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No.1154の一覧
[0] Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~ 『完結』[舞天死](2009/02/11 00:34)
[1] [序章-01][舞天死](2009/02/11 00:30)
[2] [序章-02][舞天死](2008/02/11 16:02)
[3] 復讐編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:03)
[4] 復讐編:[一章-02][舞天死](2008/02/11 16:03)
[5] 復讐編:[一章-03][舞天死](2008/02/11 16:04)
[6] 復讐編:[一章-04][舞天死](2008/02/11 16:05)
[7] 復讐編:[二章-01][舞天死](2008/02/11 16:05)
[8] 復讐編:[二章-02][舞天死](2008/02/11 16:06)
[9] 復讐編:[二章-03][舞天死](2008/02/11 16:07)
[10] 復讐編:[二章-04][舞天死](2008/02/11 16:07)
[11] 復讐編:[三章-01][舞天死](2008/02/11 16:08)
[12] 復讐編:[三章-02][舞天死](2008/02/11 16:09)
[13] 復讐編:[三章-03][舞天死](2008/02/11 16:09)
[14] 復讐編:[三章-04][舞天死](2008/02/11 16:10)
[15] 復讐編:[四章-01][舞天死](2008/02/11 16:11)
[16] 復讐編:[四章-02][舞天死](2008/02/11 16:11)
[17] 復讐編:[四章-03][舞天死](2008/02/11 16:12)
[18] 復讐編:[四章-04][舞天死](2008/02/11 16:12)
[19] 復讐編:[五章-01][舞天死](2008/02/11 16:13)
[20] 復讐編:[五章-02][舞天死](2008/02/11 16:14)
[21] 復讐編:[五章-03][舞天死](2008/02/11 16:14)
[22] 復讐編:[五章-04][舞天死](2008/02/11 16:15)
[23] 復讐編:[六章-01][舞天死](2008/02/11 16:16)
[24] 復讐編:[六章-02][舞天死](2008/02/11 16:16)
[25] 復讐編:[六章-03][舞天死](2008/02/11 16:17)
[26] 復讐編:[六章-04][舞天死](2008/02/11 16:18)
[27] 復讐編:[六章-05][舞天死](2008/02/11 16:18)
[28] 復讐編:[七章-01][舞天死](2008/02/11 16:19)
[29] 復讐編:[七章-02][舞天死](2008/02/11 16:20)
[30] 復讐編:[七章-03][舞天死](2008/02/11 16:20)
[31] 復讐編:[七章-04][舞天死](2008/02/11 16:21)
[32] 復讐編:[八章-01][舞天死](2008/02/11 16:21)
[33] 復讐編:[八章-02][舞天死](2008/02/11 16:22)
[34] 復讐編:[八章-03][舞天死](2008/02/11 16:23)
[35] 復讐編:[八章-04][舞天死](2008/02/11 16:23)
[36] 復讐編:[九章-01][舞天死](2008/02/11 16:24)
[37] 復讐編:[九章-02][舞天死](2008/02/11 16:24)
[38] 復讐編:[九章-03][舞天死](2008/02/11 16:25)
[39] 復讐編:[九章-04][舞天死](2008/02/11 16:26)
[40] 復讐編:[十章-01][舞天死](2008/02/11 16:26)
[41] 復讐編:[十章-02][舞天死](2008/02/11 16:27)
[42] 復讐編:[十章-03][舞天死](2008/02/11 16:27)
[43] 復讐編:[十章-04][舞天死](2008/02/11 16:28)
[44] 復讐編:[十一章-01][舞天死](2008/02/11 16:29)
[45] 復讐編:[十一章-02][舞天死](2008/02/11 16:29)
[46] 復讐編:[十一章-03][舞天死](2008/02/11 16:30)
[47] 復讐編:[十一章-04][舞天死](2008/02/11 16:31)
[48] 復讐編:[十二章-01][舞天死](2008/02/11 16:31)
[49] 復讐編:[十二章-02][舞天死](2008/02/11 16:32)
[50] 復讐編:[十二章-03][舞天死](2008/02/11 16:32)
[51] 復讐編:[十二章-04][舞天死](2008/02/11 16:33)
[52] 復讐編:[十三章-01][舞天死](2008/02/11 16:33)
[53] 復讐編:[十三章-02][舞天死](2008/02/11 16:34)
[54] 復讐編:[十三章-03][舞天死](2008/02/11 16:35)
[55] 守護者編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:36)
[56] 守護者編:[一章-02][舞天死](2008/02/13 21:38)
[57] 守護者編:[一章-03][舞天死](2008/02/17 14:55)
[58] 守護者編:[一章-04][舞天死](2008/02/24 15:43)
[59] 守護者編:[二章-01][舞天死](2008/02/28 21:48)
[60] 守護者編:[二章-02][舞天死](2008/03/06 22:11)
[61] 守護者編:[二章-03][舞天死](2008/03/09 16:25)
[62] 守護者編:[二章-04][舞天死](2008/03/29 11:27)
[63] 守護者編:[三章-01][舞天死](2008/03/29 11:28)
[64] 守護者編:[三章-02][舞天死](2008/04/19 18:44)
[65] 守護者編:[三章-03][舞天死](2008/04/29 21:58)
[66] 守護者編:[三章-04][舞天死](2008/05/17 01:35)
[67] 守護者編:[三章-05][舞天死](2008/06/03 20:15)
[68] 守護者編:[三章-06][舞天死](2008/06/24 21:42)
[69] 守護者編:[三章-07][舞天死](2008/06/24 21:43)
[70] 守護者編:[三章-08][舞天死](2008/07/08 20:49)
[71] 守護者編:[四章-01][舞天死](2008/07/29 22:28)
[72] 守護者編:[四章-02][舞天死](2008/08/09 12:00)
[73] 守護者編:[四章-03][舞天死](2008/08/29 22:07)
[74] 守護者編:[四章-04][舞天死](2008/09/21 10:58)
[75] 守護者編:[五章-01][舞天死](2009/02/11 00:25)
[76] 守護者編:[五章-02][舞天死](2009/02/11 00:26)
[77] 守護者編:[五章-03][舞天死](2009/02/11 00:27)
[78] 守護者編:[五章-04][舞天死](2009/02/11 00:28)
[79] 守護者編」:[終章][舞天死](2009/02/11 00:28)
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[1154] 守護者編:[五章-01]
Name: 舞天死◆68efbbce ID:c760b461 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/02/11 00:25


『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』



「守護者編:五章-01」






 部屋に戻ればロックは自動的に外れ、呪われたこの《鉄仮面》を脱ぐことが出来る。あの桜並木からB19フロアにある自室まで一体どうやって戻ってきたのだったか。鉄にはその記憶がなかった。ふと背後を振り返ってみても一緒に居たはずの霞の姿はない。……冷たい汗の浮かんだ額を拭いながら、鉄はベッドに腰掛ける。投げ捨てるように外した仮面は床を転がり、無機質な虚構を物語っていた。

「……まだ、泣いているのか?」

 腰掛けた姿勢から背中を預けるように寝転がり、手の甲を額に当てる。激情が突き抜けた脳ミソが痛い。頭痛がする。込み上げてくる吐き気と悪寒に震えながら、鉄は蹲って泣いていた少女の姿を思い出す。銀色の髪をした、幼い少女。実際の年齢など知らない鉄だが、見た目どおりの少女なのだろう。……少々、キツイ言葉を吐きすぎたのかもしれない。

「――違う、霞はオレを騙してたんだ……ッ!」

 そして、夕呼も、ピアティフも……。

 鉄の目の色が変わる。憔悴して窪んだようだった瞳が、ギリギリと歯軋りに合わせて憎悪に歪んでいく。――白銀武。この世界の、“自分”。軍服を着ていた。左の顔に深い傷を負っていた。衛士……なのだろう。そして、ヤツがの言葉から、XM3を搭載した戦術機を駆り、『甲21号作戦』に参加したのだとわかる。

「死んじまえばよかったんだ……畜生ッ、ちくしょぉ…………っ、」

 大勢の衛士が戦死したのだという。鉄にはハイヴというものもBETAとの戦場もシミュレーター以上のことはわからない。実際にどれだけの敵を相手取り、どれだけの人が死んで逝ったのかなど想像もつかない。その戦場に赴き、散った英霊たちの戦う理由、願い、残された者たちの意志。それら全部が、鉄には正しく理解できていない。彼の境遇を知るものならばそれは無理からぬことなのかもしれないが……いや、最早鉄にとっての全ては“自分自身”に集約されている。

 これまで見聞きし、得た知識も経験も。そして今後得るだろうなにもかもが……この世界に胡坐をかいてのうのうと生きている“自分自身”を抹消しない限り、ただ己を責め苛む苦痛でしかない。異世界から迷い込んだ異分子は、ようやく見出し始めていた己の居場所を、根こそぎに奪われたのだ。ただ一度の邂逅。たったそれだけで。

 死んでしまえ。

 そんな呪わしい嘆きをぶつけたところでニンゲンは死にはしない。常識が脳裏を過ぎるたび、鉄の神経はささくれ立っていく。ならばどうするか。殺してやりたいくらい憎い相手がそこにいる。何食わぬ顔で。当たり前のツラで。自身の存在に何一つ疑問を持たず、ここに自分のような境遇に陥っている不遇の存在がいようなどと思いもせず。

 ――ならばどうするか。答えは既に得ている。…………復讐だ。

 しかし、一体、何をどうすればいいのだろう。一言に復讐といっても、その内容は様々だろう。存在を剥奪され自由を剥奪され、偽りに塗り固められた牢獄の日々。真に望むのは元の世界に戻ること。……それが叶わぬから、今もこんな狂った世界に生きている。この世界以外に生きる場所がないというなら、求めても叶わぬなら――オレは、オレとして生きたい!

