『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「守護者編:三章-07」
向けられる懐疑の視線、いや、それはハッキリと見て取れるほどの怒りだろうか。どちらにせよ、夕呼は気にした素振りもなく、こちらを睨み据えてくる帝国の代表に微笑んでやった。高官らしい初老の男はそれに対して何も言わず、モニターに映し出される御剣冥夜を見る。報道官の質問に答え、己の戦う理由を述べた彼女。その凛々しい姿にほんの少しだけ瞳を和らげて、彼は司令室から退室した。
終始、無言だった――。
「……なるほど、流石に一国一軍を代表してここに来るだけはあるわね」
呟く夕呼に誰も気づくことなく、そして臨時の報道は終わる。脚本・演出はともに夕呼。冥夜の顔と名、そしてその気高き理想を知れば――さて、帝国はどのように動くだろう。決まっている。冥夜の存在の意味を知る連中だからこそ、彼女はここに送られてきたのだから。……ならば、後は夕呼の目論見、そのための最後の一手を打つだけだ。
あの初老の男の対応を見れば、彼は少なくとも“御剣冥夜”の存在を知っていて、それが帝国内部にどれ程の波紋を呼ぶかを知っているのだろう。だが、彼らはこの報道について夕呼をどうにかすることは出来ない。もし夕呼に責を問おうものなら、一介の国連軍訓練兵に過ぎないはずの冥夜の素性を明らかにしなければならなくなる。存在を秘匿したくて影の世界に放り込んだ娘を、存在を否定するために明るみに出す――そんな愚行を、連中が犯すはずがない。
故に、勝負あった。夕呼はこの時点で既に、日本という国に対して、絶対的な有利を得たのだった……。
===
コツ、コツ……と。鉄は仮面のふちを指でたたく。自身に宛がわれた不知火の管制ユニットの中、データリンクで接続されている演習場の様子を眺める。――どいつもこいつも、まるで化け物だ。たった一度の連携実測をこなしただけで、全員が、二度目のそれでは格段の違いを見せている。同じ機体、同じXM3。なのに、ただ一回の経験を積んだだけで、彼らは須らく技術を向上させていた。
「これが正規の軍人ってわけかよ……」
XM3が搭載されているだけで、その操縦技術は桁違いに跳ね上がる……とは、夕呼の言だ。この世界の戦争を知らない鉄には、その言葉が意味するところをいまいち実感として把握しきれていなかったが、網膜投影に映し出される彼ら「衛士」の実力を見れば、なるほどと頷かずにはいられなかった。全員が全員、まるで一度目とは別人だ。機動の一つひとつにキレがあり、とてもシャープに感じられる。
その変貌に貢献しているのが、自分のアイディアの発展形であるとなれば、仮面の下で表情を緩ませてしまうのも無理はない。愉悦。そういう感情が、鉄の中に満ちていた。――そうか、これはオレのおかげなんだ。そんな考えが浮かんでしまったとして、誰が彼を傲慢と言えるだろう。それは真実であり、鉄という存在なくして、XM3は絶対に生まれ得なかったのだから。
「リアルバルジャーノン、か……はははっ、すげぇぜ」
込み上げてくる笑いを止められない。自分の存在なんて露ほども知らない連中が、自分が地下に閉じ込められている間のうのうと表を歩き回っていた連中が、今、そこで、自分の考え出したOSの性能に嬉々として没頭している。それはなんて清々しいほどの、優越感。――お前らオレに感謝しろよ? くつくつと湧いて出る笑みが、止まらない。愉快だった。痛快だった。どうだ、すげぇだろう――そんな感情が次第に膨れていって、そしてトライアルは最終組を迎えた。
207B分隊。鉄の知る、鉄の知らない少女達の部隊。先程ニュースに登場した冥夜と壬姫は今回は留守番らしい。残る三人の乗る吹雪が演習場へと移動して……
「冥夜、か……なんかアイツ、全然変わらないな」
彼女が言っていることの半分も理解できなかったが、ただ、それだけはわかった。アイツはどこでも変わらない。冥夜は、冥夜だった。――と、ピアティフから通信が入る。自分を包み込んでくれる優しい女性の声に、鉄の意識は脈打った。柔らかでいい匂いのする彼女の感触を思い出しながら、鉄はCPとしてのピアティフの指示に従う。
『タイミングはこちらでカウントします。鉄少尉は“精々派手に暴れまわりなさい”とのことです』
「はははっ、夕呼先生らしいや」
苦笑混じりに告げられる夕呼からの指示内容に、鉄は破顔する。“そういうところ”は、矢張り鉄の知る香月夕呼と変わりない。どれだけ世界が異なろうとも、人間の本質は変わらない。きっと、そういうことなのだろう。……それがわかったところで、この世界に自分の居場所はないのだが……。鉄は頭を振って、余計なことを考えないようにした。とにかく、これが成功すれば自分にも居場所が出来るのだ。例え夕呼にとって都合のいい駒としての生でも、個人として自由に生きることが出来るなら。
《鉄仮面》は、ただそれだけを手に入れる。それさえあれば、保証されるならば――とりあえず、納得をしてやる。
網膜投影には、踊るように戦場を駆け巡る吹雪が映る。仮想敵部隊はじわじわと押され始め…………そうしてついに、決着がついた。本当にあれで訓練兵だというのか。素人の鉄が見ても、彼女たちの実力は、他の誰よりも優れていて、圧倒される。
(すげぇよ。お前ら本当にスゲェ……)
そんな彼女達と、この世界でも出逢えていたなら。友人になれていたなら……自分にも、今とは違う“現在”が待っていたのだろうか。あんな風に軟禁されることなく、共に訓練兵として過ごして来れたのだろうか。どれだけ願っても、最早それは夢物語でしかない。この鉄の仮面を与えられた時から、鉄は、こういう生き方しか許されなかったのである。
『CPよりドッペル1』
「……こちらドッペル1。準備は出来てる」
さぁ、出番だ。
こんな狂った世界に放り込まれ、居場所もなく、名も顔も奪われ、ただ存在するだけの価値のない日々。――それら全てと、訣別する。今から自分は、世界中にその名を轟かせるのだ。世界中の誰もが、自分の名を口にするのだ。――“鉄”。まるで嫌味のようなその名も、この《鉄仮面》には相応しい。それは道化を指す言葉だ。それは道化を押し付けられた者の名だ。
