『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「守護者編:五章-02」
真那が言っていたことは本当に冗談だったのだと知って、武はほっと息をついた。実はほんのちょっとだけ本当に自分用の武御雷が用意されていたらどうしようなどと戯けたことを考えていたのである。勿論、誰にも言っていないので「そんな莫迦な話があるか」とからかわれずに済んでいる。斯衛一個大隊という大仰な護衛を引き連れてやってきた将軍殿下の警護任務……というよりは外部組織によるテロリズムに対しての警戒任務を無事終え、武たちA-01部隊は格納庫にて一息ついていた。
正直、あの斯衛の最精鋭部隊――しかも構成されている殆どが赤に塗られた機体を駆り、山吹色、白と、武家出身者のみで編成されていた――を護衛する必要などあるのかと疑問にも思ったが、一国の主に等しい賓客を迎えるのだから、こちらとしても相応の出迎えをしなければならない、ということなのだろう。その辺りの偉い人物の対面については一切興味もなかったので、何事もなく良かったと思うことにしていた。
そんな武は一時的に帝国斯衛軍に宛がわれることになった格納庫で、真那と共に、やってきた武御雷の群れを見上げている。真那の真紅の機体や巽たちの白い武御雷を見慣れていたので表向きは平然としたものだったが、実際は警護任務の最中から昂奮し通しだったりする。総勢三十六機。これだけの数の武御雷が整然と並ぶ光景はなかなかお目にかかれない。先日の『甲21号作戦』にも斯衛軍は参加していたが、武たちが戦場に躍り出た時には既に混戦を越えた地獄のような有り様だったので、周りを気にしている余裕などなかった。
精鋭中の精鋭、煌武院悠陽殿下を守護する帝国最強の斯衛。そんな選び抜かれた超人たちだけに駆ることを許された尖鋭なる機体は、日本人であるならば一度は乗ってみたいと思わせる魅力を持っている。武の心中に歳相応の昂奮が満ちているのもそのためだ。……もっとも、これで真那が「アレが貴様の機体だ」などと大真面目に言おうものなら腰を抜かして叫ぶのだろうが。本当に、それだけは冗談であってくれてよかった。
別に真那の夫となることが厭なわけではないが――いや、自分には茜と純夏という愛しい存在が居るので勿論困るのだが――命惜しさに横浜基地から離れるつもりはない。真那ならば、例えば茜を連れて行くという選択も許容してくれるかもしれないが、純夏はこの基地から動くことなど出来ない。彼女を護るために生きているのだから、茜も純夏も置いていくわけには行かないのだ。
ここに武の機体が運ばれていて、問答無用に斯衛に入隊でもされられてしまえば、武如きが足掻いたところで国連軍に戻ることなど不可能だろう。……しかも、性質の悪いことに夕呼ならば面白そうの一言でことを済ませかねない。いや、彼女にとって武は最早ただの衛士としての価値しかないので、そんなからかいすらなく国連軍から除籍される可能性もあった。だから、本当の本当に、冗談で助かったのである。
ずらりと並ぶ武御雷を見上げていると、まるでここが国連軍の基地であることを忘れそうになる。見慣れた格納庫も搬入される機体が異なるだけでこうも雰囲気が変わるものかと、武は不思議な気持ちになった。機体に取り付く整備班も、随伴してきた整備士たちで編成されている。国連の人間を信用していないわけではないのだろうが、そこは斯衛の機体である。やんごとなき身分の方々が乗る機体なので、粗相は許されないということだろう。……そういえば真那たちの機体も共に出向して来ている専属のスタッフが整備していたことを思い出しながら、武は隣りに立つ師を見つめた。
警護任務から帰還した武を真那が出迎え――今回、斯衛軍第19独立遊撃小隊は出動せず、基地内待機だった――そのまま休憩となった武を連れてここまでやって来たのである。これという目的を聞かされていなかったため、まさかあの話は本気だったのかと恐ろしくなったわけだが、恐々と尋ねた武に小さく笑いながら冗談だと言ってくれたので安心できた、というわけだった。
誰か知り合いでも居るのかもしれないとぼんやり見つめていると、不意に真那と目が合った。見ていたことを気づかれて、咄嗟に目を逸らしたのだが、それが逆に真那のなにかをくすぐったらしい。からかうような口調で、真那が声を掛けてくる。
「くく、どうした? 何か私の顔についていたか?」
「ち、違いますよ。熱心に見上げていましたから、誰か知っている人でも乗っているのかと思ったんです」
背は武の方が若干高いのだが、それだけだった。年齢も経験も全く及ばない武は、矢張り師匠の前ではまだまだ未熟な子供なのだ。美しい顔のまま艶然と唇を吊り上げる真那の笑顔は卑怯だった。悔しいが、赤面してしまう。茜は可愛いし、水月だって相当な美人なのだが、真那のそれはまた別の美しさ――品があるというのか、とにかく、武はこの笑顔だけは慣れることなど出来そうもない。故に、それを知っていてからかってくる真那は卑怯なのである。
以前はこんな風にからかってくるようなことはなかったのだが、真那が夕呼付の直属部隊に出向してきて以来、こういうことが多くなった。大半は水月を挑発して遊んでいたようなのだが――それだけでも十二分に驚くべきことだったが――二日前の“アレ”以降、なんというか、妙に艶かしく感じるのは気のせいではないだろう。真那にそのつもりがあるのかはどうかは知らないが、彼女のような顔もプロポーションも完璧な女性がそんなからかいをしていては、勘違いする輩が出てもおかしくはない。……勿論、武は勘違いするつもりも出来心から間違いを犯すつもりもないので大丈夫だ……と、自分に言い聞かせている。
心に決めた女性が居るにも関わらず、気を抜けばその魅力に惹かれてしまいそうになるのだ。流石は師匠、と恐れればいいのだろうか。武は誤魔化すように頭を掻く。それを見た真那が可笑しそうに笑うのだが、それが余計に恥ずかしかった。
「なぁ~に雰囲気作ってんのよぉ!? この莫迦! 浮気者っ!!」
「ぅぉお?! い、いつの間にそこに居たんだ!?」
唐突に真那とは反対側からにょきっと生えてきた茜に仰け反るほど驚いた武は、しかしそのとき既に地雷を踏んでいた。武としては純粋な驚きを口にしただけだったのだが、実は茜は最初から居たのである。それこそ、真那が武に声を掛けたそのときから。特に何を言うでもなく武の後をついて歩き、その後もずぅっと一緒だったのである。……単に、武が背後を振り返らなかっただけで。武を出迎えた真那は当然そのことを知っていて、武が茜に気づいていないことも、茜が武に気づかれていないとは思いもしないことも承知していながら、敢えて指摘せず、武をからかったのだ。
この辺り、午前中に冥夜をからかった頃から、真那の中で新たな嗜好が育まれていたのは間違いない。好ましい相手が自分の手の平の上で転がるのはなんとも微笑ましく好ましいと思える。真那は存分に笑いを噛み締め、初々しい恋人たちを見守り、武から責めるような目を向けられてしまっていた。
「ひ、ひどいじゃないですか師匠ッ!? 知ってたなら教えてくれたって!!」
「涼宮の気配に気づかなかった自分の未熟を棚に上げて“ひどい”だと? 偉くなったものだなぁ武」
「うぐ!」
怒りの波動を発している茜にびくびくと脅えながら、思わず師を非難した武だったが、満面の笑みを浮かべた真那に容赦なく切り捨てられ、ぐうの音も出ない。
「武は私が傍にいても気づかないんだ……うう、ぐす……っ」
「なっ!? いや違う! 茜ッ!」
そんな武に追い討ちを掛けるように茜が泣き出したが……誰がどう見ても嘘泣きである。しかもかなり適当だ。動転しているせいか、武は慌てて茜を宥めようと声を掛け……ようとするものの、なんといっていいのかわからないようで、おろおろとするばかり。我が弟子ながら情けないが、からかった手前フォローを入れようとした瞬間、真那の目の前で、あろうことか莫迦弟子は茜を思い切り抱き締めていた。
「ごめん、茜! ……でも、聞いてくれ。俺にとって茜は傍にいるのが当たり前になってたんだ。傍にいてくれることが当たり前になってた。……でも、それに甘えてたんだな。ごめん。俺は茜のこと好きだから、だから、ちゃんと茜をいつも感じていられるようにする。もうお前に寂しい思いなんてさせない」
「「…………」」
力強く抱き締められ、耳元でそんな言葉を掛けられた茜は、耳まで真っ赤に茹で上がっている。泣き真似に慌てた武をからかうつもりだったのだろうが、今回はそれが裏目にでたらしい。……もっとも、茜の表情を見る限りまんざらでもない――どころか、色々と満たされてしまったらしい。彼女と同じく言葉をなくしてしまった真那だが、弟子のそんな姿を見せられてしまえば、下手に声を掛けるわけにもいかず気を遣ってしまって大変やりにくい。――というか、周りに気を遣え莫迦者。
このご時勢、男女の仲はかなり大らかで、子作りなどはむしろ奨励されているが、だからと言って日本という国柄からすれば、目の前の武たちはかなり刺激的に映るようだ。整備している者の中にも最近の若い者はという視線を向けてくる人物はいるようで、真那としてもなんだかムカついてしょうがない。これで水月でもいればことは簡単なのだが、すっぱりと振られている手前、真那には二人を離れさせることが難しい。