 鉄じゃない。そんな名前は知らないッ! 夕呼の言葉遊びで付けられた偽名など捨ててしまえ。この世界の白銀武を抹消し、己こそが白銀武として存在すること。それが鉄の望む復讐劇の結末だ。付随して、自分を騙して利用した夕呼たちに仕返しが出来れば尚よい。胸がすくというものだ。こんな地獄のような世界に迷い込んだ自分をいいように使いまわそうとした人でなし共に、この苦しみを味わわせてやる。

「くく……ッ、くくく……はははっ、ははははははっ!! …………ッ、ぁ、はは、ぁぁあ、ああ、っ、ぁ、ぐ、……ぅぅっ」

 鉄の脳裏に浮かsぶのは足元に転がった「白銀武」の顔。顔面を剥ぎ取られて無様に死に絶えた“自分自身”の姿。顔を失くしたソイツに《鉄仮面》を嵌めてやり、自身は剥ぎ取った「白銀武」の顔を愛しむように撫で、外した仮面の変わりに被る。顔の剥奪は存在の剥奪を示し、そうすることで鉄はきっと白銀武に戻れるのだ。

 ドス黒い想像に浸り、引き攣ったように嗤う。盛大に嗤いたかったけれど、不意に思い出された元の世界の光景が胸を締め付ける。還りたい。帰りたい。かえりたい。願っても願っても、どれだけ夢に見ても、叶わない。隣りには純夏が居て、冥夜が居て。そんな幸福な世界に戻りたい――戻れない。ベッドに転がったまま、鉄は嗚咽を漏らす。ぐらぐらと煮立つ脳髄にえずきながら、怒りと哀しみ、悔しさがぐるぐるといつまでも渦を巻いて…………。



 そして、鉄は意識を失うように眠る。目覚めた時には元の世界であるようにと。叶わぬ願いを繰り返し。







 ===







 2002年1月4日――







 二日前、霞からの報告で鉄と武が接触したことを聞いていた夕呼だったが、今日までの間に双方特に目立った兆候がないことに、矢張りと頷く。世界は矛盾を許容しない。その論理から言えば鉄と武の二重存在は大いなる矛盾なのだろうが、二人が顔を合わせても――その内、鉄は武がこの世界の自分なのだと認識しても――鉄の存在は喪われなかった。武の側にも世界からの修正は働いていないようだ。
 となれば、以前にたてていた仮説は概ね間違いではないらしい。つまり、二人は同質の存在ではないということ。元々がこの世界の存在でない鉄は今でも夢に乗って元の世界と繋がったりしているようだが、武と接触しても世界からの修正――この場合強制排除とでも言うべきか――を受けていないというなら、二人の存在は限りなく同一に近く在りながら、根本的に異なっているということだろう。……それが具体的にどう異なっているかはわかっていないが。それを調べるのはひとまず後回しで構わない。
 或いは、武がいずれ必ず死ぬ、という点が鉄の存在を許容しているのか。……こちらの説は、いまいち説得力に欠けるが。なんにせよ、鉄が消えないことは僥倖である。XM3が世界的に認められた今、彼の存在は役に立つ。A-01も相当の訓練を積み、尋常ではない戦力を獲得しているが、XM3の能力を最大限に引き出すあの『概念戦闘機動』の本質を理解して実践できるのは、矢張り鉄だけなのだから。

 この世界の白銀武に対し、強い憎悪を抱いているということも報告されていたが、少なくともこの二日、鉄が何某かの行動を取った記録はない。“彼”という存在が精神的に追い詰められたときに発症――そう言ってもいいだろう――する暴力的な一面は既に武で経験済みだったので、念のため霞とピアティフを監視から外していたのが幸いしたのかもしれない。或いは鉄の脳内では様々な復讐方法がシミュレートされているのかも知れないが、今すぐにそれを実行することは、そもそも不可能だ。

 鉄の復讐対象として挙げられるのは筆頭に武と夕呼自身、続き、被害妄想染みた「裏切り」の対象であろう霞とピアティフの、合計四人。鉄の行動の自由こそ奪っていないが、この内霞とピアティフは接触できる機会をなくせば済み、夕呼についてはそもそも暗殺すら出来はしない。残るは武だが、こちらについては放っておいてももうじき死ぬので問題ですらない。殺したいなら殺せばいい。

 たかが異世界の小僧一人。体を鍛えた程度のガキが出来ることなどたかが知れている。

 夕呼はちらりと背後を振り返り、無言のままついて来る鉄を、能面の《鉄仮面》を眺める。XM3トライアル以来に顔を合わせたのだが、自分の指示とはいえ、あの《鉄仮面》は些か奇を衒い過ぎたかもしれない。表情がわからない、というのはある意味でもっとも厄介だ。……まぁ、夕呼の中で鉄は危険視されていないので関係はないのだが。憎しみを抱き、殺してやるとさえ思っているかもしれない相手を眼前にして、どれ程醜悪な顔をしているのかと興味もあったのだが。

(追い詰められたニンゲンがどれ程愚かな顔で愚行を犯すのかを見てみたかったのだけど……)

 

 そんな夕呼の内心を鉄が知ったならば、彼の精神の箍は外れていたことだろう。だが、幸いにして彼には霞のようなリーディング能力はなく――備わっていたとしても夕呼が身に付けているバッフワイト素子で妨害されるが――また、夕呼のように常に人を食ったような顔をしている人物の表情から感情を読み取れるほどの経験もなかったため、せいぜいがムカツク面だ、程度にしか思わなかった。

 夕呼からの呼び出しを受けるまでの二日間、鉄は部屋に閉じこもっていた。毎日のように顔を見ていた霞やピアティフが部屋にやってこなかったのも、どうせ夕呼の差し金だろうと理解している。もっとも、自分を裏切ったような女達の顔など見たくもなかったのだが。そうやって独りで自室に閉じこもり何をしていたのかといえば……如何にしてこの世界の白銀武を抹消するか、そのありとあらゆる方法を妄想しては、暗い愉悦に浸っていた。

 殺人。もっとも安易で成り代わりに困らない方法ではある。故に最初に思いついたのはそれだった。だが、実現可能な殺害方法を脳内で描くにあたり、鍛えられた軍人なのであろうこの世界の白銀武と、俄仕込みの自分ではそもそも勝負になり得まいという結論に至っている。

 同様に暗殺という手段も考えてみたが、例えば射殺だが、鉄は拳銃を持っていない。扱い自体はピアティフから教わっていたが、戦術機の操縦技術だけを求められていた鉄は、軍人である必要はなかったのである。……無論、衛士を名乗る以上それに付随する覚悟や信念が備わっているべきだろうが、鉄にはそもそもその辺りが明確ではない。知らぬ間に迷い込んだ世界で、戦争に参加しなければ存在自体が認められなかったのだ。あまりにも理不尽で過酷な世界。全ての事象が自分の理解を超えている中で、一体どうやれば“ここで頑張って生きていこう”などと思えるというのか。

 軍人としても中途半端であり、現在は武器自体所持していない状態で、どうやって白銀武への復讐を果たすか。その手段・方法を探るために二日を費やし……結論が出ないままに夕呼に引きずり出されたのがつい先程。部屋のドアが開かれた瞬間、鉄は身を竦ませた。不穏なことを考えているという自覚などなかったはずなのに、他人に対して警戒してしまう。そんな鉄の反応を、夕呼はさも面白そうに眺めていた。

 ――今もそうだ。夕呼は鉄を振り返り笑っている。部屋に来たときも笑っていた。アンタなんかに何が出来るのかしら? ――きっと夕呼はそう言って、嘲笑っていたのだ。……鉄は苛立ちを抑えることもなく舌打ち、忌々しい夕呼の背中を睨みつける。そもそもの始まりはこの女だった。自分を捕らえ、自分を騙し、自分を利用した女狐……ッ。沸々と湧き上がる怒りを噛み締めるたびに、復讐の念は膨らんでいく。憎悪が、全身を支配していく。

 夕呼や霞、そしてピアティフたちに対する裏切りの報いについてまでは“まだ”考えていない。彼女たち――特にピアティフについては裏切られたという衝撃自体が相当に深く、あの美しい顔を思い浮かべただけで胸を掻き毟りたくなるほどだ。哀しい、という言葉が一番適切なのかもしれない。

 けれど、恨めしいという思いがないわけではなく、むしろ、夕呼に関してだけは白銀武と同様、或いはそれ以上の憎悪が滲んでくる。あの天才面をした悪魔のような女。クソ忌々しいその端正な顔を、力の限り歪めてやりたい……。ぎりぎりと拳を握る。可能ならば今すぐに殴りつけて殺してやりたいほどに。

 ――ふと、思うのだ。もし、もしあの時、この世界に目覚めた最初に……“学園”に向かわなければ。この世界の横浜基地にさえたどり着かなければ……。自分は、ひょっとしたらもっと違う、己自身としての生を全うできたのではないか。

 少なくとも、存在を剥奪され、人権を奪われ、戦争を強要されるような……こんな地獄のような世界に巻き込まれることは………………………………なかった、とは。

(ちく、しょぉ……)

 どれだけ過去を呪ったところで、今のこの状況は変わらない。ピアティフと霞は監視から外され、代わりにゴツイ顔つきの軍人が四人がかりで警護ときた。夕呼と自分を挟むように前後に二人ずつ。如何に夕呼が憎らしく、殺意を募らせたところで、鉄の行動は封じられたも同然だった。一昨日の夜、衝動的に白銀武を殺しに行こうと部屋のドアを開けた際も、この軍人達が待ち構えていた。……好きで二日も閉じこもっていた訳ではない。行動を、制されているのだ。

 かつての軟禁と何が違うというのか。どうせ霞から報告なりなんなりを聞いたのだろう。鉄はどこまで行っても異分子であり、この世界にとっての異端なのだ。だから、そんな鉄が何かをしようとすれば、夕呼はその行動全てを封じて搦め手に出る。――弄ばれているのだ、と。鉄は知ってしまった。こんな監視を引き連れて基地内を歩くことも出来ず、まして……もう一人の自分を殺害することなど、不可能だった。

 たった一人の異分子に対して大層なことだと皮肉ってみても、現状が打開されるわけでもなく。鉄は鬱々と昏い感情の深みに嵌っていく。目に映るものすべてが欺瞞に満ち、手に触れるものすべてが虚飾に満ちた世界。自分がいるべき場所ではない。――ここは、正しく異界なのだと。鉄はついに受け入れるしかなかった。そうすることでしか、ピアティフたちに裏切られた感情を落ち着けることなど出来ず、己の現状を顧みることもできない。

 異界であり、自分がいるべき場所でないのだからこそ――復讐すべきなのだ。世界に。

 その認識は鉄の中でより一層強固に、絶対のモノとして凝固していく。そして、それでもこの異界で生きていくために、「シロガネタケル」であるためには……方法は、どれだけ考えたところで、一つしか在り得ないのだった。