「踊れ踊れ……ククッ」
世界が自分に踊らされるのか。自分が世界に踊らされるのか。道化者はそれさえ知らず、ただ、日の当たる場所を求めて。その一歩を踏み出した。
===
一体どうすればよかったのかわからないまま、トライアルは全行程を終えようとしていた。武は小さく溜息をついて、つい数時間前の出来事を回想する。夕呼の命令で真那を休憩室に押し留め、“あの”報道を最後まで行う一手を担うこと。武自身、まさかあのような報道がされるとは予想もしていなかったために、真那の信頼を裏切る形になってしまったわけだが……それを、果たして自分は後悔しているのかどうか。それがわからなかった。
いや、こうして思い悩んでいることが既に後悔しているということなのだろう。敬愛する師匠の信頼を裏切ったこと。それが、酷く痛む。
「けど……やっぱり香月博士の邪魔は出来ない」
それは、絶対に許されない。己の未熟さから夕呼の右腕を切り落とし、その足を大いに引っ張った罪を負う武にとって、それだけは絶対に出来ないことだった。純夏を救うための唯一の手段。彼女の笑顔を再びこの世に取り戻すための、この世界の救うための研究――AL4。夕呼の行動の全ては、常にそれに直結している。ならば当然、あの報道だってそのための手段の一つなのだ。
故に、武は己の行動に一片の後悔さえ抱いてはならない。武にとって後悔すべきは、あの時真那を抑えきれずにあの報道を中断させてしまった場合だ。……なら、なにを思い悩むことがあるだろう。たかが剣術の師匠一人の信頼を裏切ったところで、なんら気負うことはない……――そのはずだ。
いつまでもウジウジと未練がましい、とは自分でも思う。武はいつだってこうやって一人で頭を抱え、自己に没頭して、そうして道を間違えるのだ。自分なりの答えや納得を導き出すことはいい。けれど、いつまでもその問題に捕らわれて周囲を見ることを忘れてしまうと、知らず知らずのうちに誤った方向へ流れていってしまう。あの1999年からの二年間、武はずっと間違え続けていたのだ。それを、繰り返すわけにはいかなかった。
『武~、あんたねぇ、気が入らないのはわかるけどちょっと呆けすぎ』
「……すいません」
どこかジットリトした視線を向けながらの水月の注意に、武は苦笑する。……また、余計な心配をさせてしまうところだった。本当に水月には救われてばかりだと、武は内心で深く頭を下げながら、意識を切り替えることに専念する。――そう、なにを後悔することがある。自分は夕呼の部下として、そして純夏を救うための任務に命を懸けている。自分は軍人だ。軍人は命令に忠実で在らねばならない。
真那には真那の、武には武の信念があり理想があり、任務が存在する。ただ、それだけのことだ。本来ならば国連軍所属の一兵卒が帝国斯衛軍の赤服と師弟関係にあることの方がオカシイのである。そんな奇妙な接点に気をとられ、信頼だなんだということに葛藤するなど愚の骨頂。……そう思い込むことで今は自分を納得させる。かなり無理矢理で乱暴だが、若干気が楽になった。
今は任務の最中である。思い悩み葛藤するのはまた……一人になった時でいい。
(まったく……あの莫迦は……)
世話の焼ける、とはこのことだ。水月はやれやれと嘆息しながら、武を見た。どうせまた下らないことで頭を悩ませているのだろう。男の癖に神経の細かい奴だ。もっとも、武自身考えすぎることがよくないということは経験から理解しているらしいので、これ以上の気遣いは不要だろう。
月詠真那との間になにがあったかなんてことは、あの報道を見れば想像することは容易い。そしてそれは、水月が介入してよい問題ではなかった。故に水月は嗜める程度でいい。気にしすぎる必要はないのだと気づかせてやれたなら、それでいい。
それよりもなによりも、今は警戒待機中である。トライアルも連携実測の最終組を終え、残すところ夕呼の会見のみとなった。天元山の報道以降、横浜基地の名は世間に知れ渡っている。先程の訓練兵の報道にしても、そうだ。日本中、そして世界各国へ向けて、夕呼は着々とその名を轟かせようとしている……ように、水月には思えた。本当の目的はほかにあるのかも知れない。夕呼の片腕であるみちるならそのことを知っているかもしれなかったが、副隊長である自分が知らされないというなら、それはあまり深く考えるべきではないのか。
シートに深くもたれるようにしながら、ふむと腕を組む。そもそも、このトライアル自体が少々派手だ。まぁ確かに、あれだけの性能と可能性を秘めた新型OSのお披露目と考えれば、まだまだ足りない――なにせ、これが世界中に配備されたなら、何万という衛士の命を永らえさせることができる――くらいだが装備評価演習として見れば、矢張り大仰なのだ。演習内容を日本中に中継するということ自体がまずあり得ないし、やる必要がない。
そんなことをつらつらと考えていると、みちるから全員へ回線が繋がれた。データリンクで回された映像は、滑走路に設けられた演台を映している。丁度格納庫を背にした位置にあるそこへ、白衣を纏った一人の女性が現れた。言うまでもない、香月夕呼そのひとである。周囲にはトライアルに参加した各国の衛士、整備士をはじめとする軍関係者が集まっていて、XM3というとんでもない代物を開発した極東の魔女を目の当たりにしようと、身を乗り出す者も見える。
知らず、優越感を覚えていた。――いや、それは共感を得ることの出来たときに感じる昂揚か。
あの場所にいる全員が、XM3の凄さに痺れているのがわかる。このOSの性能に打ち震え、昂奮して堪らないという感覚に支配されているのがわかる。――すごい! 言葉にすればただそれだけの最高の気分。映像の向こう側で、誰もがソレに陶酔しているのだと気づけば、水月は笑みを浮かべてしまうのだった。