恋路を邪魔して馬に蹴られたくもないが、振られていながら恋慕するのも違うように思う。暫しそんな思考を巡らせて、真那は一つの結論に至る。なんだか腹に据えかねるのは事実なので、とりあえず武の耳を引っ張った。弟子が往来で不埒な真似をしているのだ。それを正しく指導するのは師の役目であろう。うむ。と誰にでもなく頷いて、真那は武の耳を掴んだまま足を払う。ちゃんと倒れる瞬間に手を放してやったのだが、武は耳が千切れたかのような痛みに床をのた打ち回った。
「ッッッッッッッッッッ!!!!???!?!?!?!?!」
「た、武っ、あわわ、わぁわぁ!?」
多分痛すぎて声にならないのだろう。手を放すのが少し遅かったらしい。あまりに激しくもんどりうつので、茜が軽くパニックになってしまっていた。……これだけのやりとりを見ていれば武も茜も横浜基地最強の部隊、A-01に属している衛士には見えない――し、真那も赤を纏うような斯衛には見えなかったが――その存在を知る者からすれば、余計にそのように見えないので救えない。
莫迦をやっているようにしか見えないその三人を盛大に溜息をつきながら眺めた月詠真耶は、“いとこ”の随分な変わりように驚けばいいのか呆れればいいのか判断に迷いながらも、とりあえず声を掛けることにした。血の繋がったいとこ同士、嫌っているわけでも苦手としているわけでもない。ただ、自分は悠陽に仕え、真那は冥夜に仕えたというだけの違いでしかない。そこには身分の違いこそあれ、立場的な差異はないはずだ。……真耶は、自身にそう言い聞かせている。
「随分と変わったものだな。……国連の空気に染まったか? 真那」
「む……真耶か。こうして顔を合わせるのも随分久しぶりだな。息災なようでなによりだ」
それはそちらもだろうと真耶は小さく笑い、それで、と視線を足元に落とす。ひとしきり痛みに悶え終えた武は床に膝をついて右耳を抑えている。目尻に涙を浮かべているので、多分本当に痛かったのだろう。茜も落ち着きを取り戻したのか、真っ赤になってしまった武の耳を同情するように撫でていた。ちらりと真那を恨めしげに見上げたのだが、当の本人はどこ吹く風で、真耶からも呆れたような視線を向けられていた。
「……貴様、本当に真那か?」
「本人だ。……まぁ、変わったと言われても仕方がないかもしれんが……」
まじまじと見つめてくる真耶に苦笑するように肩を竦める。真那は、答えながら武たちを見て微笑み、訝しむ真耶に笑って言った。
「愛する者を持つと、女は変わるというのはどうも本当らしいな。自分でも驚いている。――だが、それは心地よい変化だ」
にこりと笑う真那に、武と茜は真っ赤になった。なんとも恥ずかしい台詞を臆面もなく言ってのける胆力には感心するが、それが自分のことを指しているとなれば、最早冷静ではいられない。武は気恥ずかしさと嬉しさに頬を染めたが、同時に申し訳なさも感じている。脳だけで生きる純夏を愛し、隣りに居てくれる茜を愛するからこそ、真那の想いは受け取れないのだ。……それは、もう結論の出たことでもあるし、真那も承知している。――けれど、だからそれで冷静さを取り戻せるほど大人でもなく、経験もないわけで。武は勝手に高鳴ってしまう鼓動を茜に悟られないかと焦った。
茜は真那の女性としての美しさと強さを感じ取り、それは自分にはない気高さだと気づき、心酔した。同性に惚れる、というよりも憧れを抱くのはこれが二度目だ。一人目は水月。目標に向かって真っ直ぐ生きる彼女の在り方、物事の捉え方、感じ方に尊敬を抱き、彼女のようになりたいと願いここまできた。そんな水月と肩を並べて戦えるようになり、自分の目標を達成しつつあった茜は、ここでもう一人、目指すべき目標を得られた幸運に感謝する。衛士としても女性としても完成された強さを見せる真那に、茜は気づいたのだった。
そんないとこの変貌振りを見て、変われば変わるものだと真耶は納得し、目の前の真那が幸せそうなのだと理解して、ならばよいと頷く。その後二人は互いの近況を伝え合い、武たちにはわからない話で盛り上がっているようだった。周りを見れば搬入された武御雷から続々と斯衛の衛士たちが降りてきて、あっという間にその場が斯衛で埋め尽くされてしまう。自分たちが場違い甚だしいことを感じた武は茜を連れて集団から距離をとりつつ、一体真那はどうして自分たちを連れてきたのかと首を捻る。
「すげぇな……。斯衛の赤がこれだけ揃う光景は、なかなかお目にかかれないぜ……」
「う、うん。なんだか迫力が違うって言うか……」
零式強化装備を纏う斯衛たちは、皆が皆、その表情に鋭い何かを秘めていた。それは気迫であったり信念であったり、強者としての風格や威厳、とにかくそういう堅苦しいまでの気配に満ちていて、国連軍衛士とはあまりに異なる気質に、武と茜は困惑するしかない。……いや、正直に言えばちょっと怯えていた。二人の中での斯衛の基準が真那とその部下三人だったので、どうやら勘違いをしていたらしい。特に武は真那と師弟関係にあったために、いつの間にか師としての真那と斯衛としての彼女を混同して考えてしまっていた。
真那、或いは巽たち三人がこの横浜基地で過ごす間、その内面に何某かの変化があったのは間違いないことで、特に真那はそれが顕著に表れている。その変化は真那自身がそれでよいと受け入れたことであるから特に問題はないのだが、矢張りそれを基準と捉えていた武たちには、目の前を往来する斯衛たちとのギャップは相当なものだった。
衛士としての覚悟。その胸に抱く理想。仲間の意思を魂を継ぐ姿勢。そういう部分はひけをとらないし負けるつもりもないが、なんというか、平時において尚武人たらんとする高潔さは、堅苦しいというか息苦しく感じてしまう武たちである。斯衛たちはどうやら思い思いにリラックスしているらしいのだが、見ていて、全然そんな風に見えない。視線を真那に移せば、彼女と話している女性衛士は若干柔らかそうに見えるものの、それでも、張り詰めたような緊張感が窺える。……別に、真那が弛緩しているとかそういう意味ではない。
国柄、といってしまえばそれまでだが、斯衛とは矢張り、そういう“武”の精神が強いのだろう。以前本気で真那に殺されかかったときのことを思い出し、武はぶるぶると震えた。
「武、なにをしている」
「えっ?」
名を呼ばれ、小さく驚く武。見れば真那がこっちへ来いと視線で命じていた。隣りには先程のマヤという名の女性が居る。話の途中なのではないのだろうかとも思ったが、上官に呼ばれては仕方ない。武と茜は一度互いの顔を見合わせて、真那のもとに戻った。
「月詠中尉、何か御用でしょうか」
「うむ。貴様を紹介しようと思ってな。――真耶、この者が我が剣術を受け継いだ、白銀武少尉だ」
やってきた武を、真那は屈託なく紹介する。斯衛相手にそんな風に紹介されたことを驚く武だったが、それ以上に、目の前の女性衛士の様子が妙だ。武の腰に提げられた弧月を見て一瞬懐かしむような瞳をし、それでいて、歯痒いような、そんな葛藤を感じさせたのだ。それは茜も感じ取ったのだが、この話題に関しては部外者である彼女は大人しく口を噤んでいる。真那は自慢の弟子を披露できたことが嬉しいのか、大層機嫌が良さそうであり、武も、そんな師の笑顔を見れたことが嬉しいと思える。
――直にその命が果てると知りながら、二人は、今この瞬間を大切にしたかったのだ。
「そうか。……本当に、そうなのだな。白銀少尉とやら。――どうか、叔父上の剣術を誇ってくれ。伝統とは家の名誉であり、揺ぎ無き寄る辺だ。……そこから外れようとした叔父上を、私たちは味方することさえ許されなかった。その無念、そなたが晴らしてくれるというなら、これほど喜ばしいことはない」
感謝する――。そういって小さく頭を下げた真耶に、武は驚愕した。叔父と言った。伝統から外れようとした彼を味方できなかったと……そう言った。ならば、この女性衛士は真那の親類であり、真那同様に、一族から悪し様に罵られ無念の内に亡くなった“師匠”を知っているのだ。その哀しみを、空しさを、知っている。
真那は父の姿を思い出すように遠くを見つめ、真耶は武をしっかりと見つめた。……武は、今またこれほどに深い想いを受け取ったことを喜ばしいと思う。月詠の剣術。それは、何よりも武を支えてくれた、彼にとっての半身そのものであった。死に行く身にはあまりある謝意に、武は痺れるような感情を手にしていた。気づけば、武は真耶に対して敬礼していた。何故そうしたのかは思い出せない。……ただ、彼女も真那と同じなのだと知って、受け取った想いに応えようと体が反応したのかもしれなかった。
「――ありがとうございます。師匠の想いに恥じぬよう、精進いたす所存です」
「ああ、頼もしい限りだな」
宣誓するかのような武に、真耶は満足そうに頷く。そうして彼女は真那へ別れを告げ、去っていった。真那もまた武たちに声を掛け自分たちの格納庫へと引き上げる。……道中、武は真那の配慮に感謝せずにはいられなかった。……本当に、真那にはもらってばかりだ。水月にも、茜にも。信愛する彼女たちに何か一つでも返せるだろうか。そう考えて、最期まで精一杯に生きることだと、頷く。
