例えば幼少の頃、傍で支えてくれる両親に兄弟に縋ること……それはニンゲンとして当たり前の衝動で、最も安らぐ感情なのだろう。……けれど、それは軍人には許されない。衛士には、赦されはしない。己を律し、克己を以って強く誇り高く在らねばならない。誰かを護るということは、きっとそういうことだ。例え傷つき心に消えない痛みを刻んだとしても、それは……その行為は、逃避でしか在り得ない。そこにはどんな大義名分も存在せず、ただ、現実から目を逸らす弱者の姿が在るだけだ。それが赦されるのは幼い子供だけであり、まだ自身を護る術を持たない赤子だけ。

 逃避を赦さず、犯した罪に正面から立ち向かう。己自身を見つめ返し、そうしてしまった自分を変えようと、罪を贖おうとするとき。自らの意志でそれを乗り越えることは重要な要素となる。同じ過ちを二度と繰り返さないという決意と、それを自らで克服する強い精神。それらを気概と共に孕むならば、それは間違ってはいないのだろう。けれど、孤高と独善は違う。自分だけで乗り越えなければ、という強迫観念に駆られた時、ヒトは道を見失う。自分自身を律すること、それが最も肝要であることに疑いは無いが、それでも、独り善がりな決定と克己に見せかけた自己への逃避は、自身でそうと気づけないままに更なる過ちを犯す火種となる。ヒトは往々にして弱い。追い詰められたニンゲンは視野が極端に狭くなる。自分が追い詰められているのだという自覚を持ち、狭くなった視野とは違う視点を他者に求めことが出来るならば――それは、自分の罪を相手に晒すという恐怖が付き纏うながらも、決して、愚かしい逃避ではない。

 相談すればいい、というわけでもないのだろう。他者を頼りにすればよい、ということでもない。己の罪を見つめ直し、そこから立ち直ろうと足掻く意志を持ち、どれだけ無様で醜悪な様を晒そうとも諦めない気概を孕み、そして……まずは、前に進むこと。己の進むべき道を、その方向を、見定めること。それが出来たとき初めて……ヒトは、誰かに相談する資格を得る。



 犯した罪の重さに耐えられず、ただ縋ることは赦されない。

 犯した罪に苦しみながら、暗闇の中をただもがくことは誤り。

 己の進むべき道を見つけられず、ただ誰かに相談し……舵を明け渡す愚行は逃避と同じ。

 罪を受け止めること。罪を犯した自身を見つめ直すこと。もう二度と繰り返さないと誓う意志。絶対に乗り越えるという強い心。そのために成すべきことを、進むべき道を見出し……けれど、追い詰められている自身というものを一度客観的に見つめる勇気。或いは、他者に罪を晒す恐怖を乗り越え、広い視野からもう一度見つめ直す勇気……。

 みちるが言っていた「頼る」、「相談する」、「自分独りで抱え込むな」という言葉は……つまり、そういう意味だった。

 まるで雷に打たれたように瞬間的に巡った理解に、武は一度眼を閉じて……深く息を吸った。強く拳を握り、ゆっくりと吐き出す。開かれた目は微塵たりとも揺るがず、けれど、内心で渦巻く様々な恐怖と迷いを押さえ込むように――

「月詠中尉……。中尉に、聞いて欲しいことがあるんです…………」

「――――――ああ、聞こう」

 その言葉を、待っていたのだろうか――。

 数分にも及ぶ沈黙を経てようやく、武が強い視線と共に言った言葉。聞いて欲しいこと。変わってしまった理由。追い詰められている自分自身。その、弱さを――聞いて、やりたい。

 武の瞳からはただ揺ぎ無い強い意志しか感じられない。微かに震えるような拳が、彼の心情を、自身の弱さを曝け出す恐怖を無言のままに語っていたが、真那は、敢えてそれに気づかない振りをして見せた。その恐怖を、気遣ってやる必要はない。武は言ったのだ。そうやって自身の恐怖を押し殺してまで、それでも、聞いて欲しいと。そう言ったのだ。ならばそれは一切の戯れも無く、真剣に、真正面からありのままを受け入れて受け止めてやらねばならない。それが出来ぬならば、無礼というものだろう。

 武は現実から目を逸らしているわけではない。胸に抱えるナニカを吐露して、逃げようとしているわけでもない。それら自身を苛む心の傷を全て受け入れた上で、尚、前に進もうとする意志。気概とも言うべきそれを孕み、強い視線を向けてくるというのなら――真那は、それを嬉しいと思う。その相手に自分を選んでくれたことを、師への信愛を向けてくれることを、頼ってくれることを…………嬉しいと。