すると、我慢できなかったのだろう、真紀が奇声を発する。その表情は晴れやかに笑っていて、まるで自分もその場所で歓声を上げているかのようだ。続くように、薫が、晴子が歓声を上げ、武や茜がそれに倣う。ならば当然その雰囲気に乗るのが水月であり、みちるから苦笑しながらの叱責を受けるのが、A-01部隊の在り方だ。咲いた笑顔は枯れず、全員がはしゃぐように笑い、喜色を浮かべていた。
――あの日、あの新潟での戦闘で得た昂奮が、間違いなく蘇っている。
――あの日、あの時に確信した希望が、未来がそこに在る。
XM3は人類を救う。このOSは、時代の革新であり……それは、そう。新時代の幕開けだ。今、これだけの人間が、衛士が、新たな時代の到来を目の当たりにしている。壇上に立つ夕呼を讃え、惜しみない拍手を浴びせ、「天才」と畏怖される科学者へ、感謝の言葉を投げかける。
そんな彼らの気持ちが染みるほどによくわかって、水月はどうしようもなく嬉しいと感じていたのだ。そしてそれは、A-01の全員がそうなのだろう。XM3が世界に受け入れられることは当然、それだけの性能を持っている――と。そんな風に理解していても、矢張り実感は違う。理屈ではないのだ。これは。自分たちがテストパイロットを務め、データを提供し、一つずつ育てていったOS……言うなればそれはA-01全員の子供のようなものだ。勿論、トライアルに参加した207B分隊も同じ気持ちだろう。
鉄という不遇の衛士の発想を実現したOS。完成させたのは夕呼だが、決して夕呼一人では成し得なかったこの“今”を、不知火の管制ユニットの中、ヴァルキリーズは噛み締めていた……。
壇上に立つ夕呼は、艶然と笑む。本来なら基地司令であるパウル・ラダビノッドがここに立つべきなのだろうが、彼は別室で各国の代表達と懇談している。それにこの件は、一から十まで夕呼の立案であり、更にはAL4の研究成果の一つとしても提示される事案であることから、夕呼が立たねばならない――と、ラダビノッド司令は彼女に告げていた。あまり表立って動くことを得意とはしない夕呼だったが、基地司令から直々にそういわれては仕方がない。ならば精々派手に、やりたいようにやらせてもらうとしよう。
用意された演台に両手を置き、不敵に口端を吊り上げる。およそ基地を代表する立場にあるものが公共の場で見せるに相応しい表情ではなかったが、今のこの状況には不思議と似合って見える。――それはまるで、一国を代表する王族のように堂々としていて、不遜なものだった。
「XM3は世界を変える“力”を持っている…………と言ったなら、それを信じられるかしら?」
昂奮に満ちたざわめきが、しんと静まり返る。まるで夕呼の言葉が空間に拡がり、場を支配してしまったかのように……全員が、黙って夕呼を見上げていた。
「私は、確信しています。このXM3は、世界を変える。戦術機の歴史を変え、対BETA戦術の在り方を変え、世界が侵されている凄惨な状況を打破することが出来る、と。そう確信しています。――そのためのXM3であると、信じています」
だから開発したのだ。だからこのトライアルを開催したのだ。全てはXM3というOSを世界に知らしめるため。全てはXM3というOSを世界に認めさせるため。――そうすれば、世界は変えられる。BETAに侵され、滅亡を待つだけの未来を、変えることができる。夕呼の言葉には、その意志が込められていて……耳を澄ます全員が、それを感じ入っていた。
「その性能は、実際に演習に参加した皆さんがよくご存知でしょう。先程の歓声、笑顔が、それらを実感してのことだというならば、私は嬉しい。この新しい力が世界全てに拡がったなら、人類は、決して負けはしないのだと……そう、信じさせてくれたのです」
その声は、表情は……放たれる言葉と共に様々な感情に打ち震えるかのように豊かで、強かで、包まれるような温かみを持っていた。普段の夕呼を知るものならば、まるで別人とさえ感じられるほど。けれど、そのように取り繕っているというわけではなく、それもまた香月夕呼という女性の在るべき姿の一つなのだろう。……ただ、好んでそのように振舞わないというだけであって、この全てが彼女のパフォーマンスということでは、決してない。
新型OSを開発した本人、そして以前より世界的に注目の高かった天才の言葉は、どうしてか胸に響く。女性、という点も理由の一つかもしれないし、彼女の存在自体が惹き付けてやまないということもある。――カリスマ。そう称するに相応しいナニカを間違いなく夕呼は備えていて、百人近い観衆を魅了しているようだ。
夕呼の演説は続く。それは例えば基地司令や部隊の隊長が部下を奮わせるために告げる言葉たちとは違って、静かに語りかけるようなものだった。まるで世界を救うために遣わされた聖母のように。XM3を産み落とした彼女は、温かな希望を高々と掲示して見せたのだった。
「――そして、我々在日国連軍には、一つの明確な目標が存在します。このXM3があれば、それを現実のものと出来るでしょう。……そう、即ち『甲21号作戦』。日本という国に突きつけられた槍を、我々は打ち砕く!」
瞬間。
まるで波紋が広がるようにざわめきが起こり、それは驚愕や驚嘆や自身の耳を疑う声に鳴り響く歓声に。全員が――、打ち震えた。夕呼の言葉を理解したその瞬間に、各国を代表してトライアルに参加した全員が! 声高に咆哮を上げたのだ!
世界各地に点在するBETAの巣窟、ハイヴ。その攻略を果たした者はおらず、実現は相当に難しいとされてきた。ハイヴ内部の詳細情報は不明。ヴォールク・データという貴重なデータを元に再現されたシミュレータで訓練を重ねてはいても、この中にハイヴ突入を経験したものはいないだろう。物量で圧倒的に勝るBETAを相手の戦闘では、冗談のように弾薬を消費する。戦術機も補給なくして戦い続けることは出来ない。
消耗し、徐々に追い詰められている人類にとって、ハイヴ攻略は悲願であると共に、まるで夢物語のような遠い目標だった。――それを、打ち砕く?甲21号目標、通称佐渡島ハイヴと呼ばれるあの魔窟を? 『甲21号作戦』とは、つまり――“そういうこと”なのか?
