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No.1154の一覧
[0] Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~ 『完結』[舞天死](2009/02/11 00:34)
[1] [序章-01][舞天死](2009/02/11 00:30)
[2] [序章-02][舞天死](2008/02/11 16:02)
[3] 復讐編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:03)
[4] 復讐編:[一章-02][舞天死](2008/02/11 16:03)
[5] 復讐編:[一章-03][舞天死](2008/02/11 16:04)
[6] 復讐編:[一章-04][舞天死](2008/02/11 16:05)
[7] 復讐編:[二章-01][舞天死](2008/02/11 16:05)
[8] 復讐編:[二章-02][舞天死](2008/02/11 16:06)
[9] 復讐編:[二章-03][舞天死](2008/02/11 16:07)
[10] 復讐編:[二章-04][舞天死](2008/02/11 16:07)
[11] 復讐編:[三章-01][舞天死](2008/02/11 16:08)
[12] 復讐編:[三章-02][舞天死](2008/02/11 16:09)
[13] 復讐編:[三章-03][舞天死](2008/02/11 16:09)
[14] 復讐編:[三章-04][舞天死](2008/02/11 16:10)
[15] 復讐編:[四章-01][舞天死](2008/02/11 16:11)
[16] 復讐編:[四章-02][舞天死](2008/02/11 16:11)
[17] 復讐編:[四章-03][舞天死](2008/02/11 16:12)
[18] 復讐編:[四章-04][舞天死](2008/02/11 16:12)
[19] 復讐編:[五章-01][舞天死](2008/02/11 16:13)
[20] 復讐編:[五章-02][舞天死](2008/02/11 16:14)
[21] 復讐編:[五章-03][舞天死](2008/02/11 16:14)
[22] 復讐編:[五章-04][舞天死](2008/02/11 16:15)
[23] 復讐編:[六章-01][舞天死](2008/02/11 16:16)
[24] 復讐編:[六章-02][舞天死](2008/02/11 16:16)
[25] 復讐編:[六章-03][舞天死](2008/02/11 16:17)
[26] 復讐編:[六章-04][舞天死](2008/02/11 16:18)
[27] 復讐編:[六章-05][舞天死](2008/02/11 16:18)
[28] 復讐編:[七章-01][舞天死](2008/02/11 16:19)
[29] 復讐編:[七章-02][舞天死](2008/02/11 16:20)
[30] 復讐編:[七章-03][舞天死](2008/02/11 16:20)
[31] 復讐編:[七章-04][舞天死](2008/02/11 16:21)
[32] 復讐編:[八章-01][舞天死](2008/02/11 16:21)
[33] 復讐編:[八章-02][舞天死](2008/02/11 16:22)
[34] 復讐編:[八章-03][舞天死](2008/02/11 16:23)
[35] 復讐編:[八章-04][舞天死](2008/02/11 16:23)
[36] 復讐編:[九章-01][舞天死](2008/02/11 16:24)
[37] 復讐編:[九章-02][舞天死](2008/02/11 16:24)
[38] 復讐編:[九章-03][舞天死](2008/02/11 16:25)
[39] 復讐編:[九章-04][舞天死](2008/02/11 16:26)
[40] 復讐編:[十章-01][舞天死](2008/02/11 16:26)
[41] 復讐編:[十章-02][舞天死](2008/02/11 16:27)
[42] 復讐編:[十章-03][舞天死](2008/02/11 16:27)
[43] 復讐編:[十章-04][舞天死](2008/02/11 16:28)
[44] 復讐編:[十一章-01][舞天死](2008/02/11 16:29)
[45] 復讐編:[十一章-02][舞天死](2008/02/11 16:29)
[46] 復讐編:[十一章-03][舞天死](2008/02/11 16:30)
[47] 復讐編:[十一章-04][舞天死](2008/02/11 16:31)
[48] 復讐編:[十二章-01][舞天死](2008/02/11 16:31)
[49] 復讐編:[十二章-02][舞天死](2008/02/11 16:32)
[50] 復讐編:[十二章-03][舞天死](2008/02/11 16:32)
[51] 復讐編:[十二章-04][舞天死](2008/02/11 16:33)
[52] 復讐編:[十三章-01][舞天死](2008/02/11 16:33)
[53] 復讐編:[十三章-02][舞天死](2008/02/11 16:34)
[54] 復讐編:[十三章-03][舞天死](2008/02/11 16:35)
[55] 守護者編:[一章-01][舞天死](2008/02/11 16:36)
[56] 守護者編:[一章-02][舞天死](2008/02/13 21:38)
[57] 守護者編:[一章-03][舞天死](2008/02/17 14:55)
[58] 守護者編:[一章-04][舞天死](2008/02/24 15:43)
[59] 守護者編:[二章-01][舞天死](2008/02/28 21:48)
[60] 守護者編:[二章-02][舞天死](2008/03/06 22:11)
[61] 守護者編:[二章-03][舞天死](2008/03/09 16:25)
[62] 守護者編:[二章-04][舞天死](2008/03/29 11:27)
[63] 守護者編:[三章-01][舞天死](2008/03/29 11:28)
[64] 守護者編:[三章-02][舞天死](2008/04/19 18:44)
[65] 守護者編:[三章-03][舞天死](2008/04/29 21:58)
[66] 守護者編:[三章-04][舞天死](2008/05/17 01:35)
[67] 守護者編:[三章-05][舞天死](2008/06/03 20:15)
[68] 守護者編:[三章-06][舞天死](2008/06/24 21:42)
[69] 守護者編:[三章-07][舞天死](2008/06/24 21:43)
[70] 守護者編:[三章-08][舞天死](2008/07/08 20:49)
[71] 守護者編:[四章-01][舞天死](2008/07/29 22:28)
[72] 守護者編:[四章-02][舞天死](2008/08/09 12:00)
[73] 守護者編:[四章-03][舞天死](2008/08/29 22:07)
[74] 守護者編:[四章-04][舞天死](2008/09/21 10:58)
[75] 守護者編:[五章-01][舞天死](2009/02/11 00:25)
[76] 守護者編:[五章-02][舞天死](2009/02/11 00:26)
[77] 守護者編:[五章-03][舞天死](2009/02/11 00:27)
[78] 守護者編:[五章-04][舞天死](2009/02/11 00:28)
[79] 守護者編」:[終章][舞天死](2009/02/11 00:28)
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[1154] 守護者編:[五章-04]
Name: 舞天死◆68efbbce ID:c760b461 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/02/11 00:28


『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』



「守護者編:五章-04」






 途切れ途切れのその声は、酷く虚ろで、血に濡れていて、聞き取りにくいものだったはずなのに……妙に、脳裏に響く。口腔を血液に溢れさせているはずの武の最期の声は、それでも確かに全員に届いていたし、想い人へ宛てられた温もりは、それぞれの胸に刻み込まれたのだろう。それは、クスリの多重投与に耐えられなかった脳ミソが激変した結果得られたプロジェクション能力だったのかもしれないし、そんな言葉を聴きたかったという彼女たちの思い込みだったのかもしれない。いずれにせよ、彼が戦死した以上、その事実を確認することは出来ないが、……それでも、紛れもなく。鉄は彼の声を聴いたのだ。

 純夏、と。

 茜や水月、真那は眦に涙を浮かべ、零れ落ちるそれらを無視して尚、我武者羅に戦いとおしている。武が抜けた穴を必死に護り抜こうとした多恵は、その直後に、まるで武の死に引き摺られるように戦車級に覆われてしまった。一番近くにいた亮子が多恵の機体に群がる化け物を引き剥がそうとしたが、隙をついた要撃級に脚部を破壊され、泣き叫ぶ多恵の断末魔を聞きながら、数多のBETAに踏み潰されて絶命してしまう。一緒に頑張ろう――そう約束しあった彼女たちは、約束を果たすことが出来ないことを悔しいと思う間さえなく、あっという間に、この世から消えてしまったのだ。

 それが、理解できない。鉄には、一体今、何が起こっているのかがわからなかった。……今更、である。今更ではあったが、それでも、白銀武が何を言ったのかわからなかったし、多恵や亮子が死んだ意味もわからない。少し前にも一人が死んだ。……。

 純夏、だって?

 呆然と立ち尽くす黒い不知火に、怒りを滲ませた水月の罵声が飛ぶ。弟分を喪った水月は、つい感情に任せてしまったのだが、すぐに後悔した。例え怒りをぶつけたとしても、武たちは還ってこない。それを知りながら、それでも、大切な人たちを奪っていくBETAへの憎しみを何処かに吐き出してしまいたかったのだ。無論、すぐに頭を切り替えられなければ次に死ぬのは自分であり、或いはその自分をフォローしてくれた仲間かもしれないので、染み付いた衛士としての習性が、彼女を冷静にさせる。――あんな言葉をもらって、死ねるわけがない。

 そんな水月の胸中を知る由もない鉄は、呆然と反応炉を見上げた。巨大なその足元にもたれる白銀武の不知火を見つめ、混乱によろめいてしまう。……なにが、起こっている。何を言ってるんだ、お前は。なんて、言ったんだよ……お前は!

「ふざけるな……ッ」

 脳髄に流れ込んでくるナニカがある。白昼夢のように雪崩れ込んでくる泡沫の夢。少女を護るのだと意気込み、教わった剣術に明け暮れ、衛士を目指すために努力を続け、仲間と出会い共に過ごし、大切な彼女を喪ったことに嘆き狂い、手を差し伸べられ、背中を支えられ、進むべき道へ導かれ、復讐に溺れ我をなくし、愚かさに嘆き、過ちに涙し、運命の非業さに己を見失い、世界の裏側を垣間見、自身と彼女に課せられた悪意を呪い、赦されざる大罪を背負い、運命を受け入れ、愛に気づき、護るのだと誓って……結局、護れないままに、息絶える。

 それは、たったそれだけの十八年間の日々。自分の知らない自分の物語。――知るか……知るかよッ! そんなものッッ!!

「なに死んでんだよ!? 何で死んでるんだよ!? てめぇ!! ふざけるなぁあ!! オレに気づきもしないで! オレを知りもしないで!! なんで、どうしてっ!? オマエはオレが殺したかったのに!! オレはオマエを殺したかった!!!! なのに! じゃあオレはどうすればいいんだ?! オレにどうしろって言うんだよ!! オレはオマエだ! オマエはオレなんだよ!! なのに、オレだけがこんな仮面を押し付けられて、夕呼先生に弄ばれて!! ――オマエに復讐するしかないじゃないか! 全部オマエのせいだって、押し付けて憎むしかないじゃないかよッッ!? ふざけんな! なんでそんな勝手なことを言って死んでいくんだ!! オレに押し付けて、オレに“こんなもの”見せて! どうしろっていうんだ、畜生ォォォォオオ!!!」


 ――純夏――お前を護ってやれなくて、ごめん



 その言葉が、抉るように。

 何度も脳裏を過ぎる。繰り返し繰り返し、抉るように紡がれる。白銀武は反応炉へ向かって言った。まるでそこに純夏がいるのだと言うように――そして、それは真実なのだと鉄は知ってしまった。もし“それ”がこの世界の白銀武の記憶だというのなら。いつも無邪気に笑顔を振り撒いていたあの勝気な幼馴染は、脳ミソと脊髄だけでこの世界に生きていることになる。BETAという名の化け物の技術で、今もまだ、反応炉に繋がったまま、ぷかぷかと浮かんでいるのだ。

 この世界にいないんじゃない。こんな世界に、産まれ、生きて、白銀武に恋をして……今もずっと、独りぼっちで生かされている。鉄の脳裏を、純夏の笑顔が過ぎる。それはこの世界の白銀武の記憶ではなく、紛れもない、自分自身の記憶。その中の彼女。くるくると表情を変えて、いつも楽しそうで、いつも莫迦をやって、からかって、叩いて、殴られて、頬を膨らませたり、飛び跳ねたり、大声で名前を呼んで、走ってきて――ぁぁ、ぁぁぁあ!

