『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「守護者編:三章-01」
「――207全員集合しました」
榊千鶴の報告と同時、第207衛士訓練部隊B分隊の少女五人が整列する。踵を合わせ、背筋を伸ばし、一矢の乱れなく……けれど、全員が困惑を浮かべている。非常召集のサイレンが基地中に鳴り響いたのがつい数分前。久々の休日に羽根を伸ばそうとしていた矢先の、唐突な出来事。入隊以来初めて聞く、けたたましいサイレンの音に驚愕し、ともかくも全速力で駆けつけたそこには教官の神宮司まりも軍曹が居て――少女達は、一様に教官の言葉を待った。
「よし、状況を説明する――」
全員の困惑を受けて尚、常と変わらぬ厳しい表情。けれど、それもどこか緊張感が漂っているように見える。まりもが発する気配に、訓練兵である少女達は出来得る限りの冷静さで対峙した。厳しい視線のまま、まりもは告げる。
――0620、佐渡島ハイヴから出現した旅団規模のBETAが海底を南下。日本海に展開する帝国海軍の海防ラインを突破した敵は新潟に上陸。旧国道沿いに展開していた帝国軍第12師団を食い潰しながら内陸部へ侵攻したBETAは、一時ロストされ、三十分後に確認されたその時、第二防衛線を突破。八海山の北西10キロの地点まで到達した。
「は、八海山……」
息を呑むように、千鶴が言葉を漏らす。……残る面々こそ何も言わなかったが、誰もが同じ気持ちだっただろう。――そんなところまで。
僅かに一時間と三十分。ハイヴ出現の確認からたったそれだけで、もう八海山まで侵攻している。その大きな理由としては帝国軍の対応の遅れがあるが、展開中の部隊だけで旅団規模の敵を抑えきれないのも確か。ともすれば恐怖と混乱に空回りしそうになる頭が、無意味に座学の知識を引っ張り出し、旅団規模のBETAの物量というものを想像しようと足掻いてしまう。帝国軍が抑えきれないBETA。BETAの脅威はその物量……旅団規模、侵攻速度、――もう、八海山まで来ている。
「更に、北関東絶対防衛線に沿う形で南下し、新潟、長野、群馬の三つの県境より急遽南東に進路を変えた。……このまま侵攻を許せば、絶対防衛線を超えるのは明らかだ」
続けられるまりもの状況説明に、はっと意識を戻す。自身がいつもの状態にない――“冷静ではない”と気づいて、千鶴は気を引き締めるように拳を握る。認めよう。自分は今、間違いなく恐怖している。いや、自分だけではない。部隊の仲間達……御剣冥夜、彩峰慧、鎧衣美琴、珠瀬壬姫……その全員が、口には出さないが、少なくない恐怖を覚えているはずだった。
チラリと視線を向ければ、そこには冥夜の横顔。常日頃から己を律し、精神共に鍛え磨かれている彼女の視線は鋭く、真っ直ぐにまりもに向けられている。硬く握られた拳が、千鶴同様に恐怖を押し殺すためなのだとしても、千鶴はそれを笑えない。怖いのは誰だって同じだ。――訓練兵。そう、自分たちはまだ、“護られるだけ”の新兵以下。実戦に立つこともない、戦場のお荷物。
……そうならないために日々の訓練を必死になってこなしているというのに、こんな程度で竦んで堪るか。千鶴は内心で、自身を強く奮い立たせる。大丈夫。やれる。自分は、自分たちは足手まといのお荷物になんかならない。
怖い。BETAが来るなんて想像しただけでも卒倒しそうに。でも、そうやって怯えていれば誰かが助けてくれるなんて甘い考えは捨てよう。自分は衛士を目指す者。衛士となるために訓練を重ねている。――衛士とは、護るものを指す言葉だ。衛士とは、戦うものを表す言葉だ。だから、負けない。気持ちだけでも、強く持ってみせる。
果たしてその気概は千鶴一人のものではなかった。教官であり先達であるまりもには、五人全員が同じような瞳をしているように見える。気概だけは当に一人前。そう思わせてくれることを誇らしく、そして不敵に思った。成長を見せてくれる教え子を頼もしく感じながらも、今はそんな感慨に耽っている暇はない。まりもは続けて状況を説明し……そして、敵の予測目標地点を明らかにした。
目標、横浜基地。
全員の目が見開かれ、息を呑む気配が伝わってくる。如何に訓練兵とはいえ、その言葉の意味するところを理解できない愚か者はいない。故に、気づいたのだろう。まりもの目に映る彼女達は、皆、この場所が戦場になる可能性に思い至り…………BETAと交戦するかもしれない可能性を、知ったのだ。無論、可能性である。帝国軍が戦線を後退させるようなことにならない限り、それは在り得ない。だが、相手はBETAだ。この三十年余りの歴史を見れば、誰だってわかるだろう。人類はいつだってBETAに虐げられてきた。ニンゲンの想像が及ばない敵。それがBETAなのだ。
だからこそ、どんなに小さな可能性なのだとしても。それは覚悟しなければならない。覚悟を持たなければならない。その意味を込めて、その思いを込めて、まりもは厳格に告げる。兵士として完成していない教え子達に――“戦う覚悟”を。
「帝国軍の戦線が後退し、当基地が防衛基準態勢1に移行した場合、訓練兵である貴様達も戦闘に駆り出される。……いいか? これは訓練ではない。我々の目の前で、そして今現在、同胞が命を賭して敵と戦っているのだ」
千鶴が、一層強く拳を握った。
冥夜が、一層強い視線を向けた。
慧が、一層強く表情を引き締めた。
美琴が、一層強く気を持たせた。
壬姫が、一層強い感情を見せた。
――全員が、戦場で戦う同胞の姿に、強く、強く畏敬の念を抱き、そして――自身もその一員として戦う覚悟を抱いた。
まりもの命令が響く。完全武装で命令あるまで待機。一糸乱れぬ敬礼を見せて、207B分隊の少女達は、初めての戦場となるかも知れないこの基地を――――駆け抜けた。
===
厚木基地より帝国軍への支援部隊が出撃するよりもはやく、横浜基地より出動した部隊があった。各基地、部隊への通達は一切なし、香月夕呼副司令の独断によって前線へ出撃したのは、彼女の誇るA-01部隊第9中隊――ヴァルキリーズ。伊隅みちる大尉を筆頭に、総勢十三機の蒼の不知火は戦線の真っ只中に居た。
帝国軍よりBETA出現の第一報を受けるよりもはやく、監視衛星から送信される映像の変化に気づいたピアティフ中尉が、副司令であり直属の上司であった夕呼へ報告。それを受けた夕呼が即座に出撃を命じ、慌しくも、“想定内”の出撃態勢は整えられた。
そう、この出撃は想定内だ。そして――それが佐渡島であることも。
未来を予知したわけではない。ただ、夕呼の脳内では“そういう可能性”が想定されており、そのための準備をあらかじめ用意しておくように、特務部隊であるA-01へ言明していただけだ。全ては“想定”の内。これは、『概念実証機』の性能を実戦評価するために考案されていたものの一つだった。新型OSである『概念実証機』のデータ集積は、A-01部隊の働きもあって着々と行われている。既に必要な諸データの整理を終え、OSのヴァージョンアップも実用段階にまで行われている。残すは実戦での戦闘データの蓄積、或いは評価であり、そのための手段として、夕呼は複数の案を打ち出していた。