 そうして鉄は結論する。白銀武との邂逅以降考えて考えて鬱々と過ごしたこの二日間の結論は、変わらない。自分という存在にこれだけの不遇を押し付けた世界に、夕呼に、その根本となった白銀武に……復讐を。

 もうそれしか、生きる目的が…………ない。



「あらまりも、早かったのね」

 発せられた夕呼の声に、鉄はハッとする。どうやら暗黒の渦に浸っている間に、目的地に着いたらしい。結局なんのために連れ出されたのかを知らされないまま到着したわけだが、鉄にとっては最早全てがどうでもいいことに思えていたので、あまり気にしていなかった……の、だが。鉄は仮面の下で目を見張る。瞠目せずにはいられなかった。

 神宮司まりも。その存在がこの異界にも在ることは知っていても、こうして面と向かい合うことが出来ようとは思っていなかった。それはきっと、シロガネタケルとしての存在を奪い返した後のことだと、そう思っていたのに、目の前に彼女は立っている。夕呼に向けて敬礼しながら、チラリと視線をこちらに向けていた。心臓が鳴る。緊張が走る。――まりもちゃん! そう声に出して叫びたい衝動が、鉄の内側から溢れ出ようとする。

 …………だが、そんなことは出来なかった。自分は鉄なのだ。今はまだ、《鉄仮面》の衛士でしかないのだ。まりもにとって。そして、この異界そのものにとって。更に言えば彼女は所詮この世界のまりもであり、鉄の慕う優しい女教師とは別人である。……ために、鉄は小さな失望と絶望を感じ、結局、黙り込むしか出来ない。俯くように夕呼の背後に立っていると、まりもがきつく睨み据えてきた。――そんな目は、オレは知らない。

「鉄少尉だな……。会うのは初めてだが、貴様の考案した『概念戦闘機動』そして、XM3には感謝している。そのいずれもなくして、『甲21号作戦』は成功し得なかった。多くの部下の命を救ってくれたこと――礼を言う」

「――っ、?!」

 だが、次の瞬間見せた優しい表情は……その声音は、鉄のよく知る“まりもちゃん”そのものであり、鉄は困惑してしまう。別人なのに、同じひと。頭が狂いそうだった。まりもはどんな世界であれまりもなのだという事実。そのことをたったの一言で理解できてしまった鉄は、しかしその理屈を認めるわけにはいかないと殴り捨てる。……でなければ、自分の存在の全てが否定されてしまう。

 そんな激流のような思考に囚われて言葉を発せなかった鉄に、まりもは特に何を言うでもなく、夕呼へと向き直る。今の今まで機密の一点張りで鉄という存在の上っ面だけしか開示されなかったのに、ここにきて突然の対面である。そもそも、夕呼から呼び出しを受けた時点では帝国軍と合同の慰霊式典を執り行うに当たっての最終打ち合わせとしか聞いていなかった。そのつもりで合流場所に来てみればそこには書類でしか知らなかった《鉄仮面》が共に居る。

 ――やられた。というのがまりもの本音であるが、先程の謝辞についても紛れもない本音だ。夕呼の思惑通りまんまと鉄の存在に驚いたまりもは、今回だけは夕呼の采配に感謝することにした。きっと、こういうことでもなければ、まりもでさえ彼と顔を合わせることはなかったのだろうから。

「さて、面子も揃ったところだし。行くわよ」

 そうしてまりもの前を通り過ぎて歩く夕呼に従う形で、一行はまた歩き出す。白衣の裾を揺らしながら堂々と歩く親友の背中を見つめながら、まりもは、そういえばピアティフの姿が見えないことを疑問に思った。帝国軍……というよりも、日本政府との合同慰霊式典の調整はピアティフが中心となり行われていたはずである。今回はその最終調整であり、午後には煌武院悠陽殿下直々に斯衛の精鋭部隊を引き連れてやって来る予定であるのだから、彼女がいなくてよいはずがないのだが……。

 もっとも、既に打ち合わせを進めているのかもしれないし、或いはそれに関係した横浜基地内部の調整に奔走している可能性もあるので、あまり深く考えることはなかった。まりもとしては、式典の際に救国の英雄として祀り上げられる、その段取りさえ押さえておけば問題ない。……偶像として扱われることに不満がないわけではないが、如何に機密性の高いA-01とはいえ、実際にハイヴ攻略を成した部隊長としてその立場を必要とされているのであれば、甘んじて受けようという想いもある。

 民衆は、希望を欲する。そして、その輝きを放つ英雄を欲する。

 日本にとっての希望は間違いなく煌武院悠陽殿下なのだろうが、その彼女が直々に英雄を指名してきたのだ。ならば、受けざるを得ない。まりも一人が偶像として民衆の上に立てば済むことならば、また、それが数多くの死線を乗り越えて、或いは散って逝った部下達にこれ以上ないはなむけとなるならば。隊長として、軍人として、まりもは英雄としての自身を受け入れられる。

 歩きながら、まりもは自分の斜め後ろを歩く鉄をちらりと振り返る。夕呼から開示された情報によれば、戦場でBETAに襲われ重度のPTSDに罹っているということであり、精神に支障をきたしているという。現実を現実として受け入れることが出来ず、自身の脳内に広がる夢の世界こそが唯一の世界と思い込むことで一応の平穏を得ているらしい。

 つまり、精神病患者……ということになるのだが。実際、会ってみての感触から言えば、極普通の青年にしか見えない。顔を仮面で覆い隠しているという異常性は見られるが、それだって負傷した顔を整形した際に、それが“元の顔”でなかったことを受け入れられなかったからだという理由もあるし、同情できなくもない。つまり、外見的に判断すれば、鉄は全く普通の、一衛士にしか思えないのだった。

 本当に彼が? そう疑問に感じてしまうほど、XM3や『概念戦闘機動』などの革新的な技術を編み出せるほどの天才的素養を持つようには見えない。……もちろん、天才と類される者の存在をまりもは疑わないし、目の前に夕呼という実例がいる以上、鉄もそうなのだろうとは思っている。そのように見えない、というだけで、実際にXM3を生み出したのだから。また、トライアルで見せたあの凄まじい機動は、今の自分たちにも到底真似できない異常さであり、こと『概念戦闘機動』に関しては流石発案者としか言いようがない。

(出来るものなら彼をA-01に迎えたいところだが……)

 衛士一人が増えたところで戦況が変わるわけではないが、部下達に与える影響は多大なものとなるだろう。……いや、実現しないことに思考を割くのはやめよう。もしそれが可能ならば、夕呼のことだ、既に実行に移しているに決まっている。それもXM3開発初期の頃に、だ。それがなく、XM3が世に知れ渡って尚、鉄が機密扱いされているのだから……そこから先は考えるまでもないことだった。

 そうやって暫し無言のまま歩くこと数分。基地内で最も広い会議場の入口には斯衛の軍服を着た烈士が二名、歩哨に立っていた。その彼らと向かい合うように、廊下を挟んだ反対側に国連軍兵士が同様に歩哨として立ち、合計四名が夕呼たちに敬礼を向けてくる。夕呼はいつものように眉を顰めただけで返答らしきものは見せなかったが、まりもと鉄は軍人らしく敬礼をしてみせた。そうして答礼しながら、まりもは眉を寄せる。――何故、斯衛が歩哨に?

 斯衛とは城内省に籍を置き、将軍家縁者を守護する最精鋭部隊の総称だ。彼らの任務は帝国の守護よりも優先して、将軍家縁の者を護る義務と責任、矜持がある。つまり、彼らは合同慰霊式典の開催のため打ち合わせにやってきている調整役を警護するような任務は負っていないはずであり、ここに居るはずがない者たちなのだ。……その調整役が将軍家縁者だというなら話は別だが、恐らくそれはないだろう。将軍家、そして五摂家とは、いわば日本という国を象る骨子であり、基盤だ。成人している者のほぼ総数が政治に、或いは軍に身を置き、この国を導くために身を擲っている。そんな人物が死者を祀る式典の段取り調整役を担うとは到底思えない。

 そんな疑問を抱きながら歩哨に立つ斯衛が扉を開くのを待っていると――それは静かに内側から開かれた。誰か出てきたのだ。その人物が進み出るのにあわせて、白服の斯衛軍衛士は脇に退く。微塵の乱れもなく踵を合わせ、敬礼を向け――現れたのは真那だった。赤色の軍服を着こなした彼女は警備にあたっている彼らに答礼し、夕呼たちに気づいて少しだけ表情を硬くした。逸らすように夕呼から視線を外し、まりもの眼を見る。……そこには、若干の憎しみ窺えた。

 まりもは何も言わない。自分たちにも敬礼し、退室する真那。一瞬だけ鉄の存在に驚いたように見えたが、彼女にとって、それ以上夕呼と同じ空気を吸うことは耐えられなかったのだろう。厳しい表情のまま――恐らく、僅かでも夕呼に憎しみを抱いたことを恥じているのだろう――一度も立ち止まることなく去っていく。その背中に向かって、何も言える筈がない。あの時、まりもも一緒に聞いたのだ。夕呼の非道。人類を救うための計画……その裏側に潜む、狂気の沙汰を。

 けれど、自分も真那も、それを非難する権利はない。いくら人道に悖り、外道の業を振るったのだとしても、それは必要だったから実行されたのであり、そして夕呼は自身の狂気を理解しているのだから。己の罪を知り、誰よりも己自身が自らを断罪している。その事実に気づいているから、だから……夕呼を憎むことは、赦されない。地獄に堕ちることすらヌルイ。そんな外道を往く夕呼の覚悟は、この星を救うという希望のように、気高く、孤高に輝いている。

 確かに武を想う真那にとっては憎らしいだろう。最愛の弟子の命を奪われようとしているのだ。その感情を抑えることなど出来まい。けれど、誇り高く、慈しみ深い彼女には、夕呼の覚悟も理解できるために……夕呼に対し憎しみを抱いた自分を、恥じてしまう。その生き方を、まりもは尊敬する。見習いたいと思う。

 まりもは小さく息を吸い、両目をしっかりと開いた。室内に入る親友の背を見つめて、例えこの先何が起ころうとも、夕呼がどれだけの非道を行おうとも……決して、彼女を裏切ることはしない。そう胸に誓う。軍人として、衛士として、そして夕呼の親友として。神宮司まりもという存在全てを賭けて――誓うのだ。