「知るかよ! オマエの記憶なんて知るか!! オレは“オレ”だ!! オマエじゃねぇ!!」

 あまりにも――違う。違いすぎる。この世界と自分がいた世界。それはこんなにも、こんなにも大きな隔たりを以って、鉄を責め苛む。白銀武の意思も想いも苦しみも悲しみも絶望も後悔も罪も逃避も心も復讐も怒りも優しさも涙も喜びも愛も。全部全部、なにもかも、それは白銀武のものだ。それは紛れもなく彼の全てであり、彼自身であり、間違っても鉄のものではない。――これほどに、違う人間だったのだ。

「オレは――」

 白銀武を殺して、復讐して、“白銀武”に成りたかった。元の世界に還りたくて、でも還る手段なんてなくて……こんな酷い異世界に居場所がないというのなら、そこに自分と同じ顔と名前をしたもう一人がいたなら、そいつの居場所を奪い取って、自分の座る椅子が欲しかった。そいつがいるから自分は名前を顔を奪われ、薄暗い檻に閉じ込められ、存在を秘匿され、道化を強制されたのだ。『だから』、呪わしい。『だから』憎んだ。殺してやりたかった。本当に。許せなかった。心の底から。どうしてという怒りが、理不尽な世界を憎ませた。

 なのに。白銀武は死んでしまった。幼馴染を護るために衛士を目指した男は、復讐にとり憑かれ道を見失い、外道と成り果てながらも捧げられた愛に守護者を夢見た。後悔と絶望に塗り潰され、そして深い愛に満ちた彼の人生は、その短い幕を閉じてしまった。後悔なく。愛する者に看取られて。血反吐にまみれて死ぬだけの最期の生を。

「オレは――オマエじゃない、オマエなんかじゃ、ない」

 この世界に白銀武はひとりだった。“そいつ”と“自分は”、こんなにも、あまりにも、異なっていた。違う人間だった。名前や顔なんて関係なく。本当に、文字通り別人だったのだ。自分は異分子で、ここは異世界で、つまりは最初から……そういうことだったのだ。この世界に居場所なんてあるはずがなかった。この世界に生きる意味などあるはずがなかった。……でも、それでも、だからといって死ぬ理由なんてない。ここに居てしまっている。ここに存在してしまっている。自分は。それでも尚、ここに確かに“居る”し、“在る”のだ。

 守護者になると誓い、愛する者を――茜を――護るのだと誓った白銀武は、その誓いを果たせずに死んで逝った。愛する幼馴染を、純夏を護りたいと願っていた彼は、原初の願いさえ果たせぬまま、死んで逝った。ザマァみろ。同情なんてするものか。哀れだなどと思うものか。苦しんだのは自分も同じだ。狂いそうだったのはオマエだけじゃない。生きる理由を見失って、復讐を選択したのも……オマエだけじゃない。

 運命を受け入れる? 死ぬだけの日々を精一杯生きる? ――だから、どうした。結局オマエは、何一つ成せないまま無様に死んでしまったじゃないか。茜を泣かせ、純夏を放り出して、自分勝手に満足して。悲劇の主人公にでもなったつもりか。…………。

「違ぅ……」

 それは自分のことだ。悲劇の主人公ぶって、白銀武に復讐することを選ばざるを得なかった、なんて。そんな――甘え。

 この世界は異世界で、ここに自分の居場所なんてなくて、生きる理由も、死ぬ理由も、護るべき者も、護ってくれる者も、なにもない。誰が悪いわけでもなかった。白銀武に成れるはずがなかった。けれど、それでも、と。どうしても思わずにはいられない。……もし、この世界の白銀武が今日ではなく、もっと早くに死んでいたなら。戦死でも病死でもいい。もし……自分がこの世界に紛れ込んでしまうその前に、既に他界していたならば。…………この《鉄仮面》を課せられることはなかったのかもしれない、と。

 怨むは筋違いであり、呪う相手などいないと気づいても。それが運命だなどとは到底受け入れられない。そんな弱さを“弱い”と断じることは……鉄には出来なかった。だから、自分には矢張り復讐しかないのである。死んでしまった白銀武に対する復讐。ただそれだけを、果たすほかない。



 白銀武は鑑純夏を護れなかった。

 だから、オレが純夏を護る――それが、あの日の約束を果たせなかったオマエへの、復讐だ。



 復讐の守護者。それが、鉄の選んだ道。無限に拡散した世界に散り行く“この世界の白銀武”の因果の流動を垣間見、『なんのために戦うのか』、その理由を、解を得た瞬間だった。







 ===







 反応炉で死に物狂いの攻防を続けているだろうA-01と連絡が途絶えてから数十分が過ぎようとしていた。通信機器に異常はみられないのに、電波だけが遮断されている。ハイヴ内での通信を妨害する何某かが、まさかBETAにも備わっているとは誤算だった。得体の知れない焦燥が司令部を覆い、夕呼でさえ、表情にハッキリと苦悶を浮かべている。部下を親友を信じているという思いと、最早全てが手遅れなのかという焦り。手の平の汗を白衣のポケットの中で拭い、思い切り奥歯を噛み締める。

 危険を冒しての反応炉停止は無駄に終わった。メインシャフト以外のルートから基地に侵入した小型種が制御機器を破壊してしまったのか、最下層にあるケーブルを噛み切ったか……否。停止操作に向かったピアティフや歩兵部隊と連絡が取れない以上、そして反応炉停止が確認できない以上、――つまりは、そういうことだった。夕呼自らが赴くことを制止した遙さえを遮り、死地へ赴くことを厭わなかったピアティフ……。世界の未来のために夕呼の生存は絶対で、“これからのA-01”のために遙は絶対に必要なのだと言いのけて。

 そうして、彼女は還ってこなかった。……夕呼は自身の片腕を喪ったのである。そして、その腕はかつて無くした右腕と違い、もう戻ってこない。

 地上には未だ数百を数えるBETAが蔓延り、それを抑えるべく奮迅してくれていた斯衛も全滅した。地下に避難させていたはずの煌武院悠陽は警備兵を押しのけて司令部へとやってきて、その最期の光景を、堂々たる佇まいで看取っていた。自分によく仕えてくれた忠臣の死に様を誇らしげに想う悠陽は、悲しみを胸に秘め、夕呼へハッキリと言い放つ。――この基地を救いなさい。なんとしても。言われなくてもわかっている。諦めるつもりなど最初からない。

 この基地が救えない程度の天才であるならば、元より世界など救えない。反応炉を喪い、鑑純夏の脳を喪ってしまえば、人類に未来はないのだ。……だが、この絶望的な状況を覆せる可能性は限りなく少ない。エネルギー切れを待つといっても一体いつ切れるのかわからないし、反応炉を死守しているはずのA-01はもう全滅しているかもしれない。BETAはエネルギーを補給したならばまず間違いなくこの基地を破壊し尽くすだろう。ハイヴ周辺が例外なく無謬の荒野と化していることは常識だ。

 あと十数分もすれば斯衛や周辺基地からの救援が到着すると連絡があったが……果たして、間に合うか否か。BETAのエネルギー切れが先か。基地施設が食い荒らされるのが先か。援軍が到着し、全滅させるのが先か。…………援軍が到着しても、果たして反応炉まで辿り着くのはいつになるのか。いずれにせよ、A-01の生還は絶望的だ。BETAの猛撃を真正面から受けてたった斯衛はもう居ない。同じように彼女たちが死んでしまっていたとしても、何の不思議もないのだ。

 そんな思考に意味はなく……。今こうして司令部に敵の脅威が及んでおらず、ここから把握できる限りの施設も無事だというなら、それが夕呼にとっての全てだ。既に反応炉が敵の手に落ちていようが、A-01が全滅していようが関係ない。如何にしてこの状況を覆すか。基地を……否、鑑純夏の脳を守り抜くか。それだけでいい。BETAに捕らえられ、BETAの手によって脳と脊髄だけで生かされている彼女さえ在れば――。

 だが、そんな方法は確立できていないし、BETAがどういう技術で彼女の脳を生かしているのかさえ解明出来ていない。基地を放棄できたならいっそ楽だったのかもしれないが、そんなことをすればAL4は即中断され、夕呼はその地位を追われるだろう。そうなれば、人類を救うどころではなくなってしまう。本末転倒だ。……成す術などなにもない。悔しいくらいにそれを理解していて、それ故に、無駄な思考が巡ってしまう。

 歯痒い。それは00ユニットを完成できない苛立ちに似ていた。量子電導脳を完成できない悔しさに似ていた。自分の力ではどうしようもないのかと、己の無力さを痛感するとき。手の平に食い込ませた爪が、肉を裂いて血を流す。成す術はないのか。最早手はないのか。ただ座して援軍を待つ……それしか、出来ないのか。戦術機甲部隊は全滅した。機械化歩兵部隊もとっくに壊滅している。整備士が決死の覚悟で予備の戦術機を動かして応戦したりもしたが……須らく残骸と化した。戦力はもうない。あるとすれば将軍専用の武御雷一機と、未完成のXG-70くらいか。

 ムアコックレヒテ機関を暴走させて基地ごと自爆してやるか? BETAはメインシャフトに殺到したため、90番格納庫は無事だ。必要な手順さえ教えれば、誰だって自爆させることが出来る……。いや、駄目だ。想定では『G弾』二十発分の威力を持つはずだから、被害範囲は尋常ではない。下手をすると帝都まで呑み込んでしまうかもしれない。地球全人類を道連れにする覚悟が必要だ。00ユニット一つのために、地球を喪うことは夕呼にも選べない。それならば00ユニットを切り捨ててでも生き延びて、いつか自力で00ユニットを完成させてみせる。

 いずれにせよ、待つしかない。援軍の到着を。BETAのエネルギー切れを。或いは連中がここを襲ってくるのを。――A-01の、生存を。成す術なく、己の無力さに憤りながら。ただ、重い沈黙を保ったまま、運命が拓けるそのときを。







 ===







 美琴の提案は想像以上の効果をもたらしていた。反応炉に取り付いたBETAはエネルギー補給を最優先して動かない。彼女自身半信半疑であったようだったのだが、反応炉よりも後方に下がり道を開けてやると、連中は砂糖菓子に集る蟻のように反応炉へ飛びついたのである。無我夢中、という言葉があるが、進路を阻んでいるときは容赦なく飛びついてきた化け物が、一切自分たちに目もくれない光景というのは……些か複雑であった。

 それは反応炉に取り付いた個体を精密射撃で撃ち殺していた時に気づいたのだという。ただ、その時はとにかく反応炉から引き剥がすのに夢中で、且つ、全員が混戦に巻き込まれていて死に物狂いであったため、すぐに思考の隅に追いやってしまった。真紀をはじめとして、武、多恵、亮子が戦死し、どうしようもないほどに追い詰められ……それでも諦めずに戦う姿を見せ付けてくれた真那や水月の姿に勇気を与えられ、希望を見せ付ける鉄の機動に勇気を与えられて――唐突に、思い出したのだ。

 逼迫した精神状態では思い出さなかっただろう。極限までおいやられ、磨り減らした心身では、思い出せなかった。美琴は頷く。思い出せたのは、心に僅かなりとも余裕を、自信を取り戻せたからだ。――彼のおかげで、ボクはまだ戦える。

 それは黒い不知火。武たちの死後、決して短くない時間、呆然と立ち尽くしていた鉄は、武の屍に向けて叫んでいた。その言葉の殆どを誰も理解できなかったが、それでも、彼が武の死に憤っていることはわかった。白銀武。訓練兵の頃より夕呼の特殊任務に携わってきた彼ならば、同じく夕呼秘蔵の天才衛士と繋がりがあったとしてもおかしくない。そういう、どこか自分たちの知らない繋がりを持つ故に、武の死に嘆いているのか――そう思ったときだった。

 英雄とは。或いは、希望もたらすものとは。きっと、鉄のような人物を指すのだろう。壬姫の周囲に集められた突撃砲と弾薬を奪い取った鉄は、唸るような咆哮と共に飛び上がり、中空から敵を薙ぎ払い始めた。壁を蹴り、天井を蹴り、縦横無尽に、重力さえ感じさせないほどの超絶機動。XM3の真価を惜しげもなく発揮しながら、彼は羅刹の如く敵を屠り、或いは地上に降りた瞬間に抜刀し、見覚えのある螺旋軌道で敵を切り裂いて見せた。

 その瞬間を、美琴は――彼女だけではない。全員が目にしていた。BETAが、怯んだのである。鉄の機動に。鉄の反撃に。鉄の気迫に。鬼気迫るその荒ぶりに。全員が勇気付けられ、全員が諦めることを忘れ、全員が希望を抱いた。――まだ、やれるのだと。鉄の機体が特別なのではない。同じ不知火。同じXM3。違うのは、異なるのは、それを操る者の技量知識気概のみ。諦めるな。戦え。鉄のように。抗え。死ぬな。生きて戦え。――鉄のように!

