『Muv-Luv ALTERNATIVE ~復讐の守護者~』
「復讐編:二章-02」
体力・筋力トレーニングを基礎とした訓練に、近接格闘訓練、身体の構造についての講義から使用する銃器・弾薬についての基礎理論、化学・物理・生物学・薬学……それら心身頭脳を鍛え続ける日々が続く。
ナイフや模擬刀を使用した近接戦闘訓練、拳銃の扱いにアサルトライフルによる射撃訓練も始まり、次第に衛士としての肉体と精神、頭脳を作り上げる。
ここ数週間はそれら新しくカリキュラムに組み込まれた内容の消化吸収に重点を置き、毎日のように繰り返し反復する。専門的な知識を要求される内容が増え、訓練内容も細分化されてきたことから、部隊の中でも各々得意分野というものが見え始めてきた。
まず、涼宮。
コイツはどの分野においても標準以上の成績を叩き出す。訓練の目的を早々に理解し、重要なポイントを押さえ効率よくそれをこなしつつ、努力を怠らない。必要な知識は出来るだけ幅広く収集し、そこから更に自身にとって望ましい訓練法を編み出しては実践、評価、修正、そしてまた実践の繰り返し。
その努力の量はハッキリ言って隊内でずば抜けて高い。同じ時間を過ごしているはずなのに、気づけば常に一歩も二歩も先にいる。
頭の回転が速いこともその一端を担っているだろうが、それにしても凄まじい。……目指すべき目標の速瀬さんにはまだまだ遠く及ばないとはいえ、入隊して半年も経たない新米訓練兵としての標準は軽く超越しているに違いない。
次に、柏木。
こいつの凄いところはやはりその観察眼と視野の広さだろう。
鍛えられた身体能力もさることながら、射撃の精度、多人数格闘訓練での状況判断の鋭さ、そして的確さ。こと後方からの支援攻撃においては他の者の追随を許さず、常に四方の状況を把握し、変化に合わせた柔軟な思考の切り替えができる。
教官に言わせれば天性の才能に依るところもあるとのことだが、訓練を通してその才能を開花させたのは紛れもなく自身であり、そしてその才能を奢ることなく戦術・戦略についても深く学ぶ姿勢は大いに尊敬できる。
背中を預けるのにこれほど安心する者は居ない。自身が埋められない穴を、確実にカバーしてくれる頼もしい存在だ。
そして築地。
独特の感性を持っているらしい彼女は、時折予測不能な行動を見せ相手を翻弄する。近接格闘に若干の難を見せてはいるが、それを補って余るほどの行動力・機動力に溢れ、突拍子もないその思考から繰り出される一撃を回避することは難しい。
また、それ以上に「相手に合わせる」能力にずば抜けていて、特に涼宮との相性は抜群だ。奇抜な行動は変わらないながら、それでも相手の動きを阻害することなく確実にフォローする手腕には、目を見張るものがある。
ただし、座学については別。そこのところは本人も十分理解し、努力しているが……まぁ、そこは追々身に付いていくことだろう。
彼女の魅力はその特異性であり、それは隊員たちに常に刺激を与え、思考を柔軟にするためのよい訓練相手だと言える。
さらに立石。
はっきり言って近接格闘能力が高い。基礎体力も高いが、何よりフットワークがいい。ヒット・アンド・アウェーを基本とした戦略により着実に相手を追い詰める。
射撃においても一角の能力を見せ、アサルトライフルを抱えたまま文字通り突撃し、的確に的に当てる。動体視力のよさは隊内一だ。
こと身体を動かすことにおいては満遍なく秀でているが、反面、座学に弱い。本人もそれを認めており、現在築地と猛勉強中。
楽しみながら努力するという非常に有益な才能を身に付けているため、恐らく問題ないだろう。
で、月岡。
剣道をやっていたと言うのは伊達ではないらしく、模擬刀での戦闘訓練ではかなりの実力を誇る。剣道の型を基本としながらも、それに囚われることなく柔軟な思考を持ち合わせている。
最大のネックである持久力については地道な努力の積み重ねにより現在では標準の枠にはまるようになった。また、如何に体力を消耗しないで戦えるか、ということに重点を置き、編み出した戦闘術は隊の中でも共有され、全員の能力の底上げにも繋がっている。
剣に一日の長がある代わりか、射撃が苦手らしい。柏木や涼宮に個人的に指導を求めるなど、努力は怠らない。
最後に俺。……なんだが。
まぁ、あれだ。
射撃では涼宮に目をつけられ勝手にライバル視されてるし、(絶対涼宮のほうがスゲェと思うんだがなぁ……)
近接格闘では立石に目をつけられ勝手にライバル視されてるし、(これも立石には敵わないんだが……)
さらに剣術では涼宮と立石に目をつけられ…………、
お、俺ナニカしたか……?