衛士たちが、整備士達が、高官が、報道を目撃した民衆が、軍関係者が、誰も彼もが。夕呼のその言葉に、目を見開き、驚愕に奮え、粟立つのを感じていた。それは、紛れもない希望となる。XM3の性能がそれを可能とし、現実としたならば――世界は、間違いなく新たな局面を迎えるだろう。横浜基地は、夕呼は、真実……世界を救うための輝きをもたらすことになる。
昂奮は鳴り止まない。歓声は留まるところを知らない。不敵に笑む夕呼は、ゆるやかに手を掲げた。まるで一つの巨大な生き物のようにうねりを見せた観衆に向けて、どこまでも不遜に、どこまでも高貴に、彼女は告げる。
「……国連各国を代表する皆さん。ここ日本の守護の中核を担う帝国軍の皆さん。この放送を目の当たりにしている、全ての人々へ――私は、一つ明らかにしなければならないことが在ります。希代の新型OSであるXM3。この開発に当たって、基礎概念の発案を担ったのは私ではなく……一人の衛士なのです。故あって詳細を明かすわけにはまいりませんが、けれど、“彼”の存在なくして、このOSは生まれ得なかった……ッ」
言って、夕呼は掲げた腕を更に天へと向ける。
「“彼”の名は――クロガネ。その才能こそ、世界を救う可能性を私に気づかせてくれたのです――!」
瞬間、格納庫から飛び出す機影があった。それは天高く舞い踊り、急激に反転して降下、演習場へと降り立つ。蒼い不知火。JIVESが作り上げた無数のBETAが襲い来る只中を、まるで流れるような出鱈目さで潜り抜けていく。
それは、その動きは、息を呑むほどに凄絶で。理解不能なまでに複雑精緻、巧みであった。
(ドッペル1――だとっ!!!?)
思わず叫びそうになった口を、愕然と開く。みちるは反射的に浮かせてしまった腰をシートに押し付けながら、驚愕のままモニターを凝視する。夕呼の言葉と共に出現した不知火。マーカーにはドッペル1の表示が踊り、演習場を所狭しと駆け巡っている。……いや、それは駆けるなんていう表現に当てはまらない。宙を踊り地を踊るそれは、まるで戯れる道化の如く。仮想現実の中を蠢くBETAを相手に、サーカスを披露しているかのよう。
要撃級の前腕を潜り抜け、戦車級を踏み散らす。突撃級をスレスレで跳びかわし、その背中を抉り散らす。まるで出鱈目で曲芸染みたその機動は、しかしトライアルに参加したどの部隊のそれよりも遥かに洗練されていて無駄がなく、なによりも幻想的だった。――まるで別次元の動き。
みちるは、その機動を一度だけ目にしている。自分以外ならばまりも、そして武の二人だけが、“あの”機動を目の当たりにしている。ドッペル1、鉄という名の衛士。素性も経歴も一切が闇に包まれた記憶喪失の衛士。現実を見失い、夢想の中にだけ生きる仮面の男。
その男が。
XM3が生まれるきっかけを作り出した彼が。
自身の創り上げた夢幻の世界、そこで編み出された機動を最大限に実現可能なOSを以って――世界中の衛士を驚愕の彼方へ誘っている。
『な、なによ……あの機動……っ』
『クロガネ……って、だってアイツは……っっ!?』
『これが“概念機動”……なんて……凄い……』
口々に零れる部下達の声は、その全てが呆然と紡がれて――無理もない――と、みちる自身歯噛みしながら蒼の機影を見つめる。みちるたちが『概念機動』と呼び、研究を続けてきたその機動制御方法は、元々は鉄の機動を再現しようとしてのものだった。その習得に費やした時間は決して短くなく、そうやって身に付けた技術は、間違いなく自分たちを更なる高みへ引き上げてくれた。
そうしてその『概念機動』を再現するためのOSが生まれ、試作型を搭載した機体でデータ収集を繰り返し……完成したのがXM3。そのXM3を誰よりも使いこなせているのはトライアルに参加した古参たちではなく、彼らに圧倒的差をつけて勝ち抜いた207B分隊でもなく、自分たち――A-01なのだという自負。揺るがないそれは絶対の自信であり、厳然とした事実であった…………はずだった。
『化け物かよ……ッッ、あいつ!!』
悔しげに表情を歪めた武の言葉は、A-01の全員の気持ちを代弁していた。
XM3を搭載した不知火を駆る鉄は。その見せる機動は。――まるで私たちの“これまで”を、嘲笑っているかのようだ……ッ。格が違う、とはこのこと。次元が異なるとは言い得て妙。『概念機動』とは、結局のところ鉄の思考を自分たちなりにトレースした結果でしかない。そしてそれは、間違ってはいなくとも、正解ではなかった。
鉄は――“これ”を夢想していたのだ。彼の頭の中には、“これ”が在ったのだ。この機動。この性能。旧OSの不知火で見せたアレは、全然、彼自身が行おうとしていた機動などではなく。自分の思い通りに行かないOSに不満を抱いた彼を――ではどのような機動を求めているのか――それを解明し、満たすために生まれたのが……XM3だったのだ。
つまり。鉄とみちるたちとでは、前提がそもそも違う。いや、みちるたちが勘違いをしていたと言うべきだろう。
XM3があれば鉄の動きを再現できる……のではなく。
XM3があってようやく鉄は自分本来の機動が行える……のだ。――目指す高みは、“その場所”だ。
『でも……すごい、』
『ああ…………確かに悔しいが、同時に、アレはXM3の可能性を見せてくれている……』
打ちひしがれるような沈黙を破ったのは、梼子の呟きと、美冴の奮えるような言葉。自身と同じようにそのことに気づいた二人の部下を、みちるは優秀だと賞賛する。美冴の言葉に、全員がはっとしたように目を見張った。水月にいたっては、その発言がある以前から食い入るように見つめていた。――鉄の機動。ドッペル1の戦闘機動。それは、凄まじく高い次元にあるように見えるけれど、決して、届かない場所ではない。
自分たちが身に付けた『概念機動』の更なる進化系を、彼は見せ付けてくれている。……ならば、そこに辿りつけない道理などなく。同時に、『概念機動』とXM3であの新潟の戦場を殲滅できたというなら、この『概念戦闘機動』とでも言うべき機動を習得できたなら――それは、一体どれ程の戦果を挙げるというのかッ。