 最期の応戦が始まった。

 最期の攻防が繰り広げられた。残り僅かな残弾を確実に喰らわせ殺し、ボロボロの長刀を突き立て殺した。そうした中で美琴は忘れていたBETAの習性らしき違和感を思い出し、飽和しそうな物量に成す術を喪おうとしていた現状を打破できる可能性が一厘でもあるならばと決断したまりもが提案を受け入れ…………A-01は、ヴァルキリーズは、辛うじてまだ、命をつないでいる。

 絶対に辿り着かせてなるものかと足掻きに足掻いた反応炉に敵を群がらせるという暴挙によって。食事に夢中な連中を手当たり次第に殺すことで。薄皮一枚で繋がった首を、必死の思いで繋いでいたのだ。皮肉としか言いようがない。最初から道を明け渡していれば、連中は反応炉に至るまでに立ち塞がった自分たちを蹂躙するなどなかったのだ。多くの、あまりにも多くの命を犠牲にして。素晴らしき仲間たちを喪って。最後の最期には、こんな手段をとらねば戦えない。その悔しさに、怒りに、涙を流す者も居た。

 それでも、反応炉を奪還させないことが至上命令であることに変わりはなく。例えどれほど屈辱にまみれた手段であろうと、反応炉さえ護りきればそれでいいのだ。そうでなければならないのだ。何人死のうが、どれだけ悔しかろうが。逝った仲間たちを無駄死ににさせないためには、なにが何でも任務を果たすほかないのである。

 まるでお行儀よく並ぶBETAの列。お目当ての反応炉は、連中にとっても何よりも大切なものだということだろう。最下層を埋め尽くす長い長いBETAの列のその先頭。反応炉にびっしりとこびりついた小型種を短刀で殺ぎ落とし、しがみつく戦車級を長刀で突き刺し殺す。そうやって順番に、一匹ずつ。確実に殺し、ちまちまと殺し、剥がれ落ちたその場所に張り付いた次のBETAを、次のBETAを、その次のBETAを。殺して殺して、順番に行儀よく。莫迦みたいに殺す。反応炉に張り付く敵を。

 完全にエネルギーを補給し終える前に殺す。どんどん殺す。本当に皮肉だ。連中は反応炉にさえ到達してしまうと本当に、まったくこちらを見向きもしない。あれほど苛烈を極めた戦闘が遠い過去のように思えてしまう。まるでたちの悪い悪夢を見ているかのよう。食事中以外のBETAに近づくと襲ってくるので、どうやら敵に反応することに違いはないようだったが……それが一体何の慰めになるというのか。

 狂いそうだった。無我夢中に、我武者羅に。ただ行かせるものかと地獄のような戦闘を続けていたほうがマシだった。罵詈雑言にまみれ、返り血に濡れ、理性をなくした獣のように殺戮の嵐の渦中に居たほうが、きっとマシだった。後どれだけの時間、“これ”を繰り返せばいい。反応炉の光が見えないほどに張り付いた化け物どもを淡々と順番に満遍なく殺す。“そんな作業を”、あとどれだけ続ければ解放される?

 一秒が長い。一瞬が遠い。果ての見えないBETAの列が、その長さが、仲間たちの死を磨り潰していく。鉄を救うために身を挺した真紀は一体何故死ななければならなかったのか。夕呼に脳改造を施され死を間近に控えていた武は、どうしてあんな無残な死に方をしなければならなかったのか。多恵は、亮子は。第一から第七まであった戦術機甲部隊の全員は。斯衛一個大隊は。

 気が、狂いそうだった。磨り減らされた神経が、磨耗した精神が、更に更に磨り潰されていく。一体何のための戦いだったのか。一体何のために戦っていたのか。一体、何のために、死んで逝ったのか。彼らは。彼女らは。どうして。こんな、餌に群がるだけのBETAなんてものに、喰われ殺されなくてはならなかったのか。――もうやめてくれ。そして、もうやめさせてくれ。願っても願っても、BETAはその数を減らさない。最下層に響くのは、ひしめき合うBETAの気配と、狂わんばかりの思考の渦に苦悶するA-01の泣き声だけだった。

 それは全員の胸に最期の希望を抱かせた鉄も例外ではない。白銀武の記憶を垣間見たことで、彼はBETAとの戦争の凄惨さを知った。それはいつだって哀しみの連続で、それはいつだって残酷さと隣り合わせだった。呆気なく死んでしまった先任たち。恐怖の絶叫に塗りつぶされて命を落とした彼女たち。仲間のミスで、或いは自らの不運で。BETAに殺された数多くの人々。

 それがBETAとの戦争だった。復讐の狂気に自身を喪失してしまうことを恐れ、戦争の狂気に飲み込まれることを恐れた。先任の死に怯え、己の過ちに脅え。そうして何度も間違いを繰り返しながら、復讐心、恐怖心、そういったものに折り合いをつけてきたのだ。――それが、白銀武にとっての戦争だった。愛する者を護るための、BETAとの戦いの全てだった。

 だというならば。

 これは一体なんだ。“この作業”は一体なんだというのか。こんなものが戦争であるものか。こんなものがBETAとの闘争であるものか。こんな、……こんなっ! ただ繰り返し反応炉に群がるBETAを一匹ずつ潰していく作業が、単調でただ苦いだけの、繰り返すたびに苦味を増すだけの狂おしい“流れ作業”が!! ――これがBETAとの戦争であるわけがない!!

 これは地獄だ。ここは地獄だ。全身全霊を以ってBETAとの戦いに明け暮れた方がまだマシだ。生きているという実感。例え恐ろしい地獄のような戦場でも、自分は間違いなく生きて、戦って、護っているのだというちっぽけな自己満足を得られたはずだ。なのに、ここにはそれがない。生きている実感がない。戦っているのだという、護っているのだという実感が、微塵たりともありはしない。

 一体何故死んだのか。どうして白銀武は死んでしまったのか。こんなことならば、彼は命の全てを懸けて戦うことなどなかったのだ。この最下層が戦場に選ばれた時点で、皆が揃って反応炉よりも後方に構えていれば、こうして砂糖菓子に群がる蟻の群れを駆逐できたというのに。結果論でしかなく、暴論でしかないことも理解していたが……それでも、そう思わずにはいられない。苦しい。苦い。もうやめてくれ。そんな言葉が無意識に蠢く地獄のような時間。

 鉄は、変質してしまった。僅か一時間にも満たない戦闘の間に、彼は完全に……平和だった“あちらの世界”の住民ではなくなってしまっていた。BETAを知り、共に戦った者の死を知り、BETAの戦争を知り、これほどまでに狂おしい戦争を知った。白銀武という一人のニンゲンの人生を、その、あまりにも報われない終幕を知ってしまった。――もう、無知な餓鬼ではいられない。ぬるま湯の平和など幻想に過ぎない。

 自分はこの世界で、鉄として生きるしかないのだ。異世界に紛れ込んでしまった不遇を呪い、この鉄の仮面を押し付けられる原因となった白銀武へ復讐するしかないのである。もう戻れない。戻る方法もない。……戻れたとしても、こんな世界を知ってしまった以上、元の自分には戻れない。故の変質。この世界で、生きるしかない。哀しく、苦しく、嗚咽を漏らしながら。戻れない現実に、戻れない過去に、鉄は涙する。嗄れるほどの嗚咽を咆哮へと変えて。涙しながらに、BETAを殺し続けた。







 ===







 果たして、どれだけの時間が経ったのか。

 鉄の記憶に残っているのは、BETAの屍骸と残骸、体液に埋もれた惨憺たる光景。反応炉の輝きさえ濁りきった地獄の底。その次には場面が切り替わっていて、白い天井と蛍光灯の明かりが見えた。……それが病室のベッドなのだと気づくのに数分を要し、自分がまだ生きているのだと把握するのに更に数分を必要とした。――BETAは。奴らはどうなった。あの地獄のような苦い戦闘は……、どう、なったのか。

 跳ねるように身を起こし、病室を転がり出る。開け放したドアから廊下に飛び出ると――衛生班が忙しそうに走り回っていた。廊下のあちこちに蹲る兵士たち、或いは担架に乗せられたまま白い布を被せられているもの。血の滲んだ包帯を巻いているもの、怯えたように医師の腕を握り締めるもの。さまざまだった。呆然とその混乱を見やり、鉄は知る。…………あの地獄は、もう終わったのだ。

 ふらつくまま病室へ戻り、さっきまで寝かされていたベッドに腰掛ける。そのときにようやく、ベッドの脇に腰掛ける霞の姿に気づいた。どうやら自分が目を覚ますまで看病してくれていたらしいのだが、そんな彼女に掛ける言葉を、鉄は持っていなかった。ぼんやりとしたまま、室内を見回す。……個室、だった。廊下にまで怪我人が溢れているこの状況で、どうして自分は個室に寝かされていたのだろう。もっと、自分より酷い怪我をしている人のために使ってやればいいのに――何気なくそう思ったときに、霞が手を添えてきた。右手の甲に置かれた小さな白い手を見つめる。次いで見上げた少女の表情は、泣いているようだった。

「……なぁ、霞」

「…………はい」

 虚ろ、とも表現できるような声で、鉄はぼんやりとしたまま問いかける。銀色の髪の少女は、彼の心の声を聞き取れる彼女は、泣きそうな顔のまま、けれどしっかりと頷いた。

「オレ、どうなったんだ? ……みんなは? べーた、は……」

「終わったんです。……もう、全部終わりました」

「そ、か」

 曖昧模糊とした記憶。あの後なにがあったのか。自分が生きていて、あの戦闘が終わったというのなら、それは作戦に成功し、任務を達成できたということなのだろう。つまり、BETAのエネルギーが切れたか、援軍が間に合ったのか。……酷く眠い。酷く疲れている。頭がうまく回らない。白銀武が死んだ。彼の仲間たちも死んだ。まるで泥沼のような持久戦。ただひたすら狩り続けるだけの狂いそうな時間。

 全部、終わった。

 ――全部って、なんだよ。

「……純夏は、無事なのか?」

「――――、はい。純夏さんは無事です。反応炉も正常に稼動しています」

「ほかのみんなは?冥夜は、彩峰は、委員長、たま、美琴……月詠さんや、三バカは? A-01の人たちは?」

 鑑純夏の名が出たそのとき、確かに霞は動揺した。いや、鉄がそのことを知っているということを、彼が白銀武の記憶を受け継いでいるという驚愕の事実を霞はリーディングで読み取って把握していた。故に純夏の存在について彼が言及したとしても、それは驚くべきことではない。けれど、霞にとって鑑純夏という存在は矢張り特別だった。そして、彼女が常に想い続ける彼――シロガネタケルも。

 霞の知るシロガネタケルはこの世界には二人存在していて……そして、その内の一人、白銀武は戦死してしまった。自身と同じリーディング能力を授かるために脳を改造された彼は、その副作用に犯されながら、地獄のような戦場の中、羅刹の如く戦い、凄絶な死を遂げたそうだ。……誰に聞いたわけでもない。ただ、彼と親しかった真那の思考を読んだ際に知ったのだ。

 そしてもう一人。目の前に居る彼。鉄。偽りの名を与えられた、異世界からの来訪者。香月夕呼の因果律量子論を証明する人物。AL4における彼の重要度は自分など比較にならないほどだ。……恐らくは、00ユニット完成の鍵を握るだろう人物でもある。彼が一人個室に寝かされていたのは機密保持を兼ねた措置であり、現在はあの《鉄仮面》も外されている。内側からの開錠は可能だが、オートロックにより外部からの侵入を防止している。先ほどは彼が突然外に飛び出したので慌てたが、廊下に半歩踏み出した状態で戻ってきたためことなきを得た。

 そんな、夕呼にとっても霞にとっても重要で特別な鉄が、矢張り夕呼にとっても霞にとっても重要で特別な鑑純夏の名を口にしたのだ。……夕呼ならいざ知らず、霞に動揺するなというほうが酷だろう。そして、その鑑純夏は“無事”であり、反応炉も“無事”……である。夥しく付着したBETAの腐肉・汚物は完全浄化するとのことだが、今後、あの最下層にニンゲンが立ち入ることはないだろう。小型種によって破壊された制御室、制御システムの復旧が完了次第、一切の立ち入りを禁止するとのことだ。……BETAに汚染された場所、というわけである。