即ち、ハイヴ内BETAの間引き作戦。若しくは防衛戦に代表される作戦。……攻めるか受けるか、そのいずれもの対応方法をあらかじめ想定し、用意しておいたのだ。
対象として設定されたのは、国内に存在する甲21号目標と、直近の甲20号目標。共に監視衛星の映像を二十四時間体制で監視し、BETAの動向を探っていた。連中から攻めてくるというならば防衛戦、或いは掃討戦に参加して、新型OSの性能を試す。間引き作戦を立案することも考えていたが、実行に移す前に向こうから来てくれたので、これは今となってはどうでもいい。
日の出と共に出撃したA-01部隊は大型トレーラーに機体を搬送させ、旧関越自動車道を北上、前橋IC跡から、戦術機による匍匐飛行で移動を開始。山岳地帯であるために見通しは悪いが、いきなり光線級の洗礼を受けなくて済む分、移動は楽なものであり……それ以上に、間に合うかという気持ちの方が強かった。
この、“間に合うか”というのは――要するに、敵がまだ残っているか、というソレである。
友軍――この場合帝国軍だが――の生存を案じているのではなく、『概念実証機』が餌食とすべきBETAがまだ「残存」しているか、を指す。夕呼から出撃命令を受けたとき、みちるはその旨をわざわざ告げられていた。ヴァルキリーズに求められるのは『概念実証機』、新型OSの実戦評価。そのデータを蓄積し、持ち帰ること。それに尽きる。帝国軍がどれだけの窮地に追いやられていようと関係ない。或いは全滅してしまうようなことになろうとも、優先されるのは救援ではない。
新型OSの性能総てを以って、敵を完膚なきまでに殲滅すること――それが、最大にして絶対の目標である。
故に帝国軍や近隣の国連軍基地へ通達はなく、秘めやかに、けれど迅速に部隊は出動したのだ。戦場でその戦乙女の姿を見るものも在るだろう。共に戦場を駆け巡るものも在るだろう。……だが、彼らはただそこに在るだけで、“共に戦うもの”ではない。言うなれば観客。観衆。ギャラリーだ。『概念実証機』。その性能。三次元機動の集大成であろう『概念機動』を体現せしめる新型OS、それが見せる圧倒的戦力。その暴虐ともいえる凄絶さを、ただ呆然と見つめるだけ。――それだけでいい。
だから、今、こうして目の前で繰り広げられる“常識の埒外”であろう戦闘の光景を。
彼ら帝国本土防衛軍第5師団211中隊の全員が成す術もなく見守っているだけであるのも、ある意味では当然のことだった。
『おいおいおいおいっ!!? 何だこいつら! 一体どこの部隊だッッ!!??』
『国連っ!? 新型……か?! いや、しかし!!』
『……なんて連中だよ……信じられん……ッッ』
突如として戦線に突入してきた蒼い不知火。国連軍カラーのそれが上空から飛び込んできたかと思えば、次の瞬間には地面を抉るように旋回し、次々と螺旋軌道の渦を巻き、暴虐の限りを尽くしている。中隊長はそれを国連の支援部隊かとも思ったが、それにしては何の通信もないのは妙だ。……しかも、その一機。イキナリ介入してきて、イキナリ見たこともない機動で突撃級を突破し、要撃級を薙ぎ払っている両刀の戦闘スタイルに、愕然としてしまう。
そう、一機だ。
単機で吶喊したその不知火は、尚も一機のままBETAの前衛部隊を翻弄している。連携を組む相手もなく、支援砲撃もなく、唖然と息を呑む自分たちの目の前で、烈しい戦闘を繰り広げているのだ。――刹那、空から36mmの雨が降る。データリンクが更新され、網膜投影ディスプレイにも、もう一つの蒼が映し出される。不知火。同じく国連軍カラーのもう一機が、まるで台風のように暴れ回る「08」の機体に追随し、その暴風から漏れる小型種を蹴散らしていった。
――その機動を、なんと表せばいいのか。
不覚にも、再び中隊長は息を呑み、呆然としてしまう。戦場で“我を忘れる”ことの愚かしさを身を以って知っている隊長だったが、けれど、どうしてかこの場ではそれこそを忘我していた。呆けていては死ぬ。そんな単純な式を忘れてしまうほどに、その不知火の見せる機動は在り得ないものだった。
先の不知火が地面を這いずり回る暴風なら、この不知火は中空を舞い躍る熊蜂だ。一度たりとも静止を見せず、地に降りては突撃砲で薙ぎ払い、中空に跳んでは矢張り突撃砲で薙ぎ払う。或いは要撃級を踏み台にして攻撃を回避し、或いは山肌を蹴りBETAの集団を狙い撃ち――とにかく、めまぐるしい、まるで曲芸のような機動に茫然とする。一つひとつの機動の意味を理解できないのに、いや、そもそもそんな機動は見たことも聞いたこともないはずなのに、――わかる。「強い」「凄い」「なんてヤツだ」。その実感。その直感。
恍惚にも似た昂奮が込み上げる。目の前で繰り広げられる“虐殺”を見て、叫んでしまいたい衝動に駆られる。
――ニンゲンが、BETAをこんなにも一方的に――
そう。事実として、その二機が戦線に乱入してきてから実に数分が経過したわけだが、その間、211中隊が誰一人まともな戦闘行為を行っていないというのに、味方の被害はゼロ。単純に信じられない。けれど、データリンクは正常で、そして、通信機から聞こえてくるのは自分同様に昂奮した部下達の歓声。
『――こちらは国連軍横浜基地所属、伊隅大尉だ』
「!」
突然割って入った通信にハッとする。指揮官権限で繋がれたそれは音声のみだったが、それには一切頓着せず、緊張と昂奮が混じり合った声で返信する。やや落ち着きのある中世的な声は女性のものだったが、――それよりもなによりも、告げられた内容に驚愕する。
「ばっ、ばかな!? 我々には絶対防衛線を死守する任務があるっ! 支援してくれるというなら喜んで力を借りる! だが――ッ?!」
『貴官の要求は聞いていない。もう一度言う。貴官らはこのまま待機、我々がBETAを殲滅するのを黙って見ていろ』
ぐっ、と。口を噤む。指揮官らしい“伊隅大尉”の言葉は冷徹で、そして理解不能なものだった。わざわざ横浜基地から支援のために出撃してきたのかと思えば、それが「支援ではない」ときた。しかも、言うに事欠いて「黙って見ていろ」とまで言われたのだ。説明らしい説明は一切なし。こちらが新任大尉であることを向こうは知らないはずなのに、その声の迫力に呑まれて何もいえない自分が恨めしい。
舐められている。誇りある帝国軍が、同じ日本人らしい国連の女に、完全に舐められている。だが、そんな怒りに震える暇もなく、蒼の不知火――ヴァルキリーの部隊表示がされている――が次々に戦線に突入してきて、そこで再び、息を呑まざるを得ない光景を目の当たりにする
総勢十三の不知火。戦場を切り裂くその姿は圧巻の一言にさえ収まらず――どうしても、目の前のそれが信じられない。あまりにも現実味がない。あまりにも突拍子がない。先の二機だけが異常なのではなかった。全員が異常だった。部隊一つが異常な戦力を誇っていた。
機動。スピード。三次元空間を巧みに利用した戦闘。そんな発想は脳内になく、そんな機動は理解の埒外であり。
ならばそれは、如何なる道理か。