「――――――ッッ!」
ぶるり、と奮えた。
足の指先から脳天の頂まで。全身を痺れるような昂奮が駆け上る。想像しただけで胸が躍る。想像しただけで闘志が込み上げる! このOSは、あの『概念戦闘機動』は、本当の本当に、人類を救う希望の光と成る。れっきとした力。BETAを駆逐する強力な、眩いほどの輝きを放っている。
「全員聞け――」
『『『…………』』』
みちるの静かな声に、部下達が耳を傾ける。全員が、みちると同じ表情をしていた。全員が、みちると同じ昂奮を抱いていた。ならば多くの言葉は不要。あんな機動を見せられて、魅せられない衛士はいない。
「甲21号作戦までに、絶対に間に合わせる。いいな」
それは、具体的な言葉が抜けていたにも関わらず、全員を頷かせるに十分なものだった。作戦名さえ初耳なら、その詳細はおろか概要さえ知らされていないハイヴ攻略作戦。だが、それが夕呼の口から発せられた以上、本当にそのような作戦は行われるのだし、そこに国連軍AL4直轄特殊任務部隊A-01が参加しない理由がない。つまり。
いつ何時、それが例え明日の早朝に作戦実行となったとしても、“間に合わせる”、万全であるという、A-01であるからこその使命だった。
みちるは了解と声を揃える部下達を頼もしく見つめながら、今一度、ドッペル1の機動を見やる。BETAの姿形を見ただけで発狂するほどだったという《鉄仮面》が、仮想現実とはいえ、BETAと戦っている。催眠暗示か投薬による抑制か。……いずれにせよ、夕呼が何某かの手を打ったと見るべきだろう。夕呼直属の特務部隊とはいえ、その全てを知ることは出来ない。夕呼の信頼を疑うわけではないが……自分たちとはまた違う場所で、一人の青年が悶え苦しみ、乗り越えているのだと知ってしまえば、共に戦う仲間としての意識が芽生えてもおかしくはない。
(貴様も頑張っているのだな……)
顔を合わせたことさえない《鉄仮面》へ、みちるは知らず敬礼していた。
===
頬を撫ぜるような穏やかな風は、この季節には珍しい。穏やかな中に張り詰めたような冷たさを含んだそれに裾をなびかせて、視線をそちらに向ける。眼に見えぬ気流は、けれどそこに確かに存在していて……少女はたおやかに眼を閉じた。風の音を聞き、風の柔らかさを感じ、風の冷たさを受け入れる。そうやって自然の見せる表情を身体で感じながら佇んでいると、庭園に面したそこへやって来る二組の足音を聞いた。
「ここに居られましたか、殿下」
掛けられた女性の声にゆるりと振り返ると、そこには予想通りの人物が立っていた。一人は大柄な巨漢。頭を剃り上げた壮齢の武人は、彼の人柄を示すかのような燃える赤色の軍服を纏っている。対して、その隣りに立つは理知的な鋭さを持った女性。腰元まで伸ばされた翡翠の髪はどこまでも真っ直ぐで、女性のひととなりを表している。軍人にしては珍しい眼鏡を掛けていて、こちらも、武人と同じ赤色を纏っている。
――城内省が誇る最精鋭部隊、斯衛。その赤。そしてこの二人は、少女が特に信頼を置き、傍に仕えることを許している数少ない者達だった。
「紅蓮、月詠……そなたたち、このような所まで一体どうしたのです」
二人の姿を認めた後、少女は再び庭園へと目を戻し、気にした風もなく問う。その視線が向かう先には美しい奇岩が見事に並べられ、朱に染められた橋が架かる池には、煌びやかな鯉が泳いでいる。均され、模様を描かれた庭は白く、吐く息も白い。
……少女は気づいていただろうか。先程の言葉の終わりが、同じように白く震えていたことに。
「殿下、内殿にお戻りください。ここは冷えましょう……お体に障ります」
「よい。わたくしはもう少しここに居たいのです……」
「しかし――」
「月詠、まどろっこしいことを言っても、殿下を慮ることにはならんぞ」
頑なに背を向ける少女へ、眼鏡を掛けた女性が尚も声を掛けようとした時、隣りの武人がそれを阻んだ。その声には何の気負いもなく、どこか清々しいような快活さがあった。
「紅蓮……?」
「殿下、先程政府へ正式な要請が参りました。流石は極東の魔女、こちらの手の内など知り尽くしていると言わんばかりですなぁ」
「紅蓮中将!? それはっ……!」
「先の報道以来、帝国政府は混乱の極みにある。表向きは常と変わらぬよう仕向けてはいるが、内奥の混乱は抑えきれまい。“御剣冥夜”――その名と顔が世に知れ渡った以上、不埒を考える輩も多かろう」
ぐっ、と。月詠と呼ばれた女性は息を呑む。握り締めた拳は怒りに奮え、眼鏡越しに睨みつける視線は、正に射殺さんとするほどに。だが、当の紅蓮は飄々としたもので、まるで気に留めていない。
「更には、XM3という革新的なOSの存在……そして、甲21号作戦などと啖呵をきられた以上、我々がそれを無視することなど出来ようはずもない…………と、そこまで読まれておるでしょうな」
「……帝国の面子は丸潰れだ。あの女は、我が国を混乱させて面白がっているのだ」
あくまでも気にした様子もなく口にする紅蓮に、月詠が苦虫を噛み潰したような顔をする。その頃には少女も彼らの方を向いていて、静かに、巨漢が放つ怜悧な視線を見とめていた。表情は笑っていても、目は一切笑っていない。
「紅蓮そなた……なにが言いたいのです」
「この混乱を押さえ、乗り切り……そしてあの女狐の跳梁さえこちらの意に沿わせるためには、相応の標が必要となりましょう」
冷え冷えとした風が、少女達の間を通り抜ける。冬の風は、冷たく、痛い。けれど、そんな冷たさなど意に介さないほどの裂帛が、少女の瞳には在った。その視線を真っ向から受け止めて、赤を纏う紅蓮醍三郎は言ってのける。「標」と。それが必要だと。
天元山噴火から以降、国連軍の……特に横浜基地の動向は些か帝国を刺激していた。危険を顧みぬ挺身と人々は口を揃え讃えるが、あの災害救助に出動した隊員の誰が、危険を避けていただろう。出動した全員が、いつ噴火するとも知れない危険地帯に飛び込み、その命を溶岩の麓に曝しながら救助活動を行ったのだ。――あの国連軍衛士訓練生だけが、危険を顧みなかったわけではない。