 では、「ほかのみんな」はどうなったのか。横浜基地は、軍事基地としての役割を完全に喪ってしまった。地上施設は軒並み破壊され尽くしている。幸い、医療棟を含めた地下施設の一部は無事であったため、現在はその復旧に、生き残った全員が力を合わせている状況だ。戦死者の数は凄まじく、死体さえ見つからない者が大半だった。特に機械化歩兵部隊や歩兵部隊などは悲惨であり、肉体の一部でも見つかった者はまだマシだった。戦術機甲部隊は全滅。基地防衛に協力してくれた斯衛一個大隊も同様であり……A-01部隊は、その半分以上を喪った。

 本田真紀、白銀武、築地多恵、月岡亮子の四名が戦死。彼女たちの死体は発見されていない。伊隅みちる、速瀬水月、宗像美冴、風間梼子、涼宮茜の五名が重傷。この内、美冴、梼子の二名は衛士として再起することは絶望的だという。斯衛軍第19独立遊撃小隊では神代巽、巴雪乃の二名が重傷を負った。……彼女らは現在も治療中であり、未だベッドの上だ。夕呼の秘書官を務めていたイリーナ・ピアティフも、反応炉停止のために最下層へと赴き行方不明。MIAと認定されているが、事実上の戦死であり――それを聴いた瞬間に、鉄は愕然とした。

「ピアティフ中尉が……しんだ? ……ぇ? ァ?」

 茫然と問い返すも、霞は否定も肯定もしなかった。ただ、哀しそうな瞳で鉄を見つめるだけである。異世界に放り込まれ、地下の牢獄に軟禁され続けた自分に、この世界のこと、衛士としての知識を授け、訓練を行ってくれた女性。柔らかで温かで、抱きしめるといい香りがした。優しい抱擁で鉄を包み込んでくれて、まるで恋人のように接してくれたピアティフ。その姿を、もう、二度と。

「ぅ、ぁ、ああ、ぁ」

 ――見ることができないなんて。鉄は泣いた。ボロボロと零れてくる涙を拭うことも忘れて、ただ、泣いてしまった。

 裏切られたのだと思っていた。所詮夕呼の手下なのだと。自分をいいように煽てて乗せて、操っていたのだと。そう思っていた。体を合わせてもそこに愛情はなく、ただ、自分が狂って自殺してしまわないように監視しているのだと思った。全て嘘だったのだと。そうやって心の中で何度もなじり、罵声を浴びせたこともある。……けれど、ピアティフは自分に頷いてくれた。政威大将軍という冥夜と瓜二つな少女に素顔を晒すとき、彼女は誇らしげに頷いてくれたのだ。どうしてかわからなかった。それが心に引っかかっていた。出撃命令を伝える彼女の声は冷たく冷静で、表情に感情はなかった。自分に死ねと命ずる彼女が恨めしかったし、けれどその時は最早恐怖と諦め以外のなにもなくなっていて……。

 結局。自分はピアティフをどう想っていたのだろう。彼女がいなければ、あの地下の軟禁生活の間に発狂していただろう。彼女が鍛えてくれなければ、今日の戦闘で生き残れなかっただろう。彼女がいなければ――彼女が居てくれたおかげで。自分は今、こうしてベッドに座っていられるのだ。……全部、ピアティフのおかげだった。

 そんな彼女が、死んでしまった。自分の知らない場所で、自分の知らぬ間に。あの血みどろの戦闘の最中、すぐ近くのその場所で……BETAに、喰われて死んだのだ。

 鉄は眩暈がしそうな体をベッドに投げ打った。眦から零れシーツに染み込む涙をそのままに、白く濁る蛍光灯の輝きを睨みつけた。――この世界は狂っている。こんな世界が在っていいはずがない。あまりにも酷い。あまりにも救いがない。ここは本当に地獄であり、自分になど全く優しくない世界なのだ。支えてくれた人を亡くし、復讐をぶつける相手を亡くし、鉄はただ独り、純夏を護るという行為に酔いしれるほかないのだ。そうしてずっと、生きていく。……いっそ死んだほうがマシだ。衝動的にそう考えてしまったとして、誰が彼を責められるだろう。

 白銀武の記憶が流れ込んだからといって、彼は決してこの世界の白銀武ではないのだ。戦闘が終わり、柔らかなベッドに身を沈めてしまえば――容易く、その心は屈してしまうのである。睡魔が襲ってきた。このまま眠ってしまいたい。いっそ目覚めなければいい。そんな誘惑に抗うには、今の鉄は疲弊しすぎていた。

「……香月博士が呼んでいます」

「……………………」

 固く、重い声だった。そこには鉄の苦悩と絶望、哀しみを知りながら、それでも前に進んで欲しいという願いがこめられていたのだが、果たしてそれが鉄に届いたかどうかはわからない。痛いほど彼の心を知りながら、それでも霞は与えられた命令を遂行するしかない。身も心もズタボロの鉄。……彼は英雄なのだ。人類に希望を与えたXM3。横浜基地を救った英雄にして、人類を世界を救うもの。そう在るべし、と。夕呼によって定められた者なのだから。

 無言のまま身を起こす鉄の、灼熱の如き憤怒を感じる。それはきっと白銀武の記憶が流れ込んだことも影響しているのだろう。《鉄仮面》を自ら嵌める彼の感情は、自分自身を、そして鑑純夏を弄んだことへの憎悪に占められ……その非業の道を尊いのだと理解できる、ほんの僅かの理性が渦巻いていた。或いは、放って置いて欲しいという彼のわがままなのか。例え感情を、思考をリーディングできたのだとしても、彼の真実には至れないのだということを、霞はこのとき初めて知るのだった。







 目覚めると、視界が半分なくなっていた。右側半分が闇に覆われている。……ああ、そうだ。茜は思い出していた。――あたし、やられたんだ。

「……ッ、ぅ」

 身を起こそうとすれば左手から酷い痛みがした。無事な左目で見れば、そこは包帯で吊られていて、寝起きの鈍い思考でも折れているのだと知れた。今度はゆっくりと上体を起こし、緩やかに周囲を探る。白い病室。あの地獄の釜の底のようなおぞましい恐ろしさはどこにもなく、ここには静寂と静謐さが漂っていた。薬品の匂いと、電子機器の音。押し詰められたベッドには自分以外にも複数の人が寝かされていて……ようやく、自分が生き残れたのだという事実に気づく。

 あの状況で、よくも――。右目に左腕。確かに負傷はしたが、この程度で済んだのは奇蹟と言っていいだろう。BETAに機体を殴り飛ばされて気を失ったとき、自分は死んだのだとばかり思っていたのだが……。瞬間。悲鳴と嗚咽と絶叫が耳に蘇る。あの最後のとき。あの反応炉での地獄の光景。誰もが気が触れそうになり、正気を失うギリギリまで追い詰められたあのとき。



 ――やめて

 ――やめてぇ!! たけるをたべないでぇ!! いやぁぁぁぁぁぁあああ!!



「ぅ、……ぐっ、ぅ」

 赫と黒と、気持ち悪い極彩色と。銃声。S-11の閃光。メインシャフトからS-11を投擲してBETAを殲滅しようとした斯衛。援軍。繋がった通信。安堵。悲鳴。反転。BETAの迎撃。反応炉の死守。援軍が戦闘を開始。反撃を。殲滅戦。まりもの命令。水月の怒号。誰も彼もが。必死に。狂うほどに血を浴び。《鉄仮面》の見せた希望。絶望を飲み干せ。抗って。戦って。そうしてそうして。ずっと戦って。限界だった。もう無理だった。反応炉から引き剥がされたBETAの群れ。その下からボロボロの不知火が。装甲が齧られていて。管制ユニットが覗いていて。見覚えのある黄色。血肉に塗れ赤黒く汚れた黄色。刀。腕。足。――ほかは? 残骸。残骸。残骸。残骸。

「……ぃ、ぁ、あっ!!」

 不知火の残骸。白銀武の残骸。武の残骸? 武の足。武の腕。武の刀が。武のお守りが。武の武の――彼女のリボン、が。

 やめてやめて、たけるをたべないで! やめてよぉ! やめてったら! もうやめてぇぇ!! これいじょう、たけるをたべないでぇぇえええ!!!!

「はぁ、はぁぁ、はぁ、はぁ、はぁ……ッッ!」

 俯いた顎から脂汗が滴り落ちる。だらしなく開かれた口からは恐ろしく熱い呼気と、言葉にならない悲鳴が漏れる。全身が瘧のように震えた。寒い。吐く息はこんなにも熱いのに! 凍りそうなくらいに寒かった。左目に涙が滲んできて、すごくすごく心細くて、寒くて……。そうして。

 涼宮茜は、ようやく。恋人を、同期の全てを喪って――ようやく、自分は独りになってしまったのだと……そう気づいてしまって、泣いた。

「武……ぅ、ぅぅぅぅぅぅうううううあぁぁぁあああああっっ!! ぁぁあああああああああああああ!! わぁぁああぁぁ……ぁぁあ、ああ、ぅ、ぐ、ぅぐうぅううううううう!!」

 哀しい。苦しい。武が居ない。彼が居ない。優しく頭をなでて欲しい。大丈夫だといって欲しい。傍にいると。抱きしめて欲しい。好きだって言って、キスを。お願い。お願いだから。晴子、多恵、薫、亮子ッッ!! 武!! 誰も居ない! どうして?! どうしてあたしだけが……っ! どうして、みんな……大好きだったのに……。置いていかないでよ。傍にいてよぉ! あたしに寂しい思いなんてさせないって……ッ! そう言ったじゃない!! 愛してるって、好きだって! 抱きしめてよぉぉお!! 武ッッぅぅああああああ!!

 右腕でベッドを殴りつける。何度も何度も。この涙が止まるまで。悔しい。哀しい。どうしてどうして。何度も何度も言葉が想いが駆け巡り、居もしない武の姿を追い求めるたびに、茜はただ子供のように泣きじゃくった。親友の姿を。仲間の姿を。自分ひとりを置いて逝ってしまったみんなを。愛しい彼の表情。言葉。匂い。体温。優しさ。もろさ。ずっと傍に居たかった。護ってくれると言った彼を。愛していた彼を。

「茜っ! 大丈夫だから、大丈夫だからね!? 茜ぇ!」

「ぁぁぁっ! あああっ! ぁ、あああ、はぁ、はぁ、はぁ……ぉ、ねぇちゃ……っ、ぐ、ひっく、ぅぅぁあ、あああ……あああん。あああああん。ぅぁぁああ……」

 気づけば姉のぬくもりに包まれていて。優しい大好きな腕に抱きしめられていて。まるで幼子のように茜は泣いた。泣きつかれて眠るまで泣いて……しがみついたまま寝息をたてる妹を、遙はそっとベッドに横たえる。涙に腫れた瞳を見つめながら、遙はどうか今だけは安らかに眠って欲しいと願う。悪夢にうなされることなく、どうか幸せな夢を。

 立ち上がり、病室を見渡す。そこにはみちると水月も運ばれていた。或いは、ほかの負傷した兵士たちも居た。茜の泣き声に起こされた者も居たようだが、彼らは何も言わなかった。……彼らだって、地獄を見たのだ。同じ地獄を見、体験したからこそ、仲間を喪い傷ついたからこそ、茜の気持ちがわかるのだ。泣けるものなら彼らだって泣きたかったのかもしれない。けれど彼らはあまりにも疲弊しすぎていて、涙を流す体力さえない状態だった。泣くのだって体力を使う。……遙は、この戦いの結果全てが、この場所にあるような気がした。

 誰も彼も全員が、泣きたいくらい酷い目に遭って。誰も彼も全員が、泣けないくらい酷い目に遭った……。この戦いは、ただそれだけの、一方的な、酷い出来事だったのだと。そんな気がしてしまう。

 そんなことを考えては駄目だ。まるで何もかも無駄であったかのように考えてはいけない。……自分はピアティフに後を託された。夕呼の、そしてA-01の未来を託されたのだ。彼女の挺身に応えるためにも、自分は更に、夕呼と共にAL4に尽力するしなければならないのだ。茜の状態は気にかかる。水月やみちる、擬似生体移植手術中の美冴や梼子。……大切な仲間たちの身を案じる気持ちもある。けれど。今はもう、立ち止まるときではない。戦闘は終わった。ならば今は、これからは、再び、前へと進むべきだ。