そんな武の背中を追いながら、茜は一抹の寂しさを覚えていた。身も心も繋がりを得た茜だが、真那と武の間に存在する師弟の絆には割って入れない。それに嫉妬するわけではないのだが、見ていて感動してしまうくらいには、二人の在り方は羨ましかった。自分も武とは恋人として、戦友として、誰にも負けない絆を培っているつもりだが……いや、そういうものを比較すること自体、間違っているのかもしれない。
真那が武のことを想っているのは本当だろうし、武も彼女のことを信愛している。それは恋愛感情とは違うのだと理解していても、なかなかそれだけで割り切れないのも事実。乙女心は複雑なのだ。……ふと、思う。こんな時、晴子が居てくれたなら――彼女はきっと、笑いながら茜の相談に乗ってくれたのだろう。もっと自信持ちなよ――そうやって、背中を押してくれるだろうか。それを薫が囃し立て、多恵と亮子が混ざる。
姦しくも、楽しい時間。いつも五人で居た、あの頃を想う……。帝国・国連合同の慰霊式典は、もうじき開催の時間を迎えようとしていた。
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壇上には神々しくも物悲しい想いを引き立たせる礼服を纏った悠陽が立ち、居並ぶ衛士たちに向けて、先の戦闘で喪われた多くの将兵に向けて、感謝の意を述べていた。白く美しい指先が虚空を舞うように差し出される。冬の冷え切った大気に浸透するかのような声音は、耳朶に染み、心震わせる。両脇には国連軍の不知火と斯衛軍の武御雷が整然と並び、夕陽に染まり行く空が、神代の儀式を思わせる。その幻想的な光景は、世界中に発信されていた。
『甲21号作戦』で喪われた全ての将兵、そして、今日このときまでに喪われた全ての英霊を祀る目的で執り行われているこの慰霊式典は、先の作戦さながらに、世界中の注目を集めている。式典の開催を決定した悠陽にそのような思惑はなかったのだが、この式典は、ある意味、世界を動かすほどの効果をもたらすだろう。
人類に希望を見せ付けた『甲21号作戦』。そして、人類に誇りを抱かせるこの式典。――日本は、世界の中心となり得る影響力を持とうとしていた。
もちろん、それを見越して世界中の報道機関に渡りをつけたのは夕呼である。この辺り、悠陽の思惑とは異なる部分でその影響力――カリスマを都合よく利用しているのだが、夕呼はそれを罪悪とは思っていない。彼女はなんとしてでもAL4を成功させなければならないし、そのためには日本が力を持つことも必要だ。AL4を提唱した日本が世界中に影響力を持つようになれば、それだけ、AL4は磐石となるのだから。
勿論、トライアル以前からの焦りが夕呼をこのような手段に走らせていることは間違いない事実だが、そうでもしなければAL4は斃れてしまいかねない。今はまだXM3によって首の皮が繋がっているだけに過ぎず、いつ、AL5に取って代わられるかわからないのである。……そう、国連上層部が『G弾』の使用を認めてしまえば、最終的な成果を見ないAL4より、『G弾』とXM3を併用した戦略の方が遥かに有効で、即効性があるのだから。
いわばこれは、そうさせないための苦肉の策であり、世界各地の政治家からはあからさまな宣伝行為だと判じられることとなる。……もっとも、最前線で戦い続ける衛士たち、護られるだけの民間人たちにはそうは映らない。民を想い、民を愛し、誇り高く散って逝った数多の英霊を讃え慰める悠陽の姿は、神々しく、美しい。彼女の言葉は不思議と胸に滑り込み、温かな感情を沸き立たせる。ある者は戦場に散った父を思い出し、兄弟を想い、喪われた戦友を想う。恋人を、隣人を、家族を喪った人々は、涙を零し、去来する感情に奮える。
生きて、己を生きた全てのひとよ。
そして死に行き、英霊へと昇華した魂よ。
その全てに感謝を。気高く誇り高き数多の生命よ――。
彼ら全ての想いを受け継ぎ、胸に抱き、血潮奮わせよ。
不知火の管制ユニットの中で、武は厳かに紡がれる悠陽の言葉に、知らず、泣いていた。胸が詰まる。涙が止まらない。とめどなく湧き上がる感情は、ただ、戦友たちの思い出に濡れていて。
頬を伝う涙を拭ったその指が、触れる。武は目を見張った。そこには――幻覚か――上川志乃が笑っていて、武の指を、掌を、握っている。ぁ、と息が漏れそうになる武に、志乃は頷く。彼女は振り返り武に背中を向けて……そうして、その先には、亜季が、藍子が、木野下が、旭が、慶子が待っていて――背中を二度、叩かれる感触。武の両脇を走り抜ける二人の少女。その後姿に、胸が詰まる。
「柏木、立石――ッ、」
思わず声に出してしまった武に、彼女たちは可笑しそうに、楽しそうに笑って、振り向いて……………………、
武は、目を開いた。
幻覚か、幻想か。或いは一瞬眠ってしまって、垣間見た幸せな夢か。目に映るのはモニター越しの悠陽の姿。赤く燃え盛る太陽は緩やかに地平へ吸い込まれようとしていた。その切ないくらいの輝きが、彼ら衛士の心を慰め、誇りを抱かせる。――生きる。ただそれだけの決意を、心の底から、誓う。
不意にヴァルキリーズの隊規が過ぎった。死力を尽くして任務に当たれ。生ある限り最善を尽くせ。決して犬死するな。先に逝った彼女たちは皆、素晴らしかった。彼女たちの犠牲が在ったからこそ、自分は今ここに生きていられる。幻覚でもなんだって構わない。死ぬ前にもう一度志乃たちに会わせてくれた神様に、武は感謝したい気持ちだった。
だからこそ、次の瞬間耳に届いた凶報に。
鳴り響く警報と悲鳴じみた管制からの指示に。
武は、狂おしいほどの怒りを覚えるのだった。
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地表をぶち抜いて姿を現すのは突撃級。冬の太陽はとうに沈み、深淵から滲み出るように。異形は大気を轟かせながら迫り群れる。その見慣れた異形を目視で確認して、第1戦術機甲大隊長は静かに宣言する。
「全員見ろ。アレが俺たちを蹂躙するクソッタレBETAのツラだ。アレが俺たちの基地を破壊するファッキンBETAの豚顔だ。野郎共準備はいいか? 俺たちの役目はあのクソッタレ共の足止めだ。間違っても全滅させようとか殲滅してやろうなんて欲を掻くな。役割以上を果たす必要はない。……前にしか走れない突撃級には目もくれるな。悪食の戦車級が邪魔なら踏み潰していい。蟻んこの小型種なんざ相手にするな。俺たちが平らげていいのは要撃級からだ。足の遅いどん亀共を手当たり次第に食い尽くせ。劣化ウラン弾のご馳走をたらふく食わせてやれ。的は勝手にやってくるんだ。遠慮するな。武器弾薬全てを使い切って殺せ。何人死のうが何匹散らそうが気にするな。――蹴散らせ。俺たちの乗っている機体はなんだ? 俺たちの機体に積まれているお宝はなんだ? 佐渡島で暴れまくった帝国軍を見たヤツはいるか? ハイヴの穴倉に潜って反応炉をぶち壊した連中を見たヤツは? 俺たちのOSはなんだ? そうだチキン野郎。XM3。《鉄仮面》の変態が作り上げた最強のOSだ。人類の宝だ。――全員見ろ。アレが俺たち“が”蹂躙するクソッタレBETAのツラだ。 アレが俺たちの基地を破壊“出来ない”ファッキンBETAの豚顔だ。オーケーいい面構えだ野郎共。各員戦闘準備。逸りすぎて喰われるなよ? 喰うのは俺たちだ。蹴散らすのは俺たちだ。帝国が見せた奇跡は奇跡なんかじゃない。鋼鉄の戦乙女が起こしたのは奇蹟なんかじゃねぇ。さぁ行くぞテメェたち。国連最強の部隊は俺たちだってことを、連中に心ゆくまで刻み付けてやれ!」
それは緩やかな昂奮だった。いや……隊長の号令の直後に爆発する、高性能の爆弾の如き昂揚だった。
横浜基地と県境の帝国軍部隊の砲撃が空を走る。更には東京湾に展開する帝国海軍の支援砲撃も加わり、夜空を赤く染めていった。その軌跡を目で追いながら、第一防衛線に配置された第1、第2戦術機甲大隊は続々とやって来る突撃級の一陣を手はずどおりに跳躍してかわし、続く第二陣も同様に回避する。XM3が配備され、同時にまりもによってマニュアル化された『概念戦闘機動』を徹底的に叩き込んだ彼らの動きは洗練されていて、実に無駄がない。
突撃級だけを見ても数千は下らない。長期戦になるのは必至であり、物量で完全に負けている彼らは個々に求められる役割を命を懸けて果たすしかない。迫り来る膨大な敵の姿に恐怖するものも居ただろう。跳躍回避しながらもいつ光線級が現れるか気が気でないものも居ただろう。だが、彼らは突撃級に対して使用していい装備など何一つ持っていないのだ。許されたのは、やり過ごすことだけ。そして――土煙を噴き上げて躍り出る要撃級共を喰い散らかすことだけ。
突撃級の第三陣に混じって姿を見せ始めた要撃級を、即座に撃ち殺す。一定の距離を保ちつつ、連中が一定数量になるまで引き付ける。殺せるだけ殺しながら、詰められた分だけ距離を開け、突撃級をかわす。そうしてあらかた突撃級が走り去った頃合に、数えるのも莫迦らしいほどの要撃級、戦車級の混成集団が出現。小型種も見渡す限りに群れている。どうやら光線級はいないらしいが、いつ出現してもいいように警戒は忘れない。