唯一の救いは座学では誰も相手してくれないということくらいか…………あれ? それって、いいことなのか?? え?
===
「あら白銀、あんたも自主訓練? 毎日毎日、よくやるわね~」
夜――、グラウンドの隅で日課になっている素振りをしていると、暗闇の向こうから呼びかけられた。
既に馴染みになっている張りのある声。振り返るまでもなく、こんな風に声を掛けてくれる女性は一人しかいない。
「どうも、今晩は速瀬さん。……そういう速瀬さんだって、殆どいつも走ってるじゃないですか」
ま、ね。悪戯っぽく笑う速瀬さんはいつものようにタンクトップの上にジャケットを羽織っている。
暗くてよく見えないが、それはもう目を見張るほどのボリュームがその存在を主張していることだろう。
べ、別に見えなくて残念なんて思ってないぞ?
「しっかし、人は見た目によらないわよねぇ……最初あんたがその模擬刀振り回してるところ見たときなんてさぁ、」
「べ、別にいいじゃないですか。似合わないのはわかってますけど……ガキの頃からの習慣というか……なんか、一日に一回は振っとかないと、落ち着かないんですよ」
そのときを思い出したのだろう、くつくつと笑う速瀬さん。そう、この人は俺が慎ましやかにグラウンドの隅で模擬刀を振る姿を見て、あろうことか爆笑してくれたのだ。
それはもう真剣に落ち込んだ俺に対して、詫びを入れるどころか更に「似合わない」「弱そう」「格好つけ」などと暴言の雨霰。
再起不能に陥る寸前まで散々に扱き下ろしておいて、冗談の一言で済まそうとする辺りこの人の嗜虐性は底知れない。
…………単なる傍若無人か??
ともかく、発見されてからほぼ毎日、速瀬さんは俺の姿を見つけてはやってきて声を掛けてくれるようになった。密かに目標としている相手に声を掛けてもらえるというのは、その、実はかなり嬉しかったりする……。
ちなみに、これは涼宮には言っていない。自主訓練していることなどわざわざ話すことでもないし、知れたら知れたで色々と面倒そうだ。
更に数分速瀬さんと会話し、それでこの時間はオシマイ。
お互いに日課となっている自主訓練を再開し、速瀬さんはいつものように一時間ほど走り抜き、基地内へと戻っていった。
「……っ、ふ!」
気合を込めて一閃。幼い頃からずっと続けてきた基本の型を、何度も何度も繰り返す。
習ったのはただそれだけ。そこからの応用も発展も知らず、忠実に同じ軌跡を描き続ける。
そういえば、いつから模擬刀を使うようになっただろう? 入隊して間もない頃はそれまでと同様に木刀を振っていた。
腕の筋力、全身の体力が向上するにつれ、木刀では木の枝を振っているような感触しかしなくなった辺りで、教官にお願いして借り受けたのだ。
……ははは、なんだ。結構最近だったんだな。
それなりに鍛えられているのだという実感を得て、あと三十分ほど続けて切り上げようと決める。
正眼に構え、深く息を吸う。剣を教えてくれたおっさんは、この剣術の名前を教えてくれなかった。直線軌道を描く剣道とは違う、常に動き続ける螺旋の剣。
重心の位置は常時変動し、弧を描くように足を運ぶ。遠心力と慣性に身を委ね、まるで独楽のような円から、螺子に似た螺旋への回転軌道。
