『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「守護者編:四章-01」
A-01部隊。発足当時は連隊規模だったこの部隊も、その過酷な任務による消耗は激しく、今年の初めまでで一個中隊で運用されるまでに激減していた。伊隅ヴァルキリーズとは、その中隊を預かる指揮官の名を冠した通称であり、全員が麗しき女性衛士であるからつけられたのだ。そこに一人の男性衛士が加わることで定数を満たし、続く作戦で四名の戦死者を出した。その数ヶ月後に五名の新任衛士の補充を受けたことにより、CP将校を含む十四名で稼動している。
そして本日、新たに五名の新任衛士が任官・配属され、更には前線に復帰した神宮司まりも少佐や横浜基地に出向扱いとなった斯衛一個小隊が加わり、人数的には二個中隊に相当する規模の部隊となった。
香月夕呼より『甲21号作戦』の説明を受けた直後の小隊長ミーティングでのことだ。夕呼は作戦実施に当たっての諸準備のために執務室へ戻り、ピアティフは鉄を伴って帝都へ教導派遣されるため、その準備のために矢張り退室している。残されたまりも以下五名は今後の部隊運用について、ホワイトボードを前に各々の意見を申し述べていた。
「矢張り、斯衛は遊撃部隊として考えるのが一番効率が良いでしょう。作戦開始までの二週間で斯衛を同一部隊に編成した場合の連携を完成させられるとは思いません。……しかも、今回は新任五名との連携も詰めねばなりませんから、正直に言って時間がなさ過ぎます」
「大尉に同意です。……茜達のときでさえ初陣までに三ヶ月の訓練期間を要しましたから……いくらXM3のおかげで驚異的な技能を身に付けられたといっても、一朝一夕で部隊としての作戦展開を身に付けることは不可能です」
二十三名全てをまりもの指揮下に置くことはともかく、一個の部隊として運用することは不可能だと、みちると水月は言う。これには全員が同意見だったようで、まりも自身も頷いている。そのまりもから視線を向けられた真那は小さく首肯すると、
「差し出がましいですが、矢張り我々は別個の部隊として、遊撃を行ったほうが宜しいでしょう。これには幾つか理由がありますが……そもそも、我々は出向を命じられただけであり、今回A-01部隊と同一指揮下に置かれるのは、香月博士の一存に過ぎないということ。二つ目に、斯衛には斯衛の戦い方がありますから、それを例えばそちらの部隊に組み込んで一個中隊を編成したとしても、その連携は中途半端なものとなる可能性が高いこと。やって出来ないことはないでしょうが、我々がA-01と共に作戦に参加する期限が不明確な以上、少なくとも『甲21号作戦』のためだけに時間を削るのは得策ではないかと」
A-01にはA-01の、斯衛には斯衛の戦い方があり、それはどちらが優れているとかそういう問題以前に、“馴染んだやり方”が双方にあるのだから、一度限りかもしれない共同戦線のために、それを崩す必要はないだろう、というわけだ。要するに、みちるたちが意見した内容と同じである。そして、続けて真那が言った内容に、まりもは苦笑せざるを得なかった。直接この目で見たわけではないが、彼女達斯衛の四人は独自の戦術展開を持っているということ。真那が扱うのは自身の父が編み出した対BETA戦術の究極の一つである螺旋の剣術。そして指揮官自ら戦線に突っ込んでいくため、残る三名はこれまた独自の連携を得意とするということ。
つまり、彼女達は彼女たちであるからこそ、完璧な連携が行えるというのだ。部隊を一つ預かる指揮官自らにそう断言されては、まりもは頷くしかない。
「――そうなると、A-01は榊たち五人を入れて二十人……CPの涼宮を除いて十九人か。……半端だな」
ちらりと遙を見て眉を顰めるまりも。その視線を受けて、遙は苦笑していた。要員が増えたのはいいことだが、確かにこれでは中途半端である。最前線で過酷な現実と立ち向かっている部隊には定数を満たさないまま中隊や小隊を編成することが当たり前となっているらしいので、これは贅沢な悩みだといえる。が、斯衛を別部隊として運用することを前提で考えていたまりもは、さして悩むまでもなく、割り切って六人一個小隊編成を提案する。
「それでは一名余りますね。一つ、七名編成で組みますか?」
「いや、その余り一は私でいい。中隊指揮は現状どおり伊隅が執り、私は単独で遊撃を行う――月詠中尉たちと同様だな」
確認の意味で問うたつもりの美冴は、返ってきたまりもの言葉に愕然としてしまう。これはみちると水月、遙も同じだったらしく、瞠目して口を開いている。
「ちょっ! ちょっと待ってください少佐!! それでは、少佐が危険すぎます! それに、一部隊に指揮官が二人などというのは混乱を招きかねませんッ!」
「……む。伊隅、そんなに全力で否定しなくてもいいじゃない。大体、私は二年以上のブランクがあるのよ? それに新任以外は伊隅の指揮に信頼を置いているでしょうし、その方が部隊も纏まるでしょう。外部の将兵がいるならともかく、極秘任務担当の特務部隊が、そんなの気にしてもしょうがないでしょう?」
その言い分は無茶苦茶だ、とみちるは顔を青褪めてしまう。いつか夕呼がまりものことを親友だと言っていたことがあるが、まさかそのような傍若無人な台詞を、まりもから聞かされるとは思っていたなかったのである。類は友を呼ぶというが……教官時代のまりもにはそんな素振りは全くなかったというのに……。時間とは、このように人を変えてしまうものなのか……。言葉に出来ないやるせなさに、みちるは項垂れた。
が、これには流石に水月たちも喰らいつく。指揮云々はともかく、いくらなんでも単機は無謀だという意見。二機連携が原則だという美冴からの指摘には、流石にまりもも口を閉ざすしかなかった。本人的には言ってみただけというのが実は大きいのだが、ここまであからさまに「やめてくれ」と反対されるとは思わなかった。ちょっとだけショックである。
「仕方ないわね……じゃあ、小隊の一つを七人で組むとして……」
「お待ちください」
やれやれと溜息をつきながら話を纏めようとしたまりもに、真那が待ったをかける。自分たちの運用方法が決まったため一歩引いていた彼女が、割り込むように挙手していた。当然、全員がそちらを向く。――水月だけは、その目に“まさか”という危惧を宿らせていて……そして、その直感はオオアタリであった。
「そちらから一名ほど、我が隊に貸し与えてはいただけまいか。そうすれば私はハイヴ内という危険地帯で二機連携を組むことが出来、そちらは六機一個小隊編成でバランスよく部隊を編成できましょう」
「――却下ァ!! 却下よ却下!! 大体そんなの、白服の一人を相方にすればいいじゃない!」
「あの者たちは三人で一個小隊を凌ぐ実力を発揮する。これを無理に崩すとなると、全体の戦力低下は否めないな」
どうしてか声高に反対する水月に、ある意味滅茶苦茶な論理で反論する真那。……どうでもいいが、二人とも明らかに敵意を剥き出しである。水月は表情から声音、態度で丸わかりだが、対する真那は纏う空気が強烈に冷ややかなのだ。彼女達を見ているだけで、みちるは頭痛を覚えている。――お前ら、いい加減にしろ。
「月詠中尉。先程そちらの部隊は特殊な戦術に則って部隊を運用するから、我々との連携は期待できないと自分で言っていた筈だが?」
「――は! そのとおりであります。ですが、物事には常に特例というものが存在するのです、少佐。……そちらには我が剣術の弟子である白銀少尉が在籍しておりますから、彼を我が隊に加えていただければ、遊撃小隊としての活躍は更に期待できます」
半ばその答えを知っていながらのまりもの問いに、真那は至極当然とばかりに言い切った。直後、顔を真っ赤にして憤る水月だったが、遙と美冴に抑えられてしまっている。予想された暴徒の抵抗がないのをいいことに、真那は勝ち誇った表情で水月を見た。誰が見ても喧嘩を売っているようにしか見えない。事実、そのとおりだったのだが。
そして、この意見にはみちるが賛成した。そもそも、先の模擬戦では夕呼のきまぐれとは言え、武の配置を巡って水月と真那が戦っていたのである。退屈しのぎのこととはいえ、真那率いる斯衛の小隊は、水月たちを打ち破り、賞品であった武をその手中に収める権利を持っているのだ。もっとも、この件については水月が一勝一敗の引き分けで無効だ、と大人気ない抵抗を見せていたのだが……。
「ちょっ!? 大尉!!??」
「いいじゃないか。白銀も自分の師匠と連携が組めるなら文句はあるまい。それに、『甲21号作戦』だけに限った話で現在は打ち合わせているんだから、作戦終了後にまた返してもらえばいいだろう?」
――それとも、弟を取られて悔しいのか?