セオリーどおりの戦闘を続け、HQからの通信に各自散開する。基地に配置された支援部隊が面制圧を行い、溜まりに溜まった糞ゴミ共を地面共々平らげていく。遠慮容赦一切なしの爆撃が数十秒も続いた頃、砲弾の雨を潜り抜けたラッキーな敵が姿を見せた。何がラッキーかといえば、ソイツは顔を出した瞬間に36mmのご馳走を喰らうことが出来るからで、デザートも食いきれないほどに銃弾を浴びて崩れ落ちる。
出足は順調。だが、油断など出来やしない。どれだけ密度の濃い支援砲撃を行ったところで、弾薬は無限ではない。そして、二個大隊七十二機の戦術機が一斉射したところで、殺せるBETAは数百にも満たない。奴らの恐ろしさとはまこと物量であり、怯まないところだ。レーダーは膨れ上がるBETAの数に見る意味さえない。飛び出した一匹を殺した次の瞬間には十匹が姿を見せている。次第に殺戮は追いつかなくなり、開いていた距離が狭まってくる。
面制圧はかつてない規模で未だ続いており、後続のBETAを蹴散らし続けている。にも関わらず、その爆撃を潜り抜ける連中の数は尋常さをなくしていく。……勿論、初めから全てのBETAを足止めできるわけがないことはわかっている。そういう気概でいろというだけの話だ。そのために第三防衛線まで構築し、基地に最強の部隊を配置しているのである。自分たちが出来る限り後続をひきつけている間に、第二、第三防衛線の連中が残りを磨り減らしていく。
実にマニュアルどおりの迎撃であり……それ以外に有効な手段を、人類は手にしていないのだ。だが、希望はある。XM3だ。横浜基地全ての機体に配備されているこの新型OSの性能は『甲21号作戦』の成果を見れば明らかで、この作戦にも重要な要素となっている。基地の全戦力を足しても数万規模で攻めて来るBETAを全滅させることなど出来るはずがない。けれど、XM3ならば――少なくとも従来のOSでの戦闘よりも高い戦果を期待できる。
例え敵を全滅させたとしても、被る被害は尋常ではないだろう。よくて相討ち。敗北は滅亡を意味する。世界の希望となり煌きを灯している横浜基地が、香月夕呼が、そしてこの地を訪れている煌武院悠陽が亡くなれば、世界は絶望に支配され、人類は滅亡する。
それだけは許されない。それだけは絶対にさせない。勝つのは自分たちであり、死ぬのはBETA共だ。全衛士、全兵士がそのことを胸に刻み、命を奮わせている。静かに昂奮を高まらせ、BETAの姿を見た瞬間に昂揚を爆発させる。人類の希望はここにある。自分たちの勝利こそ、人類の救済となるのだ。――そう信じられる。だから戦える。絶望的な戦力差を前に、圧倒的過ぎる敵を前に、全員が、命を燃やすことが出来るのだ。
まるで地面が根こそぎひっくり返ったかのような衝撃だった。震動。地響き。そんな言葉で表すことさえぬるい。引き裂けるように震撼した大地が、捲れている。無数に亀裂を走らせて罅割れたそこから、巨大なクレバスから、龍が顎を晒していた。――否。あれが、あんなものが龍であってたまるものか。あれはなんだ。ミミズか? 蛇か? 広大な荒野をぶち破り屹立蠢動するアレはなんだ。
離れた場所で同じような光景がもう一つ出来上がっていた。郊外に屹立したもう一つのそれはずしりと身を倒し、宵闇に獰猛な牙を輝かせる。第一防衛線を構築している第1、第2戦術機甲大隊の全員が、呆然と目を見開いた。アレは、「口」だ。まるでトンネル掘削用のドリルを思わせる形状をした「歯」……いや、最早アレはそんな言葉の枠に収まるような代物ではない。とにかく、獰猛に回転を続けるそれが地面を掘り大地を砕いたのは一目瞭然で、だからといって目にした光景をありのまま理解できるはずもなく。
通信装置がイカレるのではないかと心配したくなるほどの部下達の悲鳴と絶叫が耳朶を打つ。その狂乱振りに冷静さを取り戻せるかといえばそんなはずはなく。気づけば必死になって機体を操り、仲間達と共に旧町田市に出現した“敵”――アレを味方だなどと一瞬でも考えられるような酔狂なヤツは居ない――の姿を追っていた。遠望に姿を見せたソイツを迎撃しなければならないのか――想像してしまって、全員が引き攣るように息を絞らせる。HQから支援砲撃が知らされ、横浜基地所属の全支援部隊がありったけの弾を降らせるが…………現れたそいつには、まるで効いているように見えなかった。
突き抜けるように走り来る突撃級をやり過ごし、足の遅い連中の対応に我武者羅になっていた矢先、突如表れた“化け物”。見たこともない異形は途轍もない大きさでその姿を現し、迎え撃つ自分たちを竦ませている。あの異形は敵だ。BETAなのだ。要塞級や重光線級などの大型種ですら玩具に思えるほどの超弩級のスケールに、肝が冷える。膝が震えて、指先に力が入らない。
だが、やらねばならない。負けるわけにはいかない。襲い来るBETAを滅ぼさずして、人類に明日はないのだから……!
巨大なBETAはゆっくりと身を震わせ、地面に身体を投げ打った。その震動、或いは巻き起こされる風圧に、機体が吹き飛ばされそうな錯覚を覚える。遥か彼方の出来事が、あまりのスケールに直近で起こっていることのように思わせるのだ。絶え間なく続く支援砲撃の爆撃音、自らの機体が吐き出す36mmの銃弾の音。わけもわからず喚き散らすチキンの声。悲鳴。嗚咽。罵詈雑言。意味もなく叫び口汚く突撃級を撃ち殺しながら、厭でも視界に入ってくる異形を見てしまう。
もしアレが動き出したら一体どうなるのか……考えてしまって、心臓が縮み上がった。――コイツは、ヤバイ。
そんな直感が全員の脳裏を過ぎった瞬間、信じられない光景が視界に飛び込んできた。未確認種のBETAの「口」が開いたのだ。外見の硬質さとは裏腹に、妙に生き物めいた柔らかさで以って開かれた口から、這い出るモノがある…………。
『なっ、ん、だとぉ!?』
『ベッ、BETAァ!!? あいつっ、BETAを吐き出してる!!?』
叫んだのは誰だったか。即座にHQがどういうことなのか聞いてくるが、そんなものに答えている暇はない! 地表に出現しているBETAは既に一万を超えている。にも関わらず現れた超大型の未確認種の腹の中から、更にBETAが吐き出されているのだ。その中には要塞級の姿もあり、光線級まで居るように見える。センサーはとっくに振り切れていて、絶望が胃に染み渡る。帝国軍からの援軍はまだ到着していない。こっちには連中の“姫”が居るのに。――頼むから、なんでもいいから誰かッッ!!
助けてくれ。
それが、全滅した第1、第2戦術機甲大隊の最期の通信であり――第一防衛線が全滅した瞬間だった。
===
時は少し遡る。
防衛基準態勢2――。突然鳴り響いた警報に、慰霊式典は中断せざるを得なかった。騒然とする喧騒の中、悠陽は斯衛の警護部隊に連れられて基地内へ避難し、衛士をはじめとする将兵はすぐに所定の位置に着いた。A-01も同様で、彼女たちは式典に参列していた武御雷の集団共々一度基地内に下がる。式典用の空砲しか装備していないので、実弾装備に換装する必要があるからだが、その時繋がれた夕呼からの通信に、まりもは盛大に舌打つしかなかった。
「佐渡島ハイヴの生き残り……ですか」
『そう。地中を移動する微弱な震源を感知したのは高崎と秩父の観測基地よ。警報が出たのがついさっき。なにもこんなタイミングで来なくてもよさそうだけど、来たものはしょうがないわね。震源の深さはどんどん浅くなっているわ。そこから導き出された出現予想地点は旧町田市一帯よ』
「……連中は大深度地下を進攻してきた、と仰いましたね」
『ええ。普通に考えて、三日でこの距離は速すぎるわ。……佐渡島ハイヴの地下茎構造が、既に本州内陸部まで延びていたとしか考えられないわね』
少なくとも群馬あたりまでは延びていた可能性がある。そう結論した夕呼は忌々しいと言わんばかりだが、それはこちらも同じだ。まりもは夕呼から得た情報を部下に通達すると共に、斯衛にも情報を提供する。大隊を率いる紅蓮中将はまりもの気遣いに生真面目に礼を述べた。帝国軍内部で伝説と化すような大人物から謝辞を賜ることは恐縮だが、この場では彼の方が階級が上であり、現場の指揮は彼が握ることになるだろう。属する軍は異なるが、そういう垣根とは無縁の場所に、自分たちは立っている。
「司令部からの作戦は以上です。紅蓮中将にも出陣願うことになりますが、よろしいでしょうか」
『愚問だ。我らは殿下の御身御命を護るためにここに居るのだからな』
野太い声が大仰に笑う。推定で二万を超えるBETAの群れがやってこようとしているのに、随分と余裕があるものだ。それが斯衛の在り方とでもいうのか。横浜基地に所属する二百五十機強に、斯衛一個大隊を合わせておよそ二百九十機。甲21号目標のことを思えば、現時点で判明している二万という数字も当てにしないほうがいいだろう。……となれば、こちらは自分たちの凡そ百倍近い物量を相手にしなければならない。
まさに絶望的な状況だ。しかも、これはハイヴ攻略戦とは違い、敵を文字通りに全滅させなければならない防衛戦だ。迫り来る敵を掻い潜りすり抜けて反応炉を破壊する――そんな戦術は適用できない。一歩たりとも退くことなく、一匹たりとも抜けさせない。目の前の全てを殺しつくし、後に続く全部を殺しつくしてようやく、勝利を得ることが出来るのだ。