 廊下の角を曲がったところで、真那は立ち止まり、壁にもたれるように背を預けた。両目は固く閉じられ、握った拳は昂ぶった感情に震えている。整った美しい顔は苦しさに歪み、腹の底から燃え滾る感情が、今にも爆発しそうだった。――まだまだ、未熟。精進が足りない。

 武のことはもう整理したはずだった。二日前、僅かの可能性に賭けて斯衛への勧誘を試みたが、無碍に断られている。袖にもされない、というのは矢張り寂しいものだ。愛弟子の死を受け入れるしかない現実に無力さを覚えもしたが、武自身が己の運命を知り、それに納得しているというなら……今更、真那が夕呼を憎むことは的外れもいいところであり、何より、人類救済の道を拓こうとする彼女を侮辱する行為でしかない。

 それがわかっていて、理解していて、これほどの感情を抱いてしまったのだから……なんとも、未練がましいことである。真那は自身の業の深さに自嘲して、天井を見上げた。いつの間にか、これほどまでに――武という存在を欲していた。父の剣術を継ぐ者、というだけでは足りない。彼の子を欲したこともそうだ。弟子に対する信愛を越えた情を、真那は確かに抱いていた。死んでほしくないと願うのは……自分の我儘なのだろうか。

 ……その答えは、もう得たはずだ。いつまでも女々しいとは思う。武を想うというなら、彼が自ら選んだ道をしっかりと最期まで見守ってやるべきだろう。きっとそれが、彼の病状を知る真那の役目だ。師として、弟子の最期を看取る……。

「――こちらにおられましたか、中尉」

 掛けられた声にハッと目を向ければ、そこには冥夜がやって来ていた。凛々しい顔立ちの彼女は真那を見つけてほっとしたような表情をしてみせ、次いで、真那の様子に気づいたのか、眉を顰めた。歩み寄りながら真剣な面持ちになり、あと数歩という所で敬礼した。真那も壁から身を離し、答礼する。

「……何か用か、御剣少尉」

「はい。伊隅大尉より月詠中尉をお呼びするよう申し付かりました。A-01ならびに斯衛軍第19独立遊撃小隊は別名あるまで待機、とのことです。……もうじき煌武院殿下がいらっしゃいますから、我々は基地内の防備を固めると」

 かつての主は初陣を経て立派な軍人に成長したようだった。戦友の死を乗り越え、その悲しみも怒りもやりきれなさも、戦場の恐怖も無情さもなにもかも……それら全てをその身に刻み、ひとまわりもふたまわりも大きくなっている。冥夜から発せられる雰囲気からそれを感じ取った真那は、つい先程までの自身の女々しさを忘れるほど、誇らしく、嬉しい気持ちになっていた。

 そして、冥夜が告げた煌武院悠陽殿下の来訪。――ふと、小さく笑ってしまう。冥夜と血を分けた双子の姉。お互いの立場の隔絶に絶望することなく、互いに愛し合い想い合う姉妹の姿は、かつて仕えていた頃より変わりない。顔を合わせることは出来ないのかもしれないが、きっと、冥夜は悠陽が近くにやって来ていることをとても嬉しく感じていることだろう。そしてそれは、悠陽も同じなのだ。

 真那はつい先程まで面会していたそのひとの顔を声を仕草を思い出して、なんだかくすぐったいような気分になった。――ああ、矢張りこの方は素晴らしい。忠誠を誓うに相応しい、才気と風格を兼ね備えている。願わくば、互いに壮健であらんことを――そう願い目を閉じた真那に、怪訝そうな冥夜が問い掛ける。

「……あの、月詠中尉……」

「ん、ぁあ、すまぬな。少し考え事をしていた。……伊隅大尉がお呼びなのだったな。行こう」

 首を傾げる冥夜にそう答えて、真那は歩き出す。やや遅れてついてくる冥夜を気配で感じながら、以前とは違う自分たちの関係を思い――幸せなことだ、と頷く。悠陽の冥夜に対する心遣いが、この現状をもたらしている。真那にとっての幸せは矢張り、どこまでいっても冥夜の傍に在り続けることなのだと。改めて認識していた。

 武を喪うという哀しさは確かにある。だが、それでもまだ真那には……自らの命を懸けてでも護り抜きたい心の主が在るのだ。それを、幸せだと思える。そう言える。……だから真那は、これからも自分自身でいられるだろう。武の死を胸に抱いたまま。生きていける。

「そういえば……神代たちはどうした? 私を呼び出すのであれば、あの者たちに命じたであろうに」

 ふと思いついた疑問を尋ねれば、どうしてか冥夜は一瞬焦ったような表情をして、あちこちに視線をさ迷わせた後、頬を染めて俯いてしまった。一体何事かと思い立ち止まり振り返ってみれば、凛々しさなどどこへやら、辛うじて姿勢よく立ってはいるものの、その姿はいじらしい可愛らしさを放っていた。――め、冥夜様……ッ?! 本当に何があったのだろう。聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。いや、莫迦な。

「め――、御剣少尉、一体どうした」

「ぁ、は……い、ぃぇ……」

 つい名前で呼びそうになってしまい慌てて言い直すが、問い詰められた冥夜は一層あたふたとしだす。本気で心配になってしまった真那だったが、これ以上声を掛けても同じことの繰り返しのような気がしたので、とりあえず落ち着くように促す。それがよかったのか、幾分落ち着きを取り戻した冥夜は上官である真那に醜態を晒したことを詫び、実は、と頬を染めたまま口を開いた。

「じ、実は……速瀬中尉から伺ったのです。そ、その……月詠中尉が、し、白銀少尉と――っ、あ、その。なんといいますか…………だ、だんじょのちぎり……を、か、かわした……ッ、と」

「……」

 至極真剣な表情で、顔を真っ赤にしながら、冥夜は尚も尋ねる。武には茜という恋人がいて、二人は相思相愛で、実は既に結ばれているらしく、互いが互いの存在を支えあう素晴らしい仲なのだということ。それを知りながら何故、武と――冥夜の話を要約すればこういうことになる。最初は恥ずかしさもあいまってしどろもどろに、けれど次第に感情が昂ぶってきて、声も大きく身振りまでついた糾弾に。最後には真那の行為が破廉恥極まりなく、同じ日本人女性として嘆かわしいということにまで至り……流石にこれ以上の暴言を誰かに聞かれでもしたら冥夜の立場が危うくなるので再度落ち着くように宥め賺す。

 如何に“元”真那の主であろうとも、今の冥夜は一少尉でしかない。中尉である真那に対して感情をぶつけていいはずもなく、また、本来ならば修正されるべき行動だ。そして冥夜のその行動は彼女を教え導いたまりもの教育指導にまで及び、結果として、まりもを貶めることになりかねない。勿論真那に冥夜を、ましてまりもをどうにかするつもりはないのだが……それ以上に、これほど感情を顕にした冥夜が珍しい。

 再び真那に宥められて冷静になった冥夜は、瞬間、真那に非礼を詫びるべく頭を下げた。冷静になったことで自分が如何に不敬な行いを取っていたかを悟ったのだろう。冥夜としては自身の失態が上官であるまりもに及ばないよう必死だったのかもしれないが……これもまた、珍しいというか、初めて見る姿だった。軍人としての習性が身についているという意味ではそのとおりだろうが、冥夜がこんなに感情をさらけ出すこと、そして自分自身の感情に翻弄されていることが、真那には嬉しく見えた。

 悠陽の影武者としての生を強要され、そしてそれを自身の道として選び受け入れた冥夜。人質同然に国連軍に預けられ、それでも自身の願う道を目指し、この国の未来を願い自身を鍛え抜いてきた冥夜。……彼女は、なによりも自分の感情を抑えてきた。勿論、冥夜とて人の子であるから完全に感情を殺すことは出来なかったし、しなかったが、それでも冥夜は矢張り、他人に比べて感情を面に出さない少女だったように思う。

 笑いもすれば悲しみに浸ることもあるし、怒りに身を奮わせることも、喜びに涙することもある。そういう、人間らしい感情の発露ではなく……歳相応の、少女らしい感情をさらけ出したのは、多分、これが初めてではないだろうか。

 それがまぁ――、真那と武の性交渉によって引き出された、というのがなんとも……真那としては喜んでいいのやら困るところではあるが。要するに、……まさかとは思うのだが、冥夜は真那に嫉妬しているのだろうか。話を聞く限りでは武と茜の仲をどうこう言うつもりは微塵もないらしい。が、そこに真那が割って入ろうとしている――或いは入った――ことが気に入らない、ふしだらだ、といいたいようだった。

「……」

「ち、中尉……その、失礼な口を利いてしまいもうしわけありませんでした。……で、ですがっ! 斯衛ともあろう御方が、添い遂げる相手の居る白銀少尉と、か、関係を持つのは如何なものかと……ぅぅ」

 折角落ち着いていたのに、口を開けばまた感情が昂ぶってしまうらしい。その一連の仕草をじっと見ていた真那だったのだが、もう駄目だった。限界だ。堪えられない。

「ぷっ……くくっ、くはははっ! はははははははっっ!!」

「!? ちゅ、中尉!? なにが可笑しいのですっ!?」

 真那が遠慮なく声高に笑うと、冥夜が驚いたように、そして憤慨したように眉を寄せる。自分は真剣な話をしているのに、どうして真那は笑うのか。そんな冥夜の感情が読み取れて、一層、真那は笑ってしまう。――なんとも、愉しいではないか。かつての主がこうまで一人の少女として在れること。その幸福を、真那は噛み締める。可愛らしい少女の恋慕にひとしきり笑った後、真那は呼吸を落ち着けながら肩を怒らせている冥夜に向き直る。

「いや、許せ。他意はない」

「――ッッ」

 思い切り他意があったのだが、そこは黙っておく真那である。冥夜は自分で気づいているのだろうか。今の自身の在り方が、何よりも幸せで自由であることを。……出来るならば自分で気づいてほしい。手に入れた幸福を、自身の手で掴んでほしいと願うのだ。

 そんな真那の心情など知る由もない冥夜は笑って誤魔化されたのではと唇を尖らせるが、そういえば自分はどうしてこんなに感情を荒立てているのだろうと内心で首を捻る。そもそもの発端は昨日のことだ。昨日、訓練後の休憩時に水月と茜が話しているのを偶然耳にしたのである。