けれど、それによって旧天元町に暮らしていた老婆が救われたことは確かで、報道を見た日本国民が安堵したのも事実。当時は在日国連軍のイメージ回復のために都合よく利用されたと憤慨していた軍上層部だったけれど、自分たちにも体面というものがある以上、世間に向けてのポーズは、とらなければならなかった。
だが、それも今日までの話だ。
今日の報道は、些かどころの話ではない。横浜基地で開催された新型OSのトライアル。無論帝国軍にも参加要請がされていて、第五師団から第211中隊を向かわせていた。新型OSの性能についての報告は既に軍上層部にも届いている。時代を革新させるOS。手に入れるべき価値は、何よりも高い。……そのような評価を得るほどのOS、そしてトライアルでありながら……その最中に報じられた映像が、政府を根幹から揺るがせるほどの大事を引き起こしたのだった。
多くの者は、「似ている」と驚愕するだけで済んだだろう。――だが、その事実を知る者は、内心で唾棄していたはずだ。
――「やってくれた」、と。
その罵りは辛辣で、なによりも心情を表していたことだろう。同じように少女も、それを目の当たりにした瞬間に、「まさか」と呟いてしまっていたのだから。御剣冥夜という名。少女と瓜二つの相貌。「まさか」生まれたときより引き離された――いや、そのような存在などいなかったのだとされたあの娘が、モニター越しとはいえ目の前に現れる……。その意味を、少女は瞬間に悟った。
横浜基地は、否――香月夕呼は、帝国を「引き摺りだそうとしている」のだと。
何処へ? という問いには、夕呼自身が答えている。『甲21号作戦』。字面どおりに捉えるならばそれは、佐渡島に君臨するBETAの巣窟。甲21号目標を殲滅するための。
御剣冥夜の存在を世に晒し、XM3という手札を餌に、日本の喉元に突きつけられた槍の排除を謳う――これ以上ないくらいの、挑発だった。これに乗らねば帝国の威信は保たれない。否、乗じる程度では駄目だ。ここまで嘗められて、帝国軍が、日本政府が黙っていられるわけがない。
……だが、その憤慨は悪戯に混乱を呼んだ。事情を知る高官たちは表面上はXM3と甲21号目標についての対応を纏めるよう会議を繰り返し、その裏で御剣冥夜の存在自体をごく自然に有象無象の中に埋没させようと画策を始めている。一番簡単で労力を要しないのは、さっさと任官させてしまうことだろう。帝国の歴史の裏側に秘された、忘れられるべき水面が波打っている。その波及を恐れる者達の結論は、ただただ穏便の内に有耶無耶にしてしまうことに向かっている。
帝国軍としての表向きの在り方、帝国としてのあるべき形を保つ方向性、それら、今後の方針というべきものを結論付けるために、今現在も会議は続いている。けれど、政府高官、軍上層部の代表者が集うその場所に……少女は立てないでいた。
「……紅蓮、榊はなんと申していますか」
「はっ、些か時期尚早ではあるが、これも已む無しとのことです。是親自身は女狐に踊らされることをよしとして居らぬようですが、いやいや、あ奴の斯様な表情は久方ぶりでした」
紅蓮は豪快に笑い、内閣総理大臣の言葉を告げる。――これも已む無し……少女の眉が小さく顰められた。帝国議会を束ねる代表にして、第四計画の立案にも携わった老獪の一人。国連軍横浜基地とのパイプを握り、極秘裏に情報のやり取りをしている人物でもある。少女と五摂家の主要人物、知る必要のある極少数の人物を除き、第四計画の存在を知る者はない。日本主導となって行われている第四計画は、その計画自体が国連上層部の極秘計画であるがために、横浜基地に秘密部隊を置いて研究が進められているのだ。
(その成果がXM3……)
と、いうことなのだろう。そして、その成果を知らしめるためのトライアルだというなら、今日行われた報道に何の意味があるだろうか。
第四計画の成果である新型OS、XM3。その性能はトライアルによって証明され、世界中を震撼させるに足る評価を得ることが出来た。帝国内部でもそうであるように、既に各国の軍上層部は如何にしてそのカードを手に入れるか、その手段を模索していることだろう。
昼間に報じられた御剣冥夜の件は? ……恐らくは、後に判明した『甲21号作戦』にも関わりがあるのだろう。その存在を知らせることでこちらを浮き足立たせ、混乱を招く要因に仕立て上げ……優秀であるらしい彼女を早々に任官させるための一手――である可能性。あながち間違いではないような気がする。天元山の報道から、既にこのシナリオは出来ていたのだろう。第四計画の責任者がそこまでするほどの価値が、彼女にあるということだ。
そして、『甲21号作戦』……。正直、あのように焚き付ける必要があったのかどうか、という疑問がある。XM3の報告は受けている。軍上層部も、その性能の凄まじさに感嘆しきりで、手に入れられるものなら今すぐにも欲しいという有り様だ。まして、甲21号目標は帝国にとっても厄介な癌なのだから、共同作戦という形で要請を掛けるなりすれば――XM3導入を交換条件に――快く協力できただろう。或いは、作戦はあくまで帝国が主導を握る……という方向で話を進められた可能性もある。
(無論、すぐというわけにはいかないでしょうが…………)
――ああ、なるほど。少女は僅かに、ほんの僅かに表情を歪ませ、唇を噛んだ。
つまり、悠長に構えている時間がないのだ。“やる”からには“今”しかなく、そしてその最大の要因は、そこまで早急に実行しなければならない理由は――全て、第四計画の「時間を稼ぐため」なのだろう。XM3が第四計画の全総力を挙げた最大の成果とは思えない。これはこれで素晴らしいものだということは理解出来ても、これだけでは不足。全世界の命運を懸けるオルタネイティヴ計画の成果とは到底言い切れないだろう。
本命は別にある。けれど、それを研究・開発する時間……完成させる時間が、“足りない”のだ。榊是親を通じて得た情報では、成果を挙げられていない第四計画を中止すべきだという声が強くなっているのだという。その後に控える第五計画――米国が主体となって謳われているそれへと移行すべきだと、そういう流れが出来始めているのだと。