 ――ああ、その言葉を、待っていたのだ……。

 師として存在できること。武の胸の中にそう在れること。任官し、一人立ちした弟子が、それでも、真那を師と仰いでくれるならば……それは、何よりも温かく胸を一杯にさせてくれる。結局のところ、真那とて武を振り切れてなどいなかったのだ。立場が分かたれたこと、自分の手から彼が離れていったこと。そういう事象の結果に甘んじて、ただ諦めようとしていただけに過ぎない。傍で支え続けることは出来ないのだと。自らの道を進む彼を支えること事態が冒涜だと。そんな風に思い込もうとして、――だから、傍にいられない現実を誤魔化そうとしていた。

 なるほど、なればこそ――未熟、と。己を戒めることも可能だろう。つい先程にも気づいたことだ。そういう自分に気づいたなら……もっともっと自身を鍛えて、錬成して、その果てにもう一回り大きくなれたなら。

 そのときこそ、斯衛としての自分も、武の師として在りたいと願う自分も。“二人とも”、受け入れて、肯定して、両立させることができるだろう。――否。それは今すぐにでも。

 目の前には武。「聞いて欲しい」と、強い意志を込めて見つめてくる愛弟子。彼が真那に師としての存在を求めるならば、彼女はそれに応えたいと感じている。即ちそれは、斯衛としての立場をそのままに、白銀武の師として存在することと同義。武が訓練兵だった頃とは全く違う。一人の衛士が、軍人と成った武が、……真那の立場を理解した上で、それでも尚、師としての助言を求めている。

 真那は、頷いた。

 斯衛でありながら、武の師として。

 国連軍の衛士にして剣術の弟子。斯衛軍の衛士にして剣術の師。軍人としての立場だけを考えた時、決して触れることのないはずの彼と彼女が……けれど、お互いの立場を踏み越えて、ただ、師弟としての絆を求め合う。







 場所を変えよう、と。真那は言った。

 きっとそれは彼女なりの気遣いだったのだろう。屋外訓練場の一画を占めるグラウンドは多くの部隊が訓練に使用する。斯衛である彼女は色々な意味で目立つ。その真那と副司令直轄の特殊任務部隊の一員である武が一緒に居たのでは、様々な憶測を呼び、それが問題へと発展しかねない。……或いは、そういう軍人的な思考とは無縁の、ただ、他人に聞かれたくない話だろうという配慮であったなら、それはそれで気恥ずかしく思えるのだが。さておき。

 真那は武をつれて訓練棟の裏手にある小高い丘にやってきていた。廃墟と化した柊の町を一望できるその場所。この横浜基地に赴任してから幾度となく立ったことのあるそこで、武は吹き上げる風に髪を遊ばせる真那の横に並ぶ。互いに無言。真那は若干眼を細めるようにしながら、瓦礫に埋もれた町並みを眺めている。僅かに眉が寄せられているのは、この光景が言葉なく証明するBETA襲撃の凄惨さを思うからだろうか。暫くその横顔を見つめていると、やがて、真那が顔だけを武に向けた。その表情は柔らかさの中にどこまでも真剣な「師」としての貌が在り……武は、その視線をしっかりと受け止めた後……廃墟の故郷を見つめながらに、話した。

 全てを。

 衛士を目指した理由を。戦う理由を。護りたかった彼女のことを。喪ってしまったこと。狂いそうになったこと。水月に救われ、茜に支えられ、仲間達に助けられ……真那に出逢い、想いを託されたこと。ただ強くなりたいと、自分の本当の心に気づかぬままに彼女に師事したこと……。

 復讐を果たす力こそを、求めていた。真那が、師匠が託してくれたそれは、全てBETAを殺すためだけに欲していたのだということ。――それにすら、気づけていなかったこと。

 夕呼からの特殊任務をこなす内に、そういった自分の内側に潜む“本心”に気づいてしまって、次第に精神が抑圧されていったこと。誰にもそれを悟らせまいと偽りの仮面を被り続けたこと。新たな力、戦術機という兵器を手に入れたことで、それを押さえ込むことが出来なくなったこと。――自ら、復讐を選んだこと。純夏を殺したBETAこそをコロスのだと、そう決定したこと。