 武は胸の大きな女に弱い。胸の大きさなら自分の方が云々。水月さんそれはどういう意味ですか。いやぁね茜本気にしないでよ冗談だってば。でも武ってば鼻の下伸ばしてデレデレしちゃって! そうそうあの莫迦押し倒されていいようにされちゃって! 斯衛の癖に恥じらいがない云々。斯衛の癖に節操がないどうだこうだ。斯衛の癖にいやらしいだの斯衛の癖に無駄にエロイだのなんだの(以下繰り返し)。

 ……というわけだった。その会話の内容を吟味した結果、真那が武を押し倒し強引に関係を持った――という結論に至り、その瞬間、冥夜の中でなにかが起こった。うまく言葉に出来ない感情、真っ先に浮かんだのは“赦さん”というようなものだったが、具体的に何をどう赦さないのかといわれるとよくわからない。よくわからないが、けれど、やっぱり腹に据えかねるものがあり……一晩を悶々と過ごした結果、直接本人に聞いてみようと思ったわけである。

 ――うむ、矢張り自分には一点の非もない。自身の行動の原点を振り返り、頷く冥夜。非があったとすれば感情に任せて上官を罵ったことだろう。それについては深く猛省している。……が、それがどうして真那に笑われることになるのか。誤魔化しは通用しない、というつもりで真那をじっと見つめると、慣れ親しんだ彼女の美しい顔がヤレヤレと困ったように和らぎ――真那は、華のように微笑んだ。

「武も幸せ者だな。御剣少尉にまで想われて……」

「なぁっ!? つ、月詠中尉!?!?」

 にっこりと微笑んだ真那はそう言って冥夜に背を向け、ゆっくりと歩き出す。冥夜はといえばあわあわと顔を真っ赤にして震えるしか出来ず、去っていく真那を追いかけることさえ出来ないでいた。彼女がようやくのことで我に返ったときには当然真那の姿はなく、慌てて格納庫に向かうと、みちるから遅いと叱責されてしまった。仲間達から向けられる“珍しいものを見た”という視線に羞恥心を覚えながらも、内心で真那への小さな憤慨を覚えるくらいしかできない冥夜は、けれど、どこか胸の内側で心地よさのような感情に気づいていた。

 一人の衛士として、一個人の御剣冥夜として存在していること。生きていること。真那や武たち、かけがえのない仲間達と共に戦える今を……冥夜は、大切にしたいと心の底から想っていたのだ。







 どうして斯衛が――そう不審に思ったまりもの疑問は、これ以上ないだろう衝撃によって氷解した。

 室内で待っていたのは合同慰霊式典の打ち合わせのためにやってきていた日本政府の代表でもなければ、帝国軍の高官というわけでもなかった。設けられた議席には既にピアティフがついており、やって来た夕呼たちを席に案内していたのだが、まりもの目は一点で凝結していた。

 そう。そこに居たのだ――いいや、違う。そこに“いらした”のである。

 煌武院悠陽殿下。

 日本という国家を象徴する臣民の希望。夕呼とともにXM3の普及に努め、『甲21号作戦』を完遂させ、AL4の完成にも協力する姿勢を見せてくれている……あの、政威大将軍そのひとが。

 豪奢で煌びやかな衣装そのままに、優雅な仕草で艶然と微笑みを浮かべながら、まりもたちを待ち構えていたのである。傍らには青服を纏う斯衛が仕え、室内には赤服を纏った斯衛の集団が配置されている。中でも特に威容なのが――恐らくこの人物が指揮官だろう――二メートルを越すであろう巨漢。堂々たる剃髪、はち切れんばかりの筋肉に覆われた剛毅なる雰囲気。腰に提げられた刀は真那や武のそれと似て、一目で名刀と知れる。

(――ッッ!? あれが、紅蓮中将……ッッ!)

 まりもも帝国軍に居た頃に噂くらいは聞いていた。現状、帝国斯衛軍の中で最強と謳われる男。そんな人物に護衛され、麗しの将軍殿下は佇んでいる。無機質な基地司令部の会議場が、ただそれだけで厳かな雰囲気に包まれるのだから恐ろしい。存在感、という枠で測れば夕呼など足元にも及ばないだろう。……いや、国家の象徴と天才科学者を比較する時点でどうかしているのだが。とにかく、そのくらい驚いたということだ。

 呆然と突っ立っているまりもと鉄を置いてさっさと悠陽に挨拶を済ませた夕呼は悠陽と向かい合うように革張りのソファに腰掛けている。凄まじいといえば凄まじい胆力の持ち主だが、夕呼の場合は単純に無礼ともいえる。あまりにも飄々とし過ぎる夕呼の態度に居並ぶ斯衛の全員が殺気立ったのだが、残念ながら、その程度の殺気で夕呼を怯ませることなど出来ない。存在感こそ悠陽に劣るが、ニンゲンとしての質は、間違いなく夕呼はここに居る誰よりも一枚以上上手なのだから。

「ちょっと、なにしてるのよあんたたち」

 早く席につけ、という夕呼の催促にはっとしたまりもだったが、その脳内では物凄い勢いで“これがどういうことなのか”を探っていた。午後からやってくるはずの将軍が既に横浜基地内に居る。まりもには一切知らされていないし、当然、自分の部下達も知りはしない。それどころか、みちるたちは今も悠陽がやってくることに備えて待機しているのだ。主たる目的は将軍の警護だが、国連が出張るまでもなく、直属の斯衛がその命に代えても護り切るだろう。まりもたちに求められた任務は、どちらかといえば不穏分子に対する備えとなる。

 不穏分子――と考えたところで、まりもは成程と頷く。現状、考え得る中で最も不穏な動きを見せているのは米軍だ。……いや、ハッキリ米軍と断定できるだけの証拠はなにもないのだが、そういう動きを起こしかねない輩、と言われればそれくらいしか思いつけないのだ。なにしろ、日本国内に根を張りつつあった戦略勉強会――決起部隊――をけしかけようと画策していた連中である。『明星作戦』以降日本への発言権を大きく損失している彼の大国は、日本でクーデターを起こさせ、それを鎮圧することで再び発言力を得ようと企んでいたらしい。

 夕呼が信頼できる筋から入手したという情報であるから、それは確かだったのだろう。けれど、そんな米国の目論みは、夕呼による煌武院悠陽殿下を表舞台に引き摺り出す算段によって崩れ去り、決起部隊そのものも表面化することなく散会したという。また、続く『甲21号作戦』でも出番を与えられなかった米軍は、XM3の台頭によって『G弾』の存在意義すら奪われようとしている。XM3と『G弾』を併用した戦略の有効性を謳われる前になんとか押さえ込もうと夕呼などは画策しているが……それが、将軍殿下が来訪するタイミングでテロを騙るくらいの暴挙に出ないとも限らない。

 つまり、悠陽自身、そんな米国の動きを察していて、それを欺くために一計を講じたということだろう。夕呼はそれを承諾し、情報漏えいを防ぐためにまりもにすら秘密にしたまま段取りを進めていったというわけだ。……単に、この場に呼んだまりもを驚かせるためという可能性もあるが……。そんなことを思考しながら殿下に恭しく礼をし、宛がわれた席へと向かう途中で――まりもは初めて、鉄の肉声を聞いた。



「めいや――」



 その声に驚愕したのはまりもだけではなかった。上座に座る悠陽、傍らに仕える青服の斯衛、或いは居並ぶ赤服の上位階級の者たち。いずれも名高い家系の者と思しき彼らもまた、驚きに目を見開いている。だが、そのいずれよりも愕然とした様の鉄が、まりもに違和感を覚えさせる。

 そう。恐らくはまりも以外の人々が驚いたのとは異なるベクトルで、彼女は驚愕していた。――似ている。その声は、あまりにも耳に慣れ親しんだ彼の……白銀武の声に、よく似ていたのだ。

 そしてまりもを除く全員が、悠陽を冥夜と呼んだ《鉄仮面》に警戒を呼び覚ます刹那の内に、緊迫した静寂を打ち破るかのように、悠陽自らが口を開く。

「……そなたが、鉄か」

「――ッ、あ」

 柔らかな眼差しで見据えられ、鉄は身を硬直させた。深い色をした瞳。優しげな眼差しなのに、その瞳から発せられるナニカが、鉄の中の精神を縛り上げる。そうして理解する。あそこに座っている少女は、彼の知る御剣冥夜ではないのだと。……いや、それどころか、この世界の彼女でさえないということを。そう。確かアレはトライアルが行われた日だ。テレビの画面越しに見た、この国の象徴。政威大将軍とかいう人物――なにか、小難しい名前だったような気がする。

 そのときにも思ったのだ。「似ている」と。どこか凛として真っ直ぐな印象のある冥夜とは違い、全体的に柔らかな印象を受ける。だが、ひたと鉄を見据える瞳からは、冥夜同様、或いはそれ以上の鋭さが感じられた。

「……そう、です。オレが、鉄です」

 自分で“クロガネ”の名を名乗ることに苛立ちに似た感情が過ぎるが、少なくとも今はこの感情をぶつけるべき相手が居ないので、何とか抑える。夕呼に対してあてつけてやりたい気持ちもあったが、場の雰囲気を考えれば自重すべきだろう。……いや、それ以前に、将軍なのだという少女から向けられる視線から逃れることが出来ない。その瞳に吸い込まれてしまったように、鉄は他のことを考えられなくなっていた。

「そうですか。そなたが……。そなたの衛士としての腕前、紅蓮から聞いています。我が精鋭たる斯衛にも決して劣らぬ技量の持ち主であるとか。……そして、XM3の発案者であり、戦術機の操縦概念に革新をもたらした」

 呟くように微笑んだ悠陽は、鉄の所業を淡々と語る。その彼女に斯衛たちは何も言わず口を噤んでいる。彼らとて鉄を知らぬわけではないし、その、最早革命というべきXM3の凄まじさを身をもって体験している。本来なら悠陽が直々に、一衛士に語り掛けることなどありえない。しかも、仮面で自身の素顔を隠したような、悠陽を前にして礼を失していると言わざるを得ない相手に、だ。

 が、悠陽の傍らに立つ青服の男性も、最強と謳われる紅蓮でさえ、鉄の非礼を叱責しない。彼がこの場に居るのはすべて、悠陽が望んだからだ。『甲21号作戦』以降不穏な気配を見せ始めたAL5推進派の動きを警戒して早期に横浜基地を訪れたのだが、そのために生じた慰霊式典までの時間に、彼女は先の作戦の英雄であるA-01部隊の指揮官――まりもと、XM3の発案者である鉄との面会を希望したのだ。

