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No.1154の一覧
[0] Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~ 『完結』[舞天死](2009/02/11 00:34)
[1] [序章-01][舞天死](2009/02/11 00:30)
[2] [序章-02][舞天死](2008/02/11 16:02)
[3] 復讐編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:03)
[4] 復讐編:[一章-02][舞天死](2008/02/11 16:03)
[5] 復讐編:[一章-03][舞天死](2008/02/11 16:04)
[6] 復讐編:[一章-04][舞天死](2008/02/11 16:05)
[7] 復讐編:[二章-01][舞天死](2008/02/11 16:05)
[8] 復讐編:[二章-02][舞天死](2008/02/11 16:06)
[9] 復讐編:[二章-03][舞天死](2008/02/11 16:07)
[10] 復讐編:[二章-04][舞天死](2008/02/11 16:07)
[11] 復讐編:[三章-01][舞天死](2008/02/11 16:08)
[12] 復讐編:[三章-02][舞天死](2008/02/11 16:09)
[13] 復讐編:[三章-03][舞天死](2008/02/11 16:09)
[14] 復讐編:[三章-04][舞天死](2008/02/11 16:10)
[15] 復讐編:[四章-01][舞天死](2008/02/11 16:11)
[16] 復讐編:[四章-02][舞天死](2008/02/11 16:11)
[17] 復讐編:[四章-03][舞天死](2008/02/11 16:12)
[18] 復讐編:[四章-04][舞天死](2008/02/11 16:12)
[19] 復讐編:[五章-01][舞天死](2008/02/11 16:13)
[20] 復讐編:[五章-02][舞天死](2008/02/11 16:14)
[21] 復讐編:[五章-03][舞天死](2008/02/11 16:14)
[22] 復讐編:[五章-04][舞天死](2008/02/11 16:15)
[23] 復讐編:[六章-01][舞天死](2008/02/11 16:16)
[24] 復讐編:[六章-02][舞天死](2008/02/11 16:16)
[25] 復讐編:[六章-03][舞天死](2008/02/11 16:17)
[26] 復讐編:[六章-04][舞天死](2008/02/11 16:18)
[27] 復讐編:[六章-05][舞天死](2008/02/11 16:18)
[28] 復讐編:[七章-01][舞天死](2008/02/11 16:19)
[29] 復讐編:[七章-02][舞天死](2008/02/11 16:20)
[30] 復讐編:[七章-03][舞天死](2008/02/11 16:20)
[31] 復讐編:[七章-04][舞天死](2008/02/11 16:21)
[32] 復讐編:[八章-01][舞天死](2008/02/11 16:21)
[33] 復讐編:[八章-02][舞天死](2008/02/11 16:22)
[34] 復讐編:[八章-03][舞天死](2008/02/11 16:23)
[35] 復讐編:[八章-04][舞天死](2008/02/11 16:23)
[36] 復讐編:[九章-01][舞天死](2008/02/11 16:24)
[37] 復讐編:[九章-02][舞天死](2008/02/11 16:24)
[38] 復讐編:[九章-03][舞天死](2008/02/11 16:25)
[39] 復讐編:[九章-04][舞天死](2008/02/11 16:26)
[40] 復讐編:[十章-01][舞天死](2008/02/11 16:26)
[41] 復讐編:[十章-02][舞天死](2008/02/11 16:27)
[42] 復讐編:[十章-03][舞天死](2008/02/11 16:27)
[43] 復讐編:[十章-04][舞天死](2008/02/11 16:28)
[44] 復讐編:[十一章-01][舞天死](2008/02/11 16:29)
[45] 復讐編:[十一章-02][舞天死](2008/02/11 16:29)
[46] 復讐編:[十一章-03][舞天死](2008/02/11 16:30)
[47] 復讐編:[十一章-04][舞天死](2008/02/11 16:31)
[48] 復讐編:[十二章-01][舞天死](2008/02/11 16:31)
[49] 復讐編:[十二章-02][舞天死](2008/02/11 16:32)
[50] 復讐編:[十二章-03][舞天死](2008/02/11 16:32)
[51] 復讐編:[十二章-04][舞天死](2008/02/11 16:33)
[52] 復讐編:[十三章-01][舞天死](2008/02/11 16:33)
[53] 復讐編:[十三章-02][舞天死](2008/02/11 16:34)
[54] 復讐編:[十三章-03][舞天死](2008/02/11 16:35)
[55] 守護者編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:36)
[56] 守護者編:[一章-02][舞天死](2008/02/13 21:38)
[57] 守護者編:[一章-03][舞天死](2008/02/17 14:55)
[58] 守護者編:[一章-04][舞天死](2008/02/24 15:43)
[59] 守護者編:[二章-01][舞天死](2008/02/28 21:48)
[60] 守護者編:[二章-02][舞天死](2008/03/06 22:11)
[61] 守護者編:[二章-03][舞天死](2008/03/09 16:25)
[62] 守護者編:[二章-04][舞天死](2008/03/29 11:27)
[63] 守護者編:[三章-01][舞天死](2008/03/29 11:28)
[64] 守護者編:[三章-02][舞天死](2008/04/19 18:44)
[65] 守護者編:[三章-03][舞天死](2008/04/29 21:58)
[66] 守護者編:[三章-04][舞天死](2008/05/17 01:35)
[67] 守護者編:[三章-05][舞天死](2008/06/03 20:15)
[68] 守護者編:[三章-06][舞天死](2008/06/24 21:42)
[69] 守護者編:[三章-07][舞天死](2008/06/24 21:43)
[70] 守護者編:[三章-08][舞天死](2008/07/08 20:49)
[71] 守護者編:[四章-01][舞天死](2008/07/29 22:28)
[72] 守護者編:[四章-02][舞天死](2008/08/09 12:00)
[73] 守護者編:[四章-03][舞天死](2008/08/29 22:07)
[74] 守護者編:[四章-04][舞天死](2008/09/21 10:58)
[75] 守護者編:[五章-01][舞天死](2009/02/11 00:25)
[76] 守護者編:[五章-02][舞天死](2009/02/11 00:26)
[77] 守護者編:[五章-03][舞天死](2009/02/11 00:27)
[78] 守護者編:[五章-04][舞天死](2009/02/11 00:28)
[79] 守護者編」:[終章][舞天死](2009/02/11 00:28)
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[1154] 守護者編:[二章-01]
Name: 舞天死◆68efbbce ID:d7901020 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/02/28 21:48

『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』


「守護者編:二章-01」





「……で、全身傷だらけ血だらけで医務室に運ばれて、包帯まみれになって? 白銀、貴様自分が“療養中”という認識はあるのか? あァン?」

「も、申し訳ありませんッッ! 伊隅大尉!!!」

 底冷えのする酷薄な瞳で睥睨され、武は全身の血液が足下に落ちるような錯覚を覚えた。怖ろしすぎてまともに顔を見ることも出来ず、けれど眼を閉じることは許されないので必死になって視線を逸らす。同時、今までの軍隊生活の中でこれほど美しい姿勢を完成させたことがあろうか、と自画自賛してもおかしくないほどの“敬礼”を向ける。額からはとめどなく冷たい汗が流れ落ち、膝は微かに震えていた。心臓は壊れたように激しく鳴り響いているが、一向に脳ミソに血流が流れ込む様子はない。視界は白と黒に点滅し、喉が恐怖にひりついてまともに呼吸が行えない。

 ……それほどの恐怖を、目の前のみちるは発していた……。

 A-01部隊に宛がわれているブリーフィングルームで、みちると武は対面している。両者の距離は約二メートルほど。その気になれば一瞬で間合いを詰めることが可能だ。そうして向き合う二人の様子は、けれど正に対極であり……みちるはふてぶてしくも腕を組み、その表情は鬼も逃げ出すほどの兇悪な相貌。その恐ろしさは先のとおりであるが、その万物を視ただけで殺せそうな視線を受けることは、本当に、本当に精神衛生上というか生存本能の安寧によろしくない。対する武は訓練用のジャケットを着ているものの、袖から見える腕に首周り、顔……等、露出している部分だけでも絆創膏に包帯に、と、全身傷だらけという有り様だった。その顔色が青を通り越して白く染まっているのは全身に及ぶ負傷だけが原因ではあるまい。むしろ、みちるの発する鬼気に圧されている部分が大きいのだろうが……。さておき。