 初陣で、先任を死なせたこと。

 復讐は何も生まないのだと気づかされたこと。

 生きるということの意味を教えられたこと。

 衛士の流儀を知り、もう二度と復讐に濡れたくはないと強く願ったこと。

 白銀武という男の半分を占めるその感情を抑えきれずに、発狂するほど追い詰められたこと。……茜の姿を見て、それが晴れたこと。

 彼女こそを護りたいのだと、気づいたこと。

 ……………………そう思えたのに、また、感情が、理性が、精神が、少しずつ蝕まれていって……自身の根幹を抉る暴虐に、振り切れた感情に、灼熱するような怒りに、どす黒く噴出した憎悪に。

 ヒトを、斬ったこと。腕だけではあったが、それでも、一歩間違えば――殺していた。否、“殺そうとして”、偶然か理性が働いた結果か、“殺さなかった”。

 外道に堕ちた自分が、ただ無道のままにヒトを斬り、傷つけた。弧月を妖刀に貶め、今までに与えられていたたくさんの想いを全て見失って、襤褸屑のように奈落へ堕ちることを選択していた自分。そのことに気づいたのは全て終わった後。自分がしてしまったことを呪わしいと嘆き、おぞましいと怖れ、もうニンゲンでは居られない事実に震えたこと。

 それでも、与えられた想いと、支えてくれた人たちの全てを無にしないために、無駄だったなんてことに、したくないからこそ……もう一度、今度こそ、前に進もうと足掻いている。

 歩き始めた、ことを。

 決して短い話ではなかった。当然として機密に抵触する部分は曖昧にぼかして伝えたが、情報省とも繋がりのあるだろう斯衛の真那だ。ある程度の核心には気づけているのかもしれない。……仮に知られていたのだとしても、それが真那ならば何も心配はない、と。武は無責任とも思えるような信頼を抱いていた。事実として、それはその通りなのだろうが、少々迂闊とも取れる行為であることに変わりはない。……が、幸いにして真那は武が任官して以降のAL4に関する情報を殆ど入手していない。A-01部隊の詳細な任務内容など知りようもないし、せいぜいが『伏流作戦』のような大規模作戦が立案された際の情動を把握出来る程度だ。

 故に真那は、武がリーディング能力の付与を目的にAL3の前段階で破棄されたESP能力開発のための投薬実験を受けていたことを知らないし、この基地内に存在する“鑑純夏”のことも知りはしない。現在武を最も追い詰めているその事実を彼女が知ることはないが、それでも……真那は、武の心情を汲むことは、できていた。武の全てを知って、その心の根底に在る純夏への執着を知って、それを切り捨てるのではなく、それさえを抱えて前に進もうとする意志を。

 知った。理解した。

 たくさんの間違いを積み重ねて、どうしようもないほどにボロボロになって。傷ついて泣き喚いて苦しんで慄いて……けれど、そうやって嘆いているだけではどうにもならないのだと気づいて。そうやって、前を見据えた武の、血を吐くような懺悔。

 ヒトを斬ったという。感情の滾りに任せて、衝動的に。憎悪と怒りに支配され、真那が自身と父の想いを託して渡したあの日本刀――弧月、で。

「…………俺は、最低で、最悪です。……でも、それでも、俺はもう一度……ちゃんと、前を向いて、歩いて、――――――――強く、なりたい」

「言いたいことはそれだけか」

 えっ――? 吐き出すように、けれど心底からの想いを零した武に、怜悧な言葉が突き刺さる。驚きに真那を向けば――ひたり、と。首筋に冷たい刃金の感触。小さな痛み。ぬるいとさえ感じる液体が流れ落ち――。

 音もなく抜かれた真那の刀が、首筋に押し当てられていた。切っ先が僅かに皮膚を裂き、小さな赤色が筋となって首を伝う。

 武は呼吸を忘れた。戦慄と共に噴き出した冷や汗が逆流するような怖気。眼前の真那から発せられるのはただ、冷たいだけの身も竦むような殺気。

 なぜ、という疑問など過ぎる余地もない。ただわかることは、指先の一つでも動かそうものならば、即座にこの首が飛ぶという事実のみ。乾涸びた喉を潤そうと、唾を飲み込む行為さえ憚られる明確な恐怖。だが、同時に、それが真那の意思かと納得もしていた。――師匠にコロサレルならば、それもいい。そんな思考が刹那に浮かび上がったことは、武にとってはショックだった。

 自分は、誰かに断罪されたかったのか。腕を斬り落とす、他者を傷つける。そういう暴虐な振る舞いをして尚、罰を受けることさえなかった武。それが夕呼なりの優しさだったのか、ただ時間の無駄と判断した末かは知る由もないが、けれど、犯した罪の重さに膝を折りそうになっていた状況で、「罪人」とさえ断ぜられることのなかった事実。それが、その反動が、誰かに――真那に――断罪されることを望んで、今、こういう状況になっているのだとしたら?