 直に会って話がしたい。顔を見て礼を言いたい。一国を代表する悠陽の口からそのような要望がでることは珍しく、さてどうするべきかと紅蓮たちは俄かに慌てたものだった。例えばこれがまりもと鉄の二人を帝国に召喚するのであれば無理であるとしか言いようがなかったのだが、今回は悠陽が横浜基地を訪れる側であり、当然、二人とも横浜基地に在籍している。紅蓮は真耶を通じて横浜基地のピアティフと連絡を取り、それを夕呼に伝えて……結果、このような会見の場が設けられたわけである。

「鉄……。そなたの発案したXM3のおかげで、我々はようやく甲21号目標を攻略することが出来ました。そなたの編み出したOSが、この日本を救ったのです。……作戦に参加し、喪われた多くの将兵の命、長年のBETAの脅威に晒されてきた民の想い……。皆に代わり、私から礼を言わせてもらいます」

 ――そなたに感謝を。



 室内に居た全員が息を呑む。それは、あの夕呼とて例外ではない。……まさか、あの煌武院悠陽殿下が、自ら頭を下げるとは、流石の夕呼でも読みきれない事態であった。政威大将軍がたかが衛士に礼を述べる。しかも、相手は日本人とはいえ、国連軍に所属する――それも、正真正銘の“異邦人”なのだ。勿論、鉄が異世界の存在であることを悠陽が知っているはずはないが、だからといって、これは少々どころか大いに凄いことだった。

 鉄の駒としての価値が吊り上がった、と冷静に判断出来ている自分も居るにはいたが、それ以上に矢張り驚きが勝っている。……所詮自分も日本人か、と夕呼はなんだか可笑しくなってしまったが、それにしても素晴らしい人物だと、眼前に腰掛ける政威大将軍を見やる。たかが二十歳にもなっていない小娘。夕呼の中で悠陽をそのように見ていなかったといえば嘘になる。夕呼にとっての悠陽は唯の宣伝材料であり、或いは日本という国の援助を受けるためのつなぎでしかなかった。

 その身に宿すカリスマや、民を導く指導力、希望を謳う発言力、更には、戦争の醜さと美しさを正しく理解出来ている点など、一国の指導者としては認めていても、それでも、所詮賢いだけの娘だと。そう思っていた。自分が彼女を利用しようとして画策したことを、悠陽は当然承知しているだろう。それが日本のため、ひいては世界を救うための布石となるのだと理解でき、実行に移せるくらいには使える女……そんな風に、計算していたことも事実だ。

 だが、どうだ。

 実際目にした悠陽に……鉄に礼を述べ、頭を下げて見せた彼女に――自分は、これほどに驚き、感銘している。自分同様、否、自分以上のカリスマ。人を強烈に惹き付けるその感情は、なんとも心地よく切なく、胸に迫るものだった。年齢など関係ない。英雄とは、こういう人物を指すのだ。夕呼は喉を鳴らした。一つの打算もなく、思惑もなく、ただ本当に、心の底から鉄に感謝している悠陽の姿は……彼を飼い馴らし利用するだけの駒として手中で踊らせている自分とは似ても似つかない。

 そう。

 それはまるで悠久に輝く太陽のようで――――ならば、自分はどこまでも外道の日蔭を往こう。

 彼女ならば、煌武院悠陽殿下ならば、協力できる。世界を救うため。そのための研究を、自身と世界だけでなく、彼女のために完成させるのもいいのかもしれない。きっと、いや、必ず……悠陽は夕呼の研究成果を正しく使ってくれる。真なる世界救済のために。そのために喪われる人々の血と魂を無駄にすることなく、散って逝く全てのものたちに報いてくれるはずだ。

 このとき夕呼は初めて、自身の思惑とは全く別の、ニンゲンとしての生々しさを持つ部分で……主を得ることの幸福に触れたのだ。斯衛のように忠誠を誓うことなどないが、それでも、心の支えとすべき輝かしい存在を手に入れたのである。

 00ユニットが完成し、凄乃皇の完全稼動を成し…………自分が居なくても世界がやっていけるようになった時。それが自分の死ぬ時だと、そう考えていた自分を……。今の今まで駒の一つとしか見ていなかった少女に覆される、この、現実。――だから人生は面白い、か。誰が言ったか知らないが、成程、全くそのとおりである。そして、そんな人生の価値観を変えてくれたきっかけを鉄がもたらしてくれたというのなら、突如やって来た彼にも矢張り意義はあるのだと思い直すことも出来る。

 ただの駒として終わらせるにはあまりに惜しい。……或いは、もうこの手の中に縛る必要もないのか……。

 否。それだけはない。鉄にどれだけの価値があろうと、また、鉄個人の人生を思えばどれだけ幸せに近いことだろうと――夕呼は、鉄を手放しはしない。かつて武が夕呼にとってそうであったように、鉄もまた、夕呼の目指す研究のために必要な「駒」なのだ。付随する成果に温情を与えることは……出来ない。二重存在という枷を潜り抜けてまでこの世界にやって来たシロガネタケルの因果。これを解き明かす時こそ、恐らく、00ユニットが完成するときなのだ。そういう直感が夕呼にはある。

 悠陽が頭を上げる。柔和に微笑みを向ける彼女に対して、困惑した様子で立ち尽くす鉄。その《鉄仮面》を見て夕呼は――胸を痛めることはない。そんなことは、絶対にない。そう言い切れるだけの残酷さが、夕呼には確かに存在し、そうしてそれが、多くの実験体を死なせ多くの部下を死なせ、武を死なせるのだ。そう。これは必要なこと。だから鉄も、いずれ……。

「そなたの顔を見ることは叶わぬのか? そのような仮面をつけねばならぬ苦行、想像も及ばぬが……叶うならば、我らが民を救ってくれた英雄の顔を見てみたいものです」

「なっ……、ぁ、え?!」

 ふと思いついたように尋ねる悠陽に、鉄は動揺している。咄嗟に仮面に手をやり、惑うように夕呼を見て、再び悠陽を見つめた。彼は今何を思っているだろう。御剣冥夜と同じ顔をした、双子である悠陽を前に、向こうの世界の冥夜しか知らないという鉄は、一体何を考えているのか。……霞が居ればそれも知れたのだろうか。そんな風に考えてしまう自身に若干の嫌気がさした夕呼は、つい先程まで考えていた鉄に対しての温情というものに、一つだけ頷くことにした。

 どうせいずれあの仮面は不要となる。白銀武の死によって。鉄という存在そのものに最早変更はないが、顔を隠す必要はなくなる日が来るのだ。……さて、どうするか。夕呼は逡巡すると、肩を竦める。《鉄仮面》は夕呼の手によって電子的にロックされていて、鉄の意思では外せない。通常は彼が部屋から出るときにロックが掛かり、部屋に戻った時に開錠される仕組みになっている。その電子キーを夕呼は所持していた。

 名を奪い顔を奪い、その存在を徹底的にひた隠していた頃、人格を失いそうなほどに追い詰められた鉄を見ていた夕呼には、鉄が自分をどう思っているのかなどわかりきっている。武と出遭い、その存在を憎悪し、連鎖的に自分が憎まれていることも承知だ。許されたいなどと思うこともないし、断罪されてやるつもりもないが……きっと、悠陽のせいだ。彼女の見せた天性のカリスマ。それに感銘を受けたのだから仕方ない。

 外道の底を往く業深き自分を、たった一言でこれほど変えてしまえる彼女の要望ならば、聞いてもよいと思えたのだ。



 立ち上がった夕呼がこちらにやって来る。咄嗟に、鉄は脅えるように一歩退いてしまった。話の流れからすれば夕呼は恐らく自身の仮面を外してくれるようなのだが……一体何がどうして、こんなことになっているのかが、鉄にはわからない。

 冥夜によく似た人物……将軍とかいう少女が言っていたこと。XM3を発案したことに対して礼を述べられたこと。これは素直に嬉しいと思えた。身も知らぬ全くの初対面の少女だったが、彼女を護衛する軍人達の中には見知った顔もあった。国を象徴するような人物ということだから、多分、畏れ多いことなのだろう。そんな身分の人物から感謝されて、しかもそれが冥夜と同じ顔をした美人とくれば、嬉しくないはずがない。

 ……だが、鉄は困惑した。戸惑うしかなかった。日本を救ったという。『甲21号作戦』とかいう作戦で多くの軍人が死んだという。ハイヴという敵の本拠地を攻略することなど不可能だといわれていた世界で、それを成し遂げたという。凄いことだ。素晴らしいこととさえ思える。たくさんの人が死に、その死んだ人々の想いすべてが、ハイヴ攻略を成したのだ。

 そう言われれば、“そうなのか”と思える。……けれど、実感がない。自分はそんな凄いことをやったのかという喜びもあるが――それだけではない。多くが死に、命を散らし……では、一体何人が死んだというのか。そして、その数字を述べられたところで果たして自分は……それを実感に置き換えられるのだろうか。「出来ない」。だろう。シミュレーターでBETAがどういうものなのかは知っている。ピアティフから学んだ知識でこの世界がどういう状況にあるのかも知っている。

 でも、鉄は知っているだけで、理解できていないのだ。身をもって体験していないことを、実感など何一つ得ていないことを、恍惚と述べられても戸惑うばかりだった。戦争で人が死ぬ。BETAに多くの民が脅かされている。そんな人々を自分が作ったOSが救った。

 以前は、ただそれだけで素直に浮かれていられた。そうだ。自分が世界を救うのだ、と。自分の価値が認められることに優越感を覚えていた。浸っていられた。――だが、今は違う。この国を代表する少女に頭を下げられても、どれだけの謝辞を述べられても……怖気が勝る。何故か。決まっている。――だって、それでもこの世界にはヤツがいる。どれだけ自分の発案したXM3が優れていても、所詮自分は異世界のニンゲンであり、そしてここは異界なのだ。この世界の自分。そんな存在を知らなければ、単純に喜んで恐縮するくらいは出来ていたのかもしれない。

 なのに。ただそれだけで。自分がただの利用される駒でしかなかったのだと、正真正銘、仮面をつけた道化でしかなかったのだと知ったとき――鉄にとっての“ここ”は、薄暗く、泥に染まってしまったのだ。憎悪。自分をこれほど悲惨な目に遭わせているもう一人の自分へ対する憤怒と憎しみ。それを知らせぬままに“自分”という存在を剥奪した夕呼への怨讐。ピアティフ、霞の裏切り……。

