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No.1154の一覧
[0] Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~ 『完結』[舞天死](2009/02/11 00:34)
[1] [序章-01][舞天死](2009/02/11 00:30)
[2] [序章-02][舞天死](2008/02/11 16:02)
[3] 復讐編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:03)
[4] 復讐編:[一章-02][舞天死](2008/02/11 16:03)
[5] 復讐編:[一章-03][舞天死](2008/02/11 16:04)
[6] 復讐編:[一章-04][舞天死](2008/02/11 16:05)
[7] 復讐編:[二章-01][舞天死](2008/02/11 16:05)
[8] 復讐編:[二章-02][舞天死](2008/02/11 16:06)
[9] 復讐編:[二章-03][舞天死](2008/02/11 16:07)
[10] 復讐編:[二章-04][舞天死](2008/02/11 16:07)
[11] 復讐編:[三章-01][舞天死](2008/02/11 16:08)
[12] 復讐編:[三章-02][舞天死](2008/02/11 16:09)
[13] 復讐編:[三章-03][舞天死](2008/02/11 16:09)
[14] 復讐編:[三章-04][舞天死](2008/02/11 16:10)
[15] 復讐編:[四章-01][舞天死](2008/02/11 16:11)
[16] 復讐編:[四章-02][舞天死](2008/02/11 16:11)
[17] 復讐編:[四章-03][舞天死](2008/02/11 16:12)
[18] 復讐編:[四章-04][舞天死](2008/02/11 16:12)
[19] 復讐編:[五章-01][舞天死](2008/02/11 16:13)
[20] 復讐編:[五章-02][舞天死](2008/02/11 16:14)
[21] 復讐編:[五章-03][舞天死](2008/02/11 16:14)
[22] 復讐編:[五章-04][舞天死](2008/02/11 16:15)
[23] 復讐編:[六章-01][舞天死](2008/02/11 16:16)
[24] 復讐編:[六章-02][舞天死](2008/02/11 16:16)
[25] 復讐編:[六章-03][舞天死](2008/02/11 16:17)
[26] 復讐編:[六章-04][舞天死](2008/02/11 16:18)
[27] 復讐編:[六章-05][舞天死](2008/02/11 16:18)
[28] 復讐編:[七章-01][舞天死](2008/02/11 16:19)
[29] 復讐編:[七章-02][舞天死](2008/02/11 16:20)
[30] 復讐編:[七章-03][舞天死](2008/02/11 16:20)
[31] 復讐編:[七章-04][舞天死](2008/02/11 16:21)
[32] 復讐編:[八章-01][舞天死](2008/02/11 16:21)
[33] 復讐編:[八章-02][舞天死](2008/02/11 16:22)
[34] 復讐編:[八章-03][舞天死](2008/02/11 16:23)
[35] 復讐編:[八章-04][舞天死](2008/02/11 16:23)
[36] 復讐編:[九章-01][舞天死](2008/02/11 16:24)
[37] 復讐編:[九章-02][舞天死](2008/02/11 16:24)
[38] 復讐編:[九章-03][舞天死](2008/02/11 16:25)
[39] 復讐編:[九章-04][舞天死](2008/02/11 16:26)
[40] 復讐編:[十章-01][舞天死](2008/02/11 16:26)
[41] 復讐編:[十章-02][舞天死](2008/02/11 16:27)
[42] 復讐編:[十章-03][舞天死](2008/02/11 16:27)
[43] 復讐編:[十章-04][舞天死](2008/02/11 16:28)
[44] 復讐編:[十一章-01][舞天死](2008/02/11 16:29)
[45] 復讐編:[十一章-02][舞天死](2008/02/11 16:29)
[46] 復讐編:[十一章-03][舞天死](2008/02/11 16:30)
[47] 復讐編:[十一章-04][舞天死](2008/02/11 16:31)
[48] 復讐編:[十二章-01][舞天死](2008/02/11 16:31)
[49] 復讐編:[十二章-02][舞天死](2008/02/11 16:32)
[50] 復讐編:[十二章-03][舞天死](2008/02/11 16:32)
[51] 復讐編:[十二章-04][舞天死](2008/02/11 16:33)
[52] 復讐編:[十三章-01][舞天死](2008/02/11 16:33)
[53] 復讐編:[十三章-02][舞天死](2008/02/11 16:34)
[54] 復讐編:[十三章-03][舞天死](2008/02/11 16:35)
[55] 守護者編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:36)
[56] 守護者編:[一章-02][舞天死](2008/02/13 21:38)
[57] 守護者編:[一章-03][舞天死](2008/02/17 14:55)
[58] 守護者編:[一章-04][舞天死](2008/02/24 15:43)
[59] 守護者編:[二章-01][舞天死](2008/02/28 21:48)
[60] 守護者編:[二章-02][舞天死](2008/03/06 22:11)
[61] 守護者編:[二章-03][舞天死](2008/03/09 16:25)
[62] 守護者編:[二章-04][舞天死](2008/03/29 11:27)
[63] 守護者編:[三章-01][舞天死](2008/03/29 11:28)
[64] 守護者編:[三章-02][舞天死](2008/04/19 18:44)
[65] 守護者編:[三章-03][舞天死](2008/04/29 21:58)
[66] 守護者編:[三章-04][舞天死](2008/05/17 01:35)
[67] 守護者編:[三章-05][舞天死](2008/06/03 20:15)
[68] 守護者編:[三章-06][舞天死](2008/06/24 21:42)
[69] 守護者編:[三章-07][舞天死](2008/06/24 21:43)
[70] 守護者編:[三章-08][舞天死](2008/07/08 20:49)
[71] 守護者編:[四章-01][舞天死](2008/07/29 22:28)
[72] 守護者編:[四章-02][舞天死](2008/08/09 12:00)
[73] 守護者編:[四章-03][舞天死](2008/08/29 22:07)
[74] 守護者編:[四章-04][舞天死](2008/09/21 10:58)
[75] 守護者編:[五章-01][舞天死](2009/02/11 00:25)
[76] 守護者編:[五章-02][舞天死](2009/02/11 00:26)
[77] 守護者編:[五章-03][舞天死](2009/02/11 00:27)
[78] 守護者編:[五章-04][舞天死](2009/02/11 00:28)
[79] 守護者編」:[終章][舞天死](2009/02/11 00:28)
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[1154] 守護者編:[四章-04]
Name: 舞天死◆68efbbce ID:d7901020 前を表示する / 次を表示する
Date: 2008/09/21 10:58

『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』


「守護者編:四章-04」





 世界は文字通り震撼した。

 それは、世界初のハイヴ攻略を成し遂げた英雄達の偉業に。日本という小さな極東の島国が果たした高潔なる魂の散華に。

 XM3開発者・香月夕呼、考案者・鉄――両者の名と共に。世界は、新たな時代の足音に……震撼した。







 横浜基地は歓声に湧いていた。いや、きっと日本中どこでも同じような光景なのだろう。存在を秘匿されている彼女たちが表に顔を出すことはなかったが、基地中に溢れかえる人々の歓びの音は、車輌の中にも響いていた。

 実際、帰還したA-01を出迎えた者たちは数え切れない。基地中の衛士たち、職員達がこぞって持ち場を離れ出迎えるという前代未聞の大騒ぎである。中にはわざわざ紙吹雪を作成したものもいたようで、建物の屋上から窓から賑やかにばらまかれている。外の冷気などまったく気にした風もなく、飽きることなく歓声を上げ、特務部隊の偉業を讃える。涙を流して手放しで喜ぶ者。握り締めた拳を天に突き上げ快哉を叫ぶ者。……多くの人々の、想い。

 ――それらを、涙が出るくらいの嬉しさを。彼女たちは全身で感じていた。散っていった仲間達は決して無駄死になどではない。当然だ。そうさせないために、死に物狂いで戦い、作戦を成功させ、生きて還ってきた。だから、より一層に、響く。皆の歓声が。迎えてくれる人たちの存在が。よくやった――そういってくれる観衆たちの声が、なによりも心を慰めてくれるのだ。



 そして宴は始まった。

 横浜基地PX名物、食堂のおばちゃんの手による弔いの儀式。A-01から戦死した四名の好物を大皿にこれでもかと盛り合わせ、それ以外にも各人の好む料理を並べた立食形式。一体誰が食べるんだと問えば、あんたたちに決まってるだろうと背を叩かれ、残しでもしたら明日からひもじい思いをすることになる。

 ざっと目算しても一人当たり四人前プラスアルファ。喰えるわけがない。――が、そんな言い訳が罷り通らないのがこのPXの真理であり真実。ましてこれらの料理は正真正銘おばちゃんたちの好意の顕れなので無碍には出来ない。彼女たちの気遣いを嬉しく思えばこそ、食べきらないわけにはいかない。

 色鮮やかな夕食に、A-01の隊員たちは目を輝かせ、笑顔を浮かべ、談笑を交え互いを讃え、死んで逝った仲間達の思い出に花を咲かせ……そして宴は始まった。

 新任たちが知らない高梨旭や古河慶子の物語。先任たちが知らない柏木晴子や立石薫の物語。梼子だけが知る彼女の物語。真紀だけが知る彼女の物語。茜だけが知る彼女の物語。亮子だけが知る彼女の物語。

 全て、もう喪われてしまった物語。――けれど、それはこうして皆に語ることで受け継がれ、語り継がれ、魂の名と共に「生きる」。魂の死とは、忘れ去られることだ。衛士が死ぬ時とは、その時だ。だから忘れない。だから語り継ぐ。彼女の素晴らしさ。彼女の強さ。弱さ。涙。笑顔。戦う理由、果たした全て。その生き様を。胸に刻め。

 宴は続く。和やかに、緩やかに。時に笑顔が咲き、時に涙が浮かび……時に、奇声が、哄笑が、踊り、絡み、愚痴り、荒み、目が据わったりくだを巻いたり裸になろうとしたり走り回ったり正気を失くしたり倒れて眠ったり発情した猫みたいになったり性格が反転したり……まぁ、なんだその。