例えるなら台風のそれに近い動き。一対一ではなく、恐らくは一対多、それも全方位を囲まれたような状況を想定しているのだろう。
彼の人はこれこそが基本だと言い、そして本当にこれだけしか教えてくれなかった。
ぼんやりと当時のことを思い出す。
一週間だったのか、或いは一日だったのか……。幻のような思い出。幻のような、剣の師匠。
だが、そんな短過ぎる邂逅にも関わらず、それは俺の身体に染み付いている。……否、まるで始めから知っていたかのように、馴染んでいる。
繰り返した日々の鍛錬の賜物か。それこそ、毎日実践しないと気持ち悪くて眠れないほどの傾倒ぶり。
いや、別に中毒ってわけじゃないぞ? ……た、たぶん。
そんな、雑念にも似た思いをつらつらと浮かべながら剣を振り回していると、急激に意識が引き戻される――ナニカの、気配、
「――っ、はああッッ!」
左足で思い切り土を踏み込む。右足を軸に瞬時に回転し、その勢いのまま背後に現れた何者かへ模擬刀を振り下ろす!
「!? きゃあああっ!!」
「――――!!?」
悲鳴、それも女の。
暗闇の中、基地から漏れる光でぼんやりとその輪郭が読み取れる。――涼宮っ?!
「っ、がっ!!!!」
上半身を思い切り捩り、更に踏み切った左足で無理矢理地面を蹴る。滅茶苦茶にバランスを崩して、なんとか剣の軌道を逸らす!
めしり、と。肩と胸、背筋から大腿が悲鳴をあげる。痺れるような鈍痛に思わず呼気が掠れたが、どうやら模擬刀は対象から大きく外れてくれたらしい。
慣性を完全に無視した代償から、俺は地面に倒れこむ。なんとか受身を取れたのには我ながら驚いた。そして、続け様聞こえてくる涼宮のよくとおる声。
「し、白銀っっ!? 大丈夫?!」
「…………いてぇ」
わ~、とか、うわ~、とか。なんか慌てているらしい涼宮が、倒れっぱなしの俺を見て衛生兵とか教官を、とかなにやら大層混乱しているのがわかる。
本来ありえない動きを強いた筋肉がいまだズキズキと痛むが、これ以上涼宮をほうっておくのもどうかと思ったので、早々に立ち上がることにする。……っ、う。こりゃ、相当キてるな……。明日起きたら酷いことになっていそうだとげんなりしながらも、平気そうな顔で涼宮と対峙する。
「おい、落ち着け。何慌ててんだよ?」
「えっ? えっ?! だ、だって白銀、あんな凄い勢いで倒れちゃうし……っ?!」
平気だということをアピールするために両手を広げてぴょんぴょん跳んでみせる。暫く呆然としていた涼宮だったが、それで落ち着いてくれたらしい。
で、落ち着いたら今度は急に不機嫌そうなお顔。……あれ? 怒ってる?
「――も、もうっ! びっくりするじゃない!! いきなり斬りかかって来るなんて!!」
「あ?」
どうやら先ほどのことを言っているらしいが、それについては俺にも言いたいことがある。
「あ、あのなぁっ! それはこっちの台詞だっ! いきなり背後に回ってくんじゃねぇよ!? しかも中途半端にコソコソしやがって、過剰に反応しちまったじゃねぇーか!!」
「んな、なによ?! あたしが悪いって言うの!」
「たりめーだ!!!」
強めに反論すると、思わず息を呑んだような表情をする涼宮。……あ、ちょっと言い過ぎたか?