ニンゲンが、BETAを圧倒する。この光景を、この、今目の前で繰り広げられている一方的な“虐殺”を。一体誰が現実だと信じることができるのか。――否、これこそが紛れもない現実だ。思考の中から、国連大尉からの罵倒が消える。あの女が言っていたことはこのことだったのだろうか。……だから「見ていろ」と、そう言ったのか。我々の支援のためにやってきたのではなく、我々の援護を必要とするのでもなく、ただ、ひたすらに。
BETAを、駆逐、殲滅する。
例えばアレは新型の不知火で。例えばアレは改良された不知火で。その性能を実証するための評価試験なのだとしたら――? あながち、的外れとも思えない想像が浮かぶ。現に、部下の誰かが口走っていた。なるほど、“あの”横浜基地なら、そういう可能性が出てきたのだとしても何ら不思議はない。女狐の異名で畏れられる天才科学者が潜む“あそこ”なら、こんな化け物部隊がいたって頷ける。
――ああくそ、でも。
悔しいじゃないか。あいつらは目の前で、それこそほんの数百メートル先で暴れまわって、滅茶苦茶をやって、そして……BETAを殺している。潰している。蹴散らして、打ち砕いて、斬り裂いているじゃあないか。あの動き、あの性能。アレが自分たちにもあれば――羨ましい――そして、我慢なんて出来るわけがない。
『た、隊長――ッ! どうするんですかっ!?』
『まさか本当に待機なんて!? 冗談じゃねえ!! こんなにも凄ぇ光景見せられて、はいそうですかって黙ってられませんよ!!』
そうだ。黙って見ているなんて、できるわけがない。
さっきからずっと血が滾っている。向こうの大尉の言いようにカチンと来たことなんてスッカリ抜け落ちてなくなっている。一体どんな目的があって彼女たちがここまでやってきたのかは知らない。――知らない、が。だからと言って、大人しく引き下がるほど聞き分けのいい自分たちではないのだ。まして、ここは帝国軍北関東絶対防衛線。抜かれるわけには行かないのはこちらも同じ。むしろ、新型兵器なのだろうそれの実戦証明を行っている彼女たちよりは遥かに、この戦闘に見せる意気込みは高く崇高なはずだ。
そして……如何に高性能な機体に乗り、BETAを圧倒的に散らすことができようとも。
連中の脅威とはその物量であり、たった十三機の戦術機だけでどうにかできるものでもない。……元々は一個大隊で相手にしていたのだ。部隊は分断され、この場には自部隊を残すのみ。ならば――
「なら、貴様達の隙間から漏れ出てくるヤツらだけでも、やらせてもらう!!」
咆哮染みた隊長の号令に、211中隊の全員が応じる。山裾に陣取っていた陣形を徐々に平地へと移動させ、這い出てくるだろう小型種に狙いを定める。ヴァルキリーズは地形を利用してBETAを押さえ込んでいるようだったが、どうしたって撃ち漏らしは出てくる。それを一掃すべく行動を開始した211中隊に、通信が開かれた。
『こちらヴァルキリー1。我々の背後は貴官に任せる……これでいいか?』
「――ハッ、好きにすればいい。……こちらはこちらの任務を果たすだけだ!」
言葉尻が苦笑しているような伊隅大尉の音声に、鼻で笑う。その一言だけで、彼女の本来の人となりというものがわかってしまった。恐らくは新型の実戦評価こそが最優先命令なのだろう。そして、この場がその試験会場として選ばれたというのなら、当然そこで戦っている自分たちの生存など二の次のはずだ。軍人として割り切っているが、実際の本音はそうではない。……そういう気優しい心情が伝わってきて、中隊長である彼は忌々しく笑うのである。
『隊長、照れてますよね』
『ああ、絶対美人ですよ今の。間違いないです』
「やかましいぞっ!? オラオラオラ! さっさと配置につけ!」
男女入り混じった部下達の揶揄が続く。……こいつらは今が戦闘中だという自覚があるのだろうか。いや、自分だって茫然としたり忘我したり、随分と隙を見せたものだったが。
211中隊は陣形を敷き、ヴァルキリーズは更に戦中へと突撃していく。山の向こうから響く戦闘音と、データリンクが見せる異常なまでの戦績に再び頬を引き攣らせながら……彼らは、こうして新時代の幕開けを一番に目撃することとなった。
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新任たちを出撃させることを決定したのは、ひとえに『概念実証機』の性能にある。
白銀武という存在が彼女たちの才能を成長させる起爆剤となったことも理由のひとつだ。元同期の先任少尉。たった二ヶ月の差でしかないが、その開きは彼女達を発奮させるには丁度よく、そして、全員が常以上の努力を重ね、着実に成長を重ねていった。隊長であるみちるはそれら新任少尉五名の成績を客観的に判断し、副隊長の水月の意見も聞き入れた後に、新人教育に充てる期間の短縮を検討していた。
既に中隊としてシミュレータ訓練や実機演習にも参加していたが、通例では、任官から約三ヶ月の訓練期間を経ての実戦参加、という流れになる。つまり、八月末に任官した彼女達は、通例に従うならば十一月末以降の実戦に参加させるべき、ということになる。……別に拘る必要もないのだが、国連軍内部ではそれが罷り通っていて、事実としてみちるも水月もその訓練期間を経ている。
無論、人手が足りず、任官したてのヒヨッコだろうがなんだろうが、問答無用で戦場に叩き込まれる状況というものは存在するのだが……幸いにして、この横浜基地ではそこまで逼迫した状況に陥ることはなかった。
A-01部隊、ヴァルキリーズの構成員は新任の五名を含めて十四名。実際に戦場を駆け回る衛士は一名減の十三名。新任を入れてようやく中隊規模だ。余裕がある、とは言い難い。先の光州ハイヴ間引き作戦――『伏龍作戦』――において四名が戦死し、八名となったヴァルキリーズは、無論、二小隊編成でも戦えないわけではない。だが、既に補充要員が存在し、そして彼女たちが目覚しい成長を見せるならば、それを使わない手はない。……そう判断するのは当然だった。
作戦の規模にもよるだろう。なにせ、初陣の衛士は“死に易い”。大規模作戦に投入して混乱のままに死なせるのは惜しい。反面、それほどの作戦ならば少数で参加すれば全滅の可能性もある。軽易な作戦でもあればいいのだが、戦争に“軽易”、なんて言葉は存在しない。なんにしても部隊長であるみちるの判断一つ、というわけだ。今更確認するまでもない。だからこそみちるは彼女たちの訓練期間の切り上げを検討したのだし、相談を受けた水月も真剣に吟味した上で同意したのだ。……不安がなかったわけではない。が、それ以上に、彼女達ならば見事やってくれるのではないか、という期待が勝った。
――そして、その僅かな不安さえ帳消しに……いや、遥かに上回った要因が、『概念実証機』だった。
元々戦術機に触れていた期間がみちるたちに比べて短かった、ということもあるのだろう。誰よりもはやくその性能を存分に使いこなして見せたのは多恵だし、続いて亮子、茜、薫、晴子……と、新任たちが『概念機動』の習得に成功していた。
その時点で既に先任である武と同程度の実力を有し、彼が『概念機動』を我が物としてからは全員が飛躍的な成長を見せた。……つまり、最早新任先任の差はなくなっていると言っていい状態なのである。あるとすればそれは「実戦経験の差」であり、そしてこればかりは経験しなければ得られない。既に操縦技術は一人前であり、そんじょそこらのエース部隊にも引けを取らないほどの実力を有するならば、一日でも早い実戦経験が望ましい。ということになる。