上官の裏切りに焦った声を出す水月に、みちるはさも意地悪く唇を吊り上げる。完全にからかいに走ったみちるは容赦なく水月を弄り回し、水月はといえば顔を真っ赤にして慌てふためき、悔しそうに唸っている。その背後では遙が「水月可愛い」と幸せそうだったが……まぁそれはどうでもいいだろう。美冴だけは武本人や、恋人関係にある茜を無視したこのやり取りを一歩引いて眺めていたが、また面白いことになりそうだとほくそ笑んでいるので同類だ。
「ほらほら、貴様達いつまでもじゃれ合ってるんじゃない」
やや呆れたような口調でまりもが手を叩き、じろりと一同を見渡す。これにはみちると真那が背筋を伸ばすことで応じ、水月は悔しげな表情のまま屹立する。遙と美冴はごく落ち着いた様子で姿勢を正し、自らの指揮官を見た。
「では、部隊の編成は今の通りとし、白銀は月詠中尉の部隊に臨時的に編入する。各員の配置については――今頃模擬戦も佳境に入っているだろうから、その結果で判断するとしよう。伊隅はC小隊、速瀬はB小隊……そして私がA小隊を指揮する。速瀬を突撃前衛長に据えるのはこれまでの経験・実績と突撃前衛としての素質の高さから判断した結果だ」
「「「はっ! 了解しました!」」」
簡単に議事をまとめるまりも。真那は満足げに頷き、小隊指揮官に指名されたみちると水月が姿勢よく敬礼する。従来であれば部隊のナンバーツーが務める突撃前衛長だが、この配置についてみちるに文句はない。半年前までならいざ知らず、現在の水月と一対一の戦闘で勝つことは難しくなっているからだ。それだけ、彼女は近接戦闘に優れているのである。なにせ接近戦において鬼のような強さを誇る斯衛と渡り合えるほどの実力だ。正直、みちるには真似できない。
この指揮官の配置換えにより、美冴が小隊長から外れることとなるが、彼女は少しも気にした様子もなく上官たちを見つめている。元々序列から小隊長を任されていただけであって、そのポジションに未練があるわけでもない。……勿論、小隊長として必要な気構えや志、部下を死なせないための戦略を必死の思いで身に付け、実践してきた自負はある。それらを無駄にするつもりなどないし、この経験が自分を成長させてくれたのだと実感してもいる。つまり、立場こそかわってしまったが、そうやって現場で培った経験は今後も自分にとって、部下達にとってよい糧となるのだ。
美冴はそれを理解している。そして、そんな彼女にお疲れさま、と遙が優しく声を掛け……気づけば、みちると水月も美冴を見て微笑んでいた。美冴はむず痒いような気恥ずかしさを覚えて視線を逸らして、そして小さく笑う。――まったく、この人たちは……。そんな温かい感情をよしとして、自分をここまで成長させてくれた先達二人を見つめ返し、一礼した。
そうして新生A-01は訓練を開始したわけだが、前代未聞の国連軍衛士の斯衛への配置換えを聞かされた武は引き攣った表情で絶叫した。その隣りでは茜が同じように驚愕していて、見ているものを愉快にさせている。が、驚き、困惑しているのはほかの皆も同じようで、一体どういうことだろうとまりもや真那に視線を向ける。
「――なんだ白銀? 厭なのか?」
「はい! いいえ! 厭ではありません!!!」
完全にからかいの口調でまりもが問い、これに武は全力で否定した。もし万が一ここで頷いてしまったら…………考えるまでもなく、血の雨が降ることになる。気のせいか、真那の視線が痛い。……彼女から既に二度ほどホンモノの殺気を向けられた経験のある身としては、これ以上の恐怖を上塗りしたくはない。昨日の冥夜を巡っての感情のすれ違いについては既に解消されているが、だからといって真那が恐ろしくないわけではない。
そして、驚きが去ってみれば、これはひょっとすると物凄く貴重な経験となるのではないかと閃いた。剣術の師匠である真那と二機連携を組む。……衛士として最高峰の実力を誇る斯衛の赤服と戦場で肩を並べる。彼女の弟子であり、より高みを目指している武としてはこれは願ってもないチャンスではないのか。
無論、今現在の彼の実力で真那と対等に在れると思うほど自惚れていはいないので、それ相応の訓練を積む必要はあるだろう。が、それらの訓練とて己を成長させてくれる要素を多分に孕んでいるのは明白であり、つまるところ、拒否する理由などないのである。
更には、まりもが説明してくれた遊撃部隊という位置づけに据えられるのであれば、突撃前衛として戦場を突き抜けるよりも、茜を直截的に護る機会も増えるわけだ。もっとも、斯衛という集団の性格上、前線に躍り出る頻度が格段に高くなるのだろうが、それはそれ、と割り切ることにする。真那は武の気持ちを知ってくれているので、先のような配慮も少しはあるのではと思いたい。
そこまで思考を纏めた武は、自身に二種類の視線が向けられていることに気づく。一つはすぐ隣りから。そしてもう一つはみちるの隣りに立つ水月から。――ヤバ。何がヤバイというのかはわからないが、そういう直感が武の脳裏を過ぎった。一体どうしてあんな視線をこの二人から向けられなければならないのか甚だ疑問であるが、それに対してとにかく弁明しなければという焦燥に駆られ――る間もなく、真那が武の襟首を掴んで引き摺っていく。どうやら茜たちの視線に気づいた時点で思考が停止していたらしい。……が、だからといっていきなり連行されているのは何故だろうか。
「つ、月詠中尉!? 一体どこへ?!」
「決まっているだろう。貴様は私と二機連携を組むんだぞ? ハッキリ言って今の貴様では役不足だから、これからみっちり扱いてやる」
聞くんじゃなかった――そんな後悔を胸に、そして冷たく恐ろしい二組の視線に突き刺されながら、武は真那に引き摺られるまま、A-01が使用するシミュレータルームから退場した。
まるで猫か何かのように連れて行かれた武をポカンと見送った元207B分隊の面々は、暫しの後に全員で顔をつき合わせ、ひそひそと何事か囁いている。そこから漏れ聞こえる声を聞く限りでは真那と武の関係についてアレコレと憶測が飛んでいるようだった。誰がどう見てもただの師弟関係には見えなかったわけだが、実際には彼女達が拳を震わせるようなことは一切なかったりする。……のだが、そんなこととは無関係に怒り心頭な水月や、単純に嫉妬に燃えている茜には焼け石に水らしい。
まりもとみちるが賛成したために武を手放してしまった水月からすれば、真那は弟を取っていった恨めしい相手であり、それ以上に、実力で敗北した事実が相当に苛立たせている。年齢も、衛士としての実績・実力も、共に真那の方が上だったのだが、そんなことは一切関係ない。階級が同じであり、互いに特殊な立場にある以上、遠慮は無用だ。それは真那も同じらしく、互いに好敵手として認め合ってもいる。
そんな水月の肩に美冴がそっと手を置き、
「諦めが悪いですよ、速瀬中尉。伊隅大尉も仰っていたではないですか。作戦が終わり次第、また返してもらえばいいんですよ」
「……宗像……、」
珍しくからかいなしに宥めようとする美冴に、水月は神妙な顔を向ける。確かにそのとおりなのだが、色々と咀嚼できない感情が渦巻いている。茜と武の仲を応援している身ではあるが、それはそれ、という言い訳めいた情感が、確かに存在しているらしい。女々しいことだ、と自身を嘲りながら、水月は溜息をつ――こうとしたのだが、続く美冴の暴言に、身を強張らせる。
「まぁもっとも、白銀が戻りたいと言うかどうかはわかりませんが。なにせあれほどの美人にシゴかれるわけですから。……胸の大きさでは確かに中尉も負けていませんが、武家の女性は夜伽の教育もしっかり施されていると言いますし……」
「……………………」
「しかもあちらにはまだ三人いますからね。下手をすれば四人同時に、なんてことも……」
「「たぁけぇるぅううううううう!!!??」」
とんでもない爆弾発言をかました美冴の思惑の通り、水月と――そしてそれを聞いていた茜が怒りを顕にして咆哮する。顔を真っ赤にして煉獄の炎を背負った二人の姿は、正に羅刹。その嫉妬と怒りの奔流は傍にいた皆を全力で引かせるほどに恐ろしく、そして怖い。