い、いや、しかし。今回のことに関しては声もなくいきなり背後に現れたこいつが悪いわけで……、その……。
「……なによ、ちょっと驚かそうとしただけじゃない……」
心なしか俯き気味。……ぉい、そんな泣きそうな顔するなよ……反則だろう……。
「…………っ、はぁ~~~~~~~っ。はいはい。十分驚いた。これでいいだろ? んで? 何の用だよ」
半ば呆れながら溜息をつく。これ以上言い争ってもしょうがないし、涼宮に怪我はない。なら、それでいい。これでこの話はお終いだ。
「……」
「涼宮?」
拗ねたような表情で、少しだけ唇を尖らせたまま、ぽつり、と。――ずるい。
なにか、そんな言葉を呟いた気がした。
なんだか普段と様子が違う涼宮をいぶかしみながら、しかし、わざわざこんな時間に、グラウンドの隅にまでやってきたわけだから、その用件が“俺を驚かす”ことで終わったとは思えない。
何か別の、割と急ぎの用事でもあったんじゃないだろうか? 例えば、これから急遽夜間訓練とか……うわ、自分で考えてなんだが、それは勘弁してもらいたい。
教官なら言い出しかねんと腕を組み唸っていると、さっきから何か言い掛けてはやめてを繰り返していた涼宮が、キッ、とこちらを見据える。
……あれ、また怒ってんのか? しょうがねぇなコイツは……。
内心溜息を漏らしながら、こうなれば大人しく小言をもらっておこうと決める。まっすぐこちらを見つめてくる涼宮を、俺もじっと見つめた。
「ぅ、ちょ、ちょっと。そんなに見ないでよっ」
「はぁ?」
意味がわからん。大いに疑問だ。……一体涼宮は何がしたいのだろう?
「……も、もう。と、とにかく、その、用件は、」
「おう。なんだ?」
ようやく話す気になったのか。しかし今度はやけに視線を踊らせながら、チラチラとこっちの顔を見ては逸らしを繰り返し、なんというか……不審極まりない。
「え、ええと。その、そ、そう! も~! 白銀ったら、なんで部屋に居ないのよっっ!?」
「はぁあ?!」
一転、何故か怒鳴り出す涼宮。暗くてよくわからないが、その顔は真っ赤に茹っているのではと思うほど。しゅんしゅんと湯気が噴いていて、薬缶の蓋がカタカタと鳴っていそうだ。
……しかし、なんだ。どうやら涼宮は俺が部屋に居らず、こんな場所で自主訓練していたことが気に喰わないらしい。……? なんで??
「ぉ、おいおい。そりゃ、俺が悪いのか?」
「悪いわよ!? だ、だって、部屋に居ないからPXでも行ったのかと思って、でも居ないし、基地内の何処かだと思って探しても全然居ないしっ!! さっき偶然速瀬さんに会って、そしたらグラウンドの隅で素振りしてるとか言うし!!?」
段々ヒートアップしてくる涼宮。……い、いかん。この流れは危険な気がする。
要するに、話を纏めるとこうだ。
なにやら俺に用のあったらしい涼宮。だが当人は部屋に居らず、ならば別の場所かと延々探すも見つからず。その内に腹が立ってきた、と。そういうことか?
「……俺、全然悪くねぇじゃん」
「白銀が悪いのっっ!!!」
ぎっ、と。兇悪な視線が突き刺さる。うぉお、なんか眼だけ光ってないか?! 怖ぇえ。
最早何を言っても無駄無駄。一方的に腹を立て、その腹いせに驚かしてやろうと思えば斬りかかられ……。まぁ、半分くらいは俺が悪いような気がしないでもない……。
しかし、そんな怒り心頭になってまで俺を探す用とは、一体何事か?