「誰だぁああ!! 酒なんて出したのはぁああああ!!??」

「た、武ぅ~~っ! 助けてぇぇ~! ッ、いやぁああ!!?? 多恵、そこはっ、そこはダメェぇえええ!!」

「あ、茜!? いつの間にそんなに淫らな格好に!? なんてことだ実にけしからん! ――いいぞ築地もっとやれ!!」

「うん~~えへへぇ~任せてしろがねくぅぅ~~ん」

「あんたも酔ってんじゃないのよ~~~!! 莫迦ぁああ!!」



 中略



「で? 結局何? あんたたちヤッたわけ? あん?」

「で、ですから水月さん。俺たちはそのですね?」

「っるせーぇ!! あらひが聞いてるんだからこたえなはいよぉー! この甲斐性ナシーーー!! 鈍感ヤロー!!!」

 理不尽だ。武はげんなりしながらしなだれかかってくる水月の顔を見る。気がつけば阿鼻叫喚の酒乱絵図と化していたPX。半裸になった茜を抱き締めた格好で眠っていて、目を開けたときはかなりドキドキしたのだが、その茜の背中に豊満な胸を押し付けて眠っている多恵を見て更に混乱したのがつい数分前。周囲を見渡せばそこら中で酔っ払いが好き勝手なことをして暴れていて、とても正視に耐えるものではなかった。

 これがあの甲21号目標を破壊した英雄たちなのかと思うとなんだか哀しくて涙が出そうだったが、それよりもなによりも普段美人で勇ましい彼女たちの醜態が心に突き刺さったというほうが正しい。何より……自分もこうして目を醒ますまでの記憶を持たないのであれば、彼女たちの同類なのは明白だった。――何やってんだかなぁ。困ったように笑みを浮かべてしまうのも無理はない。

 それくらい、ただ、楽しいだけの時間。…………ようやく、自分を含めた全員が。仲間の死を乗り越え、吹っ切れ、前を向き進んでいる。その第一歩に相応しい、騒がしい宴だった。

 ……の、だが。

「アァン? ちょっとたけりゅう?? あんた全然呑んでないじゃないよぉ~。んんんぁぁあん??! あらひの酒が呑めないってかぁ~~!!?」

「言ってません! 呑んでます! 美味しいです!! サーッッ!!」

「ん。ならばよろしい。いーい? たける。アンタはあらひのおとーとなんだから、好きなだけ甘えていーんらからね? ほれほれ」

 どうしてこうなったのか。眠る茜の髪を梳くように撫でていたら、思い切り襟首を掴まれて攫われて、こうして水月と並んで夜空を見上げている。グラウンドの端に腰掛けて、澄み切った冬の空に浮かぶ月を肴に。頬を赤くして、火照った体で武にもたれかかる水月は、温かで……暖かかった。

「ほーら。いいこいいこ。あんたはあらひに甘えていーんだから。……ね」

「ちょっ!? ……水月、さん?!」

 頬を摺り寄せるように、そして武の頭を抱えて撫でる。突然のことに武は慌てるしかないが、くすぐったい感触に思わず目を細める。酒が入って酔っ払っているはずなのに、どうしてか水月の言葉は胸に染み渡るようだった。ゆっくりと武の頭を撫でて、機嫌良さそうに鼻歌まで歌っている。傍らには転がった一升瓶に二つのグラス。武も負けず劣らず真っ赤になっていたが……果たしてそれは酒のせいだけだったのだろうか。

 水月はただ満足そうに武を抱き締めて撫でている。武としては気恥ずかしさと心地よさが混じり合って一体どうすればいいのかわからないのだが……もう少しだけ、このままでいるのもいいのかもしれないと思う。こうして水月の腕に抱かれるのはいつ以来だろう。……ああ、それは……あの北海道の雪の日の朝。淡く光る月に輝く彼女は、今も同じに温かい。――まるで、そう、まるで……姉のように。

(水月さんは、俺のことを知らないはずなのに……)

 なのに、彼女はまるで全てを包み込んでくれるように、優しく、温かかだった。茜や純夏に対するのとは異なる愛情が込み上げてくる。それは、今は亡き父母へ寄せる情に似て。武は水月への思慕の情を理解する。――俺は、このひとに肉親のあたたかさを見ていたんだ……。

「……水月さん。……その、そろそろ……」

「ん~~~、んぐ~~~、ぐーーー。。。」

 寝てる。寝てますよ。莫迦な……なんてお約束の展開だ。武はほんの少しだけ項垂れながら、けれどがっちりと両腕で頭をホールドされたこの状態で、一体どう抜け出せばいいのか途方に暮れる。本格的に寝に入ったのか、水月は呼びかけても目を開かない。ヤレヤレと溜息をついた武は、その内起きるだろうと諦めて、寒空に浮かぶ月を見つめた。

 冷たい。雪こそ降っていないが、年明けの冷え込みは厳しい。酒に火照っている身体もすぐに冷めるだろう。風邪をひく前に水月を連れてPXに戻らなければ……いや、もう部屋に戻ったほうがいいかもしれない。そう頭で理解しても、行動に移せないのでは意味がない。誰か来ないだろうかと期待してみるが……こういうときに現れる人物というのは矢張りお約束なわけで。

「ほほぉ? これはこれは。いやはや、涼宮とめでたく結ばれたのかと思えば、次は速瀬中尉とは……。白銀、貴様もようやくわかってきたようだな」

「いきなり出てきて不穏なこと言わんで下さい」

 やってきたのは美冴で、手には水の入ったコップが二つ握られている。そのすぐ後ろには遙の姿もあった。彼女は薄い毛布を抱えている。視線で礼をする武に遙は小さく笑って、そっと毛布を掛けてくれた。

「あはは、ごめんね白銀少尉。水月って寝ちゃったらなかなか起きないから」

「いえ、構いません。こうして毛布を持ってきていただけただけでも、凍え死ぬ可能性が減りましたから」

「ほほー? 私には感謝せず涼宮中尉にだけは礼を言うのか。ふん、白銀、いい度胸だ」

「宗像中尉、お水ありがとうございましたッ!」

 水月に抱かれたままの格好で敬礼しても様にはならないのだが、美冴はそれで満足したらしい。若干薄桃に染まっている頬が、矢張り彼女も酔っているのだと教えてくれた。一方の遙は眠ってしまった水月の頬をつついて遊んでいる。ぷにぷに、と口に出しながらつつくので、大層幼く見えてしまっていた。可愛らしい、という意味では隊内一なのかもしれない。茜とはあまり似ていないけれど、その優しい瞳は、姉妹なのだと感じさせた。

「あの……中はどうなってるんですか?」

「ん? ……ああ、ついさっき京塚曹長にどやされてな。今頃正座でもさせられて説教でも受けてるんだろう」

「あははははは。私は毛布を取りに抜け出してたから助かったんだけどね」

 そういえばと気になって問いかけた武に、美冴が口端を不敵に吊り上げて答える。水月の頬をつついて遊びながら答えた遙だったが、武はその言葉に首を傾げた。……“私は”、と言うからには、遙は一人だったのだろう。そして、美冴は食堂のおばちゃんに“どやされた”のだと言う。……。…………。

「あの、じゃあなんで宗像中尉はここにいるんです?」

「ふっ――愚問だな、白銀」

 その一言で大体の事情を察してしまった武は、聞くんじゃなかったと軽く後悔するのだった。それから暫くを無言で過ごした後、遙がゆっくりと口を開いた。

「……ねぇ、白銀少尉。…………茜のこと、大切にしてあげてね?」

「――ッ、ぇ、あ…………はい」

 水月の隣りに腰掛けた遙は、月を見上げて微笑む。いささか唐突ではあったが、想い人の姉からそう言われて、嬉しくないはずがない。少しだけ驚きを浮かべた武は、けれどしっかりと頷いて見せた。――例え泣かせてしまうことがわかっていても。それでも、生きている限り茜を愛し抜く。大切に、する。武の言葉に安心したのか、遙ははにかむように笑って、柔らかな表情を彼に向ける。

「うん。白銀少尉ならそう言ってくれると思った。……白銀君、茜を好きになってくれてありがとう。あの子はあれで甘えん坊なところもあるから、可愛がってあげてね」

「ぃやぁのそのっ……真顔で言われるとかなり恥ずかしいんですけどっ!?」

「ははは。白銀ぇ、涼宮を泣かせたりしたら大変だぞ? なにせ涼宮中尉は大の妹好きだからな。お前は知らないだろうが中尉は天使の笑顔の裏にそれはもう恐ろしい般若を潜ませていて…………ぇー、と」

 にこにことトンデモナイことを言ってくれる遙に武は慌ててしまうが、それをからかうように美冴が肩を揺らす。そしていつもの如くいらぬ一言を発したわけだが、けれどそれは最後まで言い終わることなく遙の“笑顔”に遮られた。――い、いかん……このプレッシャーは……ッ! そう美冴が気づいたときには既に遅く、

「うふふふふふふふ。宗像中尉、ちょっと向こうでお話しよっか?」

「「すいませんでしたぁ!!」」

 何故か美冴と一緒に震え上がる武。貌は笑っていても目が全然笑ってない。気のせいか、遙からドス黒い瘴気が漂っているように見え、夜の寒さと相まって一層冷え冷えとする。ガチガチと歯の根を鳴らす武だったが、その身体を包み込む水月が小さく身じろぎした。遙もそれに気づいて――その瞬間に瘴気は消えて――水月の肩を揺すっている。名を呼び、起こそうと奮戦すること数分。いかにも眠そうに目を開けた水月が、眼前にある武の顔に驚いて吃驚してゼロ距離からアッパーを食らわせたのはまぁ、これもお約束というやつだろう。

「こっ……この!? いきなり夜這いなんて困るわよっ!? あ、あああ、あたしにも心の準備ってものが??!!?!」

 冷たいコンクリートに轟沈した武に向かって、水月は真っ赤な顔であたふたと混乱する。どうやら彼女の中では自室で眠っていたことになっているようだったが、取りあえず誰も突っ込まないことにした。遙にしても美冴にしても、寝惚けた水月が零した“本音”が可愛くて可笑しくて堪らないのである。実にオイシイ。これで当分からかうネタに困らないと頷いた美冴は満足そうである。

「――って、え? あれ?」

 ようやくここが基地のグラウンドであることに気づいたらしい水月がきょろきょろと辺りを見回し、気絶した武と、ニコニコと微笑む遙を交互に見返している。瞬間、水月の顔色が青褪めて真っ赤になってまた青褪める。実に器用なものだが、恥ずかしさと驚愕が滅茶苦茶に入り混じっているのだろう水月の心情を思えば、無理もないのかもしれない。美冴はヤレヤレと肩を竦めて、ぽん、と水月の肩を叩く。びくりと大きく身を竦ませた水月が余計可笑しかったが、ここでからかうのはなんだか可哀想でもある。――内心で爆笑していたが。