自分の意図した以上の反応を見せてくれる二人に、美冴は満足そうに頷いている。その背後では、彼女の優秀な教え子である晴子と薫がとても愉しそうに笑っていた。
===
2001年12月31日――
甲板上に吹き荒ぶ冷たい風を受けて、武は宵闇を睨み据えていた。昨日までの熾烈にして苛烈、壮烈な訓練の日々を思い返せば、色々と頭を抱えて蹲りたくなるようなことが思い出されて憂鬱になる。真那直々の訓練は文字通り地獄の日々だったし、残る白服三人との実戦形式での訓練は何度死にそうな目に遭ったかわからない。そしてようやく真那から合格をもらえたと思えば、A-01との連携訓練の日々。遊撃小隊とは簡単に言えば戦場を駆け巡る囮部隊なので、それはもう間断なくハイヴ内を駆けずり回り、真那共々消耗に消耗を重ねてきた。
ハッキリ言って、辛い。苦しい。けれど弱音を吐いている暇などないし、絶対に負けは許されない状況と、武自身の決意が、血反吐を吐きながらの訓練を乗り切らせていた。
……そう、武は本当に血を吐いたことがある。たて続けに行われる過酷な訓練に内臓がやられたというだけでなく、どうやらクスリの効きが悪くなってきているらしかったのだ。今でもクスリを届けてくれる社霞から“そろそろ危ない”ことを聞かされていたので驚きは少なかったが、足元から這い登ってくる死の予感に、心臓が凍りつきそうだった。不安を抱えたまま戦場に出るわけにもいかず――作戦の準備の余念がない夕呼を呼び出すのは気が引けたが――クスリについて一番詳しい夕呼に、現在の自分の状態を確認したりもした。
返ってきた答えは、今すぐどうこうなるわけではない、というもの。この今すぐというのが数日なのか数ヶ月なのかは判然としないが、夕呼がそういうのならば少なくともこの『甲21号作戦』中に死ぬようなことはないのだろう。そう自分を納得させた武は、それ以降副作用のことを考えることはしなかった。死なないのであれば、それでいい。ならば後は戦場で命を落とさないよう、茜を護り切るだけの力を身につけるよう、より一層の訓練に打ち込むだけだ。
そして――鑑純夏。
この作戦が失敗すれば、夕呼はその地位を失う。それはつまりAL4の頓挫を意味し、00ユニット開発も中止されるということだ。幼馴染にして恋人、そして今尚武の心に存在し続ける愛する少女。その純夏の命を奪い、00ユニットとしての復活を約束してくれた夕呼には、なんとしてもオルタネイティヴ計画を続行してもらわなければならない。そのために武は戦うと誓ったのだし、彼女の足を二度と引っ張る真似はしないと誓ったのだ。
愛する茜を戦場で喪わないために戦い、愛する純夏と再会するために戦う。今の武にはこれだけで十分だった。それがどれだけエゴイストな考えだとしても、残り少ない日々しか生きられない彼には、かけがえのない輝きなのだ。真那に教えられたことでもある。――戦う理由として、それは何よりも尊い。
「――生きてやる」
それは無意識の呟きだった。澄み切った夜空に輝く星々を見上げて、まるで仇敵を睨みつけるかのように――強く。握り締めた弧月が鳴る。師に託された刀は、今このときも武の心のよりどころとして一番近くに存在してくれていた。……師匠といえば……武はふと、出航前に夕呼から渡された写真を思い出した。それはいつどこで撮影したのか知れない、なんとも可愛らしい表情をした真那のブロマイドで、一体どういう気を回したというのか、夕呼が餞別にくれたのである。
目を丸く見開いて、驚いた表情をしている真那。あの恐ろしく厳しい師匠がこれほど可愛らしい顔を見せるというのはかなり珍しいのではないだろうか。少なくとも、武は見たことがない。元々目を見張るような美人であったわけだが、ホンモノの美人というのはどのような表情でも整っているから美人なのである。……が、まぁ、この写真は見惚れる、というよりは可愛らしくてつい笑ってしまうような類のものだったが。
「ははは、師匠も可愛い顔するんだなぁ……」
出撃前の着座調整まで不知火に乗ることはないので、今もこうして防寒ジャケットのポケットに忍ばせていたその写真。手に取り、ひとしきり眺めてくすくすと笑う。せっかく夕呼がくれたのだから、御守り代わりにモニタやパネルに貼り付けておこうと考えていた。なにせ斯衛の赤服様である。きっと御利益があるに違いない。本人に知られたら海から叩き落されないが、武は割りと本気だった。
「へ~、白銀君ってば月詠中尉の写真なんか持ってたんだぁ」
「どれどれ? ほほお~、こりゃまた可愛らしい!」
ギシリ、とタケルの全身が硬直する。突如として背後から掛けられた声に聞き覚えがありすぎる。帝国軍訓練校時代からの付き合いで、今ではA-01のトラブルメイカーとしてその名を轟かせるようになった晴子と薫。どうしてこいつらはいつもいつも武にとって不利になるような状況に現れるのか。……実は物陰に隠れてタイミングを見計らっているのではないか。そう疑いたくなるほどの遭遇率である。
「か、柏木? ……これはだな、御守りというか、」
「御守り!? あっはははは! そっかそっかぁ! 白銀君もやるねぇ! 茜に速瀬中尉に、遂に月詠中尉まで!! いやぁ~、隊内唯一の男の子となると、やることが違うね!」
「なっ!? ちッ、違うぞッ! お前は今猛烈に誤解している!!」
「はいはい落ち着けって白銀ェ。言い訳なんて男らしくないぜー? 別にあたしらそれを非難してるわけじゃないんだからさぁ」
「違うって言ってるだろう立石!? 俺は無実だ!! ていうか茜はともかく水月さんてなんだ?! つか遂にとか言ってんじゃねぇ!!」
武の手から真那の写真を盗み取ろうとする薫をかわしながら、まるで悲鳴をあげるように武は弁明する。それを晴子は一歩下がってからかい続けるのだが、今の武の発言にはなかなか興味深いものがあった。
「へぇ~? 茜はともかく、ねぇ??」
「――ッッ!!」
とっくに周知の事実ではあったのだが、本人達は隠しているつもりらしく、公知ではないというのが武と茜の認識だ。それを理解している晴子は、故に“初耳です”という具合にからかうのである。そして武は晴子の期待通りに顔を真っ赤にして固まった。「しまった」という表情をして、硬直している。そんな隙だらけの武の手から薫が真那の写真を抜き取り、晴子共々観賞する。どうやら同性から見ても大変可愛らしいようで、二人とも実に愉しそうである。
「……って!? いつの間に写真を!? ぃや、違う! そ、その、茜とはつまり……ッ!??!?!」
数秒の後、我に帰ったらしい武が慌てふためいて奇妙な動きを見せるが、晴子も薫もそれに苦笑するしかない。……まったくこの男は。そんな諦めにも似た可笑しさが込み上げてきて、……きっと、茜は今幸せなのだろうと頷く。もっと色々とからかわれるのではないかと身を強張らせていた武は、彼女たちからの追及がないことに逆に恐怖を感じたが、やがて二人の見せる表情や雰囲気から、いつもとは違うなにかを感じ取る。
「ん、ほら。……御守りなんだろ? 返す」
「ぁ…………ぁあ、ありがとう??」
苦笑したまま真那の写真を返してくれた薫。その、あまりにも調子が狂う態度に、武は思い切り首を傾げてしまった。確かに武は鈍感だが、感情の機微に疎いというわけではない。けれど、目の前にいる二人の何が妙だと感じるのか、そのことまではわからなかった。
武の表情から考えていることを悟ったのだろう。晴子は薫と顔を見合わせ、更に苦笑した。
「ごめんごめん。心配させちゃった?」
「ぁ……ああ、いや。なんか変だな、……って。そう思った」
――どうかしたか? その一言が何故か憚られて、武は口を閉ざしてしまう。リーディング能力は常時バッフワイト素子を身に付けているので使えない。……使う気もないのだが、こう神妙な空気が漂ってしまうと、どうしていいのかわからない。これが例えば茜であったり、気の弱い面もある亮子であったりするならば、まだ武にもやりようがあったかもしれない。けれど今目の前に居るのは“あの”柏木晴子と立石薫なのだ。武は、この二人がこれほど「不安そうに」している姿を見たことがなかった。
(不安、だって……?)
