<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.1154の一覧
[0] Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~ 『完結』[舞天死](2009/02/11 00:34)
[1] [序章-01][舞天死](2009/02/11 00:30)
[2] [序章-02][舞天死](2008/02/11 16:02)
[3] 復讐編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:03)
[4] 復讐編:[一章-02][舞天死](2008/02/11 16:03)
[5] 復讐編:[一章-03][舞天死](2008/02/11 16:04)
[6] 復讐編:[一章-04][舞天死](2008/02/11 16:05)
[7] 復讐編:[二章-01][舞天死](2008/02/11 16:05)
[8] 復讐編:[二章-02][舞天死](2008/02/11 16:06)
[9] 復讐編:[二章-03][舞天死](2008/02/11 16:07)
[10] 復讐編:[二章-04][舞天死](2008/02/11 16:07)
[11] 復讐編:[三章-01][舞天死](2008/02/11 16:08)
[12] 復讐編:[三章-02][舞天死](2008/02/11 16:09)
[13] 復讐編:[三章-03][舞天死](2008/02/11 16:09)
[14] 復讐編:[三章-04][舞天死](2008/02/11 16:10)
[15] 復讐編:[四章-01][舞天死](2008/02/11 16:11)
[16] 復讐編:[四章-02][舞天死](2008/02/11 16:11)
[17] 復讐編:[四章-03][舞天死](2008/02/11 16:12)
[18] 復讐編:[四章-04][舞天死](2008/02/11 16:12)
[19] 復讐編:[五章-01][舞天死](2008/02/11 16:13)
[20] 復讐編:[五章-02][舞天死](2008/02/11 16:14)
[21] 復讐編:[五章-03][舞天死](2008/02/11 16:14)
[22] 復讐編:[五章-04][舞天死](2008/02/11 16:15)
[23] 復讐編:[六章-01][舞天死](2008/02/11 16:16)
[24] 復讐編:[六章-02][舞天死](2008/02/11 16:16)
[25] 復讐編:[六章-03][舞天死](2008/02/11 16:17)
[26] 復讐編:[六章-04][舞天死](2008/02/11 16:18)
[27] 復讐編:[六章-05][舞天死](2008/02/11 16:18)
[28] 復讐編:[七章-01][舞天死](2008/02/11 16:19)
[29] 復讐編:[七章-02][舞天死](2008/02/11 16:20)
[30] 復讐編:[七章-03][舞天死](2008/02/11 16:20)
[31] 復讐編:[七章-04][舞天死](2008/02/11 16:21)
[32] 復讐編:[八章-01][舞天死](2008/02/11 16:21)
[33] 復讐編:[八章-02][舞天死](2008/02/11 16:22)
[34] 復讐編:[八章-03][舞天死](2008/02/11 16:23)
[35] 復讐編:[八章-04][舞天死](2008/02/11 16:23)
[36] 復讐編:[九章-01][舞天死](2008/02/11 16:24)
[37] 復讐編:[九章-02][舞天死](2008/02/11 16:24)
[38] 復讐編:[九章-03][舞天死](2008/02/11 16:25)
[39] 復讐編:[九章-04][舞天死](2008/02/11 16:26)
[40] 復讐編:[十章-01][舞天死](2008/02/11 16:26)
[41] 復讐編:[十章-02][舞天死](2008/02/11 16:27)
[42] 復讐編:[十章-03][舞天死](2008/02/11 16:27)
[43] 復讐編:[十章-04][舞天死](2008/02/11 16:28)
[44] 復讐編:[十一章-01][舞天死](2008/02/11 16:29)
[45] 復讐編:[十一章-02][舞天死](2008/02/11 16:29)
[46] 復讐編:[十一章-03][舞天死](2008/02/11 16:30)
[47] 復讐編:[十一章-04][舞天死](2008/02/11 16:31)
[48] 復讐編:[十二章-01][舞天死](2008/02/11 16:31)
[49] 復讐編:[十二章-02][舞天死](2008/02/11 16:32)
[50] 復讐編:[十二章-03][舞天死](2008/02/11 16:32)
[51] 復讐編:[十二章-04][舞天死](2008/02/11 16:33)
[52] 復讐編:[十三章-01][舞天死](2008/02/11 16:33)
[53] 復讐編:[十三章-02][舞天死](2008/02/11 16:34)
[54] 復讐編:[十三章-03][舞天死](2008/02/11 16:35)
[55] 守護者編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:36)
[56] 守護者編:[一章-02][舞天死](2008/02/13 21:38)
[57] 守護者編:[一章-03][舞天死](2008/02/17 14:55)
[58] 守護者編:[一章-04][舞天死](2008/02/24 15:43)
[59] 守護者編:[二章-01][舞天死](2008/02/28 21:48)
[60] 守護者編:[二章-02][舞天死](2008/03/06 22:11)
[61] 守護者編:[二章-03][舞天死](2008/03/09 16:25)
[62] 守護者編:[二章-04][舞天死](2008/03/29 11:27)
[63] 守護者編:[三章-01][舞天死](2008/03/29 11:28)
[64] 守護者編:[三章-02][舞天死](2008/04/19 18:44)
[65] 守護者編:[三章-03][舞天死](2008/04/29 21:58)
[66] 守護者編:[三章-04][舞天死](2008/05/17 01:35)
[67] 守護者編:[三章-05][舞天死](2008/06/03 20:15)
[68] 守護者編:[三章-06][舞天死](2008/06/24 21:42)
[69] 守護者編:[三章-07][舞天死](2008/06/24 21:43)
[70] 守護者編:[三章-08][舞天死](2008/07/08 20:49)
[71] 守護者編:[四章-01][舞天死](2008/07/29 22:28)
[72] 守護者編:[四章-02][舞天死](2008/08/09 12:00)
[73] 守護者編:[四章-03][舞天死](2008/08/29 22:07)
[74] 守護者編:[四章-04][舞天死](2008/09/21 10:58)
[75] 守護者編:[五章-01][舞天死](2009/02/11 00:25)
[76] 守護者編:[五章-02][舞天死](2009/02/11 00:26)
[77] 守護者編:[五章-03][舞天死](2009/02/11 00:27)
[78] 守護者編:[五章-04][舞天死](2009/02/11 00:28)
[79] 守護者編」:[終章][舞天死](2009/02/11 00:28)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[1154] 守護者編:[五章-03]
Name: 舞天死◆68efbbce ID:c760b461 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/02/11 00:27


『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』



「守護者編:五章-03」






「XG-70……切り捨てるというのかね?」

「はい。……ムアコックレヒテ機関の出力を安定させることには成功していますが、肝心の00ユニットがありません。現状動かせない以上、あれはただの鉄屑であって守るべき主要兵器ではありません……。それに、どうやらBETAは反応炉以外に執着はないようですし、90番格納庫に兵力を分散させるリスクを考えれば、切り捨てるべきだと判断します」

 夕呼の言葉にラダビノッドは頷き、では、と全軍に指示を下す。その指示によって基地演習場、第一、第二滑走路に展開していた全戦力をBゲートのある第一滑走路へ集結させ、且つ、A-01を反応炉へ、帝国斯衛軍を中央集積場へと移動させる。遂に、基地内部施設が戦場となる時がきたのだ。最早、地上での戦闘に勝ち目はない。時間稼ぎさえも出来ないほどにすり減らされつくした戦力では、押し寄せるBETAを留めることが出来なくなっていた。

 連中の目的ははっきりとしているため、目指す反応炉までの一本道を塞ぐ作戦に出たわけであるが、言うほど容易いものではないことくらい、この場に居る全員が理解していた。

 作戦はこうだ。夕呼直属にして横浜基地最強の部隊であるA-01をメインシャフトを通じて反応炉のある階層まで移動。ここは元ハイヴというだけあってかなりの広さを有しており、戦術機甲部隊が稼動するのに不自由しない。その分、迫ってくるであろうBETAも行動するのに困らないのだが、贅沢は言っていられない。迎撃できるスペースがあるだけ上々と思うほかない。……文字通りこれが最期の要となるため、こちらへ流れ込むBETAの数は出来るだけ少なくする必要がある。なにしろ一個中隊強の戦力しかないのだ。如何に精鋭とはいえ限界はある。

 このA-01の負担を軽減すべく、中央集積場に帝国斯衛軍の一個大隊を展開する。メインシャフトへ通じる隔壁を死守するのがその役目だが、円周に配置された全隔壁を守りきるためには些かどころか大いに戦力が足りないといわざるを得ない。向かってくる敵は万単位。面で迫ってくる怒涛に対して有効な防衛は果たせない可能性が高い。……だが、そこは帝国最強を謳う斯衛である。生存出来る可能性は皆無といっていいが、それでも、彼らの実力ならば帝国や周辺国連軍基地からの援軍がやってくるまでの間を持ち堪えさせてくれると信じるしかない。

 更にはメインシャフト内の隔壁を第二層まで充填封鎖することで、物理的な壁を構築する。完全硬化までに時間がかかるが、何もしないよりはマシだろう。とにかく、なにがなんでも敵を反応炉へ到達させない。それが唯一の勝利条件なのだ。

 それ以外にも小型種の侵入に対応すべく、各所に強化歩兵部隊を展開させ、メインシャフト以外からのルートで反応炉へ到達されることを防ぐ。戦術機が入れないような狭い空間にも、人間とさほど変わらないサイズの小型種なら楽々やってこれるからだ。……そして恐らく、この小型種との戦闘が最も凄惨且つ熾烈を極めるだろう。生身でBETAと戦ったことのあるものなど、この基地には一人も居ない。戦術機に乗って戦う衛士ですら、戦車級に取り付かれればパニックを起こし小便を漏らし泣き叫びながら喰われて死ぬのだ。眼前に迫る兵士級や闘士級を相手に、果たして何人が“戦える”か……。

 考えても仕方がない。やってもらうしかない。でなければ、全員死ぬのだ。世界が滅ぼされてしまうのだ。――最早、祈るほかない。

「……違うわ、まだやれることはある」

「博士?」

 内心に浮かび上がった弱気を振り払うように、夕呼は呟いた。怪訝に思ったラダビノッドが問い返すが、夕呼はそれには応じず、僅かでも可能性を高めるためのカードを投入することを決める。この絶望的な状況を覆すには、常識外れの奇跡が必要だ。BETAに滅ぼされるという因果を覆すイレギュラー……つまり、それは、世界を渡り、同一存在を無視し、この世界に顕現したもの。00ユニットを完成させるための鍵を握っているのではないか。そう感じさせる、あの、甘っちょろい餓鬼を。