夕呼には夕呼の、『概念実証機』の実戦テスト、という思惑があり、みちるにはみちるの、新任少尉たちに実戦経験を、という思惑があった。そして、丁度よい――BETAとの戦争の歴史を考えれば、非常に不謹慎極まりないのだが――タイミングで、敵の方からやってきたのである。夕呼は即座に出撃を命じ、あらかじめそういう状況を想定し、準備していたヴァルキリーズは出動する。新任五名を引き連れて。
十三機の蒼の不知火が、戦場に飛び込んだのだ。
初陣。その言葉の響きに緊張を覚えなかったといえば嘘になる。茜は87式自走整備支援担架から自機の不知火を起こしながら、一度、深く息を吸った。夜明けの太陽が自身の名前のように燃えている。美しいとさえ思える光景に眼を細めながら――本当にこの山の向こうにBETAが居るのか――現実に追い付けていないらしい脳を覚醒させるべく、深呼吸を繰り返す。
それを緊張と見たのか、強気で勝気な水月の笑顔が網膜投影に映し出され、ニヤニヤと笑う彼女が早速に新人をからかい出す。それらは茜だけに向けられたものではなかったが、真っ先に彼女を標的とするあたり、水月はよくわかっている。新任五名の中心は、茜だ。別に自惚れているわけではないのだが、茜自身、それを認識していた。どこか茜に対して依存を見せる多恵然り、晴子も薫も、そして亮子も。皆、茜を中心として纏まっており、彼女のために戦うというような気概を見せている。
それを知らぬ水月ではないし、見過ごす水月でもない。部隊長のみちるが軽口を嗜めるように笑うが、その表情を見ればみちるも水月同様に思ってくれているのだとわかる。
やれ好きなだけ漏らせだの、涙と鼻水でぐしゅぐしゅになれだのと意地悪を言うのは、初めての実戦で凝り固まっている茜たちを笑わせてリラックスさせようという優しさからだ。……女性が用いるような表現ではないような気もするが、軍隊に入ってからというもの、むしろそういう気恥ずかしさは薄れる一方だったので問題ない。水月の気遣いに茜は笑顔を見せ、他の四名も同様に笑い合った。晴子に薫は水月も初陣の時に漏らしたのかと混ぜっ返すし、茜も笑いながらそれに追従する。
既に全機支援担架から立ち上がり、出撃準備は完了している。みちるは軽口を叩き合う部下達をただ一声で律し、出撃の号令を下す。一瞬、茜は……いや、新任の彼女達は表情を強張らせた。――遂に、このときが来た。
ずっとこの日を待っていた。帝国軍に志願した日を思い出す。あの日、胸に抱いていた想いを手の平に握り締める。
仲間達と出逢い、仲間達を想い、辛く厳しい訓練を重ね、自身の力及ばぬ場所で起きた悲劇に涙し、無力さをバネに精進を重ね、肉体を精神を鍛え、技術技能を磨き。
そして遂に。
戦場に立つ――。
操縦桿を握る腕が奮える。恐怖に震えたのではない。昂ぶる闘志に、奮えるのだ。先程の緊張とは違う、全身が燃えるような緊張感。表情を引き締め、ぐっと丹田に力を込める。B小隊が先陣を切る。跳躍ユニットが見せる気焔を網膜に映しながら、茜はフットペダルを踏み込んだ。
全身を包むGを感じながら、山間を滑るように跳ぶ。『概念実証機』の性能を以ってすれば、ただ跳躍するという行動も実に滑らかで無駄がない。不知火本来の性能を十二分に引き出すことの出来る新型OSの素晴らしさを今一度噛み締めながら――これなら、あたしだって戦える――強く、強くそう思う。シミュレータも、JIVESシステムによる実機訓練も、問題なくこなすことが出来る。先任たちとの連携だって万全だし、ハイヴ突入プログラムも五回に一度は生還できている。……ならば、このBETA殲滅戦。負ける道理はない。敗れる理由はない。
敗北は、即ち「死」だ。
自分はまだ絶対に死ぬわけにはいかないし、死なせるわけにもいかない。――愛するひとがいるのだ。彼を、愛しているのだ。その想いを告げることはなくとも、彼が自分を愛してくれていると理解できても……否、そうやって通じ合えたからこそ、死なないし、死なせない。
彼の背中は自分が護る。矢面に立ち、敵中で暴風と化す彼を、絶対に護る。
自身にそう誓った直後、彼――武から通信回線が開かれる。部隊間の通信で使用するオープン回線だった。
茜は気づいていなかったが、このとき、周囲では変わらずに雑談染みた会話が続いていた。常ならば嬉々としてその会話に割って入る茜の反応がなかったことをいぶかしんだ武が、どうやら彼女がまだ緊張しているらしいと読んで、回線を開いたようだった。ハッとして映し出された武の顔を見つめる。左眼から頬にかけて裂傷を残す彼は、ひどく穏やかで、そして凛々しい表情のまま、告げる。
『茜――心配するな。お前は俺が護る。絶対に、お前を死なせはしない』
「――――――ッ!?」
心臓が止まるかのような衝撃に、茜は息を詰まらせる。一瞬にして思考が凍りつき――否、灼熱して爆発しそうだった。
赤面するのがわかる。ばくばくと鼓動がうるさい。それと同時に、どうしようもなく嬉しいと感じる自分が居て…………茜は、真っ赤になりながらも、真剣にそう言ってくれた武に笑顔を見せる。
「ありがと、武。……でもね。あたしだって、武を護るんだから!」
そうだ。死なせたくない。死なせない――そう想っているのは、自分だって同じ。誰だって同じだ。武もそれをわかっているのだろう。しっかりと頷いてくれた彼は、茜の笑顔を見て安心したようだった。
『あ~~~ッ!! アッツイわねぇ、熱い熱い!! 見てらんないわよまったく!!』
『……シロガネ、戦闘前にノロケとは余裕だな。なら貴様には特別に単機での吶喊を命じるッ!』
『いや、真紀。大尉の真似しても全然似てないから』
『しかも単機突入なんて、全く作戦になっていませんわよ』
『速瀬中尉、熱いのはともかく、独り身のひがみはみっともないですよ。だからあれほど白銀を襲えと忠告したというのに……』
『――まぁ、白銀少尉も隅に置けないですね』
『んののの!? 速瀬中尉と白銀君がっ!??』
『あはははは! 白銀君もやるね~』
『おい茜! お前も負けてらんねぇぞ!?』
『はぅわわ、速瀬中尉が白銀くんを……だ、駄目ですッ! そんなおっきなおっぱい駄目なんですぅうう!!』
『…………あー、貴様ら、全員揃っていい度胸だ。この作戦が終わったら全員腕立て二百回!! いいなッ、莫迦者ッッ!!』
『んな! 俺もですか!?』
「……え、っと。え?」
なんだこれは。気がつけば全員が沸いたように盛り上がっている。どこからこんなことになったのかといえば間違いなく美冴のせいなのだが、それを曲解する梼子も梼子だし、そのまま受け止める多恵も多恵だ。……結論、ヴァルキリーズはそうなるように構成されている。信じたくはないが、そうらしい。
ともあれ、茜は苦笑するように武を見た。通信画面の向こうでは、武も同じように苦笑しているに違いない。全員が緊張とは無縁のやり取りを続ける中、けれど誰一人警戒を怠らず、操縦にも油断はない。極自然にそういうことが実行できている先任を、改めて尊敬する茜たちであった。