自分で思ってギョッとした。そうだ、晴子と薫……この二人が見せている表情は、発している雰囲気は、不安に押し潰されそうな……そんな姿だった。まさか作戦を目前にして怖気づいたのだろうか。いや、そうではないだろう。初陣は既にこなしている。戦場が恐ろしいというなら、あの新潟で見せた強さはなんだったのか。だが、そんな武の思考を留まらせるように、薫が海の方向を見やりながら、零すように呟いた。
「あたしはさぁ……怖いんだ」
「…………」
どこか遠くを見つめる風な薫に、武は何も言葉を掛けられない。――怖い。そう口にした薫は、不安に満ちた、というよりはまるで無色な表情で、淡々と胸の裡をさらけ出す。……武に出来ることは、ただ黙ってそれを聞くだけだった。
「初陣の時はさ、もう何がなんだかわからないくらい無我夢中で、XM3の性能や、みんなと戦ってるんだっていう使命感……じゃないな、興奮、みたいなものでいっぱいでさ。正直、怖いとか何とか、考える暇もなかったよ。後になって冷静になってようやく……ああ、怖かったんだ、ってわかった。BETAと戦うことはさ。戦争するってことはさ。……怖いんだ」
あたしの中には、今もあの12番の不知火が焼きついている――そう続けて言った薫に、武は表情を凍らせた。何故、と。そう口にしたかった。……確かに“その話”は、彼女達が任官したそのときに話したことがある。かつての自分が犯した過ち。決して拭い去ることの出来ない愚かさ。先任の命を奪い、己の顔に傷を負い、左腕を失った……あの、血みどろの戦場。
だが、それは武の口からそういうことがあったのだと、掻い摘んで話しただけだ。それがトラウマ――なのだろうか? ――になるほどの影響を薫に与えたというのか? きっとそれは違う、と。武は凍りつきそうな寒気を振り払う。どうして、などと考えるのは不毛だろう。現実に、薫はその光景が焼きついていると言ったのだ。ならば何らかの形であの『伏龍作戦』の詳細を知り、武が光線級に撃ち落とされた様を目にしたのだろう。
「……新潟には、光線級はいなかった。レーザー属は、本当に運よく、あの戦場には出現しなかった。だから、だろうな。あたしはパニックになることもなく、なんとか戦えたんだ」
けれど、今度は違う。大規模な作戦。人類の未来を賭けた一戦。敵の根城、ハイヴを攻略する。敵は膨大で、まるで無限を相手にするかのよう。迫り来る少数を蹴散らすのとはわけが違う。こちらから飛び込んでいく。レーザーが飛び交い、数え切れないくらいの化け物が殺到する戦場を駆け抜け、根城そのものに突入する。
それを恐ろしいと漏らすことの、一体何がおかしいだろうか。……そんな弱音を漏らす薫を、誰が責められようか。誰だって怖い。誰だって恐ろしい。ただ、皆それを口にしないだけだ。表に見せないだけだ。……それが、実戦を経験した者の強さというものだろう。喪った仲間のため。共に戦う仲間のため。怖いと嘆くだけでは誰も救えない。誰も護れない。だから弱気を見せないし、怖気づいたりしてやらない。
薫は、ひょっとすると晴子も……まだその域に達していないのかもしれない。武自身そう偉そうなことが言えるわけではないが、だからといって、こればかりは武にはどうしようもない。冷たい言い方だが、結局のところ、本人次第なのだ。戦場を恐れようとも、軍人であり衛士である以上そこからは逃れられない。逃げたいというのではなく、ただ怖いのだというだけでも……怖がってばかりはいられない。死にたくない、というのも同じだろう。そういった恐怖に身を縮ませていたって、戦場が遠ざかるわけでも、なくなるわけでもない。
人類は今、地球そのものを侵略しようという化け物と戦っているのだから。
……無論、薫もそれは理解していた。こんな風に武や晴子に己の不安をさらけ出したところで、結局なにがどうなるというわけではないことなど……とっくに理解して、知っていた。現に聞かされた武は戸惑うような視線を向けてくる。気優しく、思いやりのある彼のことだから、きっと……自分を慰めるような、或いは元気付けるような言葉を探しているのだろう。――あはは、ばぁか。その武の感情をありがたいと思うし、好ましいとも思う。
薫は小さく笑って、次の瞬間には夜空に向かって咆えるように叫んでいた。
「あたしは死なねぇ! 死んでやるもんかっっ!! 戦って! 勝って! 生きて!! ――あたしらみんなッ! みんなで還るんだ!!」
――なぁ、そうだろう白銀!?
顔を天に向けたまま、どこか晴々とした声で、薫は呟いた。突然の咆哮にびっくりしていた武と晴子は、その言葉に震えそうなくらいの感情を覚えていて…………武はただ、ああ、と。力強く頷いた。
しばらくそうやって三人で星空を見上げていて、やがて薫が眠くなったと言って艦内へ戻っていった。……きっと、恥ずかしかったのだろう。武は晴子と顔を見合わせて苦笑し、なんだか可笑しくて笑った。
「……ありがとね、白銀君」
「あン? なにがだよ…………」
うん、ありがとう。そう言って微笑んで、晴子は“よっこらせ”なんて年寄りくさいことを呟きながら甲板に座り込んだ。両脚を投げ出すようにして、その様子を眺めていた武を見上げている。
「なにしてるの。ほらほら、白銀君も座って座って」
冷たい甲板を叩いて示しながら誘ってくる。そんな仕草が無性に可笑しくて、武は笑いながら晴子の隣りに座った。もちろん、両脚を投げ出すようにして。そのまま特に会話もなく、ただぼんやりと夜空を見上げる。そういえば自分はどうして甲板に出てきたのだったか……武は一人でこんな寂しい場所にやって来た理由を思い出そうとして、苦笑した。何のことはない。自分も怖かったのだ。薫と同じ……そして、多分、今隣りにいる晴子も同じ。
晴子や薫にとっては始めての大規模作戦。茜、多恵、亮子にとってもそうだし、冥夜たち五人にとっては初陣だ。……怖くないはずがない。恐ろしくないはずがない。初陣が大規模作戦という点は武も同じだが、あの時の自分と彼女達とでは比較にすらならない。なにせ、あの頃の自分は復讐に酔いしれる鬼だったのであり、BETAへの恐怖よりも連中を斬り殺すことの出来るその時を今か今かと待ち望んでいたのだから。
そう思えば、今こうしてBETAとの戦争に緊張して、“怖い”なんていう真っ当な感情を抱いている自分は、どうやらマトモな人間に戻れているらしいが……。これも、自分を殴りつけ諭してくれた水月や、進むべき道を示してくれた真那、狂って壊れた自分を見捨てずにいてくれた夕呼にみちる……傍で支え続けてくれた茜のおかげだ。――上川少尉。一歩間違えば戦死していただろう自分を、救い出してくれた彼女。なによりも、貴女への感謝を……。
「ね、白銀君……白銀君はさ、この戦争が終わったらどうする?」
「――ぇ?」