 そんな世界でも生きていかなければならない絶望。そんな状態で、悠陽の言葉を聞かされても……何一つ実感を得られないし、そこから感じるものもない。胸に響かないのだ。こんな世界の人間がどれだけ死のうと関係ない。鉄にとって重要なのは自分の居場所を得ることなのである。そのための復讐を果たす。それ以外に求めることはない……のに。それでも、真っ直ぐに言葉を向けてくる悠陽の姿が、声が、鉄を困惑させる。

 冥夜にあまりにも似た少女は――間違いなく、生きている。灰色の闇に褪せたこの世界で、鉄が「狂っている」と罵ったこの世界で……生きているのだ。生きた言葉が胸に刺さる。鉄は戸惑っている自分に気づいた。どうして? そんな思いが感情を鈍らせる。呪わしくおぞましいこの世界。そんな世界で人類は滅亡の危機に直面していて、そんな脅威に対する希望を自身の発案したXM3が担っている。

 どうしろというのだ。

 どうすればいいのだ。

 白銀武が憎い。香月夕呼が憎い。社霞が憎らしく、イリーナ・ピアティフが……哀しく、悲しい。こんな狂った世界は厭だ。一刻も早く元の世界に帰りたい。――そんな感情全てを、否定しろというのか。シロガネタケルという存在でしかない自分に、還るべき場所が在る自分に、そんな正真正銘の“自分”を否定して、この世界に生きろというのか。白銀武を許し、香月夕呼を許し、社霞を許し、イリーナ・ピアティフを好ましく思う……この世界を愛し、元の世界などなかったのだと……。そうやって、鉄として生きろというのか。

 悠陽の言葉はそれを迫ってくる。生きているのだと訴えかけてくる。恐らくもなにも悠陽自身にそんなつもりはないのだが、けれど、今の鉄にとって、あまりにも、悠陽は生々し過ぎた。鉄が憎悪し、悪夢のようだと呪っている世界に生きるニンゲン。この数ヶ月触れ合い、そして今は憎んでいる夕呼たちとは全く違う、無垢な存在として、そこに在る。こんな世界と罵ろうとも、それでもそこに、“生きている人は居る”。――そして、死ぬ人間も。それを、救ったというのか。――オレ、が。

 居場所などないこの世界。最早復讐するしか存在の意義を見出せない自分。白銀武。その存在を剥奪し、奪い取る。そうしなければ生きられないと知ってしまった。……なのに! 悠陽の言葉が、ぐちゃぐちゃと鉄の精神を掻き乱していく!!

「――鉄、仮面を外すわ。じっとしてなさい」

「!!!!!!???」

 直近で掛けられた言葉に、鉄は文字通り息を詰めた。心臓が一際大きく跳ね、呆然と目の前に立つ夕呼を見つめる。手にはなにかスイッチのついた小型の機械を持っていて、それが押下されると同時に、鉄の顔を隠す《鉄仮面》から耳慣れた電子音が鳴る。ロックが外れた音だった。

「……ぇ、あ、え? ゆ、ゆうこせんせい……っ、」

「今だけよ。この部屋を出るときはまた仮面をつけてもらうわ」

 一体何が起こっているのだったか、一瞬、鉄は現実を掴めなかった……が、すぐに悠陽が自分の素顔を見たいのだと言っていたことを思い出す。めまぐるしく感情が駆け巡ったせいか、なんだか気分が悪い。自身の情動をどこにぶつければいいのか、或いは、どのように処理したらいいのか。鉄には一切何も、見えていない。夕呼は小さく囁いた後にすぐ身を離し、元のようにソファに腰掛けた。その背中を見ながら、湧き上がってくる憎悪を止めることなど出来ないという確信を得る。……けれど、悠陽の存在が、或いは、それによって気づかされたこの部屋に居る全ての人間の存在が、鉄にこの世界の現実を突きつけてくるようで……。

 そして、鉄の胸中とは全く関係しないところで、悠陽を初めとする全員が興味深そうに鉄を見つめていた。鉄にとってはこれら向けられる視線が自身の内奥を掻き回す得体の知れない感情の原因となっているのだが、素顔を見たいと言った悠陽には、そんな彼の心理状態は知れない。……当然だ。霞のようなリーディング能力を持たない限り、人は、人の内心を知りえないのだから。

 向けられる奇異の視線に、鉄は思わずあたりを見回してしまった。あれ程恨めしく想っていた仮面を外すことができるというのに、急に、それが恐ろしいことのように思えたのである。この部屋に居る全員が「現実」で、「生きて」いて、「鉄」という存在を望んでいて……それを「受け入れる」というのなら、つまり、それは、、、

(オレが、こんな、生きているニンゲンがBETAなんて化け物に食い殺されて死んでいく……こんな、こんな世界に……ッッ!)

 ――生きて、死ぬ。それを選択することのように思えて……でも、それでも、白銀武を殺したいほど憎くて、香月夕呼を絶対に赦せはしなくて……それでも、そんな武たちもこの世界に「生きて」いて――ッ! 気がおかしくなりそうだった。どうすればいい。どうするべきなのか。そもそも、一体どうして自分はこんな世界に居るのだろう?

 鉄のままだとしても、白銀武を殺して自分が成り代わったとしても、この世界は変わらない。人類は相変わらず劣勢で、BETAの脅威はすぐそこまで迫っていて。勝ち目なんてなくて。それでも、一抹の希望だけは存在して……。そんな世界で、衛士として、生きて――死ぬ。死ぬ。死んでしまう。その事実は、覆せない。元の世界には返れない。どんな不運だったのかは知らない。知るわけがない。朝目が覚めて、家を出たらそこは異界だったのだ。わけもわからず紛れ込んでしまって、そこに自分の居場所はなくて……憎しみを抱き復讐を果たしても、それは、自らの手で自分が死ぬための席を捥ぎ取ることに等しく……。

 考えが纏まらない。このまま仮面をつけていてもいずれ死ぬ。鉄として、夕呼に利用されて、いずれ死ぬ。だってこの世界は現実だから。絶望が足元を這っている。自らの影に浸透して、じわじわと両脚を這い登ってくる。何をやっても無駄。元の世界に返れない以上、鉄のままだろうと、白銀武の存在を奪い取ろうと……この世界に居る限り――オレは。

「鉄少尉――」

「?!」

 耳朶に触れるような声に、一瞬、救われたような気持ちになる。優しく、落ち着いた声。この数ヶ月、常に傍にいてくれて、荒み、消耗していく心を支えてくれた年上のひと――ピアティフ。武の存在を知りながら、自分に打ち明けることのなかった裏切りの彼女。偽りの関係。全ては鉄が夕呼に従順であるように仕向けられた仮初。ただひたすらに哀しいという感情が沸き起こってくる。……そんな彼女が、じっとこちらを見ていた。

 笑顔、で。

 まるで鉄の存在を誇るような、美しい笑顔で。――どうして。どうして貴女は、そんな風に笑っているのか。自分がどういう存在なのかを知っていて、それを隠していて、利用して、裏切って!! ……なのにどうして、自分が恨んでいることなどとっくに知っているだろうに、どうして、そんな風に、誇らしげに……。

「ピアティフ、中尉……ッ」

 復讐しなければならない。そうでなければ、自分が生きる場所を手に入れられない。

 この世界は紛れもない現実で、生きている人たちがいて、死んでいく人たちがいて――そして、彼らは自分が鉄であることを望んでいて。

 自分も、いつか死ぬのだとようやく気づいた。この世界が現実ならば、いずれ来るBETAとの戦いは避けられず、付随する死もまた、付き纏う。

 そして、自分に不遇を強いた原因である白銀武もまた、生きて戦って……いつか死ぬ。

「…………」

 自分の中の憎悪が正しいのか否か。鉄にはわからなくなってしまった。あれだけ復讐するしかないと、二日間も暗い衝動を抱いていたというのに、たった一人の少女の言葉に、自身の在り方が揺さぶられている。あの少女は――覚悟を強要してきたのだ。この世界で生きる覚悟。きっと、そういうものを。復讐を果たすならばそれもいい。現状を受け入れるならそれでもいい。ただし、そのいずれも覚悟なくては成し得ない。この世界に生きる覚悟。この世界で死ぬ覚悟。

 この世界に今も生きる白銀武を憎しみから殺し、存在を奪い取ったその先――「生きて」いるニンゲンを「殺」し、それでも尚、「生きて」「死ぬ」覚悟を。

「……ッ、ぐ、」

 吐き気がする。膝が震えそうになる。自分は一体どうするべきなのか。その答えを得ることが出来ないまま、鉄は仮面を外した。この世界に来てからたった三人にしか見せたことのない素顔。……いや、最初に自分を捕まえた門衛を合わせれば、五人か。そんな下らない思考に逃げたのも、もうなにも考えたくなかったからだった。悠陽によって剥がされたのは無骨な《鉄仮面》だけではなかった。彼女は、たったこれだけの時間で、鉄――シロガネタケルという青年の、なにもかもを曝け出してしまったのだ。

 あまりにも、生きる覚悟の足りない己……というものを。

 鉄はピアティフを見た。彼女は、先程と変わらずに……誇らしげに見つめてくれていた。ならば今は、もう、それだけでいい。混乱した頭ではこれ以上何も考えられない。そういう諦めも手伝って、鉄は淡々とこの時が終わるのを待つだけだった。そなたに感謝を――そう言って、満足そうに頷いた悠陽の言葉を最後に、鉄は退室する。再びあの《鉄仮面》を嵌め、電子ロックを掛けられて……独思考を停止させたまま、能面のような表情のままで……監視を兼ねた四人の軍人に付き纏われたまま、“自分の部屋”に戻るのだった。



 そして、鉄は後悔する。

 このとき、今この瞬間に覚悟を決めなかったことを。悔恨の叫びとともに――痛烈に後悔することになる。







 ===







「夕呼――――ッッ!! アレは一体どういうことなのっ!!?」

 煌武院悠陽殿下との面会を終えた後、夕呼とまりもは何一つ言葉を交わさずにこの場所――B19フロアにある夕呼の執務室までやって来ていた。そして、開口一番がこれだ。まりもは夕呼の胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄り、満面に怒りを浮かべて声高に問い質す。アレはどういうことか。……そう、つまり、鉄の正体について、だ。