自分たちの後ろには横浜基地がある。自分たちの背には基地の命運がかかっている。敗北は即ち死だ。横浜基地が滅ぼされるか、BETAを滅ぼすか。二つに一つしかない。しかも連中は失われたエネルギーを得るために基地の最深部に在る反応炉を目指しているというのだ。……ここを、再びハイヴとするわけにはいかない。機密ゆえに紅蓮へは情報開示しなかったが、けれど彼も大凡の察しはついているのだろう。今このタイミングで、この場所が狙われる意味。だが、彼は生粋の斯衛であり、殿下の身の安全が最優先という言葉にも嘘はないらしく、作戦への協力を申し出てくれた。
『……感謝しますわ。紅蓮中将』
『がっははは! なに、これも斯衛の務めの内。…………殿下を、よろしく頼みますぞ』
夕呼は紅蓮に礼を述べ、紅蓮は豪快に笑う。悠陽は既に基地の地下施設へ退避しており、ひとまずは安全と言ったところだろう。斯衛の部隊はA-01と共に基地周辺に展開し、最終防衛線を築く。
第1、第2戦術機甲大隊が出撃したのが丁度そのときで、続けて、第3、第4戦術機甲大隊が出撃準備に入る。BETAの地表出現までおよそ一時間。連中が町田市に姿を見せたならば、もう横浜基地は目と鼻の先だ。密に布陣される三重の防衛線。更には悠陽の名で帝国へ打診された出撃要請を受けて、1個連隊が出撃準備を急いでいる。さらに帝国海軍からも艦隊の支援砲撃を約束してくれた。周辺の国連軍基地からも出撃を確認しており、それら援軍が駆けつけるまでの間を、とにかく生き残り基地を死守する。
……だが、帝国軍は先の『甲21号作戦』で消耗しており、腕のいいベテラン衛士たちを多く喪ってもいる。武器弾薬等、装備についてはそれ以上消耗しているはずだ。そんな状況にありながら一個連隊を差し向けてくれる悠陽に、感謝しても仕切れない。艦隊の支援砲撃も同様だ。それらのことからも、悠陽は夕呼の可能性を信じてくれているのだと知れる。まりもは殿下のその思いだけで、胸がいっぱいになりそうだった。
『この戦い……気が抜けないわね』
『うむ……。先日の佐渡島以上に奮わねばなるまい……』
ぽつりと漏らすような千鶴の言葉に、冥夜が重々しく応えていた。水月や美冴たちも普段の軽口など一つもなく、無言のまま目を閉じている。いつも彼女たちにからかわれ玩具にされている武ですら、じっと黙り込んでいた。千鶴の呟きはそれらの沈黙に耐え切れなかったからなのか。……けれど、生真面目な彼女に気の利いた明るい話題を振ることなど出来ず、さらに真面目すぎる冥夜が、余計空気を重苦しくさせていた。
その部下達の様子に溜息をつき、まりもは緊張した表情を見せる彼女たちに喝を入れる。残念ながら、敵は止まってくれないのだ。絶望的だろうがなんだろうが、ただ黙って指をくわえてコロサレルなんてことは、絶対に許されないし、出来ない。みちるから各員の配置について説明させ、まりもは一度、深く息を吸った。動揺しているのは自分も同じ。緊張するなという方が無理な話である。
だが、式典こそ中断されたが、自分は悠陽から“英雄”足らんことを望まれた身だ。ならば、御身のためにも、なにより、親友にして世界を救う天才、夕呼のために。見事この基地防衛戦に勝利をもたらし、彼女たちの思惑を達成させて見せよう。――そう、私は英雄になるのだ。
そしてもう一人。夕呼の手によって生み出された“もう一人のシロガネタケル”。彼もまた、次世代の英雄となることを望まれた人間だろう。……彼がこの作戦でどのような配置となるのかは知らないが、きっと、あの《鉄仮面》も戦場に出るに違いない。出来れば自分の部隊に組み入れたいところだが、実際のところ、彼の実戦経験はどうなのだろうか。以前夕呼から開示された情報では実戦の経験もあるようだったが――それは紛れもない嘘出鱈目と知らされてしまい、正直、わからない。
……いや、彼の正体を鑑みれば…………恐らく、実戦経験はない可能性が高かった。彼がいつから《鉄仮面》として在るのかは知らないが、それでも多分、一度も出撃していないと考えるべきだろう。同じ“シロガネタケル”であり、改良――我ながら虫唾が走るが――されているならば、それほど気に病む必要はないのかもしれないが……。もし彼が戦線に投入されるなら、それはまりもの部隊である確率が高い。存在自体は既に公のものとなっているが、それでも尚、彼の特異性に変わりはないのだから。
じき出撃となる。幾分か落ち着きを取り戻し、いつものように“お喋り”が出来るほどには部下達も冷静になってきたようだ。まりもは武を見る。――見てしまった。脳を改造され、いずれ死んでしまう彼と、彼のクローンであるという鉄。ひょっとするとこの戦いで彼らは肩を並べることになるかもしれない。そのとき彼らはどうなるのだろうか。そのとき自分はどうすればいいのだろう。
考えても詮無いことだということはわかっている。武は鉄の正体など知りはしない。……鉄は、武を知っているのだろうか。知らずとも、武を見てしまえば気づくだろう。自分がもう一人居る。そんな状況で、彼らは戦えるのか……。矢張り、自分が考えたところでしょうがないのだが。それでも、部隊を預かる隊長として、不安要素は一つでも排除しておきたい。――まだ鉄が回されてくると決まったわけではないというのに。神経質な自分に呆れつつ、それでも、考えずにはいられない。襲ってきたBETAを前に、厭な予感が拭えない。
なにか、この戦いでよくないことが起きるような……いいや、駄目だ。不安は災厄を招く。英雄は不安を表さない。ならば前を向け、顔を上げろ。例え鉄が居てもいなくても、常に最善を尽くすのみ。信じる夕呼を護るために。世界に差した希望の光を絶やさないために。
戦うのだ。命を懸けて。
そうして、第一防衛線が完全に崩壊した報せとともに、敵の未確認種の存在が判明する。体内にBETAを内包し、大深度地下を掘削しながら進攻してきたと思われるソイツは、地表を削りながら這いずり回り一瞬にして一個中隊を磨り潰して見せた。外殻はどうやら突撃級のそれ以上の硬度・耐久度を持っているらしく、支援砲撃も殆ど効果が見られない。まさかここに至ってそんな兇悪な新種を相手にしなくてはならないのかと、夕呼でさえ絶句したのだが……現在は、ぴくりとも動くことなく停止している。根拠も何もない夕呼の推測では――わざわざ自分から根拠がないと言い切り、基地司令を驚かせたが――BETAの活動に必要なエネルギーを消費しつくしたからではないか、ということだった。つまり、連中はエネルギーを求めて横浜基地を襲撃し、反応炉確保を目指している……という説がより濃厚になったわけだ。
もちろん、当初よりそのつもりで基地防衛の態勢を整えていたので現場からすればだからどうしたというのが本音なのだが、改めて“そうである可能性が高い”ことがわかれば、司令部としては判断に迷う要素が軽減されることになり、基地司令パウル・ラダビノッドも理解の意を示していた。結局のところ、敵の真意など測りようがないのだが、例え推論に推測を重ねたのだとしても、そうだと思える拠り所があるのとないのでは全く違う。
そしてその事実――敢えて事実とするが――は、基地、ひいては反応炉を防衛しなければならない彼らにとって朗報であった。つまり、連中はエネルギー切れが近い可能性があるのだ。全滅させずとも、連中のすべてがエネルギーを消費し尽くすまで戦い続けることが出来たなら、それが勝利となるのである。既に出現数が三万に近づきつつある連中を相手にしなければならないと覚悟を決めていた衛士や支援部隊にとって、その情報は僅かながらの希望となった。
――が。
『クソッ!! クソォ!! 死ねよ!! 死ね死ね死ね死ねぇぇぇえあああ!!』
『駄目だ! 全然ッ、チクショォ!! 奴ら全然止まらない!!』
『エネルギー切れだって?! いつだよ!! ぁぁぁあくそがぁああああ!!!!』
途切れることのない雑言に、銃弾の雨。迫り来る圧倒的物量は俄然衰えることなどなく、怒涛の波となり押し寄せてくる。第二防衛線は既に、地獄の有り様と化していた。第一防衛線を突破したBETAは突撃級を先頭に、こちらを嘲笑うかのように攻め込んできたのだ。かつてない密度の面制圧を集中させてその数を減少させているはずなのに、それでも連中は次から次に地中から溢れ出し、一向に衰えを見せないでいる。
その暴威、速度は本当にエネルギー切れなんて起こすのかと叫びたくなるほどで、そんな悠長な戦いなどしていられない現実を、彼らに押し付けてくる。のらりくらりとかわして戦えるような数ではない。のんびりと自滅するのを待っていられるような物量ではない。連中はBETAだ。人類をここまで追い詰めた最悪の天敵だ。放っておいて連中の進攻が止まるのなら、人類はこんなに大勢を死なせていない。喪っていないのだ。