 みちるが衛生班より“白銀少尉が傷だらけで搬送されてきた”と報告を受けたのがつい三十分前。何事かと医務室に出向いてみれば、そこに居たのは決して浅いとは言い難い裂傷に、軽微なそれらを負った武。更には全身いたるところに残る打撲傷に擦過傷……と、要するに全身傷だらけの武。疲労と蓄積したダメージのために意識を失ったらしいが、呼吸・脈拍共に正常で、眠っているだけだという。けれど、そんな報告よりもなによりも、一体全体、何がどうなって武がイキナリ傷だらけになったのか、ということの方が重要であった。

 みちるは武の治療を担当した衛生兵を捕まえて詳細を尋ねた。どこかしどろもどろに答える彼女に更なる剣幕で――このとき、みちる自身は“ちょっと強めに”程度の認識しかない――問い詰めたならば、観念したように、恐々と「斯衛の中尉殿が運んでいらっしゃいました」などと零す。これを受けてみちるはまさかと眼を丸くし、裂傷だらけ、という様相を見て、それが嘘偽りでないことに確信を抱く。

 つまりは、武の剣術の師であるというあの月詠真那中尉が、彼をこれほどの目に遭わせたということだった。

 全体的に診て、致命傷というものはないそうだ。数箇所に一つ、という割合で皮膚の縫合が必要な裂傷が散見される程度。それ自体もそう深い傷ではなく、一週間もすれば完全に治るだろうという。打撲傷の方は流石に鍛え抜かれた衛士の肉体だ。骨に異常がないというなら、全く問題はない。……つまるところ、その傷が“全身”に及んでいるために大層酷い負傷のように思えただけで、それぞれの傷は数日から一週間足らずで完治する程度のもの、ということになる。

 ――しかし、と。みちるは眠ったままの武を見下ろしながらに唸る。しかし、あの斯衛の中尉がここまで武を傷つける理由とは何だろうか。意識を失った直接の原因はどうやら疲労のようだったが、それでも鍛え抜かれた肉体を持つ正規兵の一員である。それがここまでやられたからには、相当に容赦のない……なにか言葉に出来ないほどの“ぶつかり合い”があったのだろうか。

 かつて武の訓練を引き継ぐことになった時、彼の教導官を務めていた神宮司軍曹は、みちるにこう申し添えていた。白銀武は独自に剣術を修めており、それはこの横浜基地に駐留する斯衛の――つまり真那の――剣術らしく、訓練が終わった自由時間を使って、彼は剣術の師匠と稽古を行っていた……と。当然ながら、当時は極秘裏に、急遽創設されたA-01訓練部隊に転属となった武であるから、その剣術の稽古も打ち切りとせざるを得なかった。武自身そのことを予想していたらしい節も見られたし、何より、その日の晩に件の中尉が武と何事か会話を交わし、刀を託している様子を目撃してしまったりもした。

 ということは、どういうことだろう。

 それ以降、彼女が武の前に現れた様子はない。A-01の一員となることが決定され、そう動き始めたその日から、武は真那と逢うことはなかったはずだ。否、みちるが知る限り、「なかった」。斯衛の情報網がどれだけのものかはみちるも知らないが、それを予想するならば、恐らくはこの基地がAL4の要であるということ、そしてA-01部隊の存在がその完遂を目指すための特殊任務部隊であること……その程度、だろう。元々が日本主体で稼動しているAL4であるから、如何に斯衛といえ、そうそう手を出していい相手ではない。まして彼女達は将軍家縁の者を守護する警護小隊である。いずれその者が任官してA-01へ配属されたならばまだしも、ただ一人の剣術の弟子がA-01へ任官したからといって、厚かましくも干渉してくるようなことは……当然ながら、なかったわけだ。

 武自身も真那に逢うようなことをせず、真那自身も武と距離を置いていた。今の今までそうやってお互いの立場というものを承知して、実現していた二人が……一体どうしてまた再会し――恐らくは手合わせ、なのだろう――これほどの傷を負わせるに至ったのか……。こればかりは、所詮彼らの繋がりの全てを知らないみちるは推測するしかない。ならば、呑気そうに眠るこの莫迦者を叩き起こしてでも問い質すべきだろう。

 なにせ、白銀武少尉は現在、「病気療養中」なのだから。……いや、正確には単なる「療養」でしかないが、みちるの中では既に武の状態はイコール精神疾患一歩手前、という認識であり……要するに、言葉自体に意味はない。が、療養は療養だ。水月の采配で訓練には参加しているが、それでも対外的にはあくまでも療養しているべきなのである。

 だというのにこれだけ派手に、大したことはないと言っても、体中を絆創膏に包帯に、と重傷人の有り様を晒していたのでは、「いい度胸だ」としか言いようがないだろう。つまり彼は部隊長であり大尉であるみちるの命令を無視し、療養中であるにも関わらず、何らかの理由はあったにせよ、かつての師と剣を合わせ、見事ズタボロになって医務室へ運ばれた、と。そういうことだ。

 そこまでを頭の中で整理するのに約三十秒。その間、捕まえた衛生兵の胸倉をずっと掴んでいたことはナイショだ。いつまでも手を放してくれないみちるの気配が秒を経るごとに重く強く恐ろしくなるのを感じて、哀れ衛生兵は顔を蒼白にさせて失神するに至っていたが……それはまた別の話。

 みちるは何故か気絶していた衛生兵を椅子に座らせると、ふっ、と寒気のする薄笑いを浮かべた。ぐっ、と腹に力を込め、ぷるぷると拳をわななかせて――次の瞬間、医療棟のワンフロアを震わすほどの怒声が轟いていた……。



 そうして、現在に至るわけである。

 微塵も衰えることのないみちるからの鬼気を空恐ろしく思いながらも、武は事のあらましを説明する。既に病室で叩き起こされてから問答無用に連行された身である。鉄拳が飛んでこなかっただけマシだが、それがこれからないとは限らない。内心で恐々としながら……否、外面上も恐怖に震えながら、出来るだけ簡潔にまとめ、真那と偶然再会し、相談に乗ってもらったことを話す。その結果が――要するに一歩間違えば命のやり取りに発展しそうなほどの白熱した稽古だったわけだが……そこまでを聞いて、みちるの表情が段々と呆れ顔へと変わっていく。

 おや、と内心で首を傾げつつ、武はみちるの様子を窺うように口を閉ざす。腕を組んだまま黙って聞いていたみちるが、がっくりと俯きながら盛大に溜息を吐いた。しかも長い。どうやらいらぬ心労を重ねさせてしまったらしいとほんの少し狼狽しながら、申し訳ありません、と頭を下げた。

「いや……いい。事情はわかった……わかった、が、しかし、なんだ。……貴様とその月詠中尉は、いつもそうなのか?」

「は? あ、いえ……稽古の時は確かに、その、自分が気絶するまで終わらなかったりしたこともあります」

 顰め面で問うて来るみちるに、言葉に詰まりながら答える。当時は――今も対して変わりないようだったが、真那に対して手も足も出ない、という有り様だった。武が
全身全霊で掛かって行くのに対し、真那は一度も本気というものを見せたことがなかったように思う。無論、真剣でない、という意味ではない。本気――即ち、本当の実力、底力、というものを前面に出すことなく、常に武の強さの一段階上、というレベルで稽古をつけていたように思えるのだ。

 それはつまり、真那が本気を出せば稽古にすらならないほど、二人の間には格差が在るという証明であり……それでも、真那に“後継”と認めてもらえるレベルには達することが出来たはずだったのだが……。

 武は数十分前の真那を、その剣撃を思い出す。

 かつてないほどの剣の冴え、或いは一刀に込められた恐るべき闘気……。殺気とは異なる、相手を倒すという気概、気迫。或いは単純に、一閃の速さ、重さ、そういうもの。何もかもが、一度も見たことのないほどの強烈な壮烈さを孕み、剣圧だけで皮膚が裂ける程の威力を見せていた。まともな一撃を受けなかったことは、本当に救いである。……或いは、その点のみ、真那は手を抜いていたのかもしれない。彼女は刀の刃を返すことをしなかった。武の構える刀が模擬刀と承知していながら、真剣のまま、本気に限りなく近い状態で。

 受けることが出来なければ即死。或いは腕や足が飛ぶ。

 あれは、そういう“死合い”だった。稽古なんていう生易しいものではない。真那自身が言っていたように、もしも武の決意にほんの僅かでも揺らごうものなら、即座に両断されていただろう。……冗談でもなんでもなく、彼女はどこまでも「本気」だったのだ。その本気の真那を相手に――数え切れないくらい殴ったり蹴られたりしたわけだが――この程度の負傷で済んだことは幸いだ。