「ピアティフ、鉄を呼び出しなさい。あいつも反応炉へ配置させるわ。まりもへは私から伝えるから、急いで頂戴」

「――ッ、はい!」

 モニターを睨みつけながら指示を下す夕呼に、ピアティフは一瞬だけ表情を強張らせた。遂に、というのが彼女の本音である。鉄は慰霊式典が中断されてからずっと格納庫で待機していたのだが、遂に出撃命令が下されてしまった。……いや、この状況で出撃がないことの方が異常なのだが、鉄はその存在に付随する機密性から今まで待機が命じられていたのである。……実戦経験がない、というのも理由の一つではあったが……。

 ピアティフは彼の素性を――異世界からやって来たという点については知らされていないが――ある程度理解している数少ない人物であり、鉄の精神を安定させるための役割を果たしてきた。それは僅か数ヶ月間のことではあったが、ピアティフの中では“任務”と割り切れるものではなくなりつつある。幼稚な恋人ごっこ。されど、この世界に絶望を見せる鉄を癒すうちに、彼女もまた、鉄に癒されていたのだ。こんな過酷な世界で、一人ひとりが毎日を精一杯生きることさえ難しい地獄のような世界で、自らを必要としてくれる存在が居る……。それは、幸せなことだったのだ。

 だからピアティフは想う。自分を必要とし、求めてくれる夕呼……そして鉄。この二人のために、自分は命を懸けると。――その鉄を、死地に赴かせねばならない。

「HQからドッペル1――――」

 内心の葛藤とは裏腹に、抑揚なく命令を伝達できる己が恨めしい。身に染み付いた軍人としてのサガが、ピアティフに想い人の「死」を命じている。心の中で、必ず死ぬわけではない、きっと還って来てくれる。そう何度も叫ぶように繰り返し祈り…………そんな奇跡が、起こるはずがないと、明晰なCPとしての自分が結論する。なんて嫌な女。最低だ。そんな風に自身を罵倒する間もあらば、耳に残ったのは何かを噛み締めるように軋ませた鉄の“了解”の声。

 自分は、遂に、鉄へ「死んで来い」と言ってしまったのだ。――後悔なんてしない。してたまるものか。どうか生きて還って来て。叶わぬ生還を祈りながら、ピアティフは自分の頬を張った。やけに響く乾いた音に遙が視線を向けてくる。周りを気にしている余裕などないはずなのに、実戦経験豊富なCPとはかくも落ち着けているものなのか。目が合った遙へ苦笑を向けて、ピアティフは己の任務に没頭した。その姿に何かを察したのか、遙もまた、ヴァルキリーズへ指示を飛ばし、後は互いに集中する。

 気合は入った。だからきっと鉄は無事に還って来る。そう、信じる。



「出撃……」

 ホントに、こんな時が来てしまった――。それが偽らざる鉄の心境であり、叶うならば今すぐに逃げ出したいというのも、本音だった。直接目にしたわけではないが、オープンに固定された通信回線からは絶え間ない断末魔が流れてくる。耳にまとわりついて来るようなその言葉たちに脅かされ、聞いているだけで二度も嘔吐してしまった。最悪なのはそれが仮面の中で、口元も顎もびしゃびしゃになり、呼吸穴から零れたモノで強化装備が汚れてしまったことではなく…………これが、紛れもない現実だということだ。

 クソッタレの悪夢。今までにも夢だ幻想だと散々喚いてきたが、それで元の世界に戻れるというなら、誰かがそう約束してくれたなら、鉄はあらん限りの声を振り絞って叫んだだろう。――こんなものは夢だ、と。だが、そんなことをしてもどうにもならないことは厭というほど見せ付けられてきた自分であるから、もうそんな無駄なことはしようとは思わない。気力もない。ただ、恐怖だけがあり、絶望に視界が白むだけだ。

 そんな折に告げられたピアティフの言葉。反応炉とかいう重要施設を守るために移動しろという内容の命令を受けて、鉄は遂に自分も死ぬのかと、目の前が真っ暗になった。――死ぬ? 莫迦な。これは何かの間違いだ。自分で嘲笑いたくなるような往生際の悪さだが、そんな思考がスルリと出てくる己は、本当にこんな世界に居たくないのだと実感できる。……もっとも、そんな実感を得たところでこの状況は覆らないのだが。

 一瞬、将軍と呼ばれていた少女の瞳が思い出される。あの、恐ろしいくらいに澄んだ瞳に見据えられた時、自分は一体何を思ったのだったか。――この世界に生き、死ぬ覚悟。そんなもの、ありはしない。鉄という名を押し付けられ、《鉄仮面》という存在に飾り立てられ、自身としての在り方を奪われた。もう一人の自分を殺すこと。最早それだけにしか自分にはなく、けれど、その先さえ手に入らない――手に入れる覚悟がないというなら、一体自分はどうすればいいというのか。

 繰り返される懊悩も、既に意味はない。基地はBETAなどという化け物の地球外生命体に滅ぼされ、自分も遠からず殺されてしまうのだ。このクソ忌々しい《鉄仮面》とおさらばできるというならそれもいいかもしれないが、けれど、死にたくなんてない。誰だってそうなのだ。死にたくない。生きていたい。こんな恐ろしい感情に染められたまま、一方的に命を奪われるなんて……耐えられるわけがない。だってみんな叫んでいた。だってみんな泣き喚いていたじゃないか。

 助けて。やめて。いやだ。そんな言葉を滅茶苦茶に支離滅裂に繰り返し、言葉にならない絶叫を悲鳴をぶち撒いて、自身も肉片になって死んでいく。……それを現実だと認めたくなくても、ぶるぶる震えてゲロを吐いてしまうくらいには、現実だと感じられている。認めてしまっている。――紛れもない、リアルだ。

 格納庫にいれば生き延びられるのかもしれないし、そうでないかもしれない。化け物共はこの基地を完全に破壊するだろうと夕呼は言った。どこにも逃げ場なんてないのだ。……この基地に到達される以前に逃げ出していたのならば、また違ったのかもしれないが、今更言っても遅すぎる。

 掠れた声で“了解”とだけ呟いて、鉄は機体を移動させる。網膜投影に基地内部のマップが表示され、進路が示される。地上には出ず、このままメインシャフトとかいう縦坑へ進むらしい。もはや、成すがままだった。鉄の精神は現実を放棄し、言われるがまま動く人形のような有り様だ。裏切られたと、哀しいと感じていたピアティフの声にさえ何も感じない。自分を駒としていいように利用した夕呼への憎悪も、どこかに自分だけ避難しているのだろう霞への怒りも、何もかもが失せてしまっている。能面のような《鉄仮面》の下の素顔は、もう、死人のそれだった。

 隔壁が開かれる。既にメインシャフトの充填封鎖は始まっているらしく、縦坑内を見回してみれば、上側は完全に閉鎖されていた。ピアティフから適宜指示が送られ、鉄はなにもかもを放棄したまま、ただ状況に流されるように機体を操縦する。……そんな芸当が出来るくらいには、戦術機の操縦は身に染みていた。なにせ、機動制御だけを見れば横浜基地はおろか世界的に飛び抜けたセンスと実力を持つ鉄である。足りないのは覚悟と経験だけで、戦術機の操縦で彼に匹敵する衛士はそうはいない。……そうなれたのも、ピアティフのおかげだったのだが……そのことすら、鉄にはどうでもいいことのように感じられている。

 だって、もう死ぬのだ。こんな世界で、こんな仮面のままで。死にたくなんてないのに、諦めるしかない。生きる覚悟もないこんな世界……どうだっていいさ。鉄は自虐的な笑みを浮かべようとしたが、それさえも億劫で、か細く息を吐いた。縦坑内部を降りる彼に、モニターに映る夕呼から嘲るような声が届く。

『あらなによ? そんな今すぐ死にそうな顔して。どうしたの? こんな世界夢に決まってるんだから、在り得ないんじゃなかったっけ?』

「…………ッ」

 仮面越しの表情などわかるはずがないのに、夕呼はまるで見えているかのように言う。しかも、たっぷりの嫌味つき。いやに耳に残る声音は、現実を見ないことにした鉄を刺激する。現実に引き戻そうとする。……こんな、怖くて泣きたくて逃げたくなるような、無慈悲で地獄のような世界に。自分を引き戻そうとするのだ。勘弁してくれ。もう厭だ。そんな風に駄々をこねても、きっと夕呼は聞く耳を持たない。だからなんだ、それがどうした、それでアンタはなにをするのか。饒舌にまくし立て、きっと自分の不甲斐なさを指摘する。そのくせ、どうすべきなのか……その答えは、自分に選ばせるのだ。

『反論もないわけ。黙ってればそれでBETAが消えてなくなるのかしら。――ハン、笑わせるわ』

 つまらないものを見る眼。最初から期待なんてしていないくせに、最初から助けてくれるつもりなどないくせに、どうして――こんなにも、夕呼は縋りつきたいほどの何かを芽生えさせるのか。憎い。殺してやりたい。……でも、助けてほしい、なんて。そんな言葉が出そうになる自分は、本当にどうしようもないくらい、怖くて、死にたくなくて……。一体自分に何をしろというのか。こんな自分に何が出来るというのか。何も出来やしない。BETAなんかと戦えるわけがない。だって死ぬんだ。あんな化け物と戦って生きていられるわけがない。

 現に大勢が死んだ。七個大隊が全滅した。衛士だけで二百五十人余りがこの世から消え失せたのだ。こんな地獄のような世界で毎日毎日訓練して戦って生き延びるために準備してきたような連中が、たったこれだけの時間で、あっという間に、全部、殺された。――だから、ほら、オレだって死ぬしかないじゃないか。生き残れるわけがない。そうに決まっている。違うのかよ、先生――ッ。

『いいことを教えてあげましょうか。あんたがこれから合流する部隊――A-01にね、アイツが居るわよ。“白銀武”。残念ねぇ。せっかくの復讐のチャンスも、あんたがそんなじゃ無駄に終わるわね』

「ッ、?!」

 どきりとする。心臓がうずく。俯いていた顔を上げて、思わず夕呼を凝視してしまう。――それが夕呼の姦計だと気づいていても、抗い難い誘惑があった。「白銀武」。その響きは、その言葉は、死人と化していた鉄の精神を黒色に染め上げてしまう。どうせ死ぬ。そんな諦めに亀裂が入るくらいには、致命的だった。

『あんたが戦う気がないのなら、いいわ。戻りなさい。機体は予備機に回せるしね。あんたは戦術機を降りてどこか安全な場所に逃げなさい。……ま、今忙しいから脱出の段取りなんて整えてあげられないけど、あんた衛士なんだし、走ってでも逃げられるでしょ』