眼前に躍り来る暴威は撃たねばならない。機体に取り付く戦車級は払わねばならない。でなければ自分が死に、仲間が死ぬ。一匹たりとも抜かせるなと誰かが咆える。隊長と呼び慕っていた彼は跳ねるように飛びついた戦車級の群れに齧られて死に、昨日ベッドを共にした彼女はママと叫びながら要撃級に砕かれて死んだ。そんな光景を絶叫混じりに眺めながら突撃砲を撃ちまくっていた自分は、いつの間にか要塞級の尻尾に吹き飛ばされていて……。
それが現実だ。機体はXM3に換装済みで、全員が《鉄仮面》の『概念戦闘機動』を頭に叩き込み身体に刻み込んでいるというのに。空しいほどの現実は、圧倒的無慈悲を以って彼らの命を磨り潰していく。そこに、希望の輝きなどあるはずもなく。
……いや、決して無防備に一方的にやられているわけではない。かつてない戦闘概念、操縦技術を身に付けることの出来た彼らは、各々がベストスコアを驚異的なスピードで更新し、戦えている。過去のシミュレータではとっくに全滅していておかしくないような物量の敵を相手に、まだ戦えている事実。確かに圧倒的過ぎる物量を前に戦死者数は跳ね上がっているが、それでも、彼らは今までの対BETA戦績を塗り替えるほどの奮闘を見せていた。
かわせないはずの攻撃を潜り抜け、動けないはずのタイミングで撃ち殺し、跳べないと教えられていた空を跳ぶ。確かにXM3は、鉄の存在は、彼らを著しく成長させ、対BETA戦術を革新させた。我武者羅に叫びながら戦い続ける彼らは皆、その性能、恩恵に感謝せずには居られない。自分が一秒生き永らえられている間に敵を一体殺すことができ、仲間を一人救うことが出来る。その、全員の一秒が収束したならば、彼らは信じられないほどの長時間を戦い抜くことが出来るだろう。
…………それだけの錬度を高める時間があり、相手にするBETAの数が少数であったならば。
絶望に歯の根が震える。恐怖に喉が震える。三万“以上”。戦車級以上の中大型種の実数である。対する彼ら、第二防衛線を形成する部隊は二個大隊七十二機。連中は、愚直なまでに真っ直ぐと向かってくる。足の速い突撃級に、足の遅い大型種。その速度差が進攻にタイムラグを生もうと、その物量差の前には大した意味を持たなかった。
止むことのない支援砲撃の爆音が荒野に響き渡る。収まることのない怒声と絶叫の入り混じった喚き声。地獄とは、どうしようもないほどに恐ろしく凄惨であるからこそ、地獄足り得るのである。
そして、その地獄に更に拍車をかけるべく、光線級の一斉射が一個小隊を蒸発させた。出現自体は未確認種ともども判明していたのだが、遂にレーザーを放ってきたのである。エネルギー消費が激しいと思われる連中は、その数自体も少なく、連中なりに温存しておいたようなのだが、XM3の性能のおかげで通常以上の粘りを見せるこちらに業を煮やしたのか、容赦なくレーザーを撃ちまくってくる。
もちろん、BETAにそんな戦略的思考や感情的要素があるかどうかなど知りはしないのだが、連中が見せる行動のほんの些細な部分で、XM3が影響しているのではと思わせる場面があったのである。もとより戦術機は高度なコンピュータを搭載したマシンであったことから、BETAは戦術機を優先的に狙ってくることが知られている。連中は人類の兵器に対して脅威度のようなものを設定していて、そのとおりに攻撃してくるのでは、という説なのだが、どうやらそれはXM3が搭載されたことでより顕著になったらしい。
確かに『甲21号作戦』の最中にも地表でBETAをひきつける役目に徹底した帝国軍や斯衛軍の衛士からもそのような報告を受けており、確たる証拠はないながらも、夕呼は“そういうことも在り得るだろう”と断じていた。つまり、かつてない機動性能を以ってBETAの群れの中を跳び回り連中を殺して回る、いわば新型の戦術機は、連中にとっても脅威と認識されたということだ。
それが果たしてどのようなメカニズムでBETA間に浸透しているのかは未だ不明だが、少なくともこの戦場に居るBETAは、XM3を脅威とみなし、執拗に戦術機を狙っているようだ。つまり、それだけ一体の機体に引き付けられる個体数が増えるということであり、現場の衛士にしては堪ったものではないのだが、若干の時間稼ぎが出来るということだった。夕呼はすぐにCPに命じて、各部隊へその情報を通達する。弾は惜しむな。だが、例え弾がなくなったとしても“やれる”ことはある。と。可能な限り敵の渦中を派手に逃げ回り、混乱を誘え。
命じられた側はなんだその無茶苦茶な要求はと盛大に罵声を浴びせてきたが、それがほんの僅かでも生き延びる可能性を高めるかもしれないというなら、無茶でもなんでもやるしかなかった。……勿論、戦術機の機動一つで引き付けられる個体などたかが知れていて、武器を使い果たし恐慌に陥りかけている者などは派手に跳びすぎて光線級に撃ち殺されたりもしていた。こんな無間地獄の有り様で、冷静に正気のまま戦い続けられるものなど居やしないのだ。
もしそんなヤツが居たとして……ソイツがあくびでもしながらこの地獄を駆け回れたならば…………ソイツは多分、常時狂っているのだろう。
最早横浜基地は、狂わずにはいられないほどの、この世の地獄と化したのだ。
そして、BETAの数をおよそ二万強に減退させることに成功した第二防衛線は、崩壊する。
敵の撃破数だけをみるならば、かつてない大戦果といえるだろう。戦術機一機が血祭りにしたBETAの平均個体数は世界中の戦闘記録と照合しても、他に類を見ないほどの殺戮ぶりだ。それだけXM3の性能が優れているということなのだが……そんな快挙も、生きていなければ意味がない。人類史上最高の撃破数を更新し続けながら、横浜基地は着実に崩壊への道を転がり始めていた。
第三防衛線が主戦場となってから既に十分。洒落にならない勢いで戦死者が増大し、演習場に敷かれた防衛線を突破したBETAがこぞって基地へと向かっている。空を覆い隠さんばかりだった支援砲撃も次第に密度が薄くなり、残弾の少なさを露見させ始めている。第5、第6戦術機甲大隊が他の部隊同様に突破されるのは時間の問題となっていた。
夕呼の元へは帝国軍が一個連隊を出撃させた旨が知らされているが、果たして間に合うか否か。恐らく、基地に侵入された後の到着となるだろう。それでは手遅れだ、などとは言わないが、もう少し早ければまた違う手を打つことも出来たのにと思わずにはいられない……。ないものねだりをしてもしょうがないとはわかっている。それに、『甲21号作戦』での消耗を考えれば、帝国軍もかなり無茶をしてくれているのだ。感謝こそすれ、文句を言うことなど出来はしない。
それもこれも悠陽がこの基地に居てくれたおかげだが、文字通り、不幸中の幸いというやつだった。少なくとも、この帝国軍の援軍が得られなければ、万が一にも生き残る術はなかったのだから。僅かの可能性さえないまま全滅させられるよりは、その僅かに賭けられる現状の方が断然いいに決まっている。勿論、それだけを当てにしてもいいわけではないことはわかっているので、夕呼はあらゆる手段を用いてこの基地を存続させる手段を考え続けている。
……結局のところ、基地防衛にあたっている戦術機甲部隊、航空支援部隊、機械化歩兵部隊等一人ひとりの尽力にかかっているわけだが、せめて彼らが無駄死にしないよう最善の策を授けるのが副司令、そしてAL4責任者としての夕呼の務めだ。第三防衛線を突破した突撃級や小型種がとうとうここまでやってこようとしている。光線級はエネルギー消費が激しいのかあまりレーザーを発射してこない。このまま第三防衛線の部隊の戦力で殲滅できるだろう。
ならば後は力勝負だ。連中の突破力が上か、こちらの防衛力が上か。単純明快なる力比べ。数か質か。そんな天秤にこの基地、そしてこの世界の運命を預けなければならない現実に、夕呼は笑い捨てたい気分になってしまう。――くそったれ! 彼女にしては珍しい下品な罵倒を内心で吐き捨て、夕呼はA-01へ出撃を命じた。
出撃命令を受けるまでもなく、既にA-01は第二滑走路を迎撃に奔走していた。自分たちに与えられた任務など単純明快すぎて笑いが出る。敵を基地内部に侵入させない。ここで連中を食い止める。ただそれだけ。そして、困難極まる任務だ。躍るように雪崩れてくる小型種を手当たり次第に蹴散らし、続く突撃級を着実にしとめる。他の部隊も同様の戦術を繰り返していて、最初の衝突は始まった。
第一、第二防衛線を抜かれ、今また第三防衛線が崩壊しようとしていているのに、連中の数は冗談かと罵りたくなるほど多い。今はまだ散発的な進攻だが、いずれ第三防衛線を完全に突破した連中――予想では一万以上は確実に居る――を相手にしなければならない。第7戦術機甲大隊、斯衛の一個大隊、そしてA-01……。百機にも満たないたったそれだけが最後の防衛線であり、その先は、ない。
基地内部に侵入されてしまえば勝負はついたも同然であり、なんとしてでもこの場所で敵を食い止め、殲滅――ないしはエネルギー切れを待たねばならない。達成可能な確率が僅かでも上回るのは後者であり、展開する各部隊はただひたすらそのために戦っている。どう逆立ちしたところで、万単位のBETAを殲滅できる戦力はこの場所にはないのだ。帝国軍からの援軍も、周辺国連軍基地からの救援もギリギリだ。ほんの少しでもタイミングが合わなければ、全ては廃墟と化してしまうだろう。連中のエネルギー補給がどのような方法で行われるのかは知らないが、横浜基地が破壊されてしまえば、救援にやってきた部隊だけで突入をかけるとは思えない。第3から第6大隊の残存兵力を集結させたとしても、結果に変わりはないだろう。