 ホッとしている、のか。自分は。真那になら殺されてもいい。……そういう思考が浮かんだのならば、ほんの僅かでも、それを求めていた自分が居たということに他ならない。前に進もうと足掻き、どれだけの苦難にも立ち向かって見せると気負う一方で、そんな風に、この現実から逃げ、解放されることを希っていた……。そんな感情を、抱いていた。――俺は、本当に…………ッ! 救いようがない、とは自分のことを言うのかもしれない。それとも、どれだけの強い意志と誓いを胸に掲げようと、どこか心の奥底の隅、そういう場所に。そんな弱さを残してしまうのが、捨てきれないのが……ニンゲン、だとでも言うのか。

 首に触れる冷たい刃の感触が、ほんの僅かに離れる――瞬間、本能とも呼べる衝動が、武の足を動かしていた。地面を蹴り、背後に倒れるように飛び退る。思い切り背中を仰け反らせ、顎を振り上げながら転倒し――最中、空を横切った銀色の軌跡を見た。ほぼ無反動の斬撃。あのまま立っていたならば間違いなく武の首を飛ばしていただろう一閃。丘の斜面を転がり落ちながら、武は全身から吹き出る汗を感じていた。心臓が壊れるほどに激しく鼓動を繰り返す。呼吸は喘ぐように乱れ、コロサレルという恐怖に反応した自分をどう評すればいいのかわからなくなる。

 生きたい。

 殺されたい。

 死にたくない。

 脳髄を抉るように閃いたのはそんな矛盾する感情。氾濫する意思をリーディングによって把握し、掌握すべく精神を叱咤する。――が、そんな思考は一瞬にして中断され、まるで斜面を降ってくるような真那の追撃にただ逃げ惑うしかない。

 自分の腰に先程の模擬刀が提げられたままだということを思い出したのは、真那の追撃をかわすために林の中に逃げ込んだ時だった。自分自身の状況を把握できないほどに突然の事態だったわけだが、それにしても迂闊すぎる。刃を潰した模擬刀でどこまで真那の剣閃を防ぐことが出来るかはわからないが……少なくとも一撃の下にへし折られるようなことはない、と思いたい。

 ……が、鞘から引き抜こうと柄に手を掛けた瞬間に――俺は、一体何をしようって言うんだ?! 現状を理解しきれない混乱が、右腕を硬直させる。状況に流されるままでは駄目だ。真那が何を思い、何を考え、武を殺そうとするのか――そもそも、本当に殺そうとしているのか? わからない。わからないから、ある程度状況に合わせる必要は……ある。だが、流されては駄目だ。落ち着け……と強く眼を閉じて息を吸う。

 走り続けながら、例え一瞬とは言えそんな隙を見せた武を、当然ながら真那は見逃さない。飛ぶように地面を蹴り、爆発的な速度で武の背後へと接近する。
その気配を感じ取った武は横跳びにかわそうと身を捩るが――それよりも早く振り抜かれた剣閃が、左腕を斬り付ける。痛みに悲鳴をあげる間もなく、鮮血を撒き散らす腕を庇うことも忘れて。体勢を崩されたことで転倒してしまったが、即座に立ち上が――起こした上体を狙い済ましたように、分厚い軍靴が胸板を蹴り上げていた。

「ぐっぼぁ、あ……!??!」

 半身を起こした状態から胸を蹴られ、再び背中を地面に打ち付ける。口端から零れた吐瀉物に頬を汚しながら、痛みと恐怖と混乱に歪んだ瞳を真那に向ける。斬られた左腕は血を流してはいるが大した傷ではない。自分の状態を反芻しながら、けれど地に背中を預けたこの状況から、真那の攻撃をかわすことなど不可能。かく言う彼女は無言のまま剣先を眼前に突きつけていて……その表情は矢張り、どこまでも冷たく、殺気を放っている。

「……死にたくないか、白銀少尉」

「……!?」

 目の前には刀の切っ先。ゆらゆらと揺れるようなそれは、逃げ惑った武を罵るように揺らめき……やがて、ぴたりと動きを止めた。それは武の左眼を捉え、すぅっ……とそこに走る裂傷をなぞるように。やがて首筋をなぞりながら心臓へと移動した切っ先が、ずぶり、と。その先端を肉に埋める。――ォぉぉぉおおおああああああ!!??