 いや、これが手加減の結果だというならそれはそれで落ち込むべきなのだろうが、それでも、真那の目的が武の堕ちた奈落を覆う“闇”を晴らすことにあったというのなら、そもそも武に重傷を負わせることは愚行以外のなにものでもない。故に、左腕の裂傷のように多少深い傷は見られるものの、全体的に軽微。剣閃を餌に放たれた蹴りやらを喰らって青紫に腫れた打撲傷も、それほど深刻なものはない。今でこそ絆創膏に包帯が痛々しく目立つが、その大半は既に血も止まっているし、縫合処置をした部位以外は全く以って問題というレベルではないのだ。

 そして、真那との稽古という名の“死合い”を経て……武は、どこか吹っ切れた気分だった。真那に己の命を握られた瞬間に爆発した本能的な衝動。感情の最も深い部分、生存を訴える本能。死にたくない、生きたい。その理由。

 ――俺は、愛する人を護りたい。

 そのために生きる。ただそれだけが、武の進む道。それを往くことこそが、失った、手放した、裏切った全てのものへの贖罪となる。そう、気づくことが出来た。確信することが出来た。自分自身信じられなかった己の、極限状態で引き出された本当の本音。死んで堪るかという強い意志。生きて護りたいのだという……強い、願い。真那はそれに気づかせてくれた。

 茜に水月……そして真那。本当に、彼女たちには救われてばかりだ。助けられてばかりだ。だから――心の底からの、感謝を。

 武を病室に運んだのが真那だというなら、そして彼女が姿を消したというのなら……恐らくは、また、何かの偶然や余程の事態とならない限り、再会はないだろう。武はA-01の衛士として、真那は斯衛の衛士として。それぞれの立場に戻り、任務を貫き通す。だからこれは一時の出来事。たった数十分間の、師弟関係。…………けれどそれは、これ以上ないくらいに武の背中を押してくれて、闇を晴らしてくれて……自分が進むべき道を、はっきりと照らしてくれたのだ。

 あのまま自分独りで抱え込んでいたなら、いつ見つけることが出来たかわからないそれ。或いは、たどり着けなかったかもしれない道。真紀との訓練の際に一歩を踏み出したそこから分岐していただろう、その道。愛する人を……純夏を、茜を護る。その、守護者としての道。

 ――最早迷いは、ない。

 そういう確信を得ることが出来た。……だから、呆れたようにこちらを見据えるみちるに、巧く言葉で説明することは出来ないけれど……大丈夫なのだということを伝えるべく、武は彼女をしっかりと見つめた。叱責される恐怖に竦むようだった眼が、ひたと強い意志を込めて向けられれば、みちるとて気づけないではない。伊達に隊長など務めていない彼女は、その視線を受けて、武が何がしか“乗り越えた”らしいことを悟る。だが、如何に本人がそのように感じようとも、実際にどうなのか、は冷静に慎重に判断しなければならない。なにせ相手は二度も暴走を見せた前科があるのだ。専門医のカウンセリングも始めたばかりの状態で、おいそれと結論を下すわけにはいかない。

 心の傷を癒すことは、得てして時間が掛かる。武の場合はそれが人格形成の根幹にまで及んでいるらしいことから、取り敢えず“一ヶ月”という期間を設けたわけであり、確かにそれが短縮されることは願ったりなのだが……さて、では今現在、かつての師との再会で“乗り越えた”と訴えてくる彼は、どうだろう? 療養を命じてから僅かに数日。果たしてそれだけで本当に立ち直れているのかどうか……。

 丁度いい、とみちるは思う。

 本来ならば、決して“よい”とは言えない武の負傷、或いは真那の行動だったが、こうして武が暗黒に満ちたナニカから抜け出せたような表情を見せるなら、「いいだろう」と思わせてくれる。更には一週間ほどの、治療に要する時間。もし仮に武が本当の本当に立ち直ることが出来ているというなら、この一週間の経過を観察することで判断できるだろう。腕の傷などが治らない限りシミュレータにも乗せるわけにはいかない。そういう意味では経過を観察するに相応しい状況が出来上がったといえる。

 茜の支えに、水月の気遣い、更には真那の導きが武を“全うな”道に立ち還らせたのなら、必ず、この一週間でわかるだろう。みちるはそう確信し、頷く。


 直立し続ける武に向けて、みちるは挑戦的な笑みを向ける。組んでいた腕を解き、右手を腰に当てて――何かを感じ取ったのだろう、武がより背筋を伸ばし、負けん気の強い表情を見せた。

「では、白銀少尉。貴様はその傷が治るまでシミュレータ訓練を禁止する。トレーニングも、裂傷に障りない程度に留めておけ。一週間で完治するとはいうが、無茶をやって長引かせるような愚かな真似はするなよ」

「はっ! 必ず一週間で完治させます」

 踵を合わせて敬礼する武。その瞳にも声にも一切の迷いは感じられず、どこか……つい数時間前まで彼を覆っていた危うい暗雲がすっかり晴れているように感じられた。ならばいい。どうかそれが一時の仮初であってくれるなと、みちるは無言のまま答礼する。踵を返し退室しようとした武の背中を見送りながらやれやれとポケットに手を突っ込めば、なにか手に触れる感触が在った。――あ。

「ああ待てっ、白銀っ」

「――え?」

 ドアの取っ手に手を掛けていた武が振り向く。なにか、と視線で問うて来る彼に、みちるは右のポケットに押し込んでいたそれを取り出すや、武の手の中に押し込んだ。その感触から、折り畳まれた紙片だということを察した武は、四つ折にされた白い紙をまじまじと見つめ、次にみちるを上目遣いに見つめた。――なんです、これ? 無言のまま問いかける武に、みちるは少々気まずそうに、或いは取り繕うように、

「ああ、衛生兵が貴様の治療をする際に服を脱がせたのだが……そのときに、上着の胸ポケットから落ちたらしい。……預かっていたのだが、すまん、今の今まで忘れていた」

 はぁ、と怪訝そうに頷くも、武はその紙片に見覚えはない。着ていたジャケットから落ちたというのなら、それは自分の物なのだろうが、なにせ覚えがない。みちるが預かっていたというなら当然彼女の物である訳がなく――そこまで考えて、あ、と。気づく。

 ならばそれは、武が負傷し意識を失い……医療室へ運ばれる過程で入れられたものであり――つまり、その過程に武と共にいた者の、ということになる。

「月詠中尉……」

 無意識に呟いていて、武は折り畳まれたそれを丁寧に開く。そこには、ただ一言だけ綴られていた。



 ――弧月はお前と共に在る



 胸が、締め付けられるようだった。ぐ、と。込み上げてくる熱い感情があった。血に穢れ、妖刀に貶めてしまった刀。弧月。師匠の形見であり、彼と真那の想いの具現。純夏のリボンと共に、幾度となく折れそうになる自身を支えてくれた大切な大切な……半身。魂。――弧月はお前と共に在る――そう記された紙片を、ぎゅう、と。両手で抱くように。言葉にならない。言葉に出来ない。たった一言に込められた真那の、武の犯した無道の罪を知る彼女の……愛情と、優しさと、厳しくも美しい、誇り高い想いが…………武を、包み込んでくれる。

 弟子を想う師の、恐らくは最後の――教え。

 そこから眼を背けるな。それから目を逸らすな。刀とは、己を映す鏡。己の半身、魂。自身の感情を何よりも正直に浮かび上がらせ、自身の醜さを誰よりも知り、されど、愛も想いも喜びも、共に背負い分かち合う、友。――弧月は俺と共に在る。

「そうか……お前は、ずっと俺の傍に……いてくれたんだな……………………ッ」

「白銀?」

 こちらを見つめていたみちるの声が聞こえる。ああ、しまった。武は込み上げてきた温かい感情を出来るだけ胸の裡に仕舞い込んで、何でもありませんと笑う。あまり納得したようではなかったが、みちるはそれ以上何も聞いてこなかった。……この紙片を手紙か何かと感づいていたのだろう。だが、彼女はそれに眼を通すようなことはしなかっただろう。何よりも部下を、ヒトを思いやることの出来るみちるだから、そんなことはないと信じられる。そういう思いを込めた武の笑顔に、みちるはふむと頷いた後、苦笑しながらに、――さっさと行け、そう言って払うように手をやった。