それを、当の責任者である香月夕呼が知らないはずはなく、故に、追い詰められている彼女はとにかく時間を稼ぐしかない。……そのためのXM3であり、そして、帝国軍を過剰に挑発しての、『甲21号作戦』の実行なのだ。あの最後の報道は、世界中に報じられている。つまり、世界中の軍関係者が、近々『甲21号作戦』なるハイヴ攻略作戦が実行に移されるのだと認識してしまったわけだ。
在日国連軍だけで実現可能な作戦ではない。もし本当にそれだけの戦力で作戦を実施するつもりなら、それは単なる気触れであり、自殺志願者の集団ということになる。だが、曲がりなりにも極東の魔女などと畏れられ、さらにはXM3という革新的なOSを現実のものとした天才が、そんな愚を犯すはずがなく――――つまりは、端から帝国軍の戦力を当てにしていたということになる。
いずれは甲21号目標攻略を考えたであろう帝国軍を、“いずれ”ではなく、“今”動かすための策。あの演説は全て、ただその一点だけのために行われたのだ。…………そういう観点から見れば、御剣冥夜の存在を知らしめたことについても、少々別の見方が出来る。彼女の“戦う理由”。それはそのまま、少女自身へのメッセージだったのではないか。
その事実に気づいて、ハッと目を見開く。――ああ、まさか。そのようなことがあるのだろうか。少女は噛み締めるように目を閉じて、彼女の言葉を思い出す。
――私には、護りたいものがあるのです
ただそれだけの、ありふれた願い。現実の戦場を知らないが故の、理想論。……けれど、その言葉は、その意志は、どこまでも純粋で強い、穢れなき彼女の輝きは。――強く、少女を揺さぶった。本当に。心の底から。
少女と向き合う形で立つ紅蓮と月詠の二人は、少女の微細な表情の変化に気づかぬ素振りをして、じっと待っている。……そう、待っている。少女が結論を出すことを。彼女が、「標」となることを。
政威大将軍、煌武院悠陽――それが、御剣冥夜と同じ顔を持つ少女の名であり、この国を背負って立つ、日本そのものの象徴とも言うべき人物の名。だが、その彼女は現在、外交、内政、軍事に関して……一切の発言権を持っていなかった。いや、便宜上「将軍殿下」の命令として遂行される何もかもが、彼女の名をほしいままに利用しているケダモノ共によって行われているのだ。
帝国議会を牛耳る卑俗な高官たち。米国という強大な国に尻尾を振ることで自身の腹を満たしてきた狗ども。……そんな下らない連中が、今の日本を統べている。
……内殿という名の檻に捕らわれた傀儡の少女は、しっかりと目を開き、二人の従者を見据えた。
「紅蓮、月詠、五摂家並びに帝国議会の諸侯を招聘なさい」
「「かしこまりました」」
毅然と言い放った悠陽に、紅蓮と月詠が礼を持って受け賜る。顔を上げた二人の表情はなんとも不敵で、なんとも勇ましく、そして――なんとも晴れやかなものだった。悠陽は、ソレを見て苦笑してしまう。
「……そなたたちには迷惑を掛けます」
「なんの、この身この命、如何なる時も御身のためにございますれば、迷惑の一つや二つ、むしろ足りぬくらいですな」
「左様にございます。殿下、我らは殿下の御身心を護る剣。殿下の手足として働くことこそ、我ら斯衛の誉れでございます。……なんなりとご用命くださいまし」
「……そなたたちに感謝を」
晴れやかなるままに笑顔を浮かべ、そして武人の表情へと戻る二人。彼らはもう一度頭を下げ、悠陽の前からさがって行った。その背中には闘志が漲り、その足音には「待ちかねた」とでも言うような強い歓びが満ちて。
「あ――真耶さん」
去り往く二人の背中に、悠陽が唐突に声を掛ける。立ち止まったのは眼鏡をかけた怜悧な女性で、力強い返事と共に、一切のよどみなく振り返る。悠陽は自分がどうして彼女を呼び止めたのか一瞬わからなかったが……けれど、理解するよりも先に、言葉が発せられていた。それは、無意識の願いだった。
「真那さんに伝達を――あのものを、頼みます……」
「………………っ、……かしこまりました」
恭しく一礼する月詠真耶を見やって、悠陽は、自分が今失態を侵したのだと悟った。……だが、一度言葉にしてしまったならばそれは全権総代である将軍としての言葉となり……故にその責任は、重く、強く、言霊となって具現化する。悠陽は己の責任というものを今一度認識しながら――最早一切の迷いはなく――庭園から覗く空を見上げた。
そして、帝国は動く。政威大将軍、煌武院悠陽の名のもとに。
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今日は本当に色々なことが起こる。トライアルに始まり、訓練兵の異例の報道や、夕呼の演説……更には、政威大将軍の声明発表だ。特に、一日の締めくくりとも言うべき時間帯に放送された全国民に対する将軍殿下の御言葉は、驚愕を呼び狂乱を呼んだ。――いや、熱狂というべきか。
政威大将軍がかつてその肉声を公共の電波に乗せたのは、先代将軍が身罷り、新たな将軍として即位したそのときだけで……以来、将軍殿下は人々の前に立ち、言葉を発することはなかった。けれど、人々にとって“将軍”という存在は日本を照らす希望であり、光明であり、象徴だ。その御姿、御尊顔は国民全員が見知っていて、誰しもの心に深く根付いている。例えその御言葉を耳にする機会なくとも、その存在が、日本という国を照らし続けてくれていたのだ。
その殿下が――人々の前に立ち、宣言した。甲21号目標の攻略。極東国連軍との共同作戦、『甲21号作戦』の、その遂行を。誰でもない、全ての人々へ、告げたのである。
「……」
「? どうしたの武、ぼーっとして?」
夜間訓練も終了し、各自自室へ戻る段になって、茜は格納庫の手摺にもたれる想い人の姿を見とめた。まだ強化装備のまま着替えてすらいない武に近づきながら、気安く微笑みかける。やって来る茜に気づいたらしい武が曖昧に笑うと、彼女はむっと眉間に皺を寄せて……