「速瀬中尉、少し飲みすぎたのではないですか? 風に当たって酔いを醒ますのもいいでしょうが、少々冷気が障ります。涼宮中尉とともに自室に戻られてはいかがでしょう?」

「……ぁっ、あ、ああ! うん! そ、そうねっ!! そうするわ!? ――は、遙ァ! 部屋に戻るわよーっ!」

「あはは。水月、待ってよぉ。じゃあね、宗像中尉。白銀君をお願いね?」

 至極真面目に胸中の笑いを必死に押さえ込んだ美冴の言葉は空々しいくらいの善意に満ちていて、混乱した水月が“見逃してくれるのか”と勘違いするほどだ。そして自身の暴言をなかったことにするために、水月は慌てて立ち上がり駆け出す。文字通り逃げたわけだが、それを遙は可愛いと感じてしまう。追いかけるように駆け出そうとして足を止め、横臥している武に視線を落としながら、美冴へと向き直り、微笑んだまま彼の介抱をお願いする。美冴は苦笑して肩を竦めるだけに留めたが、遙もそれが了解の意思表示だということはわかったので、走り去った水月を追いかけることにした。

 本当に、愉快な人たちである。美冴は苦笑したまま遙たちの背中を見やって、足元に転がる哀れな武を見た。理不尽な攻撃を受けた武だったが、とっくに意識を取り戻しているらしく、ゆっくりと上体を起こし、痛む顎をさすっている。――その表情は、なんとも形容し難い笑顔と寂謬が混じったもののようで。

 ――どうかしたのか。そう尋ねようとして……どうかしたに決まっていると、美冴は目を逸らして舌打つ。平然としている姿を見てしまえば、アレが何かの悪い夢だったのではという気さえする。言葉に出来ない忌々しい感情が込み上げてきそうで、美冴はイラつくように髪をかき上げた。

「――俺、水月さんに色んなものをもらってばかりで……」

「……?」

 ぽつりと呟いた武に驚いて、美冴は視線を戻す。そこには変わらず形容し難い表情を浮かべた彼が座っていて、けれど、瞳だけは穏やかな色を浮かべて地面を見ていて――視線が、月を見上げる。つられるように月を見上げた美冴は、煌々と照らす淡い光に目を細めた。独り言だろう。呟きを漏らしはしたものの、武はそれから口を開かない。こういうときは放っておくのが一番だと理解している美冴は、けれどこの場を去るでもなく、じっと月を見ていた。



 ――ずっと前から、俺は水月さんに救われてばかりで。色んなものを教わって、与えられて……ああ、今更、気づいた。――俺は、何一つ返していない。

 武は胸中で吐き零していた。言葉にすればするほど、武の中で様々な感情が渦巻いていく。それはきっと、未練だった。茜を愛し、彼女と結ばれて……心残りなどないのだと自分を納得させたはずの、それでも拭えない、「生きたい」という執着。死にたくなんてない。支えてくれた人たち、導いてくれた人たち。水月、真那……茜、純夏。彼女たちと、もっとずっと、一緒にいたい。

 そう思わせる感情が、未練がましく胸の裡に渦巻いてくる。

 いつだって水月は教えてくれた。武が道を間違えようとする度、殴りつけて、怒鳴って……生きているんだ、と……だったら最後まで生きろと。そう言って、たくさんの、あたたかい愛情をくれた。本当に、自分はもらってばかりだ。武はなんだか可笑しくて泣けてしまった。笑顔を浮かべているはずなのに、眦に涙が滲む。……ああ、おかしいなぁ。そんな風にわかっていても、涙は止まらなかった。そこに美冴がいるとわかっているのに、彼女に慰めてほしいわけでもないのに。どうして、涙は止まらないのだろう。

 月のせいだろうか。冬の寒さのせいかもしれない。或いは、つい先程まで触れていた水月の体温が残っているからか。生き残り、還ってきた仲間達と……あんなにも、楽しく、騒いだからか。

 心置きなく死ねる。――でもそれは、茜以外のひとに一切なにも返せていない今のことではなくて……。自分はまだ……何も、返してなんかいなくて。

「――だったら、返せばいい」

 ああ、きっと――――それが、答えだ。そんなことはとっくにわかっていた。

 愛し、傍で支え続けてくれた茜には愛情を。

 胸倉を掴み、或いは背を押し、何度も救いの手を差し伸べてくれた水月。人道に悖り、外道に堕ちたこの身を再び正道へと導いてくれた真那。繰り返す愚かさと過ちを知りながら、それでも信頼をくれたみちる。先任を犠牲にして生き延びた戦場で、それでも生きろと叱ってくれた美冴。共に過ごし、戦ってきた仲間達。……一体、何を返せるだろう。残り僅かのこの命で、彼女たちにどれだけの感謝を伝えられるだろうか。

 言葉はいらない。行動で示せ。……それは、いつだったか水月に教えられたこと。この命を救ってくれた志乃たちの死を無駄にしないために、武は我武者羅に生きてきた。ならば、そんな武が彼女たちに返せること――示すことの出来る行動はひとつだけだ。

 “最後の最期まで、精一杯に生きる”



「宗像中尉……」

「……ん? どうした、白銀」

 数分もしない内に呼びかけられて、美冴は僅かに眉を顰める。顔を月に向けたまま、視線だけを武へと落とす。座ったままこちらを見上げていた武の表情は、どこか吹っ切れたように見える。そんな武が続けて言った言葉に、美冴は胸を詰まらせた。

「あの時……俺に生きろと言ってくれたこと。…………俺は一生、忘れません」

 なに、と。そう声に出すことも出来ずに。ただ呆然と立ち尽くす美冴の横を、武は通り抜けていく。アルコールの余韻など微塵も感じさせず、しっかりとした足取りで、颯爽と。そうやって去っていく武の背中を見送ることもなく、美冴は困惑するしかなかった。血を吐いて、血を流して、今にも死にそうな貌をして――そんな姿を見せた男が――あんなことを言う。

「白銀……お前は……ッ、」

 そのときの感情を何と呼べばいいのか。美冴は奥歯を噛み締めながら、ただそれだけを考えていた。







 延々と続いた京塚曹長のありがたいお説教も終わり、長時間の正座で痺れた両足を叱咤しながらふらつくこと数歩。未だにPXから出られていない事実にそれでも特務部隊かと情けなくなるが、後ろを振り返れば皆似たような有り様だったので大して気にしないことにする。一歩を踏み出そうとするたびにじんじん痺れる足に悲鳴を上げたり喘いだりと忙しい一行だったが、先頭を行く彼女だけが平気そうにしていることを、茜は内心恨めしく思っていた。

「な、なんで御剣だけ平気そうなのよっ」

「ふ、そなたたちとは鍛え方が違うのだ。日々の精進の賜物だな」

 ずるずるとのろまな歩みを続ける屍たちを無視していち早くPXの入口に辿り着いた冥夜は、そのまま入口の壁にもたれかかるようにして、不敵に言い放つ。若干目が据わっているのは、まだ酒が抜けていない証拠だろう。そのせいか、少しだけ口調が偉そうである。――ムカツク。咄嗟に浮かんだ感情だったが、多分茜以外の全員がそう思っていたことだろう。だが、冥夜の言っていることも事実である。正座や禅を組み、瞑想を日課にしている冥夜はまだまだ余裕があったのだ。

 ――と、よくわからない酔っ払い同士のやりとりを数度繰り返しているうちに、ようやく足の痺れも取れ始めたのか、何人かは立ち上がってヤレヤレと嘆息している。茜もなんとか立ち上がり、まだ少し痛む足をさすった。隣りにいた千鶴と目が合い、互いに苦笑する。確かに長いお説教だったが、軍人とはいえ未成年者があれだけ呑んで騒いで暴れていれば、年長者として叱らないわけにはいかなかったのだろう。些か度が過ぎた、という点を、茜たちはちゃんと反省している。それに、PXでおばちゃんに敵うものなどいないのだ。郷に入っては郷に従え。実にシンプルな掟だ。

「ふぁ~ぁぁ。なんだか眠いや。ボク、部屋に戻るね」

「あ、わたしも~~」

 タイミングよく美琴が大きな欠伸をして、壬姫がそれに続く。つい先程までにゃはははとよくわからない奇声を発していた壬姫の足元はおぼつかない。それを不安に感じたのか、亮子がそっと壬姫を支え、そうして三人はPXから去っていった。彼女たちを見送って、千鶴が自分たちも解散にしようと提案する。既にPXには自分たち以外に居らず、いつの間にか抜け出していた先任たちは一人もいない。真紀だけは自分たちと共に説教を受けていたのだが、今はその姿もない。流石に潜り抜けてきた場数が違うということだろうか。

 茜としては武を探しに行きたかったのだが、場の雰囲気からハッキリと言い出すことも出来ない。隊内に男性が一人しかいない状況で、しかも特務部隊という特殊な立場上、恋愛をする暇も機会もないほかの仲間達に遠慮した――と言うのは建前で、本音は、今この状況でノロケでもしたら明日の朝日を拝める自信がないからだ。殺られる、という直感は多分間違っていないだろう。

「茜ちゃぁ~~ん。今夜は一緒に寝ようよ~~ぉ」

 頬を赤く染めた多恵がにゃんにゃんと擦り寄ってくる。酒の勢いを借りているのか、その目はいつもよりもとろけていて艶やかな色をしていた。同性にそんな色気を向けられても空しいだけなのだが、茜はどうしたものかと頬を引き攣らせる。この多恵と一緒のベッドで寝たりしたら……十中八九、犯られる。それだけは断固として拒否しなければならない! この身は既に武に捧げていて、それを他の、しかも女に抱かれるわけにはいかない――などとかなり本気で考えているあたり、茜も相当酔いが回っている証拠だろう。