そこまでするのだから、やはり重要なことなのではないのか。気になって、尚も喚いている涼宮を黙らせる。
「ったぁ~~~~!!? あ、あんた今叩いたわねっっ?!」
「うるさい黙れ。で、いい加減何の用なんだよ……」
頭部に軽く手刀を喰らわせる。先ほどとは別の意味で睨まれたような気がするが、涼宮も本来の用件を思い出したのだろう。唇を尖らせたまま不機嫌そうに……
「…………………」
「……なんだよ?」
「え? ……ぇっと? …………あ、あれ?」
沈黙、そして動揺、あまつさえ焦燥。
え~~っと、まさか、お前…。
「なぁ、涼宮。ひょっとして何の用か忘れた、なんてことはないよな?(ニッコリ)」
「え??! い、いや、あははっ。まさか、そんなことあるわけない……じゃ、なぃ……」
完全に顔を横に向けて、引き攣った笑みを浮かべる涼宮さんちの茜さん。どうやら怒りが目先に来すぎて、本来の用事を忘却してしまった様子。
……お、おまぇなぁ……。
思い切り脱力する。結局、俺だけが痛い思いをし、割と理不尽な怒りをぶつけられ……あ、なんだか眼から熱いものが……泣いてなんかないやい。
「涼宮……」
「あははっ、ははっ、ははは……ご、ごめん」
しゅんとして、頭を下げる涼宮。はぁぁ~~~~っ。なんか、すっげぇ疲れた。
「……あ~、いい。もういい。……ったく、お前らしくもない。なにやってんだかなぁ」
「う、うるさいわねっ。大体、白銀が部屋に居れば問題なかったんだってば」
まだそれを言うか。はいはい、そりゃ俺が悪ぅございました、っと。
模擬刀を鞘に仕舞い、服についた土を払う。鈍痛を訴えてくる筋肉をほぐしながら、基地の入口へ向かう。
慌てたように後をついてくる涼宮に声を掛けることもなく、スタスタと歩き続けて数分。
あと数歩で基地、というところまで来て、ようやく涼宮に振り返った。
「!」
予想通り、驚いたように慌て出す涼宮。多分、コイツのことだからそれなりに自責の念を感じてうじうじしていたんだろう。……らしいと言えばらしいんだけどな。
「……ったく。いいか涼宮。もう気にすんな。用件なら思い出したらまた教えてくれればいいし、夜は大抵あそこで素振りしてるから」
くしゃくしゃと涼宮の頭をかき回す。うわぅわぁわぁ、となにやら不可思議な声を上げてやられるままになっている涼宮が、ちょっとだけ可笑しくて笑ってしまう。
「ちょ、ちょ、白銀~~っ?! やめってってば~っ」
「わははは。おもしれ~っ」
ぐるんぐるんと涼宮の頭を弄び、じゃな、と手を上げて別れる。
一拍の後、おやすみと小さな声で呟いた涼宮に、もう一度だけ手を上げて……。
そして、俺は部屋に戻った。
「もう……子供扱いしてさ……っ」
背中を向けたまま、手を上げる白銀。廊下の角を曲がって見えなくなったあいつに、ちょっとだけ悪態を吐く。
かき回された髪の毛を整えながら、どうしてか、頬が緩んでくるのをとめられない。……えへへ。
――っっって!!!??? “えへへ”、ってなによ!?!?
はっとしてぶんぶんと勢いよく頭を振る。……なにやってんだろ、あたし。
それにしても、らしくない。
感情を幾分落ち着かせながら、先ほどまでのことを思い出す。
怒りに我を忘れて当の用件を忘我するなんて、らしくないにも程がある。そう、そんなことは白銀に言われるまでもなく、自分が一番わかっている。
あんなにムキになって白銀を探していたこともそうだし……一体、あたしどうしちゃったんだろ。
……白銀、か。
白銀が剣を振るっている姿を見るのは、初めてじゃない。訓練中に目の当たりにしているし、打ち合ったこともある。
でも、今日の白銀は……見たことがない。まるで別人だった。まるで見たことのない剣の軌道。足の運び。
流れるような動作の中には一部の隙もなく……いや、実際はどうのかはわからないが、少なくともあたしにはそう見えた。
張り詰めた空気に、凛としたその表情。動き、剣を振るう度に収縮する筋肉。見るものを惹きこむような気迫。止まることのない独楽の演武。
「…………」
思わず、赤面。……だ、だからなんでよっ?!