或いは、ここに米軍の部隊でも居て、形振り構わずに『G弾』を使用してみせたなら……かつての『明星作戦』同様に破壊された基地ごとBETAを全滅させることも出来るだろう。強引に『G弾』投下を実行した上で、AL5を発動させようとすることも考えられる。『甲21号作戦』失敗時に備えていた艦隊が、ひょっとすると近くの海域に潜んでいるかもしれないのだから。――埒もない想像でしかなく、根拠も何もないわけだが……どの道、ここが落ちればAL4に未来はない。ならば人類はAL5を実行に移すだろう。帝国軍に供与されたXM3のデータを接収し、『G弾』とXM3を組み合わせた新しい戦略が構築されるだろう。
それは一衛士が戦闘中に考えていいようなことではないし、そもそも、そんな思考に耽っている余裕などない。A-01の隊員たちはそんな最悪の可能性など考えるまでもなく、絶対に基地を死守するために戦っていた。死力を尽くして任務に当たれ――正にその言葉を体現すべく、全員が鬼神の如く殺戮を繰り返している。蒼い不知火の集団が戦場を駆け巡るたびに、汚物が散り肉片が舞う。おぞましい血煙は夜の闇に怪しく漂い、銃弾が炸裂するたびに化け物の花が咲く。
その姿は戦乙女のイメージに遠くかけ離れ、地獄の巣窟であるハイヴを戦い生き残ったという正真正銘の「強さ」を見せ付けていた。凄絶、その一言こそ相応しい。彼女たちの存在は共に戦う衛士の士気を否応なしに高め、尋常ではない数のBETAをひきつけた。反応炉を最優先としているのだろう連中を無理矢理にひき付けて暴れ回るのだから、隊員たちの消耗は凄まじいものがある。敵中に飛び込み、殺しまくり、自身は生き延びながらも敵を連れまわすのだ。正気の人間の出来ることではない。
味方が思わず呆然としてしまうほどの凄まじき戦法を繰り返すA-01だったが、当然のことながら必死である。一瞬でも集中を途切れさせれば待っているのは死の一文字。ハイヴ突入に比べれば、なんていう自負は交戦数秒で消し飛び、今は唯、全員が精神を途轍もないスピードですり減らし続けている。敵の動きを自分たちに向けさせ、可能な限り多くの個体を留まらせる。まりもが命じたその作戦は、彼女たちの限界を完全に無視したものだった。
それでも、誰かがそうしなければ連中はあっという間に最終防衛線を抜け、基地内部に侵入してしまうだろう。現実に、一部の小型種が到達している。幸い少数だったので機械化歩兵部隊の手で食い止められているが、いつまでも防ぎきれるものでもない。いずれは絶対に突破され、基地施設内での戦闘へと切り替わるだろう。……その時を一瞬でも遅らせ、エネルギー切れを誘うために、A-01は死に物狂いで文字通り狂ったように戦い続けるのである。
そんな出鱈目な戦闘を続けている彼女たちを援護すべく、紅蓮中将率いる斯衛の一個大隊が戦場に割って入った。その部隊の中には真那の斯衛軍第19独立遊撃小隊も含まれており――武御雷で編成されており、なによりも斯衛軍として指揮下に編成されたほうが今回の戦闘では有効であると判断されている――彼女たちもまた、ハイヴ攻略戦の経験を活かした、同一箇所に留まらない撹乱戦法を多用している。
XM3の最大の利点である高機動性を惜しむことなく活用した戦法であり、『概念戦闘機動』の醍醐味でもある。そうやってひたすら敵中を渡り、戦い続けるA-01や真那たちを見て、残る斯衛の部隊も、第7戦術機甲大隊も、同様の機動撹乱戦を行うようになった。マニュアル化され、XM3の機動性の高さを知ってはいた彼らだったが、実際の戦闘でその特性をこのように活かす方法は思いつかなかったのだ。そして、その戦法の有効性を即座に認め、自身に取り込んで戦える柔軟性を持っていたことが、最終防衛線の戦闘模様を僅かに膠着させた。
持ち堪えられるか――? 微かに見えた希望。そんなものを抱いてしまった衛士は一人や二人ではないだろう。きっと、それは間違いない。だが、そんな儚い一瞬の希望を打ち砕く現実は、ついに第三防衛線が崩壊を伝えてくる。四散した第5、第6大隊は第3、第4大隊の残存兵力と共にこちらへ後退を開始している。四個大隊の残存兵力を掻き集めてようやく一個大隊に届こうかという惨憺たる有り様だが、全滅よりは断然マシだ。それを思うと、未確認種に蹂躙されあっという間に全滅してしまった第一防衛線の衛士たちは運がなかったのだろう。
その死を無駄にしないためにも、とにかく生き残っている全員が死に物狂いで戦い続けるしかない。どれだけ希望が踏み躙られ、絶望の淵を覗こうとも。諦めることなど赦されない。改めて全員がそう奮い立つのと同時、基地司令からの通達が入る。基地内部へのBETA侵入を防止するためにAゲートおよびBゲートを充填封鎖するという内容に、とうとうここまで追い込まれたのだという現実が否応なしに叩き付けられた。基地の地上設備を全て放棄して、第二滑走路へ順次後退。残存兵力を集中させてメインゲートを死守。戦車級を中心とする小型種の混成群が殺到しつつあるこの状況では、文字通りの「死」守以外在り得ない。
A-01と斯衛軍は第二滑走路で我武者羅な戦闘を続行し、第7大隊はBETAと共に雪崩れ込んでくる形で合流した残存部隊と共にメインゲートへと下がる。基地内部では既に第二層までの隔壁を封鎖し、充填剤注入まで残り三百六十秒を切った。だが、迫り来るBETAの数は後続が追いついてきたのか、桁違いの様相を見せている。一度に相手にしなければならない個体数が多過ぎて、充填剤が完全硬化するまでの時間などとてもではないが稼げそうもない。
更にはあまりにも多すぎる連中をなんとしてでも減らしてやろうと身を挺して補給コンテナを誘爆させたヤツもいたが、逆にその爆発で搬入ゲートの一部が破損し、そこをBETAに狙われてしまう。命を擲ってまでの行動の結果が、残された自分たちの首を絞めることになってしまったのだが、そのことに文句を言うものは一人も居なかった。どのような死であれ、そしてそれがどのような結果を招いたとしても、死んだ仲間を冒涜する者は衛士ではない。ゲートが破損してしまったことは確かに痛いが、それでも、死んだその者の命を誇るならば、無茶だろうがなんだろうが守りきるしかないのである。
だが、そんな決死の覚悟を見せる彼らを嘲笑うかのように出現した要塞級の一群が自慢の尾節を揮い、隔壁にその兇悪なる先端部を叩き込んで見せた。ぶちまけられた溶解液が隔壁を溶かしていく。最大級の罵声を浴びせながらの必死の抵抗も空しく、次々と部隊を壊滅させられる残存部隊は演習場からの増援を求め、これにHQが応じる。帝国海軍の支援砲撃をBゲートのある第一滑走路に集中させる。Bゲートへの増援として移動を開始した部隊の中にはA-01の姿もあった。B小隊を前面に押し出して吶喊する彼女たちだったが、ピアティフからの通信がそれを呼び止める。
『――HQよりヴァルキリーズ! 帝国海軍の支援砲撃着弾まで三十秒! 第一滑走路周辺より即時退去せよ』
『――ヴァルキリーズはBETAの地下施設侵入に備え、直ちに移動を開始せよ』
続け様に放たれたピアティフと遙の指示に、まりもは即座に部隊を移動させる。モニターにマップを表示しながら、まりもはメインゲートから中央集積場を抜け、メインシャフトを一直線に下るルートを説明する。最短距離で反応炉まで移動し、そこで敵を迎え撃つのである。A-01が第二隔壁を抜けた時点で隔壁を充填封鎖し、敵の進攻を少しでも遅らせるわけだが、つまり、それは隔壁突破以降味方の支援を一切受けられないということだ。
既に中央集積場には紅蓮率いる斯衛一個大隊が移動を完了し、Bゲートを突破してくるであろう敵に備えている。ゲートの外では、第7大隊を中心とした国連軍部隊が絶対死守を掲げてありとあらゆる感情をぶちまけながら戦い続けていた。A-01はその彼らを横目に六十秒だけ開かれたメインゲートを抜け、斯衛軍の背中を通り過ぎながらメインシャフトへと到達する。――この配置は、正に帝国随一と謳われるべき錬度を持った最精鋭たる斯衛に期待していることを表している。悔しいことだが、磨り減らされた横浜基地所属の戦術機甲部隊よりも、斯衛軍の方が実力は上なのだ。XM3への慣熟然り、『甲21号作戦』で見せた実力然り。
紅蓮は夕呼直々の要請に快諾してみせ、敵を一手に引き受けることとなった第7大隊以下の部隊も彼らへ基地の未来を託している。――頼む。ただそれだけの言葉に込められた苛烈極まる感情を、斯衛の部隊は痛いほどに理解している。本当ならば自分たちの手で最後まで基地を守り通したいだろう。だが、自分たちの力ではそれに及ばない……。その事実を認めることの、どれほどに悔しいことか。
かつてBETAの進攻によって京都を喪い、郷里を喪った斯衛の衛士たちには、胸を抉るほどにわかりすぎる感情だったのだ。それだけではない。……この先には、悠陽が居るのだ。自らの命を懸けて守護すべき主。この日本を照らす輝き。彼女を、死なせるわけには行かない。なんとしてでも食い止める。自分たちが限界以上の力を以って戦い続けることが出来たならば、きっと帝都からの援軍が間に合ってくれる。――今はもう、それだけを信じるしかない。可能性に賭けるしかないのだ。