 冷淡な瞳で告げる夕呼。一体彼女が何を言っているのかわからない。鉄は身を乗り出すようにしてモニター越しの夕呼に手を伸ばしていた。網膜に映っている映像に過ぎない彼女に――ちょっと待て、待ってください! ――そう叫びながら、わななくように、声を振り絞る。

 逃げろだって?! どこに!? 安全な場所なんてどこにもないじゃないか!! そう言ったのはアンタじゃねぇかよ!! ぃ、いや、そうじゃない! そうじゃない!! 誰が居るって!? アイツが居るって!? 何処に……下にッ!? “居る”のか? 本当に? この下に、白銀武が居る――。

「先生!! 夕呼先生!! 待ってください!!」

『なによ。こっちはアンタなんかに構っている暇なんてないのよ。さっさと格納庫に戻りなさい。今なら五体満足で外に放り出してあげるわ。まあ色々と機密も知りすぎてるし、本当なら銃殺なんだけど、生きて基地の外に出られるだけありがたいと思いなさいよね~』

 違う違う違う――!! そんなことは聞いていないッ! 鉄の中で何かがはじけようとしていた。自分は白銀武のことを聞きたいのに、聞いているのに、夕呼はさっきから一体何の話をしているのか。銃殺? 莫迦な。在り得ない。例え五体満足で基地の外に出られたとしても、今のこの状況で生きていられるわけがない。ああそういうことか。つまり夕呼は鉄に死ねと言っているのだ。お前は用無し。お前は使えない。だから死ね。疾く死ね。居ても邪魔だ足手まといだ。機密ばかり知っていて他に使い道がないから、さっさとBETAに喰われて死ね――そう言っているのだ。

 厭だ。そんなのは厭だ。下に白銀武がいるらしいのに、そんなのは厭だ。だって諦めていたのだ。死ぬと。死んでしまうと。自分はこのままBETAに殺されてしまうと。そうやって諦めていたのだ。……なのに、こんな地獄のような戦場で、下の階層に白銀武が生きているというなら。それはつまり……――つまり、なんだ?

『あら、どうしたのかしら? さっきまでの剣幕はどこいったのよ。……逃げるの? 逃げないの? あんたに戦う理由はあるの? あんたは何がしたいのよ。生きる理由のないヤツに用はないの。…………“シロガネ”。あんたがこの戦いを生き残ったなら、あんたに白銀を殺させてあげる。そして、あんたを“シロガネタケル”にしてあげるわ。……でも、あんたが逃げたいというなら、止めはしない。あんたは自分のしたいように生きればいい。BETAの海を潜って、廃墟と荒野しかないこの世界で、自由気ままに夢だ幻想だって嗤って生きることを祝福してあげる』

「ぇ、ぁ、え?」

 急に真面目な口調で、夕呼は淡々と述べる。白銀を殺させてあげる。確かに夕呼はそう言った。そして、鉄を――オレを――シロガネタケルにする、と。つまり、この世界の自分を殺し、本当の意味で、自分は自分自身として存在を赦される。それを赦すと。夕呼は言ったのだ。復讐を成し遂げさせてやる、と。

 困惑した。本当に、一体何を言っているのか。夕呼の真意が測れない。……いや、いつだって彼女は何を考えているのかわからなかった。彼女の考えを理解できる者など、鉄が知る限りではまりもしかいない。天才と人は言うが――この世界の夕呼は、それ以上に、理解し難い存在だった。

 逃げても構わない。その代わりに死ねばいい。そうやって冷たく突き放しておきながら、復讐の対象である白銀武を殺害するチャンスをくれるという。戦い、生き延びたなら、その報酬にこの世界での自分自身としての生を、居場所を、与えてくれるという。――どう、すれば、いい?

『そうそう。わかってると思うけど、――これが最期のチャンスだから。生き残れなかったら死ぬだけだしねぇ?』

「……ッ、ぐ、」

 鉄はもうなにがなんだかわからなかった。戦うか否か。その選択を迫りながら、実際は“戦う”以外の道を閉ざしているということはわかる。卑怯な誘導だ。こんな世界で死にたくないと願う自分には、戦わないという選択肢は選べない。……なぜなら、それを選んだ時点で自分は戦術機を降ろされ、BETAの群れに放り出されるのだ。夕呼が言ったことは必ず実行される。彼女の中に冗談はないのだから。

 けれど、死にたくないからといって“戦えるか”というと…………膝が震えだし、小便を漏らしそうになる。吐き気は幾分収まっているが、それでも、恐怖が拭えたわけではない。戦術機の訓練を積み、XM3を誰よりも使いこなし、斯衛にも認められるほどの腕前を自分は持っているらしいが――こんな、一方的な戦争を、生き残れる自信などない。否。コロサレル、と。そう脅えていたのだ。だから諦めた。もう駄目だ。もう無理だ。自分はここで死ぬのだと諦観した。

 そんな自分に夕呼は言う。戦わせるために餌を撒く。白銀武。シロガネタケル。ヤツへの復讐を匂わせ、そして……最期のチャンスだと、決定的な言葉を吐く。本当に卑怯だ。本当に狡い。――そんなことを言われたら、もう、戦うとしかいえないじゃないか。戦わずとも死が待っていて、戦ったとしても死ぬ可能性が高い。そんな状況に追い込んでおきながら。生き延びるためには戦って生き残るしか道はなく、そしてそのための理由は復讐の二文字しかなく。

 戦う理由。生きる理由。それを未だ明確に出来ないまま、自身の中に確立させることが出来ないまま――鉄は決断する。

「オレは、戦います……。戦って、生き残って!! ――――そしてアイツを殺してやるッッ!!」

『……いいわ。じゃあさっさと行きなさい。まりもには説明してあるから、後はそっちの指示に従いなさい。……いつまでも餓鬼やってんじゃないわよ』

 その最後の一言は、夕呼なりの優しさだったのかどうか。鉄には知れない。知る必要もない。最早この期に及んで死にたくないと叫ぶことに意味はない。前にも後ろにも逃げ場はなくて、進むことの出来るのは前だけだというなら。そこにある障害を蹴散らすことでしか未来がないというのなら。

「やってやる――。やってやる……殺して、殺して、殺しまくってやる……!!」

 そして、“白銀武”を殺す――。仮面の下の眼光に狂気が宿る。どす黒い想念に染まった怨讐の気配が、異世界から迷い込んだ鉄を支配していく。かつてない恐怖。かつてない昂揚。生き残るために敵を殺す。復讐のために敵を殺す。殺す殺す全部殺す。目の前に立ち塞がる化け物共は全部敵だ。明日を生きる未来を閉ざす異形は全部敵だ。そして、自分の存在を脅かすこの世界の白銀武。敵だ敵だ。全部敵だ。

 最下層の隔壁が開かれる。これを降りればそこにはA-01部隊が居て、白銀武がいる。……なら、この場で殺してやろうかと思ったが、レーダーには二十機近い戦術機が表示されており、流石に無理かと自重する。まりもから声を掛けられ、軍人らしい返答をし、更新されたデータリンクを確認して絶句した。

 そこにはかつて自分が居た世界で級友として多くの時間を共にした少女達が揃っていて、また、クラスは違えど顔を知っている者もいて――鉄は、自分の存在はここまで呪わしいのかと嘆きたくなってしまう。一体どうしてこんな世界に来てしまったのか。……そして、せめてなぜ、自分の居場所を用意してくれなかったのか……。この世に神様なんて便利な存在が居るのなら、どうかお願いだ――白銀武を、殺させてくれ――。仮面を掻き毟るように、爪が悲鳴をあげた。







 ===







 鉄。《鉄仮面》。そいつを見るのは初めてだった。噂どおりの仮面の衛士。みちるやまりもはそいつのことを知っている風だったが、水月は鉄を詳しく知らない。わかっているのは、XM3を考案し、『概念戦闘機動』を編み出した変態。或いは天才というべき衛士ということ。開発された新型OSによって戦術機に革新を起こし、佐渡島ハイヴを陥落させる鍵を生み出したもの。……人類に希望を与えた英雄。そういう見方も出来るだろう。

 つまり、水月は鉄に感謝していた。どんな男だろうと想像をめぐらし、同じ衛士でありながら全く異なる発想を生み出した彼と、ゆっくり話してみたいと思っていた。

 ――だが。

 モニターに映るそいつは。本当に鉄の仮面を被っていて、本当に正気の人間なのかと疑いたくなるくらい、不気味で、無機質だった。能面のような仮面には呼吸のためのスリットがあるだけで、一切、表情も目線も窺えない。一体どうしてそんな仮面を被っているの、か……――いや、違う。そうではないのだ。

 水月は硬直していた。その声を聞いたとき。不気味な《鉄仮面》の声を聞いたそのとき、耳を疑って、硬直してしまったのだ。……おそらく、皆似たようなものだったろう。特に、茜や真那は自分と同じく驚愕したのだと思う。なにせ、似すぎていたのだから。発せられた声の質、響き。とにかくとにかく、そいつの、鉄の声は。驚愕のあまり硬直してしまうほどに、武の声と“同じ”だったのだ。

 唖然として鉄を見つめ、武を見てしまう。だが、見慣れた彼の表情はやや驚きに染められてはいるものの、自分たちのように硬直することはなく、首を傾げるだけだった。気のせい、だと感じているのか。自分によく似た声というものを聞いた経験のない水月にはよくわからないが、ひょっとすると武にはあの鉄の声がなんとなく似ている程度のものに感じられたのかもしれない。

 だが、武自身の感性はどうあれ、鉄の発した声は気に掛かる。よくよく見れば顔の輪郭や髪の毛等にも似た雰囲気を覚えるが……外見的なことはあの仮面のせいで比較しづらい。直接対面すればまた違うのかもしれないが、とにかく、武に異常に似すぎている……と。そう思える。

(何を考えているの……私はっ、)

 この状況。基地壊滅まであと数歩というところまで追い詰められているこの状況下で、一体何を考えているのか。水月はゆるく頭を振り、雑念を払おうとする。今はまだ斯衛の精鋭部隊が持ちこたえているが、いずれその防衛線を越えた小型種があふれてくるだろう。最悪の場合、斯衛が全滅し、隔壁をすべて突破され、大型種を含むBETAの大群勢が押し寄せてくるのだ。……例え鉄と武が似ていようがいまいが、そんなことを気にしていい状況ではない。

 そうやって意識を切り替えようとした矢先に、まりもから部隊編成を変更する旨の命令が発せられる。鉄が加わったことにより、現在の編成は不知火十六機に武御雷四機の計二十機。変則的な部隊編成は既に佐渡島で経験済みなので、恐らくそう問題なく運用できるだろう。配置を説明するまりもの声を聞きながら、文字通り最終防衛線である自分たちの役割を、隊員の一人ひとりがより一層深く認識していく。