べちべちと頬を叩く。いたたっ、ちょっと強過ぎたかな。
と、とにかく。いつもとは全然違う白銀にびっくりして、なのに、散々探し回ってようやく見つけた当人があたしの苦労なんか全然知りもしないで訓練に夢中になっているのを見て……無性に腹が立ったのだ。
……我ながら、少し短絡過ぎたような気がしないでは、ない。けど。
「でも、白銀が悪いんだからっ」
と、過ぎたことを再び持ち出してしまう辺り、本当にらしくない。
あ~っ、もう!!
アレコレ考えるのはもうやめっっ! ふぅっ、と息をついて、自室に戻ろうと一歩を踏み出し…………
――わっ、こっち向いたっ?!
――しぃっ!! まずっ、気づかれたっ!!
……とてつもなく聞き覚えのある二つの声に、ぎしり、と足が止まる。
向かう廊下の先、白銀が曲がったのとは反対の方向。見間違えでなければ、一瞬だけ確かに見えた某なにがしの顔二つ。
「うわわぁっ?! あ、茜ちゃん、怒ってるよ!!?」
「あちゃ~~、こりゃまずいね。逃げよう!」
「逃がすかぁ!! 待ちなさいっ!! 晴子ォ! 多恵ぇえ~~~~っっ!!!」
叫ぶが早いか、全速力! 脱兎の如く逃げ出す晴子と多恵を猛追すること数分。
何故か一本道に入り込んだ晴子たちに若干の疑問を抱きつつ、しかし構うことなく追い詰める!
「わっ、わぅっ?!」
ひょいひょいとまるで猫のように追撃をかわす多恵に、状況観察に優れた晴子はこちらの一瞬の隙を見てひらりと避ける。
「あはははっ、茜、怒らないでってば~」
「何笑ってんのよっ!? ちょ、待ちなさいって!!」
二人して尚も一本道を駆け進む。こ、このっ、馬鹿にして!!?
時折こちらを振り返る二人の表情はそれはもう見事に正反対だ。多恵は酷く怯えていて半泣き。対する晴子はいつもの如くゆるい笑み。まるでこの状況を楽しんでいるというか明らかにあたしをからかって愉しんでいる!!
「こら~~~っ! 待ちなさいよ~~っ!」
いい加減頭にきた。
あの時、あのタイミングであんな場所に、しかもこそこそ隠れていたということは……っ! まず間違いなく! 晴子は、そして多恵は「目撃」していたのだ!!
あたしと白銀が話しているのを!
そして、あたしが白銀に頭を撫でられているのを!?
その後あたしひとりでにやけたり赤面したりしていたのを!!!!?????
――――い、いやああああああ!!?? そ、それだけは、なんとしてもっっっ??!!
絶対に捕まえなくてはならない。そして、その口を塞がなくてはっ!!
現在までの晴子の所業を思い出す。
初対面の白銀に対してのあの爆弾投下に始まり、あたしが話した速瀬さんのアレコレ……!
それ以外にもことあるごとに本人にとって愉快であるくだりをさも愉しそうに語る柏木晴子は、それはもう歩く広告塔!!
事実、白銀は入隊初日に同期生全てに幼馴染である鑑さんの存在を知られ、いまだにからかわれ続けているッ。
も、もし、ここで晴子を捕まえられなかったら……??
ごくり。
生温い唾を飲み込んで、覚悟を決める――。
「――多恵、いい加減にしなさい……?」
「ぅひいいいっっ!? 茜ちゃん本気で怒ってるぅううう!!」
絶対零度の眼差しを向けられた多恵が明らかに狼狽する。走りながらも恐怖に空回りする思考はしかし、背後に迫るあたしの鬼気に呑まれ、そして……、
「ねぇ多恵。あたしは別にあんたに怒ってるわけじゃないわ。……あんたはこんなことして喜ぶような腐った根性してないもの。ええ、わかってる。全部晴子が言い出したんでしょう? 多恵は悪くない」
「あ、茜ちゃ……」
向けられた優しい微笑みに安堵の涙を零す多恵。――だが、
「でもね、これ以上逃げるって言うんなら――――赦さないわ――――」
「ひぃいいいいいっっ!!!!」
本能が悟ったのだろう。一瞬にして顔色を真っ青にした多恵は、半歩先を逃げる晴子に向かって飛びついた!