「こらっ! 離れなさいって!! 多恵ぇ~~!?」

「んのの!? 茜ちゃんひ~ど~いぃ~~!」

「ほらほらあなたたち、あまりふざけてるとまた京塚曹長にしかられるわよッ!」

 むぎゅむぎゅと柔らかな多恵の頬を押しやって遠ざけようとする茜に、多恵が泣きながら縋りつく。呆れながらも慌てた様子で千鶴が二人を宥め、冥夜も協力している。空気を読んだのか読んでいないのか、慧だけは彼女たちの輪に参加せず、愉快なやり取りを眺めていた。――と、そこに見慣れた顔がやって来る。

「……白銀」

 呟いた慧に、茜たちはハッとして、振り向いた。両手にコップと酒瓶を持ってやってきた彼は眼前に広がる光景にきょとんとしていて、やがて可笑しいとでも言うように笑った。

「あっははは。なんだ、まだ残ってたんだな。もうすぐ就寝時間だぜ? さっさと部屋に戻って寝ろよ?」

「た、武……」

 武はそう言ってPXの奥へ入って行き――多分、開いた酒瓶などをおばちゃんに渡しているのだろう――拳骨の音と「いてぇ!」という悲鳴が響く。……説教を免れていたところに鴨が葱を背負ってやって来たのだ。ニヤリと笑いこそすれ、同情などしない。自分たちはそれよりも更に長く辛いお説教を受けたのだから。ほんの少し胸がすく思いで待っていると、頭部を押さえながら戻ってきた武と目が合う。バツが悪そうな表情をする彼に、茜はくすくすと笑いながら近づいた。

「あははは! 武ってば! 未成年が酒瓶戻しに行ったらそりゃぁ殴られるわよ~」

「うるせ。元はと言えば水月さんが瓶残したまま部屋に戻るからいけないんだ」

 茜のからかいに舌を出して憎まれ口を叩く武。右手が自然に茜の髪を撫でている。その感触に目を閉じて、茜はくすぐったいような表情を浮かべた。

 堪らないのは――それを見せ付けられた連中である。多恵はしくしくと泣いているし、冥夜、千鶴、慧の三人は明らかにこめかみに青筋を浮かべている。今この状況でノロケたらどうなるかわかっていたはずの茜はしかし、そんなことを完全に忘れているようだった。冥夜と慧が千鶴に指示を求めるように視線を向ける。それを受けた千鶴は一つ頷くと、矢張り視線だけで指示を返した。

「「了解」」

 不穏な響きを孕む言葉を放ち、冥夜と慧は迅速に行動する。目標は武といちゃいちゃしている抜け駆け少女。隊内でもずば抜けた近接戦闘能力を誇る二人は瞬時に茜の両腕を抱え込み、茜や武が反応するよりも早く、目標を達成していた。え? え? と目を白黒させている茜を無視して、冥夜と慧は彼女を抱え上げたまま走る。傍目には大層愉快な光景だったのだが、目の前に居た恋人をさらわれた武としては、呆然と立ち尽くす以外のことは出来ないのだった。

「――ッッて、おい!?」

「あ、白銀は来なくていいから。女だけの話っていうのも、隊内のチームワークを高めるためには必要なのよ」

 数瞬遅れて正気を取り戻した武が“待った”をかけようとした瞬間、千鶴がその出鼻をくじく。意味がわからないという顔をする武を無視して、千鶴もまた茜がさらわれた方へと歩みを進めていく。その背後をついていく多恵が「剥くなら私にやらせてぇ~」と何やら不穏な発言をしていたが、多分きっと深く気にしてはいけないのだろう。

『い~やぁ~~やめてぇ~! ちょっ、そこはっ! そこはホントにだめぇええ~~~~!!!』

 遠くから響いてくる茜の悲鳴を聞きながら、武は困ったように頭をかく。――まったく、本当に。最高に楽しい。最高に愉快で。最高の仲間達。晴子や薫がいれば、もっともっと楽しくて痛快で……きっと、涙が出るくらい笑い転げるのだろう。その光景を思い浮かべて、懐かしい……などとは。

「思えねぇよ……。だって、今朝のことなんだぜ……?」

 つい昨日まではそれが当たり前の光景だったのだ。…………こういう考え方は駄目だ。武は緩く頭を振って、醒ましたはずの酔いをもう一度醒まそうと、外に出る。向かう先は基地の外。桜並木のあの場所へ。こんな時間に外出などしようものならまりもやみちる辺りに酷く叱られそうだったが……どうしてだろうか。あの桜に行けば、晴子たちに逢えるような気がしたのだ。


 門衛の詰める守衛所へ向かっていると、律儀なことに向こうから出向いてくれた。敬礼をかわし、武はこんな夜に外出する言い訳を考えながら口を開いたのだが、それよりも早く、黒人の兵士が言う。

「白銀少尉ですね? 神宮司少佐より自分の部下がやってきたら通せ、と言われていますので、許可証は必要ありませんよ」

「……ぇ、あ、そう? すまない。助かるよ」

 あっさりと外出を認めた門衛に拍子抜けしながら、再び敬礼。……ということは、まりもも同じようにあの桜へと足を運んだということだろう。武が目を醒まして水月に連れて行かれる時にはもうまりももみちるもいなかったような気がしたので、恐らくはそのときだろうか。二人の門衛は武に対して何も言うことなく、一歩身を引いてくれる。彼らは知っているのだろう。自分やまりもたちが夕呼直属の特務部隊に所属していること。そして――あの桜に宿る英霊達のことを。

 軍とは矢鱈規律に厳しい面を持つが、こういう、兵士同士の気心というものはなんだか心地よかった。武はもう一度礼を述べると、就寝時間までに戻らなかったら門は閉めてくれて構わないと言伝、歩を進めた。もちろん、無断外泊するつもりなど微塵もないし……そもそも、泊まれるような施設はない。坂の下に広がるのはただ無謬の闇だけで、BETAに蹂躙された家屋の残骸が在るだけだ。

 かつての故郷の町並みなぞどこにもない。自分や純夏が生きてきた十数年の名残など……もう、跡形もないのだ。先程からやけにセンチメンタルに浸っている気がするが、死を間近に控えた者の心境とは、こういうものなのだろうか。――まだだ。最後の最期まで精一杯に生きる。そう決めたはずだ。そうやって返していこうと決めたじゃないか。武は全身を押しつぶしそうになる虚無感に、独りになるとこうも脆い己を嘲笑った。

 茜、水月、真那……傍にいてくれた、愛情をくれた彼女たちに自分がどれだけ依存してきたのかがよくわかる。それをありがたいと、愛しいと感じるなら……最期くらい、彼女たちが誇れるような生き様をしてみせなければ。

「そうじゃなきゃ、格好悪いよな……はははっ」

 女に護られてばかりが男じゃない。好きな女を護って死んでいくのが男ってものだ……。そうやって自身を鼓舞しながら桜へと視線を向けると、そこには先客がいた。遠目に見つけたシルエットは大小二つ。――青年と、少女だった。驚きに足が止まる。全身を黒い改造軍服に包んだ銀色の髪の少女――間違えるはずがない、社霞だ。隣りに立つ青年は、思わずギョッとしてしまう。顔を、真っ黒な仮面で隠していた。

 “見たこともない”はずなのに、悟る。――あれが、彼が、鉄。XM3考案者にして『概念戦闘機動』を編み出した麒麟児。

 知っているのはその名と、果たした偉業のみ。これが例えばみちるだったなら、夕呼から含まされていた出鱈目まじりの情報を思い出しもしたのだろうが、それは彼女の胸の中に秘されているので、武は一切なにも「知らない」。ただ、知らぬが故に……こちらの接近に気づき振り向いた“彼”に――敬礼していた。

「鉄少尉! 自分は白銀武少尉であります! 少尉の考案されたXM3のおかげで、自分たちは任務を達成することが出来ましたっ! ――ッ、仲間の命を救っていただき……ッッ、ありがとうございます!!!」

 気づけば、叫ぶように。

 心臓の真ん中から、感情の奥底から。涙がわきあがり零れ落ち、熱い衝動が口を衝いていた。そうだ。XM3がなければ、あの作戦は成功しなかった。XM3がなければ、きっとみんな死んでいた。晴子や薫、旭、慶子……211中隊の人たち。それ以外にも、きっと、多くの人が命を散らせていたに違いない。……いや、そもそも、『甲21号作戦』自体が実行されなかっただろう。

 でも、それは全て……今目の前に居る天才衛士の生み出したXM3のおかげで、彼の扱う三次元機動の習熟のおかげで! 日本からハイヴを根絶することに成功し、仲間達と肩を抱き合って笑い合うことが出来て……ああ、うまく考えられない。言葉に出来ない。どうしてこんなに涙が零れるのだろう。もっと、もっと多くのことを伝えたいのに。彼が、どれだけ素晴らしいOSを開発してくれて、どれだけ自分たちを救ってくれたのか! 人類に新しい希望を示してくれた彼に…………もっと、伝えたいのに……ッ。

「ぅ、ぐ……っ。す、すいません。……いきなりこんなことを言われても、混乱するだけですね。……でも、本当に。――ありがとうございます。少尉のOSのおかげで、自分はまだ生きています。……生きていて、茜を護ることが出来ました」

 だから――ありがとう。

 深く深く礼をして、武はようやく顔を上げる。こちらを強張った表情で見つめている霞に、能面のような仮面の鉄。きっと彼らは困惑しているだろう。いきなりやってきた衛士が叫ぶように礼を述べて泣き出したのだ。変なヤツと思われても仕方がない。武は妙に気恥ずかしくなってしまって、誤魔化すように笑い、背を向けた。失礼します。辛うじてそれだけを言い置いて、武は下ってきた坂道を上る。桜に眠る晴子たち英霊に挨拶できなかったが、また改めてやってくればいい。

 先客の邪魔をすることもないだろうし、何より、鉄という存在に出会えた事実が武の胸中を占めていた。A-01の自分たちにすら存在を秘匿されている人物に出会ったのだから、今日のことは誰にも打ち明けるべきではないだろう。つまり、自分ひとりの役得というわけだ。死ぬ前にいい思い出が出来た、と。半ば洒落で済まないようなことを考えながら基地へと戻る。

 エレベーターへ向かう途中、半裸に剥かれた茜と遭遇した。眦には涙の跡が残っていて、背中にどんよりと黒い影を背負っている。――そういえば、千鶴たちに拉致されたんだったな。ごくりと唾を飲み込み、こちらへ恨みの篭った視線を向けてくる茜に声を掛ける。語尾が震えてしまったのは決して恐怖からではないと信じたい。