 最前衛を真那と武の二機が務め、得意とする剣術でBETA群の足を止める。その背後に斯衛の三機がつき、右方に真紀と多恵、左方に冥夜と慧をそれぞれ配置する。さらにその後方にまりも、水月、鉄の三機を配置し、臨機に対応する。際立った近接戦闘力を持つ彼女たちを前衛に押し出すことで手当たり次第にBETAを殺戮し、可能な限り後方へBETAを通さないようにする……言わば、力任せの陣容だ。

 後がない、という観点からすれば力任せだろうが何だろうがとにかくやれることを全力でやるだけであり、当然、弾の出し惜しみもする必要はない。が、反応炉の絶対死守を果たす可能性を僅かでも上回らせるためには、帝国軍・近隣国連軍基地からの援軍が到達する時間まで持ち堪える必要がある。つまり、無駄弾などひとつもなく、確実に敵を仕留めるという高度な技術が必要となる。

 その点では壬姫に敵うものはおらず、彼女は最後方で神懸かりなその技術を存分に発揮してくれるだろう。後衛は壬姫を中心に、残るメンバーが半円を描くように配置される。前衛を突破してきたBETAをまず出迎えるのは茜と亮子であり、さらに突破してきた個体を両翼に配置された美冴と梼子が討ち取り、円の内側にいるみちる、千鶴、美琴の三機が各々をカバーする。

 重厚にして徹底された防衛線。雪崩れ来るBETAを真正面から迎え撃つその陣形は非常に高いリスクを孕んでいるが、少数精鋭で戦い抜く以外ない自分たちにはこの方法しかない。戦死上等。だが、敗北は許されない――。部隊をこの場所へ移動させる決断をしたラダビノッド司令や夕呼の心中はどのようなものだっただろうか。……それでも、実際にこうして自分たちが配置されているということは、つまり――信頼してくれている、のだ。夕呼は。直轄部隊であり特殊任務部隊であるA-01を。甲21号目標を破壊したヴァルキリーズと真那たち斯衛の部隊を。……鉄を。

 故に水月は、漲ってくる闘志を隠そうとはしなかった。出撃前にはよく美冴に戦闘狂だのなんだのと揶揄されたものだが、今はそれくらいで丁度いい。いや、狂うほどに猛り、けれど冷静さを失わないことが必要なのだ。――戦い抜くだけでなく、仲間さえも護り切る。この作戦、一機たりとも欠けてはならない。この人数でさえ圧倒的絶対的に不足しているのだ。“通路の幅”という制約があってそうなのだから、つくづくBETAの脅威というものは侮れない。

 信頼できるCPであり親友の遙の、務めて冷静さを装おうとしている声が聞こえる。――BETA、メインシャフト到達。

『……遂にきたか。――――各機戦闘準備。第二層までの充填封鎖は完了しているが、それが突破されるのも時間の問題だろう。連中は“穴掘り”が得意らしいからな』

 静かな、けれど殺気と闘気に満ちた声。まりもの目つきは既に狂犬のそれだ。きっと自分も同じような目をしているに違いない。勿論、まりもの教え子である全員ともに同様な目をしていることだろう。怯むな。恐れるな。泣くな喚くな、悲鳴をあげる暇などない。恐慌に陥る暇などない。許されたのは戦うことだけだ。許可されたのはBETAを討ち滅ぼすことだけだ。敵を殺せ。仲間を護れ。全員で立ち向かい、全員で生き残る。反応炉を護れ。基地を護り抜け。――それが、世界に光り輝く“未来”を導くただ一つの手だ。







 自分には何ができるだろう。

 亮子は躍りくる戦車級を叩き斬りながら自問する。自問してしまった。思考を巡らせる余裕など一切ないはずなのに、小型種を踏み潰す度、あるいはこうして長刀を振るい36mmを放つたび、過ぎる思考を止められない。――自分には何ができるだろう。かつて親友はこう言ってくれた。自分は、優しいやつだと。仲間たちのよいところを見つけ、気づき、その人物の本質を――心のあり方を理解する才能を持っていると。

 そんな自分に何ができるだろう。BETAと戦い、BETAを斃す。基地を護るために、今もこうして戦っていて、必死になって我武者羅になって戦っていて――それでも、一体自分には何ができるだろうか。

 彼女のために。尊敬し、信頼する、大好きな茜のために。

 彼のために。尊敬し、憧憬を抱き、好きだと言える武のために。

 この命、全身全霊を賭し――わたしには、何ができる? 多恵と約束した。「一緒に頑張ろう」。その言葉を、鮮明に覚えている。だから死に物狂いで頑張ってきた。あの日以来、A-01の皆と共に、大切で大好きな仲間たちと共に。この世界に平和を取り戻すのだと。愛する彼を彼女を護るための力を得るのだと。毎日、厳しい訓練に明け暮れてきた。劇的な変化はなくとも、僅かなりとも成長できたのだろう。その全てをぶつけるしかない。

『ぅぅぉおおおあぁぁおおあぁああぁぁぁぁぁぁあああ!!!!!!!』

 地獄の底から響き唸るような獰猛な咆哮が続く。それは最前線で羅刹の如く乱舞し続ける武の咆哮であり怨嗟だ。真那とともに一秒たりとも留まることなく次から次に襲来するBETAの群れを引き裂いている。全ての隔壁を完全に突破したBETAの群れは地上で目の当たりにした物量よりいささか少ないように感じられるが、それは単に地上からこの場所に到達するまでの進路が狭いせいである。楽観などできないのだが、一度に向かってくる量が僅かでも軽減されているというのは、迎え撃つ自分たちにとってはありがたい。

 メインシャフト入り口を死守し続ける斯衛は残すところ二個中隊ということらしく、彼らが持てる全てを擲ってくれているおかげで、殆どのBETAを前衛部隊だけで殲滅できているのだ。……もっとも、最下層に辿り着いたBETAの数など全体からすればたかが知れているのだろうが、その“たかが”を相手に死力を振り絞らなければならないという事実は、BETA相手に防衛線を行うことの悲劇性をよく表していた。

 とにかく、前衛部隊は地獄の有様だった。鮮やかな紅色の真那の武御雷は当にその色をなくし、返り血や汚物にまみれぬらぬらと穢れている。彼女の部下などもっと酷い。元が白色の機体だからこそ、余計にBETAの返り血が目立ち、悲惨なものとなっている。長刀を酷使し続ける武は既に二本を駄目にし、今使っているそれらがなくなれば、多恵や真紀から長刀を借り受けなければならない。弾幕を張り巡らせる彼女たちとて残弾を気にしないわけにはいかないし、同様に近接戦闘を繰り返す冥夜と慧も装備を消耗し始めている。

 かつてない正面からの対峙に、誰もが途轍もない速度で精神をすり減らしているのは明白で、だからこそその背中を支える位置にいるまりもや水月の存在は大きい。とにかく後方に抜けるBETAの数を少なくしようと暴れまわる武と真那にとって、突破した敵を確実に仕留めてくれる味方の存在はありがたいだろう。激戦の中ひたすらに敵を葬り続けることに特化した剣術といえど、全てを殺戮できるわけではない。当然といえば当然だが、最早後がないこの状況で、後方に信頼できる仲間がいることは安心できるのだ。

 指揮を執り、部下たちの奮戦振りに激励を送るまりもが消耗し尽くした肉体に喝を入れてくれ、豪快に軽快に漏れて来た個体を蹴散らす水月が勇気をくれ、在り得ないほどの出鱈目な機動で敵を撃ち殺していく鉄が自信をくれる。誰しもが酷い絶叫をあげ喚き散らし罵声を吐きながら、精神と肉体が疲弊し心身ともに消耗しようとも、その目の輝きだけは消えない。衰えることなどない。

 砲火を絶やさぬとばかりに撃ち続ける壬姫や美琴、どれだけ手を尽くしても矢張り抜けてきてしまう個体を確実に仕留めていく自分や茜、みちるたち。全員が、戦いながらに奮えていた。沸々と闘士が湧き、不思議なことに、これほど絶望的な状況にありながら――いける、と。非現実的な感覚さえ掴んでいた。勿論、諦めているわけなどないのだから、その心意気であることが肝要だ。護り切らねば、未来はない。だからいける――護り抜ける。そう信じる。

 そんな中で自分にしかできないことがあるとするならば、それは多分、彼に代わり、茜を護ることだろう。最前線にて己の本領を遺憾なく発揮している武は、与えられた役割ゆえに直接茜を護ることができない。進行するBETAを食い止めることで間接的に護ってはいるが、直截の脅威から救うことはできないだろう。彼と茜との間には絶望的なまでの距離が開いている。その距離を埋めるのが、自分なのだ。そう亮子は考える。

 一緒に頑張ろうと抱きしめ合った多恵が武を護り、自分が、茜を護る。そうやってお互いが力を振り絞ることで、大好きな彼を彼女を護り切るのだ。――わたしはっ!