思考の海に埋没しそうになっていた武に、晴子が問いかける。……その問いはあまりにも夢想染みていて、けれど、晴子はとても真剣な表情をしていた。微笑をたたえたまま、けれど、眼が。その瞳が。武の心の中にスルリと入り込んで、染み込む。――戦争が終わったら。BETAを滅ぼしたら。奴らを根こそぎにしたら。そうしたら、どうする? 武はほんの少し言葉に詰まった後に、紛れもない笑顔で、こう答えた。
「前に……さ。夢を見たんだ。どうしてそんな夢を見たのか、アレが一体なんだったのか……そんなのは全然わからないんだけどさ。でも、凄く幸せな世界だった。俺はみんなといて、みんながいてくれて……笑ってた。声を上げて、楽しそうに。莫迦みたいなことをやって、ふざけて、遊んで……みんなで、楽しくて、幸せだったんだ。俺は、そんな世界を生きてみたい」
抽象的過ぎるかとも思ったが、それを聞いた晴子は満足そうだった。そう、とだけ呟いて、頷いて、いつものように笑う。晴子の真意を量りかねた武が一体どうしたのかと尋ねようとしたそのとき、まるで見計らっていたかのように晴子は立ち上がり、先程の薫のように夜の空を見上げた。武は座ったまま彼女の背中を見上げて、次いで空を見た。
連中は宇宙から来た。奴らはソラからの侵略者……。この戦争は、そんなSFが現実になった地獄だ。戦争の終わり……いつかはきっと終わるのだろう。けれど、多分、それは自分や晴子が生きている間の話ではない。
負ける気もないし、死ぬ気だってない。戦って、勝って、生きて――薫の叫びが耳に残っている。ああ、そうだな。――俺たちは、生きてみんなで還る。茜を護るため。純夏を救うため。夕呼の計画を現実のものとするため。残り少ないこの命を、燃やし尽くす。そしていつか、いつか戦争が終わって……平和が戻ってきたら。いつか夢で見たあの温かで幸せな世界を……そんな場所に、彼女達と……。
生きて、笑って、暮らしたい。
「な、なんで……なにやってんのよ晴子ォォオオ……ッッ」
「あ、茜! 落ち着きなさいよっ!!? ――ちょっと御剣、貴女も手伝って!」
「おのれ柏木……一人だけ抜け駆けしおって……ッ!」
「貴女もなの!?」
「女の嫉妬は醜いね……」
「はっははは! 拳鳴らしながら言っても説得力ねぇな彩峰!」
「笑ってないで、なんとかしなさいよっ!?」
艦内と甲板とを繋ぐ通路の一つ、薫が戻っていったそこで、なにやら奇妙なことが起こっていた。
つい先程のことだ。武や、先程までの自分のように風に当たろうとでも考えていたらしい茜たち御一行に遭遇した薫は、面白みの種が自分からやってきたことにほくそ笑み、無言のまま彼女達を手招きした。自分も今ここに来たのだという風を装った薫に騙された四人は、僅かに開いた扉から甲板を覗くようにして、そこで武と晴子が逢引している光景を目撃したのである。
これに面白いように激怒したのが茜で、慌ててそれを止めようとしたのが千鶴。が、千鶴の説得に耳を貸そうともしない茜に焦りを覚えた彼女は、背後にいた冥夜に助けを求めたのだが、どうしたわけかこちらも一触即発の雰囲気を放っている。一体何故、と愕然とした千鶴の耳に、今度は慧の呟きが届く。言っていることは確かにそのとおりなのだが、じゃあ両拳をバキボキと鳴らしているオマエは一体なんなのか。それを薫が突っ込んでいたが、どうもコイツは彼女達を抑えるつもりがないらしい。
「ちょっ!? ちょっと、立石さん!? あなたも何とかしなさいよっ!?」
「えー? なんで? いいじゃんか。ほっとけほっとけ。ホラ、面白いもん見れるしさぁ」
駄目だコイツ。薫が端から愉しむ気満々なのだと気づいた千鶴は、その悪気の欠片もない様子に脱力してしまった。――あ。気づいたときにはもう遅い。両手で抑えていた茜が解き放たれ、自由を得たことに快哉を上げる。……いや、あれは嫉妬の叫びかなにかだろうか。それを待っていたとばかりに冥夜が走り出し、どういうわけか慧が続いていく。武と恋仲だという茜や、何かと武のことを気にしていた冥夜はまだわかるが、どうしてそれに慧まで加わっているのだろうか。最早暴走した彼女達を止めることなど不可能だと悟った千鶴は、全然関係ない思考に浸ることにした。現実逃避とも言う。
「あはははははっ! 白銀が飛ぶの、久しぶりに見たなぁ」
「……いや、全然笑えないんだけど……」
というか、なんであれで生きているのか。腹を抱えて愉快そうに笑っている薫の神経を疑いたくなるが、あんな人外魔境な攻撃を平然と繰り出している茜達も本当にニンゲンなのだろうか。そして更に恐るべきは、律儀にそれを全部喰らって、宙を舞いながらも生きているらしい武だ。非道すぎて直視に耐えないが、聞こえてくる断末魔が、彼の生存を伝えてくる。
「あら、柏木さんは?」
「あ? ああ晴子ならとっくに逃げたよ。あいつこういうときだけ逃げ足はやいよなぁ」
恐ろしい現実から眼をそらした千鶴の疑問に、薫が答えてくれる。当たり前のように言った薫の言葉や、茜と武の様子から判断するに、どうやら彼女達はいつもこんなことを繰り返しているらしい。彼らにとってこれは最早日常であり、当たり前のコミュニケーションなのだろう。……物凄く不毛だとは思うが。呆れたように溜息をついた千鶴は、まったく理解に苦しむという顔をして薫を見たのだが、返ってきたのは、思わずつられて笑ってしまいそうなほどの笑顔だった。
「……ぷ、くく……あははっ!」
「あっはは! ははははは!」
暫くそうして笑い合っていると、近づいてくる大勢の足音がした。見れば、笑い合う自分たちを見て不思議そうにしている仲間達。元207分隊の彼女達が、そろいも揃ってやってきていた。先頭を歩いていた亮子と壬姫。隊内でマスコット扱いされるほどの愛らしさを持つ彼女達が、きょとんとした様子で首を傾げていて……その仕草が、薫と千鶴を刺激する。もう駄目だった。何でも可笑しい。止められない。――ああ、なんでこんなに、莫迦みたいなのに、楽しいんだろう。心底不思議に思いながら千鶴は笑う。同じように薫も笑い、外からは武の悲鳴と茜の咆哮が聞こえてくる。
ああ、なんて楽しい。
こんな風に可笑しくて楽しい仲間達だから――――だからみんな、生きて還ろう。
笑いながら、薫はそう胸に刻んだ。もう怖くなんてない。もう恐怖なんてない。光線級だろうが重光線級だろうが敵じゃない。ハイヴにどれだけの敵がいようと、そんなの全部、自分たちの敵じゃない。
そうさ。そうだろう? だって、自分にはこんなにも頼もしい仲間達が――
===
「立石ッ!! 逃げろ立石ィイイイイイイイイ!!!!!!」
『間に合わん! 奴はもう無理だ!!』
まるで雪崩。高く高く積み重なった要撃級と戦車級の山津波。侵攻する自分たちを押しとどめようと足掻く連中の、正に数にものをいわせた戦法だった。まさかBETAがこんな戦法を採るなんて――そんな絶望にも似た感情は、けれど、気づいたときにはもう遅く、まるで雪崩落ちるような物量に、薫の不知火はあっという間に呑まれて消えた。
悲鳴すらない。助けを呼ぶ声さえない。ハイヴ内に起きたBETAの山崩れ。その轟音と振動だけが機体を通じて伝わってきて、じわりと全身を這う。
死んだ。
――立石薫が、死んだ?