「えぇえーーーーいっ!!」
「えっ?! うわ、ちょっとぉお!??」
全速力で走る晴子に、同じく全速力でのタックルをかました多恵。聞くに堪えないひどい悲鳴をあげながら二人はごろごろと廊下を転げる。……正直、すごく痛そうだった。
「あいたたた……ちょ、ちょっと多恵~! なにすんのよ」
「だってだってだってだって、茜ちゃん怖かったんだもん!!」
しかめ面で文句を垂れる晴子に、恐慌状態に陥っているのかガクガク震えている多恵。
「ちぇ、失敗したなぁ。一本道なら多恵を囮にして逃げ切れると思ったのに……」
「それって酷いよねっっ?!」
どうやら最終的に追われることになるのは自分だという自覚はあったらしい。晴子らしいといえば、とてつもなくらしい考えに、少し呆れる。
その二人にゆっっくりと近づいて。あ、と。晴子がこちらを向いて、バツが悪そうににへら、と……
「覚悟はいい? 晴子……」
「あ、あはは、あははは……怒ってる?」
「さぁねぇ……あんたの方がよくわかってるんじゃないの?」
「うひぃい、茜ちゃん怖いです……」
その後、絶対に口外しないと二人共に確約させ、廊下に額を擦り付ける晴子を見て幾許か溜飲を下げる。
「……ったく。覗きなんて、趣味悪いじゃない……」
「いやぁ、つい」
ついで覗かれたこっちはたまったもんじゃない。
「でも、茜ちゃん凄く嬉しそうだったよねっ」
「えっ」
ようやく泣き止んだらしい多恵が、いきなりのたまう。――な、何言ってんのよ??!
「あ~、そうだよね。随分白銀君と仲良くなっちゃって」
「うんうん。やっぱりあれだね。こないだ白銀くんが迎えに行ってからだよねっ」
「そうそう。いやいや、茜も隅に置けないね。いつの間にあんなに甘々~になってたんだか」
それはそれで大成功なんだけど、と聞き捨てならないことを言ったような気もするが、それどころではないっ。
「ちょ、ちょ、ちょ、」
「さっきもさ、茜ちゃん凄い可愛かったし~」
「うんうん。白銀君に頭撫でられてね、」
「思い出してニヤニヤしてるし」
「その後真っ赤になってたよねぇ。あはは」
廊下に正座したまま、勝手なことを言って盛り上がる二人。既に先ほどの「口外しない」という約束が破られているような気がする。
無責任な二人の言葉に、再び怒りがこみ上げ……それ以上に、第三者の口から語られる自分の醜態に、羞恥心が前面に押し出される。
「あ、あんたたちっっ……!!?」
「貴様らァ!!! こんな時間に何を騒いでいるっっっ!!!!!!」
――――!!?
こみ上げた怒りも羞恥も、一瞬にしてなりを潜める。
恐る恐る振り向けば腕を組みとてつもなく不機嫌そうな神宮司教官。――いや、あれは不機嫌なんてモノじゃない……!?
背後では晴子と多恵が勢いよく立ち上がる気配。あたし含め、それはもう恐怖に支配されて動けず……。
さて、その後どうなったかというと。…………言うまでもなく。
「涼宮ぁぁあ~! なんでこんなことになってんだヨッッ?!!!」
「う、うるさいわねっ! いいじゃない! 体力有り余ってんでしょ!!!?」
「うぇーん。ひどいですよぅ茜さ~ん」
「あはは、亮子ちゃん泣いちゃって」
「お前が笑ってんじゃない晴子っ! くっそ~、今日はゆっくり眠ろうと思ってたのに~っ」
「ご、ごめんなさいごめんなさいぃい。薫ちゃん怒んないで~っ」
一人の責任は部隊全員の責任。……仲間って、いいわね。
「なに綺麗に結論出してんだよっっ!!?」
怒声に悲鳴の入り混じった夜間訓練はその後、日が昇るまで続けられたとかなんとか……。
合掌。