「白銀君っ! 茜さんはわたしが護ります!! だからどうかッ! ――安心してくださいッッ」

 気づけば叫び、それと同時に茜の眼前に躍り出た戦車級を弾けさせている自分がいた。亮子はすぐにハッとして口を噤んだが、叱責するはずの上官の声はなく、代わりに、快活な――そんな余裕など何処にもないはずなのに――快活な、武の笑い声が届く。或いは、水月や多恵の、耳をくすぐる珠のような声が。

『わかった! 頼んだぜ月岡ッ!! ――俺は目の前のこいつらを全部倒すッッ!!』

『言ったわねぇ月岡ァ! 武ゥ! あんたも男なら気合入れなさいよぉ!!』

『亮子ちゃんかっこいい~!! 私も負けないぞぉ!! 茜ちゃ~んっ! 頑張るからね~~! 白銀くんの背中はちゃんと護るからね~っ』

『ちょっ、ちょっとぉ!? みんなこんなときになに言ってんのよッ?! もぉ!!』

 口々に軽口を叩き、笑う。その眼には一層の覚悟が宿り、仲間の存在の有難さに輝いている。恥ずかしそうに頬を染めた茜の視線に、亮子は今更ながらに顔を真っ赤にしてしまった。一見気の抜けたように見える自分たちを、まりもとみちるが同時に叱る。彼女たちは今の数秒のやり取りで全員のナニカが変わったことに気づいていたが、それでも、ただそれだけでこの戦況が覆ることはないと知っている。

 すぐ近くで武と真那の背中を護っているまりもには、武の限界が近いことが明白だったし、後方で全体を見渡す位置にいるみちるには、BETAの物量に押し切られるのも時間の問題だとわかる。数が多すぎて個々に相手をすることが難しい小型種はいずれ反応炉に到達するだろう。防衛線を抜けたその個体を始末することは出来ない。その対処のために背を向けたならば、瞬間、押し寄せる大群に食い殺されてしまうからだ。

 突破されたものは無視するほかなく、故に、その数を最小限に留めるために死力を尽くして戦っている。前衛全てを捨て駒にしてでも、援軍が到達し、BETAの後続を断ち切るまで戦い続けるしかないのだ。

 だからこそ、亮子の言葉は皆に勇気を振り起こさせた。前衛に立つ全員は、自分たちが生き抜けるなどとは思っていない。当然、死ぬつもりもないが――その辺りが、人間として非常に難しい線引きではある――最後の最期に力を振り絞った後、命を懸けて護った者を、同じように護ってくれる仲間がいるということは、なによりも掛け替えのない、嬉しいことなのだ。安心して、逝けるのである。

 亮子は茜を護ると言った。その言葉一つが、擦り切れていく武の精神をより強靭にする。帯刀した弧月が呼応するように響き、武は咆哮した。真那と共に螺旋を描き、双頭の龍がBETAを蹂躙する。理性を吹き飛ばしたその表情は獣のそれであり、呼気は既にヒトではない。薬によって崩壊しつつある脳細胞に血を巡らし、心臓が爆発するように蠢動する。充血した瞳からは一筋の赤い糸が垂れ、操縦桿を握る拳には血管が浮き上がっている。体中が軋みを上げ――これが最期だと、悔いはないと、白銀武は己の命を燃やし尽くす。



 その、光景を。

 鉄は見た。――なんだよそれ。その呟きが彼の全てを物語っていて、同時に、腹立たしいような、寂しいような、わけのわからない感情に胸を毟った。真那の武御雷と共に無茶苦茶な戦闘を繰り返す武を見る。鉄自身、まりもや水月ですら背筋を凍らせるような天才的な機動によりBETAを襤褸雑巾のように蹴散らしていたのだが、そんな事実には気づかない彼は、亮子の言葉……そして、その後の僅かのやり取りを見て、聞いて、わけがわからなくなった。

 武は血を流している。口から、眼から。まるで死ぬ寸前の手負いの獣のように、獰猛に吼え猛り、敵を喰い、殺している。悪鬼羅刹。そんな描写が妥当と思えるほど、鉄の眼に映る武というニンゲンは狂っていた。――なんだよ、それ。何がそこまでさせるのか。何のためにそこまでするのか。誰がどう見ても武の姿は病人のソレであり、次の瞬間に息絶えたとしても不思議ではない。だから、鉄にはわけがわからなかった。

 何が起こっている。武はBETAと戦っていただけだ。激しい戦闘機動なのは間違いないが、それでも、同様に戦い続けている真那には武のような変化は見られない。異常なのは武だけだ。死相を浮かべ、死に物狂いに戦っている。――安心して、と。亮子は言っていた。彼女のことはよく知らないが、その一言が武を支えたのだということは、理解できた。こんなクソ化け物どもとの命懸けの戦いの中で、よくもそんな思考を持ち合わせていられたものだと自分自身で呆れるが――いや、こんな状況だからこそ、狂って当たり前、人間性をなくして当たり前なこの状況だからこそ、そんな思考を持ち合わせた亮子の言葉に、鉄は“ぎくり”としてしまう。

 頭にきた、腹立たしい、というもの本当だ。戦争などというものを知らない自分が、こんな異世界は夢だと声高に叫び誰かにそのとおりだと頷いてほしい自分が、小便を漏らし反吐を吐き、狂いそうになりながら戦っているというのに、どうして自分ではなく、白銀武にそんな人間味のある言葉が掛けられるのか。こんなにも頑張って戦っている自分ではなく、どうしてあんなヤツに、――アイツのせいでオレはこの世界の居場所を奪われているのにッッ――「安心して」などと!!! 温かい言葉がおくられるのかッッ!!

 だが、それ以上に頭にくるのが、白銀武そのものだった。血を流し、死にそうな顔をして戦うその姿。振るわれた長刀が要撃級の首を刎ねる度、飛沫を散らしながら咆哮する度、鉄の中のどす黒い想念が暴れだす。何故そこまでできる。どうしてそんなになって戦える!? 護る? 護りたい? 護るため? ――誰を!? 誰だよッ! 涼宮……涼宮茜。知っている。夕呼先生のクラスの委員長で、確か委員長と仲が良かったはずだ。水泳部のエースで、男子に人気があって――――違う違う違う、そうじゃないっ!!

 鉄はぎりぎりと歯を食いしばった。感情が沸騰する。わななくように全身が奮える。“純夏”でなく、“冥夜”でなく、“彩峰”でなく、“委員長”でなく、“たま”でなく。アカネ。を。護る? つまり、こんな世界で、こんな状況で、そんな言葉が罷り通るのだとしたら、それはつまり、――そういうことで。

 自分は異分子でしかなく、自分に居場所などなく、名も顔も奪われ、別人として生きるほかない《鉄仮面》。自分はこんなにも惨めで薄暗い底辺にいて、戦う理由も護るべきものも得られないまま死に物狂いに戦うしかなくて、逃げ場所さえ取り上げられ、死ぬしかないような戦場で生きる以外に道はなくて、奪われていて! ――なのにッッ!! どうしてオマエは! どうしてオマエだけがッッ!!

 どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてオマエだけが――この世界の白銀武だけがッッッ!!! 何もかもを持っているんだ!? どうしてっ、どうして!??

 同じシロガネタケルのはずだ。同じはずなのに。どうして、後からこんな世界に放り込まれた自分だけが…………こんな目に遭っているんだ……。どうして。

「なん……で……ッ」

『? ……鉄?』

 感情を沸騰させる。最早我慢の限界だ。夕呼はこれが最期のチャンスだといった。それは自分が復讐を遂げるためには生き残るしかないという意味なのだと思っていたが、どうやら違うらしい。血の涙を流し、血反吐を吐くあの武の姿を見てしまえば、ヤツこそが生き延びる最期のチャンスなのだと知れた。ざまぁみろ。死ねばいい。だがそれは、夕呼に軟禁され続け、自分という存在を剥奪された憎悪を晴らすには到底足らず、むしろ憎らしさが倍増するだけだった。

 そうやって怒りを憎しみを肥大させ、鉄は気づいてしまった感情に、事実に蓋をする。亮子の言葉に“ぎくり”としてしまったこと。それ自体に蓋をして、開けてたまるかと感情を暴走させる。――アイツにも生きる理由がある。そんな事実は、気づいてはいけない。知ってはいけない。鉄は武を殺し、鉄こそが白銀武と成るのだ。でなければ、本当に自分は一体どうすればいいのかわからないから。

 誰にだって護りたいものがある。誰だって生きていたいと願う。――自分のように。けれど、それを理解し、受け入れることなどもう出来ないのだ。鉄は知ってしまった。この世界にもう一人の自分がいるということを。その存在のために自分の何もかもが奪われたのだという真実を。だから、今更それに気づいたところで――うん、と、頷くことはできないのだ。自分だって生きたい。自分だって本当の自分として生きたい! 手に入れたいのだ……あの眩しいくらいに平和で楽しかった世界に還れないというのなら、せめて、自身として生きられる場所がほしい。

 だから、そんな事実は、感情は知らない。気づいてなどいない。自分は武の存在に、生き方に、ヤツにだけ全てが与えられていることに、怒り、猛り、憎んでいるのだ。呪わしいと。そう歯軋りをして、感情を暴走させるのだ。殺してやる。殺してやる。渦巻く想念は一つのベクトルに集約し、そうして――鉄は跳躍した。奇しくもそれは最下層の隔壁が跡形もなく吹き飛ばされたのと同じタイミングであり、そこから今までとは比にならない数のBETAが溢れ出すのと同時だった。



 全員が息を呑み、絶望に呼吸を忘れ、拍動の後に――覚悟を決めた。真那は愛する弟子と共に最期まで戦い抜けた幸運に感謝し、最愛の主をここまで護れたことを誇りに想った。隣には既に死に体の武。呼吸さえおぼつかない虚ろな眼をして、それでも、愛する者の名を囁いている。通信機からは涙混じりに茜が武を呼ぶ声が響き、最前列に立つ武を庇うように、多恵と真紀が機体を寄せてきた。

 この物量――充填封鎖していた第二層までが完全に突破されたということだろうか。各隔壁も大穴が開けられ、連中は落下するように転がり出ているのだろう。振ってくる要撃級に小型種は悉く潰され、或いはその要撃級や戦車級に乗って無事に降り立つ兵士級などの姿も見えた。真那は薄く笑うと、背後に控える部下たちに、隣に立つ武に、冥夜に告げた。それは隊形を縮めるように近づいてきた真紀と多恵、慧にも届き、まりもや水月、そして後衛の茜たちにも届いていた。

「皆、よく聞け。……これが最期となろう。私は貴官らと共に戦えたことを誇りに想う。この命を最期まで燃やしつくせることを、喜ばしいと想う。貴官らに感謝を……。神宮司少佐、部下を頼みます」

『『『真那様っ!?』』』

「そして武。御剣少尉。そなたたちに、心よりの感謝を」

『……っ!』

『月詠、中尉……』

 そして真那は武御雷を一歩前に進ませ、武の前に立つ。突き進んでくる圧倒的物量を前に、紅の機体が翻った。武は息を呑んだ。自身もその隣に並ぼうと機体を操るよりも速く、真那の一刀が先頭の要撃級を切り刻んで見せる。――一瞬の静寂。

「ああ、そうそう。速瀬中尉、貴様にも言っておくことがあったな。ふふっ、まったく貴様は大した奴だ。縁があれば、地獄で酒でも酌み交わしたいものだ」

『……ふん。斯衛に褒めて貰えるなんて光栄だわ。でもね、地獄でなんてごめんよ。部屋に戻れば本物の吟醸があるんだから、それなら付き合ってげるわ』

 真那の表情は一瞬華やぐように微笑み、瞬間、鬼神がそこに宿る。だからこそ――命を懸ける甲斐がある!! 不敵に笑う真那の機体はまるで神懸りな機動を見せ、次から次にBETAを葬っていく。その凄まじさに喘ぐように、武たちも続き、銃火が血肉を散らす。押し寄せるBETAの数は最早対処できるものではなく、これを押し留めることなど不可能だ。全員が捨て身になって戦うほかなく、その中でも、せめて己が命を懸けることで護りたいものを護るのだと、真那は武御雷の持つ性能を限界以上に引き出し、暴虐の嵐を巻き起こす。