「ょ、よぉ……だ、大丈夫だったのか?」

「……護ってくれるって言ったのに……ウソツキ」

 グッサァァアア! 武の心臓に槍が突き刺さる。拗ねたように唇を尖らせて言う茜は、助けに来なかった武を凹ませることが出来たので内心でスッキリしていた。……の、だが。あまりにも落ち込む武が可笑しくて、ついつい調子に乗ってしまうのだった。

「武のウソツキ。口だけ男。あんなに私のことを護るって言ってくれたのに」

「う、ぐ……! す、すまん……ごめん」

 剥かれた服を掻き抱くようにしながら泣き真似をする茜に、武はおろおろと情けなくうろたえるしかない。まさか良識ある千鶴と冥夜がいて、一体どんな酷い目に遭わされたのだろうかと不安になってしまう。そういえば、あの面子の中には多恵がいた……。――ま、まさか!? 武の脳裏に不埒な桃色空間が広がりそうになったそのとき、茜が甘えるように武の胸に顔を埋めてきた。

「…………でも、今夜一緒にいてくれたら、許してあげる」

「あ、……茜、それはつまり……その、」

 言った本人も真っ赤なら、言われた武も真っ赤になってしまう。初めては既に契った二人だったが、つまりは――初夜、だ。武はギクシャクと茜の手を取りエレベーターへ乗り込んだ。武に密着するように抱きついた茜は、彼の心臓の鼓動を耳に感じながら…………この幸せを、この温かさを、忘れないでいようと誓う。彼の匂いを、彼の息遣いを、彼の熱さを、想いを、愛情を……自分のカラダ全部で、受け止めて、覚えていよう。

 愛している。

 生きている。

 その証を――……。







 ===







「どういう……こと、なんだ?」

 呟かれた言葉の温度に、霞は身を竦ませる。震える肩に彼の手が置かれたのがわかっても、それが自分以上に震えているのだと知れても、霞は縮み上がるだけで見上げることも出来ない。黒い鉄の仮面の下。一体“彼”がどのような表情を浮かべているのか――例えその顔を見ることが出来なくとも、霞には伝わってくる。

「なんで、だよ……? “アイツ”、なんなんだよ……ッッ!? あ、“あれ”は……“あの貌”はさぁ!!!!????」

 握り締められた肩が痛い。心の中に入ってくる感情が痛い。霞は目を閉じて耳を塞ぎたい衝動に駆られた。許されるならばこの場から逃げ出してしまいたい。けれど、そんな、鉄という偽りの名を与えられた彼を裏切るような真似など出来ず――とっくに、最初から……裏切ってきたと言うのに!!

 鉄は震えて、混乱している。つい今の今までそこに立っていた青年。顔に傷のある、同じ背格好をした衛士。敬礼を向けてきて、いきなり大声で謝礼を述べて。自分が開発したXM3のおかげで作戦は成功したと。そう言って……言いたいことだけ言って満足そうに、ひとりで、勝手に……!

「なんなんだよぉぉおおこれはぁあああああああ!!!!!!!!!!!!!!!」

 あれはオレだ!

 あの貌はオレの顔だ!!

 あの声はオレの声で、あの身体はオレの体で!!

 あいつはオレだ! あいつはオレだって?! だって、だって……あいつ、言ったじゃないか!

 ――白銀武少尉であります? はははっ?! 待てよ。嘘だろ。冗談きついぜ!! なんだよなんだよなんなんだよぉぉぉぉおおお!!?

 なんであいつが「白銀武」なんだ!? 「シロガネタケル」は“オレ”だろぅ!? なぁ!? そうじゃないのかよっっ!! そうだって言ってくれよ!!

「霞ぃっぃいいいい!!!!!」

「――ッッ、ひ、く、!!」

 よろよろと後ずさって、足をもつれさせて転ぶ。目の前で見た現実が信じられないとでも言うように、尻餅をついたままで、鉄は恐怖から逃れるように両腕を振り回して叫び続けた。嘘だ嘘だと喚き散らし、そんな莫迦なと《鉄仮面》に爪を立てる。そうだそうだ。顔を見ればハッキリする。自分の顔さえ見れば、オレがオレなのだとわかるじゃないか。ガリガリ。ガリガリ。畜生硬い仮面が取れない! 誰だよなんだよこんな《鉄仮面》!! 電子ロックで外せない?! 誰が何の権利でオレの顔を隠したって言うんだよ!!

 嗚咽混じりに泣き喚いて、必死に仮面を剥ぎ取ろうと喘ぐ。桜の木に背中をぶつけては悲鳴を上げて転がり、のた打ち回りながら嘘だとのたまう。呼吸もろくに出来ないまま、ただただ、鉄は叫び続けた。

 シロガネタケル。しろがねたける。白銀武。

 それは自分の名前のはずなのに。それは自分を指す言葉のはずなのに。

 同姓同名? 他人の空似? ――莫迦言えそんなのありえねぇ!! 冥夜がいた。千鶴がいた。慧が、壬姫が、美琴がいて……まりもがいた。そして夕呼がいて――“だったら”、「オレがいてもオカシクないじゃないか」。

「ァぁぁああああああああ!!?!?」

 仮面を毟るように爪を立てながら、鉄は咆哮する。彼はようやくに理解していた。どうして夕呼が自分を軟禁したのか。どうして彼女が自分にこんな《鉄仮面》を強要したのか。名を変え、存在を秘し、ピアティフや霞といった監視を常につけていたのか。――全てはこのためだった。

 “この世界の白銀武”。

 彼と自分を接触させないために。――そんなふざけた理由があるかよ。鉄は顔面を路面に叩きつける。頑丈な鉄の仮面は表面が僅かに傷ついただけで、一切割れる気配もない。その状態のまま力尽きて、鉄は盛大に泣き喚いた。腹の底から唸るような慟哭が夜空を震わせ、「この世界」に迷い込んでから今日までの日々が走馬灯のようにめぐり巡る。

 下らない夢だと思った。やたらリアルで、現実味があって、でも、どこか常識からずれ過ぎていて夢だとしか思えなかった。夢のはずなのに銃を持った兵士に捕らえられて、牢屋にぶち込まれて監禁されて、テロだなんだとわけのわからない尋問を受けて、基地の衛士に化けるならもっと勉強してからにするんだな、なんて。そんなわけのわからない嘲りに謗られ。ようやく知っている人に出会えたと思ったら、“夕呼先生”は自分のことを知らないと嘲笑して――嘘だ嘘だっ! あんた知ってたんじゃないかよ!? この世界にはオレがいるってこと、あんた知ってたんだろ!? なぁ!! 畜生畜生畜生ォォオ!! ――別室に通されて色々と質問されて、オレが別の世界から迷い込んだらしいと仮定して。……………………そうして、ずっとずっと、地下室に閉じ込められて。バルジャーノンに似た戦術機っていうロボットの操縦を覚えさせられて、それしかやることがないから夢中になって、ピアティフ中尉が話し相手になってくれて、優しくしてくれて、貧弱なオレを鍛えてくれて、この世界のことを教えてくれて……慰めてくれて。……だから、せめて。彼女のために頑張ってみよう、って。オレの操縦技術が、オレの世界の概念がこの世界の役に立つのならって――なのに、この世界にはちゃんとオレがいて、だからずっと、オレには居場所がないままでっ……! 冥夜たちがいることを知って、トライアルで初めて表の光を浴びて、帝国軍ってところで、化け物みたいな軍人達相手にXM3の性能を見せ付けて……、あああ、やっと、やっと! オレは、オレの居場所を見つけられたと思っていたのに――!! どうして、どうしてどうしてどうして!? なんで……こんなっ、酷いじゃないかよ。ヒデェぜ!! マジかよ!? 嘘だって言えよ!! オレのOSが、XM3が、日本を救ったんだって聞いて……嬉しかったんだ! ようやく、初めて、オレがこの世界に来たことの“なにか”を証明できた気がして……嬉しかったのに!! だからここに来たんだ。戦場に散った衛士の魂がここに還ると聞いたから。ピアティフ中尉がそう教えてくれたから。きっと『甲21号作戦』で戦死した人たちの魂も還って来ているはずだと……だから、オレは、せめて自分の存在を許してもらえるように、ここに居ていいんだってことを確かめたくて……ッ。ああ、ただそれだけだった、のに……。

「知って、いたのか……」

「!? ッ、ぁ、あの、ゎ、たし……っ」

「知ってたのかよ!? 霞も! ピアティフ中尉もッ!! 夕呼先生も!!! 全部全部ッッッ!! 初めから!!!!」

「ッ、ッ!? ぁ、ぁぁ、……ッ」

「クソぉぉおおぁぁあああああ!! 畜生畜生ッ!! なんだこりゃ! ふざけんな冗談じゃねえ!! オレはオレだッ! オレがシロガネタケルだ!! オレは世界でたった一人のオレで、なのにアイツが居たからオレには居場所がなかったって?!」

 軟禁されてずっと独りで閉じ込められて誰にも会わせて貰えずただただ飯を食い訓練を重ねピアティフを抱く毎日。その全部が……あの、“アイツ”がいたからだというのなら。同じシロガネタケルでありながら、どうして、自分だけが、あんな目に……ッッ。

 鉄の中で激流となった情動は、一つの捌け口にたどり着く。霞は目を閉じて耳を塞ぎ、ぼろぼろと涙を零して蹲る。ごめんなさいごめんなさいと謝罪の言葉を繰り返し、一生懸命、鉄の心を静めようと泣いて泣いた。……だが、狂気の如き混乱と憤怒に憑かれた彼は、霞など最早視界にすら入っておらず、ただ、脳裏に焼きついたこの世界の白銀武の顔をどす黒く塗り潰すことに躍起で……。

「アイツが居たからオレが居場所を奪われたって言うなら……オレがこんな《鉄仮面》を押し付けられたのがアイツのせいだって言うのなら……ッ」

 全部、奪ってやる。

 名前も顔も。その命さえも。オマエがオレでオレがオマエだというなら……そうさ、オレが「白銀武」になってやる。それがきっと、オレをこんな目に遭わせたこの世界とオマエへの、