 それに頷いて、今度こそブリーフィングルームを出る。ともすれば駆け出しそうになる足を精一杯律して、込み上げてくる、迸るような熱い感情を懸命に堪えて――ああくそ、我慢なんて出来るわけがない! ぐっ、と。拳を握り締めて。真那からの言葉を握り締めて。

 武は走った。滅茶苦茶に走って、走って、走りながら――笑った。

 泣いているような笑顔だった。嬉しそうな笑顔だった。ぐちゃぐちゃの感情が零れた笑顔だった。我武者羅に足掻くものの笑顔だった。ようやく還るべき場所に帰り着いた笑顔だった。たくさんの間違いを犯して、たくさんの罪を犯して、たくさんのたくさんの、想いを受け取って――哀しくて、嬉しくて、怖くて、でもようやく見つけることが出来て――そんな笑顔で、笑って、走った。

 ドアノブを回した瞬間にまるで体当たりするように跳ね開ける。喘ぐような呼吸を繰り返し、体中から汗を流して、それでも、凄く熱い気持ちがたくさん、次から次から溢れてきて。

 一歩一歩、踏みしめるように歩く。ゆっくりと。肩で息をしながら、ぶるぶると奮えながら。

 部屋の片隅、机に立てかけるように置かれた黒い拵。漆塗りに銀細工の施された……黄色に、くすんだ赤を滲ませたリボンを巻きつけた――――刀。日本刀。

 弧月。

 触れる。――瞬間、膝から崩れ落ちた。右手で鞘を掴み、左手でリボンを握り、

「うっ、ぅぅぅ、ぁああ! ああああああああ!!!」

 泣いた。

 泣いて、泣いて、胸に掻き抱いて、強く握り締めて。咆哮するように、吼え叫ぶように、基地中に轟けと、真那に届けと、爆発するような感情に、泣いて――!



 ――ただいま。ただいま、弧月。俺は、やっと、還ってきた。

 ――純夏、弧月……俺はようやく、やっと、前に進むことが出来るよ……。



 それは喜び。それは歓び。それは、生きるよろこび。

 闇は晴れ、光差し、輝ける正道が目の前に在る。そこに至る、立ち還る道が目の前に在る。奈落の底から這い上がり、ただ突き進む唯一の道が。

 往け、と。師はこの背中を押してくれた。

 来い、と。水月は手を差し伸べてくれた。

 一緒に行こう、と。茜は歩く身体を支えてくれた。――ああ、だからもう、大丈夫だ。

「俺はもう、絶対に間違えない」

 挫けない。迷いはしない。この身を待ち受ける約定された死も、純夏に課せられた宿業も、BETAへの怨みも、夕呼への憎しみも……何もかもを、受け入れて、それら全部が自分なのだとしっかりと抱いて、でも、絶対に。もう絶対に――!!

「護るよ……俺はお前を護る。純夏……。だって、俺はそのために衛士になったんだもんな…………」

 両腕で弧月を抱いて、そこに巻いた純夏の御守りを抱いて。温かい涙が頬を伝う。溢れんばかりのよろこびが笑顔を結ぶ。感情に打ち震える魂が、弧月を通じてこの世界を生きる人々の優しさを教えてくれる。支えてくれた人たちの、優しさを感じさせてくれる。――本当に、ありがとう。

 胸の中を、茜の笑顔が過ぎった。ああ――、茜。

「そ、っか……俺、本当に……」

 どうしようもない奴、と。可笑しくなる。苦笑してしまう。……本当に、どうしようもない。愛するひと。護りたいひと。それは純夏……そして茜。どちらかなんて選べない。二人ともが己の半身と思えるほどに、なくてはならない少女。喪っては生きていけない、そんな風に想える女性。生きる意味、目的。――彼女達を、護る。傍にいて欲しいと願う、傍にいたいと願う。どうしようもないほどの、傲慢な欲。二人ともを、愛したい。

 どちらかを選ばなければ嘘だと思った。二心を抱くことは彼女たちの想いに泥を塗る行為だと思っていた。だから、例えどれだけの痛みを伴おうと、心を殺そうと……選ばねばならないと。そう考えて、選んだつもりになった。でもそれは全然「どちらか」を選ぶことなんて出来てなくて、ただ引き裂ける心が痛くて怖くて哀しくて、自分を騙して誤魔化して目を逸らしていただけの、臆病で、卑怯な逃避だった。

 違う。本当は、心のどこかでわかっていたのだ。――絶対に、どちらも選べないことを。……それも違う。選べない、のではない。“選びたくない”のだ。本当は。純夏が愛しい。茜が愛しい。そこに、その想いに優劣などなく、偽りなどなく、虚飾などなく、ただただ、本心からに、愛す。本当に本当に、武は彼女達両方を愛しているのだ。……それを本能的に知っていたから、どれ程に迷い葛藤しようとも、選ぶことなど出来はしなかった。

 真那が気づかせてくれた。精神を覆っていた奈落の底の闇……その暗雲を吹き飛ばし、眩い光で示してくれた。――何のために、“生きたい”のか。

 純夏を護る。

 茜を護る。

 彼女達を、護る。死なせない。絶対に、絶対に。――そのためになら、俺は死ねる。生きる目的なのに、“死ねる”というのは些か妙だが、けれど、それが嘘偽りない武の本心だった。リーディング能力開発のための投薬、その副作用でいずれ廃人となって死ぬ自分。その運命を受け入れられるほどに、彼女たちへの愛情は強く、揺るがない。唯死ぬためだけの残りの生を、彼女達を愛し、護ることが出来たなら……ああ、それはどれ程の幸せなのだろうか。

 受け入れられなくてもいい。欲張りで傲慢で、倫理に悖ると謗られても仕方がない。――でも、愛しているんだ。だから、愛する。全力で、全身で。護る。命を懸けて。

 安易に死を選ぶわけではない。この身体が朽ちるのは副作用が抑えきれなくなったその時だ。それまでは、決して、死なせないし……死なない。本当はずっと彼女たちと生きていたいけれど、自分勝手なわがままでしかないとわかっているけれど。それでも、その瞬間までを……我武者羅に生きて、愛して、護ることが出来たなら。

 白銀武という人生を、誇れるような気がするから。

 始めはほんのささやかな願いだった。隣に住む幼馴染の女の子を護ってあげたい。そんな願いだった。そのために衛士となることを目指し、素晴らしい人たちに出会い……運命の悪戯に生きる目的を見失い……救われて、支えられて、託されて、未熟な感情に暴走して……運命を呪わしいと嘆き、狂い、人を斬った。

 たくさん、たくさんの、間違いを犯して、遠回りをして、それでも、温かい想いをくれる人が居て。気づく。気づいた、というべきだろう。――俺は今、幸せなんだ。

 愛されていた。愛されている。たくさんの人に。そして自分も、愛している。

 ずっと一緒に居て、大好きと言ってくれて、信じてくれて……脳ミソと脊髄だけになり、それでも会いたいと願ってくれて、いずれニンゲンとしての生を終えることが決定されている純夏。

 いつも傍にいてくれて、いつも眩しいくらいの笑顔をくれて、挫けそうなとき、折れそうなとき……支えてくれて、共に歩いてくれた茜。

 強気で、勝気で、でも満たされるくらいに優しくて……手を差し伸べてくれた、引っ張りあげてくれた水月。

 誇り高くそして気高く、強くて、格好良くて、信頼を、たくさんの想いを託してくれた……外道に堕ち、無道を犯した闇を晴らしてくれた真那。

 晴子、多恵、薫、亮子、みちる、まりも、霞、志乃――たくさんの、人たち。両親、師匠。その全て。白銀武を支えてくれたなにもかも。胸いっぱいに溢れる、温かい、想い。――胸を張って言える。この人生は、素晴らしいものだった。だから、これからもっともっと輝けるはずだ。純夏を、茜を、全身全霊で愛し、護る。衛士として、軍人として、戦って、護り抜く。

 BETAへの憎しみを消すことは、多分……出来ないのだろう。理屈や感情で誤魔化せるものではなくなっている……それはもう、紛れもない自分自身だった。けれど、もう二度と、復讐に駆られることは在り得ない。あんな無様を晒すことはしない。もしまた復讐に捕らわれてしまえば……それは、こうして再び正道へ立ち還る道を示してくれた真那を侮辱する行為であり、何より、水月、みちる……武を信じて、もう一度チャンスをくれた彼女達の信頼を裏切ることになる。そしてそれは、茜を、彼女を哀しませるだけだ。