『月詠、貴様は自身の部下を率いてA-01へ同行しろ!』
紅蓮が突然にそう命じたのは、メインシャフトへ通じる隔壁が開ききろうとしたその瞬間だった。メインシャフトへ突入を開始しようとしていたA-01が、僅かに足を止める。命じられた真那は一瞬彼が何を言ったのか理解できなかったが――刹那の間を置いて、了解と答える。真那は同じ月詠の姓を持ついとこへと視線を送り、彼女が不敵に笑ったのを見て、部下三名を率いて斯衛の隊列から離れた。紅蓮が何を思って自分をA-01へ同行させるのか……反応炉死守の可能性を僅かに上回らせるためか、或いは……冥夜、か。
真那は表情には一切出さずに、真耶と紅蓮の二人に最上級の感謝を抱く。そして、心に誓った主を今一度この手の届く場所で護ることのできる歓びに打ち奮えた。
「ヴァルキリー0へ、こちらは斯衛軍第19独立遊撃小隊隊長月詠中尉だ。これよりブラッズはヴァルキリーズの指揮下に入る!」
『ヴァルキリー0了解。心強いわ、中尉』
真那とまりもは互いに頷き合い、こうしてハイヴ攻略を果たした最強の混成部隊は再びその姿をBETAの前に晒すこととなった。彼女たちのもとへBETAがやってくるとき。それは人類が滅亡するか否かの瀬戸際であり、この基地の命運を賭けた戦いの終結を意味する。どのような結果であれ、そこが正真正銘最後の砦だ。――誰一人、生き残れるなどとは思っていない。それでも、生きてみせると笑えるのが彼女たちだった。
メインシャフトを落下するように通過しながら、水月が真那へ通信を繋ぐ。この状況でよくも、と呆れるほどの強気の笑みを浮かべながら、水月は一種の宣戦布告を突きつけてみせた。
『月詠中尉ぃ。あんたまさか武が心配でこっちに来たんじゃないでしょうねぇ? 言っとくけど、あんたに武は渡さないわ。あいつは私の弟なんだから、B小隊から外さないわよ!!』
「――なっ、貴様頭が沸いているのか?! 誰がそんなことを言った! ……しかし聞き捨てならんな。白銀少尉の実力を最大限に発揮しようと思えば、我が部隊に配置すべきだということは貴様も知っているはずだが?」
『言ったわねぇ!? この高慢ちきの年下趣味がぁ! 武はねぇ、B小隊でこそ本領を発揮するのよ。私とあいつの二機連携の方があんたとのチャンバラ機動より断然上よ!』
「き、貴様……言うに事欠いてチャンバラだと!? 我が父を侮辱するか! ――大体、いつ武が貴様の弟とやらになったというのだ!! 前々から思っていたが、貴様は頭がオカシイのではないのか!」
いきなり喧嘩を始めた二人を、残る全員は呆然と見守っていた。……いや、あまりに唐突で場の空気を無視しすぎていて、ついていけなかったというべきか。横浜基地最強を誇るA-01きってのエースである突撃前衛長と、帝都防衛の最大の要にして最精鋭部隊に属する斯衛の赤。そんな凄まじい存在であるはずの二人なのだが、互いに罵詈雑言をぶつけ合う姿からは、一切そんな偉大さが見えてこない。どころか……むしろ見苦しい。
こんな通信が上に残って戦っている部隊に届いたなら、彼らは怒り狂うだろう。こんな連中にこの基地の未来を託すしかない己の不遇を呪うだろう。……それをわからない水月や真那ではなかったのだが、興が乗ってしまったでは済まされない言葉の応酬はまだ続いている。
呆れ返ったまりもやみちるは、流石にこれ以上放っておくわけにも行かないと溜息をつく。成程、極度の疲労によって肉体も精神も消耗してしまった部下達にはいい休息になっただろう。そういう意味では水月の思惑通りにことが運んでいるようだが、最早本当に喧嘩しているようにしか見えなくなってきたのだ。――オマエラ、いい加減にしろ。
『速瀬、月詠!! 貴様らいい度胸だッッ!! そんなに息がピッタリなら、貴様ら二機で前衛を務めて見せろ!! 喧嘩するほど仲がいいんだろう? 遠慮するな。仲良く死んで来い!!!! この莫迦がッッ』
狂犬の咆哮に身を竦ませた水月に、目を丸くする真那。緊張感もまるでなくなってしまった一行だったが、最後の隔壁が開かれ、ついに反応炉へ通じる通路へと降り立つ。配置された補給コンテナから順次補給を行い、B小隊、第19独立遊撃小隊を前衛に敷き、A、C小隊が後衛につく。その先頭は、本当に水月と真那が務めていた。まりもは冗談でもなんでもなく、本気でそれを実行させたようだ。
武は敬愛し、尊敬する二人のあまりにもあんまりな姿に項垂れるしかなく、茜から向けられてくる嫉妬の視線に胃が痛くなってきそうだった。確かに十分場は和み、気分を一新することができたが、いくらなんでもアレはないだろう。特に自分の精神衛生上大変よろしくなかったので、本当に勘弁してほしかった。水月の斜め後方に位置取りながら、連携を組む多恵と簡単に打ち合わせる。とにかく、自分たちは前に出て戦いまくるしかない。真那が言うように自分と彼女が最前線に押し出て敵を足止めするのが一番いいのだろうが、まりもからその指示は出ていない。優秀な指揮官である彼女がそのことを失念しているはずはないので……多分、はめを外しすぎた水月と真那双方への罰なのだろうと思うことにする。
恐らく、敵が全隔壁を突破してここへ侵入してきたならば、まりもは即時に真那と武に前へ出るように命じるはずだ。物量で圧し迫るBETAを足止めするのに、月詠の剣術ほど特化したものはないのだから。しかも、今回はもう後がない。弾幕を張り巡らせただけではBETAの波を押し留めることは不可能なのだ。頷いて、武は覚悟を決める。
武は――絶対に生き残ると約束できるだけの自信がなかった。例え死んでも茜を護り、純夏を護り、基地を護る。それは絶対だ。何があろうと絶対に、それだけは果たしてみせる。
要はBETAを反応炉に辿り着かせないように身を挺して時間を稼ぎ、連中が活動限界を迎えるまで耐えられればいいのだ。そうすれば、茜も純夏も基地も、護り切ることが出来る。ほぼ不可能と言っていいが、それでも、確率はゼロではない。やって見せる。そういう気概を、全員が持っている。ハイヴ攻略を果たした自分たちなのだ。……だから、絶対に成し遂げる。
けれど、それと自分が生きているかというのは別の話だ。欲を言えば護り切ったその先まで自分も生きていたいが……さて、既に脳髄が悲鳴を上げ始めているこの身は、それを許してくれるかどうか。戦闘による極度の集中は血流を増大させ、精神をすり減らす。ハイヴ戦で身を以って体験した己の限界というものは、この身がもう永くないことを教えてくれていた。気力を振り絞って最後まで戦い抜いたとしても、多分――その先はない。
BETAが活動を停止した瞬間に、自分もまた血まみれの屍となるのだろう。確信めいた実感がある。だから、覚悟を決めるしかない。
最後の最期まで生きて戦う。愛する者たちを護りぬく。……その最期が、“今”なのだと。
じっと待ち続ける。BETAが隔壁を打ち破り、残存部隊を掻い潜り、この場所へ進攻してくるまで。ただ、ひたすらに耐え続け、待ち続ける。地上で戦っている残存部隊はほぼ壊滅しようとしており、ゲートを破壊したBETAと斯衛が戦闘を開始している。……じきに、メインシャフトの隔壁まで到達されるだろう。自分たちの手の届かない場所で味方が次々と死んでいくのを黙って見ているしかない。その辛さを……全員が必死になって抑え込んでいた。
自分たちに課せられた使命は反応炉の死守だ。どれだけの犠牲を払おうとも、例え全滅しようとも、反応炉さえ守りきったなら任務は達成される。人類の希望は潰えることなく、時間はかかるかもしれないが、AL4が目指す未来を掴むことも出来るだろう。そのためにも、この場から動くことは出来ないのだ。ある者は拳を軋むほど握り締め、ある者は歯が砕けそうなほどに噛み締めて。
……そうして数分が経過して、通路の天井に通じるメインシャフトの隔壁が開かれる。全員が何事かと身を強張らせたが、それと同時に夕呼からの指示を受け取ったまりもが落ち着くように命ずる。開かれた隔壁から飛び降りてきたのは一機の不知火。国連軍仕様とも帝国軍仕様とも異なる、漆黒に彩られたその機体には――ただ一文字、“彼”を示す文字が描かれていて……。
それは慰霊式典にあわせて大々的に英雄として名乗りを挙げさせるために用意されていたものだった。色が違うというだけで、通常の不知火と何一つ変わらないのだが、目を引く、という点では非常に有効だろう。やって来た漆黒の不知火に乗っているのは――当然、
「香月博士から聞いている。……せいぜい、好きに暴れるがいい」
『――ハッ! 鉄少尉、ただ今を以って神宮司少佐の指揮下に入ります!』
自身の進むべき道を、選ぶべき未来を、決めるべき覚悟を。何一つ掴めないまま、状況に流されるしかない不遇の《鉄仮面》。その仮面の下の素顔はただ――――同じ顔をした武に向けられ、抗い難い復讐の炎を滾らせる。
そう、これが……ここが最期と死に場所を決めた男と、これが最大のチャンスと復讐に燃える男の――最初で最期の、戦場だ。