「ちょっと、こーんなに可愛い女の子が声掛けてあげてるんだから、もっと嬉しそうにしなさいよっ」
「……自分で言ってて恥ずかしくないのか?」
わざとらしくぷりぷりと怒ってみせる茜に、武は呆れたように肩を竦める。至極真っ当に返されてしまった茜はノリが悪いわねぇと溜息をつきながら、武の隣りにもたれかかる。自分と同じように手摺に背を預ける少女を見ながら、視界の端に映る複数人を確認した武は、隠れる気が全くないらしい晴子以下をとりあえずどうでもいいと割り切って、照明の灯る天井を見上げた。……頭の中では今も、将軍殿下の御言葉が繰り返されている。
「――国土を取り戻す戦い、かぁ……」
呟いたのは、茜だ。その一言に、彼女もまた自分と同じなのだと感じて、武は少し嬉しくなる。政威大将軍、煌武院悠陽殿下は仰ったのだ。これは国土を取り戻す戦いであり、BETAに奪われた全ての者の想いを遂げる戦いなのだと。……同じ日本人として、奮えない筈がなかった。込み上げる熱い情動を、抑え切れるはずがなかった。――いや、そもそも抑える必要などない。
「ああ、そうだ。俺たちは、アイツラに奪われたものを取り返す……」
言いながら、武は拳を握る。その燃えるような感情に、腰に提げる弧月が鳴った。その横顔はどこか鬼気迫るものがあり……茜は、無意識に武の左腕を抱く。驚いたような顔をする武に、少女は……小さく微笑みかけた。
「大丈夫だよ、武の傍には私がいる……。武の背中は、いつだって私が支えてあげる…………だから、」
「茜……?」
――だから、鑑さんのこと、
その仇を、とは……言えるはずがなかった。知らず感情が込み上げてきて、茜は言葉を詰まらせる。言ってはいけない、そんなことは。武はかつて復讐に捕らわれていた。そしてそれはそんなに昔のことではない。半年にも満たない以前。彼は紛れもなく、呪われた憎悪に身を焦がしていた。先任の命を以ってその愚かさと恐ろしさを学んだ武は、今やその暗黒に捕らわれることはないようだったが、今こうして何らかの感情に満ちている姿は、少し不安を抱かせる。
そんな茜の感情を悟ったのだろうか、武は抱かれた腕の指先を少女のそれと絡めて、強く握り締めた。――大丈夫だ。言外にそう伝えると、茜は安堵したように微笑み、肩に頭を預けてくる。シャワーを浴びたばかりの温かな香りが鼻をくすぐって、武は目を細めて小さく笑った。右手で茜の頭をくしゃくしゃと撫で回す。
「こんな作戦がいつから進められていたかなんて知らないけど……でも、俺は嬉しい。香月博士に、殿下……この二人が協力して、出来ないことなんてないんだ」
「うん……そうだね。私たちは、勝つよ……絶対!」
「ああ、絶対だ……。俺たちは、必ず勝つ……!」
夕呼が宣言した『甲21号作戦』は、その詳細はおろか概要さえ知らされていない。けれど、それが煌武院悠陽の口から“声明”として発表されたのだから、本当に、その国連軍と帝国軍の共同作戦は実行される。大規模なものとなることは間違いなく、そして、投入される全ての部隊にXM3は導入されるだろう。
故にその作戦は――XM3の実戦性能評価試験であり、AL4の続行を決断させるカードであり、奪われた国土を取り戻すための――勝利以外赦されないものとなる。
武にとってこの作戦は、この戦いは、絶対に譲れない。夕呼の研究を完成させるためには時間が絶対に必要で、XM3は認められなければならない。その目的の一部はトライアルで達成されているのだろうが、完全なものとするためには、絶大的な成果が必要となるだろう。――鑑純夏を復活させるために、“彼女”を再び取り戻すために、敗北は赦されない。
自分の命を救ってくれた上川志乃たち。偉大なる先任の死を決して無駄死にとしないためにも、今こうして隣りにいてくれる愛しい茜のためにも、水月や、共に戦う仲間達のためにも……武は、戦い抜く。絶対に生きて、護ってみせる。
BETAから。敵から。奴らから。勝って、生き延びて、護る。取り戻す。――全てを。なにもかもを。そうすれば、夕呼が、純夏を――……救ってくれるのだから。
「茜、お前は俺が護る……だから、一緒に生きてくれ……」
「――、うん……っ! 嬉しい、武……っ」
唇が触れそうに近しい距離で、二人は更に互いの距離を縮めていく。朱に染まった頬を擦り合せるように、肩を抱き、背中を抱き、ゆっくりと身体をとけあわせるように――
「ええい! 見せ付けやがってこの野郎!! あてつけか!? 男がいないアタシへのあてつけなのかっ!!??」
「あぁぁあああ! 本田少尉ぃぃ~~っ! 邪魔しちゃ駄目ですってばぁ!」
「一番いいとこだったのに~~!!」
「ででででもっ、見たいようで見たくない! そんなフクザツな乙女ごころがムムムム!」
「た、多恵さんも皆さんも落ち着いて……っ」
触れ合う寸前で横にそれた唇が、空しく開かれる。武の視界には、恥ずかしかったのか本気で悔しいのか、顔を真っ赤にして暴れ回る真紀の姿と、それを取り押さえようとする晴子、薫、多恵、亮子の四人の姿。本当にいつもいつもあの連中は……と、そんな風に諦めにも似た溜息が出てしまう。同じようにがっくりと項垂れる茜は、次第に肩を震わせ、次に顔を上げたときは、それはもう鬼神の如き形相をしていた――咄嗟に目を逸らした武は、多分きっと悪くない。
恐々と騒がしい真紀たちの中に、ゆらゆらと怒気を立ち込めた茜が向かっていく。武の背筋は恐怖に粟立っていたのだが、どうしてあの連中はそんな茜の接近に気づかないのだろうか。……きっと目の前にある真紀が面白くて夢中になっているんだろうなぁ――そんな諦観を抱いて、武はそそくさと退散する。早く着替えて自室に逃げ込むべし。さもなくば、いつあの矛先が自分に向くかわからない。女心と秋の空、とは誰が言ったか。何となく使いどころを間違えた気もするが、武はとにかく平穏無事に一日を終えるために行動するのだった。
後には、ただ女の子達の黄色い声だけが…………いや、人はそれを絶叫という。
そうして、長い一日は終わりを告げ――、翌日、第207衛士訓練部隊の任官式が執り行われた……。