――と、指揮車輌に詰める遙から通信が入り、前方に展開している部隊がBETAと交戦中との報告を受ける。
『全機戦闘用意――。B小隊は先行して敵の足止めをしろ』
『ヴァルキリー2了解! ――武、あんたには格好のステージでしょ、存分に暴れなさい!』
『ヴァルキリー8了解!! 行くぜ築地ぃいいい!!!』
『りょ、了解!』
即座に放たれたみちるの命令に、まるでそれがわかっていると言わんばかりに水月が指示を下す。先行吶喊を命じられた武が咆哮と共に陣形から飛び出して行き、僅かに遅れて二機連携を組む多恵が吶喊する。それに追随する形でB小隊の残り三機が気焔を上げて――
『A、C小隊は左右に展開――宗像、当てにしているぞ』
『ヴァルキリー3了解。……大尉の手は煩わせませんよ』
そう、“初陣”という言葉で括るならば、美冴もある意味ではそうだ。小隊長としての実戦。C小隊を任されることとなった美冴もまた、これが“初陣”である。部下の命を預かる、という責任ある立場ならば、その緊張とプレッシャーは新任のそれよりも遥かに重く圧し掛かっているだろう。クールに装う美冴はそれを悟らせるつもりはなかったのだが、どうやらみちるにはお見通しだったらしい。……いや、きっと水月にだって知れていたのだろう。
だが、それを自分の部下に気づかせるわけにはいかない。上官が不安がれば、それは部下の士気に関わるからだ。……そういう配慮を利かせつつ美冴の緊張を解くことが出来るのがみちるであったし、美冴もまた、そんなみちるの気遣いに不敵に返せるくらいの気概は持っていた。
それぞれの指揮の下、部隊は展開する。各自が配置につき、支援突撃砲を構えた晴子がその銃口から火焔を噴く一瞬前、武が敵の真っ只中に突入する。物量で迫るBETAをただ葬り去るためだけに編み出されたという斯衛の剣術を存分に発揮しながら、両手に握る長刀でおぞましい血の雨を降らせている。――その機動たるや、戦慄の一語に尽きる。
従来の機動制御を超越している『概念実証機』。それは、空想と現実の融合を可能とした。戦術機というハイテクノロジーが秘める性能を十二分に引き出すことを可能とした新型OSは、文字通り、ニンゲンでは不可能な機動を実現させるそのシステムを大いに飛躍させることに成功している。機体自体に元々“そうできる”スペックがありながら、機動制御を処理するCPUが追いつかず実現できなかった経緯があったわけだが、高性能な並列処理能力を持つCPUに換装し、それを制御するOSの開発に成功したことで、それらを須らく解消することが出来たのである。
また、先行入力による機械的硬化時間の短縮、人的硬化時間の短縮も大きい。以前から“止まらないこと”を念頭に置いてきた武の戦闘機動は更に磨きがかかり、文字通りの暴風と化し、渦を巻いている。平面機動の集大成、とでも称せばよいのか。ともかく、常に接敵していながら、触れた先からぶった斬るその殺戮ぶりは圧巻の一言であり、シミュレータで見慣れていたはずの茜たちも息を呑んだ。
先の『伏龍作戦』で武の戦闘能力の凄まじさを肌で感じていた水月たちでさえ、『概念実証機』が発揮する『概念機動』を織り込んだことで進化を遂げた“月詠の剣術”に思わず呆気にとられてしまう。本来両手で用いる長刀を片手で、しかも両手に一振りずつ握っていながら――あの戦闘ぶり。はっきり言って異常だ。周囲を飛び跳ねるように突撃砲を撃ちまくっている多恵の機動も十分常軌を逸しているが、それは彼女たちも同様に行うことが出来る『概念機動』の延長だ。恐るべきは矢張りあの剣術なのだろう。一朝一夕で身に付くものではないのだろうが、機会があれば武に指南するのも悪くないのかもしれない。
特に意味もなく水月の思考が回転する最中、武と多恵の行動の隙間を縫うように、晴子が放った弾丸の雨がBETAを撃ち抜いていく。タイミングは上々。多恵も晴子も、とても初陣とは思えぬほどに落ち着いている。梼子と慶子が多目的自立誘導弾システムに搭載した多目的ミサイルを放つのを視認しながら、水月、真紀、薫の三名も戦線に突入。武と多恵が拓いた空間に降り立ち、即座に敵を薙ぎ払う。
みちるは指揮官権限で展開中の帝国軍部隊に音声回線を繋ぎ、後退を要請する。まだ若いらしい帝国軍大尉は激昂に似た感情を見せながらも、こちらの事情を察したのか、実に小気味よく背後を預かってくれた。生き残れば、いい指揮官になるだろう。ほくそ笑むみちるの横を、強襲前衛装備の旭が過ぎて行って、晴子の支援突撃砲が的確に援護を加えていく。C小隊は美冴を中心に梼子が次々に敵を撃ち取り、両手に突撃砲を構えた茜が敵を掃討していく。長刀を構えた亮子は旭と並んで要撃級を狩っていた。
全員が――凄まじい。
客観的に見ても、そう思える。それが新型OSの、ひいては『概念実証機』の性能なのだと。そうわかっていても、それを証明するための戦闘だと理解していても。その認識は覆せない。そう。凄まじいのだ、“これ”は――!
ドッペル1という不遇の衛士が生み出した、“夢のような”現実。これまでのBETAとの戦闘では考えられなかった速度で、次々と屍が積み上がっていく。後方支援に回ってくれた帝国軍部隊は今頃愕然としていることだろう。なにせ、実際に戦っている自分たちでさえ、この戦果を信じることが出来ないのだから。
だが油断するな。慢心はミスを招く。増長は死を招く。――ここは戦場で、戦っている相手はBETAで。
圧倒しているというなら、このまま叩く。最大限の注意を払い、最大限の戦果を。ほんの僅かの隙も見せるな。ほんの僅かの緩みも見せるな。敵は、この星を食い潰そうという……それが出来る強大な存在だ。石橋を叩き過ぎて困ることはない。余裕を見せて足元を掬われるような無能は晒せない。
この作戦、ただの一機も欠ける訳にはいかないのだ。
求められているのは圧倒的勝利。『概念実証機』の実戦データを持ち帰ることは勿論、新人達を死なせないことは当然、一機たりとも喪うことなく、そして、前人未到の偉業を成し遂げるのだ。
夕呼は『概念実証機』を完成させ、AL4の成果の一つとして発表する腹積もりだ。これだけの性能を秘めた新型OSならば、各国は喉から手が出るほどに欲するだろう。否、そうなるようなデータと偉業を持ち帰れと言っているのである。故に失敗は許されず。そして――失敗するつもりなどない。
だが敵もただ黙ってやられてはくれない。連中はこちらを生命体として認識していなくとも、道を阻む障害として「排除」しようと群がってくる。そして、矢張りその圧倒的に過ぎる数だけはどうしようもないのだ。如何に優れたOSを搭載し、従来では考えられなかった戦果を挙げられようとも、所詮こちらは十三機。一個中隊に毛が生えた程度の戦力でしかない。こちらの撃ち漏らしを掃討してくれている帝国軍211中隊が居なければ、もっと苦戦を強いられていただろう。否、戦場で戦っているのは戦術機に乗った衛士だけではないのだ。後方展開している戦車部隊の砲撃然り、支援車輌部隊然り。それらの尽力なくして戦争は成り立たない。BETAとの戦争は、文字通り人類全部の明日を賭けた戦いなのだから。