 武もその後に続こうとするが、瞬間――限界を超えてしまったのか指先さえ満足に動かなくなる。こみ上げてきた血液がコンソールを赫色に浸し、目の前が真っ暗になってしまう。脳みその真横で心臓が鳴っているような錯覚があり、全身が瘧のように震えていた。――こんな、時に。こんなことで、自分は終わるのか。まだ戦いは終わっていない。まだBETAは止まっていない。真那を助けなければ。茜を護らなければ。純夏を、水月を、大切な人たちを……。なのに。無理やり動かした手の平で血涙を拭い、壊れた呼吸器官で酸素を貪る。

 薄ぼんやりとした視界に映ったのは、BETAの波に呑まれた真那の武御雷――――ではなく、黒い機体。BETAの渦中を跳び回り、跳ね回り、突撃砲を滅茶苦茶に撃ちまくり屍を築き上げる漆黒の不知火。《鉄仮面》の、ソレだった。

『ォォォオオオ!! オラオラオラァァァア!!! てめぇらはこのオレが殺してやる!! オレに敵うかよ! オレについてこれるのかよ!? ぁぁぁああ!!? シネェ!! このゴミ野郎どもがァァァ!!!』

 口汚く喚くその声。モニターに映る鉄の仮面。戦術機の天才。XM3の発案者。《鉄仮面》。――鉄。

 狂わんばかりの咆哮に、猛撃に、機動に、誰もが言葉を忘れているようだった。絶望しかないこの状況に、真那の武御雷が嵐を巻き起こし、鉄の不知火が稲妻を呼び寄せる。単独で前に出すぎた鉄をまりもが強張った表情で呼び戻そうとし、真紀、多恵、冥夜、慧の四機が呼応するようにBETAの壁を断ち切る。斯衛の白の三人も主の背中を護るべく三位一体の業を見せ付けた。水月は武の機体に取り付き、下がるように命令し、武は朦朧とする意識の中で、ただ鉄の機動だけを追っていた。

「鉄ェ!! 戻れッ!! 貴様一人で何が出来る!!?」

 まりもの怒声が突き抜けるが、それも躍るように跳び回る鉄には届いていないのか。同じように突出している真那にも下がれと言いたいところだが、彼女と鉄では技量と経験に差があり過ぎる。とはいえ、鉄の派手な機動はBETAを惹きつける効果もあるようで、ほんの僅かながら、連中の足を鈍らせることが出来ていた。……だからといって、この状況下ではそれほど意味はないのだが。前衛の手に負えない防ぎきれないモノたちの中には既に後衛の防衛線へ達しているものが多く、それさえを突破して反応炉へ取り付こうとするモノまでいた。最早これまでかと歯噛みするまりもは、それでも望みをつなぐために――一人でも多く生き残り長く戦い続けるために――再度鉄を怒鳴りつけた。

『うるせぇぇええ!! ――オレをっ! オレを鉄と呼ぶなぁァァア!!!! オレは“オレ”だッ!! 鉄じゃない!! クロガネなんかじゃねぇぇええええ!!!!』

 《鉄仮面》が吼える。その悲痛な、泣いているような叫び声に、まりもは己の失言を悟った。夕呼の言葉が本当ならば、彼はもう一人の白銀武なのだ……。人類の都合で生み出され、作り出された存在。偽りの名を与えられ、その素性を闇に葬られ、ただ道化として生きることを定められた者。ならば……彼のあの我武者羅な機動も、戦闘行為も、そんな、自分ではどうしようもない抑圧された感情を曝け出しているからなのか。「オレはここに居る」――そう必死になって泣き叫び訴える仮面の男に、まりもは何も掛ける言葉がない。

 そして、状況もまたそれを許さなかった。一面の怒涛となって押し寄せるBETAの一匹一匹を食い止めたところで、その上から、或いは左右から、溢れ、雪崩れ、突き進む暴威を止められない。卓絶した技量を見せ付ける真那でさえ、BETAに包囲され孤立してしまっている。その周囲を鉄の機体が跳び回り敵の吹き溜まりを築き、冥夜と慧がその山を打ち砕く。斯衛と共に真那を救わんと暴れまわる真紀と多恵。武を食わせてたまるかと弾丸をばら撒く水月。まりも自身も出来る限りを成しているが、それにも限界がある。

「伊隅ィ!! ――なんとしてもBETAを食い止めろォ!!!」

『ッッ――了解!!』

 機体にはS-11が搭載されている。先の『甲21号作戦』以降装備されていた人類の切り札。反応炉から距離のあるここでなら、これを起爆させてBETAごと吹き飛ぶことさえ厭わない。まりもの命令をそう解釈したみちるは、けれどそれは最後の最期にとるべき選択肢であると認識し、既に防戦を開始している部下たちを叱咤激励した。武の容態に激しい動揺を見せた茜も既に頭を切り替え、亮子と共に群がる敵を撃ち殺している。前衛部隊と違い、接近戦が不得手という者ばかりだが、それでも、熟練の衛士に勝る技量の持ち主ばかりだ。夕呼直属の最強部隊は伊達ではない。

 壬姫の精密な射撃に護られながら、各人が死力を尽くす。脇を通り抜ける小型種に激しい怒りと悔しさを覚えながらも、それでも、ただひたすらに弾丸を撒く。それしかできない。上の状況はどうなっているのか――埒もない思考が過ぎり、目の前の地獄から眼を背けさせようとする。そんな浅ましい現実逃避紛いの行為を、みちるは盛大に罵倒した。

『いいかぁ貴様たち!! ――決して無駄死にするなァ!!』

『『『『了解!!』』』』

 絶対に。護ってみせる。例えこの命を落としても、必ず仲間が果たしてくれる。無駄死にになんてさせない。絶対に。――絶対にだ。



 水月の声が聞こえる。逃げなさい――そんな風に叫んでいた姉のような彼女の表情は、怒っているようで、泣いているようで、焦っているようで……やっぱり、怒っていた。役立たずの足手まといはさっさと退がれ。そう言っているのだと、叱られているのだと思う。やさしいひとなのだと、改めて感じた。最初からそうだった。初めて出逢ったときから……いや、最初はなんだか怖い人だったっけ。でも、憧れるようになって、尊敬するようになって……ああ、そうだ。やさしいのだと感じたのは、好きだな、と感じたのは。

 あの雪の日。純夏が死んでしまったのだと――そう泣いて叫んだあの日の、眩しいくらいの朝日の中。抱きしめてくれた彼女の温もりは、ただ、優しくて涙が出た。

 真那の姿が見える。父の形見の刀を託してくれた彼女は、いつもいつも、温かな感情をくれた。挫けそうな自分を、捻じ曲がりそうな自分を、いつも、何度でも、あきらめず鍛え直してくれた。信愛をくれた。華やぐような微笑がすごく綺麗で、怒った顔はすごく怖くて。向けられる信頼が嬉しくて、彼女のように崇高でありたくて、後継として認められたことが……涙が出るくらい嬉しくて。

 強くなりたい。なによりも力が欲しいと願っていたあのとき。出逢えた幸運に感謝を。貴女に逢えてよかった。本当に心の底からそう思える。

『武――ッッ!! お願い武!! 眼を覚ましてぇ!!』

 茜。茜の声だ。きっとこんな自分を気遣っている余裕なんてないはずなのに、自分自身命を磨り減らして戦っているはずなのに。……ああ、どうしてお前は、そんなにも心配してくれるのか。同じ訓練部隊になって、ずっと一緒に過ごして来て、いつだって背中を支えてくれて、ずっと好きでいてくれて。愛してくれた。――愛している。君を護りたい。お前を護りたい。なによりも、誰よりも、今ここで生きている茜――お前を愛している。

 震える右手が管制ユニット内を泳ぐように這う。確か、ここに――吹き荒ぶ砂嵐のような視界の中、虚ろに酸素を煽る口から血液を垂れ流しながら、武はユニット内に備え付けられている救急キットを取り出した。血を拭うのか。包帯でも巻くのか。――否。この中にはアレがある。万一、緊急の事態のときにも服用できるようにと備えていたあのクスリがある。副作用を抑えるために改良を施されたあのクスリの服用は三日に一度。それは改良後も変わらない。……昨日呑んだばかりのそのクスリを、カプセルを、一つ。痙攣するような右手で、辛うじて摘み……口の中へ放る。

 ――これから、三日に一度、今と同じくらいの時間に一粒呑みなさい。いい? 期間を間違えても、投薬数を間違えても駄目。

 それは劇薬。それは魔薬。僅か二週間の投薬で脳の配線を変え新たな機能を付加し、人外の魔技を成すクスリ。非道の果てに至り、非業の果てに辿り着き。いつしかそれは遺伝子そのものを弄くる悪魔の御業へと届かせるもの。服用せねば脳機能に障害をきたし、服用すれば死は免れぬ。ただ死ぬためだけに呑み、ただ生きるために呑む。まさにソレは魔薬に相応しく、だからこそ、人を狂わせる。

 武は口内に溜まった血液と共にクスリを嚥下する。最早動かぬこの体に、どうかひと時の奇蹟を。僅かでいい。この戦いの間だけでいい。せめてどうか――もう一度、この体を動かしてくれ。今まで一度たりとも服用規定を破ったことのない武だったが、既に死へのカウントダウンが残り少なくなっているなら、何が起ころうと覚悟の上だ。少なくとも、ここで野垂れ死に、庇ってくれている水月を道連れに死ぬよりはマシだ。

 効き目が薄くなってきたというなら、服用する間隔を短くするだけだ。それが即死につながる可能性は捨てきれないが――それで死ぬというなら、水月も諦めがつくはずだ。……いいや違う。死ぬものか。死んで堪るか。このひと時でいい。今だけでいいのだ。眼を開き、呼吸をし、心臓の鼓動が生命を紡ぎ、憎きBETAを斃せるのなら。愛する彼女たちを護れるのなら。――そうしたら、死んでやる。だから!!