 消えぬ憎しみさえを抱いて、前へ。果てぬ怨讐を越えて、前へ。――俺は守護者になる。

 かつて教官だった熊谷の、あの言葉を噛み締める。お前はどっちだ、と。そう武に問いかけた彼に、ようやく胸を張って答えることが出来る。愛するひとが居る。護りたいひとがいる。喪ったと思っていた純夏は、どんな姿に成っていたとしても、生きていてくれて……ここに居る。ならばもう、復讐に縛られる枷はない。あるとするならばそれは、ただ血に酔った悪鬼羅刹の妄執だろう。けれど、そんなものはもう、武の中に残っていない。志乃たちの挺身が教えてくれた。茜の笑顔が希望をくれた。

 ゆっくりと、立ち上がる。

 抱いた弧月を両手に握り、正面から見据えるように。音もなく鞘から引き抜いて――その刀身が、灯かりのない室内で煌くように、鳴る。

 それは全身に染み渡るような、静寂。凪のない水面のように穏やかで、満たされていて……なによりも、“揺るがない”。弧を描く月。武の心を映す水鏡。託されたそれは、常に武と共に在った。手にする資格が無いと手放したその時も、ずっと、武が気づいていなかっただけで……弧月はいつだってそこに在ったのだ。それが、嬉しい。生きていけると、確信させてくれる。護り抜くことが出来ると、信じさせてくれる。

 だから大丈夫。もう絶対に、間違えない。

 何度も繰り返し、思う。誓う。刻み付ける。……刀身を鞘に仕舞い、下緒を腰に結わう。数日振りに提げた弧月は、けれど、全く変わりなく……まるでそこに在るのが当然のように――風もなく、純夏のリボンが揺れた。彼女もまたずっと居てくれたのだと、気づかせてくれる。

 言葉を交わすことのできない恋人。愛しい人。純夏。武に出来るのはただその“願い”を聞き続けることだけ。その身に負った非業なる宿業を垣間見ることだけ。それでも、武は純夏をとても近くに感じていた。血に汚れた黄色いリボンを撫でる。指先を通じて伝わる柔らかさに、胸が熱くなるようだった。……生きている。自分も、純夏も。まだ生きている。これからも生きていける。だから愛する。だから護る。同じように、茜も。生きて、触れることが出来て、傍にいてくれて……想ってくれる彼女を。

「さぁ……行くぞ、」

 訓練への参加は禁じられてしまった。ならば鍛錬……と言っても、大したことは出来ない。ならばどうする。決まっている。武は自室を飛び出して、足早に向かう。行き先は戦術機格納庫。機体に関する知識を大なり小なり修めることは衛士にとってプラスになる。座学ではフォローしきれないより詳細で技巧に凝った知識を得るならば、実際にそのプロフェッショナルに聞いたほうが早いし、何より濃い。訓練兵時代に世話になったあの言葉と態度がちぐはぐな整備士に教えを請う腹積もりだった。かつての経験を活かして整備技術を向上させるもよし、更なる知識を深めるもよし。この一週間、無為に過ごすわけにはいかない。

 進むべき道を揺ぎ無く見据えることが出来たのなら、あとは突き進むだけだ。そのために必要な手段は何もかも手に入れる。より強く、護るための力を得るために。今出来ることを、片端からやって見せる気概を持て。

 ――それが、“生きる”ということだ。












 たぶん、なにかいいことがあった。或いは……迷いがなくなった、吹っ切れた――そう、表現するべきなのだろう。

 柏木晴子は夕食を勢いよく平らげていく武を見ながら、周囲で呆気にとられた表情をする皆と同じように、ぽかん、としていた。とにかく、なにか勢いが違う。例えばそれは昨夜の夕食であったり、今朝の朝食であったり……訓練前のミーティングの時であったり、午後……は会う暇がなかったのでわからないが……“とにかく”、違う。

 誰よりもそのことを一番察しているのだろう茜は、けれど武の左隣で嬉しそうに笑っているだけで――どうやら、彼がなにか違うことより、それがとにかくプラスの方向を向いているらしいことに喜んでいるようだ……。無論、晴子も武の雰囲気がどこか真っ直ぐに前を見据えているらしいと気づいているので、彼が今朝とまるで“違う”ことを問題とは思わない。いや、そもそも問題というか、要するに――何があったのか。それが気になるのである。

 今朝までの武といえば……数日前に茜と亮子が目の当たりにした、何か酷く追い詰められたような、昏く翳ったような鬼気迫る雰囲気を纏っていた。訓練を終えた直後の、皆と……水月たちと暴れている時はそうでもないのだが、独りで居るところを目撃した時などは、思わず目を見張ってしまうほどに“危ない”気配を漂わせていたように思う。剣術の師の形見を手放し、幼馴染の形見を手放し……ただ独り、ナニカに追い詰められ、けれどそこから這い上がろうと足掻いていた……らしい、武。こっそりと水月に尋ねた時に得た情報だった。詳細は教えてくれなかったけれど、精神科医の面談を受けたりもしていたようで――そこまでを聞いて、晴子はまさかPTSDではないのかと疑ったのだが、どうやらそれも違うらしい。

 とにかく、武のその状態は、直接の原因や現在の武の情動等、わからない部分が多いながらも、かなり危険な状態である……と、そう判断せざるを得ないようなものだった。

 それがどうだ。

 まじまじと武を見つめる。テーブルを挟んで斜め前方、その場所に座る彼は好物の合成竜田揚げ定食をあっという間に片付けて、程よく冷めた合成宇治茶を啜っている。あまりにも勢いが良く、更にスピーディーであったために誰もがポカンとしている。自分の食事も忘れて見つめてしまうくらい、なんだか本当に……武はサッパリとしていたのだ。故に、吹っ切れた、と。そう感じるのかもしれない。

 一度は手放した刀を再び腰に提げ、その鞘には変わらずに黄色い御守りのリボンが巻かれて……。それを見ただけでも、彼を覆っていたナニカから抜け出せたのではないかと想像できる。なにより、その雰囲気。柔らかで、真っ直ぐで、気概と目的に満ちた瞳。思わず見惚れてしまうくらい――――って、待て待て、私は一体なに考えてるのよ。晴子は一度頭を振り、冷静な思考を取り戻す。それだけでは足りなかったので一旦武から視線を外し、周囲の皆を観察することにした。

 まず一番に目に映るのは茜。真正面に座る彼女は、……見ているこっちが恥ずかしくなるくらいに、ニコニコと笑っている。多分もなにも、武が立ち直ったらしいことが嬉しいに違いなかった。――ああもう、本当に惚れきってるのね……。晴子は彼女の恋に全力で力添えすると決めているので、まぁ、これは問題ない。ただ、彼女は……自分の想いが言葉ではなく肌を通して武に伝わり……そして彼の想いまでもが伝わってきた……と確信してからは、その、なんと言うか――開き直っている。それはもう呆れ果てて苦笑するしかないくらいに。どこか遠慮する風だった水月に対しても実にアグレッシブに牽制を掛けているのだ。これを開き直りといわずしてなんと言おう。

 同期組の顔ぶれを見れば、三人共に武の雰囲気が変わったことに困惑、というよりも矢張り、呆気にとられているらしい。特に亮子は再び腰に提げられている件の刀をじっと見つめて、なんだか嬉しそうに小さく笑っていた。剣道を修めている彼女には、刀を手放す苦しみと、再び手に取ることが出来るようになった喜びというものが理解できるのかもしれない。また、三人共に若干頬が赤くなっているのはご愛嬌。どうも、彼女たちとは色々と思考回路が似ているらしい。全員で茜を応援しようと決めているものの、矢張りそれはそれ、ということなのだろうか。――ま、個人が心の中で想うくらいは、別にいいかな。かく言う自分とてその一人。黙っている分には何の問題もないのだ。うん。

 視線を反対側へと移す。武の右隣に座る水月は……どうやら既に呆れた様子はなく、深い慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。これも茜同様にかなり……見ているだけで恥ずかしい。武を“弟として”愛している。そう言い切った水月の、どこまでも強気な、自信に満ちた表情。それを思い出してしまって、困ってしまう。本当に凄いひとだと感心しながら、けれど、彼女もまた武の雰囲気から色々と良い側面を感じ取っているらしいことはわかった。