「ちくしょぉおおおお!!!??」
『落ち着け莫迦者ッ! 今のでB小隊に穴が出来た! 我々はそこを塞ぐぞッ!! ――ブラッズ各機、続けェ!』
まるで胃から血が込み上げてくるよう。操縦桿を握る腕が怒りに奮えて、今にも暴走してしまいそうだ。……けれど、そんな武を真那の叱責が冷静にしてくれる。ここはハイヴのど真ん中。敵の胃の中なのだ。周囲を見渡せばBETAの異形がごろごろとしていて、連中はまた新しい山を形成しようとしている。後方に配置された晴子や壬姫の砲撃がその山を打ち崩し、梼子や美琴の放ったミサイルが次々に敵を散らしていく。
直援についていたC小隊から離脱する。一気に前衛のB小隊まで跳びぬける紅白の武御雷と蒼い不知火。その不揃いの五機編成の背中を護るため、C小隊長のみちるが怒号に似た指揮を執る。BETAの山に潰された薫。B小隊の先鋒を務めていた彼女が喪われたことで、二機連携を組んでいた多恵が孤立してしまっている。戦友の死、初めて触れるその衝撃に、少なくとも同期の全員が揺さぶられていた。
流石に先任たちは冷静なものだったが、だからといって何も感じていないわけではない。B小隊長の水月は自分の目の前で部下が死んだことに憤り、部隊中央で迎撃前衛を務めている美冴は、自分にくっついて悪さをしていたその笑顔を思い出して歯噛みした。
フェイズ4の横坑はかなりでかい。直径がいくら、なんてどうでもいいくらいに広大で、故に武たちは全力でハイヴ内を跳躍している。XM3が可能としてくれた二段跳躍を駆使して、横坑天井から降ってくる化け物共をかわす。こいつらはただ降って来るだけなので完全に無視だ。油断ならないのは、そいつらを回避した先の着地点。下手をすれば着地と同時に要撃級に叩き潰されるなんていうこともあり得る。
マウントしたままの87式突撃砲で狙いをつけようとした瞬間に、群れていた要撃級が撃ち殺された。続き、戦車級も肉片と化している。どうやら千鶴が掃討してくれたらしい。まりも率いるA小隊がすぐそこまで押し上げていた。武はモニターに映る彼女たちに視線で礼を述べ、すぐさま跳躍を再開する。止まっている暇はない。数百メートル先では文字通りの地獄が待っている。後方に逃れようとする多恵を、真紀が援護に向かい、その二人を更に冥夜と慧がカバーしている。
既にBETAは二つ目の山を完成させたようで、そこに薫が呑み込まれた瞬間を思い出した多恵が恐慌をきたしているらしい。いやだいやだと泣きながら突撃砲を撃ちまくる10番の機体を、真紀がなんとか後ろへ連れて下がる。急がなければ、二人ともこの山崩れに呑まれてしまうのだ。
『いい加減にしろツキジィ!! オマエも死にたいのかよォッ!?』
『ひぃいいっ、いやぁああ! やだぁあ!! 薫ちゃん薫ちゃん薫ちゃんぅっ!!』
『05、10を下がらせて! ……16、17は二人の援護ッ! 悔しいけどここは斯衛に任せるわよっ!』
『こちらブラッド1――そこの臆病者を早く連れて行け! 突破口は我々が開いてやるっ』
怒号の応酬。飛び交う36mm砲が崩れ落ちようとするBETAを穿つが、喰らっても倒れればいいという今の連中には効果がないようだった。なにせ、その質量が武器となるのだから、死んでいても関係ない。築地機を無理矢理引き離すことに成功した真紀は追いついてきたA小隊に多恵を預け、自身はすぐに身を翻す。薫をやられて気が立っているのは、彼女も同じだった。その真紀と同じタイミングで、武がB小隊に合流する。見れば真那は既に水月と連携を組んで敵中を躍りぬけていた。
紅の武御雷と蒼穹の不知火が崩れ落ちたBETAの山を切り拓いて行く。真那の螺旋剣術が手当たり次第に敵をぶちまけ、並走する水月が長刀と突撃砲で猛威を振るう。進路を塞ぐように積み重なった連中は厄介そのものだが、一点に集中すれば突破できないこともないようだった。山となり雪崩落ちるという驚異的な攻撃を仕掛けてきたわけだが、落下の衝撃で自滅した戦車級は数多く、または降って来た要撃級の前腕に潰されるヤツもいた。BETAが数にものをいわせた戦いをするのは周知の事実だったが、この戦法も、そういった物量戦の延長なのだろうか。
それにしては実に無駄が多い。山と積み重なった連中はその半分近くが絶命している。完全な自滅だ。こちらを巻き添えに出来ればいいと考えているのか、それとも何も考えていないのか。同胞の命などまるで関係ないといわんばかりの行動に、真那は背筋が寒くなるような思いだった。
「ヴァルキリー2! 貴様は一度下がって部隊を整えろ!」
『……ッッ、悔しいけど、そうさせてもらうわ……!』
止まることのない螺旋機動を描き続けながら、真那の紅い武御雷は要撃級の首を刎ねる。両手に握った一刀を尋常ならざる速度で振るいながら水月に後退を促し、それを受けた水月は本当に悔しそうに下がっていった。それと入れ替わりに、武の不知火が飛び込んでくる。ようやくやって来た弟子を遅いと叱責しながら、真那は内心で舌打っていた。あの水月までが余裕をなくそうとしている。衛士として格段に優れた実力を持ってはいるが、矢張り部下の死は相当堪えているらしい。
ハイヴに突入して直に一時間が経過しようとしている。ここに来るまでにA-01は二名の戦死者を出した。A小隊の古河慶子と、先程死亡した立石薫。国連軍横浜基地で最強を誇る特務部隊から出たこの戦死者は、彼女たちにかなり負担を強いているらしかった。指揮官であるまりもや、経験豊富なみちるは冷静そのものだが、直情的な面のある水月や、経験の浅い新兵達にはかなりストレスになっている。
特に酷いのが後者だ。目の前で相棒を喪った多恵は完全に戦意を喪失していて――これが地上なら後送することも出来るのだが――一名減となっているA小隊に組み込まれている。あの状態のまま突撃前衛を任せられないのは当然だが、これではA小隊そのものの足を引っ張りかねない。A小隊には彼女の同期の千鶴や美琴、壬姫が居たが、彼女達だって薫の同期なのだ。しかも初陣である。ショックを受けているのは同じであり、これをカバーしながら戦い続けるというのは酷としか言いようがない。
だが、真那がそのことに気を揉んだところで状況が好転するはずもなく。とにかくもこの分厚い敵の壁を突破しなければ、ここで全員潰され飲み乾されて終わりだ。すぐ背後には白い三機の武御雷。その更に後ろには水月と二機連携を組んだ冥夜がいて、真紀と慧が奮戦している。――冥夜様。一度だけ彼女を見やり、そして真那は吶喊した。武がタイミングを合わせるように並び、同様に突撃を掛ける。長刀二振りを左右それぞれに握らせて二刀流をする武に、この一刀があれば十分とばかりに両腕で長刀を握る真那。これで武の機体も武御雷だったら言うことはないのだが――今はそんな詮無いことを愚痴ってもしょうがない。
紅い龍と蒼い龍。双龍は地を這いずり回り、螺旋に捻子くれながらBETAの壁を突き破っていく。そこを白い三連が更に切り裂いて拡げ、B小隊が自らを捩じ込んでいく。左右に展開したA、C小隊はとにかく静止を良しとせず機体を奔らせ、最後尾を帝国軍第211中隊が続いていく。
この実数だけを見るならば一個大隊を率いているまりもは、眼前に積み重なろうとしている新たなBETAの山に愕然とした。連中は、一体何をやろうというのだ。
「くっ……! この数ッ、予測を遥かに超えている……ッッ!!」
思わず怒鳴るように零した愚痴は空しく管制ユニット内に響いただけだった。少佐という立場にあり、この国連・斯衛・帝国軍の混成部隊を纏め上げる重責を負っている彼女の立場を考えれば、決して褒められた愚痴ではないが、幸いにして皆そんな愚痴を聞いている暇もないくらい我武者羅に戦っていた。真那率いるブラッズの活躍のおかげでどうにかこの連中を突破出来そうではあったが、後方から続く211中隊からは芳しくない報告も届いている。
――先程広間で振り切った敵が進路を変えて追いついてきている。このままでは挟み撃ちになるというのだ。中隊長である若き帝国軍大尉――名を大塚といった――は、些か引き攣ったような表情で、けれどふてぶてしく笑ってもいた。これで燃えなければ男ではない、ということらしかったが、まりもには追い詰められて自棄になっているようにしか見えなかった。