「痛いか。怖ろしいか。死にたくないか――答えろ、少尉。貴様はなぜ、“死にたくない”などと恥知らずにも吼えるのか。貴様は、一体何のために“生きたい”のだッ!?」

 裂帛の意思を込めて。見開かれた碧眼からは心臓が奮えるほどの覇気が込められて。真那から発せられる気配からは変わらぬ殺意と、もう一つ――なにか、燃え滾るほどに熱く烈しい情動が。武に向けて、容赦なく、躊躇なく、手加減などなく、ただ、向けられ、突きつけられる明確な意思。奮えるほどの衝撃が、胸中に渦巻いていた何もかもが消し飛ぶほどの感情が――――熱い、アツイ、烈しいそれが!

 心臓が鼓動する。ひとつひとつが、大きく、強く、脈打つ度に訴えてくる。脳ミソを加熱する。精神を凌駕する。――俺はッッッ……!!

「俺は……ッ、おれは! 俺は生きたい!! 死んで堪るかッッ!! ――生きるッ、生きて、生きて生きて生きて生きて生きてッッ……! 護るんだ! 護るッ、護ってみせる!! 茜を、純夏をッ! 俺は絶対に……ッ、護って、みせる――――!!」

 だから足掻く。だから進む。だから強くなる。全部全部、それは、すべて彼女達を護るために! 愛する二人を、護るためにッ!!

「俺は――――――っっ、今度こそッ、今度こそッ! 強くなって! 成長して! “アイツ”を護れる男になるッッ!! だからっ、だから……ッ! 月詠中尉、俺は貴女に殺されるわけにはいかないっっっ!!!」

 叫ぶと同時、武は身を起こす。突きつけられていた刃先が更に胸に埋まったが知ったことではない。両手で真那の刀を掴み、力任せに胸から引き抜く――突然の武の行動に虚を衝かれた真那が僅かに身を引いて――両手の平を血に濡らしながら、武は身を翻すように旋回軌道を描き、立ち上がり――模擬刀を抜いた。躊躇なく正眼に構え、自身でも身震いするほどの闘志を秘めて、真那を見据えた。

 対する真那は無表情のままで、刀を構える様子もない。武の胸を抉った刃先。そこから滴る赤色を僅かに見つめ、後に、それだけで身が切り裂かれそうな鋭い視線を見せる。だが、最早武に恐怖はない。刃を潰した模擬刀では一刀の下に真那を無力化させることは不可能だろうが、それでも、骨を折るくらいは出来る。そんな思考を抱けるほどに、迷いのない闘志を放ち――両者の間に酷く剣呑な空気が満ちた。

 が。

 不意に、それを打ち破ったのは真那だった。

 左手で顔を覆うようにして、くつくつと可笑しそうに笑ったかと思えば、大きく口を開けて、盛大に笑い出した。呆気にとられた武が眼を丸くしていると、暫く笑い続けていた彼女はようやく収まったのか、それでもまだ口端に“愉快”という感情を貼り付けたまま。――刀を、正眼に構えた。

「月詠……中尉……」

「…………ふふふ、まったく。この莫迦者め。――いいだろう、ならば、全力で掛かって来い。先程言ったこと、ゆめゆめ忘れるな。 微塵にでも揺らがせてみろ……その時は、一切の容赦なく貴様を斬る」

「――!」

 そこまでを言われて、ようやくに悟った。真那は……武を試していたのだ。いや、或いは…………未だに胸中を支配する様々な葛藤や懊悩、暗闇に漂う霧を晴らすために。

 死の淵に追い詰めることで、武でさえはっきりと確信を抱けていなかった最も根源的な感情、衝動、心の底から欲している「それ」を気づかせるために。

 真那は――矢張り、真那だった。信愛する、剣術の師匠。

 彼女から託された想いと師の形見を血に穢してしまったことさえも、その無道を許してしまった武の弱さも……全て理解して受け入れた上で――道を示してくれた。闇を、晴らしてくれた。何を迷うことがある。「答え」は既にお前の中に在る……それを、教えてくれた。気づかせてくれた。

 “その意志”が偽りでないのなら、縋りつく妄執でないのなら、魂が奮えるほどの――願いならば!

 ただ、その道を往け!

「進むべき道を見出せぬというなら、その闇は私が照らそう。……来い、武」

「はい……! “師匠”ッ!!」

 無意識に発していたその言葉に、武も真那も気づかない。二人を満たすのは漲るほどの闘気と意志。この戦いで彼を包む闇を晴らそうと、この戦いで自身の進む道を見定めようと。この世に唯一つの剣術の担い手。その師弟が、今、再びに舞い躍る――。



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