 先任達はどうだろう。ずらりと居並ぶ美冴以下五人も、大なり小なり同じような表情をしている。その中で目を引いたのは、呆気にとられた表情ながらも箸の動きが止まらない梼子であり……どこかしたり顔の真紀だ。前者についてはノーコメントで通したいところだが、後者は……どうだろう。真紀が何かにつけてホラを吹くことは既に身に染みて知っているし、それが彼女の魅力の一つだということも知っている。――が、さて、どうだろうか。

 端に座るのはみちると遙。遙は武が早飯食いをしている最中こそ驚いたように彼を見ていたのだが、今は視線を水月へと向けて、微笑む彼女を見て笑顔を浮かべている。……どうも、茜に対する自分たちと同じような感情を抱いているらしい。それを想像すると面映く、くすぐったい気持ちになった。では、みちるはどうだろうか。部隊長であり、部下のメンタルケアも一身に背負う彼女は――……・晴子は、一瞬だけ、息を呑んだ。

 それは多分、見定めようとする者の目だった。

 どこまでも深く温かい優しさに満ちていながら、その一点だけは見誤らない。そういう強い目だった。思わず、喉を鳴らしてしまう。――これが、戦場という極限の中において大局を見据えるものの視点か。指揮官としての責務。部下の命を背負う者の、責任。――白銀武は本当に“吹っ切れた”のか。立ち直れたのか。追い詰められた窮地から抜け出せたのか。足掻き、我武者羅に前を見据え、突き進めるのか。……戦慄に似た感情が晴子の背中を這い登る。みちるの胸中を占める高尚な軍人としての意識に、慄然とした。

 武の雰囲気だけに目を向け、それを喜ぶだけの自分たちとは明らかに次元が異なる。一番近い位置に在るはずの水月でさえ、今のみちるほど冷静にこの場を観察してはいないだろう。それが隊長の義務だと言われてしまえばそうなのかもしれなかったが……晴子は、もし自分がその立場になることがあったとして、では、一体どれ程の経験を積み、才気を養えばみちると並ぶことが出来るだろうと考えて……とてもではないが、そんな境地には至れないだろうことを悟った。

 自部隊の隊長の凄まじさを目の当たりにして言葉をなくした晴子に、隣に座る薫が肘でつつく。――どうした? 無言のまま問いかけてくる友人に、困ったように笑ってしまう。なんでもない。そう言って苦笑すると、薫は“ふぅん”、と視線でいぶかしんだ後、まぁいいやと呟いて食事に取り掛かった。それを見て、そういえば自分もまだ食事を採っていなかったことを思い出す。武に見惚れている間にすっかり冷めてしまった夕食を、――なんだかなぁ、と。またも苦笑しながら食べるのだった。

 武には、なにかがあった。

 それは彼の精神を魂を圧迫し追い詰め、磨耗させ狂わせるほどのナニカで……でもそれは、恐らくは今日の午後にあったのだろう、もう一つの“ナニカ”によって、払われ、救われ、立ち直ることが出来て……前に進みだせるような、そんな……。

 なにか。

 それを知ることは出来ないのだろう。いつか、武が話してくれるときが来るのかもしれない。――なら、いいかな。もしそんな時が来るのなら、それを楽しみにしたって罰は当たらない。武がナニカから吹っ切れて、笑っていて、その隣りで茜が笑っている。なら、それでいいじゃないか。気になるけど、知りたいと思うけれど。でも、今は――それでいい。







 ===







 2001年10月21日――







 なぜ、こんなことになっているのだろうか。武は一生懸命思考を働かせて、途轍もない努力を巡らせて、どうにかこうにか目の前の事象を理解しようと足掻く。例えば深く眼を閉じて思考の海に潜水したり、深呼吸して肺腑を新鮮な酸素で満たしたり、キョロキョロと視線を巡らせてみたり。……要するに、全く落ち着きがなかった。

 ちらり――と。ひょっとしたら自分の見間違いなんじゃないかな、なんていう期待を込めてそこを見れば、当たり前というかなんというか、変わらずにそこには茜がベッドに腰掛けていて……まぁその、つまり。

(俺にどうしろって言うんだッ――柏木ぃぃぃいい!!??)

 武の自室。宛がわれたその部屋。私物が殆どないと言っていい殺風景な室内に、けれど、絶対にあってはならないはずの、むしろ居ないはずの茜が、女の子が、国連衛士仕様の半袖ハイネックのアンダーシャツに軍パンという、ある意味でいつも通りの――けれどこの状況では非常に色々と困る姿で、どうしてかベッドに腰掛けている。武もまた同じくベッドに腰を下ろしているのだが、そもそも何でまたこんな状況にあるかというと、つい数分前に晴子の手によって茜が“配達”されてきたからであり…………。

 つまり、武には全く意味がわからないのだった。

 ――いや、心当たりがないわけでは、ない。

 もう一度だけチラリと“配達”されてきた茜を見れば、部屋中をくるくると見回している。彼女の部屋も同じようなつくりであるはずなのに、やけに楽しそうだ。こんな殺風景な部屋の何が楽しいのだろうと首を捻り……同時に、こんなにもいつも通りの仕草を見せられては意識してしまっていた自分が莫迦のように思えてくるから不思議だ。時刻はじき就寝時間。そんな時間に男の部屋に二人きり……しかもその、まぁなんだ。茜は誰の目から見ても明らかなほどに武へ向けて好意を示しており――武自身、それを好ましく感じてもいる。

 茜を愛しているという感情は、心からの本心だ。……けれど、同時にもう一人、純夏という幼馴染を愛している武は、その想いを茜に伝えてはいないし、伝えるつもりもない。お互いに愛し合っているという認識があり、確信もあるのに……二人とも、それを口にしない。伝えない。――わかっているのだ、茜も。武が純夏を愛し続けていることを。そうして、茜へも想いを寄せていることを。……最低な男、気の多い男、優柔不断、果たしてどんな風に見られているのかはわからないが、……それでも、彼女は傍に居続けてくれている。それを申し訳ないと思う反面、それでも――嬉しい、と。そう感じてしまうのは男のサガだろうか。いや、傲慢で見境のない欲望がそう錯覚させるのか。

 否。

 茜に傍にいて欲しいと想うのは、決して下心からではない。自分というニンゲンが狂わず壊れず、全うに生きていくために絶対必要な希望。正道を照らす太陽の輝き。共に歩み進んでくれる伴侶――武にとっての“涼宮茜”とはそういう女性であり、ただ、傍に居ることができて、こうやって傍にいてくれるだけで「満たされる」。護りたいひと、なのだ。

 勝手な感情だということは理解している。きっと、他人からは武のその一方的な想いは、ただ、身勝手な願望を投影しているように見えるのだろう。茜の気持ちを無視した、武自身のための愛情。見返りのない、相手の都合を考慮しない、ただ、想うだけの愛。……そんなものを一方的に向けられた相手は、ではどうすればいいのだろうか。迷惑と拒絶するか、或いはそれを理解し、受け入れるのか……。――茜は、どちらだろう。

 多分、茜はそんな武の身勝手な想いを全部承知していて、それを受け入れてくれているのではないか。そう、思える。感じられる。能力を使ってしまえば簡単に知れるのだが、そんなことは絶対にしないし、そもそも出来ない。

 アレ以来、夕呼から呼び出しを受けることもなかったのだが……一ヶ月ほど前に、霞を通じて手渡されたものがある。それは軍人なら誰もが持っている認識票。武のそれと全く同じものを、霞は両手に乗せて渡してくれた。今自分が身につけているそれと交換しろ、ということらしい。何故、と疑問を覚えた瞬間に、霞が懸命に伝えてくれたのだ。――純夏さんのリーディングに成功した、功績……です。そしてさらに、こうも言った。その認識票はバッフワイト素子が組み込まれている――と。マイクロチップには武が日頃から接するA-01部隊全員のデータが登録されていて、身に付けている限り、リーディングはブロックされるという。つまり、かつて咄嗟に思考を読んでしまっていたような失態を犯す心配はない、ということだった。無論、マイクロチップに登録されていない人物へのリーディングは阻止できないため、変わらず注意は必要だが……それはリーディング能力を重荷に感じていた武にとって朗報だった。