 夕呼に指定された時間までもう僅かもない。正式にピアティフの後継として夕呼の秘書官の任を掛け持つこととなったのだから、早々に遅れるわけにはいかない。遙は泣きつかれて眠った茜をもう一度だけ見つめて、病室を後にした。







 探し出せた遺品はこれだけ。真那は短く息を吐くと、手にした刀の残骸を昇ったばかりの朝陽に透かしてみた。訓練校の校舎の裏側。丘の上にある木に並ぶように。真那は、かつてこの場所で、自らの罪を吐き出した弟子のことを思い出していた。復讐に心を委ね、外道へと堕ちた過ち。それでも生きたいのだと、護りたいのだと叫んだ彼。……白銀武は、もう居ない。

 朝陽に透かしたところで、そこに彼の面影はない。管制ユニットのシートに括られていた彼の弧月は、BETAに齧られたのか、踏みにじられたのか……途中から折れてしまっていて、剣先はついに見つからなかった。残ったのは、柄と鍔、僅かの刀身と罅割れた鞘の一部のみ。そして、赤黒く汚れた僅かの帯。鞘に巻かれたその部分だけが辛うじて残っていて、反応炉を浄化作業していた部隊員から遺品としてまりもへ提出されたのだった。本来ならば汚染物質として焼却処理されるのだろうが、この基地を護るために最期まで戦ってくれた衛士の遺品ならばというその人物なりの感謝なのだと、まりもから聞いている。

 真那は、名も知らぬその作業員に礼を言いたかった。たったこれだけ。指先も僅かの肉片も残らなかった愛弟子の形見に、これほど相応しいものはない。祖父の形見にして、祖父そのもの。そして、それをその心と共に受け継いだ武の遺志。きっとこの弧月には、彼の魂が宿っている。病魔に蝕まれながらも戦い抜いた彼の、愛する者を護りたいという願いと共に。真那は弧月を胸に抱いた。顔を知らぬ鑑純夏という少女の形見が巻かれたそれを、愛しげに抱いた。

 涙は流さない。武は還ってきてくれたのだから。彼の死を知ったそのとき、避け得ぬ運命を知ったときに、真那はもう、十分に泣いた。決して涙は流さなかったが、それでも、心で泣いたのだ。……けれど、いい。武はちゃんと自分の下へ還ってきた。彼の魂は、今ちゃんと、この胸に抱いている。――武、貴様はよく、戦った。だから眠れ。護れなくてごめん、などと。自身を責める必要はない。

 そうしてしばらくの間、弧月を抱いていると、近づいてくる気配に気づく。よく知った気配……それは冥夜のものだった。今この場所に真那以外の者はいない。自分を探してのことか、或いは冥夜自身この場所に何か思い入れがあってのことかはわからないが、もう暫くここに居たいと感じたので、昇り始めた太陽に目を細め、武や自分たちが命を賭して護り抜いたこの場所を感慨深く見つめることにした。

 残骸ばかりが目立ち、広大な廃墟と化した地上施設。おぞましいBETAの屍骸は今も尚そこら中に溢れかえり、鉄屑と化した戦術機の亡骸も辺りを彩るオブジェと転がっている。混沌と死に満ちた不毛の地。けれど、間違いなく、ここは――多くの衛士・兵士が命の限りに護り抜いた、尊い場所である。残された死の気配が、その凄絶さを訴えかけ、その荘厳さを示している。無駄なことなど何一つない。無駄死になど、誰一人ないのだ。全員が、勇敢に戦った。全員が、誇り高く死んで逝った。――勝ったのだ。我々は。

「だから武……安心して、眠るがいい」

 その真那の安らかなる祈りを、冥夜は偶然に聞いてしまった。真那に会いにこの場所を尋ねた冥夜は、もう随分前から真那が丘の上にいることを知っていたのだが、当然、真那も自分の接近に気づいていると思っていた。聞いてはならない言葉を聞いてしまった気がして、冥夜はばつが悪そうに一歩退いたが、その気配を察した真那が振り返り――下がらずともよい――と、微笑んだのを見て、胸を射抜かれてしまった。

(なんと、強い瞳だ……)

 かつては自身に仕えてくれていたよき忠臣であった真那。衛士として、剣士として、人間として、尊敬し憧れていた真那。任官してから後、その思いは強くなりこそすれ薄れることなどなかったのだが、この瞬間に、冥夜は彼女の強さを更に思い知らされた。冥夜が真那を探してここまで来たのは、傷心であろう彼女を少しでも慰めることが出来ればと思ってのことだった。白銀武。彼という存在を喪い、茜をはじめ、水月、真那は心に深い傷を負ったのではないか。……無論、彼女たち以外にも――自分も――傷心であることに変わりないのだろうが、それでも、特に彼と親交の深かった彼女たちの胸中はいかばかりだろうかと、そう思ったのである。

 基地中に死が蔓延り、哀しみが蔓延している。肉体に傷を負った者。精神に傷を負ったもの。さまざまだ。それらの哀しみを振り払うことは、きっと誰にも出来ないのだろう。個々人が負ったそれらは、それぞれが乗り越えなければならない。自らの意思で。或いは……生き残ったもの同士、支え合って。冥夜は自問する。果たして自分は、真那を支えたかったのか、自らを支えて欲しかったのか。

 真那は武の死を当に乗り越えている。安心して眠れ、と。彼の魂の安寧を祈ることが出来ている。自分はどうだろうか。ここに来て、真那の言葉を聞き、その微笑を見た。それによって初めて、自分のほうこそが真那に支えて欲しかったのだと、慰めて欲しかったのではないかと気づいた。……自分は、白銀武の死を、未だ受け入れられていないのだ。そのことを、知る。

 一体いつからだったのだろうか。……いや、そもそもこの感情は恋というものなのかさえ、冥夜にはわからない。ただ、彼という人物を知り、その素顔を垣間見たとき……冥夜の心臓は確かに跳ね上がったのだ。――そうか。あまりにも、気づくのが遅すぎた。気づいたそのときには、もう彼は居ない。冥夜の頬を一筋の涙が零れ落ち、真那はそれを、ただ微笑みのまま見守っていた。







 霞と共に夕呼の執務室に赴くと、そこにはまりもと遙が居た。鉄は遙とは初対面だったのだが、まりもからA-01のCPを務めているのだと紹介され、曖昧に頷く。どういう理屈でかは知らないが、一方的に流れ込んできた白銀武の記憶の中に、その名前がある。まるで自分が目にした光景のように彼女と言葉を交わした場面が思い出されたが、矢張りそれが自分の記憶だという実感はない。得体の知れない夢を見ているような、そんな気分だった。

 全く知らない他人なのに、この世界の自分にとっては恋人の姉なのだ。しかも、奴にとっては冥夜たちよりも付き合いが長い……。実感を抱けという方が無理だ。それに、奴と自分が完全に別人だということはあの戦闘で厭というほど思い知らされている。今更、実感があろうがなかろうが、知ったことではない。――もう、あいつは居ないのだから。

 ちらりと霞を見る。鉄を含む四人から少し離れた位置に佇む銀髪の少女。彼女に半ば無理やり連れられてきたわけだが、案外、その方がよかったのかもしれない。立ち上がり、歩いてきただけで、あのベッドの上で蹲っているよりは随分と気分が違う。ピアティフが死んでしまったことや白銀武が戦死したこと、純夏のこと。あのまま病室に独りでいたら、鬱になって自殺していたかもしれない。……いや、そんな気力さえなくして、この世界に生きる理由を見出せず、ただ朽ちていたかもしれないのだ。

 視線で感謝を述べて――そういえば、リーディングだとか言う能力で思考を読めるのだったか? ――ほんの少しでも、伝わってくれればいいと思う。彼女に酷い罵りを向けてまだ数日も経っていない。自分よりも幼い少女に対して、随分と容赦ない行為だった。……今でも僅かなわだかまりはある。けれど、それも白銀武の記憶から彼女たちなりの思惑、意思があってのことだという事実を知っている。世界を、人類を救うのだというエゴ。根底にある想いは知り得ないが、憑かれていると言っても過言ではないほど、夕呼はその使命に命を懸けている。

 白銀武を利用し、鉄を利用し。A-01の全員を、まりもを、冥夜を、この基地を――純夏を。全てはAL4を完成させるために。鉄にとって重要なのは、純夏を護り抜くこと。それ以外の生きる理由を、今は見つけられない。そのために必要なことが夕呼のサポートをすることだというなら、彼女に仇なす敵を打ち倒すことだというなら、鉄は衛士として戦い抜く。己の中にわだかまる裏切りの傷など、最早どうでもいいことなのだ。

 そう思えるほどに――そう思うしかないほどに――鉄は白銀武の記憶に染められてしまった。自分と彼が全くの別人なのだと痛感し、実感しながらも、それでも、自身の憎しみをただ一方的にぶつけていい相手ではなかったのだと知り、夕呼には夕呼の目指す未来があるのだと知ってしまった。それら、凄絶な生き様を見せられてしまえば……もう、餓鬼のままではいられない。純夏の命を護る。拭い去ることなど出来ない復讐の憎悪を、そうやって誤魔化すしかない。

 いつか、いつか遠い未来に……白銀武への復讐以外の生き方を見つけられたなら、自分自身の生きる理由を見つけられたなら――それでいいのかもしれない。だから、そうなれるように今は純夏を護る。その行為に縋ってでも、生きてみせる。――結局、ガキのままじゃねーか。薄く浮かんだ嘲笑は、仮面に遮られて誰にも気取られることはなかった。時間にして数秒にも満たない思考を打ち切り、夕呼を見る。その傍らにピアティフが居ない現実。白銀武の記憶にかかわらず、矢張り、鉄にとっての世界は“変わって”しまっていた。

 もう前には戻れない。元の世界にも、この世界に来たばかりのようにも。あの戦闘を経験しただけで、あの地獄を潜り抜けただけで、これほどにも世界が豹変するのだという事実は、自分も変化しなければならないのだと脅迫してくるようで……。少し時間が欲しいと思うのも本音なのだが、それでもきっと、夕呼は鉄の躊躇を気にしないだろう。この場所に呼ばれたからには、世間話で終わるなどということは万が一にもありえないのだから。

「さて、それじゃ早速だけど――鉄。あんたこれからどうする?」

「――は?」

 挨拶を終えた一同を見やって、夕呼が一番に言ったことがそれだった。椅子に腰掛けたままどうでもよさそうに鉄へと宛てられた言葉。一体何のことだと首を傾げていると、まりもも遙も同じような顔をしていた。皆、夕呼がいきなりなにを言ったのかわからない様子であり――彼女が突然に妙なことを口走るのは知っていたが――夕呼の次の言葉を待っている。

「は? じゃないわよ。言ったでしょ。この戦闘に生き残ったら、あんたを“シロガネタケル”にしてあげる、って。……ま、当の本人はとっくに死んじゃったけど」

 その言葉に目を剥いたのはまりもと遙だ。まりもは鉄の出生を――それは夕呼の出鱈目なのだが――知っているから。遙は共に戦ってきた仲間の名前が挙がったから。それぞれ、夕呼の言葉の真意を測りかねて、瞠目する。……けれど、鉄はただ、なんだそのことか、と。そう納得するだけだった。そのことはもういいのだと、鉄は自分で納得している。例え名前がシロガネタケルに戻ったのだとしても、決して、この世界の白銀武に成れはしない。自分と彼が別人なのだと理解できたからこその、納得だった。

「先生……オレは、このままでいいです。白銀武が世界に一人だけだというなら、オレだって、世界に独りだけの鉄です。……オレは、この仮面と共に生きようと思います……。それが、オレの……――」

 復讐。

 最後のその言葉を、鉄は口に出来なかった。どうしてかはわからないが、夕呼にそれを言う必要もないと頷いて、仮面に触れる。仮面を嵌めた時に掛かる電子ロックは既に解除されている。本当なら、もう鉄はこの仮面をしなくてもよいのだ。……夕呼はそう約束してくれていた。それでも、もういい。《鉄仮面》をなぞるように指先を滑らせ、鉄は言う。