 飲み込み、必死に願う。どうかどうか。お願いだから。今ひと時の奇蹟を与えてください――。どんなことになってもいい。数時間も生きられなくたって構わない。残る命の全てを燃やし尽くしてもいい。元よりここが死に場所だ。自分はこの戦いの後に死ぬとそう決めたのだ。惜しくなんてない。だからだから、どうかお願いします。戦わせてくれ。護らせてくれ。茜を。純夏を。水月を。真那を。

 心臓の音が消えた――――――――一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。武にはもうなにも感じられない。外界の音さえ聞こえず、渦巻く暗闇しか見えず、もがく指さえ感じない。それは刹那の時間だった。水月の突撃砲から36mm弾が発射され、目標へ命中するよりも遥かに短い時間だった。突き刺すような光が見え、巡る血液の拍動が聞こえ……そして、

「ぁっ、ぎ、ぃ……ぎぃぁあああああ嗚呼ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 激痛。そして――、武の脳は覚醒する。



『武!? ――ッ、くっ! この! 邪魔ぁああ!!』

 武の絶叫に続き、水月が叫ぶ。そのあまりにも尋常ではない声音に、思わず茜は止まってしまった。幸いだったのは、機体は既に長刀を振りぬいており後は慣性に従って戦車級を斬り付けるだけだったことか。タイミングが一瞬でもずれていたら、自分は今、死んでいた。

「たける……?!」

 動揺しながらも機体を操り、次々に群れ出るBETAを刻み撃ち殺す。身に染み付いた技能は自身の動揺など知らぬとばかりに敵を確実に屠っていくが、それでも、茜の意識が武たちへ向いてしまっているのは変わらない。連携を組む亮子が注意を促してくれ、フォローしてくれるが、茜は嫌な汗を拭えなかった。

『茜さんっ!! 今は戦って!! 白銀君は大丈夫です! 速瀬中尉がついてるんですから!!』

「……うん、ごめん!」

 わかっている。大丈夫だ。大丈夫に決まっている。武は死んでなんかいない。絶対に。だから戦おう。自分の役割を果たそう。そう自分に言い聞かせて、茜は亮子へ謝辞を述べる。安心したように頷いてくれた亮子と共に再び戦闘に集中する彼女だったが、それでもどこか、気にしてしまう。だが、茜の危惧とは裏腹に、武の不知火はそれまでの停滞が嘘であるかのように、唐突に動き出した。

 呼び止める水月を無視して、武の機体は跳躍し、孤立している真那の下へと向かう。足元に群れるBETAを完全に無視したその吶喊――まず間違いなく、真那を救出しようというのだろう。同様に彼女の退路を拓こうとしていた巽たちに合流するように、武の機体が着陸する。茜が眼にできたのはそこまでだった。思わず武を眼で追ってしまっていたが、眼前に走ってくる戦車級の対応に追われてしまい、それどころではなくなる。

(……ッ、武、たける!! 死なないで、お願い――!!)

 無理やりに捩じ伏せた叫びを、痛切なその想いを、茜は胸中に吐き出した。彼は行ってしまった。ならばもうどうしようもない。彼も自分も軍人であり、与えられた役割はただ一つ。反応炉を死守すること。ならばそのために出来る最善を成すのみである。既に小型種の多くが反応炉に到達し、エネルギーを補給している。砂糖菓子に群がる蟻のようなその様に、生理的嫌悪が噴き出してくる。――やらせない!

 もうこれ以上、敵を一匹だって通さない。通してなるものか! 背後を振り返る余裕などない茜と亮子は、とにかく前面の敵を押しとどめようと足掻きに足掻く。美冴と梼子、千鶴がそれを支えてくれる。反応炉に到達した個体を美琴が精密射撃で処理し、みちるが彼女を護る。半円の内側で壬姫は、ひたすらに前衛部隊の支援を行っていた。誰の顔にも鬼気が宿り、焦る気持ちと募る恐怖に歪んでいる。最早希望は何処にもなく、ただ意地があるだけだった。

 今日までに喪われてきた多くの仲間たちの、衛士たちの命。人々の命。涙。その全てを――無駄にしない。無駄にさせて堪るものか。ここで負ければ全てが終わる。人類を救う希望の輝きが喪われてしまえば、人類は、地球は終わりなのだ。……ヴァルキリーズの全員は、そんな悲劇を起こさせないために戦っている。そのための礎となれと、我が身我が命を懸けている。斯衛だってそうだ。煌武院悠陽殿下の御身御命を護るために戦い、散った――それは全て、彼女の導く世界を、彼女が築く平和なる日本を護るためだ。

 すべては今、この瞬間に懸かっている。横浜基地の全てを擲ったこの戦い。最早残っているのは僅かながらの斯衛と自分たちのみ。あとどれだけの時間を護りきれるのか。滅亡へのカウントダウンは確実に短くなっていた――。



 目の前が真っ赤に染まっている。見えるのは赫と黒のモノクロ。反響するような声たちが自分を呼ぶ声だと気づくのには数秒が必要だった。けれど、応えようと開いた口からは血液しか零れ落ちず、己の声は発せない。どのみち、応えている時間さえ惜しかったのだ。そして一々彼女たちに構っていられるだけの余裕などない。彼女たちならわかってくれる。彼女たちなら対応してくれる。自分が囮になれば、真那と鉄は脱出できるのだ。

 言葉にならない絶叫を振り撒きながら、武は機体を旋回させた。描く螺旋は龍の顎。ボロボロの二刀が翻り踊り、BETAの華が咲き乱れる。爆散。叩き斬った肉片が砕け飛び散り、噴き散った体液が肉共を彩る。ここが地獄というのなら、自分は鬼だ。復讐鬼。或いは殺戮鬼か。今はただ、殺すだけの獣でいい。濁流のような鼓動に脳が焼けるよう。溢れ零れ落ちる血液に、正気が喪われていく。世界は真っ赤な血に濡れて、言葉さえ紡げないというのなら。自分はもう、生きてさえいない。

 死にながら戦っていた。生きながら死んでいた。それが魔薬の多重投与によって引き起こされた奇蹟と言うのなら、武は神様だか死神だがわからないような存在に、心の底から感謝の言葉を贈りたいと思った。

 彼の――絶句するほかない戦いぶりに、その形相に、有様に……多恵は顔色を失った。一切の事情を知らずとも、最早誰の眼にも明らかだ。武は死ぬ。けれど、それでも戦っている。彼がやろうとしていること。真那と鉄の退路を拓く。押し寄せるBETAの大群にそれを成すことが出来なかった自分たちを先へと進ませるために、自身がその剣術を以って囮になろうとしているのだ。彼一機で何が出来るのか――そんな心配が無用だということは、ここに居る誰もが知っている。現に真那はたった一機で雪崩れ込むBETAの一割を押し留めているし、鉄は直進しようとする連中を惑わすことで行動を乱している。

 そのどちらもが多くのBETAを引き付けて離さないために、二人ともその場から動けなくなってしまっていた。後方に下がり、仲間と合流しようとすれば、それはそのまま引き付けた敵を連れてくることになるからだ。だが、このままでは呑み込まれてしまう。リスクを承知で合流しなければ、僅かの可能性も費えてしまうのだ。だから、武が囮になる。巽たちに向かっていたBETAの一部が武へと流れ込み、蹴散らされていく。その隙を、生まれた空隙を、斯衛の三機は見逃さなかった。同時に、真紀たちも動く。

 白い武御雷は主の下へ。蒼い不知火は鉄の下へ。――けれど、ただ一機。多恵の不知火だけは、武と共にBETAを引き付けるように銃弾をばら撒いていた。どうして、と。そう思う者はいない。きっと多恵が残らなければ誰かが残ったのだろう。夥しい血液を零れ落としながら戦う武一人を犠牲になどしない。生き残ることなど考えていないような彼を、その思惑通りに死なせてやるような優しさなど、誰も持ち合わせていないのだから。

『白銀くん!!』

 呼びかける声は弾むようで。長く連携を組んできた彼女は、まるでそれが当然であるかのように武と共闘を開始した。まともに応じることさえ出来なくなった武にも、彼女の気遣いは嬉しいと感じられる。だから、有難うと。声にさえならない呼気に乗せ、武は羅刹となった。消える一瞬前に最も苛烈に燃え上がる蝋燭のように。この命、燃やし尽くす。



『鉄少尉!! 下がってください!』

 喚き叫び、右も左も上も下もわからずにただ戦い続けていた鉄に、初めて声が掛けられる。絶大なる恐怖に神経を磨耗させていた鉄は、最初それを「敵」だと認識した。

 自分は何のために戦うのか――その答えを得られぬまま、ただ感情のままに鉄が単機でBETAの群れに突っ込んだのは、白銀武に対する怒りと憎悪、そして混乱からだった。居場所を手に入れるために戦わざるを得ない状況に追いやられた自分と、居場所がありながら戦いの中勝手に死のうとしている武。しかもそいつにはちゃんと護るものが在って、生きる理由まで在るのに――ここにオレという不遇な存在がいることにも気づかないまま、瀕死になって血を吐いている。

 それがムカついて、腹立たしくて、悔しくて、どうしていいのかわからなくなりそうで。憎しみに火がついた。激情に身を昂ぶらせた。……本当に、どうしたらいいのかわからなかったのだ。この手で殺してやりたいという憎悪が、自分を知りもしないという怒りが、自分という存在にまったく関係なく死のうとする武が、その引き金を引くきっかけになったということもあるだろう。

 つまり、鉄は戦場に酔うことを選んだのである。……そして、感情のままに弾丸をばら撒き、膨れ上がる憎しみのままにBETAを撃ち殺し続け、類稀なるその才能でXM3の性能を限界まで引き出して――単機で数十のBETAを足止めするに至ったのである。飛び出した彼を下がらせようと苦慮したまりもの叫びなど、本当にごく一部しか聞こえていなかったのだ。敵を殺すたび、化け物の肉片を36mmで散らすたび、鉄の意識は昂揚していった。炸裂し、ぶち撒けられる体液と肉が、彼の“ゲームの中での残虐性”を刺激した。

 元の世界で散々やりこんだゲームの中に、ロボットを操って群がる敵を一掃するものがあった。或いは架空の世界の武将となり、矢張り群がる敵を一網打尽にすることもあった。そういった、数で迫る敵を一方的に圧倒できる痛快な刺激を鉄は徐々に感じ始めたのである。両手に構えた突撃砲から銃火が絶えることはなく、地を壁を天井を、果てはBETAさえ足場にする三次元的な機動は一瞬たりとも留まることなく。神懸りなその機動でBETAを翻弄し、凄まじい銃撃でBETAを屠りまくっていたのだ。

 長刀を用いた独自の剣術でBETAを翻弄する真那とはまた違う凄絶さが宿る彼に、誰も手を貸すことが出来ないまま……そうして彼は、真那同様に孤立し、絶えることのないBETAに包囲されてしまう。そこからが、鉄にとっての地獄だった。自分が孤立してしまっていることに気づいたのは右手に持っていた突撃砲の銃弾がゼロになった時だ。それまで調子よく敵を殺しまくっていたのに、水が差されてしまった。つまらなそうに鼻を鳴らした鉄は左手の突撃砲で銃弾をばら撒きながら弾丸を補給するはずだったのだが、そこでようやく、全ての弾を使い尽くしてしまったことに気づく。