 まりもは今日初めてホンモノの鉄を眼にし、少ない言葉を交わし、肉声を聞き、そして素顔を見た。背格好が似ていると思った。声がそっくりだと思った。……ここまでは、いい。百歩譲って、いいとしよう。だが、それまでだった。顔を見た瞬間に、驚きよりも何よりも、恐怖に足が竦みそうになった。似ているなんて言葉では表せない。そんな言葉は的確ではない。アレは、「同じ顔」というのだ。

 御剣冥夜と煌武院悠陽が似ているというのとはまるで違う。彼女たちは一卵性双生児で、故に似ているのだが……鉄の顔は、その顔は、まりもの部下であり教え子でもあった白銀武のその顔と、「全く同じ」だったのだ。歴戦の勇士にして狂犬の異名を持つまりもが、慄くほどに。双子なんていう定義で括られるものではない。間近で入念に見たわけではないが、直感として理解していた。鉄と武は、同一人物なのだ。“同じニンゲン”なのだ。――在り得ないことに。

 だが、そんな在り得ないことが在り得てしまったのだから……尋ねずにはいられない。アレはどういうことなのか。一体鉄は何者なのか。

「……あんただってわかってんでしょう? 自分で答えを得ているくせに、それを信じられないの?」

「そっ、そんなことを聞いているんじゃないでしょう!?」

 優秀な軍人であるはずのまりもが、これほどに取り乱す様を……夕呼は、酷薄な表情で見つめている。普段ならそんなまりもをからかうくらいのことを仕出かす夕呼が、罵声の如きまりもの糾弾をあるがままに受け入れている。その彼女の態度が、余計にまりもをいらつかせたのだが……そうしてようやく、まりもは自身を落ち着けるよう心掛けた。如何に親友同士とはいえ、夕呼は自分の上官である。軍人としての上下関係に頓着しない夕呼だが、それに甘んじるわけにもいかない。

 既に十分失態を犯していたが、優秀すぎるまりもは自身の感情を押し殺すことなど造作もなく、完璧な仕草で非礼を詫びた。……それが恐らく、最も夕呼を傷つけると知りながら。案の定、夕呼は面白くなさそうに鼻を鳴らす。感情的になり過ぎたようだった。自省しながら、まりもは先程胸に誓った言葉を思い出す。――例えこの先何が起ころうとも、夕呼がどれだけの非道を行おうとも……決して、彼女を裏切ることはしない。

 そうだ。ずっとそうしてきた。そして今日、改めてそう誓ったのだ。鉄が何者だったのだとしても、自分は、絶対に夕呼を裏切らない。……ただ、その誓いを一時でも忘れさせるくらいに、彼の正体は衝撃的だった。現実的に考えて、同一人物が存在するなんて在り得ない。どこかの寓話にドッペルゲンガーなどという存在があるそうだが、まさかそうだとでも言うつもりか。無言のまま下らない思考を巡らせて、そういえば鉄のコールナンバーが“ドッペル1”などというふざけたものだったことを思い出す。

 まさか、本当にそういう揶揄を込めた名称だったのだろうか。もう一人の白銀武。ドッペルのお化け。……。

「ま、鉄の正体は見てのとおりよ。あいつはシロガネタケル。正真正銘のね」

 言葉がない。夕呼の口からハッキリと“そうだ”と言われて、まりもは頭の中が真っ白になりそうだった。武は夕呼の研究のために脳を改造され、身体を強化されたという。その副作用のために脳に負担が掛かり、遠くない未来、その命を落とすという。……そんな武と同じニンゲンが、もう一人、いて……。

「白銀は役に立ったわ。アイツの並外れた戦術機適性の解析データと、強化によって得られたデータ……。時期主力となる衛士育成に大いに役立ってくれるでしょうね。でもま、アイツはやりすぎちゃったからもうすぐ死んじゃうんだけど、――勿体ないでしょ?」

 夕呼は、何を言っているのだろうか。

「丁度こっちの研究で使った擬似生体技術の実験にもなったし、遺伝子情報の複製実験はまだまだ研究と実験が必要なのよねぇ」

 目の前の上官は何を言っているのだろうか。

「……まぁ、何が悪かったのか出来たのは四六時中異世界の夢を見てるような変態だったわけだけど、そのおかげでXM3なんて代物も出来たわけだし」

 彼女は、親友は、一体、何を……。

「精神情報のクローンなんて早々巧くいくとは思ってなかったけど、やってみると意外に――」

「もう――っ、やめて!!」

 へらへらと薄笑いさえ浮かべながら「鉄の正体」を語る夕呼に、まりもは俯いたまま叫んでいた。聞きたくない。そんなことは。そんな……自分を嘲るような、自身の非道を謗るような声音で……誰にも断罪されない自分を傷つけるのは、……もう。

「貴女は……私の親友だもの。私は貴女を信じているわ……夕呼、だから……お願いよ。もう、やめて…………」

「…………」

 本当に、そんなことが、AL4の目指す未来なのか……。それが、00ユニットの完成に必要なことなのか。真実が見えない。夕呼の真意が窺えない。目の前が真っ暗になりそうだ。進むべき標を見失いそうになる。

 でも。それでも……。まりもは夕呼を裏切らない。自分は夕呼を信じている。ニンゲンを作る。擬似生体のカラダ。複製された精神。……そんなものが、00ユニットの前段だというのなら。そして、AL4がAL3の成果を接収し、発展させようとしているなら……真の00ユニットとは――つまり、……………………。

 まりもは頭を振る。そんなことは、知らなくていい。考えなくていい。大切なのは、誤ってはいけないのは、一つだけだ。

 香月夕呼は人類を救うために必死で頑張っている。

 神宮司まりもは、そんな夕呼の苦悩と涙を知っていて、そんな彼女の力になりたいと心底思っている。――だから、それだけでいい。夕呼を信じる。夕呼は間違ってなどいない。そのために必要な犠牲者が武で、彼に行った非道が鉄を作り出す成果を生み、XM3を、『概念戦闘機動』を完成させ……00ユニット完成に近づくというのなら。それは、絶対に、必要で、間違いなんかじゃなくて、夕呼が、自身を責め苛むことではないのだ。

 断罪を求めて自嘲することなど、あってはならない。夕呼の罪を裁けるものなど在りはしない。それを罪と呼ぶならば、それは――彼女が途中で何もかもを投げ捨てた時だ。まだ、夕呼はその背に負った罪深き業を擲ってなどいない。しっかりと背負ったまま、不敵に前を睨みつけているではないか。だから、こんな風に、まりもに罪を曝け出す必要などない。まりもを怒らせて、断じられようなどと……そんな甘い考えは必要ない。通用しない。

 何故なら、まりもは夕呼の親友なのだから。

「……、少し、休むわ」

 無表情のまま視線を逸らした夕呼は、ポツリと漏らして椅子に腰掛ける。まりもは夕呼に敬礼して背を向け、執務室を後にした。



 静かに閉まるドアを見やって、夕呼は深い溜息をついた。――まったく、要らぬ気を遣ってしまったものだ。直後、脳裏を過ぎったのは悠陽の顔だった。たった一度の邂逅で夕呼の価値観を変えた少女。彼女の存在が、夕呼の中の何かを刺激したことは間違いない。

 鉄の正体をまりもに知られてしまったが、彼女が優秀な軍人であることを理解している夕呼は、そこからA-01内へ情報が漏れることなど在り得ないとわかりきっていた。……が、流石に今回ばかりは機密の一点張りでまりもの糾弾を退けることも難しく、また、悠陽によって思い知らされた自身のあまりの薄汚さに嫌気がさしたというのもある。

 次いで、鉄や武に抱いていた拭いようのない小さな罪の意識が加わって、あんな嘘出鱈目を騙ることになったのだが……その内容の迂闊さに自分でも呆れてしまう。勘のいいまりものことだから、あの話から00ユニット完成のために少なくともニンゲンを複製しようとしていることには気づいただろう。もっとも、正真正銘のニンゲンかと言うとそうではないのだが……いや、それはどうでもいい。

 けれど、丁度よいことでもある。どうせ、武が死んだ後は鉄にも前線に立ってもらおうと思っていたのだ。XM3は既に完成しているし、『概念戦闘機動』はまりもがマニュアル化してくれている。斯衛にもデータを提供し、既に実戦も終えた。XM3が世界中に普及するために必要な段階はすべてクリアしたといっていい。となると、鉄の存在はその天才的な発想で人類を救済する一つの希望を打ち立てた英雄として祀られるに相応しいものとなる。

 人は、目に見える希望に心酔したがる。悠陽のようなカリスマを持つもの、XM3のようにBETAに対抗し得る兵器。民にとっての希望が前者なら、衛士にとっての希望が後者だろう。そういう意味でも、鉄が前線に立つことは、共に戦うものたちを少なからず刺激する。……たった一人の存在が、世界を動かすのだ。ならば、鉄は真実、英雄として偶像化されるべきだ。

 その身に負った因果の究明こそが00ユニット完成の糸口に繋がるはずだ見当をつけてもいるので、そのいずれもをこなしてもらう必要はあるが、因果の究明については夕呼がこれまで同様死に物狂いになればよいことなので問題ない。……となると、鉄には戦場で無様を晒さぬよう、或いは簡単に命を落とさぬよう鍛えぬく必要があるが……これはまりもに任せれば問題ないだろう。なにしろ、今回口から出任せとはいえ、「鉄の正体」なるものを吹き込んだのだ。教え子思いであり、部下を愛する彼女なら、異世界からきた軟弱な鉄でも真っ当な英雄に仕立ててくれることだろう。

 そう考えればこの展開も悪くないのだと思える。悠陽によって若干乱された精神状態も落ち着いてきて、いつもの調子が戻ってきた。不敵に唇の端を吊り上げると、夕呼は早速午後からの慰霊式典のためにピアティフへ連絡を取った。最終調整は既に終えていて、あとは“これからやってくるはずの”、将軍殿下を出迎える準備をするだけだ。呼び出しに応じたピアティフにA-01への指示を伝える。そうして、夕呼は席を立った。

 その表情に憂いはなく。その姿勢に迷いはなく。執務室を後にするその背中に、一切の罪の意識も翳りもなく――――そうして夕呼は、







 直に死ぬ白銀武という存在のことなど、これからの一切に関係しない些事として……知らぬ間に、整理して、片付けていた。






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