「オレは、鉄です。あいつじゃあない。アイツにはなれない。……そうわかったんです」

「…………あ、そ」

 素っ気なく応える夕呼に、まりもが苦虫を噛み潰したような視線を向ける。――オレを鉄と呼ぶな。そう叫んでいた青年が、鉄でいいと言う。アイツには、白銀武には成れないのだという。……そのとおりだ、と思う反面、そのような運命を強いられた鉄への同情がある。そして、それを実行した夕呼への哀しみ。遙はいまいち事情が飲み込めていないようだったが、まりもはそれでいいのだと思う。いつか鉄がその仮面を外すときまで。知らないままで居られるなら、それでもいいだろう。まして彼女と白銀武の関係は深い繋がりがある。妹の恋人であり、親友の弟分であった武を、遙自身好ましく感じていたはずだ。未来の弟、と。そんな風に見ていた節がある。

 どこか煮え切らないやるせなさを覚えながらも、まりもは鉄の言葉を反芻する。複製体。クローン。そんな非道を成された彼が、人道を往くというのなら、上官として支えていってあげようと思う。正体を隠したまま生きるというのなら、それでもいい。それが、彼自身の人生なのだから。

「じゃ、その話はこれでおしまい」

 さもどうでもいいように言う夕呼の素振りは、見ていて清々しいくらい鉄の葛藤を嘲笑うようだった。……いや、それが彼女なりの優しさなのか。自分の存在など、彼女にとっては一研究対象でしかないのだろう。なにが彼女をそうまでさせるのか。鉄には理解できないし、理解したくもないことだった。彼女と自分。互いに利害関係しかないのなら、それで十分だ。夕呼は研究のために鉄を利用し、鉄はこの世界で生きるため、純夏を護るために夕呼を利用する。ギブアンドテイク。この関係は、シンプルでいい。感情を挟む余地もなく、怨みも憎しみも必要ない。……それでいい。そのはずだ。少なくとも今は。
「社、鉄を連れて下がりなさい。ああそれから、あんたは今日付けでA-01に正式配置になったから。今日のところは好きに過ごしなさい」

「――ハ」

 夕呼の言葉に頷く霞。鉄はまりもを一瞥した後に夕呼へ敬礼を向け、霞と共に退室する。残る二人は今後のことを話し合うのだろう。一兵卒に過ぎない自分が関わる必要はない。閉まるドアを背中に、鉄は足を止める。好きに過ごせと夕呼は言うが、この基地で好きに過ごせる場所などない。病室からここまでの道程にも、数え切れないほどの負傷者とすれ違った。無傷なものなど殆どいなかった。……そして、それを圧倒的に上回る数の死人が出たのだ。

 心休まる場所など在り得ない。ならば機体の整備でもするかと顔を上げたが、霞が袖を引いていた。驚いて少女を見下ろせば、彼女はとても真剣な表情で鉄を見つめていて、どこかに連れて行きたそうに袖を引っ張っている。彼女が示すのは執務室に隣接したもう一つのドア。――そこは。

「すみ、か……」

 小さく頷く霞。先ほどよりも強く引かれるままに、鉄は一歩を踏み出した。セキュリティが掛かっているはずのドアは呆気なく開き、やけに足音の響く通路が鉄たちを奥へと誘っている。不気味な場所だ。初めて踏み入れる――でも、白銀武の記憶で知っている――その通路。奥のドア。……青白く輝くシリンダーには、彼女が眠っている。鑑純夏。脳ミソと脊髄だけで生きている、この世界の幼馴染。

 この少女を、護ると決めた。

 この世界で生きていくために。鉄としての生を手に入れるために。決して白銀武にはなれないのだと思い知らされた、ただ独りの自分のために。――純夏、オマエを利用すると、決めたんだ。

「……」

 無言のまま鉄はシリンダーへと近づく。積極的に袖を引いていた霞はドアの傍に立ち、その後姿を見つめる。その表情には如何なる感情も浮かんでいないようで……僅かの期待や願いが込められているようだった。手に触れたシリンダーは冷たく、頑丈なつくりなのだと知らせてくる。浮き沈みなくただそこにあるだけの脳。目も顔も表情もなく、手も足も体の何一つない……ただそれだけの物体。これで生きている。これが生きている。これが……純夏なのか。鉄はこみ上げてくる吐き気を咄嗟に堪える。――吐いてはいけない。

 もしここで嘔吐すれば、それは純夏を傷つける。……それは、白銀武の生を、純夏の愛を罵倒する行為だ。それだけは絶対にしてはいけない。白銀武は確かに純夏を愛し、純夏もまた白銀武を愛していた。互いに愛し合ったが故の悲劇。ただ白銀武だけを待ち続けた純夏は、遂に再会適わぬままに、彼を喪ってしまった。そして、喪ったことにさえ気づくことが出来ない。――これが、純夏なのだ。

 知らず、涙が零れ落ちた。仮面の内側を伝うその感触に、鉄はハッとする。哀しい、のだろうか。自分ではない白銀武の記憶が氾濫する。ただ幼いままに純夏を愛し、護り、喪った彼の絶望。生きていた純夏に定められた運命。夕呼への憎悪。その怒りの黒。哀しみと慟哭。狂わずにはいられないほどに。……鉄は仮面を外した。床に落ちる《鉄仮面》の無機質な音が響く。瞳からは、ぼたぼたと涙が零れていた。

「純夏……ぁ、」

 漏れた言葉は嗚咽に濡れて、鉄はひざをついてシリンダーに縋りついた。――オレがお前を護ってやる。こみ上げる悲しみ。鉄は幼い子供のように泣いて縋った。

 これは純夏だ。けれど、自分の知る純夏ではない。自分の幼馴染の、毎日くだらないおしゃべりをして戯れて、明るく無邪気なアイツじゃない。――でも、純夏だ。白銀武の記憶の中の彼女は、自分のよく知る純夏だった。世界の差など関係ない。純夏は純夏だったのだ。唯ひとりの、唯一の、彼女。元気で、太陽みたいに笑う奴で、くるくると表情が変わって、呆れるくらい……楽しい。幸せなのだと、こんな時間がずっと続けばいいと。そう思わせてくれる、大切な幼馴染。

 ――喪いたくない。

 オレは、純夏を喪いたくない! 白銀武のように。純夏と離れたまま死ぬなんてできない。絶対に。嫌だ。ずっと独りだった。優しかったピアティフは死んでしまった。もう誰もいない。誰もいない! 生きる場所を奪われ、生きる理由を見失い、白銀武への復讐に身を焦がすことももう出来ない! もうお前しかいない。もう純夏だけなんだ。白銀武が命を懸けて愛した純夏。オレがお前を護ってやる。護ってみせる。……だからどうか、いつか目覚めたそのときに……。

「オレを、独りにしないでくれ……ッ」

 傍で、いつものように、笑ってくれ。タケルちゃん――そうやってはにかみながら、隣にいてくれ。いつか純夏がそうしてくれるなら、その日がいつか訪れるなら。自分は戦える。生きて、戦える。この世界で。例え独りでも。いつか純夏が目覚めるときまで。その先も。ずっとずっと生きていける。――鉄として。鉄タケルとして、生きていける。だから、どうか、お願いだ。

 オレを独りにしないでくれ。心の中でもう一度祈り、鉄は立ち上がる。頬を濡らす涙を拭い取り、《鉄仮面》を被ると、踵を返し退室する。霞はその後を追わなかった。……追う必要はなかった。その目には薄く涙が浮かんでいたけれど、霞は自分がどうして泣いているのかわからなかったけれど。……ただ、どれだけ哀しくても、そうしたかった。だから、それで、いい。







 ===







 2001年1月6日――







「まさかあんたに礼を言われることがあるなんてねぇ。っていうかなんか気持ち悪いからいい加減頭上げてくれない?」

「……貴様な。ひとが礼を尽くしているのに、なんたる言い草だ。……以前から思っていたが、貴様はもう少し女性としての慎みを持つべきだぞ」

「大きなお世話よ。それより、あんただってあたしを助けてくれたんだから、お相子でしょ。……なんか照れくさいから、もういいって」

 病室の一角で半身を起こした水月は、頭を下げる真那をあしらうように言った。その頬が若干赤みを帯びているのは、本人の言うとおり照れくさいからだろう。それに気づいた真那は肩を竦めて苦笑し、傍らに立つ美凪へと目配せをした。表情に幼さを残す彼女は真那に頷き、最後にもう一度だけ水月に感謝を告げて退室する。美凪にしてみれば、水月は同僚二人の命を救ってくれた恩人なのだ。……無論、真那にとっても。

「で? あの二人の容態は?」

「幸い骨折程度で済んだようだな。完治すれば、任務に支障はない。あの者たちにはまだまだ働いてもらわねばならんからな。……その若き命を救ってくれたこと、誠に感謝している」

 だからもういいって――辟易したようにうなだれた水月に、真那が笑いかける。照れる水月が珍しくてからかっているのだろうが、その二人のやり取りはまるで十年来の親友同士のようにも見え、隣のベッドで眺めているみちるを大層驚かせたりもした。あれだけいがみ合っていたライバル同士が、あの戦闘を経て無二の親友のように笑い合っている。……白銀武の死を哀しいと感じないはずがないのに。いや、互いに同じ男に惹かれ、愛した者同士だからこその姿なのか。

 あの戦闘の終盤。精神・肉体共に疲労の限界で、機体さえ悲鳴を上げていた。どれだけ研鑽を積み、厳しい訓練を潜り抜け、修羅の如き戦場を駆け抜けてきたとしても、いつかはどうしようもない“限界”が訪れる。体の小さな斯衛の三人にそれは顕著であり、特に激しい機動を繰り返していた巽と雪乃の二人はほぼ同時に意識を失った。在りえないほどの密度で群れるBETAとの混戦の中、意識の喪失は死を意味する。真那も美凪もそのフォローに間に合う位置におらず、救出は不可能と思われた。……それを、水月が身を挺して護ったのである。

 あと少し。もうほんの僅か。そうすれば援軍の銃撃が届く。助けに来てくれた斯衛の精鋭部隊が、帝国軍の猛者たちが、無傷の彼らが救ってくれる。だから、今ここで死んでしまうのを見過ごせなかった。もう誰にも死んで欲しくなんてない。……かつての上官だった相原のように。水月は最後の最期に、自身の命を懸けて誰もを護りたかったのだ。そして、自分の機体ごと要撃級に吹き飛ばされ、破壊され、骨を砕かれる感触に悲鳴を上げながら、それでも。

 そう。それでも、必ず真那が、仲間たちが救ってくれると信じていた。気持ちは皆同じなのだと知っていた。――もう誰一人死なせはなしない。無駄にしていい命なんてない。助けは来た。援軍は辿り着いたのだ。だったら、全員で生きてみせる。この戦いを、生き抜いてみせる! ――死んで逝った全てのものたちのためにッ! ……そうして水月は巽と雪乃を救い、彼女は真那に救われ、みちるや美冴、梼子、茜という重傷者を出しながらも、……最後には全員が生き残った。生きて、命を繋いだのである。あの絶望的な状況から。死ぬしかない状況から。鉄が皆に希望を与え、美琴の機転が援軍が到着するまでの時間をもたらし、水月の、仲間たちの挺身が……今このときを紡いでいる。生きているのだ。

「貴様も、伊隅大尉も壮健そうでなにより。……宗像中尉と風間少尉も見舞いたかったのだが、致し方あるまい。――涼宮少尉が目覚めたら、これを渡してはもらえないか」

 援軍としてやってきていた斯衛軍は今日の午前中に引き上げることが決まっている。煌武院悠陽の厚意により帝国から救援物資が届けられてもいたが、国連軍から派遣されてきた部隊が正式に現場を引き継ぐこととなったための撤収である。実際に横浜基地の窮地を救ったのは斯衛であり帝国だが、それでもここは国連軍の基地であり、なによりも、AL計画を遂行する研究施設だ。いつまでも部外者が我が物顔をしていい場所ではない。

 手当てを受けた巽と雪乃は既に帝国軍病院へと搬送され、真那たちも共に引き上げることになっている。……夕呼と悠陽の思惑により成り立っていたA-01への出向は、横浜基地の壊滅と同時に意味を成さなくなってしまった。基地はこれから復興のために全力を向ける。そこに帝国が介入することは出来ない。そういう事情もあって、真那は水月たちに挨拶しにやってきたのだった。