衛士一人、戦術機一機に出来ることはたかが知れている。……だが、その“たかが”を飛躍的に向上させることの出来るこのOSは矢張り素晴らしいものであり、だからこそ、一機たりとも喪うことは許さないという夕呼の命令は、心底に納得できる。故にみちるは自身も一切の油断なく戦場を駆け巡り、同時に、初陣である新任たちの動向に目を光らせるのである。――そして、武の動きをも。
BETAへの復讐。
そのどす黒い怨讐に捕らわれていた彼は、今も専門医のカウンセリングを受け続けている。頻度こそ少なくなったが、けれど、こればかりはやめさせるつもりはない。武本人も継続を望んでいて、現在は非常に良好な状態にあるとのことだったが……確かに、現状暴走を見せるような気配はない。だが、過去に見せたBETAに対する気狂いを思い出せば、一抹の不安というものは早々拭い去れるものではない。
戦闘に出撃させることを不安に思う、というわけではない。むしろ、そんな不安があれば出撃などさせるわけがなかったが……みちるの不安とは、“そういう”衛士としての質を疑うものではなかった。茜や水月、或いは月詠真那との触れ合いの中で“乗り越えた”と思わせてくれる武のことは信じている。では何を不安に思うかといえば、即ち、この戦闘を通して、“吹っ切れるかどうか”だ。
無論のこと、そうできると信じたからこそ出撃させているわけである。今更不安に思ったところで最早どうにも出来ない。決定を下したのは自身であり、武本人にも確認を取っている。武はハッキリと言ったのだ。――俺はもう二度と、絶対に道を間違えません。
腰に提げる刀を握り締めながら。強く。自信と確信に満ちた瞳で、みちるにそう宣言したのである。――ああ、ならば何を不安に思うことがあるだろう。何の心配も要らない。男が言ったのだ。それを疑うのは隊長として度量が小さいというものだろう。36mmのトリガーを一秒引く間にそう結論付けて、みちるは空中に踊りあがる。直前までみちるが居た場所に戦車級と要撃級が群がっていて――回避と同時に、突撃砲が火を噴く。
幸いにしてこの戦場にレーザー属の姿はない。姿がないからといって存在しないわけではないのだろうが、それでも、空を戦闘空間の一つとして掌握することに成功しているヴァルキリーズにとって、連中の姿が見えないことは大いにプラスとなる。迫り来るBETAを跳躍して回避すると同時に機体を捻って狙い撃つなんていう芸当も、最早当たり前。……それだけの訓練を積み重ねたのだ。ドッペル1が現れてから僅か二週間弱。一切の常識を超越した麒麟児の機動を再現し、我が物とすべく足掻きに足掻いたのだ。その自負が、A-01部隊をより攻撃的にさせる。
武は透き通るような昂ぶりを感じていた。かつてシミュレータで垣間見た、血が沸くような境地。BETAへの復讐を咆え叫ぶ自分と、まるで機械のような冷静さで正確無比に殺戮する自分。そしてそれを客観的に俯瞰する自分……自身の無意識領域を自覚なしにリーディングしていた、あのときに似た感覚。……だが、今のソレは、あの頃のような寒気に襲われるものではなかった。
機体の性能が武の理想とする剣閃に合致している、とでも言えばいいのか。或いは、武の技量がその高みに到達している、と。いずれにせよ、今の心情を表現するには足りない。感情は間違いなく昂ぶっている。興奮している自分、というものはしっかりと自覚している。みちるも、そして自身も危惧していた“BETAへの怨讐”は、恐れていた暴走もなく、静かに漂っている。だが、決して失われたわけではないし、いつこの体を支配するとも限らない。強い意志。二度と過ちを犯さないという意志を保ち続ける。二度と道を間違えないという誓いを胸に刻みつける。
それら、自身を戒める“過ちからの教訓”があればこそ、武は暴走しないで済んでいるのだと理解する。志乃を始めとする先任の死、自らが斬り落とした夕呼の右腕。真那、水月への想い。純夏、茜への強い愛情。――それら全部が、武を支えてくれている。それら全部が、復讐者を穏やかに眠らせ、守護者としての決意に満ちた己を前面に押し立ててくれている。
故に自身に暴走はない。猛る衝動は総て理性の名のもとに手綱を握り、今は、ただ螺旋を描く。
――実(げ)に恐ろしきはその物量、故に我が剣はそれに対する究極と知れ――
真那の言葉が脳裏に蘇る。幼き日の師匠の教えが胸に宿る。そう。この剣術は、ただひたすらにBETAを斬り刻み惨殺するために。警護対象である将軍家縁者の身を護るため、ただそのために敵を屠り続ける無限螺旋。敵が怒涛で迫るというのなら、その真っ只中で暴風と化す。懐中こそ独壇場。向かってくる敵を片端から血祭りに上げる!
「ォぉぉおおおおおおおおお!!!」
その機動は極めて異色であり、派手なものだ。地面を這いずり回るように旋回を続け、慣性と遠心力の働くままに長刀を振るい続ける。その一刀は全てが磨き抜かれた技であり必殺。腹の底から振り絞られる咆哮は正に《戦鬼》を彷彿とさせる。
無論、武一人で戦っているわけではない。そして、彼一人で迫り続けるBETAを殲滅できる道理もない。シミュレータ訓練の結果を見ても、武一人で時間稼ぎが出来るのは精々が七~八分程度。十分持てば奇跡に近い。もっともそれはハイヴ坑内での話なので、物量そのものが異なる現状では一概にそのとおりとは言えない。が、それでも一度に相手に出来る数には限度がある。武の場合、両手に握る長刀と背部パイロンに固定された突撃砲を制御しての三点同時攻撃を組み合わせることで通常の衛士の平均撃墜数を軽く超えているが、何十にも折り重なったBETAの包囲網を単機で生き延びることは難しい。
かつて水月にも言われたことがある。武が用いる剣術ほど乱戦向きなものはないだろう。即ち、武は囮役としてこれ以上ないくらい、適任ということになる。ならば囮を買って出た武が数十のBETAを惹きつけるなら、ソレを撃ち取るのが二機連携を組む多恵の役目であり、或いは残るB小隊、A、C小隊の役目だろう。
武は殺戮マシーンと化してBETAを駆逐して行き、彼が進む道には屍が積み上がっていく。斬り裂く度に噴き散る紫色の体液に機体を染め上げる中、かつての自分を当に超えてしまっているのだと唐突に悟る。復讐に濡れ、妄執に溺れ、周囲を見失った愚かな自分。精神も覚悟も未熟だった、半人前の自分。救ってくれた人を死なせ、たくさんの人の想いを裏切ってきた自分。――そういうものを思い出して、全部、受け止める。
「今は、BETAを斃すッ!」
考えるのは後でいい。しっかりと刻むのはこの戦闘が終わってからでいい。今はただ戦え。一分一秒でも長く敵を惹きつけろ。一体でも多くの敵を殺せ! 復讐ではなく、ただ、衛士として。護るために。生き残るために。戦って、戦って、戦って!! 勝利を。『概念実証機』の性能を見せ付けろ。証明して見せろ。これは、そのための戦いだ。――俺の復讐は、決して終わらないけれど。でも、それだけのために生きることはしない。