ともかく、このままただ突っ切るだけでは不味い。遥か前方にもBETAが山となって積み重なっている。さっきから一体なんだというのだ。進むべき方向には雪崩れる山が聳え、後方からは津波が押し寄せようとしている。まりもは音響センサーが割り出した地形データを表示させて、とにかく何かこの状況を打開させる手はないかと頭を回転させる。
このとき、同様にみちるも様々な手を模索していた。こちらはBETAがここにきて妙な戦法を取り出したことに疑念が消えず、そこには何か理由があるはずだと考えていた。連中の考えていることなどその殆どが解明されていないのだが、奴らに戦略がないというわけではない。そのことだけは、これまで数多く行われた作戦から学んでいる事実だ。だからこそ、この山のように積み重なる戦法にもなにか理由があるはずで…………そうして、みちるはその答えに暫し言葉を失ってしまった。
音響センサーが拾い出した地形データは、この横坑が緩やかに下方へ傾斜していることを示していて、現地点よりあと数キロも進んだところに複数の横坑の出口が在ることを示していた。そして、その出口の部分からこの地点までには他に抜け道がない。つまり穴から出てきた連中はとにかく自分たちへ向かう以外に道がなく、しかも連中からすると緩やかなのぼり坂となっているため、平地ほどの突撃能力がない。……これは微々たる差なのだろうが、そこにこちらの侵攻がぶつかることで一部足を止めるものが出てくる。足が鈍る連中がそれに追いつき、やがて連鎖的に続いたそれらが、いわゆる自然渋滞のようなものを引き起こし――それでもBETAは前に進む以外の何も持っていないために、足を止めた目の前のヤツの上にのぼり、前進し、次から次にそれが繰り返されて重なって、滞っては上にのぼりを何度も何度も繰り返した結果、「山」のようになるのだ。
莫迦げている。そして山の頂上に至ってもまだ前進を続けるから……やがて積みあがった連中は雪崩れの如く落ちてきて、そうして薫は呑まれて死んだ。そんなふざけた理由があるかッ!? 激昂しそうになるみちるを、けれど現実にそれが起こっている光景が打ちのめす。今また積み重なったBETAが多数の自滅を出しながら進路を塞ごうと崩れ落ちた。これではいくら対物量に特化している真那と武の二機連携でもきりがない。切り拓くべき敵は正面に群がるそれだけでなく、その上を、更にその上を怒涛の如く突き進んでくる。
数という名の暴虐が、文字通りそこを走っていた。
結果として、二発のS-11を使用することで突破口を切り開き、A-01からは高梨旭を、211中隊からは三名の戦死者を出しながらも……なんとかして予想進路の半分まで侵攻することが出来た。威力だけを見れば戦術核にも匹敵するというS-11の破壊力は凄まじく、堆く積もっていたBETAが吹き飛び爆裂する様は見ていてスッとしたほどだ。だが、そのS-11を使用した帝国軍衛士は自決のための手段を失ったことになり、彼らはもし自らの最期が目前に迫ったとしても、手持ちの武器でどうにかする以外になくなってしまった。BETAに群がられ食い殺され磨り潰されるその瞬間まで、足掻くしかなくなったのだ。……無論、生き残れるならばそんな恐怖を味わわなくていいのだが。
だが、そんな楽観を出来るものは最早いなかった。いや、最初から誰も楽観なんてしていない。いくらXM3が高性能で、BETAに対する切り札として十二分の威力を誇ろうとも、ただそれだけで勝てるほど連中は甘くない。物量とは、……それも、比較にもならない物量差とは、ただそれだけで無情なほどに脅威となるのだから。
『甲21号作戦』に参加した全部隊に配備されたXM3。決して十分とはいえない訓練期間だったが、それでも帝国軍、斯衛軍の全部隊員は死に物狂いで新型OSの性能を己のモノとして見せたし、何よりも、その開発初期よりXM3に触れてきたスーパーエース、A-01がいるのだ。
希望。そう呼べるものを抱いていたとして、誰が笑うだろう。……誰も、211中隊を笑うことなんで出来やしない。彼らは新潟に上陸したBETAを文字通りに殺戮して見せたA-01部隊に、その圧倒的な強さに追いつきたい一心で、彼女たちと共に戦いたい一心でトライアルに参加し、帝国軍内にXM3の配備を上申し、そして今、遂に念願かなって同じ戦場に立っているのだ。
中隊指揮官である大塚にとってA-01はコールナンバーであるヴァルキリーそのものだ。勇敢なる戦士の魂をヴァルハラへと連れて行く……勇猛果敢な戦乙女。彼女たちのためならば、この命、燃やし尽くしても後悔はない。――この大塚の熱意は中隊全員に浸透していて……故に彼らは、大隊指揮官であったまりもの制止を聞かず、S-11でハイヴ内壁を爆破・崩落させ、自身さえその瓦礫に埋めながらも追ってくるBETAの大群を押し留めることに成功した。
この三人の挺身によりほんの僅かの平穏が訪れているが、それだっていつまでもつかわかったものではない。崩落した横坑を放棄して、別ルートから追撃が来る可能性は拭えないし、まだあと半分の道のりが残っている。
ともかくまりもは全員に小休止を言い伝え、自身も今の内にとドリンクを口にする。部下達は想像以上に疲弊している。自分だってそうだ。まさかハイヴ攻略がこれほどに神経をすり減らすものだとは……。しかも、敵の数が明らかに異常だ。ハイヴ突入以前から、地上でもその数は尋常ではなかった。作戦部が見積もった総数の数倍近い数がいるのは明白であり、どうやらそれは反応炉に近づけば近づくほど上昇しているらしい。
ここに来るまでに数万単位の敵を飛び越えてきたわけだが、たった半分来るだけで十名を喪った。特に211中隊の損耗率が高い。既に七名が喪われ、中隊は一個小隊に再編成されている。水月とそう年の変わらないだろう大塚は、けれど大尉らしく隊長らしく気丈に不敵に振舞っている。この時代、貴重な男というだけはある。想像を絶する消耗にも屈しない精神力は賞賛に値した。……同じ男ということで、武にも気安く声を掛けてくれているのもありがたい。
みちるから報告は受けていたが、武の過去の状態ははっきり言って狂っている。なんとかして真っ当なニンゲンに立ち直ることが出来ているようだったが、この作戦中に発狂しないとも限らない。薫の死、そして慶子と旭の死は彼を含む部下達に多大な影響を与えている。仲間の死に慣れてしまった自分やみちるたちとは違い、同期を喪った梼子、真紀……そして武たちの精神的ダメージは決して軽くはない。
ようやく落ち着きを取り戻そうとしていた多恵は余計悪化していた。……なにせ、自身のミスで窮地に陥ってしまったのを、旭がその身を挺して救い出したのだから。誰が責めるわけでもないのに、多恵はそれを自分のせいだとして泣き崩れていた。そして、それにつられるように茜や亮子が落ち込んでいる。みちるとて悔しい思いはあるし、まりもにもそんな腑抜けた部下を叱るくらいの気力は残っている。ここがハイヴでなければ今すぐ管制ユニットを飛び出して、多恵を殴りつけているところだ。
だが、ここは敵地のど真ん中であり、戦場であり、一瞬の油断が自身の死に直結する人外魔境の只中なのだ。故に、一人ひとりを立ち直らせる時間などないし、教育する暇もない。そんなまりもに、先任たちにできるのはただ一つ。
泣くな。喚くな。生きろ。
どれだけみっともなくても、どれだけ怖くとも、どれだけ悔しくとも。
生きて、戦え!
死力を尽くして任務に当たれ! 生ある限り最善を尽くせ! ――決して無駄死にするな!!
みちるの掛け声と共に、ヴァルキリーズが復唱する。ようしいいだろう。その言葉を胸に刻めチキンガール。貴様らはなんだ? BETAに喰われてくたばる餌か? 奴らの胃の中で泣き叫ぶミンチか? 違う! 貴様らは英傑だ。貴様らは英雄だ。人類初のハイヴ攻略を成し遂げる勇気ある戦乙女、この国を世界を護り抜く衛士だッ! 仲間の死を嘆く必要などない。連中は皆誇り高く死んで逝った! 奴らの死を無駄にするような腑抜けは今すぐにここで撃ち殺してやるッ! 前を見ろ歯を食いしばれヴァルキリーズ!! 貴様らのその拳は何だ?! 87式突撃砲はBETAの顔面に36mmを抉りこめ! 120mm砲弾で微塵に砕き散らせ! 74式長刀は敵を裂き首を刎ね血風を撒き散らせ!! 貴様らはなんだ! 貴様らは英傑で英雄で衛士だ!! 生きて戦え! そして勝てッ!! 我々はA-01だ! この手に勝利を栄光を掴み世界中にその希望の輝きを煌かせる最強の牙だ!! ならばこの手に掴むは勝利のみ! 進め進め進み蹴散らせェ!