 復讐だ――――。







 ===







 夜が明けて早々に、帝国城内省からの使者がやって来た。毎度毎度思うのだが、どうしてこの男にはセキュリティの類が通じないのだろうか。侵入されるたびにシステムを見直して対策をとっているはずなのだが、なんだかもうどうでもいい気さえしてくる。

「こんな朝早くにレディの寝室に忍び込むなんて、いい趣味してるじゃない」

「はっはっは。ベッドも毛布もないこの部屋が寝室とは、いやはや、働く女性の鑑ですかな、香月博士は」

 夕呼は叩いていたキーボードから手を置き、ぬけぬけと真正面から入ってきた泥棒まがいの男に向き直る。作戦が成功して若干気分がいい今なら、この男の下らない土産話でも聞いてやろうという気になったのだ。その意図を察したらしい男はロングコートの懐から一通の封筒を取り出し、夕呼へ差し出す。達筆で書かれた自身宛の表書きに眉を顰め、裏書を確認して……悔しいが、反応してしまった。

「その厳しい顔もお美しい」

 ぼそっと呟いた男を殊更に無視して、夕呼は封を切る。それは政威大将軍煌武院悠陽からの手紙だった。一国の主とも言うべき地位に立つ存在が、こうも軽々しく一基地の副司令如きに連絡を寄越していいのかとも思ったが、それについては何を今更、だ。元はと言えば自分が悠陽を引きずり出し、その権威を利用して『甲21号作戦』を敢行したのだ。表向きの立場こそ雲泥の差があるが、裏側――AL4――を進めるに当たって、二人は対等の位置にいるのだから。

「ふぅん……戦勝気分に浸ろうってわけ。ま、確かに民衆にはいい見世物になるんでしょうねぇ……。国家再生の足がかりとしては、確かに効果的、か」

 そこに記されていたのは甲21号目標破壊を記念しての合同慰霊祭。いや、祝勝式典とでもいうべきイベントだ。今回『甲21号作戦』に参加した国連軍部隊はA-01ただ一つだが、作戦の根幹を担ったXM3発案者は国連軍に籍を置き、その開発は夕呼が行っている。更に言えば甲21号目標の反応炉を破壊したのがA-01というなら、なるほど、戦勝祝賀会とやらを“この横浜基地”で執り行いたいという悠陽の腹も頷ける。

 予定では今日の午前中に悠陽が全国民へ向けて甲21号目標破壊の報を告げるはずだったが、それとは別に、大々的に催したいということだろう。BETAに本土を侵略されてから今日まで、日本に明るい話題はなかった。横浜を奪還した際には『G弾』などという暴虐の実験に晒され、延々と続く地球規模の戦争に疲弊してしまっている。そんな状況で、遂に、ようやく――ハイヴ攻略という、世界中の全ての人々が歓声をあげ喜びに涙を流すような偉業を果たしたのだ。民衆の士気を高めるには丁度いい。

 無論、その論法は夕呼から見たものなので、悠陽自身にはもっと違う考えがあるのかも知れない。単純に苦労を強いてきた国民へ明るい話題を提供したいだけなのかもしれないし、戦場に散った英霊達の生き様を知ってほしいと言う願いからなのかもしれない。

 その辺りの個人の感情云々は夕呼にとってどうでもよいことだったので、さして気に留めることもない。夕呼が計算するのはその式典を行うことによって得られる世界に対しての宣伝効果の高さと、XM3の値段の吊り上げ等、AL4を続行するに当たってのメリット、デメリットだ。暫く黙考して、なるほど、ここは悠陽の意向に従っておくのも悪くないとの結論に到る。

 『甲21号作戦』が夕呼の思惑を押し通した結果だと言うなら、今度は悠陽の意志を通すのが筋と言えば筋だろう。今後も彼女や日本政府とは仲良くしておく必要もあるのだから、一方的な関係を続けるわけにもいかない。大変に煩わしいと思いながらも、夕呼はそのあたりの政治的パイプを疎かにするつもりもなかった。天才と人は言うが、この計算高さもそういわれる所以の一つだろう。

「いいわ、煌武院悠陽殿下には当基地も式典には大変好意的であった、とでも伝えて頂戴。で? 式典はいつ?」

「明後日、一月四日に」

「――随分急な話じゃない。……まぁいいわ。司令には私から話をつけておくから、細かい調整はピアティフを通して頂戴」

 そうして、それ以上話すことはないと手を振り、夕呼は再びキーボードを叩く。男は肩を竦めながらも頷いて、彼にしては珍しく素直に引き下がって行った。擦過音を残して閉まるドアに見向きもせず、夕呼はこれからのことに夢中になっていた。

 甲21号目標は陥落した。フェイズ4のハイヴならば、それなりのG元素が期待できる。今回の作戦に米軍が介入する余地はなかったが、だからといって今後連中が割って入らない保証はない。国連主導で調査部隊が編成されているというから、この部隊編成には十分注意が必要だろう。情報やG元素等、ハイヴから得られるものの全てにおいて、最大の権利は夕呼と日本が持つ。強かな連中にそのことはよく思い知らせておく必要があった。勿論、夕呼と日本が全ての権利を主張しても周囲から排斥されるだけなので、その按配には気を配る必要があるが……。

「甲20号目標――大東亜連合をけしかけて、余力のある内に一気に叩きたいわね……」

 いや、それよりもまずは00ユニットを完成させるべきか。国連に対するAL4の評価は既に改められている。夕呼の首は辛うじて繋がったわけだが、それも永遠ではない。夕呼がこのまま……恐らくは年内に00ユニットを完成させることが出来なければ、国連は米国を抑えきれなくなるだろう。XM3は確かに凄まじい性能を持ち、戦術機のみでのハイヴ攻略を成し遂げはしたが……そのためには、膨大なる人材と物資が必要となる。

 日本は文字通り全力で戦い、そうしてハイヴを攻略できた。国内に備蓄している弾薬は半分以上消費し、優秀な衛士を数千人損耗している。事実上、日本は戦力を半減させたことになる。それほどの犠牲を払い続けて戦えるほど、今の世界情勢は良くはない。――消耗戦は、続けられない。それが世界の現実だった。

 故に、XM3だけでは駄目だ。元々そのつもりで00ユニット開発に心血を注いできた。……残念ながらその成果はまだ得られていないのだが、少なくとも、それを続行するだけの時間稼ぎは出来たのだ。あとは、如何にその時間を使って00ユニットを――量子電導脳を完成させるか、だが……。

「未だにその糸口すら見つけられないなんて……天才が聞いて呆れるわね……ッ」

 忌々しいとさえ思う。嘆かわしいとさえ……。これが天才。これが人類を救う聖母? ……与えられた僅かの時間で、一体どれだけの成果を上げられるのだろうか。本当に、00ユニットを完成させることができるのか? 泣き言を零しそうになる己を盛大に罵倒して、夕呼は不敵に笑う。――当然じゃない。それが天才ってもんでしょう?

 人類を、世界を救えるのは自分しか居ない。ならば、自分以外に00ユニットを完成させることなんて出来るはずもなく……ゆえに天才は孤高に在り、出口の見えない命題に命を懸けるのだ。迷いはない。後悔などない。ただただ前へ、ひたすらにその手に掴むために。







 ===







 『甲21号作戦』後、初めての訓練となる。丸一日の休暇を経た皆の顔色は気概に満ち、悲愴さも傲慢も見られない。仲間の死に受けた傷は塞がることはないのだろうが、今はそれを乗り越えた者の顔をしていた。まりもは優秀な部下達の顔を一人ひとり感慨深く見つめ、目を閉じる。甚大なる被害を被りながらも果たした栄誉。散って逝った四人の部下に思いを馳せるのも刹那、まりもは口を開く。

「本日の訓練は各員の配置換えとそれに伴う連携訓練を主に行う。まずはこれを見ろ――」

 いつまでも先の作戦のことに捕らわれたりはしない。それぞれのなかで決着をつけるしかなく、そして、その決着がついたと言うのなら、まりもがそれ以上気にする必要はない。彼女たちもそれは十分に理解していたので、全員が、即時に頭を切り替える。まりもの示す新編成を見ながら、小隊長クラスが各々意見を述べ、或いは前回の戦闘の反省点を潰していく。

 その姿勢。前を向き、明日に備えるという姿勢は――武には眩しく、そして、頼もしく見えた。クスリの副作用で死が間近に迫ってるらしいとはいえ、ただそのときを安穏と待つ気は武にもない。これが例えば身体機能に異常をきたして寝たきりに……なんてことならば諦めもついたのだが、幸か不幸か、身体はまだ動いてくれている。ひょっとするとまりもから静養を言い渡されるのではないかと不安にも思っていたが、どうやらそれもなさそうである。

 ならば、武はヴァルキリーズの一員として、生ある限り最善を尽くすのみだ。それが自分にとって唯一、成すべきことだと信じている。最期まで絶対に生き続けてみせる。――と、左方から鋭い視線を感じて目を向けると、そこには赤い零式装備の真那がいた。『甲21号作戦』以降もA-01と共に作戦に参加するらしいのだが、武は彼女たちとの臨時的な編成を外され、原隊に復帰している。

 剣術の師としてだけでなく、軍人として衛士として様々な面でお世話になった彼女には、どれだけ感謝してもしきれない。今こうして武が生きていられること、茜を護ることが出来ていること……その根本は、彼女の教えがあったからこそだ。尊敬しているし、敬愛している。……けれど、そんな真那が向けてくる視線にはいつにない厳しさが篭められていて、武はそのことに戸惑ってしまう。――まるで、怒っているみたいだ。なにか、例えば自身の気づかぬうちに冥夜に粗相を働いたり、真那の機嫌を損ねるようなことをしただろうかと首を捻るが、答えらしきものには至らない。

「では、各員シミュレーターへ搭乗!」

 まりもの命令にハッとする。仲間達と共に敬礼して散開した武は自身のシミュレータへと乗り込む。今は、訓練が先だ。確かに真那の視線は気になったが……それは、後で尋ねれば解決することだ。