 純夏の脳をリーディングした功績、とはいうが……けれど、それは大した成果を挙げられてはいない。わかったことといえば、彼女が如何にしてBETAの捕虜になったかということと――その際に受けた、筆舌に尽くしがたい陵辱に尊厳の冒涜……凡そヒトを生命と認識していない連中らしい、反吐の出るようなおぞましい所業。一身にそれを受け、壊さないで、やめて、と繰り返し嘆き叫び発狂した彼女の……それでも、武に会いたいと願い続ける、想い。思い出すだけで視界が暗転して、どす黒い憎悪が鎌首をもたげてくる。決してなくすことのできない怨讐が復讐を謳いあげる。――けれど、もう二度と、復讐者のシロガネタケルにこの身体を明け渡すようなことはしない。泥のように濁った真っ黒な眼をしたアイツに、この身を預けたりはしない。

 とにかくも、夕呼はそれを“功績”と認め、バッフワイト素子を褒章として与えることを決定した。霞の表情を見るまでもなく、彼女の言葉を聞くまでもなく……それが夕呼なりのけじめの付け方なのだということは想像に易い。贖罪……という可能性もないではなかったが、けれどそれは在り得ないだろう。夕呼は一度、恐らく本人すら予期していなかっただろう発言で、右腕を喪っている。そういう脆さを極限まで精神が振り切れていた武に向けてしまった時点で、彼女も実は“同じニンゲン”であることに気づいた武は、もう二度と、彼女が武に対して弱さを見せることなど絶対にないと確信している。まして贖罪などと……あの、外道こそを自ら誇りを持って堂々と突き進む魔女には似合わない。

 多分、これが最後のけじめ、ということだ。夕呼自身の甘さとの完全な訣別。武を追い詰めた事実をただ“事実”と認識し、今後も使い勝手のいい手駒として存分に“使う”ための……功績。褒章。いいだろう、と武は渡された認識票を握り締める。これを受け取ることで夕呼の……ほんの僅かにこびり付くような“甘さ”や“感傷”が塵も残らず完全に消え去る、というのなら。受け取って然るべきだ。――きっと、そうすることであの人は00ユニットを完成させるためだけに、これ以上に邁進できるはず。それは純夏のニンゲンとしての死を意味し、同時に、彼女の生誕を意味する。

 …………どんな形であれ、どんな宿業を抱えた“生誕”であれ、武はそれを護り抜く。形や魂が重要なんじゃない。「鑑純夏」という存在。武にとってそう認識できる存在。自身はそれを護る剣であり盾であり……彼女を愛する、男だ。バッフワイト素子を受け取ることで夕呼の負担がナノグラムでも軽くなるというなら、喜んで頂戴しよう。褒章を受け取った武を見て、霞はとても嬉しそうに笑ってくれた。いつも無表情が目立つが、矢張り女の子には笑顔が似合うと思う。武は無意識のままに霞の頭を撫でて、ずっとずっと純夏に話しかけてくれていた彼女に……ようやく、“ありがとう”と伝えることができたのだった。

 と、そのような経緯から今も武は認識票を首から提げていて……つまり、バッフワイト素子を装着しているために、茜へのリーディングは出来ない。無論、それでいい。ニンゲンにリーディング能力は必要ない。それは多分、絶対だろうから。霞は未だに能力への固執を見せるが……生まれた境遇からして、それを拭い去ることは決して出来ないだろう。武がいつまでも復讐を拭い去れないのと同じに、ソレが、己の根幹を成しているのだから。けれど、彼女のソレが武のソレと同じようなものであるならば……いつかきっと、乗り越えることも出来るはずだ。なにせ、自分で情けなく思うくらいに脆弱で弱かった自身が、ようやくではあるがそれを実現できたのだから。まして霞はまだ幼い。きっとこれから先の長い人生で、どこまでも強くなれるに違いなかった。

「あー……茜、その、さ。部屋に戻らなくて大丈夫なのか?」

「んー? さぁ、ねぇ。――武は、どうして欲しいの?」

 ――そりゃ反則だ。

 苦笑が漏れる。そんな眩い笑顔を向けられたところで、武にはどうしようもないのだ。茜を愛しているし、彼女の想いも理解している。……でも、純夏も同じく愛している彼は、そのどちらとも結ばれることはないと「決めて」いる。本当に自分勝手で酷い男だ――そうやって自嘲するように口端を引き攣らせれば、察したのだろう。茜が武との距離を詰めるのがわかった。腕に茜の柔らかな肉体が触れる。肩に頭を乗せられて、心底安心したように眼を閉じられてしまえば……「部屋にもどれ」とも言えなくなってしまう自分の浅ましさに落ち込んだりもした。

 ともすれば衝動のまま押し倒してしまいそうであったため、必死に違うことを考える。一生懸命考える。心臓が壊れたように鳴り響いているが絶対にそんなのは気のせいだ冷静になれ落ち着け抑えろあああくそぅ柔らかいあったかくていい匂い――ってだから駄目だってああもうっ!?

 そうやって脳内でパンク寸前になりながらも、どうしてこんなことになっているのだったかと記憶をまさぐれば……思い出したのは矢張り晴子の顔だった。あの、“ごゆっくり”とでも言いたげな笑顔。心当たりがないわけではない記憶。言動。それはそもそも、今朝に遡る。







 九月末、茜達元207訓練部隊A分隊がA-01へ任官してから一ヶ月が経過したその日、彼女たちは遂にシミュレータ訓練に参加することとなった。正規軍として必要な知識を修め、司令部付、副司令直属の特務部隊の任務と極秘計画の一端を知り、それを担い果たす責任を自覚し、求められる実力を明確に意識付ける。そのための座学、講義を終え、次のステップへと進んだ彼女達を、B小隊で“歓迎”した。実に一ヶ月ぶりにシミュレータに搭乗した新任衛士相手に、一切の手加減なく、実戦と対BETAプログラムで鍛え抜いた最精鋭突撃前衛小隊の猛攻を叩き込み、現段階での彼女たちとの格差を思い知らせたのだ。

 散々凹ませた後に部隊を再編し、二つに分ける。新任を2-3で割り振り、Aチームには伊隅みちる、風間梼子、古河慶子、高梨旭、涼宮茜、柏木晴子の六名、Bチームは残る速瀬水月、宗像美冴、本田真紀、白銀武、築地多恵、月岡亮子、立石薫の七名編成の二部隊で模擬戦を行った。先任のチーム分けを見てもわかるのだが、中・遠距離攻撃に秀でたAチームと、近接戦闘に優れたBチーム、という構図になっているそれは、名目上は新任たちのポジショニングを決定するための試行的な模擬戦であり――実戦の経験が一度でもあればレーザー属種とそれ以外、という対BETA戦闘を想定しての構図と重なっていることがわかるものだった。メンバーの入れ替えを何度か繰り返して、茜たち五名の最も適したポジションを探ると同時、先任との連携の経験を積み、或いは彼女たちの動きから何か一つでも掴めたならば上々。

 みちると水月が訓練兵時代の成績から判断しての最初のポジショニングから、得意とするそれとは全く逆のポジションや兵装を選択したりと、かなり自由度の高い訓練を重ねる内に、紙切れだけではわからなかった個々の適性というものが浮き彫りになってくる。無論、教導官である神宮司まりも軍曹が纏めたレポートが全く役に立たないというわけではない。実際に目の当たりにして見なければわからないこと、というのは多々あるし、現場ではそれが最も重要なのである。……もっとも、流石はみちるの教官だったこともあるまりもだろう。彼女の提出したレポートに偽りはなく、むしろそれ以上とも言える実力を秘めた新任たちに、みちるは不敵に笑ったりしたものだ。

 数時間ぶっ続けで行われた模擬戦の結果、暫定的に決定されたポジションは、涼宮茜・強襲掃討・C小隊、柏木晴子・打撃支援・A小隊、築地多恵・突撃前衛・B小隊、月岡亮子・強襲前衛・C小隊、立石薫・突撃前衛・B小隊、ということになった。あくまで暫定ではあるが、これからの数日はこの編成を元に訓練を重ねていく。その間に散見された問題は虱潰しにしていき、最終的に、最大効率で、且つ最大戦力を生み出す編成へと決定する。それがみちるのやり方だった。