 従来なら在り得ないことだろう。実戦を経験したことのある衛士ならば、絶対にそんなミスはしなかったはずだ。……経験の浅い新人、或いは初陣の新兵にありがちなイージーミス。いや、昂ぶりすぎた感情にハイになるあまり気づけなかったというべきか。戦場の恐怖、BETAの恐怖に恐慌をきたした兵士は、我知らず引き金を引き絞るという。手に持った武器の全てを以って、目前の恐怖を追いやろうとすることが多いという。……鉄の状態がそれと同じだとは言いがたいのかもしれないが、少なくとも彼は、自身の周囲の状況や残弾に気を配るほどの意識はなく、それを意識しなければならないのだという認識さえ何処かに追いやってしまっていた。

 恐怖が――襲ってきた。

 慌てたように右の突撃砲のトリガーを引くも、何の反応もない。当たり前だ。弾がないのだから。――なにをやっている!? 自身への罵倒も、余計焦りを呼んだ。本当なら弾がなくなった時点で突撃砲は投棄するべきだったのだろうが、焦り、恐怖に包まれそうになる脳裏には、逃げることしか浮かばなかった。長刀一振りに短刀も備えてあったのだが、こんなに出鱈目のように襲い来る化け物の群れ相手に接近戦を行うなど、異世界からやってきた彼には無茶苦茶な自殺志願者にしか思えない。

 故に、逃げる。残る弾丸を左手に握った突撃砲から吐き出しながら、逃げに逃げた。半狂乱になりながら、どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。何故誰も助けてくれないのか。こんなにも怖い。こんなにも死にたくないと願うのに、誰一人味方がいない。孤立していた。囲まれていた。視界に映るのは全て敵。敵。敵。敵だ。自分を殺す敵。自分を喰い散らかす化け物。殺される、殺される――そんな恐怖が、濁流のように押し寄せた。

 左手の突撃砲も弾を撃ち尽くし、鉄は言葉にならない罵声を吐きながら両方の突撃砲を投げ捨てる。白い歯を躍らせる小型種が数匹潰れて死んだが、それが慰めになることはない。相変わらず敵はまとわりついてくるし、何処にも逃げ場がない。何か身を護るものが欲しくて抜き放った長刀と短刀は無闇矢鱈に振り回されるだけで、とても正常な判断が出来ているとは言えないだろう。事実、鉄の視界にはもう何も映っていなかった。BETAの姿形をまともに認識できず、喰われたくない一心で滅茶苦茶に機体を暴れさせるだけだ。

 そんな狂騒の末に、冥夜は辿り着いたのである。

『鉄少尉!! 我らが退路を拓きますゆえ、少尉は後退してください!!』

「――ぁ、ぇ、あぅ、あ?」

 冥夜だ。鉄は泣きそうになった。恐怖に茹った頭で、狂乱に振り回された感情で、よく知った彼女の顔を見た。――ぁあ、冥夜だ。彼女が助けに来てくれた。凛とした彼女の声はよく耳に馴染む。それはまるで怖くて眠れない子供をあやす母親のような安心感。もう大丈夫なのだと安心させてくれる強い声。その声を聞いて、ようやく鉄は自分を取り戻した。臨界を超えた恐怖は緩やかに去り、《鉄仮面》としての自分が前に出る。

『くっそぉぉお!! 数が多すぎる!! 御剣ィ!! はやくしろぉ!!』

『……くっ、キリがない』

 鉄がなんとか機体を冥夜の傍に寄せる間に、そのような通信を耳にする。冥夜から突撃砲を受け取りながらそちらを見れば、自分たちの後方を、二機の不知火が切り拓いてくれていた。…………自分を助けに来てくれたのだ。それを知った鉄は、これで死ななくて済むのだと――気の早すぎる――安堵をしてしまった。冥夜と共に真紀と慧が拓く退路に飛び込む。自分の知る級友たちとは別人なのだとしても、それでも、鉄はよく知った彼女たちが自分を助けてくれたことを嬉しいと感じた。本当ならそんな彼女たちとありのまま向き合っていられる武の存在に憎しみを抱くのだろうが、今ばかりはそんな余裕もなく、ただ、まだ生きていられる事実に気が緩んでしまう。

 本田真紀。という名の先任少尉の不知火の後ろを通り過ぎ、若干強気が戻りつつあった鉄は、反応炉へ向かうBETAたちを手土産とばかりに散乱させる。散々命を脅かされ、小便を漏らすほどの恐ろしい思いをさせられたのだ。それくらいの報復は当然だという気持ちがあった。四散する戦車級の群れに胸が好くようで、自尊心が満たされる。だが、鉄は逃げるべきだったのだ。形振り構わず、先ほどまでのように、ただ逃げればよかった。つまらない感情を満足させるための報復などせず、助けてくれた冥夜たちとともにまりもたちが待つ後方へと、逃げるべきだった。

 耳にまとわりつくような音だった……と思う。はっきりとは聞こえなかったのでわからないが、とにかく、そんな厭な音だったのだということは、わかった。鉄にはそんな厭な音よりも、続く冥夜叫び声の方が記憶に残っている。或いは、初めて聞いた慧の雄叫びが。

『彩峰ッッ!! 退けぇぇ!!!』

 ただ、その言葉に背中を押されるように、鉄も退いた。自分を先頭にして、冥夜と慧の不知火が三角形の形をとる。

 凄まじい戦闘を続ける武と多恵の横を通り過ぎ、同じように脱出してきた真那とその部下たちと合流し、最後尾を先ほどの武たちがついてくる。まりもと水月が自分たちを迎え入れ、ようやく合流を果たした前衛部隊は、最早ここにいてもBETAの進行を押し阻むには至らないと判断し、“全員”で、後方へ下がる。

 鉄は首をめぐらせた。網膜投影に映る彼女たちの顔を何度も数えて……首を傾げた。確か、自分を助けに来てくれた不知火は三機だったはずではなかったか。冥夜に慧……そして、初めて顔を合わせた先任衛士。何という名前だったか。どのような顔をしていたのだったか。鉄には思い出せない。何度数えても足りない。……いや、えっと、だから?

「……………………ぇ?」

 零れた自分の呟きに、鉄は背筋を凍らせる。それが戦争の恐ろしさであり、本田真紀の死だった。







 血みどろ、という言葉は、きっとこういう場所に相応しいのだろうと茜は思う。

 真紀の戦死を引き金に、ヴァルキリーズは衰退を極めた。武は既に屍と化し、機体を反応炉にもたれさせるように倒れている。最期まで武のカバーに徹していた多恵は戦車級にたかられて鉄片と混じり、亮子は機体の脚部を破壊され、要撃級の怒涛に消えた。その、あまりにも呆気なさ過ぎる戦死者の連続に、誰もが言葉をなくし、誰もが感情をなくし、誰もが希望を見失おうとしている。――血みどろだ。

 いつの間にか司令部との通信も途絶え、聞こえるのはノイズと意味を成さない喚き声たち。残り僅かな残弾を全て壬姫に託し、全員が抜刀して鬼神と化す中……茜は己の限界を悟っていた。それは肉体的なものと精神的なものの両方であり、なによりも、呼吸を停止して随分と経つ……彼への想い。鈍痛のように沈み、心が磨耗していく。もう無理だとわかっていて、もう駄目だとわかっていて、それでも、目の前に現れるBETAを斬るのは何故だろう。

 水月が言った。絶対に諦めない。

 真那が言った。死すべきは貴様らだと。

 みちるの号令に合わせて決して無駄死にをしないと自身を奮い立たせても、まりもの狂犬の如き叱咤を受けても、終わりの見えない緩やかな“終わり”は、確かにもうそこまで肉薄している。全員が直にその命を落とす。もう間もなく。すぐ……次の瞬間にでも。反応炉を背後に、たった十六機でジリ貧の戦いを続けたところで、もう、出来ることは生き足掻くこと以外になく……。

 S-11を使うタイミングを完全に逸してしまった、ということもある。元々反応炉に近しい位置での戦闘ではあったが、迎撃の初期であれば、例えばタイマーを仕掛けた状態で投擲することも可能だった。爆風や爆圧による影響はあっただろうが、その頃であったなら相当数のBETAを殲滅できていただろう。或いはS-11による自爆も、効果を挙げたに違いない。だが、それらの手段をまりもが、そしてみちるが選択しなかったのは、基地施設を出来る限り温存したいということ、絶対的に不足している人員を無闇に減らせないことの、それぞれを重んじたからだ。

 結果として反応炉まで追い込まれ、四人の戦死者を出し……成す術もなくなってしまっているわけだったが……ここで彼女らを無能と叱責するには、あまりにも彼女らは優秀でありすぎる。個々人の技能は正真正銘の最強部隊に相応しいし、死んで逝った者たちも、素晴らしい衛士たちだった。その死を無駄とは言わせない。……だが、このままではその気概さえ打ち砕かれてしまう。

 反応炉を奪還され、横浜基地を壊滅に追いやった部隊。そんなレッテルを貼られてしまうのだけは耐えられないし、許されない。最高の仲間たちだった。最高の部下であり、先任だった。誰も彼も、皆。――だから戦う。だからまだ戦っている。だから諦めないし、死すべきはBETAだと戦える。どれだけ血みどろになろうとも。どれだけ喚き散らそうとも。涙枯れ果てて尚、勝利して歓喜の涙を流すために。

 そしてもう一つ。費えかけた希望に灯を点す者がいた。彼という存在に火をつけた言葉が在った。

 それは白銀武という名の青年が、名と顔を剥奪された彼に宛てた言葉。自らの血に溺れ、眼球や口鼻から血液を吐き零し絶命した白銀武の、最期の言葉。それは茜への遺言であり、愛であり……水月への親愛と感謝であり、真那への礼と信愛だった。

 決して、彼に宛てられたものではない。けれど、紛れもなく……彼に宛てられた言葉だった。最期の、ただその一言だけは。



 “純夏――お前を護ってやれなくて、ごめん”



 青白い燐光を放つ反応炉へ向けて、呟くように。まるで“そこ”に彼女がいるかのように。愛しげに、寂しげに、悔しげに。茜へ、水月へ、真那へ宛てた言葉たちのなによりもすまなそうに……向けられた、謝辞。

 瞬間。

 《鉄仮面》に変化が起きる。それは覚醒と呼べるほどの、ナニカ。脳髄に流れ込む――自分の知らない自分の、十八年の記憶。

 『なんのために戦うのか』。その理由を、解を得た瞬間だった。






前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.08066201210022