 そうして数時間にもおよぶ訓練を終えて、昼食を摂るためにまずは着替え用と更衣室へ向かう途中、武は真那に呼び止められた。甲21号目標のデータを元に修正されたハイヴ攻略シミュレーションは厳しく、ハッキリ言って全員が消耗している。武もその例に漏れないのだが、どうやら真那にはまだまだ余裕があるらしい。不機嫌そうに腕組をする真那を見て――そういえば自分も戦術機の耐久力だけは異常に高かったはずだった――と思い出しながら、彼女の正面に立つ。この耐久力の低下も、ひょっとするとクスリの副作用の一部なのかもしれない……そんな、最早考えてもどうしようもないことを一瞬だけ思考しながら真那に用件を尋ねると、一層不機嫌そうな顔をして、ついて来いとだけ言われてしまう。はて、一体何の用だろうか――なんて、惚けられればよかったのだが……。このタイミングで、真那があれだけの鬼気を発する用件など、一つしか思いつかなかった。

 今思えばどうして訓練前に気づかなかったのかが不思議である。茜と結ばれて、自分なりの死ぬ覚悟とやらが固まったからだろうか……あの流血について誰も触れないことを、すっかり勘違いしていた。武は誰にも話していないのだから、誰もその事情を知るわけがない。……聞かれないのは全て、皆の優しさだったのだ。

「……呆れるな、俺は……」

 自分の迂闊さというものがこんな時にも現れているというのが、なんだか皮肉ったようで可笑しい。いや、笑っている場合ではないのだろう。

 武はかつてまりもと対峙した時以上の緊張を孕みながら、真那の背を追う。強化装備のままやってきたその場所は、かつて真那と命を懸けた問答をした場所――裏手にある丘の上だった。平時にあまり強化装備でうろつくものではないのだろうが、どうやら真那はそんなことを気にしていないらしい。……勿論、武とて本気でそんな心配をしていたわけではない。緊張のあまり思考が空回りしているのだ。ここにきて現実逃避まがいのことをしでかす自分の神経に苦笑しながら、真那の目を見つめる。

 怒り。そして――哀れみ、だろうか。

「白銀少尉。貴様に聞いておきたいことがある」

「――ハ!」

 敢えて、真那は階級で呼んだ。名を呼んでしまうと、感情が先走りそうな気がしたのだ。そんな自分に微かな驚きを覚えながら、けれど、それを一切見せず、真那は斯衛として問い掛ける。向けられる武の視線は真剣なもので……本当に、あと一ヶ月もすれば脳死してしまうのかと首を傾げたくなるくらいで…………。

「……白銀、斯衛に入隊する気はないか?」

「ハ! …………――ハァ!?」

 な、なんだって――? 武は聞き間違いかと思って目を見開いたが、真那は眉間に思い切り皺を寄せて、険のある表情のまま武を睨み据えている。どうやら彼女が言い間違えたわけでも自分が聞き間違えたわけでもないらしい。が、だからといってハイソウデスカと頷けるはずもなく、武は一体どうして唐突に斯衛への勧誘を受けているのか損耗した脳ミソをフル回転させる。

「あ、あの、中尉……。突然何を……」

 結果、考えたところでわからないという結論にいたり、素直に聞いてみることにした。確かに真那と自分は師弟関係にあり、一度は同じ小隊として作戦に参加した。自惚れでなければ、彼女たちとの連携は巧くできていたとも思う。真那が直截口にしたことはないが、まりもやみちる達からは斯衛に匹敵しているとからかわれたこともある。……だが、果たしてそんなことが理由になるのだろうか。

 斯衛はその殆どが武家出身の者で編成されている、いわば出生がものを言う特殊な部隊だ。家の格によって明確に色分けされ、この時代において尚、堂々たる差別社会を貫いている。軍としての体裁をとっていながら、その内実は“色”によって区分けされた世襲社会だ。……民間出身の者が厳しい審査を潜り抜けて末席の「黒」を得ることも出来るらしいが…………つまり、真那はそう言っているのだろうか。

 武の実力は斯衛に匹敵している。故に、自分の部下となれ、と――? いくらなんでもそれは自惚れが過ぎるように思える。

 真那の真意を量ろうと尋ねた武に、彼女は一度だけ目を伏せるようにして……

「我が婿となり、月詠の名を継ぐ気はないか。……武、そなたを……………………そなたの力は、今の帝国に必要なものだ。私と共に煌武院悠陽殿下に御仕えし、この国の未来を拓く礎となれ」

「…………ッ?!」

 今度こそ本当に耳を疑う。武は驚きよりも何よりも、まず――一体どういうことだと怪訝そうにする。部下どころではない。婿、だって? つまり、今の真那の言葉をそのとおりに受け取るならば、彼女は自分を夫としようとしている……ということになる。婿ということだから、月詠の家に入り、家督を継ぐ、ということになるのだろう。成程、故に先の“斯衛への入隊”に繋がるわけだ…………――スイマセン無理です繋がりませんっ!!??

 武は困惑し、混乱した。ぐるぐると考えをめぐらせ、真那の言葉を反芻しようとも――彼女の真意というものが全く見えない。どういうことだ。一体何故、真那は唐突に前触れもなくこんなことを? ――俺の病状のことを知っているのではないのか?

 武は、情報省とも繋がっているらしい真那のことだから、そういったルートから自分の容態のことを知ったのだろうと思っていた。剣術の師として、それを黙っていた弟子に灸を据えるなりなんなりされるのだろうと思っていたのだが……これは本当に“まさか”の展開だ。理由がない。いきなり過ぎる。真那に一体どれだけの理由が在って、武を婿としようと思うのか……それが一切わからない。

 師として尊敬していた。与えられる信愛に応えたいと思っていた。強く、誇らしく、美しい女性。……真那は、輝かしいほどに。けれどそれは……矢張り師弟としての情で。それは真那も同じだったはず――そう思っていたのに。それは、鈍い自分の勘違いだったとでもいうのだろうか。わからない。

 困惑を乗せた視線を向けると、真那は寂しそうに苦笑した。その眦に浮かんだ感情に――胸が張り裂けそうになる。

「ふ……私の夫となるのがそんなに厭か? ふふっ、わかっていても寂しいものだな……。だが、武。そなたを婿とすることは本気だ。斯衛となれば帝都にある専門の医療機関に入院することも出来る。そこには、世界屈指の医師たちが揃っている。…………そなたの“病”を、癒すことも出来よう……」

「……ぁ、」

「――――武。愛してくれとは言わぬ……」

 硬直する武を、ふわりとした真那の温もりが包む。背中に回された両腕は微かに震えているようで……まるで、抱き締めることを躊躇しているように、拒まれることを脅えているかのように。頬と頬が触れ合い、薄桃色の唇が耳元に寄せられて、



「死なないでくれ――」



 生きる希望を、捨てないでくれ。

 その言葉が、痛いくらいに……熱くて、嬉しくて、武はどうしてか涙を流してしまった。温かな真那の体温に包まれて、柔らかな彼女の体に抱き締められて、ただ、幼子のように泣きじゃくってしまう。

 どうしてだろう。ああ、どうしてだろう。こんなにも多くの人に愛されていて――どうして俺は、死ななきゃならないんだろう。もうどう足掻いても覆せない。知らぬことだったとはいえ、全ては夕呼の目論見の内だったとはいえ……どうして、「死」なねばならぬのか。

 それはあの脳ミソの持つ全ての情報を手に入れるため。

 それはあの脳ミソとなった純夏の全てを知るため。

 それはあの脳ミソとなった純夏の苦しみを味わうため

 それはあの脳ミソとなった純夏を救う手立てを得るため。

 それは死んでしまったとばかり思っていた純夏の――彼女の生を知るため。

 それは、もう一度、彼女を護るチャンスを得るため。

 そう。

 それは……もう一度、今度こそ、守護者として生きるため。

 たくさんの間違いを犯して、何度も何度も間違いを繰り返して、多くの人を死なせ、喪い、その度に教えられ、救われて――そうして、本当にようやく、前を向いて、上を向いて、愛する人を護るために生きることが出来て。

 自分の不遇を呪ったりしない。あの時の自分は、ただの愚か者だった。夕呼の目指す理想を理解せず、彼女の抱く苦悩を理解せず、そうまでしても尚立ち向かう彼女の偉大さ、業を知らず――だから、そう、“だから”。二度と、夕呼の邪魔をしないと決めた。もう誰にも、彼女の足を引っ張らせないと決めた。間違いを犯したのは自分だけでいい。愚かだったのは自分だけでいい。だから、その罪を償うと決めたのだ。

 同時に。愛する茜を、純夏を護り……死ぬ、と。水月や真那、みちる、まりも、仲間達……彼女たちに与えられたもの全部を、せめて、精一杯生きることで返そうと……。

「月詠……中尉、」

「…………」

「中尉、いえ……師匠。ありがとうございます。俺、本当に嬉しいです……。師匠にそこまで言ってもらえて……俺、本当に幸せ者ですよ」

「たける……ッ、」

「――でも、駄目なんです」

「武ッッ!!」

「駄目なんですよ。……だって、ここには茜が居るんです。水月さんも……そして、“アイツ”も。俺、護るって決めたんです。もう死ぬしかない命だけど、それでも、最後の最期まで生きて……そして、護ってやるって。だから――」

 頬が熱い。最初に感じたのはその衝撃。次いでやって来た痛みと音に、武は自分がぶたれたのだと理解する。僅かによろめいて、けれど、しっかりと足を踏ん張り、立つ。口の中が切れて血が滴ったけれど、武は怯まない。怯むことなく、真那を見据える。

 その瞳は怒りに燃えていた。その表情は痛みに泣いていた。その心は、悲しみに啼いていた……。真那は、武の頬を張った右手をぶるぶると引き寄せて、左手でぎりぎりと抑えつける。殴るつもりなどなかった。武がそう言うだろうことは承知の上だったはずだ。全てわかっていたのに、あまりにも予想通り過ぎて、頭にきたのか。――違う。真那は零れてくる涙を拭うことも忘れて、奥歯を噛み、うつ伏せた。

 どれだけの言葉で飾ろうと、誤魔化そうとも――もう、わかってしまったことだ。

「……貴様は、それでいいと言うのか」

「……はい。師匠。俺は、俺の運命を受け入れます」

 頷きたくなどない。けれど、それは自分の我儘なのだろうか。真那は長い沈黙の後に顔を上げて、武を見つめた。そこに在ったのは目前に迫る死に脅え嘆く者ではなく、ただ、愛する者を護る、そのことに誇りと生を抱いている若者だった。――いい顔だ。