多恵の援護によってBETAの戦列が途切れる。一瞬開いた包囲網の隙間に飛び込んで一時後退、要撃級の脇をすり抜け様に、ボロボロになった長刀を突き刺す。空手となった左腕に多恵の長刀を受け取って、代わりに予備の弾倉を渡す。交錯は僅かに一秒。武は再び渦中に飛び込もうとするが、それよりもはやくBETAの群れに突入する機体があった。02のナンバーをつけた不知火が両手に構えた突撃砲を撃ちまくっている。――先を越された。武は不敵に笑うと、敬愛する小隊長に並び、再び渦を巻く。水月が右翼の敵を相手取ってくれるおかげで、武は先程よりも効率よく敵を減らすことが出来た。
B小隊は現在五機編成であり、武と多恵、真紀と薫の二機連携二組に、フリーである水月が全体の指揮を執ると同時に双方の支援を行うスタイルを採っている。また、現在のように水月自らが敵と対面する場合もあり、そのときは臨時的に三機連携となるが、それも今日までの訓練で繰り返してきた戦法の一つだ。故に武も多恵も水月との連携に何の迷いもなく、僅かの乱れもない。互いが互いの行動の結果を予測し、予想し、最大効率を果たすべく緻密な戦闘を繰り広げていく。
一見派手で無軌道に見える武の螺旋剣術も、水月の行動を阻害するものではないし、水月と多恵が絶え間なく撃ち続ける突撃砲も、実に手際よく武の進路外の敵を屠っていく。更にはその彼らが接敵している敵の前衛以外――後方に控える要撃級に戦車級といった主力群を片端から撃ち抜く晴子の狙撃や、制圧支援である梼子、慶子の砲撃も須らく見事としか言いようがない。
実戦でそれが出来るようにと、毎日必死になって訓練を繰り返しているのだから、それはある意味で当然と言えた。……だが、特筆すべきは矢張り、新任少尉たちの奮戦振りだろう。初陣であるなどと微塵にも思わせない機動。冷静に状況を見極め、己の持てる最大を以って敵を葬り去る手際は歴戦の衛士と並んでも遜色ないものだった。
旭と共に戦車級の一群を相手取っていた亮子は、眼前に迫るグロテスクな異形に眼を覆いたくなる衝動を堪え、我武者羅に長刀を振るい、36mmを放つ。隊内で武以外に唯一刀の扱いに長けている彼女は、息を荒げながらも、敵を斬る行為に躊躇しない。――戦闘開始から既に十六分が過ぎた。表示される時間を見てしまって、亮子は思わず息を呑んだ。長い。途轍もなく、長い――! 『死の八分』をいつの間にか乗り越えていたことに今更気づくが、それ以上に亮子はスタミナの限界というものを感じていた。
肉体的な、という意味ではない。
それは、精神の疲労だ。シミュレータとは違う、「喰らったら死ぬ」という現実。一瞬でも回避が遅れれば致命傷に繋がり、僅かでも隙を見せれば一巻の終わり。如何に訓練を重ね、初陣の衛士とは思えぬ戦闘を繰り広げようとも――矢張り、初陣は初陣だ。
ねっとりと肌に絡みつくような恐怖はどれだけ必死になろうとも拭えない。じわじわと自身を取り巻くような死の気配に汗が吹き出る。気づけば呼吸は荒くなっていて、うるさいくらいの動悸が耳につく。――それでも、死ねない、という思いが。茜と武の幸せを願う気持ちが、護りたいという、力になりたいという願いが……亮子を昂ぶらせてくれる。
『月岡! 一旦退がれッ!!』
「……ッ、」
二機連携を組んでいた旭から後退指示が出される。どうやら先任の彼女には今の亮子の状態はお見通しだったらしい。自身の小心を恥じるように俯いた亮子だったが、戦場でそんな拘りは意味を持たない。悔しさに臍を噛みながら後退する亮子と入れ違いに前へ出たのは強襲掃討装備の茜。亮子が抜けた穴を埋めるべく、小型種の前進を阻むように突撃砲を狙い撃ち、迅速に旭と並ぶ。『概念実証機』がもたらしてくれるその機動の鮮やかさに、一瞬、眼を奪われた。――護りたいひとに、護られる。そんな己を無力だと嘆くならば。
生き延びて、今まで以上に訓練に励もう。繰り返し繰り返し、鍛えて磨いて。そうやって成長していこう。
水月と武の二機連携を目の当たりにして、茜は鳴り止まぬ鼓動に頬を紅潮させていた。
衛士を目指すきっかけをくれた水月。姉の親友であり、自身の憧れ。幼かった茜は、彼女のようになりたくて――いつかその背中に追いつくことを目指してここまできた。任官し、尊敬する水月と同じ部隊に配属された時、茜は心底から感動を覚えると同時、自己の目標の一つであったそれを達成する機会を得たことに感激した。――共に戦える。その歓びは、言葉に出来ないほどに。
自分の命全部を懸けて愛する武。訓練兵時代からの同期であり、自身の想い人。恋人を喪い、道を見失おうとする彼を支える力になりたくて――いつかその傷を癒すことを想ってここまできた。彼への想いに気づき、愛されていることを知った時、茜は心底から悦びに打ち震え、満たされた己を自覚した。――共に戦える、その背中を支えることができる。その幸福は、言葉に出来ないほどに。
その二人、憧れる水月が、愛する武が――まるで血を分けた姉弟の如く、息の合ったコンビネーションで敵を翻弄し、斬殺し、撃ち殺している。足元を走る小型種を踏み潰し、要撃級の豪腕をかわし、群体で襲い来る暴威を手当たり次第に血祭りにあげている。螺旋を描く剣術が戦場に一種異様な殺戮場を作り出し、水月が、或いは多恵が、真紀が薫が次から次に隙だらけの連中を平らげていく。
無論茜も、そして隣りで突撃砲を構え撃つ旭も。後方より打撃支援を加える晴子も。最前線で熾烈に戦い続けるB小隊の死角をカバーすべく、手を休めることはない。戦闘開始から既に四十分。更新されるデータリンクは、敵の増援がないことを示していた。CPである遙の状況説明を半分だけ聞きながら、36mmのリロードを手早く行う。他所に展開していた帝国軍部隊が敵の主力を殲滅することに成功したらしい。……残るはこの場に殺到する百にも満たない敵だけだ。
たかが百。――されど、百だ。
増援がないというのは正直にありがたい。しかも運の良いことにこの集団の中には本当に光線級が含まれていなかった。ドッペル1の『概念機動』に倣う際、最も苦労したのが光線級が存在する中での空中機動だった。無理に空を跳ぶ必要はないのだろうが、面で殺到するBETAを回避し、且つ、効率的に狙い撃てる空中の利点を知ってしまえば、多少の危険に目を瞑ることは道理だった。……が、下手に高度を取り過ぎると足元の敵を狙い撃つのと同時、自分が光線級に撃ち殺されてしまうデメリットがある。そのギリギリの按配、見極め、という感覚を得るのには随分と苦労した茜である。だからこそ、その報告に安堵してしまう。
勿論、光線級だけが脅威なのではないことは座学で習って知っている。が、初陣で、実戦の経験がない茜たち新任にとっては――精神をすり減らし戦い続けて既に四十分も経過しているのだ――“脅威”の筆頭たるレーザー属がいないという事実。これは、大いにプラスとなる。
まして、この『概念実証機』。これが初陣という衛士が五人もいて、まだ一人の死者も出ていない――どころか、機体に損傷を負ったものすら居ないのだ。きっとみちるや水月はその事実に驚嘆しているに違いない。数々の戦場を潜り抜け、生き延び続けてきた彼女達は……たくさんの先達と同僚の死の上に立っている。BETAとの戦いで死傷者が出ないことは稀だ。一人も死なない――言葉にすればただそれだけの事実を達成すること。それこそが最も困難で至難で、故にこの戦争は悲劇的で一方的なのだ。