 ちなみに、彼女たちが正式にA-01の一員として実稼動するにあたり、宗像美冴中尉をC小隊隊長の席に据え、風間梼子少尉をC小隊へと配置。これにより、ヴァルキリーズはA小隊四名、B小隊五名、C小隊四名という変則十三名一個中隊として、人数だけを見るならばフル稼働が可能となった。勿論、CPは涼宮遙中尉。戦略の要となる戦域管制なくして戦場では生き残れない。そうしてシミュレータ訓練を一週間も続けた後はJIVESを使用しての実機演習。間引き作戦を想定した戦闘や防衛戦、それらを繰り返し繰り返して……さらに一ヶ月が過ぎた“今日”、武は晴子から呼び出しを受けていた。

「ねー白銀くん。昨日はどうだったぁ?」

「あ? 昨日? なんかあったっけ?」

 ニコニコと心底から愉しそうに尋ねてくる晴子に、話が見えない武は盛大に首を傾げた。ぽかん、と腕を組み首を捻った瞬間、晴子の時が止まったのを武は目撃する。ニコニコと笑顔を浮かべたまま固まられるというのは見ていて実に興味深い。暫くそんな晴子の奇態を見つめていると、ギギギ、と油の切れた機械のように、ぎこちなく笑顔が強張っていく。目と口だけは辛うじて笑みを形作っていたが、それも端っこの辺りがひくひくと痙攣していて、実に無理やりだった。

「えーっ、と。聞き間違いかな? 今、“なんかあったっけ”、って聞こえたんだけど……」

「ああ。言ったぞ。昨日……って、二十日、か? それがどうかし…… 「莫迦ァアあーーーーーーーっっっ!!??」 ……ヲイ、いきなりだな」

 もう一度首を傾げて、更には顎に手を当てて記憶を反芻しようとした武に、言葉途中で晴子が咆える。先程までの笑顔はどこにもなく、信じられないこの莫迦っ! と言わんばかりにがなっている。……というか、事実、莫迦といわれたわけだが。さて。

 武はその晴子の様子に全く思い当たる節がなかったので、どうどう、宥めるように声を掛ける。――私は馬かっ! とかつてない突っ込みの冴えを見せた晴子に、おお、と怯んだのも束の間。次の瞬間、晴子は盛大に溜息を吐いてがっくりと力いっぱい項垂れた。つい今しがた“莫迦”と罵られたばかりでこれだ。どうやら武に呆れているらしいのだが、そうやって一方的に落ち込まれても困る。どういうわけか問うた武に、晴子は頭イタイといわんばかりの顰めッ面で、事のあらましを説明してくれた。

 つまりは……昨日。10月20日、は。

「茜の…………誕生日?」

「そ。――まぁその、今まで一度も誕生日の話なんてしたことなかったから知らない……っていうのも無理はないのかもしれないけど……」

 言われて、そういえば彼女達全員の誕生日を知らないことに気づく。むしろ、水月や真那の誕生日だって知らない。一年に一度の記念日。自身が産まれた日。誕生を祝い、産んでくれた父母に感謝する日……人によっては、色々と思い入れがある日、だろう。かく言う武は誕生日の記憶といえば常に幼馴染と過ごしていたものしかない。他に友人がいなかったわけではなく、それくらい、ずっと一緒に居たということだ。年齢を重ねる内にそれほど盛大に行われなくなった誕生日のお祝い。ささやかなご馳走――その全てが合成食品だが――を囲んで、純夏とその両親、武の両親と六人で食卓を囲んだ記憶。少し寂しくも、けれど、温かなその記憶に浸ること数秒……なるほど、晴子の言わんとしたことが理解できてきた。

「つまり、お前は昨日俺と茜が誕生日のお祝いをしたかどうか、と。そう聞きたかったわけだな?」

「うん……ていうか、私から茜に白銀君を誘うようにけしかけたんだけどさぁ……」

 がっくりとしたまま零す晴子。どうやら武が茜の誕生日を知らなかったことよりも、けしかけた茜が何も行動を起こさなかったことに落ち込んでいるらしい。友人思いというか、なんというか。本当にいいヤツだと思う。武は尚溜息を吐く晴子に苦笑し、ならば茜へ“誕生日おめでとう”と伝えるくらいはしておこうと決める。プレゼントを贈れたらいいのだろうが、所詮ここは軍事施設だ。大したものは置いてない。日用品を贈呈したところで彼女が喜ぶとは思えないし、そもそもこれまで一度も祝っていなかったのだから、出来ればなにかインパクトのあるものがいい……。そうやって思考に耽っていると、じっとこちらを見つめる視線に気づいた。言わずもがな、晴子だ。無言のまま武を見つめること数秒、――あ、と何か思いついたように、ぽん、と手を打つ。

「……なんだよ、“あ”って。……ぉぃ、なんかスゲェ嫌な予感がするんだが…………」

「あーあー、いいのいいの。気にしないで。んじゃっ、そろそろ訓練の時間だし、私先に行くねーっ」

「ちょっ――!? おい、柏木っ!?」

 最後にはいつものように“にへら”、と笑って駆け出していく。そのあまりにもいつも通りな彼女の笑みに、底知れぬ不安を抱いたまま一日を過ごし……これと言って何も起こらなかったので自分の思い過ごしだったらしいと安心していたのだが…………そろそろ寝ようと毛布を広げていたところに、柏木宅急便の配達員さんから“お荷物”が届けられたわけである。

 言うまでもない。茜だ。

 そしてここで重要なのは、彼女が抵抗らしい抵抗を見せなかったということだ。そして更に、今こうしてぴったりと身体をくっつけてきているということ! ――まさかとは思うが、ひょっとして、覚悟の上、なのだろうか……。そういう経験の無い武には些か刺激が強すぎる状況である。訓練中や作戦行動中は男も女も一切関係なく、また、そういう意識さえない。だが、ひとたびそういう場から離れてしまえば、矢張り武とて健全な男子であり、茜は――それはもう、飛びぬけて魅力的な女の子なのだ。このまま一晩明かすことになれば、そう遠くない、具体的には数時間後には理性の糸が切れて襲ってしまいそうである……それだけは、なんとしてでも避けたい。

 いい加減、腹を括るべきか――。ぐ、と拳を握り、唾を飲み込む。しっかりと理性を働かせて、茜を見つめる。すぐそこに、目の前に、触れそうな距離に、ふっくらと柔らかそうな唇がある。多分、そこに触れたならとてつもなく満たされるのだろうけれど――あ、マズ……。茜が目を開けた。真っ直ぐに、武の目を射抜く。くすっ、と。小さく微笑んだ瞬間に、武の脳髄を甘く艶美な香りが満たす。「部屋にもどれ」。そう言う筈だったのに――くらっ、と。全身の力が抜けるように痺れる。気づけば両手で茜の肩を抱いていて、二人の距離は重なり合っ――――



「こらぁ貴様達! とっくに就寝時間を過ぎているぞっ!? なにをやっている!!」

「「「わぁぁあああ!??」」」



 びくぅ――ッ! と。

 武の心臓が、というか全身が跳ねた。突然の怒声と悲鳴に振り向けば、どうしてか開かれた部屋のドアに、そこに雪崩こむように積み重なった晴子以下お馴染みの面々。ちっ、と舌打ちをしてあっという間に見えなくなったのは間違いなく美冴だったし、続いて逃げようとしたところを怒声の主らしいみちるに掴まれて足掻いているのは水月だろう。一番下で潰されている晴子はぎゅうう、と苦しそうだ。

 …………そこまで見れば、誰だってわかる。覗かれていた、のだろう。うん。

 怒声と悲鳴に驚いた拍子に茜から距離をとっていた武は、ぱくぱくと口を開閉させるだけで、冷静な思考を取り戻せない。全て晴子の目論見だったのだろうことに気づけたのは、みちるが強制的に全員をシミュレータルームへ連行すべく怒鳴り散らした後であり……

「あー、白銀、涼宮」

「…………なんでしょう」

「…………………………………………避妊はしろよ?」

「出てってくださいっっっ!!!!!!!」

 ひょこ、っと最後にもう一度顔を出して要らぬ助言をくれる隊長殿に、真っ赤になりながら叫ぶしか出来ないのだった。







 その後、結局武と茜もシミュレータルームへと向かい……皆に散々冷やかされながらも、汗とともにそれぞれの衝動というものを鎮め、そして――一人、自室へ戻り、床に就く。

 そして。

 夢を見た。

 純夏がいて、両親がいて、仲間がいて、――BETAがいない、そんな、夢のような夢を…………。

 ああ、夢なんだ……と。そうわかるくらい、ぬるま湯に浸っているような、狂おしいほどの、在り得ない……。



 ユメを、見た――。



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