「――全隊前進ッ!! その身をBETAの血に染めろォオオ!!」
『『『『ォオオオオオオオオオオ!!!!!』』』』
息をつく間もないまりもの激昂に、全員が呑まれていた。これが、かつて富士の教導隊に所属し、『明星作戦』では“狂犬”の二つ名のままに戦場を暴れまわったという、あの、神宮司まりも――。奮えるほどの激情に身を包み、みちるは、大塚は、真那は痛感していた。これが、この人こそが、“目指すべき目標”なのだと。歴戦を潜り抜けた自分たちでさえ消沈して諦めてしまいそうなこの逆境において、尚奮い立つことの出来る――奮い立たせることの出来る力。
これが、指揮官というものの「力」なのだ。
ただひたすら突き進むだけの行軍の中で、けれど多恵はまだ……一人震えていた。まりもやみちるの鼓舞に一時は感情の揺らぎを抑えられたが、今もこうして次々に無限に湧いてくるBETAの異形を目の当たりにして、次第に、徐々に、感情が悲鳴を上げてくる。ハイヴ突入直後の大襲撃に呑まれて散った先任の慶子。堆く重なり、崩れたBETAに押し潰されて死んだ薫。その恐怖に縮み上がり、お荷物となってしまった自分。そんな自分の迂闊さが旭を殺した。
最早自分は、ただの疫病神ではないのか。こうして前に進むしかない状況に流されているが、もしかしたら、また自分のせいで誰かが死んでしまうのではないか? ……そんな恐怖が、どんどん、大きく膨らんでくる。
B小隊からA小隊へと臨時的に編入されていた多恵は、部隊中央付近に配置されている。出来るだけ接敵しないようにとの配慮だろうか。或いは、役立たずの臆病者が矢面に立つ者の邪魔をしないようにとの措置だろうか。いずれにせよ、最早多恵の精神を安定させるには至らない。自由気ままな猫のような奔放さは見る影もなく、そこには消沈し、怯え、歯の根をみっともなく鳴らすか弱い少女がいるだけだった。
『多恵ッ! いいかげん前を見て!!』
そんな彼女に掛けられる声。恐怖に滲んだ瞳を向けたその先には、突撃砲を撃ちまくりながら物凄い形相で睨みつけてくる茜がいた。その表情は必死そのもので、多恵のことを構っていられるほどの余裕など微塵もないはずなのに。けれど、茜の瞳は――どこまでも真っ直ぐに――多恵を見つめ、睨み据え、怒りと悲しみに濡れていた。泣いているのだ。彼女は――。
『泣いたって、怯えたって!! 薫はもう戻ってこない!! 高梨少尉も! 古河少尉も!! 帝国軍の人たちだって、みんなみんな!! 還ってなんかこない!!』
「……ぁ、あ、」
そんなことはわかっていた。もう薫はいない。亡骸さえ見つけられない。旭は要撃級の前腕に潰されて絶命した。耳にこびり付くような断末魔が蘇る。足元から這い登るような冷たさが、一層多恵を縛った。
気が遠くなるほどの銃砲の音。恐怖を振り払おうと叫ぶ声。咆哮。機体が軋み、悲鳴をあげ、それでも敵を切り裂く音。諦めて堪るかと喚き散らす各々の声。それらが入り混じった阿鼻叫喚の中で。不思議なほど、茜の声は透き通っていた。それは最前線で進路を切り拓いていた武や真那の耳にも届いていたし、奮迅の働きを見せる水月や真紀にも聞こえていた。初陣の恐怖とストレスに嗚咽をあげそうになる冥夜たちに。慣れたと思い込んでいた仲間の死に追い詰められつつあった美冴や梼子にも。後方を支える211中隊に、今この一瞬間も勇猛に指揮を執り続けるまりもに、みちるに。
多恵に、届いていた。
『生きてるんでしょう!? まだ生きてるッ! 多恵はまだ生きてるじゃない!! だったら生きてッッ。薫の分も生きて!!! 高梨少尉だって! 今の多恵を見たらきっと哀しむ!! あんたは……ッ。生きて……生きて還るの……じゃなきゃ!!』
『そうじゃなきゃっ!! わたしは多恵を赦さない!!』
「!?」
まるで胸を、臓腑を抉られるようだった。寸断なく二振りの長刀で敵を切り裂きながら、武は滾る己の血を確かに感じていた。涙ながらに叫ぶ茜の言葉の一つひとつ。そして、最後に晴子が次いで叫んだ一言が……光州での己を罵倒するように錯綜する。
泣くな。震えるな。怯えるな。目を開けろ。その目で見ろ。この現実を受け入れろ。――お前を死なせない。
……そう言ったのは美冴だった。
あんたは生きてる。生きてるのよ。――だったら、どんなに悲しくて辛くても……生きて生きて、精一杯生きて……、そして、鑑に逢いに逝きなさい。
……そう言ってくれたのは水月だった。
今の多恵はあの頃の自分によく似ている。仲間の死に、先任の死に追い詰められ、苛まれ、自身の不甲斐なさに震え怯え泣いているその姿は……その原因はどうあれ、とてもよく似ていた。武には水月、美冴、そしてみちるという素晴らしき先達の教えがあった。直截的に、間接的に。肉体を、精神を、感情を、全てを支えて、叩き直してくれる強い人々がいた。そしてなにより、自分で考え、必死に足掻く時間があった。
そのおかげで――その後も色々と追い詰められて気が狂うこともあったけれど――今、こうして自分はまだ生きていられる。武はそう確信している。同じ過ちを犯そうとしている多恵。彼女には武のように悩み足掻き這い上がる時間はない。
今ここは戦場であり、全員が己の命さえ護りきれないような状況だ。そんな中で多恵のメンタルケアを行う余裕などないし、たった一人のために隊全体を危険に晒せるはずもない。だからまりももみちるも多恵のことを放っておいた。勿論、戦死した旭を無駄死ににさせないため、基地に戻ったら多恵を教育しなおしてやるために、その身を護るように戦っていたが……。
けれど、そんな状況下で。自分だって同じように悲しくて怖くて震えているはずなのに。――茜は。晴子は。多恵を叱る。お前は何をやっているのかと。生きているじゃないかと。――だから生きろ、と。そうやって彼女に呼びかけている。
はっとしたような多恵の表情が見える。……ならばもう大丈夫だ。自分はまだ生きていて、そして戦える。そう気づけたのなら、もう心配は要らない。築地多恵はまだ生きている。例え次の瞬間BETAの暴行に命を落としたとしても、彼女は今、もう一度戦う意思を取り戻したのだから。
「おおおおああああ!!」
だから武は剣を振るうだけでいい。愛する茜を護り切るために。死んでしまった薫の魂を連れて還るために。みんなで還るのだと言っていた。戦って、勝って、生きて……。そう夜空に向かって叫んでいた薫と……共に還るために。
一刀ごとに敵を殺す。一撃ごとに敵を殺す。一振りごとに敵を殺し、その身を返り血に染め上げる。――血が、沸騰する。血液が呼気と共に溢れる。左眼からは血涙が零れ落ち、視界が半分赤色に濡れる。――錯覚だ。気のせいだ。身体のどこにも不調はない。それはどちらかというと精神が紅く赤く赫色に染まって気が狂いそうなほどの昂ぶりを感じているために。
絶対に生きて還る。絶対に死なせはしない。もうこれ以上、仲間を喪うのは御免だ。そう魂を迸らせているのは武だけではない。戦闘の度に同期を喪い、遂には二人だけになってしまった梼子と真紀。彼女達は涙こそ見せはしないが、その心はズタズタに泣き叫んでいる。部下の命を護ることが出来なかった水月、美冴の心痛はいかばかりだろう。過酷な戦場で、死人が出ないことなど在り得ないと知っていながら、まりもは、みちるは己を至らない指揮官だと……内心で罵倒する。ずっと一緒に過ごしてきた友人を喪い、茜は、晴子は、亮子は、多恵は……哀しみを生きる力に換えて。そんな多くの仲間達の姿を見て、千鶴たちは励まされている。
だから、絶対に。
この作戦は成功させる。甲21号目標は、絶対に必ず破壊する。――落とす。
でなければ、誰一人報われない。散って逝った多くの者たち。A-01や211中隊だけではない。地上で今も戦い、そして死んで逝った者たち。他のルートから反応炉を目指し戦い続けているだろう者たち。佐渡島を取り戻し、日本を護ろうと戦い続ける者たち。……今日、この日を迎えるまでに命を落とした、全ての者たちの――命。それに報いるために。
誰一人として無駄死ににしない。何一つとして無駄になんてしない。
全ては今日、この時のために。この戦場で、この作戦で、ハイヴを叩き潰すために。BETAをぶち殺すために。その命を託してくれた、数え切れない人々に報いるために!
だから、戦うのだ。みっともなく喚いて。はしたなく暴言を晒して。叫んで、悲鳴を上げて。怖くても恐ろしくても脅えても怯んでも悲しくても悔しくても怒れても狂いそうでも。それでも、だからこそ……ッ。戦って、勝って、生きて還るために。取り戻すために。総勢二十一名は突き進む。蠢きひしめくBETAの海を突き破る。国連軍と斯衛軍と帝国軍。三様の猛者が、各々の役割を徹底して貫き通し、轟然と敵を屠り散らす。進め。進め。前に進め! 目指すは反応炉ただひとつ。亡骸に眼をくれるな。悲しみに目を向けるな。
今はただ、勝利だけを見据えればいい。――――泣くのは、生きて還ったその後でいい。