当初連隊規模で稼動していたA-01部隊も、発足当時から生き残っているのはみちるただ独りだけ。
水月も遙も、そして美冴も。自らを残して同期は全て喪い……一期上の梼子たちでさえ、任官当時十二人いた同期たちを、半数以上喪っている。
その大半が“初陣”で命を落としていることが――彼女たちの死に限らず――『死の八分』という儀式的ともいえる言葉が戦場に蔓延する理由の一つだろう。
だからこそ、今、茜が、晴子が、多恵が、亮子が、薫が生きて戦い続けていられることは。四十分という、感覚的には永劫にも思える刹那の時は。ただそれだけで、この新型OSを搭載した『概念実証機』の性能の凄まじさと素晴らしさを証明することになる。
同時。
それは、みちるたちにとって、一種の悔恨を思わせる。――もしあの時に“これ”があったなら…………。
意味のない行為だとしても、ふとした瞬間に脳裏に過ぎってしまったその悔しさを、みちるは奥歯を噛み締めることで霧散させた。後方より全体をカバーする晴子の技量はもう疑うべくもない。同様にピンポイントで適切な支援を続ける梼子と慶子の腕も信頼している。ならば中衛にいるみちるが成すべきことは、指揮官として、隊を統率するものとして。残り百にも満たない――小型種を含めた実数で言えばその倍近くにはなるが――敵を、これまで同様、一切の油断なく驕りなく、且つ、新任たちを死なせずに戦い抜くのみ。
C小隊の動きに目を向ければ、美冴の指揮の下一度は後方に下がった亮子が再び前衛に出て、茜と二機連携を組んでいる。入れ替わりに右翼へと機体を流した旭に並ぶようにみちるは前進し、尚激戦を繰り広げるB小隊へ一度下がるように指示を飛ばす。
「築地、立石は退がれ――! 速瀬、本田、白銀はそのまま敵の中央を突き抜けろッッ! A小隊ッ、私に続け!!」
『『『了解っ』』』
想像した以上に被害が少ない。新型OSのもたらしてくれた恩恵を痛切に感じながら、みちるはドッペル1という青年の存在を神に感謝した。BETAによって精神を蝕まれた哀れな道化。仮面をつけ現実を忘れ、ただ夢の世界に生きる彼の存在を。その彼の才能を認めた夕呼を。――みちるは、心の底から尊敬する。
晴子を後方に残したまま、みちるは旭と慶子を伴って前進する。後退する多恵と薫をC小隊が援護しつつ、二人はそのまま一時美冴の指揮下に入る。そうして新任を後方に下がらせることで、既に精神的に大きなストレスを感じているだろう彼女たちにほんの僅かの休息を与える算段だ。否、ここから先の戦闘は、新人達の出る幕などない。
新任全部を美冴と梼子に任せる形にはなるが、あの二人ならば問題ないと信じるし、同時にこれは美冴の指揮官としてのいい経験にもなるだろう。小隊長としての初陣もそうなら、一時的とはいえ二小隊編成に近い人員を預かるのである。これを無事乗り切ったなら、きっと彼女は一回りも二回りも大きく成長することだろう。
『いいかヒヨッコ共!! 後方に下がるからって気を抜くんじゃないぞっ! 敵はどこからだってやってくるんだ!!』
『『『『『了解!』』』』』
合流に成功した多恵と薫に向けて、美冴が珍しく怒鳴るように言い聞かせる。彼女なりに新任の働きを称え、そしてそれに慢心するなという戒めを込めているのだろう。その音声を聞きながら、みちるは――ならば安心だ、と。毅然と視線を前に向けて、背後に続く二機にそれぞれ援護を命じる。データリンクに表示されるパラメータを見れば、武の長刀が、直に限界値に達しようかという状況だった。無論彼もそのことは承知しているらしく、叩きつけるように要撃級の頭部らしき部位を刎ね飛ばした後、長刀を投げ捨て、反転跳躍で一気に包囲網を抜けていた。
真紀の背部ラックから長刀を受け取り、再び宙に舞う08の機体。まるで合わせ鏡のように地を奔るのは、同じく長刀を振り抜いた水月だった。常ならば地上を這い回ることで暴威を振るう武が空中を跳び、『概念機動』を身に付けてからは空中での三次元機動を頻繁に行っていた水月が地上を往く。その対比に思わず笑いが込み上げてしまったが――だが、隊の誰もが知っていた。
あの二人の連携は――如何なる敵を以ってしても、止められない。
それは現実的ではない喩えなのかもしれない。だが、ヴァルキリーズの誇る突撃前衛小隊の、突撃前衛長。そして、隊内随一の近接戦闘能力を持つ武。その二人の戦闘ぶりは、共に最前線で戦う真紀に、後方で尚も殺到してくる敵を相手取る皆に。
興奮と、昂奮を。
勝利への希望を。確信を、抱かせる。
この戦いに負けることはない。この戦いに敗北はない。在るのはただ、厳然たる勝利。BETAの屍骸のみだ。
血を、体液を浴び、夥しく連なる屍の上に立つのは我々。人類の敗北の歴史を書き換えるのは我々。
――――――反撃の狼煙を上げるのは、そう。
我々だ。
===
「…………国連軍横浜基地、か」
帝国軍第211中隊隊長の若き大尉は、まるで夢の中に居るような気分のまま、ポツリと呟いていた。無意識の呟きだったそれに、副隊長である女性が応じるように首肯する。
『“あれ”が本格的に配備されれば……我々は、国土を取り戻せるのでしょうか……』
零すような声音に、隊長は深く息を吐く。それは落胆の溜息ではなく、裡に堪った“熱気”を堪えきれずに吐き出したものだった。静けさを取り戻した戦場を、感嘆の思いで見渡す。管制ユニットのハッチを開き、外へ。肉眼で見る戦場は――惨憺たる有り様だった。
砲撃による爆撃で削られた山肌。真っ黒に焼け焦げた地面に木々……。風に乗って運ばれてくる厭な臭いは、恐らくBETAの流した血臭だろう。――だが、どうしてだろうか。本来なら吐き気を催す凄惨なこの光景も、今はただ、足の先から全身に至るまで。
昂奮に、奮えている。
「取り戻せるさ――佐渡島も、九州も……あの不知火が在れば……ッ!!」
ギシリと。強く強く握った拳を見下ろす。――直後、彼は咆えていた。どうしてなのかは自分でもわからない。ここは戦場で、まだ戦闘の事後処理が残っていて。部下が全員見ているというのに。それでも、堪え切れなかった。我慢なんて出来なかった。
「ぅぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
それは昂ぶった血が成せる咆哮。眼前に広がる光景に。つい先程まで目の当たりにしていた光景にッ。
血が、滾る。
思い出すだけでこれほどに全身が昂ぶっている。精神が、魂が、咆え猛っている!
彼の咆哮に続くように、隊の男性衛士たちが次々に歓声をあげ、同様に咆える。――自分たちは、確かに見たのだ。それは夢でもなんでもなく、正真正銘の現実で。本当に、目の前で、つい先程まで、“そこに”。
そこで、戦っていたのだ。BETAと。
殺戮していたのだ。――BETAを。
ただの一機欠けることなく。ただの一人の死傷者もなく。まるでそれが予定調和で在るかの如く。神話に謳われる戦乙女のように――華麗に、凄絶に、容赦なく。舞い、躍り、死をもたらした。
隊長は確信する。部下達は確信する。自分たちは今、間違いなく。
――新しい歴史を、その幕開けを。
――目撃した。