「――これ、って……ッ」

 真那から差し出された赤い布を開く。布に包まれていたのは黒い棒状の……否、刀の一部だった。砕けた鞘から、同じく砕けた刀身が覗いている。赤黒く汚れた布の巻かれた、黒塗りの刀。変わり果てた外観をしていたが、水月がそれを見間違えるはずもない。

「武も、涼宮少尉と共に在りたいと願うだろう。……だから、貴様に託す」

 弧月。真那の父の形見にして、武へと受け継がれた刀。彼の幼馴染である鑑純夏のリボンを巻きつけ、いつも腰から提げていた彼の半身。魂の具現。文字通り、彼の血と涙が染み込んだ……彼そのもの。あの戦いで損なわれた武の肉体は遂に発見されなかった。その、唯一遺された彼の一部。遺品として託されるに、これ以上のものなどありはしないだろう。水月は、思わずこみ上げた涙を拭い、華やいだように笑った。

「あ、あははっ、あははは! そっか、そっかぁ……。武、たける……還ってきたんだぁ。……ぁは、あはは、はは……っ!」

 嬉しくて、哀しくて、それでも、還って来てくれた。もういないけれど。骨も見つけられなかったけれど。それでも武は還って来た。自分の下へ。茜の下へ。こんなにぼろぼろになって、それでも、ちゃんと還って来たのだ。水月は笑う。涙を零しながら、嬉しくて、笑顔を見せる。それを見た真那は満足そうに頷き、椅子から立ち上がった。

「――速瀬中尉。そなたに出逢えたことに感謝を。達者でな」

「――ええ。お互い、生きてればまた逢えるでしょ。楽しみにしてるわ」

 敬礼を交わし、互いに不敵な笑顔を浮かべる。それは再会の約束。次に逢うそのときにを楽しみに。……生きる。

 背を向けて去っていく真那を見送り、水月はもう一度弧月を見る。武の面影が浮かんだような気がして、気づけば弧月を胸に抱いていた。――おかえり、武。そう呟いた水月の表情は何処までも穏やかで、美しかった。まるで子の帰りを愛しいと感じる母親のようであり、姉のようであり……。うらやましいものだと、みちるは思う。自分にも愛する男がいるが、水月は武と親愛によって結ばれていた。そんな関係を築くことが出来た水月がうらやましい。

 そして同時に、何処までも哀しいものなのだと……。復讐に狂い、人の道を見失い、何度も何度も間違いを犯した武。その彼を決して見捨てず、支えることを厭わず、水月は水月なりに武を愛してきた。姉のように。弟を愛するように。病に命を落とし、仇敵にその身を食まれ、存在を無くしてしまった彼は、刀に宿って還って来た。もう二度とその声を聴くことは出来ない。もう二度と、その手に触れることはない。だからこそ、みちるは哀しいと思う。

 刀を抱いて涙する水月。今は眠っている茜。彼女たちはこれから戦っていけるだろうか。護りたいと願い、愛した男はもういない。折れた刀は還って来ても、武自身はもう存在しないのだ。……かつての武のように、復讐に狂ってもおかしくはない。或いは、傷ついた肉体と共に、戦う気力をなくしてしまってもおかしくない。……それでもどうか、と願わずにはいられない。間違ってもいい。折れそうになってもいい。けれどどうか。それでも。かつて水月や茜が武を支え、正道へと引き戻したように。彼女たちもまた、前を向いて生きて欲しい。生きるために、生きて欲しい。

 それが死んだ武の願いだろうから。彼はきっと、それを伝えるために刀に宿り還って来たのだ。

「速瀬、いいかげん涙を拭け。……まったく。しおらしい貴様などらしくない」

「ちょ、大尉それ酷いですって」

 からかうように言ってみれば、水月は恥らうように笑った。――ああ、なら大丈夫だ。みちるは彼女の笑顔にそう確信し、一緒になって笑った。涙を拭いながら笑う水月は、弧月を大事そうに布に包み、茜の枕元へ置いてやる。両足を砕かれた水月は擬似生体を移植している。まだ歩くことは出来ないが、隣のベッドに身を乗り出す程度なら出来た。小さく寝息をたてる茜を穏やかに見つめ、その頬をなでる。……寝ている間に何かを感じたのだろうか。茜の右手が動き、弧月を握るように求める。布にくるまれたそれに触れたとき、一筋の涙が枕へと零れたのを、水月は確かに見ていた。







 鉄という人物を間近に見るのはこれが初めてだった。あの戦闘の際に網膜投影ディスプレイに映っていたとおりの《鉄仮面》。のっぺりとしたその仮面には呼吸のためのスリットしかないため、見るものを非常に当惑させる。同年代らしいという話はかつてまりもが教官だった頃に聞いたことがあるのだが、その仮面の姿からは年齢が伺えない。偶然通路で遭遇したのだが、千鶴はどうしていいかわからなくなってしまった。共に歩いていた冥夜もそれは同じらしく、驚いたような表情をしている。

 千鶴は冥夜と会話しながら歩いていたのだが、最初にこちらに気づいたのは彼らしい。というのも、近づいてきていた足音が不意に止まったからで、それにつられて視線を向けた先に鉄が立っていたのだ。――呆然と。そう表現するのが妥当だろう。言葉はなかった。ただ、驚きながらも呆けているような、心ここにあらずといった風に。故に掛ける言葉も見つけられず、千鶴と冥夜もまた沈黙せざるを得ない。同じ少尉とはいえ、片や人類に希望をもたらし、戦術機技術に革新をもたらした麒麟児であり、この命を救ってくれた存在でもある。おいそれと声をかけていい相手ではないだろう。

 そんな千鶴と冥夜の内心に気づかず、鉄は立ち尽くすしか出来ないでいた。――冥夜、委員長。かつて暮らしていた世界での級友たちにこうして見える日が来るのだということを、鉄は完全に失念していた。……いや、昨日夕呼に「A-01に正式配置になった」と聞かされていたのだから、失念していたというのも妙なのだが。とにかく、こうして面と向かって彼女たちと出逢うこともあるのだという事実を、彼は本当に思いつかないでいた。

 流れ込んできた白銀武の記憶。そして、純夏という生きるための理由。かつての世界で培ってきた価値観の全てをぶち壊され、人間性を捻じ曲げられようとしているこの状況下で、他人の存在に気を回すほどの余裕が、鉄にはなかった。あの地獄のような戦闘からまだ二日も経っていない。正気に立ち返り、一個の鉄タケルというニンゲンとして完成するためには、些か時間が足りなすぎる。つまり、彼はまだ他人と会話できるほどこの世界に溶け込めていないのだ。……純夏を護り、生きる。その理由を自分自身に刻み付けることに手一杯で、屋外にあるあの丘に登り頭の中を整理しようと思っていた。

 その移動中に見知った顔に出くわし、そして彼女らがこの世界の存在なのだと思い出して、鉄は言葉を失った。なにを言っていいのか。どう声をかけていいのかわからない。自分は白銀武にはなれないと悟り、鉄として生きると誓いはしたが、ただそれだけだ。この世界に生き、この世界で死ぬことを厭わない崇高なる彼女らの意志は、鉄には眩しい以外のなにものでもなかった。――惨めだ、と思う。自分はこんなにも、幼く脆い。自分独りでこの世界に生き続ける覚悟を持てないでいる。純夏に縋り、いつか彼女が目覚めて微笑みをくれることを望んでいる。

(そんなオレが――)

 あの世界のように、彼女たちと笑い合えたならどれほど喜ばしいだろう。

 あの世界のように、彼女たちと同じときを過ごせたらどれだけ楽しいだろう。

 あの世界のように、……あの、平穏な毎日が無条件に続く、泡沫の彼方に消えた世界のように……。――そんなことは不可能だ。

 ここは地獄で、地獄のような世界で、地獄のような毎日を、誰もが必死に足掻いている。白銀武のように。純夏のように。理不尽な仕打ちを受けて人間性を奪われた者たちがいる。命を。尊厳を。文化を。生きる希望を。世界中全ての人々が、地獄を強いられている。――BETAのせいで。その存在のために。それに抗えるだけのポテンシャルを持てるニンゲンは素晴らしいと思う。本当にすごいことで、“すげぇ”、と。そう漏らすしかできないくらいに凄いと思える。小型種一匹を殺すのにどれだけの銃弾が必要なのか。肉弾戦で戦って生き残れる可能性は? そんな次元の敵が地球外から押し寄せてこの地球を蹂躙している事実を知りながら、ではどうして彼らは戦えるのか。

 この世界に生きているからだ。この世界以外に生きる場所などないからだ。愛する家族がいて、愛する恋人がいて、信頼しあえる仲間がいて、護るべきひとがいて。……いつか自分も、そうなれるのだろうか。こんな地獄に独りでいたくないからこそ、純夏という存在に縋りつこうとしている自分でも、いつか、そうなれるのだろうか。――オレは弱い。そして、白銀武もまた弱かった。

 何度も何度も挫け、折れ、捻じ曲がり、その度に擦り切れていったアイツは……けれど独りではなかった。どれだけ間違おうとも、自滅の道を辿ろうとも、決して見捨てない仲間が、上官が、愛情をくれる者たちがいた。――オレにはいない。ピアティフがそうだったのかもしれない。けれど、彼女は死んでしまった。自分にとっての“愛情をくれる者”は、この世界にはいないのに。果たして、自分は白銀武のように這いずりながらも立ち上がることが出来るだろうか。……否。今立っているここから、一歩でも踏み出せるだろうか。純夏に縋りつく以外の生き方を、見つけられるだろうか。

 ――いつか。

「あの、鉄少尉……よろしかったら、一緒に休憩いたしませんか? 我々はPXへ向かっていたのですが……」

 その言葉に誰よりも驚いたのは冥夜だった。自身で口にして、自分で驚いたのである。千鶴も驚いたように冥夜を見、鉄も――恐らく――瞠目したのだろう。PXへ向かおうとしていたのは本当だ。先ほど正式に国連の救援部隊が現場を引き継いだために、冥夜たちA-01部隊の衛士はやることがなくなってしまった。自分の機体さえBETAにスクラップにされている状況で、専門知識を持たない衛士に出来ることは精々が基地内の警備か雑用くらいなものだ。まして、副司令直轄の特務部隊ともなれば、勝手に救援部隊の衛士と馴れ合うわけにもいかない。

 そんな情けないやら悔しいやらの事情から――もっとも、救援部隊の面々にしてみれば、あれほどの絶望的な状況から反応炉を死守して見せたA-01部隊の存在は畏怖すべき存在なのだが――暇を持て余す結果となり、それならば暫しの休息を、となったわけである。無論、基地内がこんな状況のため羽目を外すことはしないが、命を懸けて戦い抜いた仲間たちと談笑するくらいは構わないだろう。…………そうとでも思わなければ、遣り切れない。

 死傷者を想えば哀しみがこみ上げるし、辛さが募る。だが、自分たちは決して苦しむために生きているのではないし、死んで逝った彼らとて、自身の死を引き摺っては欲しくないだろう。それは、あの甲21号目標を攻略した時に学んだことだ。初陣にして同期の仲間を喪い、先達を喪った冥夜たちは、そこからいくつもの大切なことを学び、経験した。死者を誇り、語り継ぐことが何よりの弔いだというのなら――この戦いに散った彼らのことを存分に語らい、弔ってあげたい。そう思う。

「オレ……も?」

「は、はい。……唐突に思われるかも知れませんが、是非」

 もちろん、お暇があればですが。恐縮したように冥夜は語尾をすぼませる。初めて肉声で聞いた鉄の声は、矢張り“彼”の声音に似すぎていて、心臓が跳ね上がりそう。上背も、髪型も、体格も似ている。そして声までが恐ろしく似通っているというなら、その仮面の下の素顔にも興味がわく。……同時に、自分はなんと不謹慎なのだろうと恥じ入ってしまうが、それは千鶴も同じだったらしく、目が合うと二人して苦笑してしまった。