「父の剣術を絶えさせたくはなかったが……仕方ないか」

「あぁ……なるほど。そういう理由もあったんですね」

 淡い微笑みを浮かべて、照れ隠しのように言葉を漏らす真那。月詠の剣術を絶えさせたくはなかったと苦笑した彼女に、武は思わずなるほどと思ってしまった。自分に純夏を護るための術を与えてくれたもう一人の師匠。最早記憶の中にしか存在しない人物に思いを馳せるのも束の間、気づけば、真那が無言で武を見つめている。先程までの険しい表情などどこにもなく、けれどあの淡い笑顔も消えていて……なんというか、じ~っと、真剣な眼差しを向けられていて……。

「……………………」

「ぁの? 師匠……?」

 なんだか厭な予感がする。そして大概、こういう予感は的中するのだ。じっと見つめてくる真那。武はなんだか得体の知れない危機感に襲われて、怯むように一歩後ずさってしまった。ごくり。恐怖に似た感覚が、生唾を飲み込ませる。――なんだ、ナンダこのプレッシャーはッ!? 武はよくわからないまま更に一歩後ずさり……あわせるように、真那が一歩踏み込んでくる。

「し、ししょ……ぅ、」

「……………………」

 怖い。かなり真剣にとてつもなく怖い。真那はいたって真剣な面持ちのまま、一歩一歩、後ずさる武に合わせて詰め寄ってくる。無言なのが一層恐ろしさに拍車をかけていて、武はとうとう震え出してしまった。今度は一体何が起こっているのか。そんなことさえ理解できないまま逃げるように一歩を退いて――背中が、一本の大樹にぶつかった。不味い。これ以上逃げ場がない! 退路を断たれた武は恐怖に身を捩らせたのだが、素早い真那の動きに取り押さえられてしまう。

 簡単に言えば木の幹に押し付けられたのだが、この体勢、誰がどう見ても人目を忍んだ逢瀬だろう。――ま、まさか……!

「つ、月詠中尉ッッ!??!?!」

「ふふ、そう、なにも無理に婿にとらずとも……子供を作る方法はあったのだったな」

「ちょ、ちょっとーーーー!!!??? なんか話ズレてませんかぁ!?」

「安心しろ、武。なに、そなたは雲の数でも数えていればよいのだ。……すぐに終わる」

「それ男の台詞――じゃねぇ! ひいい犯されるぅうう!!?!?」

「そんなに嫌がることはあるまい。涼宮少尉より私の方が魅力的だとは思わんのか?」

「んな問題ですかっっ!!」

 どうにかして組しだかれた体勢から抜け出そうと足掻く武だが、マウントポジションを取った真那は頬を染めながらゆっくりと強化装備を脱ごうとしていた。――まずいっ?! このままでは本気で犯られると悟った武は、何か策はないかと辺りを見回した。それはもう全力で、藁にも縋る思いで。誰か通りかからないかとか、誰か颯爽と現れてくれないかとか、BETAが襲ってくるとか、とにかく何でもいいので真那の注意を逸らしてくれる“なにか”を求めて――向けた視線の先に、白い軍服を着た三人娘が隠れていた。

 言わずと知れた、真那の部下たち。巽、雪乃、美凪。三者三様に頬を染め目を見開きどきどきですわ~と草の陰に隠れて覗き見している。いい趣味してるじゃねえかと項垂れそうになった武だったが、しかしこれはチャンスだ。なんだか冷静さを失っているようにも見える真那だが、流石に自分の部下がすぐそこに居ると知ればこの暴走も止まるだろう。

(むしろ止まってくださいお願いしますッ!!)

 先程とは違う意味で涙が出そうになる武は、肩まではだけた真那を極力見ないように目を閉じて、あらん限りの声で叫――――――ぶ、はずだったのだ、が……。



「へぇぇぇえぇぇぇぇえぇぇ?? 武ぅ……何してるのかなぁ、こんな所で?」

「いつまでもPXに来ないと思って探しに来てみれば……ふぅ~ん??」

「ぁ、か、ね…………みつき、さん…………」

「――ちっ、要らぬ邪魔が入ったか」



 仁王が二体、そこに居た。否。仁王とは二対であるからこそ、仁王足るのだ。

 背後に蒼い虎を具現させた水月。その獰猛な牙は鋭く光り、獲物を狩らんと爛々としている。その口腔からは不気味に低い唸り声――本人は笑っているつもりのかもしれない――が零れ、武を一層震えさせた。

 対して、頬を膨らませて顔を真っ赤にして涙目の茜。こちらは背後に悶々とした嫉妬の炎を燻らせていて怖いというより心が痛む。尖らせられた唇が拗ねているようで可愛――もとい、とても悪いことをしているような気にさせられるので、武は自分は一切悪くないはずなのに土下座して謝りたい気分になった。

「仕方ない。武、今夜は部屋の鍵を開けておく。いつでも来るがよい」

「さりげなく不穏なこと言わんで下さい!!!!!」

「あんたねぇ!? 調子乗ってんじゃないわよッ!? あたしだってまだなんだからねぇ!!??」

「月詠中尉も速瀬中尉も勝手なこと言わないで下さい!! 武は私のなんです~~!!!」

 やれやれと肩を竦めて強化装備を着なおす真那。武の上から離れつつ、爆弾を放り投げていく。明らかに水月をからかっていたのだが、それを承知して尚、水月はその挑発に乗ってしまう。互いにその実力も人格も認め合っているのに、それを表に出すわけには行かないという妙なプライドが二人の間には漂っているのだ。特に、武に関しては。

 というより、自分は姉として在れればそれでいいとちゃんと線を引いているのに、同じような立場に居たはずの真那が抜け駆けしていたのが許せないのだ。真那もその辺りの水月の感情はよく理解しているので、ついつい興がのってしまう。くつくつとからかうように笑いながら本音を漏らした水月を見つめ、不敵に唇を吊り上げる。

 そして、そんな火花を飛ばしあう二人をしっかりと睨みつけて、押し倒されたままの姿勢の武に縋りつく茜。ちゃんと自分の権利を主張する辺り、彼女の気持ちがよくわかるというものだ。涙目で唸る茜を見下ろした真那と水月はそれぞれ肩を竦めたり慌てて宥めたりと、対応に差はあれど、それ以上彼女を困らせるつもりはないらしい。

 ――一体なんだったのか。やれやれと身を起こした武はじっとりと睨んでくる茜に素直に頭を下げ、「変態、助平、色魔」と言われるがままにしている。途中、ぽかぽかと殴られたりもしたのだが、下手に言い訳すると後が怖いので好きにさせることにした。単なる嫉妬かヤキモチか。なんにせよ、きっと武が悪いのだろう。……そういうことにしておくのが、もっとも平和な気がする。

「……武、なんだかうやむやになってしまったが…………先の言葉、忘れてくれるな。そなたが望むならば、“斯衛への道”はいつでも開けている……」

「師匠……」

 背中を向けて丘を下ろうとした真那が、顔だけで振り向いてそう言う。恐らく、事情を知らない茜や水月に気を遣ったのだろう。斯衛への道、と濁した言い方をしたが……それは、先の医療機関のことだろう。いや、それとも本気で婿というか跡継ぎを望んでいるのかもしれない……。流石師匠だとわけのわからない納得をしながら、武は困ったように笑うしか出来ない自分を情けなく思う。

「既に貴様の武御雷を要請済みだ。殿下も貴様の働きに期待してくださっているぞ」

「ちょっ!? さり気に滅茶苦茶なこと言ってますよねぇ!!??」

「ははは。冗談だ。……武、息災であれ」

「「!」」

 丘を下りながらとんでもないことを言い放つ真那。思わず突っ込んでしまったが、それが冗談だと言われて――冗談かよっ!? ――と即座に思ってしまったが、続けての言葉に胸を打たれてしまう。その声音が震えていたこと。哀しげな響きを持っていたこと。まるで――まるで、これが最期の別れだと言わんばかりの……真那の言葉は。

 茜は、水月は、立ち尽くしてしまった武を見つめながら、それぞれ……胸に手を当てた。真那の言葉に胸打たれたのは武だけではない。一体二人の間にどんな事情があって、或いは、武の体にどれだけの事態が起こっているのか――それを知らない二人だったけれど、それでも、わかることはある。察してしまうことはある。

 武は、もう、永くない。

 茜は彼と触れ合うたびにその実感を高まらせ、水月はあの流血を思い出すたびに予感を募らせる。真那が性急に関係を求めたのも、ひょっとするとそのせいなのかもしれない。……そんな邪推をしてしまう。

(そんなことは――ない。ないに決まってる……ッッ!)

 水月は拳を握り締めて強く思った。甲21号目標を落とし、世界は今、間違いなく勝利への道を見据えている。BETAへの勝利。戦争の終結。世界に平和を取り戻し、喪われた人々の願いを実現させる。その、確かな一歩を踏み出した今――このときに。

 喪ってたまるものか。奪われてたまるものか。――大切な弟を、死なせたりなんかしない。だってようやく結ばれたのだ。武と茜。ずっとずっと想い合い愛し合ってきた二人が、ようやく、やっと、結ばれて……これから幸せな日々を築こうとしているのに。世界は確かに良い方向へ進んできているのに。希望はそこにあるのに。あと少しで掴める筈なのに。そんなタイミングで、武が死んでしまうなんて――そんなことは、在り得ない。在り得て堪るか!!

 そんなことを望むのは性質の悪いサディストな死神だけに違いない。そして、世界中の人々がBETAへの勝利を見据え、その希望の輝きに照らされている限り、そんな死神の鎌は、決して武に届きはしないのだ。そのために自分がいる。愛する弟を護るのは、姉の役割だ。そういうものだと決まっている。だから――、

「だから、まずはこのあたしを殺してからにしなさい……ッ」

「水月さん?」

 覗きこむように、武がこちらを向いていた。ぎょっとして身を竦ませると、茜も同じようにこちらを見ている。まさか口に出してしまっていたとは思わない水月は、慌ててなんでもないと手を振り、頬を染めながら誤魔化した。武と茜は互いに顔を見合わせて首を傾げ、変なの、と笑い合って丘を下る。手を繋ぎ、腕を組み。恋人たちが歩いていく。その二人の後姿を見て――どうしてか、水月は泣いてしまった。ぽろぽろと涙が零れてきて、水月自身驚きながら……。



 ただ、涙だけが止まらなかった。






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