「少尉、いかがでしょう。私たちの話を聞いてくれるだけでもいいんです。……散っていった仲間たちのこと。彼らの、彼女たちの生き様を……」

 その千鶴の言葉に、鉄は頷いた。散っていった仲間たち。その中には当然白銀武も含まれているのだろう。興味があった。白銀武の記憶は自分の中に流れてきたが、彼が、あの絶望のどん底を這いずり回るだけだった彼が、一体彼女たちにどう思われていたのか。……それを知ることが出来たなら、ひょっとすると、今のこの状態から抜け出せるきっかけを掴めるかも知れない。直視し難い現実に打ちのめされ続け、ニンゲンですらなくなってしまった白銀武。彼の生きた人生が決して無意味ではないのなら――きっと、オレだって生きていける。



 初めて向かうPXには先客がいて、その三人もまた、よく見知った顔をしていた。――彩峰、尊人、たま……。いいや、確かこの世界の尊人は少女なのだったか。そんな些細な、けれど致命的な差異は、矢張りここが異世界なのだと示している。自分にとっては永劫の異世界。それは、この世界に生きる限りずっと憑いて廻り、神経を蝕み続けるだろう。あの世界との差異を見つければ見つけるほどに、自分が異分子なのだと突きつけられるようで……。

「わぁ! 鉄少尉だぁ!」

 そんな鉄の苦さなど知らず、美琴が驚いたように近づいてくる。さっきそこで偶然出会ったのだと説明する千鶴の言葉を聞いているのかいないのか、興味津々なのを隠そうともしないで、美琴は鉄を見回す。その態度を失礼だろうと叱る冥夜に、自身の非礼を察した美琴は慌てて頭を下げ、照れたように頭を掻いた。……席で待つ慧たちの元へ向かう。別人である彼女たちと並んで歩きながら、それでも、思ってしまう。

 やっぱりオレは――、あの世界を、……………………。

「ホントに《鉄仮面》。……変態?」

「「「「……」」」」

「あははは、彩峰さん直球過ぎだよ~」

 鉄は、まじめに考えるのが莫迦らしくなってしまった。――彩峰、お前はそういう奴だよ。慧の無遠慮な発言に凍りつく冥夜たちには構わず、鉄は椅子を引いて座る。空気を読めていないらしい美琴だけが笑っていたが、生真面目な性格な千鶴や冥夜は胃が重くなっているかもしれない。シリアスに浸るのが莫迦らしいと思う反面、そういう、彼女たちの“らしさ”はありがたいものだった。……特に、自分にとっては。

「失礼でしょう、謝りなさいよっ」

 慌てて慧を非難する千鶴だが、これは鉄が制した。慧の発言に脱力したことは本当だが、別に不快に思ってはいない。そういう意味も込めて、鉄はこの仮面には事情があるのだと答える。白銀武亡き今、鉄がこの仮面を強制される必要はなくなった。……なくなりはしたが、それでも、自分は白銀武には成れない。不用意に仮面を外しても、周囲の人間を困惑させるだけだろう。特に、白銀武と親しかった者たちは。それが懸念される以上、鉄は鉄として在るしか出来ない。それでいいのだと納得している。

「事情……ですか?」

 きょとんと尋ねる壬姫には頷いて機密なのだと答えておく。夕呼が鉄の存在を隠していた以上、そしてその理由を鑑みれば、機密以外の何ものでもないだろう。黙っておいたほうがいい。いつか白日の下に晒されることがあるのだとしても、それは今ではない。或いは、鉄がどこか別の、白銀武を知るものの居ない全くの他所へ異動するなりすれば、この仮面から解放されるのかもしれないが。

 興味を隠せないのだろう。彼女たちの視線は常にこの仮面に注がれていた。いや、主に仮面だが、全体的に注視されている気がする。確かに、今まで一度も顔を出さず、姿を見せなかった人物が突然目の前に現れたのだから、興味を抱くなというほうが無理だろう。多分、鉄が逆の立場でもそうするはずだ。

 鉄は気づいていないが、彼を注視する彼女たちの中には次のような疑念・興味があった。白銀武に似すぎていること。XM3の発案者にして、『概念戦闘機動』の体現者。あの戦闘で見せた凄まじき機動。その仮面の理由。一体何者なのか。同じ年齢、同じ階級。副司令直轄の特務部隊にすら機密の、特務衛士。――等々、様々な興味。それらを内包した視線を受けて、けれど鉄はそれを知り得ないために、仮面を掻くような仕草をするだけだ。困っている、というわけである。

 その《鉄仮面》の困惑した感を察したのは冥夜で、自身もしげしげと見つめていたのを棚に上げて、皆に注意する。これには慧の抜け目ない反撃もあったのだが、一応、収まりを見せた。そのときの鉄の安堵した様子が妙に幼く見えて、彼女たちは不思議な感覚に捕らわれた。《鉄仮面》。そう称される人物は、確かに同年代にして同じ少尉階級にあるが、その戦術機操縦のセンス、発想の突飛さ、XM3の発案等々、まるで雲の上の存在だった。そう思っていた。……だが、たった今彼が見せた仕草は、安堵した様子は……なんというか、年相応な、けれど衛士らしくない、軍人らしくない幼さを孕んでいた。

 まるでBETAという脅威を知らず、軍という世界を知らず、平穏で伸びやかな世界で育ったかのような――なにを莫迦な――冥夜は頭を振る。そんなことが、あるはずがない。ただ、この鉄という人物は、純粋な心を持っているのだろうと感じられた。初対面である自分たちから向けられる無遠慮な視線に困惑し、安堵する。そういった当たり前の感情を当たり前に出すことの出来る純粋さ。素直さ。そういうものを持っているのだろう、と。……それが軍人にとってよいことなのかどうかは別として、人として好意を持てると思った。

「鉄少尉、ありがとうございます」

「……ぇ、?」

 だから冥夜は、心からそう言うことが出来た。鉄はなんのことかわからずに戸惑ったようだが、それでもいい。きっとこの言葉には皆の気持ちがこもっている。生き残った皆が、そう感じている。――貴方が居なければ、全員が死んでいた。今こうして生きて再び会話を交わすことが出来るのは、全て、なにもかも、鉄のおかげだった。XM3。人類を救う確かな希望。その発明がなければ、彼の発想がなければ、絶対に生まれることのなかっただろう新型OS。

 甲21号目標の攻略、佐渡島の奪還。基地防衛、反応炉の死守。ひいては、自分たちがこうして任官できているのも、XM3のおかげだ。本当に。なにひとつとして、XM3なしには、彼なしには成し得なかっただろう。だから感謝を。多くが死に、喪われた。……けれど、貴方が居てくれたからこそ、今、生きている人々が居る。それを伝えたかった。

「……オレは、なにも、」

「少尉はそう思われるのかもしれません。ですが、我々が少尉の戦う御姿に励まされたのも事実です。少尉の我武者羅な戦い方が、あの地獄のような戦場に希望をもたらしてくださったのです」

 莫迦な。そうではない。まるで自分を英雄かナニカのように語る冥夜を、鉄は恐ろしいと感じた。助けられたのは自分だ。初めての戦場を恐れ、死への恐怖に小便を漏らしたのは自分だ。悲鳴をあげ、我を忘れ、周囲を見失い、銃弾もなく近接戦闘を行うだけの勇気もなく、ただ逃れようと必死になって喚いていた。――それを助けてくれたのは、救ってくれたのは……冥夜、お前じゃないか。白銀武が死に、記憶が流れ込んできて、ようやく。死んで堪るかと思った。生きて、生きることで白銀武へ復讐してやると考えた。そう思わなければ生きていけないことを知ってしまった。――だからだ。だからなんだよ、冥夜。

「オレはそんな大層なことはしていない。……オレは、臆病だったんだ。今でもそうさ。独りで居ることに耐えられない。この世界で生きていくための理由が見つからないんだ。もう、一つしか残されていない。オレは、そのたった一つに縋らなければ生きていけないくらい、壊れちまってる」

 気づけば何事かを口走っていた。なにを言っている。なにを言ってるんだ、オレは――? あの世界で冥夜は強く輝いていた。彼女の存在は大きく、自分たちを包み込んでくれるような力強さを放っていた。帝王学。そういうものを学んでいるだけはあるのだと、漠然と感じていた。カリスマ。……ならば、嘆き縋りつくのに、彼女以上の存在はいないのかもしれない。自分の浅ましい弱さが、そんな彼女の強さを察知して、縋ろうとしているのだろうか。

 莫迦な。この世界の冥夜と自分は、今日これが初対面だというのに。相手にされるはずがない。狂気の《鉄仮面》。好き好んでこんな仮面を被るような奴は、マトモじゃない。そんな風に同情されるのがオチだ。すぐにここを去ったほうがいい。彼女たちに関わるべきではなかったのだ。こちらとあちらの狭間に立っている自分は、矢張り最期まで、死ぬまで、独りで居るべきだったのだろう。

 白銀武の記憶に蝕まれ、異世界という現実に蝕まれ、純夏への妄執に縋りつき。ただ、復讐するのだと呪わしく吐き続ける。――そうすればよかった。そう、しよう。

「少尉……」

「……」

 立ち上がろうとした鉄を、冥夜が鋭く呼び止める。その瞳には縋りつく異邦者を排斥する気配も、哀れな狂人に向ける同情もなかった。ただ、厳しい強さだけが。衛士としての……御剣冥夜としての強い瞳。鉄は、指の一本さえ動かせなくなった。吸い込まれるように、瞳を見つめる。目が、離せない。

「少尉が発案なさったXM3が世界を救う一助となることは確かです。現に、我々はそのおかげで佐渡島を奪還し、この基地を護ることが出来ました。少尉のXM3が、多くの人を救ったのです。……確かに、少尉自身の御心、内情を全て知ることは出来ませんが、けれどそれでも、少尉のなさった行為が、我々に希望を与えてくださったのです。どうかそのことだけは、忘れないでください」

「…………」

 応える言葉を、鉄は持たなかった。英雄とは、当人の意志に関係なく、“英雄”と呼ばれるのだ。言外に冥夜はそう言っていた。そんなモノを押し付けるな。そう喚き返してやりたいのに、喉が震えない。言葉にならない。なにかよくわからない感情が渦を巻いて、ぐるぐると思考が上滑る。放って置いて欲しいと思う。一人にしないでくれと叫びたい。オレはここにいる。オレはオレなのだと。知って欲しい。理解して欲しい。愛してくれ。ここに生きていいのだと。純夏。冥夜。誰か。

 お願いだ。

 オレは、どうしたらいい。

「オレは、――――――――ぁ、ぐ」

 伝えられるわけがない。言っていいはずがない。鉄タケルは白銀武には成れない。決して、同一人物には成り得ない。彼の持っていたもの、彼との間に築いてきた親交を、全て鉄が享受することなど不可能だ。この世界に居場所を求め、生きる理由を欲するならば。鉄は“英雄”を受け入れるほかないのだろうか。冥夜の言葉が全てではないだろう。ただ、鉄自身の境遇や感情、内情になど一切頓着せず、世界は彼に“英雄”を求める。

 純夏の脳を護ること。そうすることで白銀武に復讐すること。――英雄。その選択肢は、密接に絡んでいるように思われた。得体の知れない異世界という恐怖が、びっしりと根を張っている感触。恐怖が――この世界に生きるという恐怖が――BETAに感じたそれよりも深くおぞましいものを感じて、鉄は冷や汗を掻く。テーブルの上に置いた指が、小刻みに震えていた。

 最早白銀武の生前の様子を聞くどころではなくなってしまった。せっかくの彼女たちの団欒をぶち壊しただけでなく、これから任務を共にするのだろう彼女たちに最悪の印象を与えてしまったかもしれない。けれど、それを取り繕うことさえ出来ないまま、無言の時間が過ぎていく。……だからこそ、やってきたまりもはありがたかった。彼女が現れたことで休憩時間は終わりを告げ、軍人としての時間が再開されるのだから。一糸乱れず整列する冥夜たちに倣い、鉄もその列に並んだ。

「全員揃っているな……貴様たちに伝えておくことがある」

 そのまりもの表情や声音は、鉄はおろか、冥夜たちでさえ初めてのものだった。恐ろしいほど張り詰めた意志。そういうものを感じさせる迫力と、脆さ。およそ神宮司まりもという女性にそぐわない気配といえばいいのだろうか。知らず、全員が息を止め、唾を飲み込んでいた。――覚悟しなければならない。そういう直感を、まりもは強制している。

「我々の任務は終了した。オルタネイティブ4は――――」







 その後に続く言葉を、オレは覚えていない。






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